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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0320 日記 雑感

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 今、二冊の本を企画しています。「ダイビングの歴史」と「リサーチ・ダイビング」です。僕らの出す本などは、一般に売れるようなものではなく、自分で売り歩かなければだめです。自費出版ではありませんが、それに近い方法でなければ、なかなか実現しないのです。1970年代は、ダイビングが目新しく、今ほど、指導団体のマニュアルが絶対ではありませんでしたから、企画も通りましたが。
 簡単に言って、100万円程度は自分たちで負担する。日本水中科学協会で出すのですが、金策しなければできません。そして、皆様に押し売りして、それを回収することになります。半分回収できれば、上出来でしょう。
 スキンダイビング・セーフティーだけは、当たった本でしたが、今度の二冊は、どう考えても当たる見通しはありません。
 なんとか頑張りますが、とにかくそういうことです。
 「ダイビングの歴史」の方が先に走り出していたのですが、金策ができず停滞しているうちに、「リサーチ・ダイビング」が先行する形になました。コロナの自粛、閉じ込められているうちに、書き進もうと思っているのですが、やはり、コロナが気になって、そのことを日記的に書いたりしています。
 その、リサーチ・ダイビングですが、自分のパートと、何人かの共著者に書いてもらう算段です。その自分のパートが「リサーチ・ダイビングのの歴史」になってしまうのです。これではいけないのではないか、と思い、しばらく筆を止めて考えたのですが、結論として、「それで良いのだ、それで行こう。」という考えに落ちづきました。
 僕は、1953年に日本にスクーバが来て、1954年に東京水産大学に入学して、スクーバを追っています。
それから、2020年までを実録として書けるのは僕しかいないのです。ことの良否にかかわらず、僕しかいない。今度のコロナで、運悪く死ぬかもしれませんが、全力で疾走しながら、倒れるならば、本懐です。
 遠慮しないで、走ります。足りない部分は共著者が補ってくれるでしょう。僕のパートは僕でしか書けないことで突っ張ります。
と決意して書き始めたのですが、ダイビングの歴史はともかく、リサーチ・ダイビングの方は、物語なのか,研究書なのか、という問題があります。自分では、両方だと思っているのです。物語、歴史展開の記述があって、
「まとめ」としてこれを大系づけて、その部分は図解を入れた技術書にしたい。
 しかし、その形になったとしても、今書いている物語的要素の強い部分については、今書いているような分量は使えない。大幅に削ることになります。
 しかし、削るためには、削られる原型がなければ、とにかく書いて、捨てるのも悔しいので、削る前の原型はネット、ブログでリリースしておこう。これまでも、ブログに出しておいて、そのリストを作って、使っているのだから、そして最近強く感じていることなのですが、本、印刷物とPCに入っている資料、ネットに上げていて、ネットで検索する資料とは、まったくちがうもので、どうしても、印刷された本や雑誌を資料としてみることが多いのです。
 複写、コピーしてしまった資料は、用済みになって扱いがおろそかになる。捨てはしないのですが、大きな整理された書庫があるわけではないので、見当たらなくなって焦って探したりしている。ジャック・マイヨールの最後のことを載せた「Playboy」が書棚になくて、さがして今見つけたところです。
 とにかく、印刷した本とネットでの資料とは違うということです。昨日書いたのですが、図鑑のようなものは、ネットの方が便利です。スマホで使えますから。それでもやはり、図鑑は持っていたい。
 何を言いたいかというと、書いた原稿をきちんとした形でブログに上げて置けば、それは印刷された書籍とは別のもので別の使い方ができる。削る前の原稿を全部ネットにブログの形で上げて置けば、出版する本の宣伝になるであろう。と、そんなことです。
 ところで、原稿書けるだろうか。コロナで逼塞して書くというのもつらいものです。原稿というもの、外で別の活動をしているときの方が筆、キーボードをたたく が進むものなのです。
 とにかく、やれるところまで、「リサーチ・ダイビング」の原稿、下書き、ブログにしていきます。

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