リハーサル (60歳の100m潜水―6) 潜水地点は、館山をやめて、伊豆の八幡野に決めた。八幡野のダイビングセンターの河合社長のご好意、そして他のスタッフにはご厄介をかける。 館山をやめた理由は、この時期の風は北西が強く、北、もしくは西が風に入っていると、館山湾は波が立ち、潜水できない日が多くなると思ったのだ。大きな新洋丸のチャーターが一番の出費である。日立てで、50万、それでも、斉藤社長のご好意で、特別価格である。 予定日には必ず凪が欲しい。伊豆半島の東側は、北西の季節風に対しては山陰になる。岸近くは凪が見込める。
1月30日 (火曜日)クルーは朝、0830に横須賀平成港に集合して、器材の積み込みをやる。私は行かなくても良いと言われた。風邪でもひかれたら大変だから、ゆっくりしてくださいと言われた。それでも行かなくては、と12時ごろ港に着いた。山のような装備だ。深田サルベージのサルベージ船新洋丸(498.86トン)のほとんどの甲板スペースが、通路も含めて満載になる。アランの小さなボートに比べで100倍に近い重さだ。 こんなに多量の装備が必要だとは想像できなかった。 風が強い。吹きさらしの平成港に居ると本当に風邪をひきそうだ。 結局新洋丸は、出港しなかった。波浪で船が揺れて器材が破損したら、大変だ。 と思ったのだが、東伊豆までの往復は考えていなかった。
1月31日 (水曜日)午後一時、1300に、私も新洋丸も八幡野に到着した。 昨日よりは風が収まったが、北西ではなくて、南西の風が強い。岸近くでは波高は1.5mだが、風で船が流されるので、アンカリングが出来ない。ここは、港から数百メートルのところに水深100mがある。東伊豆の海は急峻である。港から近く、深い水深であることが、ダイビングには好都合だが、アンカーを打つことを難しくしている。500トンの船の取り回しなど、まったく想像もできなかった。結局アンカーを入れるのに2時間以上かかって、この日の作業は終了した。これで、まる二日、100万が飛んで行った。
2月2日 (金曜日) 今日の予定は、予行練習だ。南西の風はまだ吹いていて、八幡野では潜れない。出港して潜れる風影を探して、午前中は船を移動させた。 午後になり、伊豆海洋公園の伊東よりに、風の陰を見つけてアンカーを入れた。ようやくステージを水面に降ろせる。 田島の乗ったステージが降りて、水深25mで止まり、私は潜降を開始した。 今回保温のために、ドライスーツに入れるガスとして、アルゴンガスを使った。アルゴンのほうが、空気よりも熱の伝導率が低い。別の小さいボンベにアルゴンを入れて、二本組みのタンクの間に挟みこむようにした。アルゴンガスは重く、粘性が高い。BCD、ドライスーツへの注入と排出が空気のように敏速に出来ない。そして、ドライスーツに入れた状態でも空気よりも重い。普通には、1キロ程度重めにウエイトを着けるのだが、アルゴンの重さを考慮して、1キロ程度軽くしてウエイトを着けた。
背中に背負う14リットルの二本組タンクには、12%の酸素と88%のヘリウムの混合ガスだ。水面から25mの間は、通過するだけの短時間であれば12%の酸素でも大丈夫だが、25mまでで全部の潜水時間を過ごすとすると、12%では酸素欠乏の恐れがある。20%酸素のヘリオックスを充填した10リットルのアルミタンクを別に手に持って潜ることにした。ステージに乗ってしまえば、ホースからの送気、サーフェスティバルサプライに切り替えるので、このタンクは手放す。※本来ならば、別のガスを詰めたタンクは、身体の横に肩掛け式(サイドマウント)で吊り下げて、手の使用は自由にしておくのだが、この時には一時的で、25m潜降すればこのタンクは手放すのだから、手に持って行った。ウエイトを軽めにしていたので、水面からの潜り込みがスムースに行かず。更にウエイトを追加するかどうか迷った。
フルフェースマスクは、内容積が大きい。マスクの排水には時間がかかる。これは充分に練習していたのだが、ウエイトが軽く腰が落ち着いていないので、スムースではなかった。監視カメラで見られていると思うとあせってしまって、なおのことうまく行かない。ようやく何とかできた。田島雅彦の身体の動きを見ていると本当にスマートで流れるように動作する。私が彼をリードしてダイビングをしていたのは、10年前で、50歳ごろだった。ガスパージについて、水面の河野さん(ガス供給の責任者)から指示があったのだが、レシーバーからの指示を聞いていない。フルフェースマスクの水抜きに集中していたので聴き落としてしまったらしい。水面にステージを吊り上げて、すばやく船に移り、再圧室に入り、圧力をかける。これは2分以内に出来たので、これで良いと思った。田島に注意される。急ぐあまり、ステージの上でマスクを外し、ホースも外した。これは、船に乗り移ってから外さないと、もしも何かが起こって、海に落ちた時に溺れてしまう。しかし、それにしてはホースが短い。私の動作にも、ホース周りの装備にもいくつか改善点がある。練習なのだから、悪いところが見つかればそれで良いのだと私は思っていた。船の上のテレビで私を見ていたクルーは、とてもこれでは潜れないと心配した。後藤與四之先生などは、もう私はやめにして、代わりに潮美を潜らせろと言っていたらしい。素もぐりの達人でもある後藤與四之先生としてはむりからぬ提案だ。親父がうまく行かないので、娘が潜るというのはストーリーになる。私が水面での監督だったら、私の今日の姿は落第であろう。田島と同じ程度に動作が出来なければ、安心できない。私を除いて、行われたミーティングは、このシステムを運用したのは、これが始めてだったこと、私がホースとステージを使った潜水の経験は、釜石湾口の水深70mの調査だけで、その時もあまり上手ではなかったが、無難に作業をこなしていた。それから、何年も経って身体が忘れているのだから、明日はうまくやるだろうという好意的な意見と、やはり駄目だという意見が対立して紛糾した。最終結論は石黒さんが決定した。50メートルまでの自由降下は、25mまでとする。このテストを少し甘く見ていて、やってみて不都合が見つかれば改善すれば良いと考えていた。どんな潜水でも十分な練習が必要である。練習をする時間は全く無かった。それでもとにかく、一回でもリハーサルが出来て良かった。
ハミルトン博士のアドバイス「君は、決して自分の判断で行動してはいけない。すべて、細かいことでも、船上のトップ(コントローラ)、とスーパバイザーの指示に従わなくてはいけない。」 そういうことなのだ。技術の問題ではなくて、姿勢の問題なのだ。 そのことが、はっきりわかったのだから、これで良い。あくまでも、前向きに行く。