器械根
潜水機による鮑漁が千葉県に定着し、同時に乱獲による潜水機使用の制限も行われはじめた明治18年(1885)大原沖、漁船でおよそ2時間ぐらいのところに鮑の新漁場、沖の根(暗礁群)が発見され、器械潜水による漁が行われることから、器械根とよぼれるようになった。
鮑天国、イコール潜水鮑漁の天国であるが、どのような状態であるかというと、居るところ集まっている岩を見つければ、大きな岩が鮑で覆われて岩が見えなくなる。岩全部が鮑になる。(そんな写真があったのだけど、紛失している。)海女の鮑漁がカジメの茎を分けるようにして探し、2回も三回も潜って、やっと一つ見つける、岩の透き間に三個の鮑が居たとして、欲をかいて、三個を採ろうとすると、命が危ない、二個でやめて置け、というのとは、大違いである。
海女の採る鮑は、クロアワビとメカイアワビ、クロの方が、値が高く、クロの大きいのはオオオグロと呼ばれていて、また値が高い。器械根で採れる鮑はマダカアワビで、オオグロよりも、更に一回りも二回りも大きい。特大は、洗面器、は、オーバーだけど、そんなのが、いる場所では、岩一面に貼りついているのだ。
器械根発見当時は、潜水器一台、一日の漁獲が2・3トンであった。集まる潜水漁船は、明治18年(1885)千葉県26台、静岡県7台、神奈川県4台、茨城県7台であった。
器械根は端から端まで船で走れば1時間はかかろうという広大な根であるが、明治18年、56台、19年106台、20年30台、21年18台。22年13台、になっている。つまり、19年に106台が商売になったのに、その3年後には、13台に減った。つまり、獲れるだけ獲ったのだ。
同じ鮑漁でも、海女・海士の素潜り漁と、ヘルメットの器械潜水漁を比べて見ると、資源保護についてのフィロソフィーの違いに驚くだろう。海女漁では、ウエットスーツを制限しても、地元の資源を持続的に維持しようとした。ヘルメットの方は、やりたい放題だった。海女・海士の方は、地先の海の漁だ。地先とは、地域社会の財産、自分の庭のようなものを言う。器械根は漁船で走って、1~2時間、地先ではない。日本国民共有の海だ。特別なルールを作り、申し合わせをしない限り、閉め出せない。
そして、
明治40年(1907)漁業者の資格が定められ、許可台数は6台になった。
以後、制度に変遷はあったのだろうが、6台程度で推移して、自分が千葉県の調査に関わるようになった1970年代は、大原、御宿の組合で、3ー6台が出漁していた。それでも、水揚げを見に行くと、見事なマダカが、ごろごろ獲れていた。
しかし、それも、一緒に調査をしていた千葉県水産試験場の坂本仁さんによれば、そのころが、あのころは良かったと言われるほどに採れなくなり、やがて、全面的禁漁が続くことになった。
その間、大場先輩等研究者の努力で鮑は、完全採苗が出来るようになり、水産試験場は、鮑など水産資源の種苗生産工場のようになり、試験場から独立して、種苗センターになった。
種苗、種を巻いて刈り取る栽培漁業である。このあたりのことは、ダイビングの歴史の第二部で述べることになるが、それでも、アワビ種苗を播いても器械根の鮑資源は復活していない。
コラム
僕が器械根に潜ったのは.1980年代で、種苗を入れる作業だったが、鮑の餌にもなっているカジメが生えているのはは、普通は、30ー40mぐらいまでとされている。器械根は50mを越えても、鮑漁場になっている。植物だから、光が届かず光合成が出来ない深させは生育出来ないのだ。55mまで潜った。さすがに、薄暗かったし、少しばかり、カジメの葉の幅も狭かったが、カジメの林、海中林があった。浅いところでは、カジメの生えている海底は、丈の小さい下草のような紅藻類が生えて居るものだが、それがなく、カジメだけの海中林だった。
※写真はイメージで、器械根ではありません。器械根は、もっと暗い感じでした。
東京湾富津のヘルメット潜水
ヘルメット潜水の漁の中心は、房総でも、また北の三陸でも北海道でも、アワビである。北のアワビはエゾアワビと呼ばれ少し小ぶりだが、とにかくアワビが中心だが、北の海ではウニも採る。その他、タイラギ、ホキガイ、ミルクイ、も採る。東京湾では、千葉県富津で、アオヤギ(バカガイ)、アサリを採る。
実は、このアオヤギ漁は何回か取材撮影したが、肝心の器械根のヘルメット式によるアワビ漁を撮影していない。だから、絵がない。訊いたところでは、海女さんがアワビを剥がすヘラのようなイソガネは、短いが、ヘルメットの使うイソガネは、長くて、その長いイソガネを器用に使って、まるでシャベルで、アワビを掘り起こすように、次々と採って行くというのだが、自分の眼で見たことはない。
富津のアオヤギ、アサリ、二枚貝漁は、映像があるので紹介できる。
https://www.youtube.com/watch?v=MjtXVMvWnLo&t=4s
ヘルメットの横に取り付けれれているのは、ポンプで水流を送るホースとノズルである。ダイバーは、このノズルを海底に向けて、水流を送り、海底の泥を巻き上げるようにして、片手で支えている袋網の中に、泥と一緒に貝を送り込む。袋がいっぱいになったら、船に上げて、選別する。
タイラギは大きい貝だが、泥に埋まるようにして、一部だけを砂の上に出している。これを掘り起こすのも、水流をつかう。
工事潜りについて
なお、僕は水産大学増殖学科卒、生物屋なので、記述は海産潜りが主になる。工事潜りについては、親しい友人であり、第二部で述べる全日本潜水連盟を一緒に切り回していた鉄芳松氏が「潜水士の道」という本を出している。是非読んでほしい。
鉄さんは、僕よりも5歳年下だが、潜水業のお父さんの下で、修行を積み、めでたく一人前になり、1960年に東亜潜水に挨拶に来る。前に述べたように、潜水士は一人前になると、親方に連れられて、東亜に挨拶にくる。そして、ヘルメットを誂え、東亜に口座を開く。
鉄さんの場合、東亜の三沢社長は、ヘルメットを進呈しているという。よほど、この若者の将来を嘱望したのだ。今現在、鉄さんは、国土交通省関連の日本潜水協会の理事長、港湾潜水士(工事潜り)の世話役として頂点に居る。
僕が東亜に入社したのが、1960年だから、会っていても良いのだが、すれ違っている。
1975年、海洋博では、スポーツ大会イベントで、鉄さんに旗手をお願いした。