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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0701 ダイビングの歴史 76

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 海の世界 1975年 1月号
 ようやく、1975年になった。今から43年前だ。
 この年、沖縄返還を記念した海洋博が開催される。
 そう、1975年は海洋博の年だったのだ。
 僕も、いくつかの仕事、行事を抱えて、沖縄に何度も通った。まだ右側通行だった。沖縄からもどり、羽田空港において置いた車にのり、走り出す。空港をでて高速に乗る、そのロータリーのところがやばい。つい右側路線にはいろうとしてしまう。

 まずは、海洋博のコンセプトシート
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アクアポリス 海上都市だ。これら建設のために、どれほどの珊瑚が壊されたか、などを言うのは今現在の話だ。前号でか、白井祥平先輩が警鐘をならしていたが。
ばく進する海洋開発。
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 水族館、今の美ら海水族館の後ろ手にあたるところにつくられた。
 僕もいくつかの仕事をさせてもらったが、それはまたの機会。
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海洋牧場、今も僕たちの夢ではある。海洋牧場について、かなり長いものを書きたい。
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このブログ、コピーを半分、1ページずつに切って載せて居る。こうすると、スマホの画面から、拡大すると読めるのダ。今、結構自分で読んでいる。読むとコメントを書きたくなるのだが、それをしていたら、時間がいくらあってもたりない。

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その頃、トラック島、今のチュークといえば、沈船からの遺骨愁傷だった。沈んだ船には一つずつ、船それぞれに遺族会があって、毎年のように供養に行っていた。遺骨が日本に帰ってしまうと、供養に来てくれない。(観光的なしんぱい)がトラックでの話題だった。だから、収容せずに、船は墓石とする。
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 東京湾が、ホトトギスガイ小さな貝が絨毯のように広がり、その部分は他の貝が生息できなくなる。ホトトギス貝のことをメジメジと呼ぶのだが、その駆除をずいぶんやったが、大きな台風が来て、飛ばされる方が効果があり、やがて少なくなった。
自然の力を目の当たりにする思いだった。




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お正月パーティ、書いた新沼君と親しかった。今は亡い。


なお、このブログ、原稿をべつに書かないで、直接書き込んだ。うまくいっただろうか。



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