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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0125 シンポ時 ①

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鉄は熱いうちにうて、昨日24日のシンポジウムについて、反省とお礼、そして、自分の想いは今日25日に、ブログのログとして出さなければいけない。
  ※ トップの写真(図)は、旧アアク・ファイブ・テレエビのロゴマーク
    当時、親ばかマークと言われていた。


 このシンポジウムの目標
 とにかく10周年のシンポジウムだから、10年の成果を発表したい。
 しかし、コロナである。人間の活動のあらゆる分野でコロナパンデミックは、猛威をふるっている。そしてそれは、マイナスだけでなく、ねじ伏せられ、強いられたものであったにせよ、人に新しい技術、新しい生き方、新しい問題解決の手法を与える、強いている。その一つであり、最大のものが、on-lineである。もちろん、自分が罹患した場合の恐怖、特に高齢の場合は、命取りになるから大きく、それが、人の活動を変形させているのであるが。


 on-lineの技術、手法を駆使できる能力の有無が人の活動の大きな部分の成否を分ける。そして、その能力は高齢になりメンタル能力の衰えの大きい高齢者、つまり自分には、過酷なものである。
 フィジカルの衰えを痛感させられるのと同じウエイトで自分にメンタルの衰えがのし掛かる。


 10周年のシンポジウムの成否の大きな部分が、on-lineの成否にかかっている。幸いなことに日本水中科学協会には、山本さん、国方さんというエキスパートがいて、その問題を解決してくれている。この二人のエキスパートに頼っている。自分は、この二人の成否を心配しているだけの状態になっていた。
 シンポジウムの成功、不成功は、その内容の成否とともに、告知、そして、見に来てくれた方の満足、不満足にかかる。
 自分としては、このところ、PCのトラブルが増えていて、その解決が大きなプレッシャーになっている。on-lineシンポジウムでは、シンポジウムにうまく入れるだろうか、来てくださる方がうまく入れるだろうかが心配である。
 集客、告知は、例年、自分の仕事である。それが、自分の仕事になっていることは良いのだが、自分だけの仕事になっては、自分がクローズアップされてしまって、良いことではない。自分の、須賀のシンポジウムになってしまっては、いけないのだ。しかし、自分は自分のベストを尽くさなければいけない。
 メールとメッセージで、告知したが、この部分にも反省点があった。その順序だ。まず①メーリングリストを、次に、②心当たり、来てくれそうな方、来ていただきたい方へのメールだし、最後③が、メッセージ、それを逆にしてしまった。
 が、とにかく、一応の成功はして、おいでいただけるかどうかは、先様の都合として、目標の150名は突破した。来年は300を目指さなければいけないだろう。
 自分が勧誘、お願いした方が、うまく入ってくれるだろうかが気がかりだった。が、それが、うまく入れなかった場合、その対応が、自分のメッセージにリターンされてくるということを考えに入れて居なかった。
 シンポジウムが始まる。そこから先は、シンポジウムの内容に集中してしまう。向き合うPCに集中してしまう。そのときに傍らに携帯端末を置き、入れなかった方へのフォローをしなければいけないのに、していなかった。大事な友人二人が入れずにメッセージが来ていた。一人は何とか入れた。もう一方は入れずに、イベントが終了して、区切りに端末を見る習慣で、見たときにメッセージを見た。楽しみにしていたのに入れなかったと。謝って済む話ではないが、謝る。そして、今後は端末を座右に置いてのチェックをしなければ、


 反省の次はメイキングとそれに重ねて感想を。
 今回のシンポジウムの始まりは、前回、第9回のシンポジウムであった。同様に、今回は次回の始まりになる。
 前回、お台場で一緒に潜り、調査をしている三ツ橋さん、杉原さんの予告編的な講演をしてもらった。もう一度、じっくりと話を聞きたかった。


 海洋大潜水部後輩の岩田君は、その第9回シンポジウムに来てくれていた。その会場で、今度、このシンポジウムで話さない?と気軽く声をかけた。即、ためらいもなく、やります、と乗ってくれた。


 現在進行形で一緒に潜水してくれている佐藤允昭君は、館山、波左間の人工魚礁についての話をしてもらいたく、声をかけた。そして、人工魚礁ではなく、石西礁湖の造礁珊瑚の話ならば、出来ると返事をくれた。プラス人工魚礁とすると、時間に限りはあるが、現役の研究員で発表もプロだから、二つのテーマでも、とお願いした。
 豊潮丸の話も一つこのあたりで入れたい。これは、大学3年の時に、ダイビングを教え、プライマリーコースでも優等生で、中尾研究室の生え抜き研究者の町田君にお願いした。彼とは、11月に、高知県沖の島に恒例、毎年通っている採集行に同行したので、その折りに話をした。
 
 これで、シンポジウムの形はできたが、あと?だれか先生を?例年であれば、自分の講演が一つ入るが、自分は第9回で、卒業、もう講演はしない、出来ないと感じていた。


 事務局長鈴木君がなぜか退任して、後任を頼んでいた須賀潮美が、日本水中科学協会の主要メンバーの今年度の活動報告をと提案してくれた。このシンポジウムが、日本水中科学協会の活動報告であれば、まず最初にこれが来なくてはいけないはずなのに、考えなかった。
 その中に、これは日本水中科学協会のメンバーではない、法政アクアのOBであり、僕も親しくしている樋口君が入っている。学連復活の烽火をあげていて、その話をするという。潮美は法政アクアのOBであり、OB会の中心でもある。日本水中科学協会は学生の部活動の応援、紹介をシンポジウムのコンセプト、柱の一つにしていた。他の大学も呼ぼう。


 これで、若手研究者の発表の第一部、日本水中科学協会会員の活動報告の第二部、学生部活動の第三部、三つのパートになり、長丁場になるが、on-lineならば、出入り自由のテレビ感覚でできる。第二部、第三部の司会は潮美がやってくれる。
 これで、形ができた。
 自分は挨拶だけで、しゃべらないつもりでいたが、85歳の高齢、現役ダイバーということで、話せ、とこれは、潮美のリクエストで、少ししゃべることにした。
 午後13時から、19時まで、6時間のテレビ放送的チャレンジになった。


 ここからは、シンポジウム内容の話になる。
 続く



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