ダイビングの歴史
第一部 ダイビングの歴史
§1 泳ぐ潜水
潜水とは、人間が海に、水に潜る、生身の身体が水に入って行く行動を言う。水に入る形として、泳いでいく、歩いていく、二つが考えられる。泳ぐように歩く、歩くように泳ぐこともあるから、境界があやふやではあるが、とにかく、ここでは、泳ぐ、歩くに分けた。
スキンダイビングという泳ぐスポーツから、生きる力をもらっている自分としては、泳いで、潜る素潜りの歴史が、ダイビングの歴史の中で、中心を占める。
ここでは、ダイビングの歴史を、人が地球上に出現したところから始める。
1ー1 アクア説
1996年、60歳になったので、その記念、還暦記念に100mに潜る計画を立てた。
100mは区切りではあるけれど、今どきのテクニカルダイバーは、その初心者コースで100m潜るらしい。
1996年の日本では、テクニカルダイビングとは何?その定義は明確ではなかった。いまでもあやしいけれど。
しかし、それにしても、ただ、潜るだけでは、「昨日、ちょっと100mまで潜ってきたよ。」「ああ、そう」でおわってしまう。
自分の記念イベントにするためには、テレビ番組にしたいと考えた。僕は、ニュース・ステーションをやったりして、テレビ業界の人でもあったのだ。
そして、100m潜水だけでは、テレビの特集番組には、ならないから、世界のダイビングをついでに紹介して、2時間番組にしよう。という企画になった。 その企画をプロデュース、つくってくれたプロデューサーが、テレビ朝日、ニュース・ステーションのプロデューサー、長谷川格さんであった。
長谷川さんとは、番組作りとしては、これ一作だけに終わってしまった。
自分も、そして格さんもテレビ業界の人としては、終わりにきていたからなのだが、もっと早く、知り合っていたかった。などとお話ししているうちに亡くなられてしまった。その格さんが、人間は進化の過程で、水中生活を送っていて、その水中生活で直立歩行をするようになったのだ、というアクア説を紹介してくれた。
ダイビングの歴史をテーマに本を書きたいというような話をしたとき、とっくにアクア説を知っているものとして話をされたのだが、僕はアクア説を知らなかった。
ダイバーなのに、ダイビングの歴史を書こうとしているのに、知らなかった。
で、早速調べて、2012年に出した最新ダイビング用語辞典には、アクア説を紹介、掲載した。
そして、人類の発祥、先史時代の人類と海とのかかわりについては、このアクア説だけしか最新ダイビング用語辞典には、掲載していない。読者は、これが定説だと思ってしまわれるかもしれない。
そんなことで、
ダイビングの歴史は、アクア説の検証で幕を開けよう。と思っていた。
自分は人類史の学者ではない。人類史の本を読むだけの、人で、そして、ダイバーとしての視点から、それを整理する。
言ってみれば読書ノートのようなものだ。
実は、この本「ダイビングの歴史」を書き始めて、現地に行ってみたい、読書で調べるだけではなく、その場に行ってみたい。実物を手にとってみたいという物が、事が、次々と出てくる。しかし、それはかなわない、もはや自分には時間がない。自分の体験を挟んだ読書ノートにならざるを得ないのだ。
アクア説とは、
1960年、オクスフォード大学教授、サー・アリスター・ハーディがBSAC の集まりで講演の形で発表した説である。
アリスター・ハーディは海洋生物学者で、プランクトンと鯨の専門だとかで、サーの称号を持つ学者である。英国では、特別に偉い先生なのだ。しかし、人類学の学者ではない。だから、アクア説については、論文を書かないで、考えていた説を講演の形で発表しただけのものだ。しかし、時は1960年、人類が、海に潜る人間が、これから海洋開発へと乗り出して行こうとするタイミングである。マスコミで大きくとりあげられた。ホモ・アクアティカ などと話題になった。
第二部で述べるが、海洋開発とは、1960年から1980年、人類が海に向けて抱いた壮大な夢なのだ。
アクア説の論旨は、
人類は哺乳類であり、哺乳類は一億年前に栄えた爬虫類の子孫である。人も鯨も海豚も哺乳類である。一方は海に降り、一方は陸に上がった。
人類は、その近縁である類人猿の中で、樹上から海岸に出た分派であり、海岸の浅瀬で貝や甲殻類を餌に採るようになった。
多分、最初は四つ足で這い回り、水の中を手探りして採っていたのだろう。しかし、次第に泳ぎがうまくなる。人類が発生したアフリカは、熱帯だから、熱帯の海であれば、一日に4ー5時間を過ごすことができ、水生の度合いを強めて行き、泳ぎに便利な体型になり、直立二足歩行するようになった。
アリスター・ハーディは、専門外のことでもあり、自説を証拠づけるような化石なり、何かが出てくるのを待つという姿勢であった。
考古学は、化石とか石器とか、遺跡とか、証拠がなければ、問題にならない。出て来た証拠を巡って、議論が展開される学問だ。
だから、講演、お話しだったのだが、もしかしたら、B S A C という、ダイビング団体への社交辞令的講演であったかもしれない。
しかし、エレイン・モーガンが1982年にこのアクア説を取り上げた本を書いた。その日本語訳が「人は海辺で進化した:エレイン・モーガン 望月弘子訳 1998」 である。
この本があるので、ここで、アクア説について書くことができるわけなのだが。
エレイン・モーガンはオクスフォードで英文学を専攻した人類史研究家であり、ライターであるが研究者ではないようだ。ライターとして、人類進化に関する著作、「女の由来、もう一つの人類進化論」を書いている。これは、ベストセラーになり、おなじく人類進化について書いた第二作が、この「人は海辺で進化した」である。
人類が類人猿とは違う道を選んだ理由については、様々な仮説があるが、エレイン・モーガンはそのうちで三つ、サバンナ説、ネオテニー説、そして、アクア説を取り上げて論じている。
サバンナ説
まず、人類が東アフリカで発祥したことは定説になっているのだが、その東アフリカで、
生物の変化、進化を突き進める大きな要因は気候変動である。地球上では、地球が凍る氷河期と、氷が溶ける間氷期が交互、繰り返して起こっている。現代の地球温暖化もそれで、極地の氷が溶け、モルジブが沈んでしまう。その気候変動で、氷河期は、降雨量も少なくなり、アフリカ大陸の森林が小さくなり、サバンナになった。森林が無くなり、サバンナに出た人類は、サバンナを走り回って狩りをするのに有利なように二足になった。草の丈が高いサバンナで獲物を視認するには、立った方が遠くまでみえる。立たなければ見えない。そして、立ったまま獲物を視認しつつ追いかける。
四つ足の猛獣は、低くひそんでいて、ダッシュ一発で獲物をしとめるのだが、人は見ながら追跡する方向に進化した。毎日、トライアスロンのような生活である。また、二足直立で走れば、手に狩りの道具を持つことができる。その方向に進化した。これが、サバンナ説である。
ネオテニー説
ネオテニーとは、幼形成熟、幼い姿のまま成熟してしまうことだ。様々な種の進化の過程で起こっている。人間は、生後一年の間は、水に入れても、平気で浮いている。眼も閉じないで、泣きもしない。
人間の幼形は、水生動物だったということだ。
実をいうと、この説、よくわからない。
アクア説は、氷が溶けてサバンナも沈んでしまったので、泳いで水中で狩りをした。そして泳ぐのに有利な体型に進化した。アリスター・ハーディの説である。
人類の発祥は、明確ではないが、800万年前~700万年前と言われている。猿人である。240万年前から原人が出てきて、4万年前頃までいた。
続いて80~4万年前に旧人がいて、そして、200万年年前~現在 が僕らは現生人類、ホモ・サピエンスである。つまり、猿人、原人、旧人、現生人類がいて、現生人類が生き残ったわけだ。
猿人はホモ・アウストラロビクス、原人はホモ・ハビリス、ホモ・エレクトウス、北京原人、ジャワ原人、旧人は、ここからはホモ・サピエンスとなるのだが、ネアンデルタール人もこれに入る。そして現生人もホモ・サピエンスと呼ばれ、クロマニヨン人と現生人類が、こえに入る。
北京原人は旧人でもあるが、中国人の祖であり、最古の人類だというのだが、どうだか?議論が展開されているが、中国人だけが、別というわけだ。
とにかく、現在のホモ・サピエンスだけが、生き残り、一人勝ちで現在を迎えている。
進化の過程の絵を見ると、猿人から直立二足歩行している。すなわち、およそ1000万年前から700年前までの間に、アクア説、サバンナ説の事態が起こって猿人ができあがったことになる。
猿人から新人へと、次第に体毛がなくなってくる。
アクア説では、無毛になったのも泳ぎやすいから、進化の結果だというのだが、猿人から新人に至るまで、人類は泳ぎ続け、潜り続け、泳ぎやすいように毛が消失していったのか?
泳ぎの上手なDNAが生き残って、現在に至ったことになる。進化の方向付けが行われると、その進化は続き拡大していくとも言われているが、とにかく、泳ぎ、潜る方向付けが行われて進化したのだ。
エレイン・モーガンは様々な例を挙げて、アクア説を支持する。
今、自分が、泳がず潜らずにいると次第に身体の調子が悪くなり、泳ぎ、潜ると、疲れ果てはするけれど体調がよくなるのは、はるか1000万年前の、水生動物だった時の記憶が身体の中に残っているのかもしれない、などと思ったりはするが、それは感覚であり、エビデンスではない。
ダイバーとしては、心情的にはアクア説を支持したいが、這って生活していた人類が、1千万年以上水生生活を送り、陸上に戻った時は別の生物、すなわち二足直立になっていた、などとは、ダイバーとしても信じ難い。そして、それを証明スる、化石も遺跡もない。
とにかく、ホモ・サピエンスは、サバンナで疾駆し、氷が溶けて水面が上昇したアフリカで泳ぎ、潜って食料を得る術を身につけてアフリカを出発し世界に拡散していく。
次のテーマであるグレートジャーニー についての
「人類20万年遙かなる旅路」アリス・ロバーツ著、
この本は、現在議論されている説、仮説はおおかた取り上げられているが、アクア説もサバンナ説も、取り上げられていない。
証拠のない考え方の一つなのだ。
1960年代、人類は、海に、海の中に住む、海底居住という壮大な夢を描いた。その夢の中で、人は海から上がってきて、海に戻っていくという夢は、魅力的だった。
※下書きを本気で書いていますが、出版物はまるで違ったものになりそうです。