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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0727 9月8日フォーラムー4

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第二部 ウエアラブルカメラ研究サークルの発表。
 フォーラムは二部に分けていて、第二部がウエアラブルカメラ研究サークルの発表である。
 
 
  ウエアラブルカメラを2mのバーの先につけた撮影、:慶良間スキンダイビングツアー 6月


 JAUSではウエアラブルカメラ研究サークルを発足させた。
 ウエアラブルカメラについては、これまで何度もブログで書いているし、今の流行でもある。この勢いは恐ろしいくらいであり、 5万円以下で買えるすべてのデジタルカメラを圧倒している。今、映像、動画、静止画の使い方、持つ意味が大幅に変動している。ウエアラブルカメラは、その反映であり、そのトレンドに乗って普及してきた。自分的には、2011年以来2012年はすべての撮影をGoProをメインカメラとして撮影をしてきた。それを反映させた発表会にしたい。と同時にこれをスプリングボードにして、ウエアラブルカメラとは別の本格的なカメラでの撮影も含めた本格的な撮影研究サークルに育て、毎年、発表を続けたい。
 ただ、僕の弟子筋で、JAUSの理事になってもらっている、今日の時点で、動画カメラマンとしては5本の指にはいると、僕は思っている中川隆もこのカメラを使いこなしている。ぼくから受け継いだ仕事の延長線上にあるバラエティ番組の水中撮影には活用している。昨日、FBで沖縄の近藤さんが久米島の鍾乳洞を撮った映像を発表していて、素人離れした映像だと思って見ていたら最後に中川に名前がタイトルに出てきた。聞いてみれば中川隆がGoProで撮ったという。

  これは、僕の使用例

  魚礁の調査に長さ2mのバーの先端にウエアラブルカメラを取り付けて魚礁の内部の撮影を試みた映像



  穴の奥にアイゴが潜んでいた。これで、この魚礁の穴が開いていることの効果が立証された。

 サークルの発表会、最初のコンセプトは、このカメラを使って撮影し短いクリップ(3分程度の動画)を作り、発表する映像発表会(ワークショップ、コンテストなどのミックス)を行う。というものだった。
 同じカメラを使って、同じ、3分のクリップを作ってその優劣を競うコンテストだ。来場者の投票で優勝を決めるとか。
 第一回がキックオフ、第二回が編集の技術と方法についてのミーティング、編集はお金をかけないということで、マイクロソフトのムービーメーカーを使うことにした。もちろん、すでに別のソフトを使っている人は、そのままで良い。これまで編集などしたことがないというメンバーを対象に話を進めた。
 第三回が7月24日、石川宅でそれぞれが作った3分のクリップを持ち寄って、フォーラム発表作を決めようということとした。その映像を見て、考えが変わった。中には福田君という聞けば中川の弟子?だというプロ級のカメラマンもいるのでコンテストとなれば、優劣は決まっている。それに彼の撮る映像は御蔵島のイルカだから、会場の投票でもイルカが一番人気になるだろう。
 そこで、会場でのアンケート、感想は書いてもらうとしても、コンテストはやめにした。コンテストとは別に招待作品ということも考えたが、それだけの時間がない。
サークル活動を開始して、ミーティングを重ねてみてここまでのところ、自分一人だけではできない、どうしたらよいのかわからないことも、みんなでやれば楽しく達成できる形ができあがりつつある。

このフォーラムでの、この映像発表部分も、全体の構成 司会もフラダンサーで、ドルフィンスイミングに熱中している会員の斎藤さんにお願いすることにした。新しい風を吹かせたい。
 内容は、作品の発表はもちろんだが、映像を流しながら、PCを操作しながら、製作者に喋ってもらい、道具のこと、自分のねらい、など、メイキングビデオのようにして、会場との双方向トークにしたい。と現時点でおもっている。次のミーティングでまた変わるかもしれない。変わることは良いこと、発表の前日まで変化を求めたい。
 9月8日はまだダイビングシーズンまっさかりである。JAUSも主要メンバーが他のダイビングで、主催者的な働きをしていて抜けられない。秋にやれば良いという意見もあったが、今年は2回の研究会を予定していて、このフォーラムの方は、みんなで楽しめればよいというコンセプト、次の恒例のシンポジウムが年の明けた1月下旬だから、秋にフォーラムでは、間が狭すぎる。9月にしなければということになった。

 唐沢さん
 いつもありがとうございます。
 ブレスホールドと脳の関係について こんな情報をいただきました。

須賀先生、DANアメリカのオンラインマガジンの現在号にの、Expert Opinionというコーナーで、Effect of Diving on the Brainという記事が載っております。その元になったのは、2010年にアメリカ水中高圧学会で発表された”繰り返し息ごらえダイビングは脳に重大な障害を与える”というもののようです。発表したのは日本の研究者グループのようです。MRI画像も載っています。すでにご存知とは思いますが、ご参考になれば。

 さっそく講演をお願いしている藤本君に連絡して、調べてもらいます。もしかしたら、彼の用意している論文に含まれているかもしれません。この話題だけで、10分くれと言っていますので。
 

0730 両国花火大会

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0727 花火

東京海洋大学では、今でも一年次の遠泳はやっているようだ。それもかなり厳しいようでもある。アカフンのことを書いたりしたので、僕は昔の遠泳の方が良いと思っているように誤解されるだろう。説明不足だったが、まったく逆で、今のカヤック&スキンダイビングの方に賛成である。そのような意味で今度のフォーラムで紹介する。
  海洋大学の潜水部については、少し前だけれど、もしも先輩がいじめや、しごきをするようだったが僕に言いつけろ。とはなしたことがある。
 上級生の役目は、一年生がスムースに海に慣れるように手助けしなければいけない。幸い、最近では、早稲田大学と芝浦工業大学を見たけれど、一年生は大事にされている。東京海洋大学では、今でも一年次の遠泳はやっているようだ。それもかなり厳しいようでもある。さすがにアカフンはないだろうが。遠泳のことを書くと、僕は昔の遠泳の方が良いと思っているように誤解されるだろう。説明不足だったが、まったく逆である。今のカヤック&スキンダイビングのリテラシーの方に賛成である。そのような意味で今度のフォーラムで紹介する。



そのあと、両国、雨の花火大会のことを書こうとしたが、内容は言葉で伝えきれないアクションだったから、映像を繋いで、1分45秒のクリップにした。
※ビデオクリップという言葉、このような映像に当てはまる言葉かどうかわからないけれど、ちょっとした短いワンテーマの画像という意味で、僕は使っています。作品というほど大げさでもないし、構えてもいない。それでいて、すべてがわかる。

https://www.facebook.com/photo.php?v=491439524274469&set=vb.100002252763870&type=2&theater

 

これで言葉はいらない。自分ながらよくできたクリップだとおもう。
見てわかってもらえると思うけれど、雨が降ろうが、みんなで遊んでいれば楽しい。石川さんは、みんなが楽しいと思う空間を作り出す、提供できればうれしい下町っ子の心意気、ホスピタリティでしょう。

※またまた言葉の説明です。どうも、なんでも横文字を使わないとすまない病気になっているのか?。人が喜べばうれしいという、親切心です。日本語で親切心と言った方が良いのかと思いもしますが、親切心と言ってしまうと、何か、個別な感じがしてしまいます。もうちょっと範囲を広げたいけれど、ヒューマニズムでは行きすぎてしまう。なんとなく好きな言葉なので使ってしまいます。

要するにそういうことなのです。僕たちのJAUSの基本精神でもあります。
 ダイビングの安全も、親切心でつながっていれば、(今度は日本語だな)一緒に行動すれば、達成できる。金魚の何とかみたいなのは嫌だ。僕もそう思いますし、一匹狼はすきです。群れるのは嫌いだという精神もわかります。しかし、水の中で本当の恐怖を味わえば、自分の命が失われる寸前のフィジカル、メンタル、両方の動物的な恐怖を感じたことがあれば、つまり、生死の境目、修羅場を経験すれば、群れるのは嫌いなんていうのは、単なる粋がりだったことがわかります。
 
ちょっと付け加えます。自分が死ぬ恐怖心よりも仲間の安全についての恐怖心の方が強いのです。だから、考えます。仲間の久保彰良君が良いことを言っています。危機感と想像力が安全のキーだと。

0728 石巻

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石巻へ、
2013/07/29 05:23

  朝起きて、至極疲れているというのが日常になってしまった。それがむかしからのことなのか、このごろからなのか、よくわからない。高校生の頃は、バスケの選手だったが、よく合宿などで熱をだしていたのを思い出す。今の僕は具合は悪いけれど、倒れて寝込んでしまうことはない。朝起きて、2時間ぐらいの間に動けるようになるが、元気あふれて活発には動けない。
 旅にでている時は日記スタイルで書く。
 昨日27日は、お台場の潜水、これも大変だった。GoProをあの透視度の中に落としてしまった。ビニールテープでバーに縛り付けていたのだが、エントリーして、フィンを履こうとしてブイロープに絡んでもがいている時に落としたらしい。そのときに気づかないで、撮影ポジションにきて、スイッチをと手にしたときに落ちていたことがわかった。ほぼ絶望。とにかく、来たコースをもどった。そして奇跡的に目の前に見た。運がよかった。



 午前よりも午後の方が濁ってしまって、だめだな、午前にマハゼ、ツバクロエイを撮っている。イシガニも撮っている。メバルも撮った。それでも、と進んで、いつもの石に来て、岩ノ下のメバルを接近して撮った。DWのマスクの具合が悪く、マスクが曇っているのか、水が曇っているのかわからない。メバルを切り上げて先に進もうとしたときに、大型のイシガニが現れた。石の下にいれば、この濁りでは目に入らないのだが、外にでてきていて、はさみを振りかざすから見えてしまう。こいつは、こちらからカメラを近づけるとダッシュして襲ってきた。はさまれては痛そうな大きなはさみだから、思わず手をひっこめた。根性のあるカニで、おかげで、良いショットが撮れた。8月の無酸素で生き残ることができるだろうか。はさみを広げると横に30cmほどだから、昨年の夏の無酸素は越している。今年も越せるだろうか。今年はイシガニが多い。

事務所にもどって、このカニをPCで確認し、フェイスブックに静止画にして送って石巻に向かって出発した。東北新幹線になぜか東京駅から乗らずに、上野に来てしまった。東北イコール上野というすりつけは、遙か昔のことなのだが、最近の石川さんとの会話で、上野駅の新幹線の地下の深さがすごいということを話したので、スイッチが上野にはいってしまった。「はやて」は混んでいて、入り口通路で立っている乗客もかなり、満席なので、あまり乗り心地はよくない。それでも一時間30分ぐらいで仙台についてしまう。仙台は東北の入り口なのだ。
 石巻は何度も来ているのだが、新幹線できた記憶が脱落している。仙台から仙石線にのりかえようとしている。仙台ー石巻線とおもうではないか。仙石線は時間がかかる。ちょうど、そのときに町田から携帯が入った。この子はすごい。僕が仙台駅を歩いているときに電話してくれる。
 東北本線に乗って小牛田へ、そして石巻線と知らせてくれた。何度も来たから大丈夫という記憶が間違わせる。自分の記憶がたよりにならないという恐怖。
 石巻での泊まりは、「アパートメントホテル」復興の作業員を泊めることを目指して作ったと思われるホテルで、駅から10分ぐらい歩いた、普通の土地に建てられた、新築アパートそのものだ。とても良い。必要なものは、すべてあり、新築のアパーに引っ越してきて、まだ自分の荷物、家具の類がなにも入っていない状態と考えれば良い。
 
 朝の食事も必要なだけはある。せっかくのアパートメントホテルだが、空いている。建設の需要はあるのだが、建築材料が間に合わないため、低調とのことだった。
 古い古い友人の福田君が経営している福田海洋企画にすべての手配、ガイドを頼んでいる。6年前、やはり中尾先生に同行した採集行と同じ、その連続だ。変わったことは震災で、舟を出す漁港、鮫浦部落が壊滅していることだ。津波が、ここまで来たという印に樹木が折れている位置を見上げる。と信じられない高さだ。亡くなった人も多数。残っている家屋はほぼゼロ。お願いしている舟の船頭さんも、石巻から通っている。

 6年前と同じ位置に潜水する。雨が多く、このところ透視度は1.5m。お台場は、良くて1.5mだったのだから、なにも問題ない。4人が密集体型で中尾先生を先頭、町田、須賀、そして福田が最後尾で動き採集する。僕はライトを手に持ち、マスクマウントのGoPro、採集標本を撮影するときには、マスクからはずして手にかまえる。


 海底は、津波でリセットされたのか、半ば磯焼け状態だった6年前に比べて海藻も多くアワビも見える。
 海綿の採集では、福田君手作りの携帯ジェットポンプが効果的だった。
 径50mmくらいのホースにタンクから導いた空気を噴出させて、そのジェット吸い込みによって、た薄皮のような海綿を吸い取って上部に取り付けた袋に貯める。

 水深が浅いので、50分潜っても70ぐらい残っている。ウエットスーツの中尾先生が寒くなったので、浮上、一回の潜水で終了。

  町田君が本当にたよりになるようになった。


 
午後からは、もう一つの仕事であった石巻市内の泥採取を行った。これは震災のあった2011年6月に行った調査と同じ地点での採取だった。僕の直接の仕事ではないので、2011年の時も今回も見物兼撮影だった。石巻の市内、大被害のあった被災現場は、まだまだ復興は遙か彼方。中尾先生曰く、ここに昔の通りに住宅地を作るのだろうか、それとも、住宅は後ろに下げて、下は生産拠点の誘致にするのだろうか。
 
 GoProによる撮影の動画を編集して、2分~8分のクリップを作っている。瀬戸内海クルーズ、28日のお台場、29日の石巻、静止画は、ここから切り出せば良い。

0728 石巻

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石巻へ、
2013/07/29 05:23

  朝起きて、至極疲れているというのが日常になってしまった。それがむかしからのことなのか、このごろからなのか、よくわからない。高校生の頃は、バスケの選手だったが、よく合宿などで熱をだしていたのを思い出す。今の僕は具合は悪いけれど、倒れて寝込んでしまうことはない。朝起きて、2時間ぐらいの間に動けるようになるが、元気あふれて活発には動けない。
 旅にでている時は日記スタイルで書く。
 昨日27日は、お台場の潜水、これも大変だった。GoProをあの透視度の中に落としてしまった。ビニールテープでバーに縛り付けていたのだが、エントリーして、フィンを履こうとしてブイロープに絡んでもがいている時に落としたらしい。そのときに気づかないで、撮影ポジションにきて、スイッチをと手にしたときに落ちていたことがわかった。ほぼ絶望。とにかく、来たコースをもどった。そして奇跡的に目の前に見た。運がよかった。



 午前よりも午後の方が濁ってしまって、だめだな、午前にマハゼ、ツバクロエイを撮っている。イシガニも撮っている。メバルも撮った。それでも、と進んで、いつもの石に来て、岩ノ下のメバルを接近して撮った。DWのマスクの具合が悪く、マスクが曇っているのか、水が曇っているのかわからない。メバルを切り上げて先に進もうとしたときに、大型のイシガニが現れた。石の下にいれば、この濁りでは目に入らないのだが、外にでてきていて、はさみを振りかざすから見えてしまう。こいつは、こちらからカメラを近づけるとダッシュして襲ってきた。はさまれては痛そうな大きなはさみだから、思わず手をひっこめた。根性のあるカニで、おかげで、良いショットが撮れた。8月の無酸素で生き残ることができるだろうか。はさみを広げると横に30cmほどだから、昨年の夏の無酸素は越している。今年も越せるだろうか。今年はイシガニが多い。

事務所にもどって、このカニをPCで確認し、フェイスブックに静止画にして送って石巻に向かって出発した。東北新幹線になぜか東京駅から乗らずに、上野に来てしまった。東北イコール上野というすりつけは、遙か昔のことなのだが、最近の石川さんとの会話で、上野駅の新幹線の地下の深さがすごいということを話したので、スイッチが上野にはいってしまった。「はやて」は混んでいて、入り口通路で立っている乗客もかなり、満席なので、あまり乗り心地はよくない。それでも一時間30分ぐらいで仙台についてしまう。仙台は東北の入り口なのだ。
 石巻は何度も来ているのだが、新幹線できた記憶が脱落している。仙台から仙石線にのりかえようとしている。仙台ー石巻線とおもうではないか。仙石線は時間がかかる。ちょうど、そのときに町田から携帯が入った。この子はすごい。僕が仙台駅を歩いているときに電話してくれる。
 東北本線に乗って小牛田へ、そして石巻線と知らせてくれた。何度も来たから大丈夫という記憶が間違わせる。自分の記憶がたよりにならないという恐怖。
 石巻での泊まりは、「アパートメントホテル」復興の作業員を泊めることを目指して作ったと思われるホテルで、駅から10分ぐらい歩いた、普通の土地に建てられた、新築アパートそのものだ。とても良い。必要なものは、すべてあり、新築のアパーに引っ越してきて、まだ自分の荷物、家具の類がなにも入っていない状態と考えれば良い。
 
 朝の食事も必要なだけはある。せっかくのアパートメントホテルだが、空いている。建設の需要はあるのだが、建築材料が間に合わないため、低調とのことだった。
 古い古い友人の福田君が経営している福田海洋企画にすべての手配、ガイドを頼んでいる。6年前、やはり中尾先生に同行した採集行と同じ、その連続だ。変わったことは震災で、舟を出す漁港、鮫浦部落が壊滅していることだ。津波が、ここまで来たという印に樹木が折れている位置を見上げる。と信じられない高さだ。亡くなった人も多数。残っている家屋はほぼゼロ。お願いしている舟の船頭さんも、石巻から通っている。

 6年前と同じ位置に潜水する。雨が多く、このところ透視度は1.5m。お台場は、良くて1.5mだったのだから、なにも問題ない。4人が密集体型で中尾先生を先頭、町田、須賀、そして福田が最後尾で動き採集する。僕はライトを手に持ち、マスクマウントのGoPro、採集標本を撮影するときには、マスクからはずして手にかまえる。


 海底は、津波でリセットされたのか、半ば磯焼け状態だった6年前に比べて海藻も多くアワビも見える。
 海綿の採集では、福田君手作りの携帯ジェットポンプが効果的だった。
 径50mmくらいのホースにタンクから導いた空気を噴出させて、そのジェット吸い込みによって、た薄皮のような海綿を吸い取って上部に取り付けた袋に貯める。

 水深が浅いので、50分潜っても70ぐらい残っている。ウエットスーツの中尾先生が寒くなったので、浮上、一回の潜水で終了。

  町田君が本当にたよりになるようになった。


 
午後からは、もう一つの仕事であった石巻市内の泥採取を行った。これは震災のあった2011年6月に行った調査と同じ地点での採取だった。僕の直接の仕事ではないので、2011年の時も今回も見物兼撮影だった。石巻の市内、大被害のあった被災現場は、まだまだ復興は遙か彼方。中尾先生曰く、ここに昔の通りに住宅地を作るのだろうか、それとも、住宅は後ろに下げて、下は生産拠点の誘致にするのだろうか。
 
 GoProによる撮影の動画を編集して、2分~8分のクリップを作っている。瀬戸内海クルーズ、28日のお台場、29日の石巻、静止画は、ここから切り出せば良い。

2013 フォーラム構成案

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JAUS 第一回ダイビング活動研究フォーラムの構成案をお話をお願いしている、講師諸氏に送った。
こんなフォーラムにするつもりです。ぜひお出かけください。

下のHPが専用ですが、水中科学協会のHP からでもアクセスできます。

http://forum2013.jaus.jp/

  構成案

第一部 スキンダイビング、息こらえの安全

三保先生、
三保先生 千足先生、藤本君は、30分ぐらいのお話しと、10分グライの余裕と、質疑で、合計40分を予定しています。40分が三つと、小山先生が20分で140分、10分の休憩をいれて150分、13時から17時で、240分ですから、残りの90分が第二部の映像です。予定では、そのまま学生食堂「歩いて2分」で、500円の懇親会をやりますので、質問の延長はそちらに回って、と考えておりますので、そちらまでお付き合いください。そのあとが二次会ですが、それは、ぜひ、という程度です。
全体としては、リラックスした会をイメージしています。
お話しの内容ですが、内耳圧外傷についてお話しいただければと思います。どうしてなるのか、鼓膜破損との違いと分かれ目は、あとの症状、危険、治療、後遺症、これに一度なったら、ダイビングはあきらめなくてはいけないのか。どのくらいの症例数があるのか、などなどです。ケーブのこともお聞きしたくてマンスリーセミナーにと思ったのですが、それはこの続きということで、よろしければ計画させていただきます。
 
千足先生

前からお話し、お願いしておりますように、カヤックとスキンダイビングの連携、カヤックを道具としたスキンダイビングと見ているのですが、海女さんの浮樽のような、そしてそれが二人乗り、バディのタンデムだということ、そんなことの技術的な部分を。。。カヤックの種類とかも、知りたいです。どんな型式、種類のものが良いのか。
そして、ライン調査については、浅い磯根の調査などに使えると思うのですが、実際に調査に使っているところ、例があるのか知りたいです。そして、今後、このプログラムは、水産高校、海洋高校の実習に使えるし、関東学生潜水連盟、東大の海洋調査探検部なども使えます。マニュアル化されたものがあれば、それも見せていただければ。

藤本君
かねてからお願いしているように、ブレーキングポイントを越えて、ハイパーベンチレーション、パッキングなどを駆使して潜って体に悪い影響はないのだろうか。
かつて、日本を代表するスキンダイバーであった鶴耀一郎などは、息こらえの延長によって、血液も改善され、換気能力も高まるので、体に良い。と言っていました。どうなのでしょうか。特に深い場合には、脳障害とか、血栓の心配がある例もあるとのことです。では、どこまでならよいのか。
そして、炭酸ガスの呼吸中枢刺激による、こらえられなくなる限界をどのようにして延ばしているのか。単なる練習による慣れ、ヨガなど、あるいはメンタルななにか。
 カヤック&スキンダイビングなど、学生にやらせる場合には、限度があるとおもいます。スタティックの練習も学生にやらせているようですが、リミットはどこに定めるべきか。
 これまで、関東学生連盟のスキンダイビング練習でブラックアウトの事故がいくつもありました。救っていれば、バディで救助していれば、それで良いというものでもないので、やはり線引きがひつようかと、30分のお話で、10分の余裕と質疑で、もしかしたら、質疑は切れてしまうかもしれません。三保先生にもお願いしているのですが、この内容、そして続きをゆったり時間がとれるマンスリーセミナーでお願いしたいとも計画しています。

全体に言えるのですが、どれもマンスリーセミナーのテーマです。迷ったのですが、マンスリーセミナーを先にやってしまえばフォーラムが出来なくなってしまいます。フォーラムでお話ししてもらって、様子を見てマンスリーセミナーへという順にした方が良いとおもって、こうなりました。

小山先生
バケツを使っての呼吸、水深が限定されていれば、その理屈、危険性が説明、理解されれば、物理の勉強、呼吸生理学の勉強とも接続しますのでとても良いと思うのです。やはり心配なのは酸欠なので、呼吸の度に空気を汲んでくるという考えもあるかと思います。なんとか危険をクリアーして、形になると良いと願ってお話しいただきます。前から決まっていたテーマの後に差し込んだので、お話は10分程度、質疑と余裕で10分、20分でお願いいたします。


  ウエアラブルカメラ研究サークルの福田君の撮ったショットです。
  今をときめく、鈴木あやの さんの写真の多くは福田君の撮影ですが、このショットは、斉藤真由美さんです。
  彼女に、第二部の構成をお願いしています。


第二部 ウエアラブルカメラ研究
当初の予定では、みんな同じカメラを使って、同じ長さ3分以内の映像作品を作って、撮った本人がトークしながら発表し、会場からの投票、コンテストをやろうと考えたものです。
しかし、何回か集まりを持ち、お互いの映像を見たり、編集のやり方講座をしたり、乾燥剤は何が良いかとか、カメラをあつかうための道具、マウントやバー紹介、カメラトラブルの話題などを話し合っているうちに、この話し合いをまとめたら撮影マニュアルが出来るその方向に向けての発表にしよう。
どうも、このカメラ、映像の使い方が、いわゆる作品コンテストではなくて、ダイビング技術の説明、調査のデータ的な画像 画像で何を語るかになるべきと考えるようになりました。
そして、映像作品のコンテストをやったら、会場的には、イルカの映像がやはり一番良い。
さて、そこで、時間は90分あります。
 イルカの映像ですが、これは素晴らしいので、撮影者の福ちゃんには、どんなふうにして撮ったかの話、モデルの斎藤さん(マスクマウントで撮ってもいるのですが)潜り方、イルカとの遊び方なども話してもらって、これは10分時間をとって、最後にしましょう。
 須賀は、豊潮丸の瀬戸内海航海、そして、ラインを使用しての安全管理、離れてしまったために流されたチームのこと、5日から出かけるエキスペディションもすごい映像が撮れるかもしれない。これも全部で10分ぐらいください。
 後、70分を全員のフリーゾーンにして、旅行記があっても良いし、花火大会だっていいし、3分の映像を使って5分語ると、5分が10本、20分は、上から10分は押してくると思われますし、映像としても10分のスペアがほしい。
 この形で構成を、次回の集まりで考えましょう。

0804 読書ノート

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フェイスブックに書いているこのごろの読書ノート時系列で並べて少し書き足した。

0529
お茶の水の順天堂大学病院、おかげさまで、あんまり待たないので、僕はすぐにおわるけれど、全体としてはやはりラッシュアワー状態の病院です。帰りにはお茶の水の丸善に行くことにしています。読みたい本がたくさんあります。「オリバー・ストーンのもう一つのアメリカ史」買いたいけれど大部で全3冊です。でも、誘惑に負けるかもしれない。今日は買いませんでした。それとBBCの番組のレポーターをやった美人女性学者のノンフィクション、20万年の人類の足跡をレポートしたもの、これは、すぐにあきらめられた。他にも何冊か、何も買わないで出て来られてよかった。病院の医療費で本が買えるのだけれど。
 ※「オリバー・ストーンのもう一つのアメリカ史」第一巻を買ったが、三分の一ぐらいで停止している。
 ※A.Lサッチャー、燃え続けた20世紀・戦争の世界史を新しい本で買った。
面白かったので、アマゾンの1円で、分冊の 殺戮の世界史、分裂の世界史を買った。
 この著者の少しホットな史観が自分の今の状況、日本が置かれている事態を考える気持ちに合っている。


 0720
 吉田君の推しているみんなの党は、憲法改正について、特に意見を打ち出していない。ローランド君は、この問題について中立だという。僕も中立だった。憲法のことを国民の理解度が低い(自分も含めて)今、論じる問題ではない、と思っていた。しかし、最近の阿部さんを見ると、これは危ない。今は改正に反対しなければいけないと思う。自民党の中でもそう思う人が沢山いて、具体的になったら党が割れるのではないか。アメリカは憲法改正に反対のはずだ。アメリカは残念ながら日本よりも中国を取ると、思う。当たり前だが、中国はそのことを知っている。
 なお、憲法のことを勉強し、確認しようとして、水中科学協会の法律顧問[一方的だがそのつもり、この前のシンポジウムで20000円のご祝儀をいただいた。顧問に顧問料も払わず、ご祝儀をいただく団体は聞いたことがないから、顧問とは言いがたいが、顧問以上の存在と思えばいい?]松村先生の「法学と憲法学への誘い:八千代出版2013年4月」を読んでいる。平和主義、自衛権、交戦権の部分は読んだ。かなり苦しいけれど、自衛隊を持つことを非合法としない政府見解も理解できた。「憲法改正の意義と限界」についても読み、なぜ憲法改正が認められているかについて、そして、憲法改正には国民投票によって過半数の賛成を得なければいけないことの意味も確認できた。松村格先生の本はとても良い本だが、眠くなるため、必要部分しか読めない。が、座右の書である。

0722
中村さん。憲法は変えられるシステムを内在しています。国民の要望によって変えられるのです。勿論、憲法改正の前に、なすべき改革をするのが当然です。今日、自民党幹事長のインタビューをききました。第9条をどうするかの話でした。憲法改正の前になすべきことなど、それは別の人がやること、のような顔をしています。もちろん、第9条について、議論することは良いことです。第9条は、国際紛争を解決するための手段としての戦争を放棄しているのであって、自衛のための戦いはできるのです。では、どこをどう変えるのか、国民投票で憲法を決められる国民であるためには、おっしゃる通り、教育がまず大事でしょう。少なくとも今の投票率の国民による憲法改正はしてもらいたくないと思うのです。僕自身、現在勉強中です。
 
0725
昨日、順天堂病院の待ち時間で、サッチャーの殺戮の世界史ほぼ読了、印パの分裂は、半端じゃなかったと今更ながら驚いた。図書館に本を返しにゆき、雑誌・軍事研究、「竹島奪還&中国沖縄侵攻」を借りてきた。今日買った「歴史認識を問い直す」東郷和彦、と合わせ読みしよう。明日は潜水士の本を少し進めて、明後日が石川さんの花火、日曜がお台場で、少し早くあがって、17時の新幹線で石巻へ、29日鮫浦湾で潜水、終了して東京へ、3-4で佐渡に行く予定がキャンセルになり、5日から10日、鹿児島の甑島へ。戻って、お盆のお墓まいりをすると、吹く風は秋の香り、78歳の夏が行ってしまう。
 ※「歴史認識を問い直す」東郷和彦、読みやすかった。戦争は外交の敗北の結果であり、このところ、中国との外交の戦いで、大敗が続いているその結果が尖閣問題だということ。何が何でも戦争だけは避けなければいけない。平和ボケした左翼、平和ボケした右翼が、外交の足を引っ張る。
 ※絶対に戦争を避けるために必要であるならば、憲法改正も、場合によっては核兵器を持つことも必要なのかもしれない。しかし、それも平和ボケした右翼が中国と戦って勝てるなどと言ったりしている現状を見ると、大丈夫だろうか。
 雑誌・軍事研究、「竹島奪還&中国沖縄侵攻」日本が勝つ戦争を予想している雑誌だとおもったらちがう。中国沖縄侵攻では、見事に負ける。自衛隊が(その頃には国防軍?)負ければ国民を殺すことが出来ない日本だから、降参して中国と交渉する他ない。沖縄は日本から独立しようとするグループが立ち上がっている。琉球国と中国とのかかわりもあり、国際世論も日本に不利である。
 ※サッチャーの3分冊全部読了

8月3日
予定していたメールでのフォーラム告知、一応終わった。今日は土曜日、友達みんなはよく遊んでいる。だから、僕もこれでオーライで本でも読もう。
日本人は歴史の本を読むのが好き、僕は特に好きで、僕の基本教養は歴史と生物学だったのだが、生物学が消えている。でも、生物学は、バリバリの科学になってしまって、お勉強になってしまうので、読書にならない。
読み始めた本「それでも日本人は戦争を選んだ。: 加藤陽子」現役の東大教授で現代史の専門、が、栄光学園高等学校の歴史同好会の学生に5日間の講義をした講義録を本にしたもの、まだ読み始めだが、このおばさん教授、めちゃくちゃにクールだ。 これまで読んできた、戦争、殺戮、分裂の世界史・A.Lサッチャーの熱さとは対照的だ。
ている授業というところだ。


0804
「それでも日本人は戦争を選んだ。: 加藤陽子」 序章を読んだが面白かった。先生の史観、つまりスタンスをのべているのだが、いくつか面白かった、その一つは、戦争の目的、結果はその国の国体、つまり憲法を変える、その国の在り方を変えることで、日本では主権が天皇から国民に変わった。そんな簡単ではないがとにかくそういうことだ。リンカーンの有名な演説、人民による人民のための人民の政治、とは、南北戦争の結果、それを収束させるための言葉であり、日本の憲法の前文も同じ趣旨(主権在民)のことが書かれている。憲法論争の原点だろう。面白いのは、やはり、この本が東大教授が高校生に対して、こんなことを話しかけている授業というところだ。

0804
麻生さん、馬鹿か、とおもうけれど、有り余る才能のある人が勉強しないで漫画を読み、有り余る財産を持って、好き勝手に生きることの延長線上で、総理大臣、になったっけ?になって、副総理になった。高校生が真面目に歴史の勉強をしている本を読んでいる。「それでも日本人は戦争を選んだ。: 加藤陽子」 自分はなんだ、と悩む。人生いろいろだ、とこれも元総理大臣の言葉。

僕が意見を持てるのは、ダイビングについてだけ、それも疑問が次から次へと発生する、世界も変わるしダイビングも変わる。進歩する部分もあれば、退化と思うこともある。だからフォーラムのテーマができる。のだが、ダイビング以外のことは、たくさん本を読んで、自分の気分と状況で引用する。今読みかけている「それでも日本人は戦争を選んだ。: 加藤陽子」から「政策形成者 policy makers は歴史を誤用する。」アメリカの、ベスト・アンド・ブライテストがベトナムにのめりこんだ理由、ベストでもブライテストでもない副総理が歴史を誤用して、日本のベスト・アンド・ブライテストは、やってられない、と尻拭いに苦労しているだろう。
どうなるんだろうなあ、他人事ではない。
※もちろん、僕は歴史研究者でもない。だからたくさん読んで引用する。専門の歴史家もたくさん本を読んで引用する。同時に調べることが仕事でもある。加藤陽子教授は資料のマイクロフィルムを読むのが仕事とも書いている。資料を読み、自分の頭の中でまとめる。歴史とは、誰かの頭の中を資料、文献、あるいは実地踏査、体験した事実などが通過しつつ、その人の史観でまとめられてゆくものだと思う。

明日から鹿児島甑島に中尾先生と出かける。しばらくブログが書けないか?
かるいPCに買いなおさなければいけない。



0805 ウエアラブルカメラ撮影 まとめ(現在の)

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9月8日のフォーラムの構成案を書いて、フォーラムについては一段落した。
 講演してもらう藤本君からは、趣旨が理解できたという言葉をいただいた。
 さあ、どうなるか、テーマの中にいくつかの革新を仕込んでおいたつもりなのだが、、、それは、直に言えば、これからのダイビングはどうあるべきか、どうなってしまうかなのである。

 そのことは、またいずれ、ということにして、豊潮丸の今年の航海についてまとめておかなくてはいけない。航海の途上で、航海記は、ずっと書いてきたから、いまさらまとめは必要ないともいえるが、習慣的にまとめを書き始めてしまっている。

 7月4日から12日まで、今回は瀬戸内海周航だった。
 
 まず、この航海で、僕の目的と、僕がそこにいることの意義であるが、まず、2007年におきた東大の悲しい事故は、僕があのチームに絡んでいれば起きなかった。スーパバイザー不在のために起きた。教授はベテランダイバーであったと思うが、監督責任者が必要だった。
 もはや、僕も後期高齢者であり、フィジカルに役に立つことはなく、むしろ足を引っ張っているかもしれない。しかし、僕がそこにいて、足を引っ張っていることが、安全に繋がっている。僕が、現在の僕の体力で、僕の経験で想像して危機感を持っていれば、タフな若い学生、教授が危険な目に遭うことはない。
 ところが、そうは行かないこともある。そのことも整理しておきたい。
 
 自分の目標としては、①この豊潮丸を使ってのリサーチダイビングの安全システムの確立、(これは、先に書いたことと繋がる)②ウエアラブルカメラを使ってのリサーチダイビングの撮影技術の確立であった。
 
 フォーラムの構成は片づいたといっても、フォーラムのテーマの一つがウエアラブルカメラであるから、ここではリサーチダイビングの撮影とウエアラブルカメラについて述べよう。
 航海の前半、5日、6日、7日の撮影は、中尾先生のキヤノン(ハイレベルのコンデジ)を僕が使って撮影した。これまでの、この2年あまりの調査ではこのカメラでうまく撮影できている。
 中尾先生が採集をやり、彼の採集する、主として海綿を僕が撮影する。撮影ができたら、カメラを手放して採集生物をビニール袋にいれるのを手伝う。カメラにはストラップがついているから、手放しても大丈夫だ。 それとは別に、GoProは、マスクマウントで、全体の流れを記録する。
 8日までの潜水を行って、中尾先生がPCに画像を取り込んだ。見ると、僕の撮影したほとんどがボケている。「嘘だろう」手慣れた撮影だし、一枚一枚、LCD で確認している。
 失敗の理由はこうだ。これまでは絞り優先のAEで、内蔵ストロボを発光させていた。ストロボのチャージアップが面倒なのと、時にオーバーになってしまうため、1000ルーメンのライトにきり変えた。そのときにシャッター優先にして撮影感度を上げておかなくてはいけなかったが、そうしなかった。それに、LCDで、きちんと確認している。ところが、その確認の設定が保存する画像を出す設定になっていなかった。手慣れたとはいえ、この設定をすべて中尾先生任せだった。
 マスクマウントのGoProで撮った画像で失敗したサンプル撮影の部分を探した。注視したものは何とかなるが、全部注視したわけではない。
 9日の潜水からは、自分の一眼をつかうことにした。そして、なるべくマスクマウントGoProで、撮影対象を注視することにした。


   キャノン一眼で撮った。落ち着いているし、拡大すればGoProと少しの差がある。

   マスクマウントで注視

   少しトリミングして一眼カメラを消した。

 その結果を中尾先生と検討すると、確かに一眼の写真はおだやかにしっかり撮れているが、GoProのマスクマウントの動画から静止画を切り出した写真の方がシャープに見えて、なおかつきれいに(派手に)見える。
 それならば、一眼の静止画とGoProの動画が同時に撮れるように、一眼の上にGoProをマウントしよう。
 もともと、今度の航海は、透視度が望めないことから、一眼の二階にGoProを乗せる形を作ってお台場でテストをしていた。予定通り、これを使っていれば前半の失敗も無かったのだが、僕の手を使って採集の手伝いをしようという色気でこのシステムを捨てて、中尾先生のカメラで撮ったのだった。
 元来、研究者は、自分のカメラで撮影をしたい。自分のお金で買ったカメラを使いたいのは当然だ。僕が僕のカメラで撮っているとそれはそれとして、先生は自分のカメラで撮る。僕が先生のカメラで撮れば、彼はカメラを持たないで済むから、採集作業がスムースに手早くできる。しかし、僕の今回のような失敗があると、やはり、自分で撮っておきたいとおもうだろう。

 二階建てにしたカメラの結果を見ると、二階のGoProの動画からの静止画とキャノン一眼の写真と、この大きさ、つまり調査の報告書としての使用ではほとんど差がない。情報量としては、圧倒的に動画のGoProが多い。

    二階建てGoProをマスクマウントで撮影したもの

    上のGoProでの撮影

    キャノン一眼
    この比較ならば、ウエアラブルカメラの方が良い。


 今後、スチルもライトでとることが、アマチュアでは中心になるだろうが、やはりプロはストロボを2灯以上、カニのハサミのように両側に広げ、瞬きをする速さで連続発光で撮るだろう。そうしないと、プロとしてのお金がもらえない。
 アマチュアのスチルもオリンパスのTEC2など、良いカメラがでているが、プロの使うカメラとは、紙一重の差がある。GoProはさらに紙一重、下にある。
 しかし、別にポスターを作るのでなければ、写真は画質ではなく、撮った絵の勝負なのだが、プロの衿持と使う側の要求がある。しかし、それも、時間の問題だろう。すでに、映画が、そしてCMがの動画がスチルカメラで撮られる時代である。逆にスチルをスチルカメラで撮らなければいけないことは全くない。

 ところで最近、再びフイルムのスチルが脚光をあびるような傾向がある。シャープネスと派手な美しさでプロが勝負できなくなれば、そのほかの何かが求められる。
 僕ももう一度フィルムで撮りたい。撮るかもしれない。6×4のスチルが埃をかぶっている。しかし、今のGoProの100倍の重さがあるカメラだ。やらないだろう。できないだろう。
 脱線からもどると、リサーチダイビングのカメラとしては、もはや一眼は不要。ウエアラブルカメラだけで良いと結論した。

 そして、次の撮影、お台場では、GOPROだけにした。ライトと組み合わせる関係で、ライトのステイにビニールテープでGoProを括り付けた。僕の水中撮影人生は、ビニールテープと瞬間接着剤に支えられている。などとよくいう。現場処理なのだ。午前中の撮影はこれでうまくできた。いいショットも撮った。昼休みに確認するとビニールテープが少し緩んでいる。くくりなおせば良いのだが、手に持っているものだから、落とせばわかるだろう。「まあ、いいや」と出発した。
 エントリーする時、いつもフィンを履くのに苦労する。誰かにちょっと助けてもらえば良いのだが、すべて一人でやらなくてはという矜持がある。レクリエーショナルダイビングでは、きちんと助け合いバディチェックをするが、自分は先に装着して、メンバーの面倒を見るというプロの悲しい習性が身についている。腰まで水に入ってフィンをつけようとして転倒した。フィンをつけて、泳ぎ、撮影位置まで来て、カメラのスイッチを入れようとしてみると、カメラが無い。転倒した時に落としたのだ。透視度はお台場としては良いけれど1.5m、小さいカメラだ。ほぼ絶望。しかしあきらめずに元のコースを泳いで戻った。さっき転倒した位置の砂の上にあった。ほぼ奇跡だ。
 左手にライトを持ち、右手にカメラで撮影し、イシガニが、反抗してくるショットをとった。


 次の撮影、石巻の鮫浦湾では、石川さんのワンタッチで手にできるマスクマウントをつかい。左手にライトを持った。ライトはD環にクリップと短い細引きで結び、手放しても良いようにした。これで、きちんと撮る時にはマスクから外して右手でカメラ、左手でライト、移動中、手作業の時にはマスクに戻す。お台場で落とした苦い経験があるので、ときどきマスクに手をやって、カメラの所在を確認する。

     貼り付いている海綿をはがして、携帯ジェットで吸い込んでいるところ。

 これがリサーチダイビングでの撮影の最終スタイル(目下のところだが)だ。
 今日からまた中尾先生と鹿児島の甑島に行くが、このスタイルで行く。一応デジカメシーアンドシーのリコーをカメラバックに入れているが使うことはないだろう。

0805-10 鹿児島 -1

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 8月5日から10日の今日まで、鹿児島にやはり早稲田大学の中尾研究室と同行して、採集エキスぺディションにでていた。 主たる目標は、甑島のクロマチュウムの採集、そして、いつもの海綿の採集調査だ。
 メンバーは中尾先生、町田君、須賀、石川がいつものメンバー、それに、中尾研究室の昆虫おたくの石田君、そして、阿部君が参加した。阿部君の得意技は何か知らないが、僕のめんどうをよくみてくれた。
 いつも失敗の繰り返しが旅、だが今回最大の失敗は、持って行ったコンピューターがタブレット、ASUSのキーボード付きのスライダーだったことだった。ブログを書いていて、撮ったはずの写真が、保存の段階できえてしまったりして、悔しいことがいくつか。主には、これまで3回の甑島潜水行で毎回船をだしてくれた、スーパー漁師、浜田さんの水中銃が消えてしまったことで、調査の本筋には関係ないトピックスだが、ブログ的には痛かった。
 このことなどもあり、やはりサブのコンピユーターは買い替える決心をした。アンドロイドは僕にはつかいこなせない。ともかく、旅に出発しよう。

 
 甑島、貝池、での紅色硫黄細菌、クロマチウムの採集

0805
羽田空港へは、早めについて旅のはじまり。
鹿児島空港は本当に山の中、不便。昔は海辺だったのが、山のなかに新しい空港を作った時には、しばらくは苦情が絶えなかった。しかし、ずいぶん昔の話だ。
天文館通りに近い、ホテル「REM 」最新型の安宿?だ。なんでも整っていて便利できれいだ。
大分遅い夕食は、天文館通。
べつに行く当てもなく、 すぐに客引きに捕まるようにして良くわからないとこに入った。地下で、きれいな店で、スナックのつくりだが、メニューは、居酒屋だ。
僕の旅は、民宿か、ダイビングサービスの宿泊、東京では下町(東京の田舎)だから、銀座等に酒を飲みに出ることは皆無に近い。だから、地方の大都市にくるとおのぼりさん的になる。こういう店も、たくさんあるのかもしれない。
居酒屋なのにショウタイムがある。ショウタイムといっても、少し小綺麗なウエイトレスのお姉さんがカラオケで歌う。二曲目になると、お客も、お姉さんのリードで、立ち上がって頭の上で手を降る。こちらも、町田はノリの良い奴で、立ち上がる。そのうちに中尾先生もノリかけた。カラオケは、このショウタイムには、お客は歌わない。歌えばカラオケスナックになってしまうからだろうか。からおけショウタイムが終わるとお姉さんは、鍋のお世話をしながら、ホステス風に話をする。
ホテルはネットが繋がるので、わけのわからない居酒屋の動画を送ったりしたので1時近くになってしまった。

8月6日
ホテルでの朝食はなくて、8時出発、途中で
吉野家、特朝定食
困ったことに、学生がフェリーの予約を東京でしていなかったので、満車でキャンセル待ちの7番目、とにかく行くしかない。
フェリー乗り場で、車の中で月刊ダイバーの原稿を書いていたが、なんとかキャンセルまあ待ちでのることができた。
3年目の甑島だ。これで、三回目、前回は3年前になる。
漁協でお世話してくれていた参事さんは、若い人と交代、いつも船をだしてくれている浜田さんが打ち合わせに来てくれた。明日は、彼の船を使う。
 軽トラに水中銃が載せてある。浜田さんは、魚突き漁をやる。この島で一人だけ、潜水漁の許可を持っているのだとか、スクーバで魚を水中銃でとる。そんな許可があるのだ。僕の親友だった川俣の弟子だから、最初に会ったときから意気投合している。川俣は、鹿児島の人で1967年の日本潜水会の創立メンバー、減圧症で車椅子になり、それでもまだ海に執念を燃やしていたが、亡くなって久しい。
 
タンクが届いたので、潜水の準備をする。今回の忘れ物は、まず、スノーケル。マスクマウントのマスクは、スノーケルを外して、別に持っている。自分の車の中には、スノーケルは、何本もころがっている。今日は自分の車がそばにない。この言い訳はもう古いと石川さんに言われる。
スノーケルがなくてもなんとかなるだろう。次に、ウエイトのベルトが一本足りない。いつもウエイトを持ってくる中尾先生が、今回は持ってこなかった。 僕が、タバタの新しいBCを持って来ているので、ウエイトは、それにとりつけられる。舟に引き揚げてもらうときに重いので使う習慣がないが、なんとかなる。ダイビング道具の忘れ物は、ダイビングサービスに行くときは、借りれば済むが、こんな時には何とかする他ない。
車で今回の目的であるクロマチュウム採集のため貝池へ向かう。
甑島は、上甑、中甑、下甑、三つの島で成り立っている。僕たちが来ている漁港は、中甑の平良である。上甑と中甑は橋で繋がっている。貝池は上甑の地図上で上側に位置していて、長い連続した砂嘴が、海と内側の池を仕切っている。眺めの濱と呼ばれている。この浜の地形で、海と砂嘴で仕切られているいくつかの池のうちの一つが貝池だ。以下は、3年前に撮ったものをYOU TUBEに載せた時の説明である。 http://www.youtube.com/watch?v=bMznKk2Q8xE
 上記のアドレスでも、 ユーチューブで、次郎須賀で検索しても出てくる。なぜ須賀次郎にしなかったのかはわからない。3年前のことだ。
 これは、今見てもすごい映像だ。とおもう。その映像の説明が下記
「鹿児島県 甑島には、不思議な池、貝池がある。看板によれば、「上の方は周囲から流れ込む雨水により薄くなって低塩分の水が覆い、底の方は、春から夏の間に静かに侵入した海水が停滞して、海水の層になっています。この海水の層は、酸素が無く、多量の硫化水素を含んで、特別な微生物しか生息できない状態になっています。その海水の層と上層の低塩分の水の層との境目(深さ約5メートル)には、約20センチメートルの厚さで光合成細菌が濃密に分布し、水中には赤紫色のカーペットを敷いたように、全面に広がっています。この光合成細菌は地球誕生後の極めて早い時期の、今から約30億年も前に出現した原始的な微生物の仲間で、その後の生物発展の歴史の中で、画期的に重要な役割を果たしたといわれています。」
 
このクロマチユウムは、30億年前、地球がまだ放射能に覆われていたころから生きていた種だといわれている。中尾先生が何かの研究に使うので再度採集に来たものだ。

池の真ん中にブイが浮いている。これはNHKが取材したときに浮かべたものらしくそれが残っている。なお、貝池は大変に危険であることと、重要な自然なので、潜水は厳しく禁止されている。学術研究の場合だけ許可される。
危険な理由は、クロマチユウムの層の下は、猛毒とされている硫化水素を含む水が沈澱しているからだ。3年前にこの池に潜った時は、フルフェースマスクを使って、水深12mの底まで行くことを計画した。しかしクロマチユウムの層の下は、完全な暗黒、真っ黒な水であり、臭いもして、フィジカルな本能的な生命の危険を感じて、行けなかった。こんな時に、どうしても行けないという安全装置があるので人間は生きていられる。戦争では、この安全装置を外すことがある。カミカゼがそれだろう。ここでは安全装置を外す必要はない。どうせ、底までは行かないのだからと今回はフルフェースを用意しなかった。中尾先生によれば、フルフェースの方が、マスクの中に侵入してきた硫化ガスを吸い込む可能性があるので危険だ。マウスピースならば水を飲み込むことさえしなければ大丈夫だという。同じようなものだが、同じならば重いフルフェースを持ってくる必要はない。

僕たちの潜水を祝うかのように、晴れていた空がかきくもって、篠つくような豪雨になった。このごろ問題になる豪雨ではなくて、ただの夕立だろう。
僕はスノーケルがないので、BCD の空気を入れて背泳ぎの仰向けで泳ぐ。300mぐらいあるので、むしろこのほうが楽だ。顔を上げて方向の確認をする必要もない。
 スノーケルは忘れたが、採集した水の袋を運搬するために、幼児用の浮き袋を買って持ってきた。これはなかなか役に立った。

潜降する。透視度は2mか、3年前よりも悪い。水深4mほどで水が熱くなる。中尾先生がスントのダイコンではかって37度とか、風呂とおなじだ。この熱い層の下がクロマチユウムで水の色が紅い。この赤い色の水にクロマチユウムがいる。水をビニールパックにいれて採水する。本格的な採水器も考えたが、重くなるのでやめた。そのかわり、採集した水の袋を載せて運ぶ浮き、幼児用の浮袋を用意した。
3年前は、クロマチユウムが絨毯を敷き詰めたようになっていて驚異だったのだが、今回は絨毯になっていない。季節変化なのだろうか。
3年前のように、クロマチュウムが固まっていないので、手応えがない。何度か繰り返し潜って採水した。暗黒の下まで行きたい誘惑に駆られる。しかし、する必要のないことをして、もしものことがあれば、申し訳が立たない。思いとどまった。

 

0812 8月7日 鹿児島ー2

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 8月7日分
 甑島、平良港での潜水。
 船長の浜田さん、一人だけでの繰船、漁師はたいてい一人で、すべてをやるが、一人で出来る限界の大きさで、12人は乗れる登録だ。
 ダイバーとして上手だと、技術的に尊敬するのは、目下のところうちの(JAUSの)久保君だが、浜田さんはこれに並ぶ。もちろん、フリーダイバーとしては篠宮くんとか、ドルフィンダイビングでは、とかそれぞれ感心するダイバーは何人も居る。カメラマンは作品が勝負だし、好き好きだから、技術的な評価とは別の評価だが、一緒に泳いだ経験がある鍵井君には感心した。久保君に匹敵する。JAUSのメンバーとして、中川も、井上慎也も、杉森もそれぞれ感心する。
ダイビングの技術とは、ローカルルールの占める割合が大きい。ローカルルールを集めたブックがほしい。JAUSの仕事の一つだ。
 そして、浜田さんだが、潜水しようとする位置に着くと大きなアンカーを投げ込む。アンカーロープは、水深の何倍とかの長さが必要だとか本にはかいてあるが、これは船の大きさとアンカーの重さとの比のもんだいでもある。浜田さんのアンカーは十分に重いから、60度ー80度、ほぼ真上に船をおくことが出来る。僕は、原則として、アンカーロープを潜降索としてはいけないと書いているし、潜水士テキストでも潜降索は別に降ろす。アンカーを潜降索にしたことによる事故もいくつかある。しかし、浜田さんのアンカーは潜降索に使って大丈夫な重さ、大きさがある。こんな大きいアンカーをレクリエーショナル・ダイビングで使えない理由は、ダイビングポイントの海底をぶち壊してしまうからだ。




 アンカーロープは、ほぼ垂直

 こんなアンカーを思い切りよくぶち込むのは、ローカルルールである。浜田さんの領域での方法である。この島でスクーバを使っての潜水漁の許可は浜田さん一人である。もっとも、浜田さんも、今ではあまり潜水漁には熱心では無いようだ。秋のカジキ漁とか、養殖の管理潜水の方がお金になるらしい。マグロ養殖で網が破れて、マグロが逃げれば大損害である。網が破れた、すぐに来てくれと言ったらすぐに行かなくてはいけない。

 中尾先生は船酔いでダウン。船酔いの薬を決して飲もうとしない人だ。僕は、どんどん薬は飲んで、元気に潜水する。しかし、このくらいのうねりでは、薬なしでも酔わないけれど。
 潜水は、僕たち3人と、浜田さんがつきあってくれる。僕は、昨日、BC.ポケットの、後ろに入れたウエイトで後ろに倒れ、見苦しかったので、BC.の前のウエイトケースにウエイト2キロを二つ、4キロを付けた。BC.にウエイトをつけるのは,好きではない。船の上でタンクを引き上げてくれる人の労働量が増える。忘れ物をしたため、ベルトが一本足りない。こういう時に体験しておこう。

       高い船縁

        落としたウエイト
 船外機ボートとか、ゴムボートと違って、船が大きいので、船縁が高くサイドロールで飛び込むと爽快だ。久しぶりに、飛び込んだ水面で見下ろすと海底が見える。BC.の空気を抜いて、スムースに沈んで行く。ところが、そのとき、高い船縁から飛び込んだ衝撃で。BC.の前に付けていた4キロのウエイトがおちてしまっていた。別に欠陥ではなく、ロックのしかたがわからずに甘かっただけなのだが、とにかく落ちて、そのことに気づかなかったということは、3mmのウエットで、スチールの10リットルならば、僕は、ウエイトなしでも良いのではないか?。落ちたウエイトは、石川さんがひろって来て、とりつけてくれた。もちろん、その分重くなったので、空気をBC.に入れてバランスをとった。僕の体の全質量は4キロ増加したわけだ。
 甑島の海岸は、岩壁である。海底地形も岩の切り立った地形で豪壮である。ラインの巻き尺は50mなので、透視度が20mもある時には、調査範囲としては短すぎる。いちおう50mのばして、その先へ行くか、その片側に進む、戻って来るときの目印である。

           浜田さん

           目印ライン
 つきあって潜ってきてくれた浜田さんは、もちろんBC.のようなごちゃごちゃした抵抗のあるものは使わない。ハーネスですっきりしている。と知っている。ところがハーネスではなくて、ジャケットを着ている。ん!スタビジャケットを使うようになったのかとよく見ると、スタビでもBC.でもない。ジャケットのようなハーネスだ。ハーネスよりもぴったりしている。メーカーは、どこが作っているのだろう。あとでよく見せてもらおうと思っていて、忘れてしまった。これで自由自在に敏捷に動く。形もすっきりしている。僕の昔の潜水だ。水平姿勢だとか、ストリームラインだとか習いはじめてから、恰好がおかしくなった。最近、久保君が自分の娘にダイビングをおしえているが、きっと上手だろう。子供の時からやれば、たちまちできる。僕の娘はできない。大学生ならすぐにできるようになる。町田は上手だ。
 浜田さんは、水中銃を持ってはいたが、魚は突かなかった。突いていない理由を聞くと、「アラが居ったけれど、岩の中に入ってしもた。」という。穴に入った魚を突くと、出すときに傷をつけてしまって価値がさがる。それよりもなによりも、今日は魚突き商売ではない。いいのが居て、銃がないために逃がすのは、ハンターの衿持がゆるさない。そして、格好をつけるために持っているのだろう。格好いい。浜田さんは、あっちの方向に行けと指差す。自分は反転して反対側に行ってしまった。ガイドならば自分についてこいというのだろうが、なんだろう。面白がって潜っているのだろう。食べられる貝を何種類もたくさん拾って来てくれた。そのために潜ったのか?
 彼の持つ銃の構造をアップを撮ったのだが、遊びの映像だからとタブレットに取り込んで、バカ(僕が?)アンドロイドのおかげで消してしまった。昔、東亜潜水機で銃のデザインもしたことがある僕がみて、最高の銃だ。僕が魚突きをすることは、今後も絶対に無いが、もしも、やっていたとすれば、、、、使ってみたい。手作りの銃だから、すごい。ところで、石垣の素潜りウミンチューの河村さん(FBのともだち)はどんな銃をつかっているのだろう。そのうちに聞いてみよう。
 突く魚はアラ、ハタの類である。ハタの種類は多く、それぞれに地方名がある。沖縄、八重山では覚えきれないほどの種類があるが、九州、このあたりでは、どれでもアラですましてしまうみたいだ。シンプルでいい。 浜田さんの漁は、潜水漁の多くがそうであるように、バディシステムとは縁がない。助けることもないし、助けられることもない。一人の船に一人の自分だから、死ぬときがくれば死ぬだけだ。さっぱりして気持ちが良い。
 豪壮な地形だが、目指す海綿はあんまりなくて、上がった。問題は、高い船縁にどうやってよじあがるかだ。浜田さんの梯子は、もう一段足してくれれば足がかかるのだが、最低限度に切り詰めてある。それでも彼はこの梯子を使わずに船によじ登り、僕たちが登れないとせせら笑う。そのために短くしてあるのだろう。たぶん、彼は、船尾のどこかに、秘密の上がるところをつくってあるのだろう。
 前に、梯子のないヨットから全員が飛び込んで上がれなくなったホラー映画があった。町田は、タンクもウエイトもあげてもらってのことだが、梯子を使わないで、懸垂で上がって見せた。浜田さんへの対抗心か?僕だって、片手が船縁にかかりさえすれば、上がれた時代があった。30年昔だ。
 今の僕は、まず片足、左のフィンを脱ぐ。懸垂と右足のキックで、右膝を梯子の最下段に乗せる。フィンのない左足を上げて、最下段にかけて右足のフィンを持ち上げて船縁にかけて何とか上がった。実はこのとき、右足のフィンを学生が取ってくれたのだが、取らなくてもあがれる。
 全員が上がると、浜田さんはラインホイラーでアンカーを巻き上げる。大きなアンカーも苦もなくあがり、ガタンと台座に収まる。この一連の動作がかっこいい。後は全速で突っ走る。

 舟の使い方を含めて、そして水の中での動作も含めて、浜田さんの潜水が好きだ。ノスタルジーかもしれない。
 念のために重ねて言っておくが、ダイビングの安全は、決して一人にしないことだが、潜水漁師とか、命知らずの研究者が一人になる。その結果、自分は死なないが、周囲が同じことをやると死ぬ。彼らは、自分が死ななければ良いのだ。学生を潜らせる世界ではない。



 二回目の潜水は、中甑と平良を結ぶ橋のちかく、波静かな場所にアンカーを入れた。中尾先生も元気になり、みんなでお弁当を食べた。

 海底は5m未満の造礁珊瑚で、遊覧船がスノーケリングにくるところだ。3年前にこの位置に近く、橋の向こう側に潜ったがオニヒトデの巣窟で、造礁珊瑚は食い尽くされていた。ここにも特大の立派なオニヒトデが1個体だけ居た。やがて、オニヒトデが増えて、造礁珊瑚はなくなるかも知れない。その頃は、向こう側の造礁サンゴが育っている?ここには、オニヒトデ退治とか珊瑚の移植などという発想は無い。ほっとけば、オニヒトデと珊瑚のサイクルがくりかえされるのだろう。全部のサンゴを食い尽くせばオニヒトデも飢え死にする。次に出てくるのは、オニヒトデが先か造礁サンゴが先か、鶏と卵ではない。餌が先だ。

 もちろん、オニヒトデを殺して造礁珊瑚を守るサンゴレンジャーに反対はしない。映画になって、自然は人間が守らなければいけないという教えになった。箱庭的にサンゴを移植して、みんなで守り育てるのも良い。陸上にだって原生林もあれば、見事な植林もある。芸術的な庭園もある。庭園を維持するのはお金と時間がかかる。
 ここでは結論はいわない。結論は無いのだ。
 昔、衛星チャンネルという放送枠で、勝手に撮って、勝手にしゃべる番組を24本やらせてもらった。そのときプロデューサーに、須賀さんは話をまとめるからよくないといわれたことがある。見る人が考えることが一番、まとめてわかってもらうのは次善の策だ。もちろん、時と場合によるが、時と場合、言葉を換えるとバランス感覚、そんなことを真剣に考えた昔があった。

 

0815 鹿児島 0808-10

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8月8日
 甑島から、長島への移動。白状するように言うと、僕は長島というところを知らなかった。全く知らないのだ。たいていは旅にでる前に地図をみるなり、ネットで見るなりして、予備知識を付けて行くのだが、今度はまるでそんなことはしなかった。
 今、地図を見て、あらためて確認しながら書いている。
 甑島からいちき串木野までフェリーで1時間20分、串木野から鹿児島街道を北上する。すぐに薩摩川内、そのまま、さらに北上すると阿久根に着く、阿久根を抜けて、左に折れると長島で、橋が架かって繋がっている。長島の東というところに鹿児島大学水産学部の臨海実験場がある。臨海実験場、とても良い名前なのに、今は各大学、なんとか海洋センターと名前を換えてしまっている。ホームページで調べないと正式名称がわからない。今調べたら、鹿児島大学水産学部付属海洋資源環境教育研究センターであることがわかった。そのセンターに僕たちは来た。

今になって地図を見ているとおもしろい。長嶋は、何回か行った牛深の前にあたる。左(西)が牛深、右(東)が水俣だ。八代海は、瀬戸内のようなところだ。
 とにかく、臨海実験場で、船外機付きのボートを出してもらい、タンクを借りて潜る。ぼくには言わないのだけれど、中尾先生は、ここの何とか云う海綿が、研究テーマの一つで、この実験場には何回も通っている。潜る場所のことも良く知っている。ガイドができるくらいだ。そんな海の内容のことは僕に知らせないから、僕はいつもの通りに心配し、神経を尖らせる。
それが役目だから、それでいい。
 そして、またまた失敗をする。実験場で借りるタンクは14リットルのスチールだ。甑島では、10リットルで、3mmのスーツで、ウエイトを落としてちょうどよかった。14リットルならば、BCの背中のポケットに1キロを2個、着ければ十分だろう。中尾先生のウエイトも2キロ減らさせた。
 潜る場所は、基本的に瀬戸内だから、流れが速いはず。中尾先生は潮どまりを知っているが、僕はしらない。午後3時ごろで潮の速さはほんの少しだ。ボートでタンクを背負って飛び込むと、沈まない。まるで浮いてしまう。ボートの上に2キロのウエイトベルトがあったので、それをもらう。それでも沈まない。頭を下にして潜り、石をひろって、ようやく泳げる。場所は斜面なので、斜面を下って、5mぐらいで、何とか調整がとれた。中尾先生も浮いてしまって、石を持っている。目標の海綿をある程度は採集した。
 なぜ浮いたのだ。タンクを調べてみると、内容積が14リットルで重量が13キロだ。こんなタンクがあることを知らなかった。日本アクアラングの普通のタンクである。

 僕は基本的にBCのダイバーではないから、重めにしてBCの浮力で調整するのが好きではない。BCに空気を入れないで水面で中性浮力になるようにいつも心がけて、沈んで重くなった分だけ、BCに空気を入れる。最近、14リットルのスチールをあまり使わないが、軽いタンクが普通にあるのだろうか。
 このようにウエイトに神経を使って失敗するのと常に2キロオーバー、つまり余裕を持つのとどちらがよいのだろうか、初心者には2キロオーバー場合によっては3キロオーバーでも良い。水面に浮いたら必ずBC.に空気を入れる。ところで、自分の場合、こんなに軽い14リットルがあるとは計算外だった。
 泊まりは、太陽の里というコテージ、温泉の大浴場がある。高い位置にあるので、浴場からのオーシャンビューがいい。しかし、だから何だと思ってしまう。無感動になってしまうのが怖い。

 8月9日
 昨日と同様の採集を、午前、午後と2回。
 午前
 潜水開始0949 潜水終了 1032 潜水時間 43分 最大水深16.8m 
 平均水深 9.8m 水温27.7度
 午後
 潜水開始 1500 潜水終了 1537 潜水時間37分 最大水深11.9m
 平均水深 6.3m 水温28.3度


 海底はつくづくとガンガゼが多いところだ、体を海底に着地して採集していたら、やられる。町田を見ていると、本当に上手になったとおもう。水平姿勢で浮いてすべての採集作業をしている。上手になったとほめると、腕を前に突き出して、手を組み、「これをやったから」という。プライマリーコースのおかげ、ということだ。


 8月10日
 東京へ、長嶋から霧島の鹿児島空港へ、鹿児島市内を通らず、林道のような山道を抜けて行く。中尾先生に聞くと、通いなれた路なのだそうだ。そのくらい、長嶋の海綿を採集して、長い。辛抱の必要な研究なのだ。採集のための潜水そのものは、僕よりも、もちろん上手だ。だからチームを作らないと危険であること、よくわかっている。しかし、研究者の潜水のほとんどは、このことがわかっていないのではないかと思う。だからこそJAUSの活動が必要なのだが、前に進まない。潜水の運用、ローカルルールのマニアルの集大成、各論が必要、各論の研究報告書を作って行かなくてはならない。これは、研究者のダイビング、リサーチダイビングだけではない。レクリエーショナルダイビングでも、重要。それがないために事故が起こる。

0816 西川名 0814-1

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8月14日
 石川さんと二人、西川名のオーシャンパークに行く。石川さんはGoProのマスクマウントの販促、僕は、沿岸漁業関連の社団法人全国豊かな海    協会の機関誌、「豊かな海」の表紙になる絵が撮れないかという撮影。GoProで撮って、沿岸漁業の調査にウエアラブルカメラを使うことについての記事を、やがては書かせてもらおうという狙いもある。
 朝一番、9時の船を予約したという。9時の船は満員だということ、結構な話だ。石川さんはお盆の車の渋滞があるから5時出発を主張する。僕は6時で大丈夫、中をとって5時半に出発した。7時半に到着したから、これで正解だった。
 道々車の中で話した。僕たちを応援してくれている人が、JAUSに入っても何のメリットもない。なにを考えてどこに行こうとしているかもわからない。という。この話は、潜水が終了してから、西川名のオーナーであり、JAUSの副代表理事である白井さんの別荘に立ち寄った時にも話した。もちろん、僕は常時そのことを考え続けている。だから、別に書かないと、西川名に到着しない。
西川名に着き、手伝いに来ている谷島さんと歓談。記念写真を撮った。フェイスブックに出される覚悟して撮ったのだが、3mmのウエットスーツの膝が破れている。これは、横山さんのところで作ったので、先日、手伝ってもらった時に、ついでのに修理してもらおうと、お願いしたら、これはもう当て張りしてもそのすぐ上から破れてくるので、あたらしいものを差し上げますと言ってくれる。お言葉に甘えるわけにもゆかないし、これはこれでまだ着られる。膝が破れていたところで、寒くはない。そうだ。ひざ当てがどこかにあったはずだ。そして、そのひざ当てを探さずに来てしまった。
沖を眺めると、かなり流れているような、さざ波がたっている。
9時になり、満員状態で出港した。
 思っていた通り、潮が速く、いつもつかまるAのブイにはつかまれない。岸に近いBのブイに止まる。困った。Aのブイからならば、海底に張ってあるチェーンがわかるのだが、Bをよく知らない。図上ではわかっているのだが、経験がない。まあ、いいか。こんな時にまあいいかではいけない。きちんと覚えておかなくては、しかし、この期に及んで考えても仕方が無い。やはり、まあいいかだ。要するに南東に向かって行き、北西に向かって帰ってくれば良いのだ。流れは、北西から南東に向かって流れている。


 他の人たちは、初心者を連れたインストラクターが3組ぐらいか、みんな潜降索からおりる。Bの水面はそれほど流れていないから、石川さんと二人きりである気楽さもあり、潜降索から降りずにそのまま潜降した。心づもりでは、ガイドチェーンが見つかったらそのまま、流されて下って行けば、大きな岩礁、V字の谷につくから、そのあたりで、ハタでも探して、撮ったら帰ってくればいい。
その通りにすればよかった。船の上で石川さんとそのようなブリーフィングをして、予定通りに動けばいい。それが、乗合船だから、打ち合わせもしないで飛び込んでしまった。降りて少し進んだところで、気持ちが変わってしまった。身体が、潮流に乗って下ることを拒否する、帰りがきついだろう。いつも瀬戸内海でも鹿児島でも、遡って帰りが下りにしていた。遡ってもどれば、このチェーンはイソギンチャクの根と呼ぶところに着くはずだ。そこでのんびり撮影して、潮に乗って戻れば良い。と遡った。途中で、グループが下って行くのにであった。僕たちは遡ったが、チェーンが途中で無くなっている。イソギンチャクの岩に行く、ロープも無くなっている。
そこでもう一度思い直して、ターンして、みんなの行った方に戻った。と言っても大した距離ではない、25-35mほどだ。透視度が良ければ何でもなく見通せる距離だが、あいにくと濁っていて、10mほどしか見えない。とにかく、大きな岩礁のところに来て、岩礁の間を通り抜けると、v字谷の方に行くのだが、突然のように流れが強くなり、v字谷の方向に流される。流れが強すぎるのか、いつも群れているヒゲダイがいない。ちょっと遡ろうとしたが、とても遡れない。右に折れて、岩の向こうに戻ろうとしたら、一団となってやってきたグループに会った。インストラクターが、すれ違って戻ろうとする僕たちに途を譲ろうとしたが、遠慮して、どうぞ、と僕たちがよけた。岩の下に入っているヒゲダイにライトを当てて、メンバーに見せている。女の子が多い。



この人数を引率して、遡って戻るのは大変だろうな、と無事を願って、僕たちは早めに戻ることにして、チェーンを手繰って戻った。かなりの流れだ。どうも僕は流れにナーバスになっている。
  途中でハタの大きい姿を見て接近したが、あまり寄れなかった。つまり、何の画もとっていない。


ところが、そのチェーンが間違っていた。Aのブイに戻るチェーンだったのだ。2本のチェーンは南北、方向に平行している。東に向かえば、Bチェーンに出会える。東に向かった。かなり泳いだのだが、Bチェーンに出会えない。空気が50になった。水深は18m、浮上して泳ぐとすれば、50ぐらいの空気が必要だ。僕は、この程度の時間ならば安全停止は必要ない。窒素のバーも低い。浮上した。船とは50mほど離れている。やはり、東に向かうつもりが北東に近いコースを泳いでいていたので、離れたのだ。潮に逆らっての50mではなく、潮に乗りながら斜めに横切るのだから、苦も無く、船に戻った。ちょうど、向こうで出会ってインストラクターのグループと一緒になった。ここでも、僕に先に上がるように、気を遣ってくれたが、ここでも遠慮して後から船に這い登った。
 



 谷島さんが講習と体験ダイビングをやっている。岸から行けるポイントに古い人工魚礁がある。あの辺りに行けばマアジの群れがいるはずだ。水深も浅い。流れも無い。のんびり落ち着いて撮影できる。谷島さんのチームに合流して人工魚礁に行こう。と決めた。
 となると、時間が出来たので、着替えて食事に行くことにした。当初の予定ならば、ここで、お弁当を頼んで、このまま、1時間待って、11時の船でもう一回潜って戻ってきてお弁当を食べる。谷島さんの推薦は相浜亭で海鮮丼。僕はいつも一休庵の天丼セットだが、車で10分の相浜亭に行くことにした。この辺りは、僕のホームで詳しいはずなのに、相浜亭に行ったことがない。少し探してしまったが、何のことは無い相浜の漁港の前にある漁協直営店だ。相浜には何度か調査に来て出港しているのだが、知らなかった。僕が来ているころにはまだなかったのだろうか。

 海鮮丼は厚切りの刺身のてんこ盛りで、おいしかった、おすすめだが、僕は基本的に魚があんまり好きではない。魚が好きな人ならば、もっとおいしいだろう。

0817 西川名

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 午後の潜水は、人工魚礁は行く。岸からのエントリーになるので、近くまで軽トラで機材とタンクを運んでもらう。
 磯を歩いて行くと、良いタイドプールがあった。いまさら説明するまでもないが、潮たまりである。磯の岩盤の隙間とか凹みには水がたまる。潮が満ちてきた時に、このプールにまで海水が入ってくればタイドプールが成立する。潮が引けば、この海水は取り残されてプールになる。潮の満ち干でこれがきちんと繰り返されれば、魚が住める。大きな魚がはいってこられないようなプールならば小さな魚の隠れ場になる。
 タイドプールには、海水浴ができるような大きなものもある。三宅島にある長太郎池はその一つだ。村が土木工事をしてしまったので、陸側はコンクリートのプールサイドだ。葉山の磯、江ノ島の磯は、良いタイドプールが連続していて、中学生の時に生物の実習で行ったし、大学に入っても、一年生の時代は葉山の磯で魚の採集をして、たくさんの魚を標本にしてしまった。
 たいていの大学の臨海実験場は、このタイドプーエリアが広く広がっている。元水産大学の小湊自習場、筑波大学の下田、東大の三崎にも良いタイドプールが広がる。タイドプールは海洋研究者が育つためには必須のフィールドなのだ。
 タイドプールがあれば、故郷の海のような気がして、必ずのぞきこむ。今日も覗き込み、マスクとスノーケルを持って、膝下ぐらいの水深のプールに身体を静かに横たえる。それでも、水を濁してしまう。本当ならば澄むまで待ってカメラを使いたいのだがそんな時間はない。
 しまった。ウエットスーツの背中のチャックが開いている。炎暑である。V字型の日焼けができるだろう。石川さんに声をかけてチャックを締めてもらう。彼はドタドタと水に入ってきて、濁らす。
 その位置はだめになったので、這って前に進む。小さなギンユゴイが左右にすばしこく泳ぎ回る。銀色の身体に白い矢羽模様の尾、十分に鑑賞魚になる。それにこの魚は水の悪化にも強い。採集してきた魚を飼うことが魚類学のはじまりだった。念のために書いておくけれど、今は採集して飼っても最終的には殺すことになるから、慎むようになっている。ギンユゴイは気水でも生きるし、どこか、温泉でも生きていた。だからユゴイである。


 ほかにめぼしい魚はと見回すと、カエルウオの姿がちらっと見えた。穴があってそこに逃げ込んだ。さっそく、穴の入り口にGoProを置いて、でてくるのを待つ。ギンポの類だから、かわいい顔をしている。ちらっと外にでてまた穴に戻った。今日の撮影としてはこれで十分だ。
 これも採集をしていたとき、タイドプールの中で追いつめたら、外に飛び出して、岩場をカエルのように跳ねて逃げていった。カエルウオといわれる理由だろう。
 自分が採集をしたことを棚にあげて言うのだが、採集はしないでほしい。今のダイバーたちは撮影するだけで、採集はしないが、時に海水魚を飼うことを趣味にしている人が居る。度が過ぎなければ、止めることは難しいが、できればそっと自然のままに生かしてやってほしい。

 さて、泳ぎだして人工魚礁の撮影をする。人工魚礁のブロックが沈んでいるところは、この沖だ。目印のブイがういているという。が、そのブイが見えない。石川さんははっきりと見えるという。僕が見えないと言うことは、いよいよ、目もみえなくなってきたか。
 ちがうのだ。前にその魚礁に潜った経験から、もっと近い、と思って、近くをみていた。そのずいぶん先に、旗の立ったブイと、その先に丸いブイがみえている。それらしい。ずいぶん遠いなと思ってしまう。距離で500mあるかないかである。昔なら遠いと思わないだろう。
 いやな問題は泳ぐ距離ではない。歩いて、岩場をエントリーすることだ。陸地では、足下がおぼつかなくなっている。だから、恐怖は岩場でタンクを背負って転ぶことだ。骨折すれば、半年はかかるだろう。その間に筋肉も落ちるから、リハビリが必要になるかもしれない。
 岩にタンクを載せて背負う。その足下の水深は30cmほどある。しかし、その向こうに、水深10cmくらいの、浮いて通過できない岩があり、波が打ち寄せている。
 立ち上がって歩けば、転んで骨折がある。這って行く他ない。ウエットスーツの膝あてがあるといいのだが。
 何とか乗り越えてブイに向かう。クロマチウムの貝池以来、仰向けになって移動した方が、目標物からそれないのでいい。
 旗のついているブイの方にはなにもなく、その先の、白い玉のブイの方に、魚礁はあった。旧式の、おそらく1950年代、人工魚礁事業が始められたころの方形のコンクリートブロックだ。この形は普通、1、5m角なのだが、ここのブロックは、さらに古い形で、1m角である。メバルしか見えなかったが、一回りをして、魚礁域全部を見ると、小高く積み重なっている部分にマアジらしい群がいる。10ー15cmの小さいムツマアジで、おなじくらいの大きさのムツの子と一緒に群れている。ムツの方が数が多い。もっと数が多く、びっくりするような群でないと、雑誌に使うことは難しい。


 だめとわかってしまったが、空気が50になるまで、ムツの子、マアジの群、魚礁の中にいる30cm近い、大きなメバルを撮影した。
 行きよりも帰りの方が早く感じる。50キロの空気で、最後は潜行して泳いだ。水中を泳げば仰向けにおよいでいるよりずっと速い。
 エキジットも這いあがるのが難儀だ。しかし、這って上がれば、転んで怪我をする心配はない。
 午前も午後も、あんまり成功した撮影ではなかったが、たくさん泳いだから納得した。

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BCのない時代にダイビングを習い覚え、それぞれのダイバーは、BCが無いスタイルのダイビングを完成させていた。基本はやはり中性浮力であり、BCが無くても中性浮力で自由自在に動けることが上手なダイバーの証だった。どうやって、?と今のダイバーは不思議がると思う。自分の活動する水深で中性浮力であれば良いので、例えば15-20mで動くとすれば、ウエイトは3キロぐらいつけて行く。水面から水深10mぐらいまでは5キロほしい。そこで、水面から5mまではヘッドファーストで強引に潜り込む。水深5mから先は、3キロでなんとかなる。水深の垂直方向の変化による、浮力の変化は、深くなるほど少なくなる。水深10mから20mは3キロで通せる。20から先はオーバーウエイトになる。ウエイトなしで、10mまでは潜降索で強引に潜り込めば、ウエイトなしで行ける。戻る時の減圧停止は、潜降索が無ければできないから、潜降索が必須となる。岸からのエントリーならば、途中については海底の石を手に持って潜り、浮上してきたときも、石を手にもつ。
 知っている通り、今のBCを使う潜水は、潜水中の水深変化を頻繁にする。空気を節約し、窒素のたまることを防ごうとして、浅い水深で多くの時間を過ごし、必要な時だけ、深く入ってまた戻るというパターンが減圧症を誘発しやすいことは、ヨーヨー潜水とか言われて避けるように言われている。BCが無ければヨーヨー潜水はできない。
 1977年ごろにスタビジャケットが普及し始めたが、僕たちは、1985年ごろまでは、BCに反対していた。今でもプロのダイバーの多くはBCをつけないことに矜持をもっているし、海保の海猿ダイバーも原則としてBCは使わない。作業する水深があらかじめ予想できているし、オーバーウエイトに耐える脚力も鍛えられている。
 しかし、今のダイバーは、そして僕も、BCを使うことに慣れてしまえば、BCが一番大事な基本的な機材になっている。BCには様々なスタイルがあり、種類も多い。それこそ、BCの型式を変えるだけで、指導団体ならばスペシャリティコースが作れるだろうし、事実必要なのではないかと思う。サイドマウントはインストラクターまで作っている。

 BCを使わないダイビングを今でもしたいと思っている僕は、だからこそBCの使い方に神経を使う。2キロから3キロオーバーにしておいて、BCで調整するというダイビングが好きではない。BCをつけていても、出来るだけ少なくしたいといつでも思っている。
 150キロ充填の14リットルのスチールタンクが軽いこともあるということを失念していて、鹿児島ではバディの中尾先生に迷惑をかけた。自分のウエイトも、そして彼のウエイトも軽くしてしまったのだ。そうしたら、作業水深が5mだった。
 そんなことで、最近の僕のダイビングは、BCとの葛藤の話題が多い。
 
 プロのダイバーは、BCが嫌いだが、それでもBCは便利である。自分の会社(だった)スガ・マリンメカニックのダイバーもいろいろ考え、工夫する奴もいた。胸掛け式の初期のBCを背中に、バックパックとタンクの間に挟み込むように加工、自作して使っているダイバーもいた。これは、なかなか調子が良さそうだ。使いやすそうですっきりしている。 
自分の使うBCの変遷は結構なもので、新しいBCが出ると、関心を持つ。これまでで良いとおもったのは、プロの自作BCに近いジーグル、普通のBCでは、SASと、アポロのプレステージ、を使った。日本アクアラングのウエーブも,クレッシイもマレスもあまり抵抗なく使えたが、ごてごてと次第に必要だか不要だかわからないものが付け加えられ、自分の使うBCではないと感じていた。BCにウエイトを合体させてしまうポケットも不要と思っていたが、今度の鹿児島行きでは、ベルトを一本忘れ物したために、このポケットに助けられたが。
 BCが次第にごちゃごちゃしてくるのを、横目で眺めている時に、ハルシオンのバックフローティングのシンプルなBCを見た。スガ・マリンメカニックのダイバーが自作していた、背中にBCを挟むバックパックを商品化したようなもので、良く壊れるインフレ―たー部分も金属製でしっかりしている。そして頑丈そうでシンプルだ。僕の次世代BCはこれだと思った。

水面に浮かべたハルシオンのBC、これから水面で背負う。


 このBCは、後にJAUSで一緒に協力してもらう久保君も売っていた商品だったのだが、まだその時は久保君とは親交がない。田中光嘉さんのところで買った。
 何回か使ってみたのだが、あまり具合がよくない。僕の愛用していたのはアポロの安いBC、プレステージの旧型を使っていた。僕の場合、船の上でスクーバを着けないで、水面で着脱することが多い。小さいゴムボートを使って潜水することがあり、学生には水面での着脱が上手くできるように教える。プレステージは、肩ベルト型のBCで、空気を入れて水面に浮かせておき、お尻を載せるようにして乗り、両手を後ろに回して、肩ベルトに差し込み、水面で起き上がると、肩にうまく背負うことができる。緩めて置いた肩ベルトを引き絞ると、きっちりと着ることが出来る、その間30秒以内。そして、このBCは、体を自然体にして斜め40度ぐらいの前傾姿勢、体を起こして、水中で座るような姿勢をとるときに楽である。スノーケルで泳ぐのも楽である。
 一方ハルシオンは、水面で着る時に、うまくBCの上に乗れない。そして、肩のベルトを緩くして、腰のベルトで締めて体に固定するという方式であり、胸の部分できゅっと締めていたプレステージなど、一般の肩掛けベルト式のBCとは感じが違う。もったいないから、何とか使おうと心がけるが、仕事での潜水のレギュラーには使いにくい。やがて、JAUSをはじめて、プライマリーコースを久保君に作ってもらって、JAMSTECで一緒に泳ぐことになり、使い方のレクチャーを受けた。彼の水平姿勢は神業のようなもので、僕もチャレンジし続けているが、残念ながら年齢による体の硬さ、筋肉の衰えで、新しい姿勢を身に着けることが出来ない。
 現場でハルシオンを使うこともあまりなかった。一つには、スノーケルで水面移動する時に、バックフロートは、少し辛い。身体が水平になると、腹筋、背筋が弱くなっている手目に、顔を上げることがつらいのだ。
 そして、今度、豊潮丸の航海、鹿児島の潜水で、これまで、プレステージでうまくいっていた水面でのBCの着装が上手くできないのだ。時間がかかってしまう。BCが古くなり、ぼろになったこともある。10年以上使っている。
 ハルシオンならば、肩のベルトが緩いから、そしてベルトが硬い。シンプルである。うまく行くのではないか、と思いついた。8月18日のJAMSTECでのプライマリーコースのとき、ハルシオンを使って水中での脱着、水面での脱着練習を繰り返した。思った通りにうまくいっている。


FBに投稿した。
「今日の研修会、個人的にはハルシオンのBCに慣れるための着脱練習に精をだしましたが、これは、失敗して墜落したところです。全体としてはよく泳ぎ、このBCも、買ってから、10年目ぐらいで、ようやく使い慣れてきたので、アポロのプレステージに代わって、これをレギュラーにしようとしています。要するに、肩のベルトを緩くして、腰で締めるという方式になれなかったのです。胸をきっちり締めないと気分が悪かった。」

久保君は丁寧にメッセージをくれた。
ハルシオンのハーネスに限らず、標準的なバックプレート&ハーネスの調整は、「プレートの上端を頸骨5番に維持した状態」で、身体(大胸筋あたり)とハーネスベルトとの隙間を、ウエットスーツの場合は「指2本」、ドライスーツでは「拳1つ」入るくらいの遊び調整する、と助言させていただいています。これは結構重要な点で、使いこなせば、「ハーネスが身体の一部」として馴染んできます。
加えて、両肩のDリングの位置も見逃がすことが出来ません。両腕を水平に広げ、正面を向いたまま目で追わずに、両手の「親指を立て」て、「Dリングの"カーブ"の先端」に触れる位置に調整することです。そのDリングの位置が「自然に」腕と指の動きだけでボルトスナップやダブルエンダーを最も簡単に着脱できる位置になる筈です。

多分これでうまく行くはずで、自分の道具になって体になじんだら、おそらく一番使いやすいBCになるのだろうと思う。

 道具が体になじむということは、こんなことだ。道具によってダイビングのスタイルも変わるし、ダイビングのスタイルで道具も選ばなくてはならない。

0820 辰巳他

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 http://forum2013.jaus.jp/   9月8日のJAUSダイビング活動フォーラムです。
9月8日のフォーラムのことにかかりきろうとしているが、なかなかできない。それでも、午前中いっぱいかかって、申し込んでくれた方へのお礼と、メール添付で送る、内容についてのレジュメを書き終えた。もう少し整理して、このブログにも載せる。
頭が煮詰まってしまったので、コーヒーブレイクで、ミスドに行って、ブログの原稿を書こうとした。ところが全然か書けないで、読みかけて、終わり近くなっている「それでも、日本人は「戦争」を選んだ。 加藤陽子」読了した。東大教授のおばさんだが、クールな史観であり、男子高校生に5日間の講義をした講義録の形でまとめられている。歴史を読むことが好きな人には薦められる。面白いし、日本が明治維新以来やってきた戦争、日清、日露、第一次大戦、満蒙、日中、そして太平洋戦争について、通観できる。
ところで、日本はもう一度戦争をするのだろうか。できるのだろうか。
併行して、「オリバー・ストーンが語るもう一つのアメリカ史 Ⅰ」を読んでいる。これも第二次大戦がはじまろうとしているところにさしかかっている。
なぜ、頭が忙しいのにこんな本を読むかと言えば、頭をやすめるため、一番安価で、一番無駄のない、好きではない言葉だけど「癒される」

書きかけのブログにもどる。書いて完成させておかないとわすれてしまう。


辰巳国際水泳場での練習会が再開した。
 なぜ、練習会であり、講習会ではないのか?講習とは、何を習うのか?何を教えるかのプログラムがあり、それに沿って進んでゆく。そんなプログラムなどないし、プログラムを作ったとしてもおもしろくもおかしくもないだろう。それに、何かに縛られるのは楽しくない。
 練習会のコンセプトとして、ホームページの載せた文章を引用する。
「人間が幸せを感じるのは、自分の自由を感じる時、でも、この世の中、特にこのごろは、自分自由を感じることが少ない。ほとんどの時が不幸せです。
  そんな時、自由な空間、いや水間で自由に飛ぶように泳げると、その時だけかもしれないけれど、大きな声で、「自分は自由だ。フリー!!」と叫ぶような気持ちになる。それがスキンダイビングだと思っています。
http://homepage2.nifty.com/j-suga/index.htm」
 自由で楽しい、つまり幸せを感じる時間を作りたい。本を読むことも考えることだし、映画を見ても、テレビを見ても、人は考える。辰巳で泳いでいる時は何も考えない。メインプールでは、水泳の練習を頑張っている人たちがいる。これも素晴らしいことだが、僕は頑張らない時間が好きだ。頑張らないで、若い人は上達し、高齢の僕は、心と体を維持できる。
 プールの貸し切りの時間を確保するのは、抽選である。抽選といってもジャンケンだ。2年ほど前、僕はジャンケンで無敵を誇っていた。ジャンケン必勝法という本を書こうと思ったくらいだ。それがどうしたのだろう。最近は負け続けている。負けた結果、190ー2100の時間帯が確保できないで、21~22時の時間帯をとる。この21-22時という時間が以外にも良いのだ。2030までに来れば良いから、仕事を終えて、さほどあわただしくしなくても来られる。それに1時間も泳げば、もう少し泳ぎたいなというところでやめになる。2時間では長いと思う人もいる。19-21時の時間帯が月に一度、21-22が二回、それに、長水路50mを1回ぐらいはさむ。そんな感じで開催している。
 リニューアル、再開した辰巳国際水泳場は、前よりも透明感が強くなった。多分、水の浄化装置もリニューアルできたのだろう。そして、ライティングが少し暗く、ソフトと言っても良いか、になった。これは、撮影するにはちょっと調整が必要だろう。



 撮影は相変わらずGoProで撮っている。今回、0820では、プールのセンターに置いて、動画を30分程度廻した。これを、あまりおかしい部分だけをかっとして、YOU TUBE の載せた。これで参加する人が見ようと思えばみられる。このことを、来てくれた方に伝えていなかった。次回からは伝えて、見てもらおう。パフォーマンスをしてくれてもいいし、自分のフォームチェックでもいい。映像というものの使い方、使い方をテーマにしてフォーラムでも発表するが、映像は使うものなのだ。
http://youtu.be/cvndqXg9HYM 
 この映像は本当に、水槽を泳ぐ魚よりも、シーワールドのイルカよりも僕にとってはエキサイティングだ。 ユーチューブ 次郎須賀で検索しても見られます。

0825 お台場

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  時が、時間が飛んでゆく、もう8月も最終日曜日、お台場潜水の日だ。
  最近、ブログを見て、写真を使いたいと言ってくることが2回。話はなかなかまとまらないが、そういうことがあるのならば、GoProからの静止画ではサイズが小さいので、無理なこともある。キャノンの旧型一眼の上にGoProを載せることにしよう。
 キャノンの旧型一眼は、イオス・デジタルで、もう、2003年発売だから、10年前のカメラだ。ハウジングはフィッシュアイで、これは小さいので買って、一度修理にだしただけ、水没は一回、このカメラは中古が結構出ている。このカメラでも、真剣に撮ればそこそこの写真が撮れる。しかし、真剣に撮ると危ない。その話、映像論をブログに書きかけている。撮影と安全とは、特にバディの安全とは二者択一なのだ。
 ストロボを使用すると、内臓ストロボの光で外付けのストロボを光らせるので、内臓ストロボのチャージアップが遅くて、シャッターチャンスを逃がす。二階のGoProは動画を撮るのだから、ストロボは使わずにライトで撮りたい。
 折も折、フィッシュアイの1000ルーメンが沈没したので、イノンを一台買い足して、2灯を左右に。イノンのLE700Wという700ルーメンのライトはかなり広い。しかし、本当に照射角70度あるのだろうか。古い方のLE700は、50度のワイドアダプターを付けて50度だ。2つ並べれば、GoProの120度の画角はカバーできそうだ。
お台場は、カメラ機材のテストには最高の場所だ。




今日のお台場は、雨模様、少し秋めいてきたので、3mmのウエットスーツでは少し寒いだろうか。膝が破れているので膝当てを探したら、片方しかなかった。右ひざだけあれば良いか。


        ハルシオンBC

おかげさまで、JAMSTECの練習で、ハルシオンのBCに慣れたので使う。陸上を歩くのも、このBCは背負子の感じで楽だ。潜り込んでいるので、体の動きが良くなっているのかもしれない。フィンもストレス無く履ける。
水温は28.7℃で、3mmでちょうどいい。ウエイトは4キロで、水深1mでも少し空気を入れてバランスする。気持ちの良い潜水飛行ができる。
透視度は1m、しかし、海底はマハゼがいっぱい。7-8月の無酸素は、大したことがなかった模様。去年の9月はひどくて死の海、イシガニもマハゼも居なかった。それが11月になって復活して驚いたのだが、今年は9月でもイシガニも至る所で見られる。ただし、7月の僕に向かってきたイシガニのように大きな奴はいない。その代り数が多い。

  イシガニ



 キャノン一眼



 GoPro動画からの静止画

マハゼの多いところでは一面にいる感じだが、お台場だけではなくて東京湾の浅瀬はどこもここも、こんなにマハゼがおおいのだろうか。海の生産量はすごい。しかし、都市排水のための過度の富栄養化のための無酸素、そして、底の方から青潮が出てくれば、死屍累々になってしまう。都市の下水を2系統にする。これはできそうにないから、青潮の出てくる穴を埋める。もう、そんなことを言い始めて、20年、いや、30年だろうか。

やはり、キャノンの絵の方が良い。二階建てに取りつけた、GoProの動画を静止画にして、同じようにトリミングしてみる。リサーチダイビングの報告ならば、これで十分だが、拡大すればやはりキャノンの方がいい。写真を撮ろうというときにはこのシステムを使うことになりそうだ。が、中尾先生の潜水ではちょっと重い。
イノンのライトも二本組んで左右に、四本使うともっと良いのかもしれないが、重くなるのは困る。



  寄せ集めの感がしないでもない撮影システム。アマチュア並みだが、小さくなくてはいけないのでこれで良い。


とにかく、このシステムで、キャノンのスチルも、GOPROの動画も両方使えることがわかった。片方がダメでも片方が生きるから、僕のシステムとしてはこれで良い。カメラも旧式だが、水没するまでこれを使う。などと言っていると水没するから、注意しなければ、不注意というのではないと思うのだが、よく水没させる。やはり不注意なのだ。リブリーザーの話がこのブログで結論がでていないが、ハウジングの水没、イコール、リブリーザーでは死亡事故の可能性がある。リブリーザーを使うことでのカメラの水没は、エマージェンシーのオープンサーキットを使うことだ。すなわち、事故からの脱出ということで、僕は一年の間に、2回、オープンサーキットのご厄介になった。深さが40mだったから助かっているが、50を超えていたら危なかった。
とにかく、もうしばらく、キャノンは持たせよう。しかし昨日中古をチェックしたら、10000円程度だった。



0826 フォーラム

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 9月8日に行う日本水中科学協会のダイビング活動研究フォーラムについてです。
 もともと、9月前半の日曜、ダイバーにとって、ダイビング関係者にとって、最後の稼ぎ時、人集めは無理、と考えました。しかし、日本水中科学協会はどうしても年に会の研究集会をやり、その成果を研究報告会報として会員に送りたい。年に2回、一回をシンポジュウムとして、安全と教育について、
もう一回をフォーラムとして、ちょっとくだけて軽い感じで楽しい集会にしたい。年に2回とすると半年くらいは間隔を空けたい。シンポジュウムを年があけた1月とすれば、フォーラムは9月、と逆算したのですが、これは間違いで、12月にフォーラムをやり、その勢いで1月のシンポジュウムをやった方がよかったのではないかという意見もあります。しかし、前進あるのみです。なにごともやってみなければわからない。ぜひ、おいでください。
 
 フォーラムは二部構成として、前半がスキンダイビングの安全を中心にしたテーマ、後半がウエアラブルカメラの使い方、映像の使い方をテーマにしました。

 なぜ、ここで、キンダイビングかと言えば、スキンダイビングがダイビングの基本であることは今も昔もかわりませんが、今後の展開として、ダイビングは、スポーツリブリーザー、テクニカルダイビングを中心にしたハイレベル化、もう一つは、スキンダイビングからフリーダイビングに至る、ブレスホールドダイビングの普及でしょう。スキンダイビングもフリーダイビングで高度化して行きますし、高齢で、タンクを背負うと疲れて大変なダイバーも増えて行きます。新たにダイビングを始める方も、スキンダイビングから初めて、もうスキンダイビングは極めた。(自分なりにですが)そんな人がスクーバダイビングに入って行くのがおすすめ。それならば、二泊三日のC-カード講習でもなんとか大丈夫かもしれない。
リブリーザー、テクニカルダイビングについてもこのようなフォーラムを考えてはいますが、ビジネスに絡んだ、論争の種でもありますので、慎重に構えています。

 そこでスキンダイビングですが、スキンダイビングはスクーバダイビングの基礎ですが、スクーバダイビングよりも安全ということではない。一時期、スキンダイビングの事故が続いたときには、スキンダイビングの方が危険とも思われました。スキンダイビングの事故として、泳げない人がフィン・マスク・スノーケルを使えば泳げると錯覚して起きた溺水事故も含まれます。その結果、浮力材で作られた救命胴衣を必ず着けて、水面に浮いて水中を観察するスノーケリングが考え出されました。スノーケリングとは、元来は1。5ー3mをめざす、耳抜きがほとんど必要とされない水面遊泳に近いダイビングを呼ぶ言葉と考えられていましたが、救命胴衣とフィン・マスク・スノーケルを併用する遊びに対する適切な名称が無かったということもあり、これがスノーケリングになりました。
 したがって、現在ではスノーケリングは、スキンダイビングとはちがうものとも考えられます。潜らない、ダイビングしないからです。スノーケリングは浮いていますから、息をこらえる必要もありません。
 今度のフォーラムでは、息をこらえる、耳抜きをするダイビングの安全について取り上げました。
 フォーラムは楽しさの追求、シンポジュウムは、まじめに安全をと言う考え方も強くあったのですが、やはり安全がすべてに優先します。来てくれる顔ぶれを見てみますと、やはり安全がテーマだから、来てくれる方も多いようです。一部、二部と分けた理由でもあります。

 スキンダイビングの安全を考えた場合、まず息こらえの問題があります。今のフリーダイビングは、女性でも100mをめざす時代になっています。人間の限界からは遙かに越えた世界ともいえます。それはすばらしいことなのですが、それを大学の潜水部の活動、専門学校での潜水教育、水産高校、海洋高校での教育にどこまで取り入れてよいのか?かつて、スキンダイビング、そして泳ぐことがダイビングの安全の基本と考えて、ハードな練習を重ねて、いくつかの事故で若い命が失われました。それが教訓となって現在では安全な練習方法が考え出されていると思われますが、それにしても、限界を決めて置かなくては、一般には普及させる努力ができません。
 とても重要であるとともに、線引きには、異論もたくさんでてくる問題だとおもいます。その口火にしかならないと思いますが、議論を始めましょう。
 藤本浩一君が話題を提供し、話してくれます。人間の限界、一流選手の限界、一般のフリーダイバーの限界、学生クラブ、スキンダイビングクラブの限界、教育の現場での限界、いくつもの限界があると思います。
 もう一つスキンダイビングのキーであり.危険回避の意味からも、重要な耳の問題があります。今回はベテランのテクニカルケーブダイバーでもあり、ダイビングによる耳の傷害の臨床の先生として第一人者の三保先生に、特に内耳の傷害についてお話をしてもらい、どうしたら防げるのか、もしもなってしまったらどうすればよいのかを話し合いたいと計画しています。
 最後に、最終的な安全は、スキンダイビングでもスクーバダイビングでも道具、ハードによって達成されます。ハードに頼らないレスキュートレーニングは、セルフレスキュー、自分自身のレスキューのためには必須ですが、ハードを使わずに他人を助けようなどしてはいけない、というのが、一般人のレスキューの第一歩です。ハードとは、救命胴衣、伝統の知恵として海女の浮き樽があり、ゴムボート、船外機付きの小舟、そして、手漕ぎのボート、カヤックがあります。そのカヤックを使ったスキンダイビングで、浅い水深でのリサーチダイビングもしてしまおうという実習が海洋大学で行われていて、その詳細を担当教官の千足先生がお話してくれます。
 最後に番外なのですが、海のない長野県の中学の先生である小山先生がバケツをプールに持ち込み、空気をくみ取って呼吸するという原始的な潜水の方法を水泳教育に取り入れて成果をあげています。大丈夫なのですか、酸素欠乏の危険は?危険を回避してこのユニークな授業が成功することは、スノーケリング教育よりも大きい意味がある。お話を聞いてみんなでポジティブに考えようということです。
 
 そして第二部のウエアラブルカメラ映像制作の発表です。
 内容については、最初はコンテスト、発表会、勉強会、マニュアルつくりと二転三転しましたが、とにかくこの研究サークルに参加したメンバーが映像の使い手とした、それぞれ成長してくれれば良い、そしてこれは遠大な目標ですから、これも、ここがスタート、そして、その道の達人、上手にも知人、関係者が多いことから、マンスリーセミナーのような形で、あるいはマンスリーセミナーで続けて行こうと企画して行きます。
 今回のフォーラムでは、第二部の映像については、作品を発表する人、サークルの主要メンバーが壇上に上がって、会場の方も参加する形で、僕たちのフォーラムの形を作り出す試み、勉強にしたいと思っています。

コトバンクによれば フォーラムとは、
古代ローマの市の中心に設けられた公共広場〈フォルム〉に発し,転じて今日では,広く公共的討論の場や,集団的公開討論法の一種を意味するようになった。現在では,裁判所や新聞の投書欄その他,広く公共的討論の場を意味するほか,出席者全員が参加して行う集団討議法(forum discussion)をもいう。この集団討議法はさらに,一人の講師による講義のあと全員の討議を行うレクチャー・フォーラムlecture forum,複数の代表者による討論のあと全員が参加するディベート・フォーラムdebate forum,さらにこれに資料提供の役割をもつ専門家を陪審させるコロキー・フォーラムcolloquy forum,あるいは映画,スライドなどの映像を素材とするフィルム・フォーラムfilm forumなどに区分されるが,現実の形態は明確ではなく,他の集団討議法との境界も必ずしも画然としたものではない。

 僕たちのフォーラム、とても盛り沢山ですし、定められた時間では終わりそうにない。もっと聞きたい話したいという延長で、会場が17時に終了してから、隣の学生食堂に席を移し、ビールと乾きものぐらいで、懇親を兼ねた延長戦をやろうという試みも用意しています。懇親会というタイトルで、飲み会、二次会を想像された方もおられますが、それはまたその後ということで有志が考えているとはおもいます。

目下のところ、参加者は、40人程度、もう少し頑張って50名を予定しています。
満員の会場で、講演者が講演をするという、第一回、第二回のシンポジウムとは、若干異なるスタイルで良いだろう。そのつもりでないと、この時期9月の開催は無理とかんがえていましたから、これで良いのですが、別に10人程度増えても問題ありません。参加したい方は是非下記のホームページから申し込んでください。
http://forum2013.jaus.jp/ 


0828 益田一さんを記念する展示会

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 昨日、益田さんの展示を見に、小田原の「生命の星、地球博物館」に行った。「益田一と日本の魚類学、魚類図鑑に生涯をささげたDANDY」を見に行った。
 益田さんについては思うことがたくさんありすぎる。月刊ダイバーにも、もう何度も書いている。そんなことで、僕の話を伊豆海洋公園で10月18日にお話をさせていただくことになった。僕としては、講演もだが、久しぶりで、コーディネーターをしてくれた、森田君のガイドで、伊豆海洋公園で潜らせてもらおうという気持ちがある。 益田さんが伊豆海洋公園を退いてしまって以来、僕は海洋公園に行っていない。
 最後にお目にかったときの写真をさがした。2003年、12月8日、日本潜水会、もうこれで、みんなには会えなくなるのではないかと病気を押してきてくれた。これが会った最後だった。

 左から、左から、柳岡稔一郎、(多良間の柳岡君のお父さん)益田一、後藤道夫、大津善彦、加藤芳雅(法政大学ダイビングクラブ創立メンバー)
 左端、半分は鈴木一成、右端は、小島敦夫、昔 海の世界という雑誌の編集長、それからオーシャンライフという雑誌も編集長をつとめた。

 益田さんが亡くなったのが2005年12月、これも8日、12月8日、日本がアメリカと戦端を開いた日だ。なぜ、こんな、あんな戦争を始めてしまったのだろう。もう一度日本人が考えなくてはいけない。その日を僕たち日本潜水会は定例の集まりの日にしていた。2005年も僕たちは年に一度の集まりを開いていた。
 2005年以後、いろいろな意味で会えなくなってしまった人がたくさんいる。2006年、12月8日の写真はない。


 
 博物館特別展示の入ってすぐに掲げてある写真、益田さんがローライマリンを持った写真、これは1967年、僕たちが伊豆海洋公園に集結して、日本潜水会を結成したとき顧問格、特別会員として入ってもらった益田さんを後藤道夫が撮影したものだ。
 
 小田原から真鶴に回り、その後藤道夫に会ってきた。体調を崩していて、なんとか立ち直ったというが心配になっていた。僕にとって一番大事な友達だ。
 人は生きる限り夢を追い続けなければいけない。「JAUSで日本全国に定点水中カメラを置こう。俺がつくるから。」 せめて、福島第一の沖の根に、スペクトル分析も含めて、定点観測カメラを置きたい。後藤道夫がそれを作る時間は残されているだろうか。
 
 話を益田さんにもどして、僕は、海の生物の研究者をめざして水産大学で学んだが魚類の分類学は専門としなかったので、益田さんとこの展示にかかわる接点はない。その代わりに、魚類学以外の益田さんのダイビングのすべてにかかわり合っている。スピアフィッシング時代、そして1967年に銃を置き、カメラに持ち換えてからの水中スポーツ、今でも毎年12月の第一日曜日に恒例で開かれる、日本のスポーツダイビング最大のイベントである全日本水中スポーツ室内選手権大会は、益田さんと僕が始めて、以後、みんなの力で育て上げて来たものだ。その功労を記念して、益田杯がある。
 
 伊豆海洋公園では、1960年代、潜水事故が続出して、どうしたら良いだろうと相談を受けた。
 泳ぐことが事故防止につながると僕は思っていたから、とにかく泳がせようと提案した。フリッパー競泳のはじまりである。
 競技会のいきさつは月刊ダイバーに詳しく書いたが、とにかく泳ぐことが無事、安全につながる。今も昔もこれは真理である。泳ぐ能力がダイビングの水平方向、面の広がりの安全に比例する。垂直方向、水深については、あまり泳ぐ能力は必要ないが、それでも最終的な緊急事態には泳ぐ力が命を救うのだろう。
 
 後に益田さんの一番弟子として一流カメラマンになった中村宏治は、今も太っているが昔も太っていて、世界最速の泳ぐ豚であった。益田さんがそう言っていた。オリンピック選手の山中(もはや引退したあとだし、フィンを履いての勝負だったが)よりも速かった。
 いまはどうだろう。僕はずっと水中スポーツのプロデュースをしていたから、自分では泳がなかった。泳げない人だと思われていた。60歳になり、プロデューサーとしては余裕が出て来たので、選手になった。60代の400mで3個の金メダルを持っている。中村宏治にも、泳ぐようにと勝負を呼びかけたが、逃げられた。
 競技会でのフリッパーレースの泳ぎ方についても益田さんは一家をなした。僕の考えともほぼ同じだったが、身体は水面に水平に、顎を上げて、額で水を分け、後ろのフィンの先端は水面にちょっと出るように胸を張る。ボートで言えばハイドロ型だ。このフォームに沿って、当時、鬼怒川の顧問をしていた僕はエムデンを作らせ(設計はダイブウエイズの武田さん)それが発展してミューになりワープになる。(ミューとワープには僕は関わっていないが)1973年の海洋博 ダイバーズフェスティバル(月刊ダイバー8月号)当時、エムデンは日本最速のフィンだった。今でもエムデンは小さくて軽い割には速いので、高齢者に最適である。
 なお、このハイドロフォームの他に、頭をつっこんで強引に泳ぐフォームもあり、中村宏治は、このフォーム、そして女子では、おそらく不世出の松崎(名前は失念)さんも頭を突っ込んでいた。頭を突っ込むといっても無理に反らしているのではない水平だが、だから理想のフォームがどうあるべきかについては結論がでていない。
 水面を長距離泳ぐレースでは方向がわからなくなるから、やはり、ハイドロ型が良いだろう。森田君がコースを間違えて、海洋博のレースで負けた話を月刊ダイバーに書いたばかりだ。

 生命の星地球博物館の展示は、博物館の瀬能博士が中心になって作り上げた。瀬能さんと僕は縁が薄い。彼は分類学者としての益田さんの後継者だし、僕は分類学とは関わっていない。海洋公園で1ー2回お目にかかった程度であった。今度の展示会場でお目にかかろうと連絡したが、夏休みとか、僕のスケジュールと合わなかった。メッセージを書いて会場に預けておいたら、留守電が入って、実はそのとき博物館の中、どこかにおられたとのこと、やはり縁が薄いのか。そのうちにおめにかかれるだろう。

 日本潜水会の延長線上で日本水中科学協会を始めたとき、益田さんがおられれば、当然、助けてもらうべく、お話をしたはずだ。研究者のダイビング、リサーチダイビングの安全を唱え、研究的なダイビングとレクリエーショナル・ダイビングとのクロスオーバー、そしてリサーチダイビングとは撮影に他ならないとする僕のコンセプトは、海洋公園を水中科学(主に魚の観察撮影の)メッカにしようとしていた益田さんの考えにかさなる。きっと、1967年の日本潜水会の特別会員と同様に、今回も特別会員をお願いしただろう。いや、お願いするまでもなく横滑りで特別会員だったろう。会長をお願いしても良いのだが、それは、決して受けなかったと思う。良い距離を置くというのが益田流である。
 益田さんが僕に言う口癖は、「須賀さんも僕もやがてはのたれ死にだ。」娘の潮美が益田さんの出版記念会でそれを聞いて「どういう意味なの」と不思議がっていた。僕の、のたれ死には、見ての通りだが、益田さんののたれ死には、娘には理解できなかったのだろう。最後まで歩き続け歩きながら死ぬということ、潜り続け、潜って死ぬということ、そういう覚悟を言っていたのだろう。僕は褒めらていて、同類だと思われていたと解釈している。
 時間があればもっと書きたいけれど、またにしよう。

0829 石巻 鮫浦湾

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8月29日
朝4時に起きて、石巻へ、潜水道具があるので、車で東京駅へ、日帰りだから駐車場へ車を入れる。
 仙台までは新幹線でちょっとの時間で着く、ハヤブサは本当に速い。仙台ー小牛田間が東北本線、昔はこの本線で青森駅まで行ったのか、大変だったと実感、そして小牛田から石巻はワンマンカー、本当にワンマンなのだ。


石巻 鮫浦 この前は濁っていてお台場的潜水だったが、今日は8ー10m見える。大瀬崎的潜水だ。
本日の忘れ物は水中ライト、わざわざ出して目に付くところに置いておいたのに忘れた。現地サービスの福田君に借りた。福田とは彼が学生時代からだが、今日は息子が一緒に来てくれた。彼は東京海洋大学をでて、東大の海洋研のダイビングオフィサー(そんな職種はないけれど、のようなもの)をしている。休みで手伝いに来ていたのだろう。一緒に潜った。もちろん、良いダイバーだ。
 お父さんの福田民治にであったのは、1960年代の終わり頃で、日本アクアラングの浅見国治のところにダイビングをならいに来て、以来のつきあいだ。「おい!民坊」などと呼ばれていた。坊やの坊が付くのだから、20歳前だった。今日来てくれた息子が23歳だと言う。


 この前は水温17度だったのでドライスーツだったが、このあたりは9月の水温が高いはずだからと、ウエットスーツにした。急に決まったので、手で道具を持ってゆかなくてはならないので軽くしたこともある。

 震災前、6年前にここに潜った時よりも、海藻は繁茂している。
 メバルの稚魚の群がのんびり群れている。メバルは、どこでも出くわす。おいしい食用魚だから、いれば撮影する。このところでも、大瀬崎、瀬戸内海、お台場、なんだ、僕の潜るところすべてではないか。
 いつもは中尾先生と僕のバディ、だが、福田息子が中尾先生に付いたので、僕は町田君(博士コース)に付く。

 ウエアラブルカメラのマスクマウントがリサーチダイビングの安全確保に必須だと主張している。福田君も東大で使ってくれるだろう。安全の要はバディシステムであり、一人にしないことだと、くりかえし、くりかえし唱えているし、1960年代からそのように教えられている。どのようにしてバディシステムを維持するかがローカルルールであり、時と場合、人とダイビングのスタイルで変わる。その追求とマニュアル化がJAUSのテーマだと思っている。バディシステムをどのようにして維持するかが、スクーバダイビング技術の各論である。総論としては、昨年、最新ダイビング用語事典を出版した。
 町田君が採集をして、僕がそれを袋に収容する。その状況をマスクマウントで撮っている。水深は2m、上には船が、どうやったって事故など起きない。オーバースぺック(安全対策過剰)だと言われるかもしれないが、中尾先生のグループの場合、このようにすると決めている。絶対事故を起こさないと言うことは、オーバースペックでなければならない。一人が採集、一人が袋に入れるなんて非効率的なことをしないで、それぞれが採集した方が良い、とかんがえるとまちがう。それで事故が起こった。お金がかかっても一人が採集、一人が収納と役割分担をしておけば間違いない。それぞれが採集すると競争になる。競争させると、安全よりも成果を求めるようになる。人よりも多く採集したいとか思うだろう。安全と成果のバランスが崩れる。

 振り返って、レクリエーショナル・ダイビングを見ると、死んで当然、よく事故をおこさないものだ、と思うことが多々ある。収益と安全は二律背反する。その釣り合い、バランスのもとで行われている。オーバースペックは、利益追求のフィールドでは、通用しない。しかし、事故が起こればそのバランスについての責任を追及する訴訟がおこり、負けた部分は賠償責任保険でカバーされる。これも一つのバランスで、仕方がないが 命はもどらない。
僕たちの原点でもある山下君の死亡事故について、東大の報告書で、中田さんが、この収益と安全のバランスが、この業界は悪いと書いている。ただ、バランスは抽象論であり、悪いことはすべて社会が悪いと唱えるようなものだ。具体策、具体的な手順、を論じなければいけない。ローカルルール、各論を追求するのがJAUSの目標だ。
 マスクマウントでの撮影監視は、ハード、すなわち安全のための道具として有効である。その上に、研究に役立つ記録にもなる。今度のフォーラムでそのことを話そうと思ったが、大きなテーマなので詳細は次回のシンポジュウムにまわすかもしれない。今回のフォーラムでは、その予告編のつもりだ。
 今度ものべ、また別の機会に同じころを述べても良い。安全については、同じことを何度も書き、講演して良い。ワンパターンでも良い。

 

0831 地球は水の惑星です。

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 僕は徹底した無神論者で、師匠であったアワビの国際的な権威であり、日本潜水科学協会(水中科学協会ではありません)の理事長、後に海中公園センターの理事長、下関の水産大学校学長も歴任された、そして素潜りの達人でもあった猪野峻先生が、奥様が強烈なキリスト教信者でもあったためか、死の直前に洗礼を受けて神様のところへ行った。あれほどの科学者でも、自分の死を宗教なしにはまっすぐに受け止められなかったのだと、人間の弱さを見る思いがしたものです。


 今、日本には神様が居たのだと考えています。さまざまな表現がありますが、八百万の神という表現が好きです。日本では、調理をする竈、にも神様が宿っていたのです。ましてや、原子炉にも神様がいた。日本の自然、日本そのものに、すべてのところに神様がいた。今もきっといるのです。神学はとてもわかりませんし、無縁のものでしたが、キリスト教のイエスキリストを神様と日本人が思ってしまった。僕も日曜学校でそう思ってしまったのですが、キリスト教でも、神様とは、人間の形をしたものでは無いみたいです。
 この地震列島そのものを、すべての事象を、すべての自然を神様としていた日本民族でした。本屋に行くと、日本の神様が顔を出し始めているような気がします。日本の終わりを神様なしでは日本人は受け止められないのか、そして、もしかしたら、神様が救ってくれると思わなければ乗り越えられないのか、日本人の神様を信じることで乗り越えられるのか。僕も無意識のうちに、あるいは、何かに導かれているのか、歴史民俗博物館に行き、生命の星 地球博物館にと連続して行っています。


 昨日、調査のことで、調査の相棒の一人である、沿岸生態系リサーチセンター([厄介な名前をつけるから、間違っているかもしれない。] の宮内と話をしました。日本人はリーダーが愚かであると、それについて行ってしまう。でもそれが人間社会の常、どうすることもできないのだろうか。

 「太平洋の試練、真珠湾からミッドウエイまで、 イアン・トール著 村上和久訳、文芸春秋」を読んでいます。アメリカ人の海軍史家の書いた本です。今本屋に横積みになっています。その中にこんなことが、少し長いけれど引用します。
 中国との戦争についてです。
「日本軍は中国の粘り強さに怒りをつのらせ、戦線後方の効果的なゲリラ攻撃に焚き付けられて、大規模な民間人への残虐行為に手を染めた。地方の平定作戦は軍の「三光作戦」方針のもとで実施された。兵士たちは「燃やし尽くせ、奪い尽くせ、殺しつくせ」と命じられた。日本の生物化学兵器を使った攻撃や捕虜への恐ろしい医学実験が実行されたおぞましい時期であった。女や娘がかき集められて、巨大な性的奴隷組織に送り込まれた。男や少年は奴隷労働力としてかき集められ、死ぬまで働かされた。捕虜はまとめて首を切られたり、銃剣で突き殺されたりした。ことによると全部で一千万人もの中国民間人が大量虐殺されたかもしれない。」
 うそだ。そんなことを日本人がするわけはない。と思いたい。しかしこれは、中国人の書いたものではなく、アメリカ人のベストセラー史家が書いたもので、アメリカのみでなく、日本でも本屋に横積みになる本です。つまり、アメリカ人はこれを読んでなるほどと思い。僕たち日本人は信じられないと思うのです。
 この本はまた、正気の日本人が次々と社会から葬り去られ、殺されていったこともかいています。

 あまり、ストイックにはなりたくない、成り行きで自由に生きたいと思うのですが、ダイバーが、海について思うとき、自然について、この水の惑星について思うとき、守らなければならないものがある、と考え込んでいます。もちろん、結論などあり得ようがない。愚かな自分がここにいるだけです。



 昨日、先ほど書いた宮内君のところで、高沢君がアラスカから戻ってきていました。彼は20年間、夏になるとアラスカのエスキモーのところで暮らし、捕鯨の手伝いをしています。「20年間!君は何をしていたの?」「アラスカの新聞に出ました。」「英語の新聞だよね?」「もちろん。」「新聞にはなんと書いてあったの?」「愚かな日本人がいると」
 アラスカでは、愚か、馬鹿ということは褒め言葉なのだそうです。アラスカに20年間通って、愚かだと言われて喜んでいる日本人がいます。今日、辰巳のプールに一緒に行きます。

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8月31日、辰巳国際水泳場での練習会
19時から21時が長水路50mのサブプール、水深は1.3mでの練習、50mプールで水平潜水の練習することも大事だし、好きだから、苦労して貸切りをとっている。しかし、人気が無くてあまり来てくれる人はいなかった。それが終わった21時から22時までダイビングプールをとっていて、二つセットでなんとかなるという方針だった。
しかし、どうしたことだろう。満員になった。コーチの鉄人鈴木は、教えることが好きなインストラクターだったから、初心者を集めてたちまちスキンダイビング教室を始めた。この練習会のコンセプトは講習ではない練習なのだと、来てくれた人にもお話ししているのだが、その講習をはじめている。しかし、来た人の目標も講習だったらしく、順調に喜んでくれている。ならば、これで良かった。
しかし、なぜ満員になったのだろう。暑いからかな?いや、浦安でやっている講習会もこのところ、お客が集まっている。少し前は全然人気が無かった。
スキンダイビングを教えてくれるところがないのだろう。それも初歩的なスキンダイビングをだが。PADIもNAUIもスキンダイビングの講習会はやっていないようだ。ダイビングショップへ行けば、スクーバのC-カード講習をやってくれる。今のC-カード講習はスキンダイビングの練習をほとんど含んでいない。そして、今は、スクーバの基礎はスキンダイビングということではなく、スクーバはスクーバだし、スキンダイビングの延長線上にスクーバを置く人は少ない。スキンダイビングは、スキンダイビングで完結しなくてはいけないのだ。少し前まではスクーバの入り口としてスキンダイビングを考えていたけれど、この頃では、スキンダイビングはスキンダイビングであり、スクーバとは別のものとして考えている。それが人を集めている。しかし、スキンダイビングの初歩講習を求める人が沢山になったらどうしよう。まあ、鈴木さんがさばいてくれるだろう。

新しい初心者と同時に古いいつも来てくれている人たちも、辰巳が8月から復活したということで戻ってきてくれている。辰巳の予約はくじ引き、ジャンケンだが、昔ジャンケンは強かったのに、この頃は本当に弱くなっている。なぜだろう。ジャンケンで負けるものだから、19時から21時という目標の時間帯が取れないで、21時から22時という遅い時間帯を取る。これがかえってよいみたいだ。21時開始だと、仕事を終えてゆっくり来られる。時間も1時間泳いでちょっと物足りないで帰るのが丁度よいのかもしれない。

ところで、2012年から、小さなウエアラブルカメラを追求している。今度の9月8日も二部構成の第二部はウエアラブルカメラ研究会の発表だ。静止画と動画が完全にクロスオーバーして境がなくなったこと、そして、カメラが小さく、超広角で高性能になったこと、そしてコストパフォーマンスが良くなった。これらの相乗効果で、映像というものが、道具として変化した。このあたりのことは、水中科学協会で編集した最新ダイビング用語事典に書いたが、映像革命が進行しつつある。
31日夜の辰巳に何台のウエアラブルカメラが使われていただろう。ウエアラブルカメラ研究会の中心人物で、何でもできて、何でも知っている福ちゃん(福田さん)は、コンツアー、GoPro、パナソニック、ソニー、4種類のカメラを一つの台に並べて同時に同じ対象を撮影し比較してフォーラムで発表する。このためのネタの映像を撮っていたし、僕はフルフェイスマスクに一台、プールに置いて一台、手に持って1台の合計3台、を使う。フォーラムの構成と司会をしてくれる斉藤さん、彼女はフラダンサーで、素晴らしい水中モデルなのだが、彼女が1台、これも僕のモデルである寺内さんが1台、美人で体が軟らかい小山さんが1台、イルカカメラマンの秋本君が1台、他にもあったと思う。やがてこの波が海でのリサーチダイビング、レクリエーショナルダイビングに押し寄せて、調査も変えて行くし、レクリエーショナルダイビングでは、バディシステムの維持、安全確保にもつながってゆくだろう。JAUSは9月8日のフォーラムで研究会の発表をするとともに、新たに加わる人も迎え入れて、ハード、ソフトの両面からウエアラブルカメラ使いの達人、すなわち水中活動の達人になってもらうことを目指す。関心、興味のある方はフォーラムに来てください。また、会員には研究会報の形で情報を提供してゆきます

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