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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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1114 ダイビングの歴史 24 フィンの始まり。

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              コリリューのフィン モナコ海洋博物館


  
 スポーツしてのスキンダイビングの始まり、そしてスキンダイビングの象徴であるフィンのルーツは、1930年代のフランス、コートダジュールであると推定する。 食料採集、漁業のための素潜りの歴史については既にのべている。



 1920年、アメリカ人の作家、ガイ・ギルパトリックが南仏のアンティーブに別荘を持ち、素潜りスピアフィッシングを始めた。そして、1934年にコンプリート・ゴグラーという本を書き、この本がブレイクする。これが、スポーツとしての素潜りダイビングの始まりである。
 The Compleat Goggler : Guy Gilpatric


 言うまでもなく、遊びで潜って魚を突いていた人は、それまでにも、世界中に、いくらでも居たことだろう。それを、そのことを本にまとめた、ということが歴史の始まりなのだ。倭人の素潜りが、魏史倭人伝で始まったようなものだ。
 一方で、ゴムのフィンのフィンの始まりは1933年にフランスのコリリューが、パテントを申請した。そのフィンのプロトタイプが、モナコの海洋博物館に陳列されている。(1934年とプレートに書かれている)これが、現在僕らが履いているゴムの、フィンのルーツである。しかし、展示されているコリリューのフィンを見ると、とてもこれを履いて泳げるとは思えないほど大きい。


 一方、南太平洋では、椰子の葉っぱだか茎だか、もしかしたら、板切れだったかもしれない、を足に縛り付けて、おそらくは煽り足で巧みに泳いで、漁をしていた。ジュゴンを突いていたか、ウミガメを掴まえていたか、追い込み網だったかもしれない。
 1988年だったか、須賀潮美がフィリピンでバジャウ(海に棲む人たち)が、ワシントン条約違反のタイマイ漁をしている密漁の取材に行った時のテープでみたのだが、ベニア板製、楕円形の大きな下駄のようなものを履いて、今のテクニカルダイバーのような、煽り足で巧みに泳いで、フィンで泳ぐ潮美は追いつかなかった。※上の写真
 
 とんかく南太平洋で、1930年代に、何か平たいもの、椰子の茎?などを足に着けて泳いでいたのだろう。それをアメリカ人のオウエン・チャーチルが見て、ゴムのフィンを作ったのだという。
チャーチルは、フィンを作り、1938年に特許を申請し、商品をつくる。この商品が売れ始めたから、だったのだろう、同じような特許を1933年にコリリューが申請していることがわかり、チャーチルは、コリリューに特許使用料を払って、商品の販売を続ける。
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 ギルパトリックがチャーチルを使って見て、これは良いと広めたという説もあるが、ギルパトリックのコンプリートゴグラー(1934)にある図では、フィンをつかっていない。図のように蛙足で泳いでいる。

 チャーチルのフィンは、特許が1938年だから、1934年のコンプリートゴグラーに出てこなくて当然であるが、1933年のコリリューのフィンならば、使ってみることはできる。
 とにかく、1940年には、フランス、イタリー、地中海沿岸では、フィンはかなり広まっていた。
 
 フィンの始まりの時期、煽り足で泳いだのだと思う。そう考えると、コリリューのフィンが大きいのも、チャーチルのフィンの発想になったヤシの葉だか茎だかを足に付けて巧みに泳いでいる、姿も想像できる。
 日本の海女さんもバタ足でもぐることはない。優雅な煽り足せもぐる。コートダジュールのギルパトリックのスキンダイビング図を見ると、まず水面に飛び出す。そしてその反動で沈み、水中で身体を反転させ、大きくカエル足で水を蹴って潜って行く。これは、鳥羽あたりの海女さんがやっているヤマト式の潜り方と同じではないか。
 人が潜るとき、フィンを付けないとすれば、まずバタ足で潜る人はいない。海女さんは、股を開くのは優雅ではないので煽り足で潜る。男海士は、カエル足だ。僕もフィンを履く前はカエル足だった。プールで素足で水平に潜るときもカエル足だったから、フィンでも、カエル足で潜ろうとしたら、これは、バタ足で潜るものだと教えられた。
 道具というもの、さまざまな使い方をしながら進化して行く。スキンダイビングがバタ足でフィンを使うようになったのは、水面移動の為だ。水面を速く、力強く泳いで、移動する。潮の流れから脱出する。それでバタ足になった。
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          チャーチルのフィン  アマゾン通販のページから

 ここで、驚くのは、1938年のチャーチルのフィンとほぼ同じだろうと、推定されるチャーチルのフィンが、今でもチャーチルのフィンとして、売られている。ボディボードのフィンとして、人気があるという。確かに、チャーチルのフィンは歩きやすい。ボディボードを持って、波打ち際をパタパタと走ることも出来る。
 一方で、バジャウのベニヤ板の履物は、推進具としては、究極の形ではないかとおもったりもする。現在のフィンは、長いロングフィンから、短いショートフィン、歩き、走りやすいチャーチルのフィン、形状は目標によってさまざまである。


 素潜り技術、素潜り文化としては、魏志倭人伝以来の伝統、世界での先進だった日本でなぜ、フィンが、フィンに類するものが生まれなかったのだろう。水蜘蛛というのが、忍者の世界にあったらしいが、これは水面を歩くことを目的にしていた。古式泳法は、立ち泳ぎの技術を極めるもので、一つの武術であり、戦闘の連続の中で、水中を潜る発想は無かったのだろう。竹竿の芯を抜いて、水中にひそむことはあったらしいが。
 そして、海女さんや、大串、山本式のダイバーは、水中を泳ぐことは上手すぎて、フィンを考えつかなかった。
 もしかして、考え付いた海士さんも居たかもしれないが、資源保護のために否定された?現在でも、海女漁は、部落(集団)によってフィンの使用が許されていない。

 フィンの進化についての歴史は、段階を追って、その都度述べて行く。



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