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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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ダイビングの歴史 60 マリンダイビング 1980-11

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1980年
 ぴったりと1980年、何月何日ではなくて、1980年頃、スクーバダイビングのターニングポイントだった。
 72年頃から出てきたBC.がレジャーダイビングでは定着した。(スタビは76年からだから、まだまだ少数派だったっが)自分などが、BC ダイバーになるのはもう少し後になるが。
 自分の仕事も転機だった。1980年、釜石湾口防波堤工事で、水深60mへ混合ガス、船上減圧のシステム潜水を、実際の作業潜水工事としては、日本で初に近かった。混合ガスを使うことは高圧則では特別扱いで、減圧表も現地の基準局に届出したりした。
 テレビ番組の撮影もそろそろ多くなってきた。
 自分の仕事、自分のダイビングも移り変わっていた。
 少し厳しくいうと、それまでトップをはしっていた僕のBCなしのダイビングも技術的には終着駅についた。それまでは、自称、神業に近かったが、以後、1990年頃までは、水平飛行、並みで、やがては下り坂になる。最近では急降下、やがて墜落か?


 レジャーダイビングについて、今、ダイビング人口をこれまでのCカード発行の累計で言うのだが、その原点、ゼロポイントが1980年だ。すなわち、それまでのレジャーダイビングはゼロ、カウントされない、
 1982年に今のPADIジャパンがうまれるのだが、1980年頃から、日本国籍の指導団体、僕がやっていた全日本潜水連盟から、米国籍のPADI、NAUIに大勢が移行しはじめる。
 そんな1980年、マリンダイビングの11月号、
1957年に始まった、日本潜水科学協会の「どるふぃん」、最終号の1965年まで、一冊ずつ解説して追ってきたが、それと同じスタイルで、この1980年11月号を、見てみよう。何回かの連続になるが、ダイビングの歴史 再開の助走としては、対象として見ていくもの(雑誌)があるので、書きやすい。
 そして、おもしろいと思う。スリリングでもある。当時のダイビングについての考え方、状況が凝縮している。
実はマリンダイビング誌は、僕の所属リーグではなかった。つまり、ぼくの書いたものは載せてもらえない。ぼくは、海の世界のオーシャンライフと、ダイビングワールドがホームだった。
 でも、この、1980年、11月号のマリンダイビング資料として第一級である。そして、このころのこと、懐かしがって見てくれる人も多いはず。そのころ、つまり40年前、ダイビングを始めたダイバーたちがまだ多く残っている。最近、ぼつぼつ、寂しくなってきているが。

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 まず、表紙から、「潜水事故大特集」だ。そのころの潜水事故のすべてがわかる。そして表紙のモデル は?ロックかなにかのスターかと思ったら、モルジブに遊びに来ていた普通のお客、舘石昭氏撮影、ちょっとしたフェイク。
このときの編集長は、鷲尾君だ。彼も一つの頂点にいた。発行人は舘石昭ボス。
 広告について
 ここまで、ダイビング誌をコピーするとき、記事、あるいはトピックスだけを追っていて、広告部分をあんまり熱心にはコピーしなかった。最近、広告部分こそが歴史を追うのに重要と考えるようになり、全ページをコピーしている。手間がかかるけど。
 広告を見ると、本当におもしろい?懐かしいのだが、全部解説するのも大変だから、思いつくままに、それでもかなり大変。記事の解説と平行して、※印で見ていくことにする。
 順を追わないと、なにがなんだかわからなくなるので、ページの順を追う。
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 ニコノスは、だめなⅣ型だ。
 エキサイティング マルジブ モルジブではなくてマルジブなのだ。グラビアは今のダイビング誌と同じようなものだが、
 
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 サンファンの広告がカラー1ページ 
 パプアニューギニアは、40年前からだったのか?
 
 そして、グランプリ、この10年。
 この部分は、あとで舘石さんの解説がある部分に移動して見ることにする。順が変わることになるが。




 
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「やったぜ!8000億財宝引き上げのヒーローたち」
 実はこの記事があったので、取りのけてあって、書棚に残っていたのだ。懐かしい顔が並ぶ。森さん 玉内さん。この二人が仕掛け人。
 ダイバーでは高橋さん。写真で顔を見られるのが貴重だ。

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 鷲尾君は、小説「ナヒモフ号の秘宝」を書いたが、小説などにせず、実録、ドキュメンタリーにしろ、といいたい。今となっては、命を取りにくる奴なんて居ないのだから。本当のことを書いても大丈夫、それを書けるのは君だけなのだから。
※伊豆海洋公園の広告、此の写真、印象に残っている。

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 さて、「潜水事故大特集」

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 一応、事故に至る経過を述べている。その経過の中に、事故の要因が潜んでいる、というスタンスには、昔も今も賛成。
 五つの事故を取り上げ経過、解説している。そのどれもが、初心者に近い人が、バディと離れた、あるいはバディによるレスキュー不能のために命を落としている。
 そのいずれもが、Cカードの講習制度が向上して、ガイドダイバー、あるいはインストラクターが同行して、そのガイドダイバー、インストラクターが優れていれば防げたものと考えられる。それでは、現在、Cカード講習の精度があがり、インストラクターの技量も向上して事故がなくなったかというとなくならない。どこかで、40年前とおなじようなダイビングをしている人がいるからだとも考えられる。そして、レベルがアップした分だけ、行動半径が拡大した。

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※O式ドライスーツ、今もゼロがつくっている。小川君が考えたのでO式だった。





 事故大特集の芯であり、今読んでもためになる?「ふかし治療は是か非か:潜水病を考える」
 その一「ふかし治療で、私は死にかかった:植木利勝」植木君はよく知っている。松山で何度かおせわになったが、この死にかかったふかしの後だったと思う。
 これは、本当にでたらめな「ふかし」をやって症状を悪化させ、再圧室のある病院に搬送され、治療の結果、治った。よくも助かったと思う。話は別だが、ワンマンチャンバーを持っていたのだが、自分が中に入り、操作を他に任せて、症状を悪化させた例もある。九州の川俣君で、車いすの生活になってしまった。


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 その二は、「私は減圧症を、ふかし治療で克服した。」清水宏、この人は知らないけれど、ふかし治療で清水さんを治した門多さんはよく知っている。植木君も門多さんも全日本潜水連盟の仲間であった。
 死にかけた植木君は、ふかし治療は絶対に非である。助かった清水さんは、是である。



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 このまとめ的に、そして実例の説明もしている「ふかし治療を医学的に解明する!」全日本潜水連盟 安全対策協会会長 岸部ススム 
 岸部先生は現在の全日本潜水連盟のたしか名誉会長であり、この当時は秋田の大きい病院の院長先生で外科のお医者さんである。僕自身の人生でも、岸部先生のアドバイスに従っていればよかったとおもうようなこともある。尊敬する友人だ。
 これは、岸部先生の指導(電話指導)もあって、激烈な痛みの減圧症のふかし治療に成功した例であるが、再圧タンクのある札幌までは遠い茅部であったために「ふかし」をおこなった。現時点で振り返ってみれば、北海道という地域の寒さを考えれば、遠くても札幌まで行くべきだったと思われる。危なかった。
 僕自身の体験(インドネシアとトラック)から言えば、飛行機でなければ再圧施設にたどりつけない。水温が暖かく無理無く水中にとどまれる場所であれば、ふかしは是というか、緊急避難としてありだと思う。
 とにかく、ふかしの実例について、現役の医師がかかわって成功し詳細な報告をした貴重な例だと思う。
 




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「潜水事故とダイビング団体との関係は?」北島敏勝
 北島さんは高等学校の先生で、定置網ダイバー(深海ダイバー)の経験者であり、海中開発技術協会の理事もされたことがあり、僕たちが日本潜水会・全日本潜水連盟で集めた事故資料を整理してもらった。そのときの資料、その延長線上で、この記事を書かれたと思う。
 なおここで言う、ダイビング団体とは、ダイビングクラブのことであり、日本では398のダイビングクラブがあった。(北島さん調べ)このころが、ダイビングがクラブで行われたピークだっただろう。ここに、ダイビング人口は50万と書いてあるが、どうだろう?。
 最初に述べたように、1980年はCカードの原点、ゼロ点で、これ以前はCカード人口として数えられていない。そのゼロ点で50万はちょっと無理か?(後で、この人口問題にはもう一度触れたい)
 書いている文は抽象的であり具体的なまとめがないが、団体(クラブ)数398 アンケートに答えた団体が168で、会員数が12473人 指導員数(インストラクターとは呼んでいない)474人 集めた事故の数 130例、死亡例が72である。この数字は意味がある。
 この統計に使用した資料(今残っているのは一部だが)は、僕の手元にある。

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 北大路欣也 インタビュー どうでも良い。


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 バカでもジュンでも撮れる 舘石昭
 そういえば、和田じゅん マリンダイビングのトリックスターだったけど、今はどうしているだろう。

                   つづく


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