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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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 潜降  (60歳の100m潜水―6)

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 2月3日 (土曜日)
 風は落ちている。いい天気だ。
 取材に来てくれた朝日新聞の高津さん。高津さんとはお台場の撮影で知り合い、今回の潜水を朝日新聞で取り上げてくれる。共同通信の新藤さん、長い付きあいだ。共同通信が取材してくれると、全国の新聞に掲載される可能性がある。地元に住んでいる伊藤勝敏さん、何冊も写真集を出しているのだが、私とはなぜか初対面、この時からな仲良しになれた。そして、三浦洋一さん、話をして楽しい気持になる人ばかりなので、皆で話をしていると嬉しい気持になり時間がつぶれる。
 潜水に備えて、頭の中を白紙にしておいた方が良いのだろうか、細かいところまで集中して考え続けていた方が良いのだろうか。手順を考えすぎると、水中では思考が固定してしまって、臨機応変に対応できなくなる。固定観念にとらえられて、失敗した経験も少なくない。白紙にしておくと昨日のような失敗をする。
アランはすべての状況をイメージしてからダイビングを開始すると言っていたし、潜水前には、そのための瞑想をしていたが、ここでは、何も考えず白紙、水面、水上からの指示に従うようにする。
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 300mほど沖にアンカーを入れて、準備作業をしている新洋丸をバックにして、海に出る前のコメント撮りをする。
 今、自分の潜水の頂点に立っている。天の時、地の利、人の和、全てに恵まれなくてはすべてに恵まれたと感じている。特に人の和はとても嬉しい。潜水を前にして、一つも恐くない。本当に楽しいダイビングができると思う。助けてくれているみんなもきっとこの潜水を楽しんでもらえると思う。
 そんなことを話した。音声を録音していた、東京サウンドプロダクションの三上さんが「とても良い顔をしていた。必ず成功するよ。」と言ってくれた。彼とは水曜スペシャルの川口探検隊で苦楽を共にした。
 通船に使っている漁船にのって、三浦さんと一緒に新洋丸に乗り込んだ。
 新洋丸から、水深およそ100mの潜水地点にシンカー(錘)をおろしてある。シンカーは、数トンある鉄で、ワイヤーが船のデリックまで垂直に張られている。船は3点にアンカーを入れて固定しているが、やはり動くので、シンカーは海底には着けずに、少し浮かせてある。このワイヤーをレールのようにして、ステージが沈んで行く。何度かステージの昇降テストを行って動きの確認をしている。
ROV(自走テレビカメラ)をシンカーワイヤーをレールにして降下させて、海底の撮影をしている。ところが、ROVのケーブルがシンカーワイヤーに絡み付いてしまった。私が船に到着した時は、一旦シンカーを上げて絡みを取り外す作業をしている時だった。ROVのケーブルが絡みつかないように、ROVはステージに軽く取り付けて潜るようにする。このROVで私たちの潜る姿、そして私の海底到着を撮影する。
音声のチェックやカメラの整備に私もつい手をだしてしまう。それが日常の仕事だからだが、やらない方が良いと、怒られる。


胸に心電図計を着ける。その上から真紅のドライスーツを着る。真紅と注文したのだが、オレンジレッドに近い生地で作られてしまった。しかし、この方が目立つ。60歳だから赤いものを身につける。減圧コンピューターを2台手首につける。スントのソリューションは、メーカーから提供してもらった。デジタル表示がちょっと読みにくいので、何時も使っているアラジンプロも着けた。アラジンプロの方が大きいので、テレビの画面ではこちらの方が目立ってしまった。ソリューションは無料で提供してもらったのに、お金を出して購入したアラジンの方が目立つ。申し訳ないことをしてしまった。


1)11時24分
田島の乗ったステージが降ろされて沈んで行く。
田島は、使い慣れたカービーモーガンのバンドマスクと着けて、サーフェスサプライ(送気式)で呼吸する。
2)ステージはそのまま下降し、水深25mで停止する。11時27、14リットルのダブルタンクをつけて飛び込む。
私の装備は、酸素12%:ヘリウム88%のヘリオックスを充填した14リットルのダブルタンクに特別に呼吸抵抗を少なくする、ファーストステージが2個付いたレギュレーターをダイブウエイズにつくってもらったものだ。ヘリオックスはレギュレーターを通してもほとんど呼吸抵抗がない。まるで、レギュレーターを通さないで呼吸しているように、軽く吸っても流れてくる軽さだ。
頭を下にして水面を離れようとするのだが、ウエイトを水深10m以下でバランスするようにしているので、少しばかりフィンで強く掻き、手も使った。今日は何も持っていないので、手で掻く事ができる。
3)水深10mで潮美が待ち構えていて、手を振ってくれるので、こちらも手を振り返す。
 あとで潮美の言うには、「少し止まって握手ぐらいするのかと思った。あっという間に通り過ぎて行くのでは、私がコメントすることも出来ないじゃない。」
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 しかし、私の頭の中にあるのは、100mまで矢のように突っ込んで行く、アランの姿だった。
 25mまでは瞬間的に到着してしまう。せめて50mまで行かせてもらえば、かっこうが付くのに、その50mまでとしても1分もかからないのだ。
 しかし、そんな矢のような潜降は危険が多いと言われる。昨日のリハーサルでも、あんなにもたついていたのに、潜降速度が速すぎるといわれた。潜降速度が速すぎることも25mに制限された理由の一つである。
4)ステージの上では、タンクのマウスピースを口から放して、サーフェスサプライのナイトロックスに呼吸を切り替える。36%の酸素と64%の窒素の混合ガスである。
できるだけヘリウムを吸っている時間を短く、酸素分圧を高くしておいた方が減圧停止が短くて済むからだ。
5)11時29分20秒、水深50mに到着する。
 私の潜水時間では2分5秒だ。自由降下でも全く問題ないはずだ。そのために、なんども同じ装備を使って、ただし、充填したのは空気で、60mまで潜る練習を重ねたのに。
 50mで40秒停止して、ホースからの送気もヘリオックスに変える。田島はステージの外に出て、垂れ下がったホースを整理してステージに固定する。
6)水深75mでもう一度停止して、ホースの固定を行い20秒停止する。このような潜降と浮上、ガスの切り替えは全て河野さんがやっている。私が付けている有線通話機のレシーバーは50mと75mの間で聞こえなくなってしまった。水圧がスピーカー素子を圧迫して、振動板が動かなくなってしまっているのだ。このことは予想していたことなのだが、三浦さんには知らせていなかったので、「故障して通話が出来なくなりました」とコメントされた。
 田島のカービーモーガンは、100mで使っている仕様なので、通話に問題は無い。
 私の通話機は音質を重視している。対圧力を改善する時間の余裕が無く、60mまで通話できれば良いと見切ったものだった。
7)再び潜降を開始して水深88mで、呼吸を背中のタンクに切り替えてステージを離れた。一人で潜降するところを撮影してもらいたいので、ROVが接近してくるのを待ち、ROVに写されながら潜降した。
8)水深102mに膝を着けたのは、11時35分30秒、私が水面を離れて、潜降開始してから8分20秒であった。
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海底は小さいヤギの類と、海イチゴのような小さなソフトコーラルがあり、何の変哲もない海底だった。近づいてきたROVに向かって、海底の砂を手にしてちょっとポーズをとり、直ちに浮上を開始した。潜水時間は9分25秒、底に居たのは数十秒だったはずだ。
8)90mに静止しているステージに向かって泳ぎ戻った。身体が重くて、フィンで掻いてもなかなか浮き上がれない。ドライスーツの中のアルゴンは空気より重いので、普段とは勝手が違う。ステージに戻るのに、20秒かかった。100mから90mにもどるのだから、水深の差は10m、規則で決められている浮上速度は10mを1分で浮上するのだから、これでも速過ぎるのだが、もどかしく感じた。


さて、この潜水で予定していた潜水時間、潜水時間とは水面を離れてから、着底し、底をはなれて浮上を開始するまでの時間だが、15分を予定していた。9分25秒で浮上を開始したからずいぶん短くしてしまった。
後でニュースステーションに出演した時、久米さんから、「30年もかけてようやく到達したのに何もしないですぐに戻って来てしまったのはどうしてですか?」と聞かれた。「到着することが目標でしたから」と答えた。
 実は話せば長くなる理由がある。
 いつか、日本テレビがエベレストの頂上にテレビカメラと中継器材を上げて、山頂よりの中継をやった。何度も一緒に仕事をしたことがある北野さんというエンジニアが技術の責任者だったから、筆舌につくせないくらい大変だろうな、と眼を凝らして見た。本当に良い天気で、山頂からの中継が、エベレストから見下ろすヒマラヤの山並みを360度のパンで映し出した時は、本当に涙がでるくらい感動した。それでもう良い、十分なのだ。
 すぐに下山するのかと見ていたら、ちょうど五月だったので、ザックから小さい鯉幟を出して、飾ったりしはじめた。どうしたことだろうと思っているうちに今度は酒をだして山頂に注いだりしている。登山の時期だったので、他の国と登山隊とも協力しあっての登山だったのだろうか、後から中国の登山隊が登ってきた。山頂に立って周囲を見回し、写真を一枚二枚撮ると、日本人と挨拶を交わして、ざっざっと靴音を立てるような感じで降りていった。その間2-3分だったろうか。これが本当のプロだと思った。日本人は、そのあとも、ふるさとのお父さん、お母さんと結んでの中継を始めた。ここまで来て、「何を考えているんだ!」とテレビに向かって怒鳴った。酸素の薄いところ、分圧の低いところに長い時間留まれば、脳に影響がでる。酸素不足は恐いのだ。その点で、深くに長く居ると潜水病になる潜水と共通点がある。このエベレスト登山は全員無事の下山はラッキーと言えるような、事故寸前の状態での下山だった。くだらないセレモニーのために、事故が起こったらどうするつもりだったのだろう。
 私は余分なことはしない。何よりも大事なことは、ニコニコと再圧室から出て、みんなで喜び合わなければならない。100mの砂を持ってきてもただの砂だ。ヤギをむしってきても、珍しい種類ではない。到着した姿がカメラに映ればそれだけで良いと思っていた。


 9)11時45分、水深45mまで浮上、須賀の浮上時間で約9分
  2分30秒停止して、ホースからの送気で空気を呼吸する。このホースには純酸素も通すので、空気と言っても、酸素20%窒素80%の不純物を含まない人工空気である。
 10)3m浮上するごとに20秒から30秒の停止をしながら浮上し、11時54分56秒、須賀の潜水時間で約8分かけて、水深33mでステージ停止。浮上を開始してから約17分。
 呼吸ガスを36%酸素、64%のナイトロックスに切り替える。
 ここまで浮上して、通話機のレシーバーが生き返った。圧力が減少したからだ。
 重いタンクを外して、代わりにウエイトとベストを着けて浮き上がらないようにした。
 浮上する間にフルフェースマスクを着ける準備をする。
 若いときの顔が破壊されるようなマスク、そして潮美のニュースステーションのマスクから、この実験のマスク、ダイブウエイズの武田さんの力作だ。本当は、底までこのフルフェースマスクで行く予定だった。しかし、私の潜水では危ないと言われて、マウスピースで潜った。最後はフルフェースマスクにして、水面の三浦さんと会話をしなければならない。
 マスクの準備をしている時だった。右肩の芯が、針で刺すような痛みが走った。マスククリアーで腕を動かしたからだろう。針で刺す痛みは一回だけだった。が、減圧症だ。


11)停止と浮上を繰り返して、12時8分 浮上を開始してから18分で水深18mまで上がってきた。三浦さんと交信する。フルフェースマスクを通しての会話だから難しい話はできない。三浦さんから、私が100mの底で、ROVに映っていた時間は、ほんの十数秒だったと知らせてくれる。三浦さんは役者だから、自分だったらこうするというパフォーマンスがたくさんあったのだろう。


12)共同通信の新藤さん、地元の伊藤さんが降りてきて、スチルを撮ってくれる。100m潜水おめでとうという看板を持ってきて記念写真を撮ったが、乾ディレクターは、自分の演出プランの中に無いパフォーマンスだからと、番組では使わなかった。9mで30分の減圧停止をして、
12時55分、浮上を開始してから1時間10分で浮上を終了して船に乗り移る。
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13)およそ2分で再圧室に入り、1.5気圧、水深5m相当まで加圧した。この間の時間は3分以内が限界だから、まずうまく出来た。
心配したのは、ヘリウムを吸ったことによる寒さと、トイレだった。ヘリウムを呼吸すると、なんとなく、身体の芯が暑いような寒いような変な感じになる。身体の芯、すなわち直腸温だろう。これが36度を切ると危ない。震えが来ると直ぐに耐えられなくなり、ヘリウムで満たされている身体は、凍えてしまう。冬の2月であり、水温は14度だ。ウェットスーツの中にそそぎ込む温水器が必要だが、この潜水ではドライスーツであり、温水器は用意していない。ほとんど寒さを感じないで、浮上してきた。ところが9mでの減圧が残り1・2分になった時、急に寒くなった。危機一髪だったのかもしれない。
 ダイバーとしての最盛期にあたるだろう40代には、私は水中で寒いと思ったことは一度も無かった。竜泉洞の9度の水でも長い減圧で寒いと感じなかった。冬の福島県沿岸で、蔵王連山が雪をかぶり、蔵王降ろしの吹く中で、水から上がってウエットスーツを脱ぎ、真水をかぶっても大丈夫だった。そのころは、冬でもほとんどウエットスーツで過ごした。60歳では、寒がりの部類に入ってしまった。
 トイレの方も近くなっている。水を多量に飲まないと、潜水病になる可能性が高くなる。がぶがぶ水を飲んで潜る。もらす心配でオシメを試してみた。どうしてもオシメの中にすることができない。オシメを着けてトイレに座っても出せないのであきらめた。再圧室に入ってから、便器を入れてもらった。
 再圧室の中からも、三浦さんと会話をした。皆とも挨拶した。
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14)再圧室は1.2キロ、水深12m相当に加圧して、20分間純酸素を吸い、5分のエアーブレイク(5分間、普通の空気を吸う)計35分を1セットとして、4セット、2時間20分を予定していた。
 純酸素の減圧に入ったら、肩の奥が疼く愁訴は無くなるだろうと予想していた
 とにかく、笑って元気で再圧室から出なければならない。
 3セット目に入っても、肩が重い。田島に相談した。とにかく皆には黙っていてくれ、もしも悪化するようだったら、6時間の治療に入れば良い。このまま船は平成港に向かうから、治療しながら走れば、向こうに着くまでに治療は終わるだろう。
 石黒さんに、もう1セットだけ酸素を吸わせてくれと頼んだ。理由はどうも少なすぎる気がすると言った。肩のうずきについては黙っていた。
 特にテーブルを定めずに、最終の酸素吸入は好きなだけする、というアランの方式が一番良いと思った。


15)とにかく笑って再圧室から出た。なんと、肩の重さは消失している。
 しかし、タッチアンドゴーで、戻ってきたのは正解だった。時間いっぱいまで100mに居たら、横須賀まで、出られなかったかもしれない。

 良かった。みんなのお祝いと私のお礼、全部あげればきりが無い。
 みんな私のダイビングを楽しんでくれたように見える。笑顔また笑顔だった。
 レクリェーションダイビングのダイバーが、このようなシステム潜水の体験をすることは、ほぼあり得ないことだから、それができた。予算さえあれば、このような実体験フェスティバルをやるのも、悪くない。三浦さんに、110mでどうですか?水を向けてみた。笑って首を振っていたが、その三浦さんは、チョッモランマ、エベレスト登山の番組をやったあと、亡くなってしまった。エベエレスト後の110mは、悪くなかったと思うけど。


 翌々日、事務所に出たら、大岩先生からお花が届いており、嬉しかった。


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  右は総指揮の石黒さん。彼のおかげでこの潜水ができた。左は再圧タンクメーカーの羽生田鉄工の社長、羽生田さん、自らおいでになって、再圧室のコントロールをしたくださった。
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 ディレクター、演出の乾さん

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左から後藤先生、渡辺信広 須賀 三浦さん
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潮美 一人置いて 塩脇(木村)
 
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スガ・マリンメカニック チーム左端 田沼健二後にスガ・マリンメカニックを引き継ぎます。
他にお世話になった人、多すぎて写真載せきれません。





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