※予定ならば、今日ワークショップを開催でしたが、中止にしました。
ブログが書けなくなってしまった。学生のダイビングについて、リスクマネージメントの事を書いていたら、国として立ち向かわなくてはならないリスクマネージメントに遭遇している。
僕は、医学の専門家ではないから、その方面のことを書けばすべて受け売り、シェアをするだけだ。だから、自分の書いたものとしてブログにリリースできない。
しかし、ブログは自分のためのログ、記録だから、やはりここは、2020年3月3日、そうだ、今日はひな祭りですね。その時にあったこと、考えたことを書いて載せておかなくてはいけない。ただし、状況は時々刻々変転するから、今書いていることが、今考えていることでしかない。
リスクマネージメントについては、ダイビングについてはその専門家とはいえないまでも考え続けている。今度のコロナのような事例については、よくわからない。わからないから、はっきり言ってパニックになった。パニックになり、4日にする予定だった、ワークショップ「マチャアキ海を行く」を中止してしまった。被害が出た失敗ではなくて、反省するだけの失敗だから、しっかり反省しよう。
ダイビングのリスクマネージメントは、常に最悪の事態を想定して、行動することなのだが、とすると、レクリエーションダイビング活動そのものができなくなってしまう。ダイビングなど、不要不急のことなのだ。ただ、プロのダイバーになってしまった以上、それは不要不急ではない。なお、プロの定義をこの前に書いたけれど、ダイビングという活動を自分の生き方、生きる世界の中心か、もしくは中心付近に置いていて、それがなくては生きていけないと思っている人、とした。
ダイビング、および、ダイビングにかかわることは、不要不急ではない。しかし、そのダイビングは、いつも最悪の事態を想定してとりかからなければならない。
そして、マチャアキ海を行く だが、そのプロデューサーであった田島さんを招いての映像を見ながらのトークだった。その田島さんが高齢でもあり、コロナの心配もあり、おいでになれなくなってしまった。その時点で、中止すれば、それでよかったのだが、田島さんの代わりに僕がトークしてでも、映像だけ細々とやろう。おそらく、来る人もすくないだろうから、と計画を変更した。
そして、総理大臣の公立の小中高校の閉鎖が来た。これは、社会の重要な機能を一時停止する重大な事項である。それに煽られて、最悪な事態を避ける方向に傾き、中止を決断した。 次の日、辰巳のプールでスキンダイビングの練習をすることができて、中止の判断は誤りだったと実感した。辰巳は個人使用は3月15日まで、休止、団体使用はこれまで通り、バランスがとれている。
さて、ダイビングのリスクマネージメントは、準備とともに、一瞬の判断が要求される。一瞬の判断、とは、半ば運、自分の感覚の判断である。それが間違わないように、常に恐れている、恐れを財産として、判断の基準にしている。その感覚が働いてしまった。しかし、海での行動と、少人数で開催するワークショップとは、まったく違った行為である。それに
ダイビングのリスクマネージメントの現場判断の感覚を乗せてしまった。パニックである。
自分のリテラシーと重ねて見た、反省文を書いている。
危険に対応する判断基準は、自分の恐れの感覚に基づく直感的な判断と、釣り合いの感覚を重視した長期的な展望についての判断である。コロナの場合、ここでは、釣り合いの感覚、バランス感覚を重視するべきところだった。
次のワークショップは、4月18日、古石場図書館主催の、「東京湾、入り口の波佐間と行き止まりのお台場」で、僕の映像を中心とした講演である。
どうするべきか、古石場図書館は、昨日から休館になってしまったが、3月25日に再開である。僕の4月18日は微妙だが、集められる人数は少ないとしても、僕としてはベストを尽くしたい。
写真は 意味のないカットです。
デジタル毎日新聞にお台場の僕の活動の記事が載りました。