6月16日 波佐間
15日の予定を、天候調整で16日に延ばした。15日だったら、14日 大井埠頭中央公園 から15日と連続だから無理だったかもしれない。とにかく16日、16日は山本さんが撮影の講習とかで、こられない。中川の車に乗せてもらうことにした。
7時中川の車で増井さんも同乗して出発 9時少し過ぎ波佐間着、早崎さんも腰痛とかでキャンセル。メンバーは、須賀、高野、増井、佐藤允昭、そして中川だ。波佐間はおかげさまで、けっこう繁盛していて、僕ら以外のお客が3組、僕らは彼らが帰ってきてから、11時頃の船だ。のんびり支度ができる。
左腰の筋肉痛はかなりひどく、体を折り曲げて、地面にあるものを取り上げることができない。
久ぶりで、0.8m角のコンクリートブロック魚礁 (1981年沈設 波佐間で一番古い)、ここではニューパラダイスと呼んでいる魚礁に入ることとした。
僕と一緒は、荒川さんと中川だ。後の3人はドリームから入って、西へ100mほどのきょりであるこちらに来て、僕らに合流して浮上することにした。
かなり、気候も暑くなったので、ウエットスーツにしようかと、15日に、古いウエットを着てみた。何とか着られたのだが、フードジャケットが無い、若干左腕から水漏れするが大したことはないので、ドライにした。どらいにして、よかった。僕はドライでも寒かった。
少し流れがあり、ブイまで泳ぐのに息が上がった。しかし、ブイロープを離して流され、合流に失敗した経験があるので、なんとかブイを捕まえてロープから潜降した。
予想に反して、ニューパラは寂しい状態だった。イセエビが何時もいるので探したが、見つけられない。メバルの群れもいない。どうしたことだろう。結局、ユウダチタカノハ(最初、ミギマキだと間違えていた)とタカノハをアップで撮った。なお、ユウダチタカノハは、この魚礁にいつも群れている。今日は数が少ない。
タカノハという名前がついているだけで蹴飛ばしているがきれいな魚だ。
それからも、何か?と探しまわった。残圧をみたら、60になっている。僕のターンプレッシャーは、10リットルタンクで80だ。昔は20で浮上したのに、80を切っていると不安になる。そのころドリームから3人が来た。荒川さんを探したが見えない。先に浮上したのだろう。一緒に上がればよかった。
浮上のサインをするが、どのロープから上がったらいいのかわからない。ここのロープの構造は、中断にロープが張り巡らされていて、そこから水面に上がれるのは一本だけだ。適当なロープで中段まで上がったが、上に通じるロープが無い。不安になる。中川が横に張ったロープをたどって、水面に行くロープを探し出した。それにつかまって浮上する。
流れが強くなって、減圧をしっかり見ないうちに吹き上げられるようにして、中川と一緒に上がった。荒川さんはボートに上がっていて、カメラをとってくれた。中川にフィンを外してもらって、自力で、腰の痛みに耐えて梯子を上がった。残圧は20だった。久しぶりの波佐間の強流だった。なぜ、お台場が良いかというと、水深2-3mだから、残圧を気にしないで良いことだ。空気が無くなったら戻ってくれば良い。減圧停止も必要ない。
2回目の潜水は佐藤允昭君のリクエストで、波佐間神社に潜る。僕は腰の痛みが強いのでやめることにした。荒川さんは水中でタンクを外せば大丈夫だと言ってくれ、中川は、水中で荒川さんと僕のツーショットが撮りたいようだったが無理しないことにした。若くないのだ。
無理、といえば、無理しないで引きこもってしまったら、寝たきり老人になる。寝たきりになった人には悪いけれど、断固拒否して、無理を続ける。
中川は、ほどほどに痛みに耐えて、身体をいじめろ、という。ほどほどにしないで、疲れ切ると免疫力をなくしてしまう、と水野さんは忠告してくれる。
フェイスブックのコメントで。安田さんは、好い加減が大事だと。
好い加減がダイビングの極意だと思う。しかし、生涯のある時期、多分、高校時代、好い加減でなく、死ぬほど身体をいじめないといけない。スポーツ第一、勉強が第二の時代だ。そのときに造った身体が生涯を支える。運が良ければ、ダイバーやってても85歳までは生きられる。僕は85歳だけど、これからどうなる。
これからは、ダイビングのログは、「這ってでも潜る」にしよう。
腰の筋肉痛のため 今日(21日)の予定だった、大井の野鳥公園は断念した。ここは、グーグルで見る感じでは干潟だ。筋肉痛での干潟歩きは、やりたくない。
おかげさまで、筋肉痛も若干良くなった。次の予定、28日のお台場までには治るだろう。