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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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1221 1957年のウエットスーツ

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1954年の事故、1957年の潜水実習のブログで出すつもりだったのだが、余ってしまった写真。せっかくだから説明しておこう。
 写っているのは、一級上の橋本先輩、1956年には一緒に奄美大島に行き、ずいぶん世話になった。1958年には一緒に潜水部を作った。
撮ったのh、おそらく1957年の春か秋、僕たちが潜水実習をした夏ではない。ウエットスーツを着ているから、多分秋だろう。
 写っている舟は、櫓漕ぎの和舟 サジッタ(ニックネーム)でずいぶんとお世話になった舟だ。
 さて、着ているウエットスーツだが、1960年にできた、独立気泡の、今のネオプレーンスーツではない。普通のスポンジだ。だから、潜ればつぶれてしまう。色は灰色というかグレイだ。
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 デザインはジャック・イブ・クストーの映画沈黙の世界に出てきたものだ。なので、僕はフランスからの輸入品だと思っていたが、1960年に東亜潜水機に入社して、その東亜潜水機で作ったものだったとわかった。作りかけがあったのでわかった。
 レギュレーターは、フランス、スピロテクニックの言わば純製だ。タンクもスピロのアルミタンク、純製だ。
 場所は小湊の磯、橋本先輩、と同じ年度の先輩竹下さんは小湊で卒業論文の為の調査をしていて、そのとき、この写真は竹下先輩が撮影したものだろう。
 この写真の次の年、僕とバディの原田は小湊に遊びの潜水で行き。子のウエットスーツが実験室にあった。幸い?場長の増田先生は東京に行っていない。無断借用して着て潜った。初めてのウエットスーツだ。それまでは、長袖のセーターの古いの、などを着ていた。独立気泡のスポンジではなかったが、初めてのウエットスーツは、驚異的に暖かかった。寒くないのだ。
 上がってきて、風呂場でスーツを脱いだ。ん、腕がとれてしまった。抜いていくと全部バラバラにはがれてしまった。二人で青くなった。どうしよう。逃げようか。逃げきれるものではない。増田先生に謝った。増田先生は豪快な人で、カラカラと笑って、「いいよいいよ、どうせ誰が着てもはがれるだろうから」残念なことに増田先生は、早くに亡くなってしまった。身体の大きい頑丈なスポーツマンだったのに。
 僕たちが1958年にばらばらにしてしまったのだから、先の写真は1957年だ。
 そして、1959年、独立気泡のウエットスーツ、黒い生地ができ。1960年、海女さんの間で普及し始める。ちょうどその頃、黒いビニール製の人形「だっこちゃん」が流行し、黒のウエットスーツも「だっこちゃん」と呼ばれた。

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