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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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1224 ダイビングの歴史 29 ハンス・ハース

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 クサリファ号(164フィート) ハンス・ハースの水中探検船
 クサリファとは、アラビア語で、美しい女性 を意味する。ザリファとも訳しているが、語感としてクサリファの方が良いので、クサリファとした。


 ハンス・ハース



 ダイビングの歴史も映像がエポックになっている。自分が映像の仕事をしているからなのか?

 人間魚雷も映画で見てきた。そしてクストーの「沈黙の世界」だが、その前に、「青い大陸」がある。この映画は、イタリーのドキュメンタリー映像作家フォルコ・クイリチの製作である。僕らの世代「青い大陸」を見て、ダイビングの世界に入った人と、「沈黙の世界」で入った人と、二派に分かれる。僕は「青い大陸」派なのだが、
 
 青い大陸、沈黙の世界の前にハンス・ハースを紹介する。先に、青い大陸、沈黙の世界を紹介すると、ハンス・ハースが置き去りになってしまう。ローライ・マリンの製作プロデュース、探検航海、サイエンスへの功績を考えると、ハンス・ハースは、置き去りにできない。
 ハンス・ハースについてのテキストは、


「海底旅行:永田一脩 前田朝雄 訳 秋元書房 昭和36年1961」
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「果てない深みへ 多紀保彦訳 マリン企画 昭和57年」
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「環礁の王国 アイブル・アイベスフェルト 八杉竜一 八杉貞雄訳 集英社 1973」である。
 
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 ハンス・ハースは、オーストリア人で、1919年生まれ、クストーが1910年生まれだ。
 第二次大戦の始まる前1937年、というと、18歳だが、コートダジュールで、ガイ・ギルパトリックに会っている。その潜り方の巧みさに魅せられて、質問攻めにして、語り合う。とにかく、その出会いでハンス・ハースは、ダイビングと水中探検を志し、やがては、世界の海を潜り巡る。1940年には、日本にも来て、潜水、水中撮影をしている。どこで潜り、なにを撮ったのだろう?。そして、1942年にエーゲ海で潜り、はじめて純酸素呼吸器、ドレーガー製を使う。以後、この装備がハンス・ハースの探検潜水の常用の道具になる。軽量であり、長時間潜水でき、しかも、気泡も出さず、音もでないから、生物の観察には絶好の道具である。ただし、恐ろしい酸素中毒がある。
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         身軽、軽量な酸素呼吸器


 クストーがフランス、つまりアメリカ・イギリス、連合軍側なのに対して、ハンス・ハースはオーストリアなのでドイツ側だ。大戦中、地中海で人間魚雷が戦い、日本が伏龍特攻をする時代だが、ハンス・ハースは、兵役に服することもなく、ナポリの生物研究所で海洋学の研究をしている。1943年、クストーがアクアラングを作った年、オキシラングで潜水をしている。(面倒なので、初期の純酸素リブリーザをオキシラングということにしてしまう。オキシラングは、イタリー製の商品名で、1960年代に日本に輸入され、数人の犠牲者がでている潜水器であるが)
 大戦が終わり、1949年 紅海のポートスーダン、1950年も紅海で潜り、映画「紅海探検」を撮る。この時代、クストーの沈黙の世界も「青い大陸」も紅海で撮影している。
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 ハンス・ハースの撮った映画は、日本でも、公開されているが、映画劇場での公開ではなく、ニュース映画館での公開だった。まだ、テレビのない時代、ニュース上映の小さな映画館があり、そこで、文化映画、ドキュメンタリーをやっていたのだ。有楽町の東日会館の地下だったか?で見たような記憶がおぼろげにある。
 
 
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 自らプロデュースしたローライマリンを抱えているハンス・ハース。並んでいるのはロッテ・ハース、奥さんで、ライカ・マリンを持っている。


 ローライ・マリンは、1960年代、日本でも水中カメラマンのフラッグ・カメラだった。益田一さん、大方洋二君が持っていたのが記憶に残る。ローライは、二眼レフで、ワイドレンズが着いていないので、現在のワイドカメラとは、ちょっとちがう画になる。
 僕は、自分でブロニカマリンを作って売ったりしていたので、ローライで撮ったことはない。
 ハンス・ハースは、ローライマリンを作り、クストーは、35mmフィルムのカリプソ、後にニコノスに変身を作る。ニコノスは世界を席巻する。ハンス・ハースとクストーの差は、ローライマリンとニコノスの差か?


 クサリファ号(ザリファ号) 
 ハンス・ハースは、世界の、主として熱帯の海で、潜水器を使っての研究を、自ら、そして、同行を希望する研究者とともに、潜水研究航海をする夢を持ち、夢の実現の為に、世界に売れた映画の収入、本の収入、そして借り入れで、クサリファ号を買い、科学者数人が乗り込み、水中に潜り研究活動ができるように改造した。
 この美しい帆船は1927年に豪華ヨットとして建造されたが、石炭運搬船に落ちぶれてコペンハーゲンで哀れな姿になっていたものを買い取って改造した。


 1953ー1954 探検船クサリファ号は、カリブ海を探検し、そして太平洋に抜けて、ガラパゴスに行く。この探検には、前述した「環礁の王国」を書いた、アイブル・アイベスフェルトも参加している。アイベスフェルトは、ガラパゴスについても同様の本を出しているが、読んでいない。
 1953ー54年の航海は研究上の成果は上げたが、資金が尽きた。
 しかし、いくつかの団体の寄付と、BBC(英国放送協会)と南ドイツ放送の援助でドキュメンタリーを撮る条件でお金をだしてもらい、1957年の航海が実現し、インド洋の、ニコバル諸島とモルジブの調査を行うことができた。モルジブはこの調査ではじめて、世界にその美しい水中、珊瑚礁が紹介されたといえる。


 この原稿を書くために、「環礁の王国」を読んだが、今、読んでも面白い。
 これで、本当に資金が尽きてクサリファは維持できず、イタリアの富豪に買い取られた。
 なお、1953年と、54年の航海で、酸素中毒による死亡事故が2例起きたため、1957年のモルジブ航海では、ドレーガー社製の、開放式デマンドバルブのスクーバに置き換えられた。クストーのアクアラングは使っていない。
 しかし、モルジブ航海でも同行のダイビングのエキスパートが一人、亡くなっている。ダイビングによる研究航海は、極地探検のような、極限の探検を目指したものではないのだが、3人も死亡した。楽しく見えるその内側にむ危険が潜む。


 ハンス・ハースは、その後、研究、著述を続け、ご多分に漏れず、環境活動なども行い。2004年にも回想録をだしている。

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