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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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1115 ダイビングの歴史 7 スポーツとしての素潜り①

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         ガイ・ギルパトリック コンプリートゴグラーより


フィンのルーツ
フィンは何時、どこが始まりだろうか。日本ではない。
先に述べたように、海女のあおり足は、強力だったし、今でも多くの海女部落では、フィンを禁止している。古式水泳ではフィンを使わない巻き足の立ち泳ぎで、何でもやってのける。オリンピックでは、競技にフィンを使うことを禁止している。水球は、巻き足だけで跳ね上がる。一方で、スキンダイビングバーの多くはフィンがなければ、ただの人だ。85歳の僕は、水中でフィンが片方外れれば生き残れるかどうかわからない。


参考書 ダイバー列伝(海底の英雄たち)トレヴァー・ノートン 関口篤訳 青土社 2000年
 ダイバー、あるいはダイビングに関連した13人の短い伝記を集めている。
 著者はリバプール大学の教授であり、ダイビングの権威者でもあるという。
 大学の、しかも英国の大学の先生が、おもしろく書こうとしている。英国の学者のユーモア、とは、こういうことなのだろう。とにかく、おもしろく、楽によめる。ダイビングに関わる、ダイビングに人生を捧げるような人たちは、ほとんどみんな、いい加減、アバウトなところをもっている。ということを学者らしいユーモアで書かれている。翻訳者は苦労しただろう。読むことをすすめる。自分がアバウトであることが、許される気分にもなれる。そんな内容なのに、年号はきっちり入っているので、年表で紹介できる。そして、写真も多くはいっている。イラストも良い。ただし、人物の表記がカタカナ表現だけ、英文表記がないことが困る。
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 ガイ・ギルパトリック(1896ー1950)コンプリート・ゴグラー(  Guy Gilpatric The Compleat Goggler 1934,1935 1937,1938 と版を重ねている。)
ギルパトリックは、21歳で米国空軍に志願し、第一次世界大戦をパイロットとして、戦う。大戦を生き残って、もの書きとして生きようと決める。コピーライターになり、やがて、フリーのジャーナリストになり、その収入で1920年には南仏のアンティーブに別荘を構えて、結婚し、趣味として魚突き素潜りを始める、というのだから、かなりの売れっ子になれたのだろう。
 魚突きも、縄文時代からある漁労だが、それをスポーツとして始め、サタデーイブニングポシトにスピアフィッシングの記事を書き、このコンプリートゴグラーは、版を重ねる。すなわちスポーツダイビング、レクリェーションダイビングの始祖なのだ。
 だから、スポーツダイビングが始まったのは、1920~1930年で場所は南仏ということになった。
 ゴグラーというタイトルの本を書いたのだから、着けているのはゴーグル、水中眼鏡だ。一眼のマスクは日本の海女が最初で、それをギルパトリックの仲間のクラマレンコが、見て、まねて、作ったのだという、うわさがある。噂にすぎない。


 そのマスクだが、1970年代に千葉県の千倉で、海士、男の海士にスクーバダイビングを教えたとき、その中の一人が、金属製、真鍮を板金加工で作った鼻入りの一眼マスクをもって来て使っている。金属製だから、顔に、顔の骨格に完全に合わないと水が入ってしまう。その加工を千倉、平館(へだて)で作ってくれるところがある。そのマスクは、お祖父さんが作ったものをもらって使っているとか。そうなんだ、顔の骨格は遺伝するのだ。


 ダイバー列伝では、こんな記述がある。
 「ギルパトリックとその仲間は、スノーケルを再発見し潜水マスクを発明した。クラマレンコは、自分の顔の型をとり、これに合わせて、鉛型を作り、ゴムを流し込んで作った、これを販売しようと準備にとりかかるが、近くに住んでいたマクシム・フォーヨットという人物が新しいタイプのマスクの特許を取得した。目だけでなく鼻も覆い、水圧でマスクが顔に押し付けられる問題を解決したタイプである。」


 日本では鼻入り一眼マスクとして存在するが、誰も特許は取らなかったようである。


 さて、ゴグラーのギルパトリックは、フィンを履いていたか?
 調べて見るまでは、スポーツ・スピアフィッシングの祖であるギルパトリックは、当然フィンを履いていると思っていたのだが。
 履いていなかったのだ。コンプリートゴグラーのイラストでは、履いていない。


 では、フィンの始まり、最初は?
 フランスのコリリューが作ったフィン、実物だと思うが、モナコの海洋博物館に老化防止のために樹脂漬け、固めて保存されているのをみた。ネームプレートには1934とある。これを見て、こんなものはとうてい人間の脚力では、振り切れないな、と思った。これも、ゴム板を貼り合わせて作った試作、プロとタイプなのだろう。
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     コリリューのフィン モナコ海洋博物館 展示


 一方座右の参考書、潜水の歴史、潜水の世界、では、オウエン・チャーチルという人が、遊びに行ったタヒチで、椰子の葉っぱだか、茎だかを足に巻き付けるか履くかして、巧みに泳いでいる漁師をみて、これを真似てゴムのフィンを作って特許をとり、ヒットしたとある。筆者も、全日本潜水連盟のテキストに同じようなことをかいた。出典は、はっきりしない。その椰子の葉っぱとか、茎とかの、写真とかイラストはないのか?どうやって泳いだのだ。


 PADIのThe Encyclopedia of Rereational Diving では、こう書いている。
「オウエン・チャーチル オリジナルダックフィート:
 1930年代末、スイムフィンとして広く使われた最初のフィンで、オウエン・チャーチルは名声をはくした。チャーチルのフィンは、フランス人ルイ・コリリューが1933年に発明、特許を取得したものを真似したものだ。チャーチルはその事実を認めて特許料を支払っています。50年以上経った今でもチャーチルのフィンは、ボデーボーダー、ボディサーファーに人気があります。」
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 真似したわけでもなく、チャーチルは、タヒチで漁民が、足に椰子の葉のようなものを着けて巧みに泳いでいるのを見て、思いついて、作ってうりだしたのだろう。チャーチルは1938年に特許を申請している。それが、商品として成功した時に、1933年に別に特許が出ていることがわかり、それを認めたのだと思う。これは、想像であり真実はチャーチル本人にしかわからないが。
 とにかく、成功したのはチャーチルで、2020年の今でも、アマゾンで、チャーチルフィンと検索すると買うことができる。アマゾンだから中国製で8000円ぐらいだ。
 ボディサーフィンをやる人に人気がある。そして、スノーケリングや磯遊びに使うショートフィンでは、現在の新しい設計のフィンよりも、チャーチルフィンの方がデザイン的に好きだ。


 そして、筆者らが1956年、東京水産大学での潜水実習で使ったフィン、
 チャンピオン はチャーチルフィンだったのだ。
 コリリュー、チャーチル チャンピオンと並べてみると、共通点が見える。
         
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         チャンピオン

               続く














 

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