ダイビング・ワールド 76ー3
別に意図したわけではないのだが、伊東漁協がイルカ漁を再開しようとしている。
で、この記事を紹介することを見送ろうかと思った。今の時点で、あんまり目立ちたくないのだ。
どうしよう。
富戸の組合も知り合い、友達が何人もいる。
ドルフィンスイマーは、過激な反対運動などしないと思う。僕の見たところでは、捕鯨を再開しようとしている人たち、イルカ漁を再開しようとしている漁業者の方が過激な人が居るように見える。
イルカ殺しに心を痛めるダイバーは、ただ悲しむだけだろう。
ただ、マリンダイビングも「ダイバー」も今度のイルカ漁で、どういう取材をすることだろうか。無視はできない。取材して、コメントしなければならない。
このDWのような記事を載せられるだろうか。
DWのグラビア、赤地に白で読みにくいので、書き抜くと、「富戸漁港はイルカ漁では日本で有数のところ、ここのイルカは、伊豆大島から、遠くは八丈島近くから追ってくる。」とある。御蔵島のイルカも、この時代には追い込まれていただろう。
しかし、数字ではなく、個体識別している友人とみた場合に、殺されることは忍び難いだろう。
そして、イルカにはコミニユケーションの能力がある。昔だけど、沖縄の美ら海水族館の東さんと、名護から小浜島までマッコウクジラ探しに出たとき、鯨の鳴き声で所在を探ろうと集音マイクを水中に入れたが、沖縄の海は、イルカの姿は見えないのに、どこもかしこも、いるかの声、エコロケーションで満ちていた。
御蔵島のドルフィンスイミングが始まった頃、急に世界中のイルカがフレンドリーになった。人間が害にならないと言う情報の伝達があったのかもしれない。 伊東のイルカ漁はやらない方が良いと思う。やったとして、一回はできるだろうが、マスコミの猛取材をうけ、反対の声が、ダイビング関係に満ち、評判を落とした末に、中止せざるを得なくなり、太地のイルカ漁も問題にされ、水族館でイルカを飼うことの反対運動にまで広がる可能性がある。
この前、水族館でイルカを飼うことの反対運動が広まったとき、水族館で仕事をしていた、僕は、板挟みになり、気を使った。
ダイビングの歴史78 海の世界 1975年 5月 でも、太地のイルカ漁をグラビアで紹介しているけれど、モノクロで、血の海ではなかった。
https://jsuga.exblog.jp/29509796/
そして、イルカの権威鳥羽山先輩の特集記事を掲載してショックをゆるめている。イルカについて、知る上で、この記事はぜひ読んでほしい。 大学、一年上の鳥羽山先輩には学生時代から親しくさせていただき、海洋博の水族館の仕事も、すべて、先輩のお世話になり。足を向けては寝られない。性格的にも、人格的にも大好きだった。
鳥羽山先輩は残念なことに亡くなってしまっているが、もし、生きておられれば、繁殖させた、イルカをかうのが、王道で、イルカを捕獲するならば、ショックを少なくして、飼育するイルカ以外は、逃がすべきで、殺戮する必要はない、と言われるだろう。
水族館でイルカを飼うことの、反対運動が広がるのを見るのは辛いが、食用にイルカが殺されるのを見るのはもっと辛い。
この記事の紹介をためらった理由でもあるのだが。 なお、食用で売られてイルカのほとんどは、三陸沿岸で突き穫られているイシイルカで、御蔵島にいるハンドウイルカとは、違う種類である。
第一回潜水用機器展
海中開発技術協会が主催 日本潜水工業会が後援で、東京北の丸の科学技術館で行った。後のダイビングフェスティバルの前身といえる。
工藤昌夫さんが解説を書いているが、後のダイビングフェスティバルよりも数等良かった。
シンポジウムは、今でもこの演題ならば聴きに行きたいとおもうだろうし、自分もスポーツ潜水について述べた。これはあまり感心したできではなかったが、とにかく。
業界のことは云々できる立場にないけれど
自分の書いた第2回目、連載が終わるまでは、DWで続けて行きたい。
後藤道夫に言われた。自伝のようなもの、だいたい終末にかくもので、途上でかくものじゃないだろう。
僕は途上で書いて、終末でも書いた。後藤道夫も何か書いてくれたら良かったのに、彼が書いてくれたら、1958年頃の菅原久一さんのこと、そして、真鶴で日本で初めてのダイビングサービスを始めたこと、そして、進駐米軍ダイバーの話、真鶴半島潜水禁止、そしてその解除までのいきさつとか、ダイビングの歴史で、わからない部分を埋められたのに。そして彼は、僕よりも記録をしっかり取っていたし、写真も多数ある。今、生きていれば、なんとか書かせたのに。