元社員、横澤敏和君が亡くなった。
横澤君は途中入社で、僕と一緒の仕事は少なかった。一度くらいかと記憶している。日体大の卒業で、体力は抜群だったし、何でもできた、主には女川の原発前の調査を担当していた。植物(海藻)に熱心で、東邦大学の海藻研究の修士課程に入学した。理系ではないので、特別試験を受けて入学した。修士、一年目の時、女川で潜水しようとした直前、激烈な腹痛で倒れた。もしも潜水していれば、どうだったろう。また原因不明の死亡事故だったかもしれない。入院検査の結果、リンパ系の癌で、もはや末期、日本では例が少なく、助かった例はほとんどない。抜群の闘志で戦い、奇跡の生還をして、修士課程も卒業した。ダイバーは、やめて、高校の生物の教師になり、子供も生まれた。普通に働いていて、普通に夜やすんで急死した。享年46歳。
もう、癌になってから、ちょっとの隙間を見て、僕と会い、結婚前の奥さんと一緒に写真を撮った。
ここには出しませんが、本当に幸せそうにわらっています。
彼女と結婚して、子供が生まれ、5歳まで、そして急死、神様がくれた時間だったのだろう
お通夜でもらってきた、奥さんのメッセージ
パパ、ありがとう、共に過ごして日々をわすれません。
中略
いつかこんな日が来るのかと、覚悟はしておりましたが、別れの時を迎えた今、心構え儚く、思い出の数だけ涙が流れます。
それこそ何十年分に値するほど、5歳になる娘の佳澄を心からかわいがってくれました。 後略」
長く生きるだけが幸せではない。横澤君のことをうらやましいと思っている。
横澤君が居た頃の、作業場の彼のデスクです。彼の作った標本が下の段にあります。僕のオフィスカオスとは段違いです。反省するけれど。。。。絶望