僕のスタイルの潜水は2000年まで、ということは20世紀のダイビングということだが、易しくて楽しかったと思うしダイビングショップも儲かった。21世紀のダイビングは、すごく難しい。20世紀のダイビングならば、60mでも普通に潜れたが、21世紀のスタイルでは、20mも危ない。僕が年老いたからということもあるだろうが、難しい。難しくなることが安全に繋がるかどうか。これは結果(統計的結果)を見なければわからないが、事故数は減るとは思えない。時代の差もあるだろうが、個のレベルで、日本のダイビング業が昔ほどもうかることはもうないと思う。儲かるのは上部組織だけだ。それはそれとして、僕は難しい今のスタイルを一生懸命練習している。いざとなれば昔のスタイルで生き残れるから、今のスタイルで潜れるようになれば、アドバンテージがあるな、と。
今のスタイルは、トリムを完全にとって中世浮力で足を海底につけないスタイルだ。
1月26日・その月の最終日曜日は、お台場潜水の日だ。今は魚も見えないし、カニもどこかに潜っているのだろう。カニは冬眠したっけ。しない。最近のお台場では難しい21世紀のダイビングの練習をしている。お台場はトリムを取って水平の潜水練習に好適のプールのようなものだ。年をとり、バランスが悪くなっている。身体も硬い。覚えも悪くなっている。「練習あるのみ」
カメラは、ウエアラブルカメラ、GOPRO2を棒の先に付けたポールカメラだけを持つ。
棒は2mの測量用のスタッフで、棒の先でカメラは180度自在に回転する。2mの棒を延ばして、先についているカメラを回転させてこちらに向ければ、泳いでいる全身が撮影できる。フォームの確認ができるのだ。
マスクはダイブウエイズの新しい一眼のマスク、石川さんにマスクマウントの受けを付けてもらったので、これにはGoPro3を付ける。
毎度難儀なのは、エントリーとエキジットだ。ウエイトはレッグに1.6キロ、ベルトに2キロ、ベストが7キロで10,6キロだ。タンクが10キロとして、20キロを背負うからしゃがんだら立ち上がれない。ポールカメラのポールが杖になる。
予想していたように水は濁っている。普通、本州沿岸は、1月2月3月は、水が澄んでいる。しかし、ここお台場は必ずしも澄んでいない。冬季発生のプランクトンが多いからと風呂田先生が教えてくれた。本当かどうかわからないが、とにかく濁っている。
まずは水深1.5mの砂地を進んでゆく、
何もいないし、何も見えないから、自分をビークルにイメージする。21世紀のダイビングは、ビークルにたとえやすい。
ポールカメラを自分に向けてフォームを撮る。濁っていても濁りの程度がとれる。
身体を水平のまま、ドライスーツの空気を抜き、BCの空気を抜いて沈んでゆく、のだが、足の方に空気が廻っていると、水平のままでは物理的に空気は抜けない。やはり、一度は身体を立てて、腕のバルブから空気を抜く、再び水平になってBCの空気を抜いて沈む。水深は1.5m-2m。ちょっとバランスを崩すと、すぐに水面に出てしまう。これが2.5-3mならば、楽なのだが、1.5は難しいが、かなり慣れては来ているから、まあまあ、うまくできている。今日の自分なりのテーマは、この水深で底に手も足も着けないで、浮いてすべてをやる。水底からは15-20cmで静止する。
ポールカメラ、長さ2m 岸近くは少し見える。
20世紀のダイビングは、スキンダイビングが基本であり、スキンダイビングの延長線上にスクーバダイビングがあった。僕の書いた本のすべてが、そのように記述したし、そのような初心者講習をしたし、それで、すべてがうまく行っていた。20世紀のスタイルならば、簡単だ、45度の前傾姿勢でBCの空気を抜き、膝を付いてしまう。お台場ではそっと着地しないと泥を巻き上げて、濁してしまう。そっと着地する。移動する時はフィンで泥を掻き揚げないように、BCのボタンをチョンチョンの押して体を少し浮かせてからフィンを小刻みに上の方で使って移動する。フィンキックもフラッターキックだから、注意はするが、この浅さだと若干は、濁らせる。今は、膝を曲げてフィンを上にあげてフロッグキックで泳ぐ。ドライスーツだからバランスが難しいが、どうやら移動することはうまくできるようになった。今回は移動ではなくて静止である。
しかし、本当に何もいない。とりあえず行動半径の最先端である杭のあたりまでゆくことにする。距離にして300mぐらいか。フィンキックはすべてフロッグで行く。数回前までは、ドライスーツでのフロッグでは、進みが鈍い。移動はこれまで通りのフラッターで、静止した時だけフロッグにしていたが、練習のためすべてフロッグにしてから、かなり速くなった。水平姿勢が完全になっていれば、水の抵抗が少ないから、水中を進む限り、フロッグの方が速くなるはずである。
ポールカメラを自分にむけるように廻して、棒を前にだし、横に伸ばしたりして、自分のフォームを撮る。杭に到着して、杭の付着生物、ヒメホウキムシなどを撮ろうとする。しかし、どうも腰が浮いてしまって頭を上げて前を見ることがむずかしい。頭を上げると足が着いてしまう。ここの深さは2.5-3mだが、ちょっとバランスを失うと体が浮き始める。ストレスなく水平に静止するためには、もうちょっと腰を重くしたい。今、2キロだから、4キロにしてみよう。そうなると全体が2キロ重くなってしまう。ジャケットウエイトの7キロが重すぎる。この次は、ジャケットを4キロにして、腰を5キロにしよう。
20世紀のダイビングは、こんな苦労は無かった。BCの空気を抜いてそっと着地して撮影する。身体が振れないから撮影ポジションも決まる。水温は10度、かなり冷たい。一番遠い、杭の部分で、トイレに行きたくなった。もどるのに10分はかかるだろう。難儀なエキジットをして、タンクを脱ぎ、ドライを脱いで、トイレに歩いて行くので10分、20分は持ちそうにない。歳をとったために、トイレは、行きたいと思った時から、出てしまうまでの時間が持てなくなった。とにかく戻ろう。フロッグキックだから、少し深度をとって、3-4mで少しスピードを上げよう。何とか持ちこたえた。
杭のあたりから戻りながら、戻る岸を見ると遠い。
午後の潜水は、腰のウエイトを4キロにして、あまり遠くに行かないで、静止しての撮影をやろうと決めた。何も撮影する生き物がいないので、ナイフで牡蠣をこじ開けて餌にしよう。多分カニが集まってくるはずだ。
生きている牡蠣と死に殻の牡蠣と、生きているのが30%ぐらいか。死んだ殻も、そのままの形で石についている。死んだ殻をナイフで開けたら、ギンポが飛び出してきた。こんなところに潜んでいたのだ。別の殻を開けると小さなカニが逃げ出した。生きている牡蠣を開いた。これでカニが集まってくるはずだ。集まるまでの間、他の死に殻を開いてみようカニが入っているはず。殻の50%にカニが入っている。これで20年近く、この場で潜っているのに、蓋の付いた牡蠣殻が、カニやギンポの家になっていることを知らなかった。そう思って見ると、家並が連なっているように見える。端からナイフでこじ開けるのは、家を破壊している行為になる。そんなことを考えながら、ナイフで牡蠣を突くと突けないで体がバックしてしまう。中性浮力の静止だから、ちょっとした力で動いてしまう。ゼロ・グラビティだ。
牡蠣の死殻に隠れていたカニ
暖かい季節ならば、牡蠣を剥くとすぐにカニがきて、ハゼも来るのだが、今はなかなか集まって来ない。寒さで、動かないでいるのだろうか。
空気が少なくなったので、カニが集まるのを待てないで上がる。膝を付いて、フィンを脱ぎ、手に抱える。ポールカメラのポールを杖のように突いて立ち上がる。
風が少し吹いてきて寒い。
こんなところで自分は何をしているのだろう。79歳にもなって、立ち上がり、肩にずしりと重いタンクの重みに耐えて、足を前に運ぶ。今日は、お台場でお台場駅伝とかいうスモールな市民マラソンをしている。僕のダイビングもスポーツだと思っている。人は発生して進化する過程で、何万年もの間、駆けて獣を追いつめて狩りをして食糧にしていた。海に潜って、貝を取り、魚を突いて食べていた。駆けるのをやめ、潜るのを止めたのは、人類の歴史では、わずかちょっとの時間だ。身体を動かしていなくては生きられない動物だ。僕の場合は潜っていないと具合が悪くなる。
着替えて帰る準備をしたりしながらそんなことを考えていたら、本当に風が強く吹いてきた。僕の好きな冒険小説作家、アリステア・マクリーンの北海の世界のようだ。ありステア・マクリーンの小説、ほとんどは忘れてしまったが、北の海、吹きすさぶ風、凍る世界だ。ここお台場は、もちろん、凍りはしないが、寒い。僕は寒いと凍る世界の冒険小説を思い起こすことにしている。
20世紀のダイビングと今の、21世紀のダイビング、くらべることもっと書くことがあるが、それは次の機会にしよう。
今のスタイルは、トリムを完全にとって中世浮力で足を海底につけないスタイルだ。
1月26日・その月の最終日曜日は、お台場潜水の日だ。今は魚も見えないし、カニもどこかに潜っているのだろう。カニは冬眠したっけ。しない。最近のお台場では難しい21世紀のダイビングの練習をしている。お台場はトリムを取って水平の潜水練習に好適のプールのようなものだ。年をとり、バランスが悪くなっている。身体も硬い。覚えも悪くなっている。「練習あるのみ」
カメラは、ウエアラブルカメラ、GOPRO2を棒の先に付けたポールカメラだけを持つ。
棒は2mの測量用のスタッフで、棒の先でカメラは180度自在に回転する。2mの棒を延ばして、先についているカメラを回転させてこちらに向ければ、泳いでいる全身が撮影できる。フォームの確認ができるのだ。
マスクはダイブウエイズの新しい一眼のマスク、石川さんにマスクマウントの受けを付けてもらったので、これにはGoPro3を付ける。
毎度難儀なのは、エントリーとエキジットだ。ウエイトはレッグに1.6キロ、ベルトに2キロ、ベストが7キロで10,6キロだ。タンクが10キロとして、20キロを背負うからしゃがんだら立ち上がれない。ポールカメラのポールが杖になる。
予想していたように水は濁っている。普通、本州沿岸は、1月2月3月は、水が澄んでいる。しかし、ここお台場は必ずしも澄んでいない。冬季発生のプランクトンが多いからと風呂田先生が教えてくれた。本当かどうかわからないが、とにかく濁っている。
まずは水深1.5mの砂地を進んでゆく、
何もいないし、何も見えないから、自分をビークルにイメージする。21世紀のダイビングは、ビークルにたとえやすい。
ポールカメラを自分に向けてフォームを撮る。濁っていても濁りの程度がとれる。
身体を水平のまま、ドライスーツの空気を抜き、BCの空気を抜いて沈んでゆく、のだが、足の方に空気が廻っていると、水平のままでは物理的に空気は抜けない。やはり、一度は身体を立てて、腕のバルブから空気を抜く、再び水平になってBCの空気を抜いて沈む。水深は1.5m-2m。ちょっとバランスを崩すと、すぐに水面に出てしまう。これが2.5-3mならば、楽なのだが、1.5は難しいが、かなり慣れては来ているから、まあまあ、うまくできている。今日の自分なりのテーマは、この水深で底に手も足も着けないで、浮いてすべてをやる。水底からは15-20cmで静止する。
ポールカメラ、長さ2m 岸近くは少し見える。
20世紀のダイビングは、スキンダイビングが基本であり、スキンダイビングの延長線上にスクーバダイビングがあった。僕の書いた本のすべてが、そのように記述したし、そのような初心者講習をしたし、それで、すべてがうまく行っていた。20世紀のスタイルならば、簡単だ、45度の前傾姿勢でBCの空気を抜き、膝を付いてしまう。お台場ではそっと着地しないと泥を巻き上げて、濁してしまう。そっと着地する。移動する時はフィンで泥を掻き揚げないように、BCのボタンをチョンチョンの押して体を少し浮かせてからフィンを小刻みに上の方で使って移動する。フィンキックもフラッターキックだから、注意はするが、この浅さだと若干は、濁らせる。今は、膝を曲げてフィンを上にあげてフロッグキックで泳ぐ。ドライスーツだからバランスが難しいが、どうやら移動することはうまくできるようになった。今回は移動ではなくて静止である。
しかし、本当に何もいない。とりあえず行動半径の最先端である杭のあたりまでゆくことにする。距離にして300mぐらいか。フィンキックはすべてフロッグで行く。数回前までは、ドライスーツでのフロッグでは、進みが鈍い。移動はこれまで通りのフラッターで、静止した時だけフロッグにしていたが、練習のためすべてフロッグにしてから、かなり速くなった。水平姿勢が完全になっていれば、水の抵抗が少ないから、水中を進む限り、フロッグの方が速くなるはずである。
ポールカメラを自分にむけるように廻して、棒を前にだし、横に伸ばしたりして、自分のフォームを撮る。杭に到着して、杭の付着生物、ヒメホウキムシなどを撮ろうとする。しかし、どうも腰が浮いてしまって頭を上げて前を見ることがむずかしい。頭を上げると足が着いてしまう。ここの深さは2.5-3mだが、ちょっとバランスを失うと体が浮き始める。ストレスなく水平に静止するためには、もうちょっと腰を重くしたい。今、2キロだから、4キロにしてみよう。そうなると全体が2キロ重くなってしまう。ジャケットウエイトの7キロが重すぎる。この次は、ジャケットを4キロにして、腰を5キロにしよう。
20世紀のダイビングは、こんな苦労は無かった。BCの空気を抜いてそっと着地して撮影する。身体が振れないから撮影ポジションも決まる。水温は10度、かなり冷たい。一番遠い、杭の部分で、トイレに行きたくなった。もどるのに10分はかかるだろう。難儀なエキジットをして、タンクを脱ぎ、ドライを脱いで、トイレに歩いて行くので10分、20分は持ちそうにない。歳をとったために、トイレは、行きたいと思った時から、出てしまうまでの時間が持てなくなった。とにかく戻ろう。フロッグキックだから、少し深度をとって、3-4mで少しスピードを上げよう。何とか持ちこたえた。
杭のあたりから戻りながら、戻る岸を見ると遠い。
午後の潜水は、腰のウエイトを4キロにして、あまり遠くに行かないで、静止しての撮影をやろうと決めた。何も撮影する生き物がいないので、ナイフで牡蠣をこじ開けて餌にしよう。多分カニが集まってくるはずだ。
生きている牡蠣と死に殻の牡蠣と、生きているのが30%ぐらいか。死んだ殻も、そのままの形で石についている。死んだ殻をナイフで開けたら、ギンポが飛び出してきた。こんなところに潜んでいたのだ。別の殻を開けると小さなカニが逃げ出した。生きている牡蠣を開いた。これでカニが集まってくるはずだ。集まるまでの間、他の死に殻を開いてみようカニが入っているはず。殻の50%にカニが入っている。これで20年近く、この場で潜っているのに、蓋の付いた牡蠣殻が、カニやギンポの家になっていることを知らなかった。そう思って見ると、家並が連なっているように見える。端からナイフでこじ開けるのは、家を破壊している行為になる。そんなことを考えながら、ナイフで牡蠣を突くと突けないで体がバックしてしまう。中性浮力の静止だから、ちょっとした力で動いてしまう。ゼロ・グラビティだ。
牡蠣の死殻に隠れていたカニ
暖かい季節ならば、牡蠣を剥くとすぐにカニがきて、ハゼも来るのだが、今はなかなか集まって来ない。寒さで、動かないでいるのだろうか。
空気が少なくなったので、カニが集まるのを待てないで上がる。膝を付いて、フィンを脱ぎ、手に抱える。ポールカメラのポールを杖のように突いて立ち上がる。
風が少し吹いてきて寒い。
こんなところで自分は何をしているのだろう。79歳にもなって、立ち上がり、肩にずしりと重いタンクの重みに耐えて、足を前に運ぶ。今日は、お台場でお台場駅伝とかいうスモールな市民マラソンをしている。僕のダイビングもスポーツだと思っている。人は発生して進化する過程で、何万年もの間、駆けて獣を追いつめて狩りをして食糧にしていた。海に潜って、貝を取り、魚を突いて食べていた。駆けるのをやめ、潜るのを止めたのは、人類の歴史では、わずかちょっとの時間だ。身体を動かしていなくては生きられない動物だ。僕の場合は潜っていないと具合が悪くなる。
着替えて帰る準備をしたりしながらそんなことを考えていたら、本当に風が強く吹いてきた。僕の好きな冒険小説作家、アリステア・マクリーンの北海の世界のようだ。ありステア・マクリーンの小説、ほとんどは忘れてしまったが、北の海、吹きすさぶ風、凍る世界だ。ここお台場は、もちろん、凍りはしないが、寒い。僕は寒いと凍る世界の冒険小説を思い起こすことにしている。
20世紀のダイビングと今の、21世紀のダイビング、くらべることもっと書くことがあるが、それは次の機会にしよう。