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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0304 ダイビングの歴史63 マリンダイビング 11月号-3

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「ちびっ子ダイバー」武田康弘さんという方がやっている屋外教育である。武田さんに僕はお目にかかった記憶が無いのだけれど。
 我孫子児童教室で、夏季キャンプ、77年は城ヶ崎、78年神津島 79年房総の根本(白浜)でキャンプと海辺での潜水遊びをやった。


 子供でも、今の浮力体を着けたスノーケリングとは全く違う。ヘッドファーストで潜って水深5mの石をひろわせる。おもしろいのは、最初の段階では危険なのでフィンを履かせないことだ。磯で転んで怪我をしやすいからだという。もちろんライフベストは着けていない。運動靴を履いてツービートで泳ぐ。スノーケルは、鬼怒川のサミーをつかう。これで、毎日お風呂でスノーケルクリアーの練習をする。
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 最終的にはフィンを着けるのだが、そのころには、たぶん、いっぱしのスキンダイバーになっているのだろう。
 今2018年、そのころの子供は50歳になっているはずだ。どこかにおいでになるだろうか。
 現在まで、続いていたとすれば、すごいことになっていたのに、


 しかし、ジャケットを着けるルールが一般になっている今は、こんなことはできない。もしもの時に訴えられたら大変なことになる。
 
 結局、広告、については、別に見ることにした。



 NAUIのダイビングスクールブルーラグーン
 講習料は40000円。1980年だったら、ずいぶんと高く感じたろう。

 タートルは、マスクレンズの度入れから始まった。後に銀座で撮影用品のショップ。オーナーの荒川さんには、仲よくしていただいた。ちょっとしたアクセサリーをつくるのも上手だった。

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NAUIのダイビングスクールMAUI
 コースの値段を見ると、
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密かに、この足だけの人 誰?


 sea & seaが、ハウジングではなくて、作ってしまったカメラ 小さいストロボも用意されている。どんなカメラだったのか、ほとんど記憶にない。35mmフィルムのカメラだったのだろうが。
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新宿の海 DO スポーツのショップ。
おそらくは、都内で一番売れたダイビングショップのはずだけど、
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けっきょく、水深の深いダイビング専用のプールというのは、水泳よりも率がわるい。たとえ機材販売を同時にしたとしても、割に合わなかった。
商売として、ダイビングはスイミングよりも難しい?のだ。
まだ、1980年には、DOスポーツは、ダイビングショップ部門も勢いがあった。
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テンノット
これも、DOスポーツがやっているツアー会社で、フィリッピンのエルニドがベース、僕はエルニドに一度も行っていないが、語ることが山ほどある。

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アクアク 決算大バーゲン 2ページ大の広告を出すところは、成功しているショップだ。
アルミシリンダー 46000円だ。
計器類のショーケースの真ん中に先日のシンポジウムでも紹介した。Sプロの画期的商品である減圧計が置かれている。ほかのダイブコンピューターは、まだ姿を表していない。
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海賊の館 この人誰だったか思い出せなくて。そして、おお!三宅島海洋開発 定宿は、豪華プール付き、(三宅島でプールがあるのだ)DOスポーツ関連のアイランド
僕の三宅島ベース 今年2019年、こそは三宅島に行かなくては、三宅島が遠い島になってしまう。

大江戸海士 NAUIとPADI両方のマークを並べている。1980年には、まだ、それは有りだったのだ。
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全日本潜水サービス 笹部さんのお店で、世田谷区代沢。今、親しい斉藤真由美さんは、ここのお客さんだった。

ついでと言っては失礼なのだが、OKアクアラングサービス・たぶんこの後の2000年の月刊ダイバーにも出てくるので、その比較。オーナーの土山さんと、小さかった娘さんの写真が、ここにも、他にも方々に出て、有名になった。
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NAUIそのものの広告 四谷の三栄町にあった。田口君がいた。社長は田中さんの時代。
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 ブルーサブが2p見開き、カラー広告と、ずいぶん広告を出している。
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 並んでいるBC.、胸掛け式が主流、ジャケットが出始めということがよくわかる。レギュレーターは、すべてシングルホースだ。
 ニコノスの15mm超ワイドが140000円、専用ファインダーが35000円、足せば175000円だ。sea & seaの、それに見合う超ワイド20mmが50000円だった。そうだったのだ。
 ここでは、ニコノスⅢ型もⅣ型に並べて、売っている。65000円 Ⅳが75000円だ。Ⅲの方が好評だったのだ。

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 PADIの広告、このときはまだ、PADI潜水指導協会で市ヶ谷の春日マンションにあった。現在のPADIは、1982年からだ。

 これも大きなお店(広告) シーラブ NAUIの講習だ。
ダコールのレギュレーターを正面に打ち出している。
今、ググってみたら、同じマークでは2016年までのスケジュールしか出てこない。
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 トウキョウアクアラングサービス
 全日本潜水連盟の講習をやっていた。内藤さんの時代だったと思う。僕との関わりは、有為変転、これだけで一つの歴史だ。いずれまた。
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 NDSのレギュレーターも今は歴史だ。

 そして サザナミ 全日本潜水連盟の関東支部長をお願いしていた。セブ島にベースを持っていた。
 そして、この翌年1981年、雲見でタンクの爆発事故を起こす。サイパンにまで、ベースをつくっていたのに、本当に悲劇だった。この事故についても、また別に詳しく書くけど、オーナーの喜多さんは、全日本潜水連盟の関東支部長だった。

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 シーライフ シーラブとよく混同していた。どっちもつきあいが無かったので。
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 Buddy 菅俣さんのお店。     東亜潜水も昔も今も変わらず、お付き合いの広告を出してくれる。
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東京ダイビングスポーツ、日本潜水会が、全日本潜水連盟の支部になっても、最後まで日本潜水会の看板をあげてくれていた。大沼さんのやっていたお店。繁盛していて、カード発行数も多かった。
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 最後の裏表紙の裏 ハリサン 今は廃業されてしまったが、僕には、想いがたくさん残っている。他のメーカーよりも安い価格で、ほぼ同等のものを作って売っていた。安売りはハリサンから始まった。

 さて、こんな風に広告を並べてなんになる。何にもならない。単なるノスタルジーだろう。
 そのとおりだけど、それが時代背景なのだ。一番最初に書いたけど、1980年はターニングポイントだった。その時の時代背景、ああ、あんなお店があって、あんな値段で、あんなものを売っていた。とともに、機材販売から、次第に講習とか、ツアーに商売の、広告の軸が移りつつある。
 この広告の時代背景のうちで、真鶴潜水禁止問題があり、解決の方向に向かい、レジャーダイビングと共同漁業権漁業の、折り合いが生まれてくる。そして、一方では、ナヒモフの金塊のサルベージ
 減圧症についてみると、ふかしが是か非か、そしてダイブコンピューターはまだ普及(ショップで売られて)いない。
 ダイビングの指導では、パディ、ナウイ、特にPSDIのC カードに時代が移りつつある。
 ダイビングのスタイルも、救命具そのままの胸かけ式のBC.からスタビジャケットに移る。これは大変革なのだ。そのことについては、また別に書きたい。長くなりすぎるから。
 そんなことで、進行させようとしている「ダイビングの歴史」というジクソーパズルのピースを作ろうとしているのだが、
あんまりうまく入っていないけれど、自分として、面白いので、もう少しこの方向を追う。
 次回は2000年、1980年から20年後の月刊ダイバーをみる予定。


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