月めくりのカレンダーが日めくりのように過ぎて行く。11月酉の市、そしてもうすぐに師走。大嫌いなクリスマスと新年がくる。ブログを隔日に更新しようと考えているが、隔日に本当に更新するためには、他のことができなくなってしまう。それほど、頭の回転が遅くなり、月日の回転が速くなる。画像を探していると、探している画像が見つからずにふと別の画像を撮りだしたりする。1980年代から1990年代、次々と新しい遊び道具の潜水器が発表された、今はそれで生き残っているものはない。フィーノ が見つかった。フィーノのことは何度かブログにも、そしてフェイスブックにも書いている。フィーノのことを確認しようとネットで検索したら、自分のブログが二つ出てきた。他には見当たらない。そうか、ダイビングのことで何かを検索すると僕のブログが出てくる。それならそれで、頑張らなくては。
1980年代の後半から1990年の後半には次々と、と言っても市販されたのはオーバ、フィーノ、そしてスヌーバだが、どれもが従来のスクーバとは違っている。スヌーバはスクーバではなくて、ゴムボートの上に置いたタンクから10mほどの短いホースで、つまりフーカーで空気を供給して、ダイバーはこのホースでタンクを載せたゴムボートを曳行してゆく。急浮上の肺破裂さえ注意すれば、非常に安全な潜水機である。アメリカで考え出されて、PADIなどもグアム島あたりで体験ダイビングに使っていた広告をみたことがある。それでもすたれてしまったのは、やはり、空気塞栓のような事故が起こったからなのだろうか。良いなと思っているうちに消えてしまった。
オーバは、この前のブログで、辰巳国際水泳場が、ダイビングで遊ばせるために大量に買い込んで備えた。そして、おそらくはほとんど使われなかったのではないかと思う遊び道具である。もし、今現在、このオーバがあり、辰巳国際水泳場が、僕たちにレンタルしてくれるならば、どうだろうと思う。それでもやはり、危ないなとおもってしまう。発想はめちゃくちゃにユニークで、空気の通路にあたる蛇腹菅を呼吸袋、カウンターラングにしたセミクローズである。専門家が見たら、見るからに苦しそう、蛇腹管よりも肺活量の方が大きかったら、呼吸できないし、小さい呼吸を繰り返せば、換気が悪くて炭酸ガスがたまってしまいそう。
残念なことは、僕は、見ただけでこれは使えないと判断してしまい、一度も使って見ないうちに、販売元の日本酸素が見切りをつけてしまって、製作販売を止めてしまった。残念というのは、一度も使って見なかったことである。以後は、新しい潜水機が出たら、消滅しないうちに使って見ようと心に決めた。
にもかかわらず、次に出た、本格的セミクローズともいえるフィーノも使わずじまいだった。これは、親友一歩手前ぐらいの松岡俊輔がやっていたプロジェクトで、なぜか東京日産が販売元になった。その東京日産は南千住の自分の家から、あるいて5分のところにあるのに、行かないで時を過ごした。松岡をよく知っているだけに遠慮したのかもしれない。終わりに近くなってから、たずねて、総支配人の鈴木さんにおめにかかり、懇意にしていただいたが、僕のしゃべったことはすべてネガティブで、失敗するだろうことの予想だけをお話しした。このセミクローズは、少し早く出てき杉田とは思うがかなり本格的で、技術的にはあと一歩で潜水機の歴史を変えたかもしれない。レクリエーショナルダイビング専門のリブリーザーであり、スポーツリブリーザーというにふさわしいリブリーザーだった。失敗の原因の一つは、レディスという指導団体を別に立ち上げてふきゅうさせようとしたことで、すでにPADIが本格的に活動していたので、新しい潜水機で切り崩すことはほとんど不可能であった。そのことを僕は指摘したのだが、後に聞いてみるとPADIにもNAUIにも売り込んだけれど、断られたということだった。それはそうだろうとおもう。米国の本部が作ったプログラムとシステムを売っている会社に全く別のものをうりこむのだから。しかし、やり方によっては成功したかもしれない。しかし、販売元が天下の東京日産販売(自動車製造部門ではない販売会社)だが、こんな潜水器を普及させるには会社の器が大きすぎた。多分、お金はたくさん出たのだろうが、たくさん出たらそれに見合う利益を出さなくてはならない。それは、潜水業界のスケールでは、入り込む余地がなかった。
性能的には、マウスピースの部分に欠陥があり、一時販売を停止していて、欠陥が解決され、さあこれからというところで、打ち切られたと担当していた友人が残念がっていた。国内の販売には成功しなかったかもしれないが、完成されたスポーツタイプのセミクローズになっていれば、世界的には売れたかもしれない。やはり無理かな、などと思うな。
しかし、このフィーノは、その改善されたタイプら今あるとすれば、僕は使って見たとおもう。イフを考えるならば、1990年台の後半である。ビジネスという形での勝負はきまってしまっていたから、全日本潜水連盟に資金援助をして、まるごと買い取るくらいの提案があれば、僕は乗っただろう。あと一歩だったかもしれない。
1980年代の後半から1990年の後半には次々と、と言っても市販されたのはオーバ、フィーノ、そしてスヌーバだが、どれもが従来のスクーバとは違っている。スヌーバはスクーバではなくて、ゴムボートの上に置いたタンクから10mほどの短いホースで、つまりフーカーで空気を供給して、ダイバーはこのホースでタンクを載せたゴムボートを曳行してゆく。急浮上の肺破裂さえ注意すれば、非常に安全な潜水機である。アメリカで考え出されて、PADIなどもグアム島あたりで体験ダイビングに使っていた広告をみたことがある。それでもすたれてしまったのは、やはり、空気塞栓のような事故が起こったからなのだろうか。良いなと思っているうちに消えてしまった。
残念なことは、僕は、見ただけでこれは使えないと判断してしまい、一度も使って見ないうちに、販売元の日本酸素が見切りをつけてしまって、製作販売を止めてしまった。残念というのは、一度も使って見なかったことである。以後は、新しい潜水機が出たら、消滅しないうちに使って見ようと心に決めた。
性能的には、マウスピースの部分に欠陥があり、一時販売を停止していて、欠陥が解決され、さあこれからというところで、打ち切られたと担当していた友人が残念がっていた。国内の販売には成功しなかったかもしれないが、完成されたスポーツタイプのセミクローズになっていれば、世界的には売れたかもしれない。やはり無理かな、などと思うな。
しかし、このフィーノは、その改善されたタイプら今あるとすれば、僕は使って見たとおもう。イフを考えるならば、1990年台の後半である。ビジネスという形での勝負はきまってしまっていたから、全日本潜水連盟に資金援助をして、まるごと買い取るくらいの提案があれば、僕は乗っただろう。あと一歩だったかもしれない。