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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0216 シンポジウム3 お台場

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 東京港水中生物研究会、1996年より調査活動を行っている.この研究会は、人工魚礁研究会と同じく、日本水中科学協会の主催するクラブ(研究グループ)である。

ここでは、まず発行した報告書そのものを、掲載する。会場では1996年から2018年までのトピックスを年代順を追ってビデオ映像で紹介した。報告書に続いて、そのビデオ映像から抜き出したスチルで、活動の推移を説明する。

東京港お台場の定点継続調査  Ⅰ  沿革  お台場は、東京湾の奥の東京港の行き止まりで、東京の中心部にあり、もう少し奥に進んで右に回ると佃島、月島から隅田川に入り、永代橋にいたる。 
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レインボーブリッジが真上に掛かり、東京の下水道の排出口に近く、下水処理場も近い、東京湾の行き詰まり、東京湾としては、劣悪、最悪の環境と考えられる。 ここに潜った最初は、マハゼの産卵調査で、まだ、海浜公園にはならない工事中で、今の水上バスの航路の外側だった。水深6mぐらいの軟泥(ヘドロともいう)深く、マハゼが産卵のために掘る、深さ2ー3mにもなる産卵穴の調査であった。そして、1985年秋、テレビ朝日のニュース・ステーションでの東京湾特集で東邦大学の風呂田、そのころは講師と一緒に潜ったが、まだ、そのころは、下水の一部と見なされていて、硫化水素の臭い(どぶの臭い)がた。ほぼ、時を同じくして、親しくしていた中村征雄も東京湾にもぐり、「全東京湾」という傑作カメラルポルタージュを書いた。 ニュース・ステーションの水中レポートシリーズで須賀潮美がデビューしたのも、1986年、同じ年であった。
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       1996の開会式は、特設ステージで行った。

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 その後、1996年、海上保安庁、特救隊の隊長時代に取材で知り合った、宮野直昭さんが東京港の警備救難課の課長に就任し、一緒に何かやりたい、東京都民と海上保安部の距離を縮めたい。うわべは人工砂浜などで、きれいにしているが、その海底は、ゴミ溜め同然になっているお台場のゴミ拾い、クリーンアップをしようと言うことになり、クリーンアップ大作戦「お台場を泳げる海にしよう」を始めた。 大作戦は、1966年にできた港区スポーツふれあい文化健康財団、通称キッスポート財団の主管行事になり、今日に至っている。 そのゴミで埋まっている海中に、多種多様な生物がたくましく生きていることを見たことから、その調査をクリーンアップ大作戦の一環としよう。ゴミを拾うだけでなく、そこの生態系も見ていこうと、ニュース・ステーションなどで親しくなった風呂田教授と語らって調査活動をはじめた。 やがて、2002年、お台場だけではなく、その隣の船の科学館の脇に水上スポーツと海洋観測実習のために設けられたポンツーンからの潜水も加えて、調査観測の場を二カ所に増やし、船の科学館に事務局を置き、東京港水中生物研究会とした。船の科学館のある青海北埠頭は、お台場とは近いが、お台場の外側のような環境で、より大型の魚、カニ、シャコなどが集まり、良い観測調査点であったが、船の科学館が東北大震災の影響で休館となり、ポンツーンも撤去され、休止状態になっている。  お台場生物潜水調査の目標と成果 ①「東京港の奥お台場を泳げる海にしよう。」僕たちは泳ぐどころではなく、潜っているのだが、潜る姿が日常に見られるようになれば、つまり、お台場でダイビングが市民権を獲得することができれば、連動してスイミングやスノーケリングができるようになるだろう。と共に、東京湾でもその湾奥の東京港のそのまた行き止まり、最悪とも考えられる水環境の中で、環境の直接的な影響を受ける生物の推移を観察記録しようとした。この湾奥の環境を見ていけば、東京湾全体の環境の推移がわかる。さらに世界の海環境の推移がわかるのではないだろうか。  ②日本水中科学協会の海洋生物観測、観察のコンセプトとは、定点選び決めて、継続して観測、観察して、生物環境の推移を追い、記録していく。  主要メンバーとそれぞれのテーマ 風呂田利夫:東邦大学理学部名誉教授:調査観察の指導・二枚貝(ホンビノス・アサリ) 多留聖典東邦大学理学部・東京湾生態系研究センター:魚類・生物全般と調査指導 尾島智仁:海洋観測と環形動物など底棲生物調査 尾島雅子:魚類 三ツ橋千沙:植物(科学未来館)  須賀次郎:ビデオ撮影と全体の調整 清水まみ:スチル撮影 ゲスト(研究者)杉原奈央子(東大)自見直人 依田浩太郎(東京海洋大) 他に、海をつくる会メンバー、など、撮影活動を中心とするメンバーが集まるが、次第に専門分野が決まっていくことを期待している。 ゲスト(カメラマン)中村征夫 京極恒太 植之原英彦  安全管理 鈴木敏久 山本徹  発表した研究報告 2006 「海と渚美化推進機構報告」 2007 「海と渚美化推進機構報告」 2016 「東京港水中生物研究会報告:日本水中科学協会」 2017 「東京港水中生物研究会報告:日本水中科学協会」  ネットでの公開 東邦大学理学部 東京湾生態系研究センター 東京港生物調査 http://marine1.bio.sci.toho-u.ac.jp/tokyobay/daiba/index.html   Ⅱ 映像発表:年代を追って  1996ー1998年 クリーンアップゾーン(潜水許可区域)の海底は一面のゴミ 
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 大きめのボール箱などが、魚礁になりメバルの稚魚の住処になっている。  
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1990年代は、 外来種全盛の感じであった。

 イッカッククモガニ、
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チチュウカイミドリガニ 雄が雌を抱えていどうしている。
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海底一面のムラサキイガイ 今、この場所は牡蛎が一面になっている。
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一面の牡蛎に変わった

外来種は在来種よりも環境の悪化に強いので、在来種の住処を奪ってしまうので、駆除しなければならないなどとしているが、ここお台場では、2014ごろには、外来種は、再び在来種に取って代わられている。海底一面を覆うようなイッカククモガニは、見つけるのも苦労するほどになり、おなじく、チチュウカイミドリガニも見えなくなり、在来種のイシガニが復活してきた。海底のムラサキイガイも、牡蠣が海底を覆うようになって、海底から後退した。 お台場は、都市排水のための富栄養で酸素が過大に消費され、夏期は、水温上昇のために対流による水の攪拌がなくなり、低層は無酸素状態になる。そのために、多数の生き物が死滅することがあり、その後、その場所に別の生物が入り込んできて、競争相手が居ないために爆発的に増える。そんな劇的な変動を繰り返している。 お台場の調査では、さきに発表した人工魚礁調査のような数量的な変化を記録していなかった。簡略な記録でも良いから、その変遷の数量的な変化を残せば良かったと反省する。  1998年には、三陸沖にいるイシイルカが迷い込んできて、一週間ほど滞在した。 
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 クリーンアップ大作戦 海底のゴミ拾い 港区、キッスポート財団 海上保安部の協力で特殊救難隊が潜水指導にあたった。
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          ラインを引いてゴミを拾う指導をした。

 
 2012年

 人工磯場 2012年、お台場には、海洋建設(日本水中科学協会会員)が製作した人工磯場と命名されている、牡蠣殻礁(人工魚礁)が三基設置された。90年代、海底の大型ゴミ、ボール箱などの魚礁効果でメバルなどが集まっていた。清掃することは、魚の住処を取り去っているという面もある。言うまでもなく、ゴミはゴミであり清掃されなければならないが、人の手による魚礁がその代わり置かれることは、望ましい。 3月に磯場が設置されると、4月にはメバルの群が集まってきた。この人工磯場は、高さ2mのものと1mのもの、それぞれ縦1.2m 幅1mと、ここに枕設するものとしては大きい。
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            9月の無酸素状態から脱して、11月に人工磯に戻って来た魚
 無酸素(青潮) 東京湾では、埋め立てのために掘削された大きな穴が各所にまだ残っており、穴の中は無酸素状態が続いている。風による表面流動などによって、この無酸素水が吹き上げられて、青潮とよばれる現象になり、その青潮が、海岸に押し寄せると、青潮の範囲の生物が死滅する。この現象がこれまで、だいたい6ー7年置きぐらいに起こっている。 2012年9月、青潮がお台場を襲って、生物が居なくなる死の海となった。人工砂浜にいた大型のホンビノス貝が全滅した。
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死んだ後を見ると、こんなに山になるほど、ビノスガイが居たのかとおどろく。 小さい個体、稚貝は、生き残っていて、2年後ぐらいには、大きい個体も昔のように見られるようになった。ビノスガイは、居る水深が1m以上であり、潮干狩りでは採られないので、そのまま多数居る状態が保持されている。風呂田先生が、資源量など研究されている。 魚の類は、どこかに逃げていたらしく、10月11月になると、水質の回復とともに戻って来て、人工浅場に群れた。シマイサキの稚魚、メバルはやや大きくなった個体がいくつか見られた。  硫化水素と硫黄バクテリア          
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 お台場海浜公園は、四角の三辺は、一辺が浅い磯場、二辺が人工海浜(砂浜)で、その中心、水深3mより深くなると、そこはヘドロであり、ヘドロ部分は夏の酸素不足で硫化水素が発生している。硫化水素はどぶ泥の悪臭のもとであり、口に入れば猛毒で、自殺用にも使われているとか。水に溶けてダイバーが飲み込むようなことは、故意にしない限りは無く、23年間、硫化水素により事故は無かった。   硫化水素のあるヘドロの上は、硫化水素を同化している硫黄細菌がカサブタのように覆っている。硫黄細菌が多ければ、硫化水素があるという指標にはなっていて、冬の間は硫化水素は少ないらしく、硫黄細菌も点々と存在するだけになる。
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 すでに述べたように夏期、水の対流がなくなると、海底は、測定値では無酸素に近くなる。江戸前の象徴ともいうべきマハゼなどは、酸素欠乏に強く、測定無酸素(無酸素では生きていられるはずがないのだが)でも普通にしているが、他のハゼの類は、隠れていた牡蠣殻などから出てきて、表層は酸素があるので、浮き上がる。 同じ無酸素でも、青潮の無酸素は、魚を完全にきえさらせる。青潮は、無酸素だけでなく、硫化水素をふくんでいるのだろう。青潮の時に潜ると、異臭がする。  2016年 生物の勢いがあり、多数のイシガニヤ、タイワンガザミが見られたが、2017、18は、イシガニも見つけるのが容易でなくなった。 
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             イシガニ
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            タイワンガザミ
 2018年 2020年に行われる東京オリンピックでは、トライアスロン競技がお台場で泳ぐ予定になっている。 困るのは、大腸菌数である。お台場は下水の放水口と近く、東京の下水道は一系統、下水の雨水が混合されて排水されるので、雨が降ると大腸菌数が増える。大腸菌が増えたとしても、硫化水素とか青潮とかとちがい、別に異臭はしないので、ダイバーとしては何ともないが、オリンピックでは国際競技基準で大腸菌数が規定されていて、お台場は雨が降れば、この基準をパスできない。        
 別に健康を阻害するレベルではないので、ダイバー的には、何の問題もないが、オリンピックではそういうわけには行かないで、大腸菌の多い水をせきとめるフェンスを造るらしく、その実験をしている。三重になっていて、フェンスの中は明らかに水がきれいに澄んでいるが、大雨が降って大量の下水が放水されれば、大腸菌水を止めるのは難しいとか。うまくいくと良いのだが、   
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             フェンスの内側は透視度がいい
牡蠣 江戸前、お台場周辺はもともとは牡蠣の産地であったという。牡蠣が水を浄化するというので、2007年、お台場で、都民のレクリェーションも兼ねて、牡蠣の垂下養殖が試みられたが一年で終わった。すでにのべたように、2000年頃から、調査海域の海底、ヘドロ地帯の外側で、人工砂浜でない位置で、ムラサキイガイと交代して一面の牡蠣になった。 牡蠣の浄化作用がお台場全域の水の浄化に役だって居るかどうかは疑問であり、牡蠣そのものが死ねば有機物にもなり、富栄養のもとになるので、それを定量的に比べれば、浄化作用としてはマイナスだとする意見もある。しかしながら、目視的に牡蠣の上、直上の水は明らかにきれいになっている。また死んだ場合にはたちまちのうちにカニやハゼに食べられてしまって、牡蠣殻の隙間はカニやハゼの住処になる。また、姿形が観賞魚になるようなトサカギンポなどは、牡蠣の死に殻の中で産卵する。
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 調査海域は、牡蠣が重要な役割をもつ生態系になっていると考えられ、測量尺を 牡蛎の上に置き、尺の片側、30cmほどの幅で撮影して、生きている牡蛎の数を調べる牡蠣の定量調査を始めることにした。牡蠣の消長、牡蠣が元気に生き、牡蠣の覆う海底が広がることは、調査水域が良化していると言えるのではないだろうか。 この水域がいつの日か牡蠣の産地として、江戸前の牡蠣が復活するかもしれない。  マハゼ マハゼは、江戸前を象徴するような魚で、他の生物の消長に関わらず、お台場の水中全域で見られる。マハゼは柔らかい軟泥(へどろ)を深く掘り進んで、その奥で冬に産卵する。3月には小さい稚魚、4月5月には、2-3cm、5月6月には5-6cm、7月8月は、デキハゼ、その年にできたハゼになり9月10月頃から、ハゼ釣りの対象になる。
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            マハゼと牡蛎
 マハゼの産卵は何回かに分けて行われている。2018年は、その早い時期の産卵が行われなかったらしく、春先の数が少なかった。その代わりだろうか、メバルの稚魚の数が多かった。お台場の底のヘドロがマハゼの産卵場になっているかどうかについては確認していない。1970年代、お台場の外周での産卵は確認している。

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