月刊ダイバー3月号、連載、日本潜水グラフィティ最終回になった。24回の予定が27回にしてもらった。26冊のダイバーを書架に並べる。まだ3月号は書店にはでていない。
須賀潮美が編集してくれたのだが、全くの書き直しもかなりあった。娘だから厳しいのかなとおもったりしたが、直すと必ず良くなっている。いい編集者になったのだなあ、と思う。最終回、ここまでの流れから少し時代を飛んで、どうしても書かなくては終われないことを書かせてもらった。「ダイビングの夢と冒険とは何だ、そして安全管理と危機管理についての事を書いた。良い終わり方、自分にとっては感動的だった。どうか、ぜひ買って読んでください。
絶対カットされるなと思いつつ、坂部編集長と潮美に謝辞を書いたが予想通りにカットされていた。
この終わり方は、これで一番良かったと思うのだが、もう一つの終わり方、これまでの26回分を振り返ってようやくして終わる終わり方も考えた。
サマセット・モームの自伝的な「要約すると:summing up」という作品がある。内容は忘れてしまったのだが、タイトルだけは覚えていた。最後に人生は経糸横糸を編んで行くタペストリーのようなものだというところが印象に残っていた。と思っていて、もう一度読もうと図書館で目を通したけれど、ちがった。これは、別の小説「月と六ペンス」と混同していたことがわかった。「月と六ペンス」は、ゴーガンをモデルにしたモームの長編ではベストだろうか。つまり、僕の潜水人生の要約、summing up にしようかと思ったのだった。
潜水、ダイビングの意味、それにかけた人生の意味は、何だったのだろう。
ブログに書きかけたけれど、容易にはまとまらない。
★
ビズショウ、フィッシュアイのコーナーで、漏水感知のパイロットランプが点滅する仕掛けをみた。一緒に見ていた倉田君と話し合う。
ランプが点滅した時、安全停止もへちまもなく、毎分23mぐらいでまっしぐらに水面に駆け上がるのだということを、よく考えないといけない。若いころ、もちろん僕も一直線に水面に駆け上がった。
先日の西川名での水没では、カメラを犠牲にしした。僕だけが急浮上したら、一緒に潜っている仲間が心配して、一緒に急浮上するだろう。カメラよりも安全、物の損害はお金で解決できる。人の損傷はお金では解決できない。
安全のためには、ハウジングに入れる中のカメラを防水にしなければいけない。初心者が使うコンデジは、防水のカメラをハウジングに入れたものを使うべし、一人前のカメラマンならば、ケースバイケースで、カメラを捨てる覚悟が必要だとおもう。昔、カメラマンしていたころ、ビデオのハウジングは、大きいので、コップに一杯ぐらいの浸水ならばなんともなかった。ニコノスⅤの浸水は日常だった。僕のカメラの保険扱ってくれるところが無くなって、中村宏治にその話をしたら、保険屋を紹介してくれて、中村宏治の紹介だと言ったら、即断られた。
水没した僕のキャノンデジタルX 左に見えるのは、中古を18000円で手に入れた。新品同様だった。
★
忙しいプレッシャーの中で、本だけは読む。柳澤桂子 「いのちと放射能」1988年に書かれた薄い本だ。彼女は先天的異常の研究者だ。文庫になったのが2007年、放射能がDNAの螺旋を破壊する話を書いている。研究者にとっては常識だろう。僕だって知っている話だけど、読んだ本に託さなければ、僕が言える話ではない。
この本では遠く離れたチェルノブイリの放射能を日本の若者が浴びたことを懸念している。今、日本の福島の放射能も世界に広がる。子供が生まれた時、誰でも、手の指の数、足の指の数を数える。放射能の影響による先天的異常についての研究、福島が研究のメッカになるだろう。チェルノブイリがそうなったように。この前、高木仁三郎という人の作った基金の補助金に応募した。通らなかったけれど、この人はチェルノブイリでの研究で成果をあげた。僕ら、一般大衆は、発言できない。発言しても相手にされない。何の効果もない。ただ、発言しているひとに投票することはできる。
「何、原発反対に一票を投じた?君のところにはもう、仕事はあげないよ。」田 神さんに投票しましたと言うこともできる。僕はそう言うつもりだ。
もう一冊これはまだ読みかけだが、ジャレド・ダイヤモンド 「文明崩壊」草思社文庫、文庫は2012年だが、単行本は2005年、放射能被害の話は扱っていない。「いのちと放射能」も1988年の出版だ。
須賀潮美が編集してくれたのだが、全くの書き直しもかなりあった。娘だから厳しいのかなとおもったりしたが、直すと必ず良くなっている。いい編集者になったのだなあ、と思う。最終回、ここまでの流れから少し時代を飛んで、どうしても書かなくては終われないことを書かせてもらった。「ダイビングの夢と冒険とは何だ、そして安全管理と危機管理についての事を書いた。良い終わり方、自分にとっては感動的だった。どうか、ぜひ買って読んでください。
絶対カットされるなと思いつつ、坂部編集長と潮美に謝辞を書いたが予想通りにカットされていた。
この終わり方は、これで一番良かったと思うのだが、もう一つの終わり方、これまでの26回分を振り返ってようやくして終わる終わり方も考えた。
サマセット・モームの自伝的な「要約すると:summing up」という作品がある。内容は忘れてしまったのだが、タイトルだけは覚えていた。最後に人生は経糸横糸を編んで行くタペストリーのようなものだというところが印象に残っていた。と思っていて、もう一度読もうと図書館で目を通したけれど、ちがった。これは、別の小説「月と六ペンス」と混同していたことがわかった。「月と六ペンス」は、ゴーガンをモデルにしたモームの長編ではベストだろうか。つまり、僕の潜水人生の要約、summing up にしようかと思ったのだった。
潜水、ダイビングの意味、それにかけた人生の意味は、何だったのだろう。
ブログに書きかけたけれど、容易にはまとまらない。
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ビズショウ、フィッシュアイのコーナーで、漏水感知のパイロットランプが点滅する仕掛けをみた。一緒に見ていた倉田君と話し合う。
ランプが点滅した時、安全停止もへちまもなく、毎分23mぐらいでまっしぐらに水面に駆け上がるのだということを、よく考えないといけない。若いころ、もちろん僕も一直線に水面に駆け上がった。
先日の西川名での水没では、カメラを犠牲にしした。僕だけが急浮上したら、一緒に潜っている仲間が心配して、一緒に急浮上するだろう。カメラよりも安全、物の損害はお金で解決できる。人の損傷はお金では解決できない。
安全のためには、ハウジングに入れる中のカメラを防水にしなければいけない。初心者が使うコンデジは、防水のカメラをハウジングに入れたものを使うべし、一人前のカメラマンならば、ケースバイケースで、カメラを捨てる覚悟が必要だとおもう。昔、カメラマンしていたころ、ビデオのハウジングは、大きいので、コップに一杯ぐらいの浸水ならばなんともなかった。ニコノスⅤの浸水は日常だった。僕のカメラの保険扱ってくれるところが無くなって、中村宏治にその話をしたら、保険屋を紹介してくれて、中村宏治の紹介だと言ったら、即断られた。
水没した僕のキャノンデジタルX 左に見えるのは、中古を18000円で手に入れた。新品同様だった。
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忙しいプレッシャーの中で、本だけは読む。柳澤桂子 「いのちと放射能」1988年に書かれた薄い本だ。彼女は先天的異常の研究者だ。文庫になったのが2007年、放射能がDNAの螺旋を破壊する話を書いている。研究者にとっては常識だろう。僕だって知っている話だけど、読んだ本に託さなければ、僕が言える話ではない。
この本では遠く離れたチェルノブイリの放射能を日本の若者が浴びたことを懸念している。今、日本の福島の放射能も世界に広がる。子供が生まれた時、誰でも、手の指の数、足の指の数を数える。放射能の影響による先天的異常についての研究、福島が研究のメッカになるだろう。チェルノブイリがそうなったように。この前、高木仁三郎という人の作った基金の補助金に応募した。通らなかったけれど、この人はチェルノブイリでの研究で成果をあげた。僕ら、一般大衆は、発言できない。発言しても相手にされない。何の効果もない。ただ、発言しているひとに投票することはできる。
「何、原発反対に一票を投じた?君のところにはもう、仕事はあげないよ。」田 神さんに投票しましたと言うこともできる。僕はそう言うつもりだ。
もう一冊これはまだ読みかけだが、ジャレド・ダイヤモンド 「文明崩壊」草思社文庫、文庫は2012年だが、単行本は2005年、放射能被害の話は扱っていない。「いのちと放射能」も1988年の出版だ。