人喰いグレートホワイトシャークは、貝の類を好むようだ。日本でも、タイラギを採っているヘルメット潜水漁師が食われた。オーストラリアでは、何人も食われた。オーストラリアは、グレートホワイトシャークの本場なのだ。オーストラリアの偉いところは、鮫退治とか言うことはなく、激減しているこの巨大なグレートホワイトシャークを保護する方向で考えることだ。鮫に食われないようにケージに入る。そのケージにスラスターを付けたビークルを作りそれで漁をする。そのシャークビークルを撮影しに行ったのだが、オーストラリアのアワビは、日本のアワビのように、石の下にひそんで居るのではなく、石の上にいる。地形も違うということもあるけれど、ともかくそのアワビをビークルから半身を乗り出すようにしてポイポイと容易く剥がしていく。広大な漁場を、13人の組合員で漁をしている。組合員は増やさないから、その権利は、億になる。資源保護は漁師の人数制限と、年間の漁獲量が例えば一人が1500万円まで、という制限で維持している。
海洋開発時代、日本でスクーバの指導をした結果の目標はこのようになることか?
いや、そうはならない。漁業は地域差が大きい。資源量もちがう。
日本のアワビは、房総では激減している。アワビは種苗生産が確立していて、水産試験場(水産センター)は、種苗生産施設を抱えていて、毎年多量の種苗を放流している。その仕事をしていたので、思いがあるのだが、日本の海女漁は、どうなる、どこへ行くのだろう。
一つの解決は、素潜り漁業、海女、海士が居なくなることだ。種苗生産は続ける。放流はしないで、2年ほどで出荷する。アワビは成長が遅く、採捕される大きさになるには5年以上かかるのだが、2年で、寿司の上に載せて握れるサイズになる。その方が効率が良い。アワビの本場である中国では、日本の養殖技術移入され、巨大なアワビ工場ができている。出荷サイズは2年だ。
どうしても大きいアワビが食べたい向きについては、区域を区切って、放流し、潜水機で管理する。海洋開発時代に夢見た海の畑である。
一方では、伝統的な海女を残していこうという動きもあり、海女サミットなどという行事が、伊勢志摩を中心に、かなり盛大に行われている。
そして、温暖化の波も押し寄せていて、アワビの餌になる大型海藻、アラメ、カジメは次第に消失して、珊瑚礁が北進する。そうなると、アワビの主たる産地は三陸、「海女ちゃん」地域になる。後100年先?、500j年先?その頃日本は?
自分のダイビングキャリヤが房総、アワビが仕事になっていたので、海女が素潜り漁の話の中心になったが、魏史倭人伝の時代から、海に潜る漁労は、魚を突き採ること、そして網に追い込んで採る方法があったに違いない。網はだいぶ後、中世だろうが、泳いで、潜って魚やエビ、カニなどを区画の中に追い込んで捕る方法は、古くからあったに違いない。手づかみにする、突きとる、囲いとる、である。
沖縄で盛んに行われていた糸満の追い込み網漁、それから派生したと思われる和歌山そして伊豆七島の建切網は潜水漁業である。伊豆七島の建切りはマスク式を使うので、その項で述べる。魚突きについては海女漁に準じて良いだろう。ただし、なぜか突いてとる漁法には、女性の海女は参加しなかったようだ。
※沖縄の漁の歴史は興味深いがあえて、調べることはしなかった。ただでさえ書く分量が多くなりすぎて、後でカットする。調べて分量を多くすることはしない。この本で書きたいのは、1954年から、自分が見聞きしてきたダイビングの歴史を中心にしようとしている。他は、いくつかの興味深いと思ったものだけ、コラム的に書き、年表で流して行きたい。