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0901 スキンダイビング

8月31日、辰巳国際水泳場での練習会
19時から21時が長水路50mのサブプール、水深は1.3mでの練習、50mプールで水平潜水の練習することも大事だし、好きだから、苦労して貸切りをとっている。しかし、人気が無くてあまり来てくれる人はいなかった。それが終わった21時から22時までダイビングプールをとっていて、二つセットでなんとかなるという方針だった。
しかし、どうしたことだろう。満員になった。コーチの鉄人鈴木は、教えることが好きなインストラクターだったから、初心者を集めてたちまちスキンダイビング教室を始めた。この練習会のコンセプトは講習ではない練習なのだと、来てくれた人にもお話ししているのだが、その講習をはじめている。しかし、来た人の目標も講習だったらしく、順調に喜んでくれている。ならば、これで良かった。
しかし、なぜ満員になったのだろう。暑いからかな?いや、浦安でやっている講習会もこのところ、お客が集まっている。少し前は全然人気が無かった。
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スキンダイビングを教えてくれるところがないのだろう。それも初歩的なスキンダイビングをだが。PADIもNAUIもスキンダイビングの講習会はやっていないようだ。ダイビングショップへ行けば、スクーバのC-カード講習をやってくれる。今のC-カード講習はスキンダイビングの練習をほとんど含んでいない。そして、今は、スクーバの基礎はスキンダイビングということではなく、スクーバはスクーバだし、スキンダイビングの延長線上にスクーバを置く人は少ない。スキンダイビングは、スキンダイビングで完結しなくてはいけないのだ。少し前まではスクーバの入り口としてスキンダイビングを考えていたけれど、この頃では、スキンダイビングはスキンダイビングであり、スクーバとは別のものとして考えている。それが人を集めている。しかし、スキンダイビングの初歩講習を求める人が沢山になったらどうしよう。まあ、鈴木さんがさばいてくれるだろう。

新しい初心者と同時に古いいつも来てくれている人たちも、辰巳が8月から復活したということで戻ってきてくれている。辰巳の予約はくじ引き、ジャンケンだが、昔ジャンケンは強かったのに、この頃は本当に弱くなっている。なぜだろう。ジャンケンで負けるものだから、19時から21時という目標の時間帯が取れないで、21時から22時という遅い時間帯を取る。これがかえってよいみたいだ。21時開始だと、仕事を終えてゆっくり来られる。時間も1時間泳いでちょっと物足りないで帰るのが丁度よいのかもしれない。
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   福田君は4台のウエアラブルカメラを並べてテスト撮影をしてくれている。
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   福田君は大きなキャノンを持ち、モデル役の斎藤さんは4台カメラを持って互いに撮っている。

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    小山さん
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    町田君
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    寺内さん

ところで、2012年から、小さなウエアラブルカメラを追求している。今度の9月8日も二部構成の第二部はウエアラブルカメラ研究会の発表だ。静止画と動画が完全にクロスオーバーして境がなくなったこと、そして、カメラが小さく、超広角で高性能になったこと、そしてコストパフォーマンスが良くなった。これらの相乗効果で、映像というものが、道具として変化した。このあたりのことは、水中科学協会で編集した最新ダイビング用語事典に書いたが、映像革命が進行しつつある。
31日夜の辰巳に何台のウエアラブルカメラが使われていただろう。ウエアラブルカメラ研究会の中心人物で、何でもできて、何でも知っている福ちゃん(福田さん)は、コンツアー、GoPro、パナソニック、ソニー、4種類のカメラを一つの台に並べて同時に同じ対象を撮影し比較してフォーラムで発表する。このためのネタの映像を撮っていたし、僕はフルフェイスマスクに一台、プールに置いて一台、手に持って1台の合計3台、を使う。フォーラムの構成と司会をしてくれる斉藤さん、彼女はフラダンサーで、素晴らしい水中モデルなのだが、彼女が1台、これも僕のモデルである寺内さんが1台、美人で体が軟らかい小山さんが1台、イルカカメラマンの秋本君が1台、他にもあったと思う。やがてこの波が海でのリサーチダイビング、レクリエーショナルダイビングに押し寄せて、調査も変えて行くし、レクリエーショナルダイビングでは、バディシステムの維持、安全確保にもつながってゆくだろう。JAUSは9月8日のフォーラムで研究会の発表をするとともに、新たに加わる人も迎え入れて、ハード、ソフトの両面からウエアラブルカメラ使いの達人、すなわち水中活動の達人になってもらうことを目指す。関心、興味のある方はフォーラムに来てください。また、会員には研究会報の形で情報を提供してゆきます


0902 映画「風立ちぬ}

 明日は、浦安運動公園のスキンダイビング。午前の海豚倶楽部練習と、そしてよる19時からの講習がある。次の日、準備をして5日から入る撮影調査の仕事があった。5-6-7でやって、8日がフォーラムだから必殺のスケジュールだと思って、緊張とともに若干喜んでいた。しかし、内容が気に入らない部分があるので、どうしよう?まあ、出たとこ勝負か。と若干の危機感、いやかなりの危機感を持っていたのだが、突然、停止になった。ぼくとしえ、内容が気に入らない部分が、原因だったのだろうと思う。
 気が抜けてしまった。中止の知らせを受けたのが、スタバでコーヒーを飲んでいた時だったものだから、そのまま、映画「風立ちぬ」を見ることにしてしまった。
 数日前に石巻に行った時、往復の列車の中で、この「風立ちぬ」を公開した宮崎駿と「ノモンハンの夏」とか歴史ノンフィクションを書いている半藤一利の対談「腰抜け愛国談義」を読んで、仙台から小牛田の間で読了した。著者、二人、宮崎監督のアニメは、見ない方を数えるくらい見ているし、半藤さんの本も何冊か読んでいる。しかし、二人のフアンということもないがこの「腰抜け愛国談義」は、割と共鳴できる部分があり、映画を見ても良いな、時間がないから難しいけれどとおもった。

共鳴している部分は日本という国のありかたについてで、日本人の最大公約数が、きっとこう考えているのだろうな、とおもう。まず、中国とも、どことでも、もう決して戦争などしてはいけない。どうやって戦争をしないでこの時代を乗り切るのかなのだが、この国は、守り抜ける国ではない。海に囲まれていて資源が無いから、封鎖されれば終わりで、そのために攻撃は最大の防御だとか言って戦争を始めてしまった。
半藤「そして、戦争に負けてからこっち、何十年ものあいだにこの長い海岸線に沿って原発をどんどんおったてた。」
宮崎「なにしろ福島第一原発ふくめ54基もあるんですから、もうどうにもなりません。」
半藤「そのうちのどこかに一発か二発攻撃されるだけで放射能でおしまいなんです。この国は、いまだった武力による国防なんてどだい無理なんです。」
宮崎「膨張する中国を横に見て、その大陸とこの原発だらけの列島をどう共存させるのかという戦略的な視点が必要なのに、ちっぽけな岩礁一つを巡って,ちょっかいを出し会っているという様子は、まことにばかげていますね。」
同じ意見の部分が多く、本は面白かったが、そして
この「風立ちぬ」という映画は、ゼロ戦を設計した堀越二郎と、小説「風立ちぬ」を書いた堀辰夫を足したというすごい設定で、堀辰夫の小説「菜穂子」の菜穂子を堀越二郎の恋人にして、結核で死なせてしまう。
映画館は女子高生が二人ずつ、4人、あとは若いカップル、そして、5-6人の中年だった。平日だからこんなものだろう。映画を見て、ノスタルジックな画は美しいけれど、今どきの女子高生に肺結核に引き裂かれる悲恋なんてわかるのだろうか。僕はキスシーンを見て、菜穂子さんの結核は伝染性ではなかったのか、などと思っていたけれど。
そして、宮崎監督は飛行機の話になるとマニアックにすぎる。巨大飛行艇を作ったイタリアのカプロニとか、ドイツのユンカースなど、僕も相当の飛行機おたくだけど、本を読んでなければ、なんだかわからなかっただろう。多分、イタリアの映画祭に参加するために、イタリアの国旗とか飛行艇が出てくるのだろうが、日本人にはわからない。字幕の説明も出てこない。それに、ファンタジーだからなのだろうか夢のシーンがやたらに出てくる。
結局、この映画で何を言いたかったかと言えば、大正から昭和初期の日本のへのノスタルジーだろう。その頃の日本は本当に美しい国で、映画の絵も美しい。それと、その頃の若者、堀越二郎と菜穂子の命をかけた愛と、併行してゼロ戦を設計する。まさか史実だとおもう人はいないだろうが?なまじ、史実に沿ったところもあるので、
見た後味は悪くない。娯楽だからそれでいいのだが、

0905 フォーラムの構成 演出

 いよいよフォーラムの期日が迫ってきたので、頭にあるのはこればかり。ブログもその話になります。
 これは現時点での構成、演出案で、これに沿って今日からディスカッションします。

http://forum2013.jaus.jp/   会場が広いので、まだ申込みは7日までうけつけています。左のHPから。申し込めます。

ウエアラブルカメラにはまって居ますが、恐るべきカメラなのです。カメラの中の一つのジャンルとして確立してしまった。ところで、僕は何時のころから、このカメラを使いだしたか。映像を繰ってみると2011年の11月の画像更新がみつかりました。
 2011 11 写真、は、司会の斎藤真由美です。あー、バブルリングもけっこう上手だったんだ。
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 これはまだ、最初の型で撮っています。


第二部 ウエアラブルカメラ研究サークル 発表
 挨拶と司会  斎藤真由美  1532-1533
 
~作品の発表 技術的問題の解決 撮影のノウハウ など
レジュメ 最新ダイビング用語事典の242~ 244P

進行、演出など
※全員が壇上に上がって、トークしながら進行させる。トークは撮影の狙い、苦労、編集、失敗など。支離滅裂で良いから歯切れよく。途中で茶々を入れるような質問は、ガンガン発言する。司会、斎藤は、映像が切れてから、1分程度のトークで次に移る。司会は時間に関係なく、話が途切れたらすぐに次に移る。「何か、質問は?」などとバカなことはいわない。
発表の皆さんは、できれば自分の使っているカメラ、マスクマウント、棒などの道具を持ってくること。
映像の送り出しは倉田君

① 1533-1536
 倉田秀一 海洋公園 棒の先カメラによる撮影
※ 道具を見せる。1分程度
 ② 1537-1540
  山本徹  小笠原 ハタタテの群れ、マグロ、シロワニ など
   ※棒の先カメラの浸水、乾燥剤からの浸水、乾燥剤のことなど
   2分程度のトーク 1540-1542 
 ③ 1542-1545
  早崎さん  本栖湖
  ※淡水の特徴など
 ④ 1545-1548
  小俣さん  バリ島珍道中?
  ※、面白く話しながら、ねらい、内容、苦労
 ⑤ 1548-1551
  足立さん  龍泉洞
  ※質問など多いと思われる 2-3分ていどまで
 ⑥ 1552-1555
  鹿島さん ヒリゾ
 ⑦ 1555-1558 
  寺内さん   慶良間でのスキンダイビング
  ※、ソニーのカメラをマスクの横につけた。
 ⑧1558-1601
三宅さん 北海道 利島は次とダブルので避けたい。
 ⑨1601-1604
  斎藤真由美  ドルフィンスイミング
 
 まだ提出されていないものについては、締め切る。上記についても題名内容が書いたようなもので良いか、製作者に確認しなければならない。 正式名称、名前の間違いなどをチェックして、送り返してください。

 ここまでで、1610までとする。
 1610-1630
 ウエアラブルカメラの技術的な問題と展開
機器の比較、映像比較 など
 福田克之
  新しいウエアラブルカメラAEEについて言及
  機材もすべて並べてトーク
  質疑応答1630-1640
   質疑の時間は1640で打ち切って、聞き足りない部分は、隣の学生食堂での懇親会に持ち込む。

1640-1650
 ウエアラブルカメラによるリサーチダイビングの安全管理 
  須賀次郎

0907 ウエアラブルカメラ

 いよいよ明日9月8日のJAUS ダイビング活動研究フォーラム、第2部は、ウエアラブルカメラ研究会の報告だ。2011年の夏以来、ウエアラブルカメラのGoProをほとんどメインのカメラとして使って撮影している。フェイスブックに使う写真のほとんどは、GOPROの動画から静止画を切り取ったものだし、調査仕事の報告書の写真の多くもGoProの動画から静止画を使っている。調査とは写真を撮ることだからすべての水中調査はGoProでできる。超小型であること、170度という超広角、CPの良さ、このカメラは、まさに革命だった。それらについては、最新ダイビング用語事典にも、毎度のブログにも書いている。
 まるで、GOPROの提灯をもっているみたいだ。別にそれはそれで良いのだが、これだけのことをしているのだから、GOPROの販売をしているところと何らかのコンタクトがあり、修理とか、代替えについて便宜を図ってもらいたいという気持ちがある。
 GoProのブラックエディションは、もっとも高価なフラッグシップだが、トラブルが多い。僕のブラックも2回も動かなくなった。多分、カメラの中に入った水滴、湿気のせいだと、今はわかっているが、最初はわからず、送り返して替えてもらおうとしたが、アメリカから知人に購入してきてもらったので、その保証書関係が見えなくなっている。自分が行けないのだが、送り返しても、代替がもらえるかどうかわからない。躊躇しているうちに、内部の水滴が乾燥したのか動くようになった。その他にも、このGoProは32ギガの高価なマイクロSDカードを壊してしまった。ウエアラブルカメラ研究会の機材の情報についての中心、何でも分かる福田君によれば、それはカードとの相性の問題があり、東芝のカードに替えればと教えてもらった。カードを食ってしまうことについて、ブラックは欠陥商品らしい。
 そこで、新しいカメラとしてはブラックは購入せず、HERO 2を3台、最初の960を2台、そして、このところトラブルから抜け出しているブラック、1台、6台を運用している。多数を運用している理由は、マスクマウントで使う他に、棒の先とか、器材につけていたり、海底に設置してインターバル撮影を行う調査をしたりで、本格的な調査をすることになったら、これでもまだ足りない。
 新しいGoProを買うとして、ブラックは高価な部分は僕が使う機能ではない、2kとか4K、そしてスマホとの連携などオーバースペックである。2型、もしくはシルバーを買おう、と思っていた。
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       AEE  Magicam
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 そんな折、相棒の石川さんが、ワンタッチで取り外せるマスクマウントを開発し、そのPRで、月刊ダイバーにお願いしたところ、取材に来てくれた岸本さんがAEEという新しいウエアラブルカメラの販売元を紹介してくれた。さっそく石川さんが動いた結果、販売元はスクーバに進出したいが、良い足がかり、良いアドバイサーが無いという。
 AEEは、中国で作っているカメラだが、GOPROも作っているのは中国だ。同じ会社で作っているという噂もある。確認はしていない。
 さっそくコンタクトして販売元の社長、戸高さんがJAUSの会員になってくれ、僕たちも販促に力を足し、先に上げたような、GOPROではかなわなかった、(アプローチもしていないが)トラブルについての援助とか、便宜をはかってもらえる感じになった。
 私たち研究会も進展していて、器材技術についてフォーラムで発表する福田君は、8月31日の辰巳練習会で、GOPRO、ソニー、コンツアー、パナソニック、4種のウエアラブルカメラを同じフレームに載せた同時撮影をして、素晴らしい成果をあげている。この結果を見れば、どのカメラが良いか一目瞭然だろう。僕たちのAEEへのコンタクトが9月3日だったから、タッチの差で間に合わない。しかし、それは今後の課題で良い。フォーラムでは、器材の展示と触ったり、撮ったりできるワークショップを懇親会会場でやればという運びになった。
 一つのメーカーに肩入れするのは好ましくないという考えもあるが、ウエアラブルカメラについては、上のようないきさつもあり、このAEEが最初である。今後、他のメーカー、あるいは販売店がアプローチがしてくることがあれば、理事会で相談すればいい。
 さて、AEEの性能であるが、これが一番の問題である。昨日、9月6日、一日中いじりまわしたが、まだ、水中撮影はしていない。
 9月5日の研究会にはAEEを扱う会社の社長である戸高さんも顔をだされて、検討をした。こちらの研究会、福田さんの情報によれば、GOPROのブラックもシルバーもソニーもコンツアーもそしてAEE も、アメリカのあるメーカーが作っている基盤を使用しており、ブラックが一番グレードが高いもの、AEEは、GOPROのシルバーよりも、少し低いグレードのものを使っているのではないかという。価格の点からもそれは当然のように思える。
 しかし、AEEとGoPro2の比較映像では、それは水中ではなくて道路を走っている車からの撮影だが、AEEの方が良くみえる。
 使った人の評価でも、同等もしくはAEEの方が良いという。福田君の水中テストでもそれぞれ好き嫌い、優劣があるが、一番安価な、そして基盤もAEEと同等のコンツアーが一番自然に見える。水の色も良い。
 とにかく、AEEを研究会のテーマにしよう。僕たちがかかわれるウエアラブルカメラとしては、これが初めてだ。これから検討、研究をスタートさせたい。欠点、問題点があれば、アドバイスすれば、良い。次に行う来年1月のシンポジウムのテーマである。
 デスクでの撮影では、動画から静止画を切り出し、トリミングしても、FB,や研究論文のための写真としては十分に使えそうだ。
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      足元の書架をとったもの
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      目の前のPCを撮った 接写もこのくらいは行ける。

 どちらも動画を撮って静止画の抜き出したもの書架はトリミングしている。

 

0908 フォーラム

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   会場、東京海洋大学品川キャンパス 93席で70埋まるから、写真写りもわるくない。それに、当日急にくるひともいるから、 人数的にはちょうどいい。

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  映写設備の確認、大きなスクリーンで、真っ暗になるから良い。

 朝起きて配布する挨拶状を書いた。

 日本水中科学協会フォーラムにおいでいただきありがとうございます。

 日本水中科学協会は2010年、ダイビング活動が美しい水の惑星の維持に役立つ文化として成長して行くことを目的として設立されました。そのルーツは1967年に日本最初のダイビング活動団体として生まれた日本潜水会に遡ります。目標は自己責任による安全の確立、そして、ダイビング活動が楽しく人と人を繋げる輪になることです。目標にそった活動のスタート、2010シンポジュウムの記録冊子、これは無料で受付に置いてあります。お持ちください。

  次に、ダイビング活動の総論として2012年に編集したのが最新ダイビング用語事典で、これに沿った各論の展開が本日のフォーラムであり、来年1月のシンポジュウムであり、それが目標、目的に繋がります。フォーラム、シンポジウムの発表結果は研究会報としてまとめます。会員には無料配布の予定です。
 最新ダイビング用語事典ですが、まだまだ目標数が売れていません。まだお持ちでない方は是非お買い求めください。チラシを成山堂書店にファクスしていただければ10%割引になります。
 会の目的が利益の追求ではありませんから、赤字は当然ですが毎年赤字が続き、累積が170万程度です。会費で事務局を維持し、活動は独立採算が目標です。ぜひ会員になっていただけるよう、お願いいたします。
 またJAUSでは、ストリームラインを基本としたプライマリーコースを実施しており、その実技内容でのVカード検定もおこなっています。(プライマリーの内容については2010年シンポジウムの冊子に発表されています)実技研修の場は、横須賀追浜のJAMSTECの訓練プール次回は9月15日、もうすぐです。ここにおいでの方、希望者がいらっしゃいましたら是非。15日に先立つ14日には、知識開発セッション(学科のことです)が、地下鉄副都心線、西早稲田下車、すぐの、早稲田大学理工学部 55号館で、これは無料公開ですから、ぜひぜひ、おいでください。 
 かさねて、おいでいただき、ありがとうございました。

           特定非営利活動法人 水中科学協会 代表理事 須賀次郎
                2013-0908
                東京海洋大学 品川キャンパス

0908フオーラム報告

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 9月8日 フォーラムは、客席に80名を集め、ほぼ満席、講演の内容も研究会の発表も好評で、発表したメンバー、協力したスタッフ、講演者、来場者の評判も良く、成功だった。
 しかし、人生は試行錯誤と反省の日々である。試行錯誤と反省でトレーニングを重ねていなければならない。
 フォーラムは、試行錯誤と反省の機会である。
 フォーラムは二部構成にした。13時から開始して、13-15時、休憩10分 15時から17時の二部である。第一部は、安全についてで、今回はブレスホールドのダイビングを中心テーマにした。第二部は、今年作ったウエアラブルカメラ研究サークルの発表であり、全く違う内容を二つにわけたことで、見ていて飽きない、短く感じられたと思う。

 司会をお願いした中尾先生は、「とても、いい雰囲気で成功でしたね。第一部の内容を大切にしつつ、第二部を発展させて行くことがJAUSの方向性のような印象を持ちました。」

 参加した
粟屋秀人さん「リテラシー実習から、ブレスホールドや耳に関する運動生理・医学的なアプローチはとても興味深かったです。そして、中学校での水泳授業の内容は、これまで気づかなかったことも多く、大いに刺激を受けました。」

清水まみさん「第一部
1  会場となった東京海洋大学の千足先生による 海洋実習報告。
カヌーを利用した 素潜り技術訓練や 海洋リテラシーの学習、調査実習など。
先日潜った坂田の海が出てきた。潜る楽しさが伝わってきた。
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    千足先生と司会の中尾先生

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]2  日本女子大の藤本浩一先生による フリーダイビングや海士など 息こらえ、繰り返し潜水がもたらす脳や身体への影響について。
写真やデータ、いろいろなお話を伺う内に 知人たちの顔が浮かび すっかり心配になってしまった…。
懇親会まで残り いろいろお伺いしてみた。
篠宮龍三さんのお友達&アドバイザーであり、ご自身もフリーダイバーの藤本さん。
無理しなければ大丈夫!と…。
でも
scubaのダイブテーブルのように、水面休息時間などの安全基準ラインが ある程度データで確立されていたら良いのだけれど… 素潜りの世界は まだまだ研究途上という感じ。
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3  DANでも有名 耳鼻科 三保先生による 耳抜き不良の疾患と対処について。
具体的でとても良かった。
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4  お名前忘れてしまい申し訳ないのですが(小山先生)中学校の先生より 水泳と水中呼吸の授業報告。 scuba圧縮空気の原理を実際に子どもたちが体験し学んでいく ワクワクする授業。

第二部
ウェアラブル・カメラ活用の実践発表
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   左から寺内さん、福田君、小俣さん 須賀
JAUS内ウェアラブルカメラ(GO-proなど手首やマスク・一脚に装着できる 水中小型ビデオ)研究サークルメンバーによる、動画作品の発表。
一人3分以内、バラエティー豊かで楽しかった。
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    倉田君
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    足立先生
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   鹿島 さん

知人が何人か発表していて 驚いた。
福ちゃんこと福田さんを 初めて拝見。(ツチノコか!笑)
さすが撮影機材に詳しく、4社のウェアラブルカメラで 同じ環境を同時に撮影し、色味、周辺の流れ具合、など、率直に 良し悪しを伝えてくれて 大変参考になりました。
 
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       福田克之君撮影

ところで司会だが、第一部の司会をお願いした中尾先生(早稲田大学理工学部教授)は、学会などの経験が長く、自分でもうまく質問され、講師との対話で聞く人が理解できやすいようにする。また質問のさばき方も上手で、そばで見ていると押しているな、と心配したが、ほぼ時間通りに収めてくれた。さすが、ということで、次もお願いして定着させてしまおう。
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二部の司会、斎藤真由美さんは、フラダンサーだから、舞台度胸はあるだろうし、ルックスが良いから、そしてなによりも研究サークルの中心であり、泳ぐ実力も良く知っている。が、舞台で話したことは無いという。スリリングだった。
もしもダメだったら助け船を出そうと考えていたが、そんな必要はまったくなかった。声が小さいように感じたが、僕は耳が遠いから、それでも言っていることは分かったので、発音はきれいだと思う。彼女も定着させてしまおう。
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   懇親会

0912 

 中学校、高等学校の同窓会の通知、大学のクラス会、同期会の通知が来ている。どれも、もう会えなくなるかもしれないから、というニュアンスが伝わる。周囲を見て亡くなった友達を指折り数える。
大学のクラス会、ちょっと高いけれど、浜松舘山寺温泉の一番いいホテルで、のんびりと時を過ごし、語り合おう。20000円だが魅力的だ。もう何年、そんな温泉でのんびり時をすごしたことがあるだろう。それより、そんな時間を持ったことがあるのだろうか。温泉にはこの夏にも、入れてもらったが、潜水の後での疲れを癒し、また、明日頑張るという温泉だった。ところで、僕はそのクラス会に行くだろうか?行けるだろうか?

オリンピックが2020年、日本で行うと決まった時、報道ステーションを見た。テレビは見ないのが基本なのだが、ニュースステーションが報道ステーションと名前が変わっても古巣だし、どんな扱いをするか見たかった。足を失ったパラリンピック陸上選手のプレゼンテーションが、思わず涙がでるくらい感動的で、というくらい上手ということで、このスピーチで、日本にオリンピックが来たのかもしれないとコメントしていた。方やこちら側には放射性汚染水の大量流出の話題があり、阿部首相は完全にコントロールしていると言い切った。いろいろな視点がある。僕たちは東京で放射能の影響など殆どないという前提でくらしている。ほとんどないと想定して東京湾再生プロジェクトなどをやっているし、レクリエーショナルダイビングなどというお気楽なことを生活の中心に置いている。宮城では影響が殆どないと想定して、漁業を復興させようとしている。完全なコントロール下と言っても間違いと否定できまい。あれは福島県沖だけ、それも1キロも離れれば、そこでクラスの出ない限り、海上はどうってことない。
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              2011-12 福島県久ノ浜での調査
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 放射性汚染水については、水は放射能の遮蔽体だから、空間線量よりも水中線量は小さい。しかし、水中に放射性物質の微粒子があり、それに触れると危ない。微粒子は宮城、千葉、東京には拡散していないだろうから、福島沖で海水浴をやるのではない限り、大丈夫と言い切っても間違っているとはいえない。
一国の首相として、熟考した結果?トライアスロンはお台場でやって大丈夫、の決断だったのだろう。それはそれで一つの見識だとおもうし、日本国民として、そしてスポーツマンの端くれとして、オリンピックの成功を願い、ささやかでも努力をしたい。
ただ、のどに引っかかった魚の骨のように、強引に日本を自分たちの思う方向に引っ張って行くためにオリンピックを使うことについて、これで良いのかなと思ってしまう。スポーツが政治の反映であり、政治そのものであることも理解している。だから、オリンピックという旗印で、違う意見を圧殺してしまう方策も見通せる。消費税も増額できる。その上に、異論を唱える人について取り締まれる法律も作りつつある。
しかし、放射性物質の海への拡大とその影響について、あらゆる視点から研究を進め、その成果を議論し、それをフィードバックすることが、ここまで来た日本の果たすべき国際的な使命であると思う。それが、オリンピックの名のもとに圧殺されないだろうか。

未だ戦いの最中にある、あると思いたい。死ぬまで、倒れるまで自分のやりたいこと、自分でなければできないことをやり通したい。
JAUSについて、もはや須賀などに頼ることなく、自分たち主導でやらなければいけない。もちろんその通りで、明日の命も知れない高齢者に頼るなんてありえない。しかし、僕をタックルしても止めることはできない。自分でやりたいことを計画し、実施して追い越さなければならない。自分がやらないでタックルして僕を止めれば、消滅してしまう。
次の、来年、1月19日に行うシンポジウムの計画を始動した。

1025 水中科学協会のコンセプト申請

 10月の初めから、ずっと日本財団の助成金申請書を書いている。水中科学協会は、2010年、日本財団の助成金をもらってシンポジウムを開催して発足した。そのまま、シンポジウムについての助成金申請を続けていれば、あと何回かはもらえたかもしれない。起承転結で、そのプロジェクトを続行すれば、それに伴う援助を、なんとか形になるまで続けて援助を受けられるものだ、とも言われた。しかし、そこで、2011年の3月に東北大震災が起こった。そのことについては、別の原稿を書いているが、とにかく、頭の中は震災で一杯になった。日本人誰でもが同じことだろう。そして福島の原発が大変になった。それに関連する助成をもらおうと、日本財団だけではなく、三井も、高木財団も、申請した。そのすべてがダメだった。後から振り返れば、それをもらっていたらどんな展開になっただろうと思う。そのことも、原発関連の活動、というよりはもがき、あがきを書きつつある。
 どうやら、原発、放射能問題については、別に考えて、水中科学協会として、本来の目標であった、ダイビングの活動についての安全確保とか、各論的手法、運用の研究、そしてマニュアル化についてのフォーラム、シンポジウム、そしてその研究報告書の作成について、申請しようと思う気持ちになった。
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       透明度が悪い。今の心境 撮影の場所は福島県久ノ浜

 申請したところで、助成金がいただけるというものでもない。今の日本、やはり、大震災に関連したこと、そして高齢化社会が、国難である。悠長にダイビングで遊んでいるなどという、その安全についてなどというテーマでは、勝手に遊んで、勝手に事故をおこせば、、、という感じだ。
助成金の団体登録をやりなおしていると、助成金がいただけないとしても、ここで立ち止まって、JAUSについて客観的に見ることができる。JAUSの今後の展開を考え直すのに、良い機会だと、そんな視点から団体登録を書いた。これも二転三転して、さらに四転してしまいそうだ。
申請の方は、シンポジウムと研究報告についての申請で、JAUSの総論的な申請書をかいた。ところで、今、力をいれている活動は、ウエアラブルカメラの撮影研究と、その手法による調査研究である。その研究についての実施について、人工魚礁をテーマにして、助成金申請にしようと書き直した。そうなると、団体登録の視点も変わってくる。これも書き直して、これで申請できると思ったが、そこでまた立ち止まり、本当に助成をうけたいのは、シンポジウム、フォーラムとその研究報告書で、それを全国の研究機関、大学、高校、専門学校などに無料配布したい。それがJAUSの本命の使命なのではないかと思い直して、書き直した。
そんなことで、10月も25日になるのに、まだ転転としている。
その転転とする書き直しの中で、僕たちは一体何をやってきたのだろうと振り返り、考え込んでしまった。1956年、アクアラングを始めた時、この道具で、人類はその生存環境として海に入り込む、潜水してゆくのだ。それに一生を懸けようと決意した。そして、夢と冒険を追って、そして、アクアラングを道具として、水中でどんな活動ができるのか、を目指した。それからのことは月刊ダイバーのニッポン潜水グラフィティに書いているが、どちらかと言えば、夢と冒険、を展開してきた。そして1970年代は海底居住計画の年代だった。その間、深く潜ることも、水中撮影機器をつくることも、ダイビングの指導団体のことも、そしてリサーチダイビング、テレビの番組撮影、何でもやった。
そして今、僕の周辺のダイビングは、レクリエーショナルダイビング一色のような気がする。テクニカルダイビングも水中撮影もすべて遊びで、お金をかけて潜って、何をするのだ。道具としてスクーバを使って何をどうするのだ、というその何かが、海に触れ合う、遊び、ただそれ一色だ。僕の視点から見ると、ただ、お金を海に捨てて喜んでいるだけ、喜んでいる、喜べるということは、大事なことであり貴重なことだが、同時に、スクーバを使っての調査研究、海に入り込んでゆく道具としての運用を、レクリエーショナルダイビングと重ね合わせることこそ大事であり、それが水中科学協会のコンセプトだったのではないか。もういちど総論的にシンポジウムへの援助の助成申請に書き直した。
そんなこんなで、ブログを書く余裕がない。ブログもこんな、二転三転のストーリーを書いている。

 あと一日でここから脱出します。 日曜日はお台場の調査ですが、台風は多分問題ないでしょう。

1026 三脚を立てるー1

ビデオ撮影、フィルムでも動画の撮影は、カメラと三脚は一体のものつまり三脚がついてこそのカメラである。しかし、それは陸上撮影の常識であり、水中撮影では別とかんがえた。特に魚のように自由に泳ぎ、水中を飛ぶダイバーとしては、三脚を担いで泳ぐなんてことはかんがえられない。
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 ここで、ちょっと視点を変えて、水中撮影をするために、カメラマンにダイビングを教えて撮影させるべきか、ダイバーに撮影を仕込んで水中カメラマンにしたほうが、よいかという問題がある。どちらも一長一短がある。カメラマンにダイビングを仕込むならば、しごきと思われるほどのトレーニングをさせなければ、ならない。そして、そのトレーニングを継続させなければならない。NHKをはじめとして、いくつかの新聞社は、そのトレーニングを続けており、水中撮影班として活動している。初期、1967年から1980年代までは、僕もNHKの撮影班の訓練をてつだった。第一世代のNHK水中班は、日本潜水会のしごきに近い訓練をうけさせられている。
 ダイバーをカメラマンにするのはそれほど、難しくない。潜れさえすればだれでもそこそこの絵はとれる。結果として、どちらが良いかといえば、それはその人のセンス、能力の問題だからどちらとも、言えない。しかし、両者のスタイルのちがいだけはある。
 ダイバー上がりの水中カメラマンは昔でも、足を海底に着けようとしなかった。陸上のカメラマン上がりの水中カメラマンは、足をしっかり海底に着けて、立つかあるいは膝を折り敷いて、カメラをがっちり構えて撮ろうとする。陸上の撮影ではクレーンショットというのがある。チューリップクレーンと呼ぶ、チューリップの花が開いたようなクレーンの先にゴンドラがあり、これにカメラマンが乗って、もしくはゴンドラはなくて、チューリップの先にカメラを載せて、油圧で動かす。カメラはしっかり固定されて、上下左右三次元の動きができる。僕は水中撮影の理想はこのクレーンショットだと思って修行した。水中に浮いていて、カメラは固定されていて、上下左右に振れないで泳ぐ。
 トラックという撮影もある。レールを敷いた上にトロッコのような台車を載せてカメラを載せて静かに動かして撮る。これもカメラはスムースに、微動もしないで前後左右に動く。これも練習した。今、水平姿勢でフロッグキックで泳ぐが、昔の僕は絶対にフロッグキックはやらなかった。動きに段差が出る。よほどの達人でないと、トリムを取って、カメラをぶれさせないで動くのは難しい。昔の練習の成果が残っている僕には無理だ。
 少し脱線したが、三脚を使わないで、三脚を使ったように撮るのが望みで、練習を重ねていた。
 ところが、どうしても三脚を使ってカメラを固定しなければならない撮影がやってきた。電通映画社の神領さんというカメラマン上がりのプロデューサーと仲良くなり、一緒に仕事をするようになった。その発端は、宮古島のニーヨンノースの渡真利さんとの撮影だった。僕はスケジュールが塞がっていて行かれない。代わりに助手の鶴町君をはじめてカメラマンとして出した。しかし、その後から宮古に行く撮影が出来て、最初の縁で何回も渡真利さんのお世話になることになったが、その仲立ちをした神領さんが、電通のアイ・エクスピアリアンスというシリーズの撮影を始めた。これは、カメラを三脚の上に載せて、固定して、動かさずに60分テープを回す。カメラは微動だに動かず、被写体が動いて行く。だから、落ち着いてみていられる。まだテレビは液晶ではなくて、薄型と言ってもずいぶん奥があったが、それでも大画面、と言ってもこれも34-32インチのテレビを前にして、レザーディスクを使って、再生する。ソファーに座ってゆったりとお酒でも飲みながら見るというのがコンセプトだった。今で言う環境ビデオというのだろうか。その水中を、知床、摩周湖からの地下水が噴出する原生林のなかの神の子池で撮影しようということになった。この神の子池についたは、月刊ダイバーの12月号にちょっと書いた。とにかく、この世のものとも思われない、原生林の中にぽっかりと開いたどこまでも澄んでいるように見える青い眼のような泉だ。僕は、この泉にこの撮影のために、一年間、毎月通うことになった。助手、ジムニー、ビデオエンジニア、ディレクター、そしてカメラの僕、4人編成で斜里に、毎月、少なくとも3日は泊まる。往復を入れて、毎月、1週間はそのロケをした。今振り返ると想像もできないような時代だった。なんであんなにお金が使えたのだろう。
 僕はこの泉の中に三脚を立て、当時の最高級のビデオカメラ、池上の79Eというカメラを載せる。ハウジングも入れると陸上での重量は50キロ、水中では1キロ以下だが、質量は50キロある。三脚を立て、ファインダーを覗いて、1時間の継続撮影が出来るように画面を作る。自然の情景を切り取る。1時間のうちには、太陽が廻る。光が原生林を通して差し込むから光と影が廻って行く。風が吹けば水面にさざ波が出来て、底の白い砂に光の波紋を投げかける。たくさん泳いでいるオショロコマ(カラフトイワナ)が、なぜわかるのだろう。水底に居ながら、水面の上を飛ぶ虫を見つけるのだ。するするっと泳ぎ上って、水面の上に跳ね上がって虫をとる。信じられないような光景だ。魚を釣るのにフライを水面に落としたりあげたりして魚を誘うのは、これだな、と思った。とにかく莫大な量のテープを回した。そのころのビデオレコーダーは、テープレコーダーのような1インチ幅のテープでレコーダーとカメラは有線でつながっていて、上でモニターを見ながら回す。値段も安くないから、どこに三脚を立てて、どんな画面を切り取るかがカメラマンの命だ。僕はダイバーだから、それほど上手なカメラマンだとは思っていなかった。しかし、カメラマンならば死んでしまうような撮影でもできるのが売りだった。しかし、このエクスピアリアンスで、僕のカメラマンとしての修業が出来た。僕は決して下手ではないという電通での評価をもらった。アクションには自信があったから、これでなんでも来いという気持ちになった。この後が1986年からのニュース・ステーションの撮影になる。
 

1027 三脚を立てるー2

 
 北海道知床の原生林の中の摩周湖からの地下水の湧出する泉に三脚を立てて撮影している。このいずみについては、月刊ダイバー12月号に書いている。これからすぐに出るので、ぜひ見てほしい。この連載も24回の予定が、今度の11月号で24回、次の12月号では、25回になる。え、?28回までのばしてもらったのだ。24回、無事に連載をつづけなければならない。できるだろうかと思っていたのだが、できた。
 これも、この泉で、毎月12か月を撮って、アイ・エクスピアリアンスにしようという計画だった。夏は良いが冬は、冬は氷が張るだろう。近くの湖は全部結氷する。屈斜路湖も摩周湖も、その凍った泉を撮るつもりだった。湧水だから全面結氷はしないだろう。周囲だけでもドーナッツ状に薄い氷が張るだろう。それを水中から撮る、原生林の樹から漏れてくる陽の光に、氷が輝く。
 
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 そんなイメージで来てみたら、氷は影もない。この泉の水温は周年、8度。少し考えれば、凍るはずがない。
 どうしよう。どうやって撮ろうか、何を撮るんだ。頭を抱えた。半水面で雪を撮ると、明るさがまるで違うので、輝く雪の反射を絞ると、水の中が暗くなってしまう。NDフィルターをレンズの下半分に貼ったら、水面と完全に水平にしなければいけない。泉の平らな完全に水平にした。水面に戻ってくると、ディレクターの船井さんが興奮している。すごい。水面を風がちょっとなでたら、小さな水面の動きが、五線紙の上を、音符が動くようにフィルターの境界面で踊っている。「やった!できた。これは三脚を据えなければ撮れない映像だ。
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    穴の中、右側は佐藤雅博、右が須賀潮美

 その年、雪が深かった。積もった雪の上に薪ストーブを置いて、毎日原始林の中の泉に潜っていたら、次第に雪が解けて穴になり、知床の定置網ダイバーの元祖、僕の弟子筋の佐藤雅博が、毎日一緒に付き合ってくれて、穴の壁を平らに叩き、階段をつけて、小さな家にして、アルミフォイルに包んだジャガイモを焼いてくれた。娘の潮美は、大学生、知床というと、遊びに連れて行け、と来ている。幸せな時でした。
 人生、幸せな時が昔、グラフィティの昔にあると、相対的に今は不幸だ。しかし、幸せな時間をどれほど過去に持つことができたかが、人の幸せ。死ぬ時まで幸せが続くものでもない。


  現在、今日はお台場の潜水です。台風は過ぎました。今は6時47分、そろそろ今日の潜水の準備にかからないと。。。。

 

1028 10月27日のお台場

10月27日、お台場撮影調査潜水
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        僕たちの監視ゴムボート。水質観測をしている。CANON

 台風で潜れないのではないか。台風は去っても、雨がのこるのではないかと心配したが、すごい青空、本当に今日一日、雲一つ無かった。朝、雲が無くても、あとから出てくるのだが、今日は終日青空だけ、こんなことは珍しい。

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 GoPro

 とってかわって、水中は雨の水が表面に残って、水深1mほどまでが濁っている。確かシュリーレーン現象とか言ったはずだ。そのシュリーレーンの下にも、魚は少ない。いつもおなじみのアカオビシマハゼ、チチブが、それも穴の奥深くかくれている感じだ。あいかわらず、イシガニは見えない。

 それでも、とにかく海で潜れる。この一か月、台風のために海洋公園での講演が潰れてしまったので、ここ、今日のお台場だけが海の潜水だ。福島での調査が10月だろうとあてにしていたのが、動きがまるでない。四面楚歌だ。しかし、ファイティング・ポーズだけは倒れるまで、倒れても起きてポーズをとろう。
 今日のメニューは、キャノンの上にGoProの3、マスクマウントでAEE, AEEは、5秒間隔のインターバル撮影にした。タイムが出るので、何を何時何分何秒にやっていたか、わかる。
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 AEE

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 AEE
  AEEのマスクマウント で撮られている僕のキャノン一眼(古い)

 突き当りの杭まで行き、杭の写真をとる。120度のGoProとキャノンの比較、きゃのんは、少しトリミングして大きくした。多分、チギレイソギンチャクだろうとおもう。先月、9月にはこんなには見られなかった。今日は、ポリプが全開なのかそれとも急に増えたのか。
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GoPro
  
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キャノン一眼
  かなりトリミングして拡大している。


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GoPro 
 出合った大きな魚は、尾島さんの奥さん、、クシクラゲを採集しているところ、クラシックなスタビだが良いバランスだ。ぼくよりも良いのではないか。
 
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GoPro
 台風ももうこれで終わりだろう。空は秋の空だ。
いつもこのあたりに頭を出して、位置確認する。 

1029 三脚を立てない撮影

  三脚を立てない撮影
 水中撮影では三脚を立てない撮影が99%だろう。(調査では良くカメラを固定するが)だから、アイ・エクスピアリアンスでは、カメラを三脚で設置した例を書いたのだが、アイ・エクスピアリアンスでも、必ずしも設置ではなくて、手で持つ、カメラを普通に構えての撮影もあった。その場合でも、このアイ・エクスピアリアンスの原則とは、途中でカットを割らないで、つまり廻したままで20分、テープエンドまでワンカットで撮影する。設置の方は、三脚を立ててしまえば、それまでで、陸上、もしくは船上においてあるモニターを見てテープを回していればいい。手持ちのアイ・エクスピアリアンスはそうは行かない。カメラをガクッと揺らしたりしたら、そこでハイそれまでになる。そこで、一回カットして繋いだのではアイ・エクスピアリアンスにならない。意識が途切れてしまう。20分なら20分、1インチのリールなら1時間は、カメラをキープしていなければならないのだ。

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   これは、今のパッチリーフの姿で、当時の姿ではない。ニシバメに三つあるうちの一つ。

 慶良間でアイ・エクスピアリアンスを撮影した。撮影した場所は阿嘉島のニシバマ、砂地の中にポツンとあるパッチリーフを撮影した。その時は、4分の3インチのカセットだから、20分間キープすればいい。撮影に入る前に、パッチの周りを回って、撮影するコース、何が撮影できるかを読んでおく。パッチリーフの10mほど手前からテープを回し始めて、スムースに近づく、その時速度は一定でなければいけない。フィンで砂を巻き上げたとしても、後ろを振り返ったりできない。近づくとスカシテンジクダイの群れが居る。だんだん近づいて行く。なお、ズームインはモノを引き寄せる意志である。アイ・エクスピアリアンスでは、意識が変化するから、ズームインなどはしない。その時はパッチを左回りに回ると決めていたとする。接近した時に、右側に鮮やかな色のアザハタが接近してきた。それを横目で見るのは良いのだが、右へカメラを振ってはいけない。逆に動かすと、そこでカットが途切れることになる。どうしてもアザハタが撮りたければ、後ろに下がりながら右にカメラを回すとかすれば撮れるが、ここでは無視する。パッチを一周してくれば、そして、その時にアザハタがそこにいれば撮れる。
 ようするに、アイ・エクスピアリアンスとはワンカットワンシーン、カットで割らないで、一つのシーンで20分を繋ぐ。
 実は誰が撮る場合でも、これは一つの基本で、出来るだけ、長く切らないでシーン、ストーリーを作って行くように考えて回す。普通の撮影はアイ・エクスピアリアンスではないのだから、カットで割っても良いのだが、そこで割ったということだけは確かなことなのだ。映画とかドラマはよーいスタートで、カットを切り刻んでゆくが、自然のドキュメンタリーを撮る時には、できるだけ長いシーンを成立させるように考える。横に移動だけではなくて、浮き上がって俯瞰、クレーンショットなどを混ぜるが、不自然に感じさせないようにする。カメラを前後、左右に振るのは一つの意志の表れだから、計算してやらなければならない。
 
 このアイ・エクスピアリアンスは、僕の撮影の基本となった。
 それまで、僕のカットは大体30秒ぐらいで割れていた。それは、スプリングモーターのフィルムを回していたからで、ゼンマイを巻いて動かすシネカメラは、バッテリー切れの心配もないし、故障もないが、16mmフィルム一巻が3分撮影できる。ゼンマイをいっぱいに巻くとおよそ25-30秒回る。30秒のカットが6カット撮れる。結構30秒というのは長く、歌謡曲のワンコーラスがだいたい30秒だ。つまり、逆に考えると、ビデオテープでも30秒は廻していればカットとして成立する。アイ・エクスピアリアンス以後は、20分回せるようになった。
  
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 これは2005年の西浜パッチリーフ。昔の面影を一応のこしてはいるが、あまりにも多くのダイバーが接近し、手をふれたり、足を着いたり、砂を巻き上げたりで、一時、見る影もなくなって潜水禁止になった。その後も訪れる人数制限をしたりして、この程度だ。僕の撮ったアイ・エクスピアリアンスのテープがあれば、当時の状況がわかるのだが僕はそのテープをを持っていない。全部電通に渡す契約だった。同じ頃撮ったテープもあるが、ベータカムなので、今では、VTRを持っていないので再生できない。そのうちにデジタルになおしておこう。無限に近い量のテープがストックであるので、デジタル化するのが大変だ。まだ、やっていない。早くしないとテープは色が飛んでしまう。もう飛んでしまったのもある。重要だと思ったものは、処理しているが、重要だと思はないものが見て見ると重要だったりするが、仕方が無い。

11月1日 野球評論

 できれば隔日にブログを書いて行きたいと思っているのだが、ちょっと別の書くべきものに集中すると三日くらいすぐに過ぎ去ってしまう。年齢のために頭の回転が遅くなっているため、相対的に時の回転が早くなっている。
 そして、この数日、野球を見たり、見ないまでも気にしたりしている。
 日本シリーズである。江戸っ子だから巨人フアンである。これは子供のころからなのでどうにもならない。フアンでいるためには巨人の母体である、よみうり、そのボスであるナベツネが好きになれないが、子供のころからのすりつけだからどうにもならない。この一年、テレビは全く見なかったから、今年の状況は良くわからないが、子供のころからのすりつけがあるくらいだから、俄か評論家になれる。野球についてはだれでも俄か評論家になれる。なっているから、人気が絶えないのだろう。政治についても、野球程度にだれでも意見があり、選挙に行ってくれると、自民党が勝っても原発が再稼働になっても、原発が再爆発しても、国民の総意だから、滅亡も甘んじて受けられるのだが、まるで、何もわからない意志を示さないうちに滅亡では、滅びゆく人類の一員としては仕方が無いと諦めようとは思うものの残念ではある。
東北楽天は、みんな東北を心情的に応援しているのだろうが、星野という監督が嫌いだ。これは理由など無く嫌いなのだ。実は良い人で、マスコミの作る星野監督像が嫌いなのかもしれない。
さて、俄か野球評論家として、第一戦は、エースとエースのぶつかり合いになると思った。というよりもそうするべきだとおもった。でも田中はでないで、則本という投手、テレビは全然見ないから、この投手のことを知らなかったから、奇策なのかと思った。テレビで見たら良い投手で、良いなと思って調べたら15勝もしていて、巨人はまるでオープン戦では歯が立たなかったらしい。田中ばかりが目についているので俄かとしては想定外だった。が、原監督が自ら言うように、ラッキーが重なって巨人が勝った。スポーツの勝負はモメンタム(時の利、運の勢い)が勝負を分ける。モメンタムは巨人に来たから、第二戦は2-1で巨人の勝ち、そのままこのシリーズも行ってしまうだろうと予想した。そして、菅野も良く投げたが、審判の誤審で楽天に2点目が入ってしまってモメンタムが楽天に移り、2-1で楽天の勝になってしまった。第3戦は、予想通り杉内が潰れて、巨人の負け、それにしても巨人の打てなさはどうしようもない。第4戦は巨人らしい勝ち方でモメンタムはイーブンになったと思われ、第5戦、に巨人が勝てばイーブンになると見たが、エースが2点取られ、伏兵の名も知らない若い投手に手も足もでなかった。もう、ダメと思われたが、予定通り出てきた第一戦の則本から2点取って、あと一押しでサヨナラというところで、則本が耐えた。良い投手、投手らしい投手なのだ。そして、巨人の抑えの切り札、西村が、年に何回かは打たれる、その何回かになってしまった。野球としては面白く、今日はカメラワークについてかくつもりでの前置きが長くなりブログを書く時間切れになりそうだ。
そのまま、野球について書いてしまおう。アメリカでもワールドシリーズ、レッドソックスが、カージナルスに勝って、上原が西村が失敗したのと対照的に、アメリカでのヒーローになった。奇跡の優勝とそしてワールドシリーズまでの道のりも上原のおかげだろう。巨人の絶対的なエースだったころからこの投手が好きだった。雑草などという言われ方は好きではないが、投手らしい投手で、聞けば巨人に入る時から大リーグを目指すことが条件で入ったという。それでも松坂ほどは騒がれずにとにかくアメリカに渡った。このあたりが雑草といわれるのだろう。日本人の感性を揺すぶる。アメリカでは、悲運が続き、もうダメと思われた状態でレッドソックスに拾われた。鳴物入りでレッドソックスに入った松坂の凋落と引き換えのように、抑えで成功した。奇跡のように打たれないのだ。たしかに上原のフォークは、日本にいる時、そして、アメリカでフォークがスプリットになったからもすごく、コントロールされれば打たれないのがフォークで、コントロールできにくいので、打たれる球だから、打たれない。ボストンでは熱狂的だろう。この上原という投手、日本にいる時からフアンに好かれるムードを持っている。アメリカの新聞でも、誰にでも好かれるという表現をしていた。

前書きのつもりの野球で出かける時間になってしまった。これで、野球とは吹っ切れたので、もう野球に気持ちを散らすことなく、本来のダイビングのことが書ける。だろう、きっと。

1102 カメラワーク パン・ドリー・クレーン

カメラワーク

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        アザハタ

 アイ・エクスピアリアンスでの手持ち撮影で、右にアザハタが来たからと言って、左回りに動いている時は、振り向いてはいけないと書いたが、もちろん振り向いても良い。そこでカットが変わるだけだ。アイ・エクスピアリアンスは、20分ワンカットで撮らなければいけない決まりだから、カットを変えられない。
普通の撮影ならば、そしてデジタルならば何をやっても良い。何をやっても良いのだけれど、文章を書くときのように文法がある。文法があると言っても、決まったルールがあるわけではなく、カメラマンそれぞれのこともある。ここに書こうとしているのは、須賀の文法であり、個性、文体のようなものだ。
パン(カメラを首振りする)ドリー(カメラを移動させる)でも、右から左に向かっている時は突然右へ行ってはいけない。カットが変わる。右に行ったところから別のカットになる。そこから左に行くとまた別のカットだ。もちろん意図してやるならば、何でもありだが、普通はやらない。
このような文法が厳しかったのは、撮れる尺数(秒数)に限度があるフィルムの撮影で、デジタルならば、何度でもやり直して、気に入ったものを使えばいい。しかし、無制限だから、仮だから良いと言っていても、めちゃくちゃを連続させると後で使える部分がなくなってしまう。だから、自分で編集をすると、動画の撮影は上手になる。同時に編集も長さを決めておく、JAUSの研究会では、3分をスタンダードにしている。3分あればたいていの事は言える。

 まず何にしても、カメラを持とうが、置こうが、基本は水平とそして固定、フィックスなのだ。手に持って、置いたカメラと同じように撮れる修業がカメラマンには必要だ。まず撮影は置いた状態、静止から動き始める。静止した状態で動く、静止状態の移動だから、ぶれてはいけない、動きも一定の速度でスムースに動く。動きの途中で目標が見つかってロックオンしたら、一旦停止したら、そこで少なくとも10秒は静止する。止まる時に行き過ぎて戻るのはカッコ悪い。-
 動きは左右、前後で、ドリーと呼んだりトラックと呼んだりする。いずれにしても水平、揺れないようにスムースに動く。
 左右前後の移動の次に、カメラの首振りがある。左右の首振りをパン、上下の首振りをチルトという。上向きはチルトアップ、パンアップということもある。下に向くときはチルトダウン、パンダウンだ。パンとチルトも原則として三脚に載せて行う。三脚に載せても、パンとチルトは職人芸である。
 静止した状態がまず5秒か10秒あってそれからパンが始まる、どこまで振るか、予め予測しておく。三脚に載せていればフィルム時代にはまず予行練習してから、振った。デジタルの場合には予行も廻しておけるから、あとから良い方を選べる。振り始めたら一定の速度で廻し、定めた位置に来たら静止する、これも5-10秒必要である。始点から終点まで一瞬で廻してしまうクイックパンもある。クイックパンも含めて、パンは最初の静止と終点の静止が必須で、これがないと、カットとして成立しない。
 これを三脚に載せないで行うのが水中カメラマンだ。
 僕はかつて、驚異のバランスを誇っていたのだが、最近になりフロッグキックと水平トリムでむちゃくちゃになってしまった。まあ、今はあまりカメラマンをしないからよいようなものだが。
 水中撮影の場合は、これに浮いたり沈んだりの三次元の動きが加わる。陸上の撮影では浮き沈みは、三脚をクレーンに載せて油圧で動かす、クレーンがチューリップの花弁のように開いたりつぼんだりするので、チューリップクレーンなどと呼ぶことがあり、クレーンを使った撮影をクレーンショットなどと呼ぶ。映画の撮影は原則として、この方法でとる。時にドキュメンタリーなどで臨場感をだすために報道のようにカメラを担いで走り待ったりするが、これは特殊効果である。
 さらにこのクレーンを台車に載せて引いたり押したりする。これで、すべての位置から、角度から撮影できる。後はヘリコプターで飛ぶか、水中に潜るかしかない。
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     大型シネカメラ,底にウエイトがついていて、ウエイトをレールで滑らせてカメラのアングルを変えていた。


 水中は、クレーンも台車も無く、クレーンショットが撮れる。水中は中世浮力で浮いて撮る。救いは、50-100キロの大型カメラだった。これを中性浮力で浮かすと、質量があるから、油圧のクレーンに載せたような効果があった。今のウエアラブルカメラでは、油圧クレーンのように動かすことは大変だ。ウエアラブルカメラでどうするか、ここからの工夫は企業秘密だが、やがてシンポジウムで発表する。その前に知りたい人は、僕のブログを遡ってみれば、どこかにある。しかし、整理がいい加減だから、探すのがたいへんだ。

1103 辰巳国際水泳場で 1

辰巳国際水泳場でのスキンダイビング練習会、新入会員が増えてきている。なぜかと考えてみる。スクーバダイビングは高級化してお金がかかりすぎる。フリーダイビングは難しすぎる。
そして、国際水泳場のダイビングプールが、あってこそである。このプールが出来る時、実は、ダイビングプールがスクーバダイビングの練習ができるようにと計画された。建設計画途上で、都庁に呼ばれてアドバイスを求められたが、都庁にありがちのことで、すでにずいぶん細かいところまで、それも、素人が業者に騙される形で計画が進行していた。
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信じられないかもしれないが、スクーバのレギュレーター、BC、もちろんフィン、マスク、スノーケルもたしか50セットぐらい納入されていた。驚くことに、そのセットにはすべてダイブコンピューターが含まれていた。そして、さらにセミクローズの軽量潜水機であるオーバも50セット揃えられていた。運営は東京都スポーツ文化事業団が行っていてダイビングについては何もわからなかったのだろうと思うが、近くに事務所を持っていたのに、全然アプローチをしなかった。
はじめてお付き合いをもったのは、社会スポーツセンターが行っている全日本水中スポーツ選手権大会の会場として、使わせてもらった時だった。その前に、国際水泳場の担当者が文部省関係のスポーツ施設の担当者にダイビングの指導をしたことがあり、旧知だったので知遇を得て、50セット買い込んであった機材を使ってのスクーバダイビング講習をやらせてもらうことができた。プールの主催事業としてのダイビング講習を年に数回ずつやらせていただいた。
その最初の講習会の時、すでに、なぜか、レギュレーターもBCも整備が十分ではなく、ダイブコンピューターなどは紛失してしまっていた。なぜそんなことになったのかわからない。そして、困ったことは、オーバが生産中止になり、作っていた日本酸素が、手を引いてしまったことだった。プール施設としては備品になってしまっているので処分するわけには行かない。しかし、置いておいて誰かが持ち出して事故でも起こしたら大変な責任祖背負い込むことになる。今も残念に思うのは、その時に一台ぐらい持ってきてしまえばよかった。というのは冗談で、そういうことが無いようにメーカーに全数引き取ってもらは無くてはならない。何とか処分が済んだが、その後も、東京都スポーツ文化事業団が運営をしている時には講習をやらせていただいていた。そのころにはすでに抽選でプールの貸切でスキンダイビングができるようになった。今でもだが、スキンダイビングやスクーバダイビングの練習ができるプールは少ない。ここだけがなぜというと、スキンダイビングとスクーバの練習をすることが、プールの目的の一つになぜかなっていたからで、このことを誰が提案実施したのかよくわからない。
やがて、プールの運営が、東京都スポーツ文化事業団から、民間のコナミに移行した時以降、主催事業としてのダイビング講習は行われなくなった。残されていたBCやレギュレーターは、多分処分されたのだろう。
貸し切の抽選もそれほど多数ではなかったのだが、どんどん増えてきて、今は大変である。
 最初にスキンダイビング練習会を始めたときには、それまで講習会をやっていたこともあって、講習のスタイルで始めた。しかし、講習というと日時を限ってプログラムをつくり、プログラムに従って行うものだが、それでは自由がない。それに自分の主張であるが、大事なのはトレーニング、すでに講習を受けた人の日常のトレーニングが重要である。この考え方に沿って、浦安の運動公園では講習卒業生でクラブを作り、日常の定期的な練習をしている。浦安海豚倶楽部である。こちらの方はいちおう、トレーニングプログラムが決まっているが、辰巳の方は完全なフリーである。人の幸せとは、自由であること、束縛を受けないことである。何でも講習になってお金をとること、それで業界が成立しているのだから、反対も賛成もないが、自分としては、特にスキンダイビングは自由でありたい。自由イコール危険というのが海での活動の図式であるが、このプールでならば、そしてスキンダイビングでならば、完全な自己責任でできる。下手な人は心配していない。ときおり、水平に25mを折り返す人がいる。良く知っている人、例えばJAUSの会員だったり、その関係者であれば、問題ないが、そうでないときにはしっかり見張る。出来ればやめてもらう。フリーダイビングの人が来てスタティック、息こらえの練習をされていたが、別のグループがしっかりした態勢でやっていることから、そちらに行ってもらうようにお願いした。
 フリーダイビングについての僕のスタンスは、専門的に命がけでやられていることには尊敬するが、かかわりのある学生には、クラブ活動としては、やってもらいたくない。フリーダイビングとスキンダイビングの区別であるが、正確な定義はないとおもうけれど、個人的には、息こらえのブレーキングポイントを超えない範囲で、水深は20m程度までがスキンダイビングだと思う。
 事故について、講習ではないので、賠償責任保険は適用されないと思うので、スポーツ安全保険に入ることを義務付けている。この保険は、逆に講習はカバーされない。クラブ活動としてのトレーニングに適用される。
 この施設は、基本的にはクラブ活動に対しての貸切であると僕は理解している。クラブの体裁を取っていなければならない。スポーツ安全保険に入れば、保険の名簿という形で、クラブ活動であることが、明確になり、クラブ活動であると公称することができる。この保険で事故の賠償がすべて解決するとは思えないが、もしも訴えられれば、争うしかない。
 現在の会員は100名弱、プールの収容人員は20名程度が適正、30名になると窮屈だから、30名あたりでお断りしようと思っているが、まだそんな経験は2回しかない。

1104 最後の仕事

ツイッターを書き、フェイスブックを書いていたら、長くなってしまったので、ブログにすることにした。

9時に起きて、メール、FB など処理していたら、11時になってしまった。作夜、オリバー・ストーンのアメリカ史、2、読了、歴史と言っても、オリバー・ストーンのノンフィクションだけれど、オリバー・ストーンは1967年志願兵としてベトナムで戦い青銅星賞と名誉戦傷賞、槲葉賞をもらっている。オリバー・ストーンについては、よく知っている人が多いと思うが、アメリカには批判的、日本については、かつて、「日本はまず中国に謝罪すべき」と言っている。「3」も図書館で借りる。

フェイスブックにカメラマン中川隆のコメントがあった。その例として引いている、小泉さんの意見「原発ゼロという理由として、処理が出来ないのならばゼロにするべき」その中川のコメントに書き込んだ。

「地面深く埋めるのならば、クラスノヤルクスに運んで地層処分してもらうとか、日本のどこかに埋める場所を決めるなど決めて議論しなければいけないはずだ。現時点で、海に流している日本は、汚染の範囲と影響を見極めなくてはいけない。感情的議論ではなくて、冷静に決めて実行に移さなければ、原発はゼロという選択肢しかないのではないだろうか。」小泉さんの論は、そのことをどうするのですか、という問いかけであり、政治家として当然のといかけだろう。

 海にかかわり、海で生きてきたダイバーとしては、現時点では、海の汚染についての調査に力を尽くす他、なすべきことはない。
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あと100年が経ち、日本、世界があと100年持ちこたえると仮定しての話だ。
※放射性廃棄物の処分は10万年先まで考えろというが、多分地球上は別の生物が繁栄しているか、もしくは人類はまるで違った生物になっているだろう。
とりあえず100年として、その時の史家に阿部さんは、どういう評価をうけるのだろうか。WILL だったかに、売れっ子の作家百田尚樹が、阿部さんへの賛辞を書いている。阿部さんはしっかりした史観をもっている。ならば、阿部首相は本音でスピーチしているのだろうか?方便ではないだろうか。
小泉さんは、もう首相も経験して、息子の代のもんだいだから、後の世の歴史的評価を計算に入れてスピーチしているのかもしれない。

やはりフェイスブックに、書いた。
「楽天は東北だから、今、全日本がフランチャイズみたいな雰囲気。僕も東北の人が喜び、活気を見せてくれるのならば、そして、この活気が来年秋までつづくのならば、田中はヤンキースに行ってはいけないと思う。多分、東北の人は、喜んで送り出すとおもうけれど。」
 その東北、仙台まで汚染は広がらないだろうか、福島県、松川浦から仙台湾は、目と鼻の先、そして、今年何回か行った石巻は仙台湾、牡鹿半島を廻れば、三陸だ。
僕は目に見えないものの力で、ここに留められている。僕のタイムリミットを1年延ばして、目に見えない力、想像による形は、八百万の神だが、最後の仕事として、僕をもう一度福島に送り込んでくれるだろうか。

1107 オーバ。フィーノ

 月めくりのカレンダーが日めくりのように過ぎて行く。11月酉の市、そしてもうすぐに師走。大嫌いなクリスマスと新年がくる。ブログを隔日に更新しようと考えているが、隔日に本当に更新するためには、他のことができなくなってしまう。それほど、頭の回転が遅くなり、月日の回転が速くなる。画像を探していると、探している画像が見つからずにふと別の画像を撮りだしたりする。1980年代から1990年代、次々と新しい遊び道具の潜水器が発表された、今はそれで生き残っているものはない。フィーノ が見つかった。フィーノのことは何度かブログにも、そしてフェイスブックにも書いている。フィーノのことを確認しようとネットで検索したら、自分のブログが二つ出てきた。他には見当たらない。そうか、ダイビングのことで何かを検索すると僕のブログが出てくる。それならそれで、頑張らなくては。
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 1980年代の後半から1990年の後半には次々と、と言っても市販されたのはオーバ、フィーノ、そしてスヌーバだが、どれもが従来のスクーバとは違っている。スヌーバはスクーバではなくて、ゴムボートの上に置いたタンクから10mほどの短いホースで、つまりフーカーで空気を供給して、ダイバーはこのホースでタンクを載せたゴムボートを曳行してゆく。急浮上の肺破裂さえ注意すれば、非常に安全な潜水機である。アメリカで考え出されて、PADIなどもグアム島あたりで体験ダイビングに使っていた広告をみたことがある。それでもすたれてしまったのは、やはり、空気塞栓のような事故が起こったからなのだろうか。良いなと思っているうちに消えてしまった。
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オーバは、この前のブログで、辰巳国際水泳場が、ダイビングで遊ばせるために大量に買い込んで備えた。そして、おそらくはほとんど使われなかったのではないかと思う遊び道具である。もし、今現在、このオーバがあり、辰巳国際水泳場が、僕たちにレンタルしてくれるならば、どうだろうと思う。それでもやはり、危ないなとおもってしまう。発想はめちゃくちゃにユニークで、空気の通路にあたる蛇腹菅を呼吸袋、カウンターラングにしたセミクローズである。専門家が見たら、見るからに苦しそう、蛇腹管よりも肺活量の方が大きかったら、呼吸できないし、小さい呼吸を繰り返せば、換気が悪くて炭酸ガスがたまってしまいそう。
残念なことは、僕は、見ただけでこれは使えないと判断してしまい、一度も使って見ないうちに、販売元の日本酸素が見切りをつけてしまって、製作販売を止めてしまった。残念というのは、一度も使って見なかったことである。以後は、新しい潜水機が出たら、消滅しないうちに使って見ようと心に決めた。

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にもかかわらず、次に出た、本格的セミクローズともいえるフィーノも使わずじまいだった。これは、親友一歩手前ぐらいの松岡俊輔がやっていたプロジェクトで、なぜか東京日産が販売元になった。その東京日産は南千住の自分の家から、あるいて5分のところにあるのに、行かないで時を過ごした。松岡をよく知っているだけに遠慮したのかもしれない。終わりに近くなってから、たずねて、総支配人の鈴木さんにおめにかかり、懇意にしていただいたが、僕のしゃべったことはすべてネガティブで、失敗するだろうことの予想だけをお話しした。このセミクローズは、少し早く出てき杉田とは思うがかなり本格的で、技術的にはあと一歩で潜水機の歴史を変えたかもしれない。レクリエーショナルダイビング専門のリブリーザーであり、スポーツリブリーザーというにふさわしいリブリーザーだった。失敗の原因の一つは、レディスという指導団体を別に立ち上げてふきゅうさせようとしたことで、すでにPADIが本格的に活動していたので、新しい潜水機で切り崩すことはほとんど不可能であった。そのことを僕は指摘したのだが、後に聞いてみるとPADIにもNAUIにも売り込んだけれど、断られたということだった。それはそうだろうとおもう。米国の本部が作ったプログラムとシステムを売っている会社に全く別のものをうりこむのだから。しかし、やり方によっては成功したかもしれない。しかし、販売元が天下の東京日産販売(自動車製造部門ではない販売会社)だが、こんな潜水器を普及させるには会社の器が大きすぎた。多分、お金はたくさん出たのだろうが、たくさん出たらそれに見合う利益を出さなくてはならない。それは、潜水業界のスケールでは、入り込む余地がなかった。
性能的には、マウスピースの部分に欠陥があり、一時販売を停止していて、欠陥が解決され、さあこれからというところで、打ち切られたと担当していた友人が残念がっていた。国内の販売には成功しなかったかもしれないが、完成されたスポーツタイプのセミクローズになっていれば、世界的には売れたかもしれない。やはり無理かな、などと思うな。
しかし、このフィーノは、その改善されたタイプら今あるとすれば、僕は使って見たとおもう。イフを考えるならば、1990年台の後半である。ビジネスという形での勝負はきまってしまっていたから、全日本潜水連盟に資金援助をして、まるごと買い取るくらいの提案があれば、僕は乗っただろう。あと一歩だったかもしれない。

1109 パッチリーフ


サンゴの移植というプロジェクトがある。広い範囲で見れば、あまり効果は無いと思う。オニヒトデが発生すれば、狭い範囲しか完全駆除はできないだろう。だから、あんなプロジェクトはダメだとおもっていた。サンゴが生える、水温の変化とか、オニヒトデなどで滅びて、そのまた後にサンゴは生えてくる。植物ほど成長は早くないが、それでもミドリイシの類は成長が早い。食われたり、枯れたり、その上に密生したりというサイクルをたかだか50年ぐらいの沖縄通いの間に、何度か見た。その何万年かの堆積でグレートバリアーリーフもできたのだろう。柱状に地層標本を採って行くと、オニヒトデの卵の層が、出たり消えたりしているというレポートを読んだことがある。
だから、オニヒトデの駆除とか、サンゴの移植は、いろいろな意味で、狭い範囲でも良いと思う。
アイ・エクスピアリアンスのことを書いた時、慶良間の西浜のパッチリーフのことを書いた。当時と比べて見る影もなくなったと。
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西浜のパッチリーフ
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ダイバーの影響を出来るだけ少なくして復活を図っている。だいぶ良くはなったが、今一つだ。ならば、パッチリーフを作ってしまったらどうだろうか。館山で調査を進めているカナクラリーフという人工魚礁は、あの砂の上、水深7mで7年間経過して、埋まらなかった。魚の住処としても良い。あれを西浜に置いて、サンゴを植え付けたらどうだろうか。
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     館山に設置した人工魚礁カナクラリーフ
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     カナクラリーフに集まっている石鯛
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     再び西浜のパッチリーフ

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      慶良間での珊瑚移植実験

オニヒトデの駆除もこのリーフ限定ならば完全にできるだろうし、サンゴの植え付けもできる。魚の集まることでは絶対の自信がある形だ。
未だ、アイデアにもならないアイデアの卵だが。

1111 辰巳練習会

 
 
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 いつの間にか一つのスタイルが作り出されてきた。ダイビングの世界には、人に教えてもらいたい人と、あんまり、教えてもらいたくない人、つまり、あまり干渉されたくない人がいる。何でも教えてもらいたい人と、だいたい半々ぐらいかなと見ている。半分のひとは、最低限度のことは教えてもらう必要があるかもしれないが、あとは自由が良いと思っているにちがいない。練習会に来る人の80%は、教えてもらいたくない人で、自由がほしいとおもっている。スキンダイビングとは空を飛ぶ、水中を自由に飛ぶことだ。自分は自由だと感じた時に人は幸せだと感じる。その幸せを求めてプールに来てくれるのだろうと思う。教えてもらいたい人も20%は居るわけだから、それは、教えることが好きな鈴木君が教えてくれている。来てくれる人に対して、教わりたい人はそのように申し出てくださいと伝えてある。どんなことでも一度は教えられる、教えてもらう必要があると思う。その後は、自分で繰り返し練習することで習熟し上達する。
全体として自由である。号令をかけて整列させるようなことはしたくないし、する必要もない。二人で来て、一人が教えている場合もあるし、グループで来てリーダーが教えている場合もある。こちらが教えていたのでは、それはできない。一応、僕の考えたプログラムもあったのだが、それを持ち出したのでは、自分なりの自分たちの練習が出来なくなってしまう。
全体としていえることはフリーゾーンでありたい。フリーゾーンという言葉も好きだ。
上手な人たちはそれぞれ、自分のやりたいパフォーマンスをする。当然、自分たちのグループを作っている人たちもいるし、人を巻き込むというと聞こえが悪いが、友達を作ってグループが形成される場合もある。
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自然の中である海と、人工のプールという決定的な差はある。それは異質のものだが、水という点で同じだし、水という流体と流体の中で泳ぐ人、という点でも大差がない。水、そのものという点で、プールの方が水だ。海はイルカとか魚とか水に加算されるものの方が大きい。流体である水そのものと人間の付き合い方を実感するにはプールが良い。
イルカは野生動物だから人間と比べることはできない。が、強いて、美しさという点で比べると、泳ぐ姿は人間の方が美しいと僕は思っている。少なくとも人間の眼で見れば、人間の方が美しいと思っても悪くは無いだろう。
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何か話を始めると、すぐに昔々の話になってしまうのはつらいが、仕方が無い、昔話が出来るのは高齢者の特権だろう。その昔々の、その一、筑波大学の野村教授(当時)のお手伝いで、水泳選手の水中撮影をしばらくやったことがあった。筑波の野村先生は、退官されて(名誉教授、アクアライフ研究所)、自分の研究所を持たれているが、野村先生こそが、今、辰巳でも流行っているフィンスイミングを日本で始められて、ずっと協会の会長を務めておられた。僕もその仲間で理事だか参事だかになっていた。スポーツ界の通例で、何か複雑怪奇になっているが、とにかく日本のフィンスイミングのルーツは野村先生だ。
その野村先生の手伝いで水泳の一流選手を水中から撮影してフォームの研究をするビデオを作った。そこで自分なりにわかったことは、泳ぐ姿の美しさと記録は、ほぼ比例するということだった。美しければ必ず速いというわけではないが、速い選手で美しくない姿はまれだ。僕の撮った範囲ではゼロだ。速い選手のフォームは必ず美しい。
その美しさは異質ではあるが、人間は海豚よりも美しいと僕は感じている。仲間である鈴木あやの君のイルカの本が評判になっているが、彼女の泳ぐ姿の美しさが相乗効果になって売れているのだろう。東大修士の彼女は賢いが、泳ぐ姿の美しさも天性のものであり、お勉強ほどではなかったろうが、かなりの努力、トレーニングをしている。
同じく泳ぐ美しさの追求としてシンクロナイズドスイミングがある。略してシンクロだが、これは、どこに美しさのポイントをおいているのかよくわからない。この型のスポーツの通例で、難易度、個性を追求してゆくうちにどこかで途を間違えてしまったのだと思う。そして、水中での泳ぐ美しさではなくて水面上の動きの追求に変わってしまっている。水中は採点の評価にならないから、どうでも良い。水面に出た足や手の動きそして、リフトするジャンプなどで採点しているのだから、空手のようなパフォーマンスをしたりして、優雅さから離れてしまった。
それでも、一流のシンクロ選手は、シンクロ競技の僕の趣味に合わない振付と離れて、自由に泳いだときには美しい。小谷さんもイルカと泳いだテレビ番組では美しかったし、特に不世出のチャンピオンであるフランスのビルジニー・デデューは美しい。テレビ朝日の番組で彼女の競技を取って、水中での美しさに魅せられて、水中で撮ったテープをディレクターに見せて、水中を撮ろうと提言した。それが実って、プールで水中シーンだけを何回か撮った。白鳥の湖も撮った。彼女はバレーダンサーでもあったのだ。著作権が僕には無いから見せられないのが残念だ。ただ、彼女の身体能力はシンクロではなく他の競泳競技に出ても世界記録は間違いないと、どこかの水泳監督が言っていたくらいだから、近くで見るとたくましい。陸上のバレエで彼女をリフトできるダンサーは居ないだろう。水中ではどんなリフトも容易にできる。
バレエと言えば、水中バレエがある。読売ランドにあった水中バレエは、僕が初代の水中舞台監督だった。舞台監督と言ってもインストラクターをしていたのだが、水中バレエ団を主宰する近藤玲子さんが、水中舞台監督という肩書を付けてくれた。その近藤玲子先生も今は居ない。いつも何かに追われていて、葬儀に参列することが出来なかった。心残りである。来年、法政大学のアクアクラブが創立50周年を迎えるので、呼ばれているが、40周年の時は、近藤先生も元気で出席していた。そう、この水中バレエの裏方として、大学ダイビングクラブの部員をたくさん使ってくれて、水中バレエ団があった時には、ずいぶんアルバイトをさせてもらったはずだ。
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辰巳にスキンダイビングを練習に来てくれる女性、上手な女性は誰もが美しい。スキンダイビングが上達する事イコール水中で美しく見えることだと思っている。水泳の一流選手が美しいのと同じである。
男のダイバーは、やはり、美しさでは、比べられない。しかし、最近になって、水中で立体的三次元のフリスビーをやったところ、これは、男性もかっこうが良い。男女混成でやれる。それぞれ、やってみた人は面白いという。ただ、他に練習に来てくれる方の邪魔になるので、終了間際の10分間ぐらいでやろうと思っている。

1112 1967-1986 の自分

 今日の夜から式根島に行き、明日潜水して明後日もどってくる。
 久しぶりに海で潜れる。
 
 このところ、ブログを大上段に構えすぎていて、何かを書こう。まとまったことを書こうとしていると途中で挫折してしまったり、資料集めが大変で、月刊ダイバーの原稿と重なったりして、はかどらない。

 1994年のノートを見てみた。結構ノートを書いてある。僕の場合、ほぼ5年周期ぐらいで、日記を書いたり、ぱたりと止まって、しばらくしてノートを書いたり、している、ずっと通して書いていればなにかに?また、ノートを使っているが今度は殴り書きの下書きで、後でも手もわかりそうにない。
 そうか、そのかわりに、日記の代わり、ノートの代わりにブログを書いている。これは結構続いているし、おそらく死ぬまで続くだろう。
 これで良いのだ、と思ったら、日記の代わりならば、それほど大上段に振りかぶらなくてもいい。もちろん振りかぶるときもあるだろうが、毎日振りかぶっているものだから疲れてしまっている。

 書きすぎているきらいもないではない。読んでいただいている人も疲れるだろう。
 今、月刊ダイバーの原稿が暗礁に乗り上げている。編集の潮美が良くやってくれていて、親孝行のつもりだろうが、今回は要求が厳しい。3月号で終わりだからあと3回、まとめなければいけない。第一項は、順序がNGで第二稿は圧縮しすぎたらしくで何が何だかわからない。もう、圧縮しないで丁寧に書くだけ書いて、下駄を預けてしまおう。
 そこで年表を出して見た。
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 お世話になっている月刊ダイバーの創刊が1980年だった。

 自分用の覚書のようなものだから間違いもあるだろう。
 この年表の1980年の釜石湾口防潮堤の工事から、龍泉洞、沼沢沼発電所トンネル調査までの間を
スガ・マリンメカニックで、僕とチームを作った何人か、スガ・マリンサーカスと自称していたチームのメンバーを紹介しながら、書きたい。45歳から48歳、ダイバーとしての最盛期のところだ。

 年表をもう少しきちんとして、年表の部分をとりあげてブログにするのもいいかなとおもっている。
 この年表をフェイスブックにだしたら、自分のその時代と重ね合わせて、懐かしいと思ってくれる人もいたことだろう。

 今日の夜竹芝から船に乗ります。
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