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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0828 RD 60歳100m潜水 2  アランの潜水

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 CMAS(世界水中連盟)の日本支部をFEJAS(フェジャス)という名称で立ち上げ、三笠宮殿下を総裁にしてしまうという離れ業をやってしまった、関邦博 神奈川大学教授(当時)は、ジャック・マイヨールを日本に紹介した人でもある。「イルカと海に還る日」は関さんが書いた。関さんは、毀誉褒貶が大きいが、僕とは、助けたり、助けられたりの仲であった。これらのことは、「ダイビングの歴史」で書くつもり、書かなくてはいけない。書く義務?があると思っているのだが、それは、置いておき、関さんは、ある時期、サンゴの研究に集中していた。
 一般ダイバーは、サンゴというとサンゴ礁を造る造礁サンゴのことを思ってしまうが、ここでのサンゴは「金銀珊瑚綾錦」と言われる宝石珊瑚である。今頃の若い女性は、宝石珊瑚を身につけたこともなければ、触ったこともないのではないだろうか。「コーラル・ルネッサンス」珊瑚を今再びというプロジェクトを珊瑚取扱商社が企て、関さんの研究と係わるようになったが、これは関さんが売り込んだ企画だろう。
 珊瑚は動物である。やがて、希少生物を採集したり移動したりすることを禁じるワシントン条約の対象になるのではないかと珊瑚商社は気遣う。サンゴの人工的な養殖が成功すれば、養殖した珊瑚はワシントン条約の対象にはならない。いや、地中海あたりの珊瑚商、富豪は、もはや、十分な量のストックを持っていて、条約で採れなくなれば、値上がりするから採算はとれるとか。珊瑚のもう一つの消費の中心の中国は、そんな条約などものともせず、小笠原に密漁船を送り込んだり。
 日本も珊瑚の生産地である。小笠原、四国の高知、九州の男女群島、奄美大島、沖縄などで水深100m以上の岩礁に珊瑚が生きている。ここぞと言うところに鉄の採集器を降ろして曳き廻す。この方法では折れ砕かれて採集できない部分も多い。小形潜水艇、あるいはダイバーによる方法が良い。
 宝石サンゴの本場の地中海、サルディニア、コルシカでは、ダイバーによる採集が日常的に行われている。
 日本で、養殖のために珊瑚の棲息場所の状況を調査しつつ採集しようと、関さんは二人のダイバーをコルシカ島から呼んで、四国・高知の足摺、今でも毎年のようにお世話になる、宿毛の森田さんのところをベースにして、潜水させた。アランとエリの二人である。私がこの珊瑚プロジェクトに係わったのは、水深80m以上で壊れないスチルカメラを用意することであった。
 日本にやってきた二人のコルシカ島ダイバーに、浜松町のホテルで会い、カメラを手渡して、使い方を教えた。この後、宿毛での、珊瑚採集潜水とその結末もおもしろいが、ここでは脱線しない。


 この100m潜水では、関さんに頼んで、コルシカ島にアランを訪ねて、彼の潜水方法を詳細に見て、要点を教えてもらうことにした。
 60歳100m潜水のテレビ番組は、二時間枠の番組になった(大作)なので、僕の100mでは、1時間しか持たない。自分の潜水の他に、スクーバの発祥の地である地中海をレポーターになって旅をする計画になた。
 ジャック・イブ・クストーにも、アポイントをとったが、体調不良ということで、パリまで行きながら、現地でキャンセルになった。その後まもなくクストーは、亡くなる。返す返すも残念だ。
 モナコでは、海洋博物間を訪ねて、未だ、奮闘中だった三宅島潜水博物館との提携を申し入れて、快諾を得た。副館長のシモーヌさんは、水産大学に留学していたことがあり、宇野教授の教室、僕の後輩になる。
 ニースにある、アクアラング発祥のスピロ・テクニックの工場を訪ねて、1943年に作られた、アクアラングのプロトタイプを見せてもらい、さわってもみた。これは、スピロの系列である日本アクアラングの上島社長(当時、同級生)の紹介で実現した。


 そして、ニースからコルシカ島のアジャクシオに飛び、さらに車で2時間、サルテーヌという町へ。ここで、珊瑚採り100m潜水を日常の仕事にしている、日本の宿毛にも来たアランのダイビングを見学取材する。関さんの紹介である。
 サルテーヌに泊まり、朝、アランの奥さんが迎えに来てくれる。ベトナム人の個性的な美人だ。
 先導する奥さんの車はルノーで、ホンダのオデッセイに似ている。舗装していない道の、しかも下り坂の曲がりくねった道を奥さんは平均80キロで飛ばして行く。ほとんど暴走族だ。30分で港に着いた。チザノという小さい港だ。小さな漁船が15隻ほどで満員になってしまう。
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 アランの船は40フィートほどの高速艇で一人用の再圧チャンバーが組み込まれるように積んである。
 アランがボロボロのジープでやってきた。お互いの顔は覚えていないが、東京の晴海埠頭、四国行きのフェリーの乗り場でカメラの受け渡しをしたことは覚えていた。一瞬にして古くからの親友のような気分になれる。
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 私はバイキングのドライスーツだけを持って来た。それにデジタルの小さなビデオカメラだ。タンクとウエイトを貸してくれるようにアランに頼んであったのだが、無い、という。彼は、必要とする自分の機材の他は置いていないという。愕然とした。何とかしなくては。
 タンクは30リットルくらいの予備があった。空気は100キロぐらい入っている。20mのホースがついたフーカーのレギュレーターがあった。これで何とかなる。鉛は周囲の漁船から、魚網の鉛をかき集めてロープに通した。これを腰に巻く。
 アランにはジャックという助手が居て、彼が殆ど全ての仕度、雑用、船の操船をする。アランはただ潜るだけに集中できる。
 出港して10分ぐらい走ると、今日の潜水予定点に到着した。目印に、ペットボトルが浮かべてある。タコ糸よりも、もう少し太い、水切りの良い丈夫な糸が海底に伸びている。この糸に沿って潜るのだ。
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 アランが背負うタンクは、二本組のタンク、これは10リットル程度のタンクを二本連結してある。二本のタンクの間に少し細長い12リットルぐらいのタンクを乗せて束ねてある。計三本だ。二本組には空気が詰められている。そして、一本がボトムガスで、今日は70%の空気に30%のヘリウムを加えてある。空気は酸素と窒素だから、このガスはトライミックスである。計算すると、14%の酸素、30%のヘリウム、56%の窒素になる。これで100mまで潜ると、空気で70mに潜ったのと同様な窒素酔いになる。アランは、この程度ならば窒素酔いに耐えられる。ヘリウムを多くして、減圧停止時間を長くするよりは、窒素酔いに耐えた方が良いという選択だ。毎日潜っているので、窒素酔いに対する耐性も強くなっているはずだ。
 ボートの上には親ビン(街の鉄工場でよく見かける、大きな酸素ボンベ。)が二本ころがしてあり、一本は酸素、もう一本は50%の酸素と50%の窒素の混合ガスが詰められている。これらは減圧用のガスで、フーカーホース式で供給する。
 
 私は先に入って、潜ってくるアランを迎えて、下に送りだす撮影をする。
 アランは、潜水前に瞑想して、これから水中に入ってからの手順、どんな風に推移するか頭の中でシミュレーションする。これをやらないと、危ないし、成功することもできない。アランはこの瞑想集中の時間を大切にしている。深く潜るダイバーは、いくつかのパターンがあるが、みんな潜水前の心の集中をやる。
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 7mのところまで潜って、水面の輝きを見上げるポジションでアランの飛び込みを待つ。
 アランは凧糸のような細い潜降索に沿って、矢が突き刺さるように潜って行く。手には、平べったい篭を持っている。篭には鉛が入っている。海底に到達したら、鉛は捨てて、この篭に珊瑚を摘み取って入れる。宝石サンゴと言っても地中海のこの場所の珊瑚は、人間の手の指くらいの太さで、長さも短い。磨けば真紅の色になる。奄美大島や小笠原にあり、潜水艇で採集している珊瑚は太い樹木のようなものもあり、一本が数千万円もするものもあるが、ここの珊瑚はそれほどのものは無い。みんなとりつくした。しかし、うまく当たれば一年分の稼ぎに近い金額になるという。小さい小枝で、経費を出しつつ、バクチ的な大当たりをねらう。ハンターだ。100mの海底で、100万、1000万の珊瑚をねらう。そして、海底の宝石珊瑚は、口では表現できないと、一度見たら、とりつかれると宿毛の森田はいう。窒素酔いもジャンキーになるのだから、相乗効果があるだろう。
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 私は一旦、船上に上がり、アランが戻ってくるのを待つ。
 海底では、トライミックスを呼吸している。これはタンク一本だけだから潜水時間は短い。水面から海底に降下する時間と、海底での時間、そして、50mまで浮上してくる時間、全部を加えたもので、だいたい15分ぐらいだ。50mまで浮上してくると、呼吸を空気に切り替える。方針としては、できるだけヘリウムを吸わないことが、減圧停止時間を短くする結果になる。それに、ヘリウムは、高価でもある。
 50mまで戻ってくると、アランは、空気を入れてふくらました黄色いマーカーブイを水面に上げる。黄色いブイにはもちろん細いロープが付いていて、そのロープにアランはつかまって、少しずつ浮上してくる。
 ボートはこの膨らませたブイをつかんでボートに上げる。ブイに付けられたロープはそのままだ。これでアランはボートと直接にロープで繋がったことになる。ブイのロープに這わすような形で、12mmぐらいのロープに10キロ以上のウエイトをつけた減圧索をおろす。減圧索には大きな白いブイが付けられている。白いブイは、水面に浮かすが、ブイと船とは、別の細いロープと取って結んであるので、船の縁から5mほどのところにブイがある。さらに、この減圧索に沿わせるようにして送気ホースを降ろす。送気ホースには、有線通話機の線と温水のホースが束ねられている。アランが50mの地点で待っているのだから、ホースの長さは、50mと決めていて問題ない。
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 アランが背負ったタンクから、降ろされたホースの送気に乗り換えると、電話線からアランの呼吸音が聞こえてくる。このあたりは、僕のケーブル・ダイビング・システムに近い。ホースから送っているのは、50%の酸素と50%窒素の混合気体だ。浮上・減圧の課程では、酸素中毒にならない範囲内で出来るだけ酸素の分圧の高い気体を呼吸することが、減圧の時間を少なくする。言い換えれば減圧症(潜水病)になる可能性を少なくする。
 テンダー(水面で世話をする人)のジャックは忙しい。最初に浮き上がった黄色いブイは、船に取り入れてあるのだが、そのロープを引き揚げる。ロープの先には、採取した珊瑚の篭が結び付けられている。無駄が無い。
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 珊瑚を処理しながら通話機を通じて送られてくるアランの指示に従って、アランの浮上に従って送気ホースを少しずつ手繰り込んで行く。
 浮上の速度をその時に計測していなかったのだが、毎分1mから2mの速度である。
 水深12mまで上がってくると、送気を純酸素に切り替える。通常、純酸素の呼吸は、酸素中毒を防ぐために水深4・6mまでとされている。しかし、減圧時間を短くするためには純酸素の呼吸が最高度に有効であり、ヘリウム-酸素混合気体潜水では、18mで純酸素を呼吸する減圧表もある。酸素に対する抵抗は個人差があり、耐性試験を行ってからでなければ水深4.6mを越しては純酸素は呼吸できない。
 私は潜水の仕度をして、減圧中のアランを撮影するために水に入る。
 アランは温水のホースを手首からウエットスーツに差し込んで、身体をゆすって温水を身体全体に行き渡らせている。ホースから温水を手に受けて見ると、ほんのり暖かい程度だ。船上に置いてあるのはプロパンガスを使う家庭用の湯沸かし器で、小さなものである。コンプレッサーの冷却水ポンプのような小さいポンプでお湯を送り出している。
 ドライスーツは首を締め付け、手首を締め付け、服の中の空気の浮力を相殺するために10キロ以上のウエイトを着ける。水中での敏捷性と快適性はウエットスーツに遠く及ばない。ドライスーツは敏捷に動けないし、体力が消耗させられるので、大深度潜水には向いていない。地中海のこの辺りは、秋の10月、普通のダイビングならば、ウエットスーツでも問題ない。しかし、長時間の減圧をする深い潜水では、温水装置が必須である。
 アランが手招きする。近づくと有線通話機のレシーバーを手渡してくれる。耳に当てると、水面からの指示で、「これからアランは、全部の装備を外すから撮影するように」と言って来た。
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 減圧コンピューター、ナイフなど小物をはずして、タンクのハーネスベルトにくくりつける。タンクを脱いで、ロープを下ろさせて、水面に引き揚げさせる。ホースの呼吸に切り替えているので、とうにタンクは不要になっている。アランは薄い3mmのウエットスーツを重ね着している。そのウエットスーツを水中で脱ぎ始めた。装備を外すといってもウエットスーツまで脱ぐとは予想できなかった。かぶりのウエットスーツだから上着を脱ぐためにはマスクを外さなければならない。ズボンを脱ぐためにはフィンを外さなければならない。日常のことなので、慣れであるが、大変な技術である。脱いだウエットスーツやマスク、フィンを次々とロープにくくりつけて水面に上げさせ、最後にフーカーのマウスピースを口から放して、水深9mから水面にベイルアウト(緊急脱出)の姿勢で浮上する。このあたり、最終の3mは、超ゆっくり、という一般潜水の常識とはちがう。純酸素を吸えるぎりぎりの12mで酸素を吹い、最終減圧は船上のタンクでする、一瞬でも早く、タンクに飛び込まなくてはいけないのだ。
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 アランの減圧は、日本では船上減圧と呼ばれている方法である。減圧は12m、9m、6m、3mの4段階で停止するが、6mとそして3mの段階が最も長時間が要求される。最大では、3時間必要である。それを水中ですごすことは、辛いだけでなく効率が悪いし、海が時化てきたときなどは港に逃げ戻れないので危険である。9m、6mと3mの段階を、船の上のタンクに入って加圧すれば、安楽に効率良く、安全に過ごすことができる。船上減圧を行うためには、9mから浮上して、再圧タンクに入り、9mの水圧に加圧する間の時間を出来るだけ短縮する必要がある。9mから減圧途中で浮上したダイバーは、減圧症に罹患した状態にあるのだが、症状が発現しないうちに、再圧治療を開始してしまおうとするものだ。
 通常は3分以内にタンクに入り、加圧が開始されれば良いとされているが、時間が短ければ短いほど良い。
 水中でウエットスーツまでも脱いだアランは、浮上すると同時にバスロープを着てそのまま再圧タンクに跳び込む。おそらくは、2分もかかっていない。アランのボートの再圧タンクは一人用であり、タンクの中でウエットスーツを脱ぐスペースは無い。タンクの中での長い時間をウエットスーツを着たまますごすのは、不快であり、毎日のことだから、不健康でもある。ボートの上でウエットスーツを脱いでいたのでは、3分の制限時間を越えてしまう可能性がある。それにあわてて、激しく身体を動かせば、減圧症が発症してしまう可能性もある。
 水中でウエットスーツを脱いでしまったアランは、酸素を吸入しながら、本を読んだり音楽を聴いたり、リラックスして時間を過ごすことができる。その日、アランがタンクの中で減圧していた時間は2時間強だった。
「減圧テーブルは、どんなものを使っているのか」とアランに訊ねた。減圧表は何種類もあり、企業秘密になっている表もある。毎日のように100m前後を潜っていて、事故を起こしていないアランの表は、世界に通用するものであり、関心も深いものだろうと思ったのだ。
 返って来た答えは、「表など使っていない。」であった。これには少しばかり驚いた。サンゴの採取は、その日その日で深さも違う。身体の疲れ方も違う。自分の身体と相談して、無理をしたなと思う時は、タンクの中の減圧を長くする。およそのことを言えば2時間から3時間で、自分の身体で感覚的にわかるから、自分で良しと納得すればタンクから出てくる。
 複数、多数の人、多種の仕事、多種の機材を使う潜水のすべてをカバーする表を作ろうとするから、責任もあるし、計算の理論も必要になる。このことは、後の100m潜水でも、痛感することになる。


 アランの家に昼食を招待された。このために今日は深さと潜水時間をコントロールして短時間で減圧を切り上げたのだろう。
 アランの塩気で錆が出て、底が抜けているようなジープに同乗して、アランの家に向かった。海岸近くに家があるのかと思ったが、山の上にある。車で20分ぐらい走る。羊飼いの家を作り変えたという家だ。プールが一段下がった目の下にあり、その先は低い山の連なりの先に青い海が見える。海で、毎日潜っているのに山の上にプールを作っている。かなり贅沢な生活であり、それだけの稼ぎもあるのだろう。
 奥さんの作った料理はベトナム料理だという。箸で食べる。まずまずおいしく食べられた。昨夜、コルシカの猪料理を食べたが、高くておいしくなかった。日本人の口にはベトナム料理が合う。だから、フランスに来て、ベトナム料理ばかり食べていたことになった。
 アランとの話を撮影した。複雑な話になると、二人の英語では無理なので、通訳として来てくれた三浦さんにお願いした。
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 アランに聞かれた。「なぜ、仕事でもないのに100m潜るのか。そして、深く潜るのは、毎日のように潜っていて、次第に深く潜るのが普通で、一発勝負で100m潜るのはプロのやることではない。」
 答えるのが難しい。
「若い頃、27歳の時に空気で100mを目指して、死にそうになって90mまでしか潜れなかった。今度は60歳になった記念に念願だった100mに潜りたい。日本では60歳、70歳の節目で自分のやりたいイベントをやる習慣がある。還暦のお祝いだ。」
「それで納得したが、それならばここで潜ることにしたらどうだ。毎日のことでなければ、再圧タンクも二人は入れる。パリのテレビの記者が来て、一緒に潜ったことがある。後でテープを見せるが100mまで潜った。同じようにやれば良い。」
「日本でのスケジュールを決めてしまっているので、残念だけれどそれは出来ない。」
「それならば、僕が日本に行ってやろう。旅費と宿泊費を出してくれれば、ギャラはいらないよ。この前に関と一緒に足摺の珊瑚を潜水した時もそうだった。あの時は本当に冒険だった。自分の船も無いし、道具も不満足なものだった。でも僕は、この仕事を半分はスポーツのつもりでやっている。だから、日本で潜って見たかった。日本の珊瑚を見たかったんだ。」
 これは大変に魅力的な提案で、後になって本気で考えることにもなった。
 アランの潜水方法は100mに最小のコストで、コストの範囲で最大限の安全が期待できる、これまでに見た大深度の潜水方法のうちで最もスマートな方法だった。
同じような潜水方法はサルジニアでもイタリーのダイバーが行っていて、何人もの事故を乗り越えて、作り上げられた方法だという。
 部屋の中に自転車が2台置いてある。奥さんと二人で自転車競技をやっている。
「このまま、一生ダイバーをやっているつもりは無いんだ。ある程度やったら商売を変えるつもりだ。」
 
 スポーツとしてのダイビング、プロのダイビングについても考えさせられた。
 プロのダイビングという場合、そのプロという定義は二種類あると思う。一つは、純粋にお金稼ぎのプロだ。もう一つは、それがやれなくては、生きていられない、生きるためにその活動が必須であるというプロだ。この二つは入り組んでいるのだが、自分はお金稼ぎプロではない。そのことが、自分の短所であるとも思った。そして、スポーツという概念もある。お金稼ぎプロならば、100m潜水なんて、バカなことはやらない。


 アランの採集した宝石サンゴの3cmほどの一片をもらった。ぼやけた色をしているが、磨けば真紅になるはずだ。
 次の日、アランに別れを告げに港に行った。早朝に沖に出て10時ごろに入港すると聞いていた。ボートは港に入ってきたが、アランは未だ再圧タンクの中だ。インターフォンで話ができる。「また会いたいね。」「今度は一緒に深く潜ろう。」


 
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