ウエットサブ魚雷 イタリー
人類の歴史は戦争を避けては成立しない。人類の歴史は戦争の歴史でもある。しかし、第二次世界大戦の始まりと終わりを確認しようと世界史年表を見る。年表を見るだけで、辛い記憶が蘇る。自分は1935年生まれだ。幼少の時代だ。
そして、ダイビングの歴史も戦争を避けて通れない。
潜水兵の戦いは、まずは、海戦で破壊された軍艦の水中部分の応急修理、これは通常に行われた防御的な作業であり、浅い水深では、マスク式が使われたことを既に述べた。
攻撃的な戦いとしては、敵の港に忍び込んで行き、敵の軍艦、船舶に爆薬を仕掛けて破壊する。これが、この項で述べようとしている戦いである。
もう一つ、敵前、適地に上陸していく際に、上陸を阻む側は、水中に障害物が設置するが、これを破壊して上陸路を開通していく、これが、米国のUDT,水中破壊部隊の戦いであり、後述する。
さらに、もう一つ、上陸してくる舟艇に爆弾を持って体当たりする特攻、これが伏竜特攻で、これも、別に後述する。
敵の港に敵艦を大破できる大きな爆薬をもって忍び込んで行くのは、潜水艦の戦いであり、その潜水艦を小型二人乗りにして、特化したものが、日本の特殊潜航艇である。
参考に取り上げたのは、「必殺!人間魚雷―日英独伊・恐怖の特殊潜航艇」 (1977年) (第二次世界大戦ブックス〈72〉) 永来 重明、J.グリーソン、 T.ウォルドロン 「必殺!人間魚雷」第二次世界大戦ブックス:サンケイ出版:1977、
「Midget Submarine」 の翻訳である。原著のタイトルどおりに「小型潜航艇」とでもすれば、と思うのだが、売りやすい刺激的なタイトルを付けている。人間魚雷と言えば、日本では特攻人間魚雷の「回天」を思い浮かべる。回天は本当の人間魚雷、人間が操縦して体当たり、人間も爆死してしまう特攻だが、この本に書かれているのは、これら、特殊潜航艇と人間が操る魚雷が主である。ここで、書こうとしているのは、二人乗りの小型潜航艇を中心にした話である。
小型潜水艇に大きな爆薬を積ませるとなると、魚雷そのものを、潜水艇にしてしまう、つまり人間魚雷になってしまうわけだ。小型潜水艇は、潜水艇の中、魚雷の中に人間が乗っている、これは、潜水艇としては、当たり前の形だが、これをドライサブと呼ぶ。一方、操縦する人間が艇の中に入らないで、外にいて、魚雷に乗って操縦するのをウエットサブと呼ぶ。今のダイバーが使っているスクーターも広義のウエットサブである。
ヨーロッパの人間魚雷はリブリーザーを付けた潜水兵、フロッグマンがまたがって操縦して、敵の港に潜入して魚雷を敵船に磁石で貼り付け、時限装置で爆破する。ウエットサブだ。
人間魚雷回天は閉じこめられたドライサブであり、生きて帰れない。なんとか、練習の際だけは脱出できるように出来なかったのだろうか、と思うのだが、脱出できるように作る時間の余裕がなかった。回天の発案者であった黒木博司少佐は、訓練中に故障で脱出できずに殉職する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E6%9C%A8%E5%8D%9A%E5%8F%B8
一方、地中海のウエットサブは、潜水冒険の世界になっている。
冒険的戦争はして良いとは、決して思わないが、映画・小説の世界では戦争は冒険の一つだ。後述するように、このウエットサブの戦いは、映画化されていて、ウエットサブの実物(レプリカ?)を映像で見ることが出来る。
ウエットサブでの攻撃は、生きて帰れない特攻ではなく、爆薬を仕掛けてから、生きて帰るために、水中を泳いでくる話である。
水中を泳いで戻るために、フィンと潜水器が必須だった。使われた潜水器は閉鎖回路循環酸素式、今で言えばリブリーザである。
純酸素を呼吸するリブリーザの歴史は、1876年 ヘンリー・フルウス(英)によって,リブリーザーの原型がつくられたのを始まりとしておく。
1916年 大正5年ドレーガー社のリブリーザーがドイツ海軍の標準装備となった。純酸素を人間の肺よりちょっと大きい、袋の中に満たし、これを吸い込み、また袋の中に息を吐き出して、再呼吸するのが、リブリーザーであるが、この方が、呼気を外に放出する開放式よりも、スクーバとして実用化された歴史は古い。
ドレーガー社は、鉱山、鉱業用の呼吸器の歴史的なメーカーである。ルキヨールの項でも述べたが、鉱山、地下深く入っていく鉱山は、酸欠、一酸化炭素など有毒ガスの発生による事故は、大量の死者を出す事故が多発するので、それを防止する呼吸器の開発、実用化は重要であった。そして、その呼吸器は潜水に転用できる。
リブリーザの原理は簡単であるが、これが日本で潜水器として、実用化された歴史を聞かない。後述する日本の伏竜特攻隊の使用した潜水器は、リブリーザーではあるが、ドレーガー式の潜水器とは、全く違うものであった。第二次大戦では、ドイツは日本の同盟国であり、技術情報の交換は行われていたから、ドレーガーのリブリーザも紹介されて居るはずだが、日本で使われた形跡がない。技術の伝播は、今とは比較にならず、また、兵器の類は、絶対的な秘密として扱われたからであろうか?。
ヨーロッパでは、独、イタリーも、英仏も、敵味方が純酸素リブリーザを使っていて、また、フィンも使っていたようだ。フィンの普及は、遊びとしてのスキンダイビング、当時はゴグラーと呼んだのだろうが、戦争にも大きな役割を果たした。
英仏も独伊も敵味方、酸素呼吸潜水器とフィンを着けた戦いを展開する。
イタリアは、地中海で、魚雷をやや大きくしたようなウエットサブ魚雷を使った攻撃を繰り返して行っている。第二次世界大戦の初期のことだ。地中海には、ジプラルタルとか、マルタ島にイギリスの軍港がある。軍港には、敵の潜水艦の侵入を防ぐ、防潜網という金網が入口に張られている。ウエットサブは、ダイバーが乗って操縦する魚雷型だから、ダイバーが泳いで行って、金網を切り開き、魚雷を引き込んで再び魚雷にのり、敵の船に近づくことができた。ダイバーが着けているリブリーザーは、かなり原始的なシンプルなものだが、これで二時間も三時間も潜った。人間魚雷にスベアを積んでおいて、途中で交換したのかもしれないが。
日本の小型潜航艇、特殊潜航艇は、ハワイ攻撃にも参加したが、失敗して何人かは死に、座礁した艇の乗組員は生き残って日本海軍第一号の捕虜になってしまった。そして、シドニーにも潜り込もうとしたが、これも失敗、さらに遠くインド洋を超えて、マダカスカル島のディエゴスワレス港にも2隻の特殊潜航艇が忍び込んだ。2隻のうちの1隻はサンゴ礁に乗り上げてしまい、1隻は行方不明だ。ディエゴスワレスの潜航艇はテレビ番組で取り上げられて、真鶴の五島さんが撮影に行ったが見つけていない。珊瑚礁に乗り上げてしまった方の乗り組み員は、降伏せず、単身、戦って死に英雄覗されて、碑ができているという。
地中海のウエットサブの戦いで、一番強く印象付けられているのは、イタリーのウエットサブ攻撃隊のリーダー、ペンネ伯爵だ。イタリーの貴族制度がどういうものか知らないが伯爵である。長身である。挿絵写真を見た限りでは個性的な良い男である。ダイバーとしてのかっこよさでは、トップクラスである。後からウィキで調べたのだが、彼の正しい名前は、ルイージ・ドウランド・デ・ラ・ペンネ、駆逐艦の名前になっている。説明を引用すると、「イタリア海軍のデ・ラ・ペンネ級駆逐艦の一番艦、艦名は、第二次大戦でアレキサンドリア港攻撃で活躍したルイージ・ドウランド・デ・ラ・ペンネ中将に由来する。」
中将にもなっている。国民的英雄なのだ。第二次大戦で、イタリアは、弱くてだらしない軍隊とされているが、その中での誇れるヒーローなのだろう。伝記はきっとあるだろうけれど、イタリア語だから読めない。映画は、ウエットサブの潜水攻撃をテーマにして、3本作られている。「人間魚雷」、「特攻魚雷作戦」「潜航雷撃隊」の3本である。
まず、「人間魚雷」、「特攻魚雷作戦」だ。特攻魚雷作戦がフィクションである。「人間魚雷」の成功によって、姉妹編としてつくられたのだろう。
「人間魚雷」の方は、本の「人間魚雷」でも取り上げられている話の映画化であるが、本と映画では、ちょっとした相違がある。
1941年12月、イタリアの潜水艦シーレはアレキサンドリア港外に浮上した。この潜水艦が攻撃隊の母船である。3隻のウエットサブが発進した。それぞれの目標に向かって港内に潜り込んでゆく。戦艦「バリアント」が、ルイジ伯爵とその助手、ビアンキの目標だった。しかし、最後の突撃態勢に入るとき、ビアンキは波にさらわれて、艇からほうりだされてしまう。ルイジは、一人で進み、目指すバリアントにたどり着く、この潜航艇は、頭の部分が爆発する弾頭になっていて、これを外して目指す船の船底に取り付けて爆破するのだが、これは、二人がかりでないと出来ない作業である。ここから先で、本の「人間魚雷」の説明と、映画の記憶がちがっている。本では、弾頭を切り離した後、潜航艇で脱出を計り、ビアンキと一緒になるが、二人でブイにつかまっているところを発見されてとらえられ、戦艦の上に連れてこられる。映画では、弾頭を取り付けようと奮闘して酸欠だか炭酸ガス中毒だかになり、意識を失って浮上したところをとらえられる。
とにかく、戦艦に連れてこられて、弾頭をどこに付けたのか尋問されるが、何をしたかもしゃべらない。船底に近い、爆発したら逃げられない場所に監禁される。そのまま、時間が経過するが、ペンネは、爆発5分前に爆発時間と場所を教える。船は総員退去して、一人の死者もでない。そのあたりが、イタリアとイギリス、白人どうしの戦いである。日本人相手では、こうはならないだろう。原則として捕虜にはならないで自殺するし、最後まで、一人でも多く殺そうとする。とにかく、ペンネの戦いは美談になる。
映画では、このあと、ラストシーンでペンネの役?のラフ・バローネだったが、戦後、英国海軍から勲章をもらう。これは、実話で、ペンネは英国の勲章をもらっている。
爆発でもうまく生き残ったペンネは、捕虜の生活を送っているが、やがてイタリアが降伏すると、釈放され、今度は英国海軍の潜水部隊の指導をするようになる。このあたりも、日本の特攻隊とは大違いだと、思ったものだったが、とにかく、ヨーロッパの戦争というのは、日本人の戦争とは違っていた。
映画では、ペンネ隊長のもとで、兵士たちが潜水訓練をするが、突然、のどを押さえて苦しがり死んでしまう兵士がいた。映画を見たときにはわからなかったのだが、あとで、「ああ、あれは苛性ソーダが吹き出したのだな」と思った。もう一つ、隠密行動するためには、しぶきをたてたりしてはいけない。水面移動では、身体を斜めにして横泳ぎのようにフィンを使って泳いでいたのも印象にのこっている。
フィクションの方の筋は、女性スパイが絡んだ話で、筋をよくおぼでていない。この二本の映画は、ペンネが監修している。
もう一本の「潜航雷撃隊」は、DVDがでていて、これは持っている。1958年の製作で、主演はローレンス・ハーベィで、これを見ると当時の機材の全貌がわかる。そして、雰囲気も、昔、映画を見たとき、映画のためのレプリカを作ったのか、まだ1953年には実物が残っていたのかと感心したが、とにかくこれを見れば当時のリブリーザーが見られる。楽天で見たら、このDVD 現在7400円とかなり高価である。
映画の舞台はジプラルタルで、イタリー側は、イギリスの軍艦をウエットサブで撃沈しようと秘密基地を作っている。映画の主人公ローレンス・ハーベイが扮するのはクラブ大尉、これも実在の人物で、本の「必殺 人間魚雷」にも出てくる。映画は、かなり乱暴な筋書きで、クラブ大尉が活躍して、イタリーのウエットサブを阻止し、秘密基地を爆破してしまうのだが、全くの冒険活劇戦争映画であり、その意味で面白い。このDVDを見ると、そのころの、潜水器材が、すべてレプリカなのだろうが、実際に動く実物が出てくる。ウエットサブもよく走っている。リブリーザーの練習なども、乱暴だ。とにかく、身体に着けて飛び込んで泳いでしまう。これは、日本でもそうで、乱暴でたらめは、世界共通だろう。次に出てくる、伏龍特攻も当時としては、戦争による世界共通のでたらめで、訓練生が死亡したのだと思う。生き残れば、冒険活劇になるのだが。
日本の特攻と、地中海での戦いの落差に今さらながら、考え込んでしまう。