フォトコン入賞の秘訣はこれだ! 舘石昭 カラーグラビア ページで、この10年、ということは、70年からはじまったのこのコンテストの1位をならべている。
で、ここにそのグラビアを持ってきた。
ここで写真論を展開するつもりはないが、10年分並べてみると、並べたことで見えてくるものがある。全体としてみると、バラエティに富んだ とても良い写真集になっている。
なお、このグランプリは今も続いていて、何回になるのかな、50回?これはもう一つの歴史であり、文化である。マリンダイビングという雑誌が、日本の水中撮影の発展に果たした、功績は大きい。
6回の1位に谷島幸一君が入っている。5回が、伊藤勝敏さんだ。
「潜る権利?は、ここまである!」松田政行(弁護士)この年、1980年、真鶴半島が全面潜水禁止になり、それを受けて、ダイビング誌では何回か記事がくまれ、マリンダイビングでも、これがこの問題の松田さんの記事の最終号としている。
それはそうだけれど、地元の人がこぞって反対しているところに潜りになどは、だれも行かない。漁民が全面禁止と言えば、法律的にはともかくとして、全面禁止になってしまうのだ。
漁場を公開する公園制度というのもある。そろそろ業界もまとまって一つの法人になったらどうだ、とも言っている。
僕の立場からこれを読めば(当時)海中開発技術協会という法人があり、それに全日本潜水連盟が合同することによって、そのような形になる。そのようにしよう、と働いたことが、僕の生涯の不覚となるのだが、まだそのことはわかってはいない。
そして、松田さんは「漁場利用調整協議会」というものをここで提案している。レジャーダイビングが漁場を利用するというネーミングはおかしいのだが、水産庁は遊漁を対象として、そのような協議会を作っていて、それにダイバーも出て行けばという提案だ。
僕はこの会議には出ていない。全日本潜水連盟としては、PADIの椎名勝巳がでている。椎名のPADIは、全日本潜水連盟の一員なのだ。役員を見ると
理事 議長が椎名勝巳、理事、副議長が荒川保(PADI)理事 吉田一心 理事 関谷宗治(たぶん海中開発技術協会から出ていたと思うが、スクーバプロだ)監事 宮下高行(PADI)事務局長が弁護士の松田政行さんだ。
そして、第一回真鶴町 漁協、潜水問題協議会が開かれる。そのメンバーは、漁協側が宮川組合長はじめ漁協理事8名、ダイバー側が、上記利用者会議の椎名荒川、松田、吉田、そのた地元の後藤道夫、志村健一郎が出席、立会人として県水産課の佐藤技官が加わった。
結局のところ、この翌年の81年に、後藤道夫が中心になって話をまとめて、真鶴問題は解決する。
地元の真鶴ダイビングセンターが解決しなければ、ダイビングセンターはやって行かれない。 僕の目からみれば、利用者会議だとか作らなくても、地元が解決する問題だと思っていた。
この真鶴問題が、ダイバー対地元漁協の紛争の公式な、最初で最後だった。
以後は、地元の漁協と協力、あるいは漁協自身が経営に参画する、ダイビングサービスができて、これによって、レジャーダイビングが行われることが通常となって、漁協とダイビングサービスの協調、共同が育っていく。伊豆海洋公園についてはまた別のストーリーがあるが、結果は同じである。
そして、ダイビングのタンクは、すべてダイビングサービスでレンタル、あるいは充填管理するようになり、ダイビングサービスを何らかの形で通さなければ、レジャーダイビングはできない形になり、漁協とのトラブルはなくなる。つまり、漁協対ダイビングサービスの問題になり、漁協が、直接間接にダイビングサービスの運営に関与する例が多くなり、ダイビング指導団体の関与はなくなり、解決された。
回り道もあったが、必要な回り道だったのだろう。