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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0701 ダイビングの歴史 4  1ー3 日本人はどこから来たのか。

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  アフリカで生まれた人類は、狩猟採集生活から、海辺で魚介類を採集する、海辺の漁労を覚えて、アフリカを後にする。
 原始の人間にとっては、手づかみが最初であったろうから、潜水することを覚え、いや、もともと潜水する身体能力はあったので、多分、現生人類は水中への適応力が、もっとも優れていた。それによって、勢力、生活力を拡張し、10万年前以降、にアフリカを出ていく。そして、1万2千年前には、旅路の終わり南米大陸の南端に到着する。
 日本にも到着するのであるが、それが、何時なのか、どこからなのか、


 専門家ではない自分にとって、テキストに頼る他無い作業である。
 出版予定のダイビングの歴史では、この部分は簡略なものになるであろうが、それを書くためのノートを作っておかなくてはならない。作っている。それをブログという形で記録している。これまで、下書きした原稿で残っていて整理できているのは、ブログである。
 それに、ブログというもの、バカにできないもので、ぼくのブログでも、ヒット数の累計は、100万を軽く越えている。はずだ。
 
 さて、日本人はどこから来たのか、についてのテキストは、「日本人はどこから来たのか:海部陽介 文春文庫 2019」まさしくそのものズバリで、なにか、まねをしているようで、いやだな、と思う題である。著者は、国立科学博物館人類史研究グループ脹であり、国立科学博物館では、常設展として、ホモ・サピエンスの世界拡散をテーマにしたコーナーがあり、このコーナーの為の研究調査の一般向けテキストのようなものがこれである。
 もう一冊、「海から見た日本人 後藤明 講談社 2010」著者の専門は海洋人類学である。海洋人類学とあっては、素通りできない。
 他にも集めた本、多数だが、ノートをとって、読む時間、エネルギー、気力がない。


 海岸移住説というのがある。
 海で餌を採る、つまり潜ることを覚えたホモ・サピエンスはアフリカを出て、海岸に沿って移住していく。アラビア半島をぐるっとまわり、インド沿岸を南下、北上して東南アジアを抜けたあと、インドネシアの海を渡ってオーストラリアに到着する。
 わかりやすい説明だし、ダイバーとしても、うなずける。
 しかし、それを証拠づける遺跡が海岸沿いに残っていない部分があるのだ。遺跡はインドの南端でおわり、インドを北上する遺跡が海岸沿いにない。海部先生は、信頼できる遺跡をプロットしてヒマラヤの南側と北側を通る二つのルートを想定している。
 つまり、海岸移住はインド南端で止まり、内陸のヒマラヤ南側を通ったグループが東南アジアに到着した。そこから先は、また、海沿いを移住してオーストラリアにまで行くのだが。


 ヒマラヤ南ルートには、先にアフリカを出た、原人と旧人が住んでいた。ジャワ原人、北京原人である。
しかし、新人類、現生人類は、原人から進化したものではなく、別の系統の進化したものであるとされている。これらは、遺伝子、DNAを調べて推定して居るものであるが、現生人類は、遺伝子的には、アフリカのただ一人の女性の遺伝子を引き継いでいるとか。


 人類の移動の記録、証拠は、遺跡、石器、人骨であるが、日本では3万8千年前に、遺跡が爆発的に現れる。対馬、沖縄、北海道の3ルートから祖先がやってきた。日本には、原人、旧人の遺跡はないとされている。
 遺跡から見ると、日本本州への渡来ルートで最古のものは、対馬ルートである。対馬は38000年前も陸続きではなかったから、舟が必要であり、その人たちは航海者だった。
 
 沖縄に南からやってきた現生人類は、漂流だったのかそれとも航海だったのだろうか。流れ着いた漂流のような伝説もあるが、島に定着するには、数人の男女では難しく、意図的な進出であったろうという。
 台湾から与那国への移住は、およそ3万年前と言われているが、海部先生は、この航海を自分らのチームでやってみよう、再現してみようとする。
 なにも、自分でやってみなくても、他の証拠から、日本人が南から、舟に乗って沖縄にやってきたことは、まちがいないと思うが、研究者は、探検家でもあり、自分でやってみたいのだ。
 クラウドファウンディングを繰り返して、葦の舟を作ったり、丸木舟を作ったりでチャレンジする。そのメンバーに東大海洋調査探検部OBの米田譲教授(考古学)も入っている。
 このプロジェクトは、「3万年前の航海」で検索すれば出てくる。2019年に、台湾から与那国への航海に成功しドキュメンタリー映像「スギメ」も公開、している。
 やはり、自分でやってみることによって、注目を集めることができる。
 
 北ルートだが、北海道への人類進出は、3ルート中で一番あとになる。がとにかく、シベリアから南下してきた人たちがいる。
 津軽海峡を丸木舟で漕ぎわたるのは、台湾から与那国よりは難しかったのだろう。2万5千年前といわれ、南ルートとは、5千年の時間差がある。
 万年単位の話をしているので、5000年の差なんて、と思うかもしれないが、今の歴史がはじまったのが、4千年前、西暦は2020年だ。
 
 とにかく、現生人類、僕らの先祖は、日本に到着した。



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