ブログのログ部門、記録が滞ってしまっている。
自分の現能力に対して、やらねばならないことが多すぎるのだ。
とにかく
お台場 11月22日 182回
参加 須賀 尾島 尾島ママ、多留、山本徹、小林、三ツ橋 坂本
須賀、山本徹、小林 三ツ橋 坂本は、北西側のいつもの磯場、多留、尾島組は南東岸にまわった。
須賀、山本組は、ラインC(北西磯場岸の浮き輪のかかった柱地点から、岸に直角)と、ラインD(北西磯場に沿って、岸と平行に、浮き輪目印柱地点から、柱列まで)を撮影調査した。
透視度は良かったが、特別変わったこともなかった。
今回から、空気を節約するために、エントリー、砂浜から、ラインの始点まで、磯場は、水面をスノーケルで浮きながら、棒の先カメラで撮影することにした。棒は、杖にもなっているので、杖カメラとした方が良いかも知れない。このあたりは、水深1m以下なので、杖カメラで十分に撮れるのだ。もっと早くからこの方法にすれば良かった。
チチブ、アゴハゼ、アカオビシマハゼ、いわゆるダボハゼ類の稚魚、2cm未満が多く見られたが、この季節、大きくなったマハゼは、ついに見つけることができなかった。
山本さんはラインを引くのに、太股に着けたスラスターで走り回っている。これも一つの道具になる。
泳力の衰えた自分もこれにすると良いかもしれない。
磯場の前の真牡蠣のほとんどすべてが死滅している。真牡蠣が水の浄化にも大きな役割を果たしているとすれば、重要な問題だ。二枚貝の消長は、日常のことではあるけれど、たぶん塩分濃度、淡水化? だれか、調べる研究者はいないだろうか、杉原君はどうだろう。
尾島ママによれば、対岸のオリンピックマークの基礎部分、マウンドは魚礁化していて、クロダイ、ボラ、スズキなどの大型魚が集まっているとか、残念ながらその写真がない。イサザの群が見える。これは大型魚にとって餌だから、蝟集効果に寄与しているのだろう。春先になったら、対岸を見ていこう。
12月27日 183回
今年度最後のお台場、ダイビングとしても潜り納めだ。メンバーは、尾島夫妻、多留 須賀、山本徹、小林、三ツ橋、奥村、山田 臼島 他にゲストが環境省の小林君、そして船の科学館の小堀さん、港湾局の萬年さんもお見えになった。
ライン撮影は小林さんが、撮影も丁寧で上達されたので、任すことにして、僕は、こんど1月24日のシンポジウムで発表してもらう三ツ橋さんの調査している姿、山本さんの走り、そして、萬年さんが、僕が撮影した映像から見つけた多数の穴の正体を撮ることにした。
棒の先、杖カメラを使うについて、同時にマスクマウントも撮るようにした。マスクマウントは、波左間で2台、ソケットから外れて流してから、使っていなかったのだが、改めて、マスクに取り付けステイをエポキシ糊で貼り付けた。
三ツ橋の撮影はまずまず成功したが、今日は、岸近くは透視度が高かったが、岸を離れると濁りがひどく、山本さんのスラスター走りは、満足のできるものではなかった。まあ、濁りの中で、ごちゃごちゃしている感じは撮れている。
濁りがひどくて、ゴカイ?の穴は見つけられなかった。尾島さんが行って、見つけてきたが、話を聞くと、彼の見つけたものと僕の撮った穴とは大きさがちがう。もう一度確認の必要がある。
前半、三ツ橋の撮影をしているときには、よかったのだが、後半、ラインでの穴の撮影ができずに岸辺に戻ってきて、山本徹さんの撮影をしているときに寒くなり、あがった。何とか自力で立ち上がり、歩いてあがったが、歩いているときに力が抜けて、タンクは、その場で落として、小林和貴君に持ってきてもらった。
高齢化のため、重いものを持てなくなっているだけで、別に体に異常はない。