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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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1201 ダイビングの歴史26 第二次世界大戦 (1939~1945)2

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 UDT 水中破壊部隊


 テキストは、前回とおなじ第二次世界大戦ブックス:サンケイ出版:1977、「タラワ」 ヘンリー・D.ショー 宇都宮直賢 訳 
 そして、「人間魚」 ダグラス・フェイン 佐々木忠義訳 内田老鶴圃 1961
 
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 戦場は太平洋だ。ヨーロッパ、地中海の戦いでの人間魚雷はm船と船の戦いだから、戦死した人の姿は出てこなかったが、タラワは日本兵の遺体、姿が出てくる。ギルバート諸島のタラワは、米国海兵隊戦史に残る激戦地だった。激戦地とは、被害が大きかった、戦死者数が大きかったところだ。
 タラワのペティオという、飛行場だけで島が占められている小さな島が激戦地だった。海兵隊対日本の陸戦隊(精鋭)との戦いだったが、上陸作戦の場合、上陸用の水陸両用の戦車や、兵士を運ぶ舟艇が珊瑚礁や設置された障害物で止められると被害が大きくなる。 上陸前に、制海権、制空権を争い穫らなければならないが、米軍は制海権を穫って攻め寄せてくる。日本軍は補給を絶たれれば飢え死にしかないわけで、それは、日本本国も同じことで、降伏より他にないわけだが、戦争の残酷さ、不条理さ、は、それでも攻め寄せて殺し合う。
 上陸の前、制海権を持っている軍艦から艦砲射撃があり、飛行機による爆撃がある。島の形が無くなるほどの打撃を与えるのだが、堅固に作られた日本軍陣地はそれでも生き残っていて、上陸してくる米軍をねらい打つ。上陸してからも、日本軍は最後の一兵が殺されるまで、戦うのだが、まずは、上陸する水際での被害を食い止めなくてはならない。タラワは、海兵隊のこの被害が凄まじかった。
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 浅いビーチの障害物を破壊、撤去して、舟艇が乗り上げる途を作らなければならない。そのための要員、部隊が、水中破壊部隊、 UDTである。
 この項を書きながら考えた。中国軍の台湾侵攻は、どんなことになるのだろうか。


 太平洋戦争では、このあと、ペリリュー サイパン、テニアン、グアム、そして、硫黄島、沖縄と飛び石を跳ぶように、島を攻略して行くわけだが、「人間魚」は、UDTの結成、訓練、その戦いの次々を描いている。著者のフェインさんは、UDTの中心だった軍人(中佐)で、戦後は、日本に在住して、日本のダイバー、僕らとも交流があった。伊豆海洋公園で開催したフリッパーレースにも、ゲストとして読んで、祝辞を述べてもらった。
 戦争と平和、タラワの項目タイトル「日本陸戦隊の死闘」「地獄のペティオ」そして、その後の上陸作戦で、陣地に籠もる日本軍を火炎放射器で焼き殺す戦いの映像もみた。
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 タラワには、カメラマンの浅井慎平さんをレポータにしたテレビ番組の取材に行った。(中川をアシスタントで同行)忘れ難い良い島だった。ダイビングの歴史から離れて、タラワのことも書きたいけど
 
 脱線したが、「人間魚」ひどいタイトルを付けたものだ。UDTの隊員は、自分らをフロッグマンと呼ばれることを嫌ったと書いてある。そして、フィンの使用については、上陸作戦では、フィンでは波打ち際を、そして、リーフの上を走れない。帰投するときは、フィンで泳いで沖にでて、舟艇でピックアップしてもらう映像があるが、水中を泳ぐわけではない。魚でも、蛙でもないのだ。
 訳者ということになっている佐々木忠義先生は、僕ら、東京水産大学の学長になった人だが、訳文がひどい。翻訳機で訳したような文である。誰かに訳させて、眼も通さずに出版した?
 しかし、ともあれ、大戦中、ヨーロッパでのDデイノルマンデー上陸作戦、朝鮮戦争の仁川上陸もかかれている。そして、戦後の米軍の水中作戦も含めて、貴重な文献なのだ。アマゾンにはでていない。
 ※書写しておかなくては、いけない。


 そのUDTで、潜水は、フェインさんがアクアラングの練習をしたのは、1949年だった。1945年に太平洋戦争は終結しているから、戦後のことだ。
 なお、UDTは、戦後も重要視され、そのトレーニングは、厳しさで鳴っていた。防衛大学を卒業した黒川武彦は、米国に留学して、このUDTトレーニングに参加し、トップの成績で、修了する。帰国して、横須賀の水中処分隊の隊長になる。退官後、全日本潜水連盟のインストラクターになってもらって、マニュアルの作り方を書いてもらった。そのあたりのことは第二部で書きたい。


 そしてさらに、UDTから、ネイビィ・シールズ(SEAL)が生まれる。ベトナム戦では、UDTが偵察任務、シールズが攻撃チームだったという。UDTは、シールズの前身ともいえる。現在、海軍特殊部隊にUDTの名前は載っていない。シールズに統合されたのだ。
 シールズのトレーニングには、コンバット・ダイビングがあり、オープンサーキットも、クローズサーキットも使う。地上戦闘も、空挺トレーニングもあり、何でも出来る万能戦闘組織になっている。
 海上自衛隊にも特殊部隊があるが、資料がないし、ここ、ダイビングの歴史では、そこまでは脱線しない。
 
 UDTの映画は、1951年、リチャード・ウイドマーク主演の「フロッグメン」がある。日本でも公開されて、見ている。本物のUDTが、フロッグメンと呼ばれることを喜ばず、また、アクアラングを実戦では、使用していないにもかかわらず、アクアラング映画である。その辺のでたらめさは、映画だから許せるとして、グアム島での上陸作戦で、海兵隊よりも先に途を開きに上陸したUDTが、海岸の砂浜に「ようこそ海兵隊のみなさま」という掲示板を立てた逸話、高速艇で、沖に逃れ出てきた隊員をピックアップするシーンなどもあって、印象に残っている。
 DVDは、発売されていない。



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