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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0831 ダイビングの歴史 86 DW76-2

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 海洋博のビッグイベントの一つ、マリノポリスと海底を結んで、リアルタイムの映像を水面にあげ、半球状のドームの中のレポーターと話ができる。


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レポーターは、益田安規子、海洋公園の益田一御大の娘で、1970年代のダイバーのアイドルだった。
 今、どうしているだろうか?と思ったら、先頃、娘さんがマリンダイビングだかに、ベストガイドとかで紹介された。親子二代、益田大先生から数えれば、3代になる。

この水中にヌイグルミが出てくる。そのころ、水中ヌイグルミといえば、水中撮影の大家になっている中村宏治で、たしか、この海洋博でもヌイグルミの指導は彼がやったはず。
 残念なことに、僕はこのショウを見ていない。実は、この海洋博自分が関わったもの以外、ほとんど見ていない。忙しかったのだ。振り返れば、残念。

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このマリノポリスショウのプロデューサーは、堀保彦、堀さんは、ズーッと後になって親しくなり、二人でISCという指導団体を作った。その後、堀さんが何かのことで事業に失敗して、目の前(ダイビング業界)から消えて、以後会っていない。どうしているだろう。
 堀さんは原宿にユニマリンというかなり大きい、当時東京で、10本の指に入るダイビングショップを作った。そう、広告でみた限りでは、慶松さんのショップといい勝負か。堀さんの場合は、テレビの番組制作にも、顔を出していた。そして、なんと、ペルシャ湾のオイルラインの仕事に雄飛した。そのころのちょっとしたプロダイバーは、中近東で、オイルビジネスのダイバーになった。僕もちょっと、堀さんの場合は成功した。ダイビングショップをやり、この海洋博でのビッグイベントを仕切りペルシャ湾へ、そして、日本に戻ってからは北九州のオイル備蓄基地のメンテナンスを仕切った。そのころ、僕と仲良くなった。そして、、、、
どうしていることだろう。
 
※この部分、1p切り抜かれてしまった無くなっている。
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