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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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1016 テクニカルダイビング

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ブログで、大きいテーマ、単行本になるようなテーマを、下書きのつもりで書いているので、単行本の切れ端のようになってしまい。読んでくださる人に申し訳ないといつも思っているが、仕方が無い。
そして、日々,モノを書くことが多く、それで時間がとられてしまい、ブログを書く時間がない。
このテクニカルダイビングとシステムダイビングのテーマも、1月6日に書き始めて、その間にいくつかの出来事があり、そっちへ行ったりしてしまって、そしてもちろん未完で、長い話の断片だ。しかし、断片でも、ブログにしないと間に合わない。

1月4日、JAUSシンポジウムで 3.ダイビング事故防止について、事故当事者の視点からの発表と提案 を発表していただく JAUS会員 田中恒明氏 と打ち合わせた。発表そのものについては、ここで論じてしまうことはできないが、有意義な発表、そして議論になるとおもっている。
このような発表の意義は、ディスカッションだと思う。耳が遠くなってしまったので、会場からの質問への応対はできにくくなってしまったのでできないが、イヤホーンをつければ聞こえるので、対談のような形を今年は考えよう。


その田中さんとのお話しの時に、僕が1996年にやった100m潜水の報告書を差し上げて、その話をした。この報告書も1000部印刷して、どんどん会う人に差し上げていたのだが、数年前から残り少なくなり、セーブしていたが、あと残りは30部ぐらいになってしまった。となると、貴重な文献になってくる。
 
 この潜水の問題提起とは、100m潜るという記録的なことではなかった。27歳1964年に舘石昭氏と、館山沖で空気を吸って100m潜水をめざした時には命を賭けた冒険だった。1996年には、もはや100m潜るという事は、さしたる事ではなく、一緒に付き添って潜ってくれた田島雅彦は、飽和潜水ですでに数千時間を潜っている。
 それでも1996年には、100m潜るということは尋常なことではなく、周到な準備が必要だった。
 この潜水で特に問題にしたこと、問題になったことは、一つは高齢と、それに伴う自分の体の内部との戦いであった。世の中の状況が変わった。つまり高齢化が進んで、今79歳を迎える自分の視点から見下ろせば、60歳はまだ若い。若かった。しかし、その頃も今も、赤いちゃんちゃんこの代わりに赤いドライスーツを着て100mを潜ることは、医学的には大変なことで、だから、必然的に僕の戦いは、外の自然環境に向けたものよりも、むしろ、自分の内なる世界、体の中の、特に高血圧の僕の場合は、循環器系が物理的な環境変化に対応してどのように対応するかの戦いだった。
 
もう一つのポイントがテクニカルダイビングであった。今、2014年、いろいろな意味でテクニカルダイビングが問題になり話題になるだろう。国際的に世界最大のダイビング指導組織であるPADIがレクリエーショナル・テクニカルダイビング(レクテク)を目指すという。
このことについて、業界では賛否両論がある。これまでテクニカルダイビングに専心していて、その道では知られるようになったダイバーは、テクニカルダイビングがレクリェーション、C-カードの延長線になってしまうことは面白くないだろう。そんなにイージーのものではないと考える。レクリエーショナルダイビングのインストラクターとして実績もありビジネス的にも成功を収めている人は、その上にレクテクが着陸してくることを愉快とはおもわない。通常の潜水とテクニカルダイビングのハイブリッドを作ることで、両側がどのように変化して行くのだろうか。その変化がプラス方向ではない可能性もある。技術的には問題ないだろうが、業界の構造がどのように変わって行くかを見定めたい。

ところで、そのテクニカルダイビングとは何なのだろう?わかっていない人が多いと思うし、PADIのレク・テクというものが正式にどういうコンセプトのものなのか、いわゆるテクニカルダイビングと同じなのか、先に書いたように、通常のレクリエーショナルダイビングのテクニカルダイビング版、つまりハイブリッドなのか正確には知らないが、
とにかくテクニカルダイビングとは何か。

  左から、ハミルトン博士の奥さん、ハミルトン博士・残念なことにお亡くなりになってしまったと弟子の田中光嘉氏に聞いた。後藤與四之博士、須賀 1996年

1996年の100m潜水を僕はテクニカルダイビングでやろう。僕のやる混合ガスをつかった非飽和潜水はテクニカルダイビングだと思っていた。
 僕の潜水の医学的側面のアドバイザーは後藤與四之博士であり、古い日本潜水会のメンバーで、前から、僕の100m潜水の面倒を見てくれることになっていた。お願いしてあった。
 後藤先生は、テクニカルダイビングの権威者、すなわち、混合ガス潜水の減圧表作成ソフトの権威者である、ビル・ハミルトン博士と懇意で、僕のダイビングの減圧表の作成、アドバイスなどをお願いしてくれた。ハミルトン博士は減圧表計算の専門家であるだけでなく、実際的な潜水のスーパバイザ―の経験も豊富であるということで、僕のダイビングについてのアドバイスもしてくれるよう、お願いしてあるという事だった。そして、ちょうどそのころにJAMSTECに用事があって来るということで、僕と会う時間を作ってもらえて、浜松町の地産ホテルでお話しすることができた。それとついでに、同じく地産ホテルで、ハミルトン博士のテクニカルダイビングについての講演会を行った。テーマはテクニカルダイビングについてで、すでにアメリカでは、テクニカルダイビングがダイバーの注目を集めていたのだが、これが、日本でのテクニカルダイビングについての最初の講演だったと思う。驚いたことに、この講演は地産ホテルの大広間を満員にしてしまった。宣伝の時間もほとんどないのにだ。そして更に驚いたことは、満員の聴衆のほとんどに、 僕は面識が無かったことだ。僕のテリトリーとは違うダイビングの世界までも、この講演会のニュースが伝わって、熱心に出かけて来ていたのだ。
僕は自分が日本のテクニカルダイビングの幕を開けるのだと自負した。

まず、テクニカルダイビングとはなにか、ハミルトン博士の講演から、僕の100m潜水の報告書「330Feet Dream at 60+1」から抜粋しよう。
「山登りにおけるテクニカル登山と類義の意味でテクニカルという言葉が使われ、複数の呼吸用混合ガスをつかうスクーバタイプの潜水をテクニカルダイビングと呼ぶようになった。
テクニカルダイビングは特別なダイビングであり、ハイレベルなトレーニングとセルフコントロールが要求される。深度限界を超える潜水であっても空気を呼吸ガスとする潜水はテクニカルダイビングとは言わない。ただし、大深度で空気を呼吸した場合も、減圧用に混合ガスを使った場合には、テクニカルダイビングとみなされ鵜こともある。
テクニカルダイビングでは、目標水深で呼吸するボトムガス、中間点、水深50mぐらいから水深10mぐらいまでの減圧に使用する中間減圧用のガス、減圧の最終段階の浅いところで呼吸するガスと、通常、三種類のガスを呼吸する。
深く潜水すれば大量の呼吸ガスを消費するので、ガス消費量の少ない循環式の呼吸器を使うことを頭に浮かべるが、複数の呼吸ガスを使用するので、循環式は使いにくい。
※酸素分圧を可変できるリブリーザーは使いやすいように思うが、薄めの用のデュリエントのヘリウムの%が可変ではないので、ボトムガスを考えると、リブリーザーだけでは使いにくく、オープンサーキットとの併用が考えられる。
ボトムガス(ボトムミックス)は、窒素とヘリウムと酸素の三種類を混合したトライミックスを使う例が多い。テクニカルダイビングでは水面からの潜降もボトムガスを呼吸してしまうことが多いが、潜水深度が深くて、酸素分圧が低いガスを使わなければならないときは、十分な酸素分圧の潜降用のガスを別に用いることになる。
中間点の呼吸ガスとしてはナイトロックスを呼吸し、浅い減圧点では純酸素を呼吸する。
テクニカルダイビングは水面からの供給ホースを使用せずに、自由に泳ぐ潜水であるから、水面からの熱源、例えば温湯の供給設けることが出来ない。効果的な断熱方法を工夫しなければならない。身体の浮力調整なども洗練された技術が必要になる。」
これは1996年、今から18年前の講演からの抜粋であるから、リブリーザーの開発も進んだし、理論的にも変化があったと思われるが、「複数の呼吸用混合ガスをつかうスクーバタイプの潜水」という定義はかわらないだろう。だから、ナイトロックスだけを使うリブリーザーでの潜水はテクニカルダイビングの定義からはずれる。別の定義を決めるか、もしくは、ハイブリッドと考えるべきだろう。
定義にこだわるが、こんごは、様々なスタイルのハイブリッドが出来るであろうから、元の定義をしっかり決めておかないと、混乱してしまう。

実は1996年の僕の100m潜水は、テクニカルダイビングとシステム潜水のハイブリッドになってしまった。そして、このハイブリッドこそが、100mあたりの非飽和の潜水としては、もっとも安全性が高いと体験的に考えた。
では、システム潜水とは?

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