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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0513 ダイビングの歴史 70 海の世界 1974年 5月

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 しばらく「海の世界」から遠ざかっていた。復活、戻らないと戻れなくなってしまう。とにかく1980年、ダイビングの、というかダイビング界のスタイルが大きく変動、舞台が廻りはじめるところまで、1970年代のダイビングを追う。 この作業をやってみて、わかったこと。1950年代のダイビング、1960年代のダイビング、そして、1970年代のダイビングが、明白にちがうこと。それは、箇条書きにすれば、①②③④⑤⑥⑦で言い切れてしまうのだが、箇条書きにまとめるためにはノートが必要だし、ノートで年代記風にまとめ、さらに①②③④⑤⑥⑦にする。そのためには、この「海の世界」のノートとり、が必要。1970年代、自分はどんなことを考えて居たのか、ダイビング界、世間はどんなことを?

 この時期、僕は、海の世界に「これからのダイビング」という連載を書いていた。それを、自分のためにも、資料としてまとめておかなくてはならない。

5月号は、特集「楽しいダイビング入門」、そのころのダイビングについてのまとめともいえる。 特集の1は、「こうすればあなたも潜れるようになる。」工藤昌男さんが書いている。工藤さんは、科学評論家の肩書きで、海の世界、マリンダイビングに毎号たくさん書いていた。 まず「スノーケリングをはじめよう」。次に「素潜りを徹底的にマスターせよ」。そして、「スキューバ潜水は必ず講習を受けて。」講習で取得するのは、ライセンスではなくて、技量認定証である。そして、認定証に何段階ものランクをつけるのは無意味である、と書いている。カリキュラムのチェックをする。そして、「クラブに入って安全潜水を」ベテランの知識を導入し、相互に助け合って安全を高める組織としてクラブは有効である。 商業主義、つまりダイビング業界を否定している。これが当時のダイビングの一つの流れである。これが逆転、敗北していくのが1980年代である。  同じテーマについて、僕の考えでは、まずスイミングがあり、そこからスキンダイビング、素潜り、スキューバであり、スキンダイビングの入門としてスノーケリングがある、と言う順であった。


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 あなたは、どんなダイバーに?工藤さんのダイビングのコンセプトである。体力に自信がありますか?で、あるとないにわかれ、自信がなければ、水中写真、水中生物の研究にまわる。自信があるとスポーツマンタイプでスピアフィッシングにまわる。そして、その先で、プロダイバー、インストラクターにまわる。この発想は、僕とはちがう。海洋科学、アーチストは体力は不要?科学者というのは、とてつもない体力を持っている人で、タフである。芸術家も同じである。インストラクターだって、今は女性が多い。インストラクターは、体力も必要だが同時にメンタルがより重要だ。ゴリラがインストラクター、プロダイバーになるわけではない。スポーツと言っても、僕たちはスピアフィッシングは否定している。 これは、考え方の違いだからどちらが良い悪いではないが。工藤さん自身も、外見はひ弱だが、下田ー大島を潜り渡ろうというめちゃめちゃにタフな人だ。僕も身体が弱い弱いと言い続けて、84歳まで潜り抜いている。
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 ダイビング入門の2 潜水講習会ガイド 当時のNAUI、PADI、そして全日本潜水連盟、海中開発技術協会の四つについて、それぞれの特色を述べている。全日本潜水連盟は日本独自の教程でスポーツに力点をおいている。海中開発技術協会は、頭脳的ダイバー育成と言っている。ダイビングは、メンタルなスポーツであり、バカは危ない。NAUI、PADIだって、すべて頭脳的なのだ。この四つが今後どういう道筋をたどっていくのか、今は、すでに結果がでている。 なお、海中開発技術協会の講習が全日本潜水連盟と合併されるのは1981年である。 いずれにせよ、1974年当時、ダイビングの指導組織は四つ、事実上三つだった。海中開発技術協会は指導組織では無かったし、指導組織であるべきではなかった。工藤さんが指導組織をやりたかったのだ。そのことが、後に悲劇を呼ぶ。 しかし、それぞれ特色があり、今現在振り返って読むと感無量のものがある。 なお、NAUI も PADI も現在の組織・態勢ではない。
 「ダイビングの歴史」で、日本国籍指導組織の推移、という小史を書くつもりだが、この部分は大いに参考になる。
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 ダイビング入門の3 「狂乱物価のなかで道具を上手にそろえる法」
 そのころのダイビングの生活の知恵風でおもしろい。商売否定の工藤さんの陰がかなり差している。


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 全国潜水トレーニングプールガイド これら、すべてのプールでフィンマスクで泳げたわけではないが、
 
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 日本潜水会所属のダイビングショップの講習会広告である。
 トウキョウアクアラングサービス
 日本スキューバ
 OKマリンプロ
 そして 須賀と高橋実(現、スリーアイ代表)で、日本潜水会の本家なので、ショップ名は書いていない。


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 NAUIの講習会広告。ショップでだけはなく、本部でも初心者講習をやっていたのだ。




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 漁業権とは、
 書いている人が余りよくわかっていないようにも見えるが、それが、当時のレジャー業界だったのだ。抽象論では無くて、具体的なテーマについての論がほしいのだが。

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 海洋博中心の海洋開発予算
 海洋開発という名前の予算が国にあり、それが沖縄海洋博に使われる。海洋博は、沖縄振興であり、海洋開発とは、少し違うような気もしないでは無いけれど、


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 これからのダイビング 須賀の連載で 第9回になる。
 「潜水にスピードとパワーは必要か」
 いま、よれよれになり、スピードもパワーも無くなって、「スピードとパワーは必要か」、など恥ずかしい限りだが
 「スポーツとしての潜水を確立したい。」
  ダイビングはレジャーなのかスポーツなのか。
 レジャーとしてスポーツをやるのではないのか。
  レジャーを静態型、動態型 にわけたりして、かなり本質的な議論を展開している。
 その後1988年に生涯スポーツという分野が確立され、そして、その生涯スポーツが高齢化社会、まさに生涯スポーツを盛んにしなければ、日本という国が地獄になる(オーバーか)というこの2019年に、オリンピック、競技スポーツがすべて、生涯スポーツは、脇に押し出され、葬り去られようとしている。数日前、看護学博士の黒田と議論した。

 ダイビングは本質的に、どういうスポーツなのか、どんなスポーツであるべきなのか。議論は続いていて、1974年に自分の考えていたことを今知ることは、自分にとっておもしろくもあり、重要である。
 
 議論はまだ続いている。

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