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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0625 雑感

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 この前にブログを書いたのが、6月5日だから、もう20日もブログを書いていない。 書く意思はあり、書きたいと思っているテーマもあるのだが、ブログに気持ちを向けてしまうと、そして、それに集中すると、他のことができなくなってしまうのだ。


 現在、焦眉のことは、代表をつとめている日本水中科学協会の総会が7月上旬にあり、その会計書類、活動企画の発表の書類をつくらなければならないことで、88歳の小回りのきかない、そして、二つの路線を交互にコントロールする思考の幅を持つことができないためだ、それでも言い訳がましく、こんなことをかいている。
 言い訳がましいことを書くな、というのも、自分のルールだが、ブログは、僕にとってログ、(記録)であるから、もっとこんな備忘記録を残して良いと自分で自分を納得させて書いている。言い訳でも記録はどんどん書いて行こう。


 今日は、その日本水中科学協会の経理の貸借対照表を作る、作るためには、特定非営利活動法人の活動報告の会計のスタイルがあり、そのスタイルに合うよう、数字を分類整理しなくてはならない、これに3日使う予定にしている。


 そして、今日25日
 東京海洋大学潜水部新人歓迎のZOOMミーティングが 18時からある。その挨拶の下書きをつくった。


 ①先日、21日、OB会の寺田会長、衣川副会長と話し合った


 ②日本のスクーバダイビングは1953年、東京水産大学(海洋大学の前身)の千葉県安房小湊実習場で、米国の海洋地質学者 ロバート・ディーツ博士のpresentationではじまった。
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  小湊実習場の中心 一回が水族館、二階が学生の実習室、三階が天文台 円形の当時としては、瀟洒な建物だった。
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  小湊実習場前の入り江、僕らのホームグラウンド、豊かな磯場だ。


 ③その翌年1954年、日本で初のスクーバダイビング海洋実習で受講した学生2名が死亡する事故がおこる。これが、海洋大学のダイビングの原点であり、僕のダイビングの原点でもある。
 その事故の反省を基にして、米国のスクリプス海洋研究所の実習プログラムを参考にして、1957年、新しい(今となっては大昔だが)潜水実習が行われ、その実習を受けた僕らが、潜水部をつくった。(名称はまだなくて、ダイビングクラブだったが)それから数えて65年になる。


④この事故を追悼し同じような事故が起こらないことを祈念して、その同級生(大学4回)が、像を造った。その像が今、品川キャンパスのサイエンス・ミュージアムのエントランス・ルームに置かれている。昨年 2022年9月28日に潜水部 石井君、千葉君、宝迫君、西沢君、田中君、そして、0Bの依田君が、集まった。その後で、今後の潜水部のダイビングについて話をした。
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追悼記念碑


⑥その後、潜水部がどのような潜水を続けていくのか、自分の考えも進化しているし、長くなるので、ここでは述べないが、いずれまとめて、提案する。


⑦あくまでも提案であり、潜水部がどんな潜水を展開していくのかは、君たちが決めることだ。ただ、最善と思う提案をしていくことは、自分に残された使命だとおもっている。自分として安全についてもベストの提案をするけれど。
 その提案と、正反対のことをしてもかまわない。自分たちの考えでいい。いつでも言っているのだが、「ダイバーは、自分の考えで自由に潜り、自分のスタイルで死ぬことができる。安全潜水などと薄っぺらなことは言いたくない。自分の責任に命を託すのだ。」
 ただ、1954年のルーツ、そして、65年の歴史の伝統と矜持を持ってほしい。


 ⑨確か2017年だったか18年立ったか、衣川さんの企画で千葉県小湊実習場にOBと現役でダイビングツアーをした。前の顧問の山川先生のアレンジだったか。
 もう一度企画してほしい。(その時の写真を出そうと思ったが、見つからない。すぐに出せるところにおいておかなくては)



 ※これを書くだけで、午前中が潰れてしまった。作業がノロいのだ。


 

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