ブログが書けないでいる。書けないわけではなく手、一応出来上がっているのだが、使いたい写真が一枚、どうしても、見つからないのだ。
大した問題ではないのだけれど、あるはずだと思っていた写真がないと、そこで止まってしまう。もうこれで、15日近くブログが止まってしまっている。
これではいけない。その写真、前にブログで使ているはずだと、ブログからコピーしようと、ブログをさがした。
このブログの前に使っていた、楽天のブログをさがした。そこにあるはず。まだ、みつけられていないけれど、この楽天のブログが面白いのだ。自分で読んでも、面白い。
これを使って急場をしのごう。
以下2008年のブログの復刻である。
この文章は、1982年、娘の潮美が法政大学の一年生、ダイビングクラブに入った時、娘への手紙の形で、ダイビングのことを書き、やがて出版しようとして書いたものだ。その後、娘はニュースステーションの水中レポーターで有名になったから、出版できないこともなかったのだが、娘の同級生が事故で亡くなっていたので、につつしんだ。
好きな文章だったから、どこかで人目に触れさせたいと思っていた。
※つまり、今回は復刻の復刻になる。
以下は1982年に書いたもの。
富士マリアナ火山列島の八丈島と小笠原の中間点たりにある鳥島の入り江に船を止めて、うねりに身体を揺られながら書いています。私は船に酔う人です。そのことを人が聞くと、「ええっ!」と驚くのですが本当です。船に酔わない人にとって、海の仕事は船遊びですが、船に酔う人にとっては、難行苦行です。それに耐えて海に出るのですから本当に海が好きなのです。(その後、潮美がニュースステーションなど海の仕事をすることになり、船酔いは遺伝することがわかった。)今度の航海では、毎日朝起きると酔い止めの薬を一錠ずつ飲んで、過ごして来ました。薬なんてスパシーポ効果(暗示効果)があるだけだと、どこかのテレビ番組で実験をやっていましたが、私にとっては、確かに効果はあります。
しかし、今回の船の旅も日を重ねるうちに錠剤も飲まなくて大丈夫になり、うねりに揺られながらものを書けるところまでに慣れました。やはり、船酔いは慣れで、克服できます。神経が過敏なだけなのですね。
鳥島はアホウドリの繁殖地として保護が行われている島です。アホウドリは英語ではアルバトロスですが、アルバトロスと言うと、雄大な翼を拡げて大洋を遠く旅する海の王者の姿が思い浮かびます。アルバトロスは、長い翼で滑空する鳥ですから、着陸してしまうと長い翼を引きずって歩かなければならないのでよちよち歩きです。飛び立つ時は長い滑走距離が必要です。海から飛び立つのならば長い滑走距離が取れるのですが、陸からの離陸は崖から飛び降りなければ飛び立てません。だから絶海の孤島で繁殖していたのですが、人に見つけられたのが最後で、飛べないでよちより逃げるだけですから、いいように撲殺されて、羽根布団の材料にされてしまいました。ほとんど逃げずに殺されたので、アホウな鳥と呼ばれたと聞きます。明治時代から撲殺が繰り返され、絶滅に瀕してしまいましたので、今は、保護に大わらわです。ここから、アホウドリの飛び立つ崖が見えます。営巣のために卵が崖から転げ落ちないように植え付けた草も見えるのですが、許可なく上陸して近づくことはできません。
私の乗っている船は、第五稲荷丸、19.99トン、つまり20トン未満のトビウオ漁の漁船です。この船で八丈島を出発し、目指すのは絶海の孤島、孀婦岩(ソウフ岩)です。孀婦岩は、孤島というよりももっと小さくて、海の真ん中に鉛筆を立てたような岩です。八丈島の潜水漁師であり、古い仲間でもある赤間君が、この孀婦岩に大きなイソマグロを突きに行くドキュメンタリーの撮影に出かけて来ています。
小さい船で、沖合遥かに出かけるにはこの季節、梅雨が終わりかけて、まだ本格的な夏が始まらない時期が良いとされています。「まるで盥の中のように静かだよ。」と聞かされてでてきたのですが、今年は梅雨が終わらないうちにフィリッピンで台風が発生して、孀婦岩まで行かれるかどうか、危ない状況です。
夏かぜをひいてしまい、八丈島をでるときは、8度の熱がありました。夜8時の出港で、港をでると同時に雨がしとしとと降り始めました。一応寝る所はあるのですが、小さい船で、船員の寝るスペースは、船室の床とエンジンルームの間の空間です。その空間ではディーゼルの匂いと魚の匂いがカクテル状態になっていて、すぐに気分が悪くなります。私が最初に身を入れた寝た場所は、エンジンのすぐ上で、天井と床の距離が40センチほどです。漁船の乗組員が沈没して助からないのは、こんな隙間で眠っているからでしょう。 エンジンが廻り始めると、その振動がそのまま身体に響きます。耳の中で平衡感覚を司っている石が踊り始めるようで、耳の奥がむずかゆくなり、そのうちに気が狂ったようになります。たまらずに、甲板に出て、寝袋に入り、その上から青いビニールシートをかけてもらって眠ることにしました。そのシートの上から、雨と波の飛沫が降り注ぎます。
「盥の中のように静かな海」といったのは誰だ!盥の中に、笹の葉で作った舟をうかべて、手を入れてかき回しているような海でした。それでも、スミス、ベヨネーズ列岩と潜水し、撮影して船をすすめ、鳥島までやってきました。この鳥島で船は先に進まなくなりました。フィリッピンにいる台風のためです。プロデューサーの大橋さん、ディレクターの山崎さんは、天候の心配で落ちつきません。台風が頭をもたげて北上するようであれば、すぐに全速力で八丈島に逃げ帰らなければなりません。台風が追いついてくると、電信柱よりも高い、20メートルほどの波が頭の上から落ちてくるのだそうです。ただただ、念仏を唱えて、泣きながら走るより他はないと船長は言います。船長は丸い身体の愉快な人で1キロ先から見ても漁師だとわかります。機関長は細長い体であごひげを生やしたファンキーなジャズフアンで船長と喧嘩ばかりしています。ついさきほども、「おまいなんか出て行け」と船長が怒鳴ると、「こんなぼろ船にいるものか出ていってやる」と機関長が怒鳴り返していました。この海の上で、何処に出て行くと言うのでしょうか。港に帰ったら出て行くための、予約の喧嘩をしているのでしょうが、この二人だけがたよりの私達としては二人の仲はとても心配です。が、赤間さんに言わせれば、いつものことで、全然心配はないそうです。
※この機関長は、僕が船に持っていったジャズピアノの山本剛のテープ聞いて感動し、
その後、山本剛を八丈島に呼ぶイベントをやった。おかしな人だ。
昨日、この鳥島で停滞しているうちに、いろいろと撮っておこうと、赤間さんが、30メートルまで素潜りで潜ってくるシーンを撮影しました。30メートル下でカメラを構えて水面を見上げると、遠く彼方に水面があります。赤間さんは水面から潜り込んできて、私のカメラの前で、反転して、上って行きました。
その形状のために上陸することは困難であるが、ロッククライミングなどで上陸・登頂した例がわずかに存在する(ただし転落事故も記録されている)。何れの町村に属しているかは未定の状態である。
周辺は航海の難所ながら、豊かな漁場として伊豆・小笠原漁民に知られる。また、高い透明度と豊富な魚影からスキューバダイビングの聖地とする人も多い。
私たちは、NHKの夏休み特別番組「東京無人島紀行」の撮影のため、八丈島を第五稲荷丸で出発し、スミス、ベヨネーズ列岩を撮影して、鳥島まで来たところで、フィリピンに発生した台風のために先に進むことを躊躇して、鳥島の島陰で停滞している。鳥島の先、孀婦岩に向かって進んで、台風が北上して来れば、遭難の確率が20%ぐらいある。
以下、再び娘への手紙である
7月15日
昨日撮影した赤間さんの30メートル素潜りがなかなか格好良かったので、私もやってみる気になりました。どうせ、島影で、台風の行方を天気予報で見守って停滞しているのでやることはあまりないのです。
気絶するといけないので、アシスタントをやっている鶴町君に下で見ていてもらうことにしました。彼はスクーバを付けて潜ります。
私は赤間さんのようなスキンダイビングのエキスパートではありませんから、スキンダイビングで20mを越したことがありません。学生の頃で、20mくらいでしょうか。
いまここで鼓膜を痛めてしまったら後の撮影の仕事が出来なくなります。本当は、こんな馬鹿なトライアルをしてはいけないのです。仕事中なのですから。
それでもやってしまうのが、ダイバーというものでしょう。それとも単純な馬鹿でしょうか。
身体にはウエイトは着けずに、手に6キロのウエイトベルトを持ちます。一番深くまで潜った時に手放してしまえば、楽に浮いて来られるはずです。捨てたウエイトは鶴町が拾ってきてくれる手はずです。
目標を26メートルとして、26メートルの位置に鶴町が待っています。赤間さんも一緒にスキンダイビングで潜ってくれます。
水面に浮いて下を見おろします。水は澄みきっていて、切り立った海底の崖の50メートルの底までが見通せます。崖の頂上は水深10メートルぐらい。崖の中間ぐらいに鶴町が私を見上げています。
肺にできるだけ沢山の息を吸い込みます。潜るときは、浮力をつけないために、肺に八分目ほどの息で潜るなどという人がいますが、とんでもないまちがいです。深く潜って行くにつれて水圧が増加して肺が圧縮されます。
肺がつぶれてスクイーズ状態になる深さが、特に肺活量の大きい人で50メートルが限度だといわれていました。ところが、フランス人のジャック・マイヨールは50メートルの壁をどんどん越えて、1970年には伊豆海洋公園にまでやってきて、76メートルの素潜り潜水に成功しました。潜って行き肺が縮むとそれにともなって横隔膜がせりあがって来て、肺が入っている胸腔が小さくなるのですが、彼は横隔膜の弾力性が大きいらしく、縮む率が大きくなっても耐えられるのでしょう。そして、身体中の血液が胸の大動脈の部分に集まって、大動脈は太く膨れ上がり、胸腔の隙間をちいさくするように働きます。これをブラッドシフトと言います。隙間がなければスクィーズにはならないので深く潜れるのです。
私は水面で、15回、強い深呼吸を繰り返します。肺の中の炭酸ガスを出来るだけ追い出してから潜降を始めると長く潜れるのです。強い深呼吸で肺の中の炭酸ガスを洗い流してしまう呼吸をハイパーベンチレーション(超換気)といいますが、このハイパーベンチレーションをやりすぎると、長く潜りすぎて失神してしまう危険があり、効果もあるが毒もあるという薬のようなもので、使いすぎることはできません。とにかく、肺一杯に吸い込んだ肺の中の酸素を出来るだけ長持ちさせて、水面に戻ってこなければいけないのです。深く潜るスキンダイバーは、多かれ少なかれ、このハイパーベンチレーションという毒薬を使います。酸素の消費を少なくするためには、身体の動き、筋肉の動きを最小限度にします。潜り込むときに水面をフィンでばちゃばちゃさせるなどという潜り方は酸素の無駄遣いです。水面に残る波紋もほんのちょっとだけ、なめらかに潜降を始めます。スキンダイビングでもスクーバダイビングでも、身体を出来るだけ動かさないようにすることが大事です。フィンを、もちろん手も、ほとんど動かさないで潜ったり浮いたり、進んだりできるのが理想です。スクーバダイビングで上手な人ほど空気の消費が少ないのは、筋肉を少ししか動かさないので、酸素の消費が少ないからなのです。もちろんスキンダイビングでも酸素の消費が少なければ長く潜っていられます。
耳管を開いて、耳抜きをしながら潜って行きます。耳の調子は良いようです。耳に少しでも負担がかかったら、潜降を停止しなければなりません。まだ、仕事の途中ですから、耳を痛めたら大変です。
自分の耳に神経を集中させているので、周囲の光景には目が行きません。もっともスクーバで赤間さんのスキンダイビングを撮影した場所ですから、別にその時と変わったこともないのですが、とにかく鶴町の居る、26mに到着します。このまま楽に30mに行ける。全然苦しさは感じません。もっと行けるかもしれない。ある深さを通り越してしまうと、生と死の限界まで苦しくなく潜れるらしいのです。そのかわり、水面でブラックアウトを起こしてしまいます。とにかく仕事中です。何かが起こったら大変です。潜り込んでいた26メートルで手に持っているウエイトを鶴町に手渡して、浮上します。そんなに長く潜っているわけではないので、心配はないのですが、一応失神に備えて意識が正常であることを確かめるように脳の内側をサーチします。このように、自分の身体の部分に意識を集中して確認することを、私は自分で「サーチする」と呼んでいます。スクーバで潜るときは、心臓の鼓動や手足の筋肉などもときどきサーチします。意識はなんともないようです。ウエイトベルトをつけて息こらえダイビングをしているときは、浮上する時はベルトに手をかけていて、意識がうすれそうになったら、ウエイトベルトを外して、海底に落とします。そうすれば、意識が無くなっても沈むことはなく、 水面に戻れば意識を取り戻すことができます。これは自分でやった経験ではなくて、鶴耀一郎が教えてくれた方法なのですが。
ウエイトベルトを26m地点で手渡して来たので、浮上速度も速く、ウエイトベルトに手をそえる必要もありません。水面に近くなったら、浮上速度をゆるめるようにします。速度をゆるめた方が、圧力変化が緩やかになり、意識を失う可能性が小さくなると言われています。ところでは問題ないのですが、ダイビングポイントなどで走ってくる船の多いところでは船に衝突しないように、浮き上がる時に船の接近を確認することも大事です。
ウエイトベルトをつけていない浮上では、速度をゆるめることが難しいのですが、一応努力はします。手足を広げて大の字になって、抵抗を増やして速度をゆるめます。見上げる水面がきれいだと思う暇もなく、水面を割って、顔を出しました。
赤間さんが泳ぎ寄ってきてほめてくれます。「いやー、素潜りもできるのですねえ。びっくりしました。」最大の賛辞と受け止めて、とても気持ちが良かったです。
結局のところ、この手紙は、娘に渡したが、娘からは返事は来なかった。