中島君は、最後は僕もすこしばかり関わった、プロジェクト、タンデムのウインドサーフィンで、グアムまではしっていこう。そのテストで沖縄慶良間近くで命をおとしてしまう。海の植村直己とでも言おうか。
刑事責任は負わなくて良いというか、刑事責任を追及された例はなかった。
今ならば、直ちに民事訴訟だが、1974年は、まだ民事訴訟で訴えられない、牧歌的な時代だ。
訴えられなかったから、賠償責任保険も無かった。
ならば、どういう責任をとれば良いのか、人の命に責任を負いようがない。ここととは今も同じ。賠償責任、訴えられなければ、どうすれば良いのか、腹切り切腹か。あるいは、インストラクターはパーフェクトな過ちを犯さない人で無ければ行けないのか。その頃、僕たちがどんなことを考えていたのだろうか。どうすることも出来ないのだけれど。
中島正一君の熱海ー初島間潜水の詳報