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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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1207 ダイビングの歴史 11 マスク

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        後藤マスクを着けている後藤道夫
         鼻がかすかにガラスに触れている。


 フィンが先行して、マスクが置き去りになっている。
 フィンは無くても何とかなるが、マスクなしでは現代の潜水は成立しない。


 沖縄の追い込み網漁などではかなり後まで、二眼で内圧調整用のゴム袋が着いた物が使われたが、大勢は一眼鼻入り、つまり、今のマスクの形になった。日本では、真鍮を型にあてて、加熱して曲げ絞っていく方法(へら絞り)で作られ、やがてゴム製、硬いゴムで作られた丸い一眼になる。このゴム製一眼は現在でも売られていて、海女さんはこれを使っている人もいる。
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      海女マスク


 硬い、金属よりは柔らかいが、硬いゴムのマスクを顔に食い込ませるようにきつくゴムバンドで締める。当然痛いので、あまりにも痛い場合には、痛い部位をサンドペーパーでこすって顔に合わせる。
 大学一年で素潜りを始めた時、これも、逗子駅前のつり道具屋で買って使った。十分に使えた。写真は、房総、白浜で海女をやっている、直美さんに買ってもらった。今でも売っている。


 1957年に受けた大学三年次のスクーバ講習は、海女マスクでも良いのだが楕円形のフランス製でスコールというマスクを使った。これは、現在も使われている楕円形のマスクと同じようなもので、海女マスクとちがって縁は柔らかく顔に吸い着くようだった。誰の顔にも合うので、講習生全員同じマスクで済む。マスククリヤーもやりやすい。今使っても、若干視野が狭いくらいで何の問題もなく使えると思う。欠点はゴム質が悪いらしく、すぐにべとべとになってしまう。青いゴムだったので、顔に青いゴムが付いてしまう。とにかく良いマスクだった。
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      神田献二先生、スコールを着けている。


 東亜潜水機に勤務するころは、浅草は花川戸という粋なところにあった「スイチュー」というメーカーのマスクを売った。スイチューとは略称で、水中開発とい大層な社名だが、高橋さんという方が一人、社長一人だけの会社でやっている。高橋さんは、楽しい方だったが、聞けば、高橋組というかなりな組織の御曹司だたのが、廃業して、組はだれかに譲ってスイチューになった。かなりの資産家で、なにもしなくても良いらしい。
 そのマスクは、ネオプレンで、ゴム質は良く、べたつくことはないのだが、スコールと違って、顔に合わない人が出てくる。
 僕は社長に進言する。スコールと同じ物を作りましょう。ゴム製品をパクるのは簡単なのだ。製品をゴム型(金型)屋に持って行き、同じ物を作るように頼めば良い。チャンピオンもそんな風にしてできたはずだ。スコールというマーク部分をTOAにすればいい。社長は、高橋さんに悪いからそんなことはするな、と言い、まあまあそれほど悪くはない、合う人には合う。合わなくてもマスククリヤの回数が少し増えるだけのスイチューを売った。


 やがて日本アクアラングが発足して、マスクもキヌガワパシフィックがつくって、スイチューよりは横長のマスク、そして、排水弁を豚の鼻のようにつけたマスクも作られた。名前は忘れたので豚鼻、そして、楕円のスイチューと同じようなスタンダードもつくった。そのころになると輸入品も各種入ってきて、そしてまた、アクアラングの小売り店もできてくる。マスクの種類も数えあげ切れなくなる、この間、1960年から62年、ほんの瞬きする間の爆発である。
 ちなみに、東京のアクアラング小売り店は、センケン(菅原久一さんの潜水研究所)、そこから独立して真鶴で日本初のダイビングサービスを始めた後藤道夫、講道館の前にウナギの寝床のような細長い店を構えた太平潜水、わが東亜潜水機の代理店になった、東京アクアラングサービス、そして、クレッシイサブの代理店である日本クレッシイ、関西、名古屋、各地にも同様にお店ができてくる。これらについては項を改めるが、ついすべってしまった。
 クレッシイのピノキオという二眼マスクが、世界的にヒットして、これが、二眼マスクの始まりである。ピノキオのように鼻の部分が突き出している。
 
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     左側鶴曜一郎 後藤マスク 右側 野田充彦 豚鼻マスク
     野田君は、写真当時学生、学習院大学ダイビングクラブ創立者の一人
     後に、BSACを日本に持ってくる。彼は兼高かおるの隠し子?で
     パンアメリカンを世界どこにでも、無料で乗れた。


 
 1965年?後藤道夫は、後藤フィンのように、後藤マスクをつくる。本当に彼は、ものつくりの天才なのだ。
 実は、このマスクが日本で作られた一眼、スタンダードマスクの最高傑作だと思っている。
 巻頭の写真は「マチャアキ海を行く」での、後藤道夫
 角の取れた長方形、シングルリップで、スコールのように顔に張り付く、マスククリヤーもやりやすい。ダブルリップとは、マスクの縁の部分が返しがついているもので、最近のマスクはほとんどが、このダブルである。これは水は、入りにくいが、水がでにくい。
 シングルの後藤マスク、ゴム質はもちろん良い。そしてこれが特色なのだが、鼻が高くない日本人の鼻のすれすれ、人によっては鼻を軽く押す程度までガラスを接近させた。このことで視界は最高度に広がった。そして、二眼のように、前に邪魔な柱がない。
 僕は、後藤フィンは使わなかったが、後藤マスクは使った。以後、この後藤マスクを100点として、他のマスクを採点する。
 たとえばスコールはゴム質が悪いから70点、スイチューは顔に張り付かないので70点、とかだ。
 自分の顔に合ったのだろうが、これがベスト、100点だ。ダイバーは数多い、中から、自分の100点を探さなくてはならない、
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        ラクーン


 現在僕が常用している、ダイブウエイズのラクーンは、85~90だ。今、後藤マスクが手元にあったとして、豊麗線が深くなった今の僕の顔に合うかは疑問だから、昔の状態での後藤マスクを100として、だが。
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         アイアイ


 高齢になりマスクが顔に合いにくくなった。若いころはどんなマスクでも、ある程度は顔に合った野だが、今は顔に合わないマスクが多くなった。自分に合うマスクを探さなくてはならない。自分のマスク、ラクーンが製造中止になり、新型マスク、あいI アイアイと呼ぶという、だけになるらしい。この新型マスクは、その人の顔に合うように何サイズかある、そして、バンドの取り付け角度も変えられる。革新的なマスクで、顔に合えば、水の一滴もはいらない。僕の顔にも合うのだが、困ったことは、顔が疲れるのだ。1時間も、このマスクが顔にぴったりと合っていると、疲れる。ラクーンは、水は少しは入るが疲れない。顔に本当に合うのだ。
 文句もいうから、親戚というか、自分も役員をしているダイブウエイズを例にとっているが、キヌガワでも、各社、多種類のマスクを出しているので、その中には合うマスクがあるはずだ。自分に合う、マスクが製造中止になってしまうと、困る。
 
 歴史からは脱線してしまった。
 

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