天気は快晴で、気温は30度を越えて暑い。 ドライスーツを着るのは暑いが、お台場では周年ドライスーツを着ると決めている。 そして、今日の一つの課題は、昔使っていたマンティスドライフィン、これはレッグウエイトを着けないで済むようにフィン自体が重くなっていて、ブレードもやや大きめ、ポケットは大きくて、スプリングのバックルになっている。このフィンを引っ張り出してきた。使ってみる。
尾島さんの海洋観測では、表面の水温は25度、水深1。5mになると、急に5度さがって水温20度になるという。 尾島さんがゴムボートキングジム号の警戒船看板 標識を完成してくれた。この看板で警戒船だとわかる。船というには小さすぎるが、看板をあげると貫禄がついたようで、かっこいい。
お台場ではダイブコンピューターが浅すぎて正確に作動しないので、ログは、Olympus TG4の上にのせたウエアラブルカメラのタイマー表示で測定する。のだが、今日の失敗は、そのウエアラブルカメラのAKASO braveが、まわっていなくて、戻り道、11時20分から撮影開始で、重要部分の撮影ができていない。回っているのを視認、確認しているつもり、目で見ているつもりなのだが、表示が小さいので、見損じていたのだろう。以後注意 ヒヤリハットの前段階として「反省」というのを作ることにしたのだが、その「反省」だ。反省は、「反省した」と記録に書いておく。 例によって午前中は身体のエンジンがかからない。奥村さんに手伝ってもらっての、荷物積み込みなどで身体を動かしたので、幾分ウォーミングアップにはなっているのだが、それでも、動きが鈍い。暑さのなかをドライスーツにのろのろと、入り、いやいやながら7キロのベストを着け、これを着ければダイビングモードにスイッチが入るだろう、などと言いながら4キロのベルトを着ける。
今日のもう一つの課題で、90個のLCDライトとウエアラブルカメラを組み合わせ、0、5キロのウエイトの上に張り付けた設置カメラを持って行く、カメラの前で、牡蠣を砕いて、カニとハゼを集めて定量しようという試みだ。濁りでロストする可能性が高いのでブイとロープを着けた。これを右手に持ち、左手でOlympus TG4とAKASO braveで撮影しながら泳いでいく。両手がふさがっている。これが、AKASO braveが回っていないのに気づかない理由になったのだろう。といいわけする。 今後は、目の前にカメラを構えて、ウエアラブルカメラの液晶を見ながら泳ぐというフェーズを水に入ってすぐの段階、そして目標地点での撮影の前に必ず入れるようにしよう。反省 尾島さんにタンクを背負うサポートをしてもらう。タンクを背負って歩くと、予想していたよりも、しっかりした足どりで歩くことができた。調子は悪くない。 フィンも多分自力で履けたかもしれないが、尾島さんに頼んでしまった。ドライフィンで後ずさりの歩きも悪くなかった。泳ぎだしてのバランスも悪くない。今後はこれをドライ用正規としよう。前にもこのドライフィンだったが、あおり足をするようになって、スーパートライスターに換えたのだった。 泳ぐバランスもドライフィンが悪くない。 ただ、絶対に顔に合っているはずのラクーンマスクが右の豊齢線あたりから水が漏れ入って来て、しかも抜け出にくい。 やはり透視度50cm以下では魚も見つけにくい。時々、といっても2回ぐらいか、クロダイとおぼしき魚が眼の下を横切る。 途中、清水まみとぶつかってラインが混乱して、頭をだす。後から考えれば、このあたりで彼女はイシガニ4匹を見ている。僕もこのあたりで、前に良いショットを撮影している。濁りがきつかったので僕は通過してしまった。反省 ゴールとしている杭の列に到着した。 いつもの杭の下にイシガニがもぐっていた。Olympus TG4と取り付けたAKASO braveで撮った。Olympus TG4はうまく撮れず、AKASO braveは回っていなかった。
そのまま左に移動して、底を見ると、3cmのマハゼ、稚魚が固まっていた。かたまってはいたが、例年ならば、この固まりはもっと広がっているはずだし。そこここに見られるはずだ。今年は、やはりマハゼは少ないのか。次の6月で、赤潮が去ってもう少しよく見えればと期待しよう。 Olympus TG4での撮影は濁りのためか、オートでピントが合わず、「この絵でマハゼが何尾みえますか?」というクイズのようなものになってしまった。おもしろいけど、失敗だ。同時に回っているウエアラブルカメラでは、ややシャープな絵が撮れているはずなのだが、それが回っていない。
せっかく、水中で片手を塞いで、苦労して運んできた設置カメラだ。そこに置いて、自分の姿を撮ってみた。赤潮の中でどのくらい離れたら姿も見えなくなるか。撮影の結果は、3mも離れると見えなくなる。くっきりと見えるのは50cmぐらいだろう。透視度という単位、考え方は、全くのアナログ、つまりいい加減なものだ。経30cmの白色円盤(セッキー円盤)が、形が歪む距離という、人間の眼で判断、測定するのだから、なんともいい加減な測定だ。 もう一つ濁度という測定があり、水を汲んできて実験室の中で、光学的に測定する。これはやや正確だが、潜水してみた海の中は、上下左右にだんだらだ。どこの水を汲めば良いのだ。そんなことで、こうして映像に撮って判断するのが、ダイバー的には納得ができる。 この撮影結果は赤潮としては、まあまあ、普通、もっとひどければ手の先も見えないで暗黒になる。それでも、見える地点では見えるのだが。
設置カメラをさっきのイシガニ住居の前に置いてみた。こっちのカメラ、SJ4000は、廻っていたりいなかったり、不安定なので、慎重に確認する。だから廻っていて、これは撮影できた。この時に撮影したOlympus TG4の方は、撮れてはいたけれど、撮れていたというだけだ。 このまま設置カメラをイシガニの前に置いておこうかとおもった。30分のうちにイシガニは出て行くだろうか。後から考えれば、置いておくべきだったと思う。しかし、この位置はエントリー点から120mで、少し遠い。後からの回収が面倒だ。それに、このカメラを持ってきた目的は、牡蠣を割って魚、カニを集めて定量することだ。そして、設置地点は、泳ぐコースの中間地点にある材木(ここは貯木場だったので、引き上げこぼれの太い材木がいくつか残っていて、ランドマークになっている。そこに、カメラを置けば、いつも同じ位置で観測ができて、定量測定の効果がある。戻り道で、その木の位置に置こうと思っていた。 水深1,5mで20℃だが、ドライスーツにインナーは着ないでTシャツでもぐっているので、寒くはならないが冷たい。 メバルの稚魚(3cm)1尾居て、アゴハゼと一緒に撮影した。このメバルは逃げなかった。3月から同じ、この位置にいる1尾、同じ個体かもしれない。
ランドマークの丸太の位置についた。カメラを置いて、生きている牡蠣を見つけようとするが、あいにくと見あたらない。牡蠣を開くために、100均で買った小さな釘抜きハンマーをライトのウエイトにゴムでくくりつけて置いた。一つだけカメラの前に牡蛎が居たので、釘抜き部分を牡蠣の殻の隙間に差し込んで開けようとしたら、閉じられてしまった。ハンマーの部分で叩いて殻を壊そうとしたが、なかなか、壊れない。やっと壊したが身が入っていない。これでは魚も集まらないだろう。
そうこうしているうちに、残圧が50に近くなってしまった。いつもは100残して2回目のダイビングに使う。50では、ここまで来られない。新たにもう一本使うべきだろうか、カメラの設置をやめて戻ることにした。
赤潮の中、今日は、これだけもぐればもう良いだろう。消極的姿勢、思考だ。しかし、ダイバーは消極的姿勢、思考の奴が生き残っている。行け行けだったら、生きられないと大学4年の時の事故で学んだ。元来は行け行けなので、そのあたりが僕の人格、行動をわかりにくいものにしている。と同時に、僕が生き延びて居るのも、この消極性のおかげだとも思う。
しかし、これもあとから考える、反省すると、残圧50を使って、生きている牡蠣を見つけて、材木の陰にカメラを置くべきだった。
そして、戻ってからの清水まみ聞いた、イシガニ4尾がいた情報の地点を目指して出てくるべきだった。イシガニを見て、撮影してから、設置カメラを回収して戻る。べきだった。
エキジットは、自分でドライフィンははずしたが、尾島ママが迎えに来てくれたので、フィンは預けたが、タンクは背負ったまま、しっかり立ち上がり歩いてベーステントに戻った。体調は悪くなかったのだ。
記録カメラが半分は廻っていなかったのだが、11時30分が戻り道の丸太地点、エキジットが11時46分、潜水開始が10時40分頃だろう(記録がない)、潜水時間は70分と、いつもよりも10ー20分長かったのだが、砂地部分にもマハゼが居たということなので、そして、ドライフィンも快調だったのだから、タンクを換えても、二回目の潜水をするべきだった。反省
反省ばかり下が、トータルして良いダイビングだった。だからこそ二回目にいくべきだった。