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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0907 種市高校海洋開発科訪問。プライマリーコース紹介

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     種市丸40トン、理想の潜水作業練習船だ。

 8月31日、午前700出発、岩手県 八戸に近い、種市にある種市高校海洋開発科に向かった。
 久保彰良君が運転する「レクサス2500cc」に乗せてもラって行く。僕はもう運転はしないから、彼が全部運転しなければならない。


 自分の体調は、決して良くならない。体調が良いと感じることは、自分の身体が記憶しているせめて80代前半の記憶だったとすれば、自分が若返ることはないのだから、もどることもない。しかし、リハビリテーションでどこまで、筋力が回復するか?がんばってはいるが、一日に3000歩歩くとして、それは毎日ジョギングをするくらいの負荷に感じる。
 しかし、これを逃したら種市には行かれないで、人生をおわることになる。予定通り、思い切って行くことにした。もしものことがあれば、久保さんにはたいへんなご迷惑をかけるが、「浮き世の義理だ」


 東北道の枝分かれはしているが、端から端まで、何キロだろう。
 困ったことに、最近食欲がない。空腹にはなるのだが、食べたいものがなく、苦労して食べる。「長者原SA」宮城県仙台の少し先、中尊寺の手前で、昼食にした。「みぞれそば」というのを食べた。もりそばを皿に入れ、みぞれと言うのか、なめこの粒々の佃煮のような汁をかけたもの、これが、なかなかおいしかった。このところ、おいしいと思ってものを食べたことがなかったから、ちょっとうれしかった。
 およそ8時間走って、15時ごろ到着。
 ホテルはグランパークホテル八戸、すべて、久保さんにおまかせだから、どういう位置づけのホテルかわからないが、あるべきものはすべてある。なかなか快適なホテルだった。毎日、3000歩あるくと久保さんに話しているので、「少し歩きましょう」と夕暮れの街に食事にでた。街に車で入ったときは、がらんとした何もない、シャッター街のような街の印象を受けたが夕暮れの酒飲みのハッピーアワーになると、それなりにハッピーな街になる。飲み屋横町のようなところに入ったが、久保さんは下戸、僕は60歳で完全禁酒にしているから、入る店がない。それでも、カウンターではあるものの、酒を飲まなくても許してくれそうな、「鯖の駅」と言う鯖専門の店に入り、鯖寿司を食べた。大きな寿司で、一口では口に入らない。ほぼ総入れ歯の僕は、食べるのに苦労、形を崩して食べたが、鯖はおいしかった。食べた後で検索したら、かなりの有名店だった。


 種市は、岩手県九戸郡洋野町、検索しても漁港がありウニを採っているとだけ書かれていて何もない町だ。種市高校海洋開発科は、世界に誇れると、僕は思うのだが、ウィキペディアで見てもでてこない。もっとも、学校、高校は名所旧跡にはならないから、しかたがないが。
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     種市高校海洋開発科、校舎、この中に潜水プールも教室もすべてがある。


 八戸から車で30分ほど走った海辺に種市高校海洋開発科はある。校門があり、運動場があって、教室校舎が立ち並んであって、その中に、潜水プールがあるというのが、潜水プールのある水産高校・海洋高校のパターンだから、ここもそうかと思っていたら、門らしい門もなく突然にプールを内蔵した校舎があり、教室があって、廊下があり、廊下の引き戸を開けると、プールがある。これには、何となく感動した。感動したので、教室の並びの教室として、水深10m、5m、2mのプールがあり、そこを歩いていくカットを何回も撮った。
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 教室の後ろの壁面のガラスケースにハードハットのコレクションが飾ってある。完璧なコレクションで、じっくり見たかったが、撮るだけにした。
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 コレクションを使って学生が潜ることは、ないのだろうが、プールサイドには、カービーのバンドマスク2台とダイブウエイズとマンテイスフルフェースが棚にのっており、これはつかっているのだろう。
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 ここの実習の売り物は、「南部潜り」ヘルメット式潜水だ。置いてあるヘルメットのすべては、東亜潜水機製で、東亜潜水機:南千住のネームプレートが貼られている。ヘルメット式は過去の遺物とまでは行かないが、伝統的な潜水器で、習得が難しい。これを潜水の基礎として習得できるのは、世界でここ種市だけだ。
 僕は、1958年に東京水産大学を卒業し、この東亜潜水機に入社して、スクーバ部門を立ち上げたが、1969年に退社した。この東亜潜水機で、人となった。足を向けて寝られない、お世話になった。現在は、コンプレッサー部門と、潜水服部門が別になっている。スクーバ部門は僕が退社したので、消滅している。申し訳ないことだ。
 ヘルメットは、僕の同僚、やや年上の先輩、山澤さんが、最後のヘルメットつくり職人だったが、亡くなってしまい、今は、ヘルメットを作る人とてないが、これまでのものを修理して使えば不自由はしない。
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    一番左がヘルメットのスーツ、ドライスーツと同じ素材だ、


 しかし、その潜水服だが、ここ種市にあるのは、すべて、「ゼロ」製、ドライスーツメーカーのゼロ 製で、ドライスーツと同じ素材、ラジアルスポンジで作られている。ゴム引き布製の東亜潜水機の潜水服は消えてしまっている。最近、東亜潜水機に行っていないのだが、潜水服部門が心配だ。僕がお世話になった三沢社長の、息子さん、と言っても僕より年長だから、90歳は越えている。生きておられるだろうか。数年前と言っても、8年ほど前だったが、おじゃましたときはお元気で、天丼をごちそうになったのだが。
 話をもとにもどして、
 カメラはgo-pro10と8、予備にニコンのクールピクスを持って行った。go-pro8をまず使ったのだが、充電が緩く、予備のニコンで動画を撮った。これが結果として幸運で、go-proは、撮れていなかった。
 
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 その日は講義の時間を1時間もらっていた。久保君のプライマリーが、主役なので、僕は前座で、10分離す。スクーバダイビングの歴史と言うタイトルで、日本のスクーバの黎明、1953年のデイビス博士のプレゼンと1954年の学生実習の事故、そして、1958年のころの種市のの話をしようと、半日がかりでパワポを作って持って行った。高校でパワポを使う授業がうまくできる設備があるのだろうか、などと心配したが、とんでもない認識不足、立派な視聴覚教室があって、大きなモニターと、PCが生徒個別にずらりと並ぶ。
 海洋開発科の生徒定員は、1学年1クラス40人、2年3年が同時に来ている。


 考えなおした。作ったパワポがどうもおもしろくない。1956年の項で、クストーの「沈黙の世界」のタイトル部分だけを抜き出してパワポも入れているのだが、「沈黙の世界」も持ってきている。急遽、沈黙の世界を10分間弱、映写して、クストーのことアクアラングの始まりのことを話した。今みてもすごいシーンだから、楽しんでもらえたと思う。
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 久保さんの話も無事に終わり、午後は、港、車で10分ほどのところにある漁港だが、40トンの、立派な潜水作業実習船が鎮座している。これでの実習の様子を見せてもらえる予定だったが、僕の病状を考慮してか、停泊している外観をみるだけに終わったが、手頃な大きさのすばらしい船だ。


 9月2日土曜日、午前中、プールでの久保さんのプライマリー実習、先生全員と、3年生の潜水業への就職希望者全員が参加「潜った」した。
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 水を見ると、プールの水を見ると入りたくなる。
 しかも、10mの潜水プールだ。元気ならば高校生と10mにすもぐりできたのに。そして、今でも、もどって、5日の火曜日には浦安海豚倶楽部でスキンダイビングの練習会がある。
 しかし、陸上での体調は良くない。三日間の旅、倒れれば迷惑をかける。出発前々日まで、迷っていた。
 もしも、僕が泳げば、みんなの眼が集中するだろう。心配させる。水には入らないと決めていた。
 が、迷いがあり、半ばパニックだったのだろう。忘れ物というか、持参する道具リストに入れて居なかった。杖、お台場で使っているカメラのステッキだ。そして、マスクマウントのワークショップを準備中なのに、マスクマウントのマスクを持ってきていない。
 幸いなことに、プールには、以前に石川総一郎氏がJAUSの主要メンバーだった時に作っていた、着脱式マスクマウントの枠があった。これにgo-pro8を付けて、生徒の一人に、撮影をお願いした。
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      マスクマウントでの撮影、生徒が撮影した。


 プライマリーコースの中心思想は、「水平姿勢・水中での静止、フィンで海底の泥を巻き上げないように、ひざを曲げ、フィンを海底から離して、足首を回すように使って水を掻き、前進、後退、旋回をする。
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 僕のように、スクーバの基礎は、スキンダイビングにあり、スキンダイビングの延長線上にスクーバがあるスタイルでダイビングを習得した者は、これができない。2種類のダイビングスキルを習い、習熟しなければならない。水中撮影、水中観察には、このプライマリースタイルが有利である。
 僕は、日本水中科学協会が横須賀の海洋研究開発機構のプールでこのコースを実施していた2年間、この練習をして、どうやら、形にはなったが、今は元にもどってしまった。最初の講習からこのスタイルで練習すれば、それほど難しいことではない。水泳で言えば、ブレストのキックとクロールのキックを練習するのと同じ程度のことだ。最初の段階が大事で、加齢によって、足首の回転が難しくなると、むずかしいが

 例えば著名なカメラマンで見ると、中村征雄は、僕と同じ泳ぎ方だ。姿勢は、カメラを持った自然体、45度から60度だ。鍵井君は、久保君とほぼ同等に水平姿勢に巧みである。他の人とは、最近一緒に泳いだことがないのでわからないが。
 種市の卒業生の目標は、港湾潜水士、水中土木工事だから、足をしっかりと海底に着けたスタイルでよいのだが、それでも、スクーバを巧みに使って、調査模できた方がいい。二つのスタイルをきれいにできてこそのプロだ。
 結果は、僕と同じレベルだった。しかし、なにしろ教室にプールがある学校だ。遊び半分、ゲームとしてこのスタイルの練習をすれば、若いこともあるから、たちまち、上達して、種市のスクーバスタイルになるだろう。それを目指しての訪問だった。
 生徒のマスクマウントも、うまく撮れていて、使える。次にまた、もう僕は来られないかもしれないが、できれば、もう一度来て、スキンダイビングをやりたい。その時に生徒は見違えるほど、水平スタイルが決まっているかもしれない。そうなると良い。


 帰りは、12時に学校スタート、久保君はけっこうな跳ばし屋で、2500ccのレクサスで、一台も抜かれることは無く、一人で往復の運転をして、20時30分に帰り着いた。


 途中、「岩木山」という、小さなS.Aで遅い昼食を食べた。
 メニューの選択肢がなく、カレーライスを食べた。田舎のカレーライスと言う感じで、素朴でおいしくかった。この岩木山には、なぜか、ベーカリーがあって、久保君が、おやつにとあんパンを買ってくれたが、これがおいしく、東京でも、こんなにおいしいあんパンは無いと思った。


 次回がもしあれば、今度は日本水中科学協会のツアーをかねて、グループで訪問したい。

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        校長先生

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