この年齢になって、学んだり反省したりすることばかりなのは、どういうことなのだろう。とこれまた反省してしまう。そういえば、反省してはいけない、突き進めというのがこれまでのモットーだったから、進めなくなったので反省するのかな。
一回目の潜水から上がって、「今日はもうこれで良い」と思ってしまったこと、そんなことを思っただけでもいけない。何でも消極的になっているようだ。「G0.for broke! 」
の心意気はどこへ行ってしまったのだ。「寒さ、体の辛さ」は望むところではなかったのか。安全とか慎重とかいう言葉、感覚が、頭の中を占領している。
バリ島の事故のことを考えたり、中田誠の商品スポーツ事故の法的責任、などという本を読んでいると、そういう感じになる。自分の責任を果たそうという気持ちになる。最終的にはバランス感覚の問題になるのだが、それにしても、消極的にバランスが傾いている。
このところ、BCはハルシオンのバックフローティングを使っている。この方がトリムを取った水平姿勢をとりやすいと思うからなのだが、どうも、自分の身体の一部になった感覚を持てない。だから、ダイビングが下手なのだ。水平姿勢についても、これでおよそ3年間練習しているけれど、これが自然体にならない。この考え方が正しい、重要だとおもうから、プライマリーコースをやっている。若いころ、ダイビングを始める時から、この姿勢で練習することはとても良いことだし、これが21世紀のスクーバダイビングだと思う。しかし、僕は20世紀のダイバーなのだ。ここまで来たら自分のスタイルを貫かなければいけない。もちろん3年間の練習は無駄ではないし、これからもプールでの練習は繰り返し続けて行こうと思う。しかし、フィールドに出て、波のある状態、流れの速い状況では、自分の自然体を貫かないと却って危ない。これまで3年間の練習はその自然体に反映しているはずだ。60年間しみついたスタイルは容易に代えられるものではない。練習とフィールドは別で、フィールドでは自分の自然体で行こう。荒川さんの潜水、身体の動かし方を見ていて、自分のスタイルもあれだったなあ、と思ってしまう。自分のスタイルを捨てるという事は、初心者に戻ってしまう事なのだ。そしてフィジカルでは、若い初心者に及ばないとすれば、もういけない。
インストラクションをするときに、新しいスタイルでやれないと、出来ないということはある。だからもう、自分で手本をやってみて、やらせるという事はあきらめなくてはならないだろう。それこそ、もう、次の人が育ってきているのだから、プライマリーコースでは、別のデモストレーターが必要で、アンバサダーという役割を作った。
一回目の潜水で、ボートへのエキジットに手間取り、助けてもらいすぎた。ハルシオンのBCが、ワンタッチで外せなかった。
今後は海に出る時には、体の一部になったアポロのプレステージにしよう。これは、あまりにも旧型で修理部品も無いかもしれないが、2台持っているので、一台をメーカーに送り返して整備してもらうことにしよう。先日、後藤道夫の葬儀で、メーカーの営業部長に会ったので頼んでみよう。新型でも同じ感覚で使えるならば、良いけれど、どうだろう。
午後は、高根という水中神社を祀っているポイントに潜る。ここも10回以上潜っているが、濁っていると方向がつかめない。
ボートはブイにつかまっているが、ブイを潜降索として使うためには、少し、7mほど水面を泳がなければならない。荒川さんは、潜降索と船の梯子を結ぶようなガイドラインを付けてくれる。考えて見たら、親しい古い友人だが、こんな形で一緒に潜ったのは初めてだったかもしれない。
もう、20年前になるだろうか、いや、25年前か、玄界灘の水深80mの魚礁を調査することになり、ヘリウム酸素の潜水だったが、僕が総指揮で荒川さんにダイバーを頼んだことがあった。報告書がどこかに残っていたはずだから、今度、荒川さんのところに行くときに持って行ってあげよう。あるかな?その時も、僕は潜ったがバディではなくて、トップ(船上)の指揮だった。今はお世話してもらって一緒に潜る。
午前の潜水よりはスムースに海底にヘッドファーストで潜り着いた。周囲を見てもだれもいない。見通しがきかないのだ。潜降索の直下を動かずにいれば、誰かが来てくれるだろうと待つ。
透視度が良ければ、近くに見える位置に、大鳥居がある。3mほどの高さか。コブダイを集める場所でもある。近くに、エアードームもある。これは前に来たときには無かった。樹脂製の透明な半球上のドームで、ダイバーは、この中に顔を出して、マスクを取り、話をすることができる。システムダイビングで言えば、オープンベルであり、透明なベル(釣鐘)を沈めて設置したものだ。
大鳥居から、神社への参道は、ガイドラインが付いているので、ラインを手繰れば10mほど離れた、小高い根(高根)の上の神社にたどり着く。ステンレス製の小さな神社で、ご神体の象徴はガラス玉のようで、青々とした樒が両側に供えられている。荒川さんは手袋をはずして、神社の屋根、と周辺をはたくようにして、ごみを落とす。ゴミのようなものがなんだかわからないが、叩いて散ると、それを餌にする、カサゴや黒鯛が集まってくる。聞かなかったが何かお供え物なのかもしれない。
神社を越えて、縦に走る根に沿って一周してくるのがコースになっているのだが、20mほど進んだところで、僕の空気が100になった。波があるからエキジットは容易ではないだろう。二分の一ルール、空気圧が半分になったら戻るルールを適用して、僕は、戻るサインを先頭を行く荒川さんに送った。了解して戻り始める。僕のタンクは10リットル、みんなは12リットルだから、まだ150は残っているだろう。
戻り道で、鳥居のところで、ハンマーで鳥居をたたき、コブダイを呼ぶ。良く慣れていてたちまち現れた。置いてある生簀からサザエを取り出して、砕いてやる。コブを撫でても、しばらくは我慢している。そのあたりで、餌をやっている野良猫ていどには慣れている。
オープンベルのエアードームは、システム潜水では、水面からホースで空気を送るのだが、ここではタンクを持って入り、バルブを開いて空気を入れ替える。そのために、タンクを持ち込み、またボートに戻さなければならない。酸欠が一番恐ろしいので、どうするのか見ていたが、まず、山本さんが顔を出し、交代して小俣さんが入ったときに、空気を噴出させていた。
波佐間の海底は、別に何の変哲もない場所である。それを、人工魚礁を組み立ててドリームを作り、高根の上には神社を作り、コブダイも慣らし、半球のドームを設置して、レクリエーショナルダイバーを楽しませるように、努力を惜しんでいない。
水面へ上がる途中に減圧停止用のバーがある。荒川さんはちょっと止まっただけで浮上して、ボートに上がり、僕たちを待ち受けてくれる。浮上しかかって水面を見ると、すごい波に見える。上がれない波ではないが、迫力があるので撮影しておいた。僕は後から上がって、タンクを受け取ってもらいたいので、みんなを先に上げる。梯子に掴まってしまうと身動きができなくなるので、タンクを外して上げてもらい、7キロのウエイト、3キロのウエイトも上げて、ボートの縁に手をかけて、よじ登る。自力でも上がれるのだが、上で引っ張り上げてもらって、難なくボートに転げ込む。
11時57分潜水開始、最大水深17.2m 12時30分潜水終了、潜水時間33分、
水温13.4度、透視度8m
小俣氏撮影の須賀 気に入ったので。
このダイビングが商品スポーツと呼べるかどうか、別に来ていたグループも無事に潜水を終了して、満足して戻って行った。しかし、波は高く見えた。
ドライスーツを着て、12キロのウエイトとタンクを背負うと、79歳の自分には、エキジットが苦行だ。若いころはこんな波は波ではなかったと言って見ても、それならば、やめれば?と言われてしまうだろう。苦行=スポーツだと思ってやらないとやれない。やはり、トレーニングが必要で、トレーニング=スポーツである。
帰り道、眠りかけそうな石川さんの眠気覚ましもあって、ダイビングの安全と自己責任について議論する。
一回目の潜水から上がって、「今日はもうこれで良い」と思ってしまったこと、そんなことを思っただけでもいけない。何でも消極的になっているようだ。「G0.for broke! 」
の心意気はどこへ行ってしまったのだ。「寒さ、体の辛さ」は望むところではなかったのか。安全とか慎重とかいう言葉、感覚が、頭の中を占領している。
バリ島の事故のことを考えたり、中田誠の商品スポーツ事故の法的責任、などという本を読んでいると、そういう感じになる。自分の責任を果たそうという気持ちになる。最終的にはバランス感覚の問題になるのだが、それにしても、消極的にバランスが傾いている。
このところ、BCはハルシオンのバックフローティングを使っている。この方がトリムを取った水平姿勢をとりやすいと思うからなのだが、どうも、自分の身体の一部になった感覚を持てない。だから、ダイビングが下手なのだ。水平姿勢についても、これでおよそ3年間練習しているけれど、これが自然体にならない。この考え方が正しい、重要だとおもうから、プライマリーコースをやっている。若いころ、ダイビングを始める時から、この姿勢で練習することはとても良いことだし、これが21世紀のスクーバダイビングだと思う。しかし、僕は20世紀のダイバーなのだ。ここまで来たら自分のスタイルを貫かなければいけない。もちろん3年間の練習は無駄ではないし、これからもプールでの練習は繰り返し続けて行こうと思う。しかし、フィールドに出て、波のある状態、流れの速い状況では、自分の自然体を貫かないと却って危ない。これまで3年間の練習はその自然体に反映しているはずだ。60年間しみついたスタイルは容易に代えられるものではない。練習とフィールドは別で、フィールドでは自分の自然体で行こう。荒川さんの潜水、身体の動かし方を見ていて、自分のスタイルもあれだったなあ、と思ってしまう。自分のスタイルを捨てるという事は、初心者に戻ってしまう事なのだ。そしてフィジカルでは、若い初心者に及ばないとすれば、もういけない。
インストラクションをするときに、新しいスタイルでやれないと、出来ないということはある。だからもう、自分で手本をやってみて、やらせるという事はあきらめなくてはならないだろう。それこそ、もう、次の人が育ってきているのだから、プライマリーコースでは、別のデモストレーターが必要で、アンバサダーという役割を作った。
一回目の潜水で、ボートへのエキジットに手間取り、助けてもらいすぎた。ハルシオンのBCが、ワンタッチで外せなかった。
今後は海に出る時には、体の一部になったアポロのプレステージにしよう。これは、あまりにも旧型で修理部品も無いかもしれないが、2台持っているので、一台をメーカーに送り返して整備してもらうことにしよう。先日、後藤道夫の葬儀で、メーカーの営業部長に会ったので頼んでみよう。新型でも同じ感覚で使えるならば、良いけれど、どうだろう。
午後は、高根という水中神社を祀っているポイントに潜る。ここも10回以上潜っているが、濁っていると方向がつかめない。
ボートはブイにつかまっているが、ブイを潜降索として使うためには、少し、7mほど水面を泳がなければならない。荒川さんは、潜降索と船の梯子を結ぶようなガイドラインを付けてくれる。考えて見たら、親しい古い友人だが、こんな形で一緒に潜ったのは初めてだったかもしれない。
もう、20年前になるだろうか、いや、25年前か、玄界灘の水深80mの魚礁を調査することになり、ヘリウム酸素の潜水だったが、僕が総指揮で荒川さんにダイバーを頼んだことがあった。報告書がどこかに残っていたはずだから、今度、荒川さんのところに行くときに持って行ってあげよう。あるかな?その時も、僕は潜ったがバディではなくて、トップ(船上)の指揮だった。今はお世話してもらって一緒に潜る。
午前の潜水よりはスムースに海底にヘッドファーストで潜り着いた。周囲を見てもだれもいない。見通しがきかないのだ。潜降索の直下を動かずにいれば、誰かが来てくれるだろうと待つ。
透視度が良ければ、近くに見える位置に、大鳥居がある。3mほどの高さか。コブダイを集める場所でもある。近くに、エアードームもある。これは前に来たときには無かった。樹脂製の透明な半球上のドームで、ダイバーは、この中に顔を出して、マスクを取り、話をすることができる。システムダイビングで言えば、オープンベルであり、透明なベル(釣鐘)を沈めて設置したものだ。
大鳥居から、神社への参道は、ガイドラインが付いているので、ラインを手繰れば10mほど離れた、小高い根(高根)の上の神社にたどり着く。ステンレス製の小さな神社で、ご神体の象徴はガラス玉のようで、青々とした樒が両側に供えられている。荒川さんは手袋をはずして、神社の屋根、と周辺をはたくようにして、ごみを落とす。ゴミのようなものがなんだかわからないが、叩いて散ると、それを餌にする、カサゴや黒鯛が集まってくる。聞かなかったが何かお供え物なのかもしれない。
神社を越えて、縦に走る根に沿って一周してくるのがコースになっているのだが、20mほど進んだところで、僕の空気が100になった。波があるからエキジットは容易ではないだろう。二分の一ルール、空気圧が半分になったら戻るルールを適用して、僕は、戻るサインを先頭を行く荒川さんに送った。了解して戻り始める。僕のタンクは10リットル、みんなは12リットルだから、まだ150は残っているだろう。
戻り道で、鳥居のところで、ハンマーで鳥居をたたき、コブダイを呼ぶ。良く慣れていてたちまち現れた。置いてある生簀からサザエを取り出して、砕いてやる。コブを撫でても、しばらくは我慢している。そのあたりで、餌をやっている野良猫ていどには慣れている。
オープンベルのエアードームは、システム潜水では、水面からホースで空気を送るのだが、ここではタンクを持って入り、バルブを開いて空気を入れ替える。そのために、タンクを持ち込み、またボートに戻さなければならない。酸欠が一番恐ろしいので、どうするのか見ていたが、まず、山本さんが顔を出し、交代して小俣さんが入ったときに、空気を噴出させていた。
波佐間の海底は、別に何の変哲もない場所である。それを、人工魚礁を組み立ててドリームを作り、高根の上には神社を作り、コブダイも慣らし、半球のドームを設置して、レクリエーショナルダイバーを楽しませるように、努力を惜しんでいない。
水面へ上がる途中に減圧停止用のバーがある。荒川さんはちょっと止まっただけで浮上して、ボートに上がり、僕たちを待ち受けてくれる。浮上しかかって水面を見ると、すごい波に見える。上がれない波ではないが、迫力があるので撮影しておいた。僕は後から上がって、タンクを受け取ってもらいたいので、みんなを先に上げる。梯子に掴まってしまうと身動きができなくなるので、タンクを外して上げてもらい、7キロのウエイト、3キロのウエイトも上げて、ボートの縁に手をかけて、よじ登る。自力でも上がれるのだが、上で引っ張り上げてもらって、難なくボートに転げ込む。
11時57分潜水開始、最大水深17.2m 12時30分潜水終了、潜水時間33分、
水温13.4度、透視度8m
小俣氏撮影の須賀 気に入ったので。
このダイビングが商品スポーツと呼べるかどうか、別に来ていたグループも無事に潜水を終了して、満足して戻って行った。しかし、波は高く見えた。
ドライスーツを着て、12キロのウエイトとタンクを背負うと、79歳の自分には、エキジットが苦行だ。若いころはこんな波は波ではなかったと言って見ても、それならば、やめれば?と言われてしまうだろう。苦行=スポーツだと思ってやらないとやれない。やはり、トレーニングが必要で、トレーニング=スポーツである。
帰り道、眠りかけそうな石川さんの眠気覚ましもあって、ダイビングの安全と自己責任について議論する。