息こらえ
水中で呼吸しない、息をこらえて、潜る。すなわち呼吸器を使用しない。最古の歴史があり、泳ぐ潜水機の基本であり、現在でも素潜り漁は広く行われており、スポーツとしては、スキンダイビングからフリーダイビングへ、盛んに行われていて、フィンを使って泳ぐ潜水の基本である。
ダイビングの歴史の柱の一つでもある。
私たち人間(ホモ・サピエンス)が地球上に現れたのがおよそ7万年前とか、東アフリカ、北アフリカあたりで、万年単位の時をかけて進化して来たと考えられているが、そのあたりのアフリカは、そのころ浅瀬が多く、泳ぎながら進化して二足歩行するようになったとする、すなわち、人は水辺で進化したというアクア説がある。
※人は海辺で進化した:エレイン・モーガン著 望月弘子訳 どうぶつ社:1998
人類は発生の時から、海辺で、海の生物を捕食して生きてきた。そして、人類の集落の始まりは、海辺で手で魚介をすなどる漁労生活であり、狩猟生活は獲物を追って移動するので、大きな集落はできにくかった。そして農耕ができるようになり、人口が爆発的に増加して、次々と集落を増やすかたちで拡大移動していく。
※サピエンス全史 :ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 河出書房新社 2016
アフリカから北上した人類はユーラシャ大陸に拡大し、南下した組は、インド亜大陸から、海にでてオーストラリア大陸に達する。北上した人類はアラスカを通り、北米大陸を南下して、南米大陸を南下する。
ガラパゴスに行ったとき、エクアドルの博物館で、南米の人類は、移動、移住が日本を通過して南米に下っており、インカ帝国のインディオと日本人が共通の人種であるという図をみた。それぞれの環境で別の人種に進化、分化する時間をかけての拡大である。
日本については、南から小舟で琉球弧を北上して、九州に到着した群と、陸続きでマンモスなどを狩りながら南下してきたグループがあったとされている。海を渡って北上してきた群がおよそ2万年前といわれているが、10万年前とされている地層から石器が発見されたりして、よくわからない。
歴史の好きな人は、原則としてジェオラマが好きだ。各歴史博物館には、それぞれ、良いジェオラマがある。千葉県佐倉市の歴史民俗博物館には、日本の縄文時代のジェオラマがあり大好きだったが、詳しく見ようと行ったら、特別展示だったらしく、飾られていなかった。水面に丸木舟を浮かべて、珊瑚礁の海に潜っているジェオラマで、潜っている人の腰には命綱がついている。
しかし、アクア説の一方で、日本の旧石器時代の生業は採集と狩猟で漁労はほとんど行われていなかったという。これは、水温のためで、漁労が盛んになるのは気温が上昇して氷河が後退し海水面が上昇する新石器時代からとされる。縄文時代には漁労の跡である貝塚がたくさんある。沖縄は、旧石器時代から潜っていただろうか?
沖縄は別として、自分のダイビングのホームである東京湾口館山を意識の中心に置いている。
館山は館山城がある山の根っこのところの小川のなかに、珊瑚礁の跡、明らかにテーブル珊瑚の珊瑚礁の跡がある。観光資源として、貴重なように思うが、どうなっているだろう。地球温暖化で、藻場がなくなり、珊瑚礁になると騒いでいるけれど、縄文時代の館山の浅瀬はリーフだったのだ。その時代、沖縄はどうだったのだろうか、水温が上がり造礁珊瑚がなくなって、何になっていたのだろう。知らない。
とにかく、丸木舟を使って、腰に綱を着けて潜るのは、新石器時代、縄文時代で1万2千年前に始まり、1万年も続いたとされている。そのころにおいても、丸木舟を使うのは、プロ、専業の漁師、沖縄ではウミンチューだったろう。もちろん、ウミンチューなどという言葉があったのか知るはずもないが、日本にやたらにある貝塚には、アワビも出土していることから、アワビの棲息する水深10mあたりまでは潜っていたと想像するのが定説だ。が、しかし、もっと深く、プロは(プロという概念は現在ですらややこしいが)たとえば30m以上潜れたと考える。北では、マンモスを倒していたのだから、南では、100m潜っていても不思議はない。石を抱いて、命綱を着ければ、行ける。まあ、そんなに潜らなくても獲物は豊富だから、20ー30mあたりまでか、いやいや、人は競うことが本能だから、やったにちがいない。
根拠となる資料もないが、虚弱な現代の自分でも30m潜れたのだから、強靱な縄文時代のプロが100m潜れても不思議はない。
日本の歴史で何時の時代が好きかと問われれば、縄文時代と答える。人は自然とともに自然の中に生きて、戦争はまだない。ダイビングも盛んであり、ダイバーはきっと尊敬された。三内丸山の縄文部落は1500年も続いた。
時代は下って、3世紀末、魏志倭人伝というのが、ダイビングの歴史にまず出てくる。魏志というのだから、魏の時代、三国志の時代だ、関羽や曹操が殺しあっていた時代、日本人倭人は、全身に入れ墨をして海に潜ってくらしていたという報告だ。海に潜っていた方が良い。三国志、愛読したけれど。
プロではない女子供は、浅瀬で、そして少し潜って貝やカニ、エビを採っただろう。女子供と書いたけれど、日本では漁労のプロは女だったかもしれない。海女は、縄文時代からの歴史があるのだ。海女の研究の専門家ではないから、よくわからないけれど。
海女について、この項で参考にしているのは、「①潜水漁業と資源管理:大喜多甫文 古今書院 1989②江戸東京湾辞典 薪人物往来社 」あとは、長らくお付き合いしてきた海女さん、ウミンチューからのお話、自分の経験からの推測だ。
この項続く