今書いているサイエンス・ダイビングが上手く書けていないこともあって、書けないのだろうと思う。今書いている本は、余分なことを一切カットするつもりで、blogはどちらかと言えば、余分なことなので、二つの事を同時進行させる頭の働きが出来なくなっている。
で、2007年の6月に書いたブログを再録する。
Jun 2, 2007
魚の泪
(4)
カテゴリ:本の紹介
作家の大庭みな子(おおば・みなこ)さんが、24日、(2007年の)亡くなった。76歳だった。愛読書がある。「魚の泪」「オレゴン夢十夜」「虹のはしづめ」だ。主な著作は、「三匹の蟹」「津田梅子」などで、それも読んでいるけれど、重くて読み返す気持ちになれない。僕の愛読書基準は、読み返そうとして、取っておくか否かだ。
「魚の泪」は、伊豆海洋公園の創立者、益田一さんにもらった。文庫の奥付は、昭和45年(1970)になっているから、そのころのことだ。益田さんは、この本がいたくきにいっていたらしく、ぼくにくれて、「ぼく(益田さん)や、須賀さんは、最後はのたれ死にだからね。」といった。もらった「魚の泪」を読んだけれど、どこにものたれ死ぬようなことは書いていない。魚の泪→芭蕉の奥の細道の出立→旅→旅に死ぬ人生→のたれ死に、となるのだろうか。
益田さんは、「のたれ死に」にかなりこだわっていて、娘の潮美がパーティで益田さんと話したとき、「君のお父さんとか、僕はのたれ死にだから」と言っていた。なんのことかわからないと僕に聞く。僕もわからない。僕はともかくとして、益田さんはのたれ死ぬ方向には進んでいない。立派な仕事をして、立派な家に住んでいる。きっと、覚悟として旅に死ぬつもりだったのだろう。でも、そんな単純なことではない?
そして、益田さんは、みんなに見送られて、きっちり死んだ。(2005年没)形の上ではのたれ死にではない。一方の僕は、益田さんの言うとおりの道を歩んでいる。
益田さんのことを何も書いていない。書けば一冊の本ができるほどの思い出がある。そして、その思い出が一つも不愉快なことがない。きっと、袖スリ合った人、だれにも、いい思いを残しているにちがいない。益田さんはすごい人だと今更のように思う。
魚の泪は、「Xへ、」という書き出しで、Xへの手紙の形をとっている。
テーマはアラスカのことで、アラスカでの生活の日常をとても美しい文章で書いている。
読んでいて快い。もう一度、引き出して、読み始めている。眠る前に読むのにちょうど良い。
大庭みな子は、96年に脳梗塞(こうそく)で倒れ、左半身不随で車いす生活になった。02年には夫との二人三脚の日々や若い日の追憶を詠んだ短歌を集めた「浦安うた日記」(紫式部文学賞)を刊行して話題を呼んだ。
と訃報にはあった。浦安に住んでいたのかな、そのことも、この「浦安うた日記」のことも知らなかった。けれど読む気持ちにはなれない。
2024年1月21日 今日です。
上のブログを書いたのが2007年、そして、2013年の10月、伊豆海洋公園で、1960年代の益田さんと海洋公園の思い出ばなしをする企画を森田稔君(ダイブドリームの)がアレンジしてくれた。森田は、1960年代、海洋公園がオープンしたころ、小学生で(中学生だったかな?),鼻たれ小僧で海洋公園のプールで泳いでいた。(森田のお父さんが、立川の基地から、PADIを伊豆にもってきていた)そして、1974年の沖縄海洋博記念の長距離、森田は、フリッパーレースでぶっちぎりで速かったのだが、オープンシーだったので、ゴールへのコースをまちがえて、優勝できなかった。
ところが、僕の講演、お話し会の日、台風の接近で、海洋公園が潜水クローズになった。潜水できなければ、僕の話を聞いてくれてもいいのに、それもクローズになった。
益田さんが亡くなってから、富戸と赤沢には何度も通ったが、伊豆海洋公園に行っていない。もう行くこともないだろう。
魚の泪、もう一度読もうかな。文庫は持っているけど、字が細かい。キンドルで探してみようか。