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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0321 日記 雑感

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  昨日書いたブログ 
 リサーチ・ダイビングのの原稿、歴史・沿革は自分でなければ書けないので、リサーチ・ダイビングのの歴史を気の向くままに書いて、後から削ろう、というコンセプト、崩れ去った。
 リサーチ・ダイビングの構成を考え直したら、それはやはり、ダイビングの歴史の範疇に入れるべきもので、リサーチ・ダイビングでは、時間の無駄で、そんなことをやっていると、また暗礁にのりあげてしまう。せっかくだから、書きだし、1953年の部分、ここに置こう、


 1953年
 日本にアクアラング(スクーバ)が紹介された経路は、軍事目的、駐留していた米軍ルートなども考えられるが、それらは、印刷物としての資料は残っていない。伝聞だけである。
 1953年 5月 東京水産大学小湊実習場に 米国の海洋学者ロバート・ディーツが、これは、新聞社なども招いて、実習場の大型生け簀に潜って見せたのが正式記録になっている。
 その時に、参加した水産大学漁業科の神田献二先生が撮影した写真が手元にある。その時、自分の恩師である宇野寛先生も参加されている。この時、若手研究者であった宇野先生、神田先生が、ディーツ博士から実技指導をうけたかどうか、定かではないが言葉によるレクチャーだけだったと想像している。
 その時、ディーツ博士は、小湊鯛の浦に潜って水中撮影もしている。その時の写真をみると、16ミリシネカメラと、その後、僕らが作ったような、しっかりした水中ハウジングを手にしていることから、当時のアメリカでも、ダイバーとして著名な人だったのだと想像できる。
※ロバート・シンクレア・ディーツ(Robert Sinclair Dietz、1914年9月14日 - 1995年5月19日)はアメリカ合衆国の地球物理学者、海洋学者。ハリー・ハモンド・ヘスとともに、海洋底拡大説の提唱者の1人として知られる。天皇海山群の命名者としても有名である。
1941年にイリノイ大学で学位を取得し、海洋地質学者 フランシス・パーカー・シェパード に師事した。1953年、フルブライト研究者として東京大学に留学し、海上保安庁水路部においても研究を行った。このときに天皇海山群の海山に歴代天皇の名をつける。
   https://ja.wikipedia.org/wiki/ロバート・シンクレア・ディーツ


体温についてこの10年、いやこの20年、30年かな、自分で自分の体温を測ったことはなかった。それが今度の騒ぎで体温計を買って計ってみた。最初の時が36.5度だったので、これが僕の常温だとおもってしまった。次に計ったとき36.9になり、その次が37度、37度というと微熱だろう。風邪もひいていないのに、と心配になった。そして、次も36,9 心配になった。次に朝目覚めて計ったら36.5で、足元が寒くて靴下を履いた。そのご、出かけてから夕方計ったら37度 足は暖かくて快適。そうなんだ。僕の平熱は26.5~37度 なにかに集中すると37になる。今度は運動後、泳いだ後に計ってみよう。コロナで、いろんなことがわかり、いろんなことが見える。個人と国家の問題、国と国との問題、地域と国、とかオリンピックがどうなるのかも興味深い。完璧な形でやる、という延期宣言もだましだましの達人、安倍さんのスタイルだ。安倍さんの評価は歴史がする。オリンピックも如何にやるべきか、スポーツと国家の関係、日本という国の在り方、グローバルの在り方、考えさせられることばかりだ。


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