すでにジャムステックは、有人潜水 すなわちダイバーという人間が直接海に潜る潜水の実験からは撤退してしまっている。日本で混合ガス潜水、飽和潜水について実験を続けているのは、久里浜にある海上自衛隊の潜水医学実験隊だけである。
実際の海でヘリオックスを呼吸する前に、潜水医学実験隊の施設でシミュレーションをやって見たい。これを機会にダイビングのすべてを紹介しようとしているテレビ番組も430mの海上自衛隊の実験を取材したい。
430mに潜ったダイバーが、飽和減圧中だったので、インタビューした。ヘリウムボイスで通訳なしではききとれなかった。
すでに退役されていたが、海上自衛隊の潜水医学の総括をされていた大岩先生にご紹介をいただいた。大岩先生は、私が一応高齢と言える60歳で意味も無く100mに潜水することについて、最初に相談した潜水医学の泰斗である。大岩先生ならば、なんでも賛成してくれるにちがいない、という確信もあった。大賛成してくれている。
10月には、丁度行われていた430mの飽和シミュレーション潜水の取材をした。430mとは、日本の潜水艦が潜れる最高深度らしい。その10月には実験隊のドクターが不在であり、施設を使うための健康診断を受けることが出来なかった。
私は高血圧症だ。河合先生に主治医になっていただいて、脳の血管をMRIチェックし、消極的な許可をもらっている。
潜水医学実験隊の妹尾ドクターのもとに、潮美と一緒に健康診断を受けに行く、彼女も、一緒に再圧室に入り、60mそうとうの圧力でヘリオックスを呼吸する予定だ。
先生がが僕の血圧を計ったが三回計っても160/100以下に下がらない。後藤與四之先生、大岩先生、そして今目の前にいて血圧を計ってくれている妹尾先生らがかかわって、スポーツダイビングの健康基準についてのシンポジュウムが、1993年、横浜で開催された。このシンポジュウムでテキスト的に紹介されたのが「スポーツ・スクーバダイバーのための健康診断:ジェファーソン・デイビス編」で血圧についての基準などがしめされている。
「最高/最低血圧の両方またはいずれか一方が160/ 100を越えるものを高血圧症といい、アマチュアであれば、直ちに潜水を中止する。血圧をコントロールして140/ 90以下に安定させなければ潜水を再開できない」と述べられている。後から考えれば、降圧剤を飲んで、コントロールすればよかっただけなのだが、薬を飲むということに抵抗感があった。
このジェファーソン・デイビス編の健康診断基準では、さらに運動負荷心電図について、「基準値を設定し、すべてのダイバーについて血清脂質、危険因子解析、安静時及び運動負荷時の心電図検査、さらに運動負荷シンチグラムの検査結果が得られるような周期的心血管系スクリーニング検査プログラムを実施することが理想であろう。しかしこのようなことはスポーツダイバーにとっては実際的ではない。というのは潜水医学に携わる医師は更に検査を広げ、高い危険性のある人々を見いだそうとするからである。スクーバダイビングをしようとする四十歳以上の人たちや四十歳以下でも体調の良くない人たちにたいしては、運動負荷心電図検査を行うべきであるというのが本書初版での示唆であった。スクーバダイビングに参加するとなれば、約十四メッツ(METS)を達成することが必要とされるであろう。運動負荷心電図に異常が認められるような者については、運動負荷心電図とともにタリウムシンチグラフィーを行うか、更に可能であれば冠動脈造影を行うことが良いと思われる。以下略」
メッツ(METs)とはメタボリック・イクイバレンツを略したもので、安静時の代謝で必要とされる酸素要求量を基礎として、運動をしたときにその何倍なっているかを示している。要するに運動の強さを示す数値である。トレッドミルに乗って負荷をかけるときに、何メッツまで負荷を掛けるかを決めたり、あるいは、完全にまいってしまったオールアウトの状態で何メッツになっていたか、というように使う。スクーバダイビングをするためには、一四メッツまで耐えられなければならないということだ。。
私の場合には、運動負荷心電図ではなく、ホルター式心電図計を水密ケースに入れて、身体に取り付けて、プールで1000m泳ぐテストを行った。このほうが14メッツをかけるテストよりも潜水の実情にあっていると考えたのだ。
しかしとにかく、トレッドミルに乗って14メッツでの心電図を測定し、妹尾先生に提出することになった。
トレッドミルとは回転する走路である。回転する走路の上を走れば、一カ所に留まったまま、早く走ることができる。走路の速さを増やして行けば、上に乗っている人間は走らないわけには行かないので、強制的に走らせられる。さらに走路の傾斜も変えることができるので、きつい上り坂にすることもできる。走路の速さと傾斜を組み合わせて、意図する運動負荷を加減してかけることができる。心電図計を身体に付け、血圧計も身体に付けて、トレッドミルの上を走りながら心電図検査をする。
潜水医学実験隊は、国の施設である。しかも、規則には絶対従わなければならない自衛隊の施設である。妹尾先生としては、120%の安全が保証されなければ民間人である私に施設を使わせる許可を出すわけには行かない。
施設を使はなければとりあえずは問題ないのだろうが、ルール違反を指摘されて、潜水を実行し、もしものことがあれば、主治医をお願いした河合先生の立場がなくなってしまう。
酸素耐性テストは、潜水医学実験隊の施設でやらせてもらえることになった。(荏原病院でもこのテストをおこなった。施設紹介としては、わかりやすいので)再圧室に入り、1.8㎏/c㎡(ゲージ圧)、水深18m相当の圧力をかけた上体で、純酸素を30分間呼吸する。実際の潜水で、純酸素を呼吸して良いのは、水深4.6m相当、ゲージ圧で0.46㎏/c㎡までだ。
酸素中毒になって痙攣状態になった場合に取り押さえたり、舌を噛まない様に処置したりする兵隊さんが一人ずつ付き添って、潮美と一緒にテストを受けた。二人とも問題なく通過したが、誰でも通過すると言うものでもない。また、この日に通過しても、別の時には酸素中毒を起こすこともある。しかし、まずまず、純酸素を呼吸しての減圧は行うことができる。
とりあえず、潜水実行日を11月28日と決めた。
テレビ番組放送の時間が、1月中旬に内定している。2時間の特別番組である。これに間に合わせるためには、11月のうちに潜水を実行する予定にしなければならない。
館山の船形漁業組合に、潜水の許可をもらいに行った。なんと、組合長は、第一回目の大深度潜水をやった当時に私の潜水に何度か付き合ってもらった船頭の田川さんだった。問題なく、協力を約束してくれた。
約束どおり、順天堂大学病院でトレッドミルによる運動負荷心電図をとった。担当の医師がついて、緊急医療の準備もととのえて、胸に心電図計のセンサーをつけ、腕には血圧計を巻いてトレッドミルに乗る。最初はゆっくり、段階を付けて、次第にミルのスピードが速くなり傾斜がきつくなる。心臓や肺が苦しいというよりも、走る足が棒のようになる。毎日水泳はクロールで一〇〇〇メートルずつ泳いでいるが、ランニングは殆どしていない。毎日走っていれば、足が棒にはならないのだがと思いつつ頑張る。耐えられなくなる前に機械がとまって、トレッドミルの計器はアカランプが点灯し、ブザーが鳴っていた。そばにあったベッドに腰をおろした。担当していた医師は、「一〇〇メートル潜水は、止めた方が良いのではないですか。」という。
後で、聞いたところでは、一四メッツを越えて、一六メッツに近づいていたそうで、血圧は二〇〇/一八〇になっていた。走るのを中止して、ベッドに腰を下ろしてからも不整脈は一〇分間ぐらい続いたそうだ。つまりかなり危険な状態だったらしい。河合先生は、16メッツもかけて、もしものことがあったらどうするのだ、と言っておられたが、自分としては、それほどつらくはなかった。
この負荷心電図の検査を経験して、以前に起きた法政大学合宿の立ち泳ぎ事故の要因がわかったような気がした。立ち泳ぎで倒れた彼も、それほど苦しくはなかったのではないだろうか。私がオールアウトに近づいて、不整脈が多発していても苦しさはそれほど感じなかったように。だから寸前まで泳ぎ続けられた。それに、合宿ではスキンダイビングのトレーニングを重ねていたから、苦しさに耐えることにはなれているはずだ。息こらえは苦しさを耐えることそのものなのだから。
水流を機械的に作り出して、水流に逆らっておなじところに留まって泳ぎつづける、スイミングミルという装置もある。スイミングミルでの泳法の研究が大選手を生み出す一助になっていると聞く。立ち泳ぎは、ダイビングにおけるスイミングミルのようなものだ。自由に負荷を大きくし続けることが出来る。スイミングミルのようなものであるからこそ、この事故は起こったのだろう。もちろんギブアップすることはできるのだが、私がトレッドミルに乗ったときも、14メッツになったことがわからず、オールアウトになるまでギブアップしなかった。しかも危険な状態になったのは計器でわかったのであり、自覚はしなかった。
それにしても、高齢でダイビングを始めようとする人に一律に一四メッツを要求して負荷心電図をとることは危ないのではないかと思う。そして、高齢化社会を迎えて一四メッツが達成しなければスポーツダイビングを行うことはできないとすれば、ダイビング業界は壊滅する。。
レクリエーションでも負荷心電図の検査は必要であろう。しかし、トレッドミルに乗る負荷心電図ではなく階段を上がり下りする程度の軽い負荷での心電図検査で充分なのではないだろうか。検査のために心臓発作を起こしてしまっては本末転倒である。
私はこの100m潜水が終わった後、四〇〇メートルをフィン・マスク・スノーケルを使って泳ぐプール競技に毎年参加し、六〇歳代の部で、65歳まで優勝を続けた。60歳から競技に参加したのだが、毎年、自分の記録を伸ばし続けた。、
最初の一〇〇メートルはある程度セーブして泳ぐ。二〇〇メートルから三〇〇メートルの間が辛い。競技を棄権しようとさえ思う。ペースをスローダウンさせて、呼吸を整える。三五〇メートルを越えたら最後のダッシュをしてフィニッシュする。自分でペースをコントロールできるから完泳できる。苦しいときに自分の意志でペースダウン出来なければ危ない。
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高円宮様がスカッシュをプレイしていて、心臓突然死(SCA : Sudden Cardiac Arrest) で亡くなったことから自動除細動器についての関心が高まった。国外ではサッカー選手の心臓突然死の例がいくつか、ニュースで紹介された。
立ち泳ぎの事故はおそらくは心室細動による心臓突然死だったのだろう。電気的自動除細動器が海洋公園にあれば助かっただろうか?
トレッドミルによる検査のデータを潜水医学実験隊に持参した。が、「100mのみならず、プールで泳ぐことも禁忌の状態かもしれない」と忠告された。
妹尾先生の忠告は、心からのものだった。これには答えなければいけない。また、無理にもお願いした河合先生にご迷惑をかけることはできない。
大岩先生、後藤與四之先生、妹尾先生らが、かかわっている「スポーツ・スクーバダイバーのための健康診断:ジェファーソン・デイビス編」では、「運動負荷心電図に異常が認められるような者については、運動負荷心電図とともにタリウムシンチグラフィーを行うか、更に可能であれば冠動脈造影を行うことが良いと思われる。」と書かれている。ならば、冠状動脈造影を行うしか道がない。もしそれで駄目ならばあきらめよう。
その時点で、予定日の11月28日まで一週間もない。延期を決断し、関係先に電話で連絡をとった。このまま決行して、自分では成功すると確信はしているが、データーもそろえずに命がけの特攻をやったと言われたら、この潜水の意味が無くなるし、お世話していただいた医学関係者に迷惑をかけてしまう。。結果オーライではいけないのだ。
スガ・マリンメカニックの河合君が、私が潜る予定だった館山湾の100mポイントをROV(自走式無人ビデオカメラ)で撮影してくれたので映像を見た。大潮だったが流れも少なく100m点では透視度も良い。今となっては悔しいだけだ。
ハミルトン博士から船上減圧の表が送られてきた。
気分は完全に心臓病患者になった。胸のあたりに不定愁訴があり、息苦しく、身体がだるい。
予約していた潜水母船、500トンの新洋丸のスケジュール変更が大きな問題になった。キャンセルしてしまえば、この線は使えなくなる。とりあえず、延期でおねがいした。
11月27日
冠状動脈造影検査のために入院。急だったので病室が無く、特別室に入ることにしてしまった。どうせ三日で退院するのだからと、贅沢をしてしまった。
本当に良いお天気で風もない。予報では明日も良い天気だ。予定では今日が器材の積み込みだ。絶好の天気で出港できたはずだ。世の中はこんなものだ。手術検査をする桜井教授が話しに来てくれた。豪放磊落な人だ。河合先生も顔を出してくれる。
11月28日
潜水の予定日に冠状動脈カテーテルをやる。皮肉なものだ。ストレッチャーに載せられて手術室に向かう。これはもう本格的な手術みたいな検査だ。
ベッドに移されて、心電図のセンサーと身体に取り付ける。心電図のモニターを見て波形を観察する。息を吸い込むと脈拍が67から70ぐらいまで上がり、息を吐き出すと63ぐらいに下がる。こんなことは知らなかった。麻酔はいつされたのかわからない。腕だけの局部麻酔だから、話もできる。
腕の動脈の部分を切開してカテーテルを入れる。血管の中を通して行くのだから、細い管だと思っていたが、意外に太いので驚いた。動脈と言うのはずいぶん太いのだ。だからもしも外傷で切断されてりしたら、血液が失われてしまう。すぐにカテーテルは心臓の入り口まで来てしまった。入り口を求めて、カテーテルが首を振っている。桜井先生が操作している。「ハイ、シュート」先生が言うと、カメラが音を立てて廻り始める。35mmのフィルムカメラだ。ちらっと横目で見ると、アリフレックスらしい。造影剤が入ると身体が熱くなる。
冠状動脈も、腹部の動脈も、心臓もなんとも無かった。
妹尾先生にお礼状をだした。
「本来ならば、計画の当初からこの検査を受ければ良かったのですが、カテーテルを血管に入れる恐怖は、100m潜水を超えるものであり、河合先生に無理を言って、他のテストで代用させていただいてしまいました。もし、最初からやっていたら、先生にご心配もかけず、自衛隊の施設も使わせていただけたかも知れません。
人間の身体は本当に微妙なもので、診断の次の日からは、血圧も下がってしまいました。・・・・」
妹尾先生からは、丁重なご返事をいただいた。
素もぐりで世界で最初に50mの壁を越えたジャック・マイヨールは、それまで30mが素もぐりの限界といわれていたのに、なぜ壁を越えられたのかを究明するために、すごいことをやっている。水中にレントゲン装置を水深30mに持ち込み、動脈にカテーテルを入れたまま、素もぐりして、水中で造影剤のパイプをつなぎ、心臓付近の動脈の撮影をしているのだ。血も氷るような話だ。
私は、順天堂病院の特別室に入院して、カテーテル検査をやった。
その後、マイヨールを越えて深く潜るダイバーが続出している。しかし、誰が何メートル潜ろうと、このカテーテル検査だけで、マイヨールの勇気には遠く及ばない。しかし、マイヨールはその後、何年にも渡って、動脈の感染症に悩まされたという。
動脈カテーテルによる、冠状動脈撮影は、決して安全な検査ではないらしい。順天堂病院は、これまで無事故を誇っている。一方、病院によっては、事故を起こして他の病院に転送する例もあるそうだ。
心疾患が認められない人に対して、検査だからと言って冠状動脈検査をやるのは、犯罪ではないかという先生も居る。私の場合は高血圧症という事情があり、しかも、100mへのチャレンジというタイトルだ。できるテストはすべてやるべきだったのだが、医学には、大きな巾がある。
そして、今回の潜水は、医学的なチャレンジ、メディカルチェックへのチャレンジだったことを改めて、思い知った。人が生きるということは、概してそういうことなのだろうが、ダイビングという行為はそれを際立たせる。
※この文章は、以前に書き、出版はしていない「ブルー・ディープ」の原稿を下敷きにしてリライトしている。現在、2020年の考えは、この項の終わりに補筆する。