そのころ作っていたハウジングと、ローライマリン 「水中写真の撮影」の挿絵から
ダイビングの歴史44 整理 今、何をしているかというと、自分の一人だけの会社になってしまっている AAC5TVの決算、そして税金申告の書類作りをしている。32期で、30年間の赤字が堆積しているから、残務処理のような物だけど、最後まで続けたい。生涯現役というのは、そんなことなのだろうと思っている。 で、 このあたりで、ちょっと整理してみる。ダイビングの歴史の構成は、①索引年表 ②詳細年表 ③小史(アイテム個別の歴史)④コラム の4本立てだが、その ②詳細年表をつくるための資料調べと下書きをしていて、そのまた思いつき、覚え書きをブログに載せている。ブログに載せる理由は、ものを書くことの時間のほとんどをダイビングの歴史に当てているので、ほかにブログを書く時間がないこと、そして、ブログにしておくと、後での呼び出しが楽にできる。
※ ダイビングの歴史 本にするときには、今書いているブログの部分はほとんどカットする予定だけど。
問題点は、ブログで まちがいを書いてしまうと、それが公表されてしまっていることになる。これは、かなり深刻な問題点なのだが。 そして、現在進行中は、 ①後藤メモ(自分の仕事)は、一気に1980年まで進み、後藤メモは、ここまでしかない、のだが、関連して、そのころの自分の仕事、水中撮影のこと、そのころ作ったハウジングのことなども書いておきたい。 ②海中居住は、1968年からのシートピアを書き直そうとしている。そして、その海中居住のために、③日本潜水科学協会が海中開発技術協会に、良い言葉で言えば脱皮するところで止まっている、これが1965年だ。 ④レジャーダイビングについては1967年の日本潜水会発足まで来ている。これは、⑤ダイビング関連雑誌の変遷とともに書いて行きたいのだが、「どるふぃん」から、マリンダイビングへ舞台を移すそのマリンダイビングの準備ができていない。竹川さんに送っていただいた創刊号(1968)があるだけだ。 そこに持ってきて、ワークショップで高圧則小史を取り上げることになった。高圧則小史は、一応下書きは作ってあり、腹案のもあるのだが、問題点がいくつもあり、公表してから動かなければならない、その心の準備、レディネスができていない。 そしたこれは、ワークショップで議論して、その結果をシンポジウムで発表しようということになったので、タイムスケジュール的に、12月19日がワークショップと決められた。 さて、どうしたものだろう。 ながれとしては、①の自分の仕事の部分をちょっとやって、④のレジャーダイビングに手を着けよう。