畑正憲さんが亡くなった。昭和10年生まれだから、僕と同い年だ。 写真は。日本の海洋動物 から。ウミカラマツ
そして、その伊豆海洋公園が、僕らのまっとうな活動の基地だった。あとは水中銃で魚を追い回していた。もちろん、海洋公園のめぼしい魚は突き獲られ、1967年の日本潜水会の結成合宿、これも伊豆海洋公園で行われたのだが、その時に、水中銃は捨て、カメラに持ち替えようと決議した、その後の1969年の出版だから、益田さんのその後の活動の原点であるとともに、僕らの原点でもある本だ。
それが、益田一さんと畑正憲さん共著になっている。畑正憲さんが文章を書いている。
良い文章だとおもった。2016年4月にその一端をブログに書いた。そのことを、トタミンこと、藤堂喜民さんがかいてくれた。すごい記憶力だ。僕自身は忘れていたのに。
その時のブログから、畑さんの文章、窒素酔いについて書いたものだ。最近、僕も窒素酔いジャンキーのことを書いたが。
「「水深70メートル
神秘的なざわめきが聞こえてくる。初めてもぐったときは耳を疑った。思わずあたりを見まわした。潮騒のように密林の奥でなるドラムのように、ざわめきの中にトントンと皮を打つ音が響いてくる。わたしたちはこれを、70mの音楽とよんでいる。
「日本の海洋動物」の一端をしょうかいしよう。 カラーの印刷は、今と大きな差があるが。それでも、これが益田一さんの写真の原点であり、益田さんの弟子筋のカメラマンたちの原点でもある。
そんなことを、畑さんの死亡ニュースから、思い起こした。 なお、畑さんとは、彼が北海道に行き、ムツゴロウになってから、幾度かテレビの企画があったが、海にはほとんど縁がなく、お目にかかったことはない。羽田さんが後藤道夫のところに出入りしていたころ、麻雀が強くて、巻き上げられた。 なお、アマゾンで調べたが、この本は出て居なかった。