浅いところに這ってばかりいたわけではない。
積丹にもいった。
積丹もなにも無かった。巨大ミズダコがいるのだが、その季節ではない。昆布は波打っている。でも昆布はもう知床でも氷の下の、美しい昆布を撮った。
ニシン御殿を立松さんは、ニシンの話をレポートしたが、海にニシンは泳いでいない。
夜の海、水中を撮ろう。やや濁っている漁港の中に潜った。ライトに大型プランクトンが集まった。ウリクラゲも浮いている。「立松さーん、銀河の中に居ます。」「そうだねー、海の中は宇宙だねえ」これで窮地を脱した。
十和田湖に行った。
十和田湖のターゲットはヒメマスだ。そして、ヒメマスは少なくなっている。養殖池にヒメマスはいて、放流はしっかり行われているけれど不漁である。不漁を撮影しなければならない。行けども行けども見つからない。それはそれで良い。しかし、それだけでは、終われない。
自然だけ、生き物だけをあいてにしていて、苦しくなると、ダイビングそのもの、撮影技術そのものに逃げる。積丹での夜の海はそれで成功した。深く潜るアドベンチャーで行こう。女の子が、深く潜る。成功するだろう。ダイビングは、深く潜るためのものではないと言いながら、人は、何メートルまで潜ったかを話題にする。
僕自身は、節目節目で、深く潜ることで自分をアッピールしてきた。潮美も。
日本の湖で一番深いのは田沢湖、423,4m、二位が支笏湖、三位が十和田湖で326、3mである。まさか、326mに潜るわけにはいかない。調べると岸近くに垂直に70mの切り立ったドロップオフがあり、その下に326mの深さがある。70mのドロップオフを降下しよう。行けるところまで降りて、下を見下ろして、深さのコメントをすれば良い。
10m間隔でタグを付けた降下索を降ろした。
十和田湖の深さとか、湖の深さをコメントしながら降下する潮美を撮影フォローしながら、降下していく。垂直に近い崖だけだけど、彼女をフォローしていれば、絵は成立する。
そして、水深50mで僕のレギュレーターが吹いた。空気の噴出が止まらなくなる。フリーフローの状態になるのだ。流氷を潜ったことがあるダイバーならば、知っているであろうが、レギュレーターの高圧弁が凍り着くと空気が噴出状態になる。幸いにして凍りついて、空気が来なくなる。停止することはないのだが、噴出してタンクの空気が無くなれば、空気は来なくなる。流氷の場合、宇登呂側ならば、穴を開けて潜っているから、空気が噴出したら、すぐに穴から這い上がり、用意してあった魔法瓶の熱湯を高圧部分にかけて凍結をとかし、噴出を止めて、また潜ることができる。開けた穴から離れて、戻れない場合には、死ぬほかない。命綱必須だ。
レギュレーターメーカーは、凍結防止には努力していて、1986年当時は、シャーウッドのレギュレーターが凍りにくかった。わがダイブウエイズも僕が氷の下に潜ることが多かったのd、工夫をこらしていて、一応大丈夫な製品を作っていた。氷の下は、おおむね零度である。マイナス1度で海水は凍る。レギュレーターの高圧部分は、空気が噴出するノズルだから、気化熱で温度が下がり、零度に潜っていても、マイナス1度になり、レギュレーターの高圧部は凍るのだ。
十和田湖は3度、氷の下に比べれば温水だ。凍るとは予測していなかった。しかし、十和田湖は淡水だから零度になると凍るのだ。そして、深く潜れば、高圧部を通る空気量は増える。零度以下になったのだろう。凍って噴出した。
僕は、ためらいなくカメラを放り出し、有線のカメラだから投げ出しても船の上とはつながっている。潮美に自分は空気が吹いたので、浮上することを手信号で合図して、急浮上した。空気の噴出が続いているうちに、ボートに上がらなければならない。減圧症だとかは、命が助かってからその後の問題だ。このあたりのことを誤解していて、死んでも減圧停止をする非常識なダイバーもいる。
幸いにも、エントリーしてすぐ、降下中だから、潜水時間も短かった。空気があるうちに水面にでた。
ボートの上では、下にいると思った僕が、舟の上に上がってきたので、全員驚いたが、減圧症にはならなかった。僕の通話機はカメラについていたので、放り出してしまったが、潮美はフフェースで上と通話が保たれているから、通話機で状況を話し、通常通りに浮上して何事もなかった。しかし、この時、通話が保たれていなかったら、どうだっただろう。そして、吹いたのが僕のレギュレーターではなく、潮美のレギュレーターだったら?もっと長く、もっと深くまで降りていたら、背筋が冷たくなった。
とにかく、有線テレビカメラ、有線通話機があったから、有線だから助かった第一回目であった。有線で水面との会話が確保されていたことが、深さへのチャレンジを採った理由でもあるのだが。
そう、この項は、ニュース・ステーションの紹介のために書いたわけではない。有線で危機をくぐり抜けた話を書こうとしていたのだった。つい、悪い癖で、筆がニュース・ステーションに滑っていった。