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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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8月6日 立体視

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2017/08/04 13:31 久しぶりに、写真の話。 自分にとってどんな写真が好きな写真なのか。
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 条件として、写真展とか写真集ではなく、一枚だけの写真として、見てどんな写真が良いのだろう。 たとえば、今年は行かなかったが、清水まみ が出展している「海をみつめて」と言う写真展がある。それぞれが、1点ないし2点の出展をしている。その中で、どれが好きなのか、  これはあくまでも、僕個人が良いなとおもう、あくまでも個人。 僕がまず見つめる写真は3D に見える、立体に見える写真だ。 カメラマンとして稼いでいた末期、3D の撮影が多かった。その研究もした。 3D は二つある。一つは浮き出してくる。たとえば魚群を撮ると、魚が頭の上を泳ぐ。子供などは手を伸ばして頭上の魚をつかみ取ろうとする。初期の3D は、この効果をねらい、浮き出してくると成功と考えた。しかし、この3Dは、見ていると疲れる。 立体とは平板な絵を見て、頭の中に立体像を作り出すのだ。だから、疲れる。せいぜい10分か20分しか保たない。立体の展示映像はそのくらいの長さだ。 もう一つ、頭の上にまでは張り出して来ないが、奥行き、奥に向かって立体像ができる。人は、奥行きを立体で感じると、少し張り出してくるようにも感じて、適宜な立体になり、見ていてもそれほど疲れない。 この像の作り方まで説明しても大変だから省略、とにかく3D は自分の頭の中に立体像を作り出すのだ。  2台のカメラを並べて、二つのレンズの間隔は人間の二つの眼の間隔にする。そのようにして撮った画像を並べて、右の眼で右の絵を見て、左の眼で左の絵を見ると、像が浮き上がってくる。立体カメラというのもあり、こんな本もかなり売られていたからたいていの人は経験済みだろう。ちょっと練習しないと浮き上がってこない。 そんな絵を見て、眼のトレーニングをして、今度は、一枚の普通の写真を見て、立体の眼をすると、写真の奥行きが見えてきて、立体に見えるような感じになる。 見えない人は練習する。少し遠くを見る眼をすれば良い。 写真展に行って、飾られている写真をこの立体の目で見て、立体に見える写真があれば、立ち止まって見る。そして、その立体の奥の方に自分の意識が入り込んで、自分が水中に泳ぎ込んでいくように感じる写真が良い写真、好きな写真なのだ。 やってみると、意外に簡単に出来る。そして入り込んだ世界が素晴らしければ素晴らしいほど良い写真なのだ。 人工魚礁が立体になりやすい。分けても波左間のドリーム魚礁は、奥を透かして見るように撮れば、そのまま立体に見える。
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手前に1尾魚が居れば良いのに。
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 やってみると良い。そして展覧会、さきほどの「海を見つめて」で見るとすでに写真家として名の出ているカメラマンの招待作品は立体に見え、その奥の世界も良い。一つの見方の基準になる。 彼らが意図してこういう写真を撮っているのかどうか知らない。どうやって撮るかというと、まず透視度が良くないと辛い。遠景、奥行きをどんな絵にするか、そして中心、そして手前の絵を決める。もちろん近くの、たとえば魚はピントがきていなければNG だ。そして、その遠近で色とかストーリーを決めていく。いわゆる構図も考える。当たり前のことと言えば、当たり前のことだ。遠近の配置を考えるだけで、ずいぶん違ってくる。  要するに平板の写真は良くない。そういうことだ。 ダイビング雑誌とかで写真の撮りかた記事が載っているけれど、僕のこの視点は出ていない。 
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 立体のことを書いたので、映画を見に行った。「トランスフオーマー」 おもしろくて、最後まで眼を凝らしてみた。けれど浮き出しては来ない。頭上でトランスフオーマーが格闘する。自分が踏みつぶされるような効果はない。そこまでやったら疲れるから、うまくつくってあるのだろう。それでも、一カ所ぐらい見ている人が声を上げるようなシーンがあるかと思ったが、ない。出来ないことではないからやらないのだろう。なにかルールがあるのかも知れない。 とにかくこれは、IMAX であり、僕が撮っていたような展示立体映像とは別のものだ。 見せ物映画として、すでに人気を集めている。僕もはまっても悪くない。

8月9日 日記

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日記
8月7日
東京海洋大学に魚類学の河野博教授を訪ねる。
河野先生の書いた,編纂監修した「東京湾の魚類」「東京湾 魚の自然誌」両方読んでいる。
わけても「東京湾の魚類」は座右の書に近い。図鑑であり東京湾で見られる魚類を並べ説明を加えている。そしてその間に、関連するコラムを挟んでいる。
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 こういう本の形を最新ダイビング用語事典Ⅱでやりたい。年表のようにダイビングの事例を並べて、関連するコラムも並べる。遅々として進んでいないが
 そして、そのコラム、及び写真などで多留さん、中山さん、尾島さん夫妻も書いていて巻末に名前がならんでいる。東京港水中生物研究会の主要メンバーが並んでいる。僕だけが仲間外れ、というわけではないか親しくあいさつしたことがない。しかも母校の教授なのに。
 会うことに決め、日本水中科学協会の主要メンバーである山川先生にアレンジをおねがいした。
 アポがとれ、お目にかかれることになった。
 
 自分を説明するために、東京港水中生物研究会の研究報告、日本水中科学協会の報告書、それに、企画書として、お台場に小型人工魚礁を設置して定量観察をする。船の科学館前のポンドにダイビングリサーチステーションを作る企画書を持参した。
 言うまでもなく海洋大学は僕の母校であり、初対面でも気楽ではある。
 僕の企画についても、実現に至る道筋のアドバイスもしてくれたし、楽しい会話ができた。
 そして、潜水部としては、僕が一番かわいがっていたY君が 河野先生の弟子でもあり、この話がいちばん親しい話だった。これは、辞そうと立ち上がってからの話だった。 新しいことを何かしようという場面が、かなり億劫になってきている。年齢のため、やはりフットワークが重い。依頼されることへの対応は出来るのだが、こちらからの働きかけが重いのだ。


 8月8日
 洋上に長く停滞し、ようやく四国に上陸した台風5号、関東近くを通るかと思われたのだが北陸に抜けた。体調が今一つ重い。
 睡眠が細切れになっている。
 海豚倶楽部、今月は2日と 8日に辰巳だ。体調が吹っ切れないので、早くでて、8時15分には辰巳に着いてしまった。
 これから泳ぐ段になって、何となく躊躇、水が冷たいだろうなと思う。陸上との温度差か。泳げばすべては解決する。はず。
 準備運動のラウンドは、念入りにして、ダッシュ、ダッシュは相変わらず遅い。昔のスピードを取り戻すことはもう出来ない。次第にのろくなる。しかし、トレーニングを欠かしたら泳げなくなってしまう。
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 25m、潜水往復 5回、これでプログラムは終わり、10時15分。これで上がってジャグジー二敗ってしまったら、もうプールに入れない。寒くて。あと2回、7往復した。7往復すると、調子が出てきて、10往復でもできるのだが、7往復で切り上げてしまった。闘志がなくなっている。
 部屋に戻り昼寝をしてしまった。

 潜水部後輩の鎌田(47代、部長 女性 美人)から、ドリンク剤のPRに高齢でもがんばる、一人として紹介したいという申し入れがあった。承諾して写真を探す。動画から取り出したスチルばかりなので、先般、西川名で取ったスチルを久保さんにお願いした。

8月 13日 日記 読書ノート

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 日記 ブログは、人工魚礁のことと、最新ダイビング用語事典Ⅱのコラムに関わるテーマと二つ書きかけている。どちらも自分にとって大きいテーマであり、公刊も考えているので、その下書きではあるけれど、簡単に書けない。滞ってしまうので、日記で埋めていく。

 読了した本 「トヨタで学んだ「紙一枚」にまとめる技術」浅田すぐる著  ブックオフで560円で買った。たくさん売れているからブックオフに出てきたのか、まるで売れないので新本で放出されて出てきたのか? こういう本を見ると、今さら企画の書き方でもないのだが、買ってしまう。そしてなるほどと思って三日坊主をやる。ノートの取り方なども、永遠に売れるテーマだ。僕も少し考えよう。「紙一枚のダイビング計画書」とか。実は本気で考えている。ワークショップのテーマにもなる。 「トヨタで学んだ」にもどると、企画書は紙一枚でなければいけない。これはわかる。僕がニュースステーションをやっていた時代、通った企画は藁半紙一枚の企画書だった。一生懸命丁寧に書いた企画は、読んででもらえたかどうかわからない。そして、キャッチコピーが大事だ。伊豆大島の噴火取材は「ウツボが地震におびえて、岩にしがみついている」だった。ウツボはどこかに隠れてしまったが、撮影しているカメラの上に噴石が降ってきて、大当たり?の企画になった。 「紙一枚」にもどると、トヨタでは、A3一枚にまとめる、とあった。会議の資料としてはA3が良いだろうが、汎用としてはA4だ。 内容は、枠をつける、これはやっている。枠にタイトルを着ける。これはやった方が良い。必ず空欄をつくる これはA4だと難しい。 ☆枠につけるタイトルは、目的、現状、課題、対策、スケジュール  ☆「自分のために考えた企画は通らない。」しかし、今の僕の場合、ほとんど自分のタメに考えている。 ☆箇条書きは三つにする。 ☆企画は まず一言で言うとどうなる 1P  そしてwhat why how
  なぜ?よりも、どうするか?を芯にする。
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 考えのまとめかたとして、白地のノートに16個の升目を作って書き込んでいく。升目は見やすい。一覧性がある。  黒、赤、緑のボールペンで書きわける。こんなことはできない。  こんな本だった。うまくまとまっただろうか。日記とタイトルにしながら、読書ノートになってしまった。  

8月 14日 書写 複写

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 この書写機で資料の撮影複写をしている。
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 カメラで撮った複写画像は、プレゼンターというソフトでpcに送られる。 置かれている資料は2000年を記念した月刊ダイバーのダイビング50年史特集と、ダイビングワールド100号記念で、これは1983年12月の特集で、ダイビングの揺籃期から、その時(1983)までの歴史をまとめた特集だ。タイトルは「ダイビング豊穣の時代」1983年から振り返って、昔はすごかったと言っているのだ。
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 そして、ダイビングワールドの1983年からダイバーの2000年 50年史までさらに20年の歳月が流れている。どちらも、1956年の僕の写真を使っている。その関係で手元 に大事に保管していた。 ※1983年のダイビングワールド特集では、いくつか僕の記憶と違うところがあるが、たいしたことではない。 マリンダイビングにも、同じような特集があるはずなのだが、僕の写真を使っていないので、僕の手元にない。マリンダイビングの古いものをまとめて潜水部の後輩がマリンダイビングに就職するときに記念にあげてしまった。その後輩はすぐにマリンダイビングを退職してしまった。
 マリンダイビング誌も貸していただけるように舘石(二代目)社長にお願いして、快諾をいただいているのだが、なかなか行く時間がない。その前に手元にあるものすべてを複写してしまおうと思っているのだが、まだまだ、終わらない。 
 ダイバーとダイビングワールド、この二つの特集号は、全ページ複写した。他の数百冊は、自分の考えでセレクトしている。とても、全数、全ページは複写しきれないし、整理もできない。広告というものも、その時代を強く表すので、全ページ複写も、10年サイクルぐらいでやりたい。
 目下のところの全ページ複写は 海の世界1976「全国潜水スポット100選」特集、 鷲尾さんから借りたスキンバイバーも貴重なので全ページ複写した。
 他に潜水科学協会の「どるふぃん」も全ページ複写したい。
 PCにデータとして入っていれば書棚で資料を探すこともない。(だろう)
 複写するときに複写をセレクトするためにページを繰るので、だいたいのタイトルは頭に入る。それで、10年きざみぐらいでその時代のダイビングをまとめて行きたい。 ①その時代の空気、特色、主な出来事  ※年表はすでにあるのでそれと重ね合わせ方をうまく考えたい。  ②機材 技術  ③事故の傾向   大きな特色のある事故 自分個人のグラフィティは、すでに書いたが、ニッポン潜水グラフィティ全体版を書くことも視程に入れたい。そして、ここまでの経過 (歴史)から、現状を見て、近未来、さらに未来も見通したい。
 他にやる企画は、生涯を賭けたともいえる人工魚礁についての本、福島第一も、東京港水中生物研究会もそして、日本水中科学協会をダイビング活動学会に育てる端緒だけでも、作りたい。
 僕に残された時間で出来るだろうか。運が良ければできるだろう。 運を当てにしてはいけない、と誰かが言っていたが、82歳になれば、あとは運(寿命)しかない。

8月15日 ダイビングワールド100号記念 1983(1)

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「銀幕の向こうに海が呼んでいた」  ☆2000年を記念した月刊ダイバーのダイビング50年史特集と、ダイビングワールド100号記念で、これは1983年12月の特集で、ダイビングの揺籃期から、その時までの歴史をまとめた特集だ。「ダイビング豊穣の時代」。 ダイビングワールドの1983年からダイバーの2000年まで、20年の歳月が流れている。
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 一つ前のブログで スキャンコピーを紹介した。全ページコピーしたのだが、読むと、今読んでおもしろい。今読むからこそおもしろいのだろう。全部ブログで紹介したいくらいだが、無理。 いくつかを紹介して行きたい。  そして、この「ダイビング豊穣の時代」を編集した当時の編集長 岩村さんは、現在フェイスブックの友達だ。社長だった黒川君は、潜水部の後輩で、話せば長いつきあいだ。彼も、フェイスブックでつながっている。そしてさらに、今日、紹介する「銀幕の向こうに海が呼んでいた。」を書かれた後藤和夫さんもフェイスブックの友達である。後藤さんとは、水曜スペシャルの時代にテレビの撮影を一緒にやった。未だに忘れていない。驚天動地と言っていい、無人島の番組、「横井庄吉さんと7人の美女」をやった。このごろ、中川が無人島の権威者?になっているが、もっと飛んでいる。その無人島のことは、ここでは書くスペースがない。 前置きはそのくらいで、「銀幕の向こうに海が呼んでいた。」ダイビングワールド1983年の昔から、さらに昔をさかのぼっての解説である。解説は紹介するのは大変なので、映画の題名と日本公開の年だけを並べる。それだけで、いくつもの記憶が蘇る。これらの映画を見られなかった今の人たちは気の毒?と思ったりする。まさに豊穣の時代だったのだ。
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 ☆「青い大陸」1954年   純酸素のリブリーザで撮影している。 ☆「沈黙の世界」1956年   言わずと知れたジャック・イブ・クストー ☆「太陽のとどかぬ世界」1964   これもジャック・イブ・クストー、この映画から海底居住が始まった。
 ☆「海底二万マイル」 1954年 ええつ!この映画1954年だったのだ。記憶に合わない。ネット調べてみたら、やはり1954年だった。東亞潜水機が潜水服をこの映画のために作っている。 1954年は特別の年、1953年に東京水産大学に紹介されたアクアラングが、公式に日本にアクアラングがやってきた時、そしてその翌年1954年に水産大学の小湊実習場で潜水実習中の学生2名が亡くなる。僕の原点だ。
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 ☆「海底の黄金」1955年 ジェーン・ラッセル といっても今の人にはわからないだろう。巨乳の元祖。 ☆「チコと鮫」 1962年 青い大陸を撮ったフォルコ・クイリチの作品、音楽が今でも耳に残っている。鮫と子供の友情話 ☆「007 サンダーボール作戦」1965 ジェームスボンドがタキシードにドライスーツを着て出てくる。
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 ☆「イルカの日」1973年 人間の言葉を理解するイルカ ☆「ジョーズ」1975 説明不要 ☆「ザ・ディープ」1977年 ジャックリーヌ・ビセット もう一度見たい。 ☆「海の若大将」1965年 これもおどろき、1965年だったのだ。このとき僕は、撮影する大型35mmカメラのハウジングを作り、水漏れさせた。水没はしなかったけれど大変な騒ぎだった。1965年だったとは! 
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 なんだ、記事紹介というより、自分勝手な説明。一つ一つの映画について書くと、際限もないほどの思いでがある。一つの映画で、一回のブログが書ける。
※ スキャンからの複写なので写真が不満足だが、ご容赦。

8月16日  1983 ダイビングワールド 2

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 後藤道夫が作った。ダイビングワールド の裏表紙に広告するほど量産?したハウジング。当時としては、そして今でも、ハウジングとしては究極。ステンレスの削りだし、円筒形のボディで水漏れの心配がほとんどない。マクロとワイドのポートを持っている。縦位置、横位置の切り替えができるグリップ。 キャノン AE-1 の一眼が入っている。
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 これは、1983年リアルタイムの広告で、たしか、当時で56万円、これだけは買って置けと後藤道夫に押し売りされた。が、このハウジングで良い写真を撮った記憶がない。当時の一眼レフの小さいレフファインダーをじっくり覗いて、スチルを撮るカメラマンではなかったのだ。僕は。 後に、何かで見た。中村征夫さんが置物的に飾っている。ぼくも、使える状態で、どこかにしまってある。置物としての価値は、50万はあると思う。
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 左、エレクトロラングと、右、液体空気ラング 液体空気を使ったスクーバ。僕は、これで潜った数少ない一人だ。早稲田大学理工学部、山根雅巳教授が作った。
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スガ・マリン・メカニックが発足して間もない頃、製作を受けた。実際に手がけたのは島野製作所、そのころ、機械加工が島野、企画が須賀、営業が日本スキューバの鈴木という態勢で仕事をしていた。 山根研究室の学生だった寺山さんが研究テーマにした潜水機だ。寺山さんは今でも賀状のつきあいがある。山根先生はお元気だろうか? 液体空気は、-180度だから、これは魔法瓶である。魔法瓶でも気化は続いている。気化した空気は、圧力8気圧程度まで保たれて、レギュレーターのファストステージに入る。それを呼吸するのだが、気化熱の違いで、窒素が最初に出てくる。そのあたりのことは、よくわからないが、常温では、空気として出てくるのだろうか。問題は、魔法瓶に入れた液体空気の気化は止まっていないことで、使わなくても減り続ける。テストで潜ったのは南伊豆だった。なんで、そんな遠くにしたのかわからないが、日本スキューバの鈴木博の段取りだった。遠いから、どんどん溶ける。氷と同じだ。それでも、この魔法瓶で3時間程度はもぐれて、みんなで体験した。何となく空気はおいしかった。 実用になるはずもなく、目指してもいない。遊びだった。遊びでも、そこから何かがうまれる。かも知れない。  赤いエレクトロラングの方は、現在のリブリーザに進化する過程で、こっちのテストをしていたら、たぶん命は無くなっていたはずだ。

8月17日 日記

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日記 0817 中村征夫さんの写真展「永遠の海」に行った。
 展示してある写真点数は多いから、どれか一つをじっくり見るということは、なかなか難しい。 とにかくざっとみて、終わりまで行き、また戻って、それを二回ほど繰り返して、目から頭の中に飛び込んでくるような写真があれば、それをじっくり見る。 何も先入観を持たないようにして、眺める。それぞれ、良い写真だ。 足を止めた。天井からのライトが青い水中に当たっているように見えた。天井を見上げたけれど、別に光源はない。右上に写しこまれている、水の中の太陽、正確に言えば水中から見上げる太陽の光が差し込んでいるのだ。これは特別なことではない。だれでも、水中にカメラを持ち込めば、やる。 でも、その光が展覧会場の天井から差し込んできている。温かい水中に自分がいるような感覚になる。水中に入った光が穏やかに青に溶ける。その下に、青い魚、ウメイロモドキの群れが浮いている。好きな魚なのだ。背筋から尾びれに黄色い線が走っているが、それがあまりどぎつくはなく、太陽の光に当たっている。補助光は、ストロボも、ライトも当てていない。で、黄色と青をきれいに出している。 海底は砂地のように見えるが、大きい盤状の平坦なミドリイシ、テーブルサンゴに枝状のサンゴが所々で頭を出している。 これだな。 納得して、外に出ると出口のところに征夫さんがいた。 お客と愛想よく話していて、本にサインをしている。終わってから、あいさつだけして帰ろう、気がついてくれて、ちょっと待ってという身振り、もう一人お客がいて、本を買ってくれてサインをしている。次に、もう一冊手に取ってサインをしている。それを僕にくれる。征夫さんと共有する思い出は、本一冊分は大げさでも、ペラ2枚分ぐらいはある。 彼を嫌いな人など、この業界にはいないだろう。人徳であり、また努力もしている。僕もその昔、彼に努力をしてもらった事が幾たびか。 僕も、自分が良い人だと思ってはいるが、何か事を起こすと、たちまち敵半分、味方半分になる。業みたいなものだ。  昨日、お台場の三ツ橋さんが、ここにきて、お台場の話をしたらしい。フェイスブックで見た。だからか?征夫さんの口からお台場の話がでた。そうだ、僕の目の黒いうちにお台場で一緒に潜りたい。と話をした。今度の申請のメンバーに中村征夫を入れておこう。潮美のネジを巻いて、なにか考えさせようか。  サインしてもらって手に取った、「永遠の海」表紙が、さっきのウメイロモドキだった。知らなかった。よく見ればパンフレットにもこの写真を使っている。本当に知らないで、これだ、と思った写真を、征夫さんも、これだ、と思っていたのだろう。感性、意見の一致で何となく、うれしくなる。 ※、この写真、ここには出さない。会場で見るか、本を買ってみてください。  これから、今日は辰巳の水泳場、19時から22時 3時間だ。 心身ともに打ちひしがれているのに、よく頑張るねえ。

8月20日 お台場

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 8月20日 今日のお台場潜水をブログにしておかなくては、 ブログ、つまりログなのだ。
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              マハゼ ニコンAW
    今日は手違いで、7人だと思っていたのが、9人だ。メールの調子が悪くて、海洋大学の子のメールをはねてしまったらしい。一本余分にタンクを持ってきて良かった。そしたら、まみも現れた。これも、僕の通信ミスだ。尾島さんがなんとかやりくりできて、間に合った。まあ、事務所までタンクを取りに行っても30分だけど。 全員で朝のあいさつ。今日は少しばかり僕の話がある。この調査の報告を毎年一度ずつまとめることにしている。この前が2016年の1月に出した。2017年の1月に出さなくてはいけなかったのだが、過ごしてしまった。前の号は僕が一人でほとんどまとめた。今度はメンバー全員で書くことにする。その原稿の打ち合わせをした。 尾島さんはゴムボートを出して、センサーを沈めて、毎回海洋調査をしている。このデータを発表するだけでも価値がある。今日の結果は、溶存酸素量は相変わらず、1以下、BODも1.5、これは魚が生きられない数値だという。しかし、お台場のマハゼをはじめとする魚は元気だ。どうしてなのだ。このことを研究するだけでも、価値がある。それぞれに原稿をお願いした。 僕は今日からBCを変える。もう20年以上使っているアポロのプレステージの原型のようなBCを愛用しているが、この前、インフレ―ターが壊れた。修理できないことも無いけれど、このあたりで、代えよう。タバタのリベレーターに代える。これももう、かれこれ10年近く前の型だが、さらに古いタバタのBCが壊れて、修理に持って行ったら、もう修理不能という事で、新しいこれをいただいた。学生のレンタルなどに時たま使っていた。悪くないBCだ。これまで、僕はBCにウエイトを入れて使ったことが無いのだが、これを機会にやってみることにした。 お台場は周年ドライスーツと僕は決めている。BCに4キロ、ウエイトベストが7キロだ。少し重いのだが、ここは、水深1以下で中世浮力をとらなければいけない。 泳いでみると、バランスは悪くない。足が少し浮く、このごろレッグウエイトをつけていない。着けるようにしよう。  さて、僕の使うカメラシステムだが、一回目の潜水では、TG4とSJ4000を並べて、フィッシュアイのFXライトを付けている。SJ4000は、動画で、エントリから、エキジットまで、タイムを表示して廻し続けて置く。これで、僕のコースの全体像、魚がどのように居たか、判断できる。今日の透視度は70cmぐらい、写真になるのは30cm以内だから、終始マクロだ。TG4の方は、カニとか、撮り甲斐のある被写体があったらねらう。あいかわらず、お台場はマハゼが一面にいる。そろそろ大きいハゼが増えても良いのだが、大型は、突き当りの杭のあたりに居ただけだ。マハゼは、産卵が何度もあるので、中型は遅くの産卵、大型は早くの産卵である。大型は外に出ていて、中型小型が、お台場にいるのかもしれない。  
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 マハゼ オリンパス

一回目の潜水を終わると、ずいぶん疲れている。疲れていると言えば、朝から疲れているのだ。これは、疲れと言うよりも、高齢の身体に過重な負荷をかけているのだろうか。疲れていても、2回目を潜る。前回は空気が無くて一回だった。BCの故障で、泳ぐのが難儀で空気を使ってしまったためだ。ああ、この感じは高校生の時の、バスケットボール夏の合宿で、午前の練習で綿のように疲れて、午後の練習に入る。そんな感じだ。82歳で、高校時代の疲れを体感できるのは、悪くない。前向きに考えて、疲れた体に鞭打つ。午後は、オリンパスTG4をニコンAW130に換え、SJをGoPro2に代える。比べて見るつもりだ。2回目の午後は、遠くまで行かない。エントリーしたすぐ近くの岩が、魚が集まるのだ。やはり、マハゼのやや大型が多い。なにか、マダイの稚魚のような魚が前をよぎる。年のために、砂地のホンビノスポイントにも行って見た。この一角、砂地に手をツ込めば、必ず、ホンビノスに触れる。採って食べるようなことは、しない。 
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ホンビノス貝 ニコン
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 ヘドロ海底を覆う硫黄細菌のコロニー オリンパス、これはきれいに撮れた。

オリンパスよりもニコンの方が操作性が良い。蓋の開閉もやりやすく確実だし、ダイヤルも使いやすい。もちろん、30m防水もオリンパスの15mを上回っている。ハウジングは、ウエアラブルカメラと並べられないので、使えない。僕などは、息も絶え絶えで潜っているのだから、操作性はとても大事だ。只、ニコンは遅い。ニコンの新型は、きっと良いのだろうけれど、今のものが水没するまで、買わない。 オリンパスもほしいけれど、これも水没待ちだ。今日に限って言えば、ニコン対オリンパスは、ニコンの勝ちだった。カメラの性能よりも操作性の差が勝負だった。つまり、オリンパスは僕が失敗したのだ。調査についてはウエアラブルカメラが主体だから、別にかまわない。透視度70cmでは、流石に良い写真は望めない。清水まみ、は粘っていたから、良い写真が撮れたかもしれない。彼女はオリンパスだ。ここではカメラを持つ片手をのばして、魚に近づけてマクロで撮る。彼女の場合、ライトはもう一方の手でサイドから当てる。
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  GoPro2の動画から静止画で停めた 稚魚 未同定


戻ってきて映像の整理、午後のGoPro2の動画で、カメラの前を横切って、眼にも見えなかった、稚魚が写っている。動画から静止画で止める。目下のところ種類はわからない。ウエアラブルカメラの動画とスチルと、調査としてはウエアラブルの動画がメインなのだ。そのことがよくわかる。それにしても、GOPRO2は、すごい。GoPro3は、まるで駄目、4も5も、2が滅びるまで買わない。2は3台残っていて、全部使える。GoProは要らない機能がどんどん追加されて、価格は手の届かないところに行ってしまう。SJ4000の画も、何とかみられる。死ぬまで、いやもう少しの間、このシステムで続けられそうだ。このシステムで個展をやってしまうかもしれない。それには、やはり、オリンパスもニコンも新型にしなければいけないかな。

8月23日 人工魚礁 1 ドリーム

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 人工魚礁について、しばらく続けて、たぶんとびとびにはなるでしょうが、書きます。 人工魚礁は、ダイビングポイントになっているところが多く、人工魚礁に一番多く関わっているのは、レクリエーショナルダイバーだろうとおもいます。そして、そのレクリエーショナルダイバーは、人工魚礁について、ほとんど知りません。ただ、魚があつまるところ、という程度の認識です。 自分について言えば、ダイビングライフのほとんどとはいえないものの、調査潜水のほとんどは、人工魚礁に絡んだものでした。
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 さて、まず最初は実例から、最近、一番足繁く通い詰めている千葉県館山の波左間海中公園、荒川さんのところから、スターとしましょう。ここは、最近、ジンベイザメが現れ、珍しいメガマウスシャークも現れました。このことについても書きたいのですが、今は人工魚礁です。 波左間は人工魚礁ランドと言っても良いくらいで、ここに通えば人工魚礁のすべて、人工魚礁の歴史のすべても目の当たりに見ることができます。それは、おいおい話すとして、ここで一番人気のあるポイントがドリーム魚礁です。名前のドリームは荒川さんの名付けたもので、ドリームという名の魚礁が一般にあるわけではないのです。 荒川さんは、すごいアイデアマンで、高根神社(水中の神社)コブダイの頼子との交情、マンボウランドと次々に話題のヒットを飛ばします。それぞれ、おもしろいことが書けると思うのですが、ここでは人工魚礁の話です。 ドリーム魚礁は本当にドリーム、夢の魚礁です。ソフトコーラルが美しく、おそらく関東太平洋岸では、もっとも美しい魚礁です。他にも美しい魚礁があるので、追々と紹介して行きますが、まず、このドリームが美しさでは一番です。なぜ一番なのか
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。  この魚礁、正式に言うと、2m角型コンクリートブロック165個を三段にきちんと積み上げたもので、平成10年に枕設ですから、人工魚礁の歴史の上からは、比較的新しいものです。この165個をまとめて一つと考えて、これを人工魚礁単体と呼びます。つまり、ドリーム魚礁という一個です。 このきちんと三段に積み上げたというところが、ポイントなのです。長らく人工魚礁調査にかかわって来たのですが、165個という数を3段にきちんと積み上げた魚礁は、これだけしか見たことがありません。  ドリーム魚礁に潜った人、たぶん、こういうことは知らないのだろうなあ、と思いながら書いています。  人工魚礁の大きさを表す単位なのですが、空立方メートル:クウリューベと言います。 で、全体でどのくらいの体積があるかで示します。人工魚礁の枕設は公共事業です。全額を国が出す場合もありますし、市町村が分担する場合もあります。が、とにかく私たちの税金で作られたものなのです。その金額は、どのくらいの体積かで決められます。 2m角が165個とすると、2x2x2x165で1320クウリューべ(立方メートル)になります。 だいたい1000立方メートルぐらいが魚礁の単体、一個になります。 さて、この1000立方メートルのブロックの値段プラス枕設費用、海に沈める費用ですね、が人工魚礁の値段になります。もちろんプラス諸経費、儲けなどがそれにプラスされます。公共事業ですから、入札で業者が決められます。コストを下げれば儲けが大きくなります。どこでコストダウンするか。まずは、枕設費用でしょう。 そこで、場所を決めたら、そこに適当に投入して積あげます。すなわち乱積みです。ほとんどのコンクリートブロック魚礁が適当な乱積みになり、きちんと整列積み上げたドリームが稀少な例、ほとんどない理由がわかったと思います。 ところで人工魚礁の効果なのですが、乱積みと整列とどちらが効果、魚を集めるか?これは、どちらとも言えないということになっています。魚を集める要因は複雑です。そして、推定でしかないのです。常識的には整列の方が効果は高い。この問題についてもおいおい話して行くつもりですが。
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 乱積みの例として、最近行った富戸のボートポイント、ピラミッドを例に取りましょう。何個入っているのか資料が手元にありませんが、5段か6段にピラミッドになっています。ドリームの3倍か4倍は、あるでしょう。これはこれで、雄大なもので、もっとダイビングポイントとして、知られても良いのですが、富戸へ行くダイバーの多くは、ウミウシとか、マクロをねらいます。 マクロをねらうからこそ富戸がおもしろいわけで、それはそれで、たいへん結構なことです。それに、ボート代もかかりますしね。  さて、ブロックをきちんと積み上げる為にはダイバーの誘導が必要です。時間と手間、すなわちコストがかかります。ドリームは荒川さんが誘導して積み上げたのだと思いますが、今度行ったときに確認します。 ドリームがなぜドリームなのか、その秘密は整列して積み上げられていること。 このことは、まだ調べて確認していません。それを調べることが出来るのが、人工魚礁ランドである波左間なのですが、まだです。僕も忙しいので。 ドリームが圧倒的に優れている点が二つあります。一つは、ソフトコーラル、ウミトサカの類が見事なこと、もう一つは、ダイバーが中に入って行かれることです。2m角と言うこともダイバーが入っていくちょうど良い大きさなのですが、とにかくウミトサカの間を縫って、入って行かれます。 だんだん説明して行きますが、魚を集める理由は魚礁の高さと内部構造にあります。1000立方メートルの岩と1000立方メートルのドリームとどちらが魚を集めているか、同じ場所に並べて見ないと証明にはならないでしょうが、ダイバーの常識では人工魚礁です。大きな岩の場合には、魚のたまっている場所があります。均一ではないのです。魚のたまっている場所は、岩の隙間とか、オーバーハング、窪みです。 魚には走触性(魚礁性)という本能があって、体の一部を何かに触れている、あるいは陰になっていることが大事なのです。そして、夜になると、群れて泳いでいた魚も、岩の下、何かの陰に隠れます。 このごろ、猫の研究をしていますが、猫が箱に入りたがるのも同じでしょう。 生き物は、すべて、何かの陰に隠れます。生涯泳ぎ続けるマグロでも、鮫でも同じです。カツオ、マグロの為には浮き魚礁というのがあり、これについてはまたあとで述べます。 少し脱線しました。人工魚礁には複雑な内部構造が必要であり、岩の塊と比べてのアドバンテージであることはわかったと思います。
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 そして、整列したドリームは、その内部構造の中心まで入って行かれます。乱積みでも入って行かれるのですが、出てこられなくなる危険、恐怖心があります。 ドリームは整列していますから、ジャングルジムのようなもので危険が少なく、カメラ写りも良いのです。  続きます。

8月26日 波佐間

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8月26日 波左間  3本潜って、車を運転して戻って来たら、やはり疲れる。データー整理した後で2330から、直美さんの息こらえの24時間テレビを見るつもりが、真正の寝落ちをしてしまった。 そして、朝2時間弱、これを書いていて、誤って消してしまった。書き直している。書き始めにきちんとタイトルを入れて、保存しておかないといけない。一つ学習した。 
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 波左間は、ジンベイザメフィーバーで、僕が館山駅に迎えに出たりして、少しテキパキして、9時50分の出船に間に合わせた。ぼくは、最近はぐずぐずが好きなのだが、ちょっとばかり昔に戻った気分で気合いが入った。 メンバーは、高山さん、小久保教授、マトン、玉田さん、小山君、僕 の6名。高山さんが初の参加。

 ドライスーツと、3mmのウエット+2mmのフードジャケットを持ってきた。以下、ウエットと略称。 できれば、ウエットで潜りたいというのがダイバーの願いなのだ。ちがうスタイルのダイバーも居るが、僕のスタイルは、「翼をください」できるだけ質量の軽減を目指している。 古いレンタル用の5mmは、事務所に山になっていて、使えないことはないのだが。新しいウエットスーツを作るとき、3mmにしようか、5mmにしようか、3mmにした理由は、フリッパーレースに出ようとしていたこと、5mmは、古いながらもある。そして、ウエットを着るのは、夏、そして南の島、といいうことで3mmを作った。3mmの方が着やすいし、動きやすい。ウエイトも軽い。 7月の伊戸は、この3mmを着た。午前のダイビングで20度で寒さに震えたが、耐えた。午後は23度で寒くなかった。これで、現時点の僕は、23度ならば3mmで大丈夫とわかった。 波左間は23度から、25度だという、ならば、3mmウエットで良いだろう。しかし、念のためにドライも持ってきた。 潜る寸前、3mmのウエットに決めた。  前回、ドリームのことを書いた。ドリームにまず潜りたい。まだ、ダイバーがあまり潜っていない、魚が落ち着いている状態でドリームに潜りたい。ところが、波左間の定番は、一本目が高根神社の参拝で、二本目がドリームとなっている。ボートに乗るのが、僕たちだけではない。 僕のグループも、マトンは、高根の顔をしている。高根となった。 
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 最近、前回のお台場で調子を見て、BCのウエイトポケットにウエイトを入れるのが、なかなか良いと思っている。ベルトは、僕の体型の場合、水中で一度締め直さないとずり落ちてしまう。 ウエイトは4キロで良いと思うが、念の為に1キロプラスして、5キロにした。  入った時には、つめたかったが、さほどでもない。高根は、神社は別として、きれいで生き物の多い根なのだ。キンチャクダイ、キンギョハナダイ、メバル、エゾイソアイナメを撮影する。
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 BCに5キロのウエイトを入れた。左が2キロ、右が3キロ、3キロの右に身体が傾いてしまう。ウエイト5キロというのは、ウエットスーツの定番で、ウエイトベルトでは、これほどまでに身体が傾いた経験がない。ベルトは身体に密着しているが、BCでは少し身体からはなれて、ウエイトをつり下げた感じになる。バランスの悪さがかなりつらい。 少し移動して、古いイセエビ礁の積み重ねに移動した。イセエビ礁とは、イセエビが入り込むスリットがある人工魚礁である。カゴカキダイが群れている。
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スリットにイセエビが入っているか、丹念に調べたいが、少し寒くなってきた。残圧が80を切った。ブリーフィングでは、残圧75がターンだった。ガイドをしてくれている荻原君にゲージを見せるとすぐにターンとなった。 ところで、泳ぐとのろい。力を入れてものろい。バランスが悪いからか?  二本目 潜水開始 13:44 最大水深 23.4m 潜水時間 29 水温 23℃ 一本目にこのデータがない。ダイブコンピューターを着けるのを忘れたのだ。必ず何か一つを忘れるのだが、ダイブコンピューターが多い。
ダイブコンピューターなどどうでも良いパターンの潜水が安全なのだ。マルチレベルはやらない。20m前後にとどめる。
 30mを越えるような潜水。南の海で、減圧不要ぎりぎりまでダイブコンピューターとにらめっこをするような潜水が減圧症を発生させる。 もちろん、30mを越えることはあるし、4本でも無制限でも潜り倒したい海もある。そのときは、ダイブコンピューター様になる。ダイブコンピューターだよりになる。これは、危ない。減圧表頼りにしなければいけない。でも、たよる減圧表は、みんな、どこかに置いて忘れ去っている。僕の場合スマホに減圧表を入れているが、このごろ、見たことはない。そういう潜水、やらないようにしている。できない?  ドリームに魚は少なかった。10ー15cm級のメバルが多いはずだが。魚礁の外に出ていた。それも数は、50ー100だろう。二桁の群だ。ちなみに群を数える時、一桁か、二桁か、三桁、無数 とする。 カワハギはいつも通りちらほら、オオモンハタが、40cm級が1、30cm級が1、イラ50cm級1キンチャクダイ、チョウチョウウオ、シラコダイ、ネンブツダイの群。ネンブツダイにイサキは混ざっていなかった。
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 2m角が3段だが、横に7列、縦に10列だが、横は5列が3段、両側の各一列は2段である。 底の部分の水温が低く、寒さがきつくなったので浮上する。萩原君には、前もって、先に上がると言っておいたが、一人で減圧点まで上がってみると心配をかけてはいけないと気がかりになり、5分が過ぎてもしばらく待ち、小山が上がってくるのを待って上がった。一人で難なくボートに上がった。ドライで、10キロのウエイトを着けたら一人では、あがれないだろう。ウエイトは4キロで良いバランスだった。  2本目の帰りに、ちょっとジンベイを覗いて見るのかと考えていたのだが、そうではなくて、タンクを換えて、一本として、独立して行くのだ。 僕の残圧は70キロ、水深は6mだから、そのままで良いと換えなかった。 ジンベイはちょっと見れば良い。  ダイブウエイズの新型マスク・アイアイはきちんとつければ水は一滴も入らないのだが、いい加減に着けるとどんどん水が入ってくる。そうなると水中では容易には浸水がとまらなくなってしまう。ラクーンは、きちんと着けてもいい加減でも、ちょっと水が入るがひどいことにはならない。ラクーンを愛用だがこのところアイアイの調子が良かったので、アイアイを使っている。それが、このジンベイで、アイアイが水没した。懸命に、直しているときにジンベイが頭上を通過した。あわててカメラを構えたが、胴体から後ろの通過シーンになった。 ジンベイは待っていれば2分に一回ぐらいで回ってくるので撮影する。あまり追い回さないでほしいと言うことになっている。
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 この一回目のコンタクトでGoProのバッテリーがあがってしまった。ニコンAWだけになる。ニコンのチャージアップののろいスチルでは、ジンベイの通過は追えない。連写にすれば?連写でどうなるのか、経験がない。ニコンの動画は悪くない。次のコンタクトで、ニコン動画操作、焦って失敗してしまった。直径50mの囲いなのだが、透視度が8ー10mだから、見通しが利かない。突然の出現、だいたいの見当はつけているが、それでもかなり難しい。この難しさが面白さだな、と思うが、70キロの空気はあと10ぐらいになった。プールだから心配はないのだが、あと一回のコンタクトだな、と待つ。最後の一回、少し併走してみた。ゆったりとジンベイは泳ぐともなく泳いでいるのだが追いつかない。トライスターフィンはのろいのだ。バラクーダでスキンならば併走できる。しかし、10人ものダイバーが追い回したらジンベイはどうだろう。でも、見たところ、それほどナーバスな魚ではなさそうだが。 でも、とにかく最大の魚であることはまちがいない。そして、メンバーみんなは、良い撮影ができたらしい。 それから、波左間は人工魚礁ランドだと言ったが、ジンベイは魚礁なのだ。泳いでいるから礁ではないが、魚を集める。黒潮の洋上で、カツオなどがジンベイに付く、漁師がウオツキ (魚付き)というのは、ジンベイ付きの事なのだ。ジンベイをコンパスの中心とすると、半径1キロぐらいの範囲にカツオが付く。ジンベイ様と呼んで、漁師がジンベイを尊重するのはこのためだ。 三本目 潜水開始 15:23 最大水深 6.7m 潜水時間 23 水温 28℃  3本潜水してシャワーを浴びて、ほとんどのお客が帰って、ようやく荒川さんと少しゆったりと話すことができた。ドリームの整列は、やはり荒川さんがダイバー作業でやった。4日ぐらいでできたらしい。作業会社経営で現場作業のベテランであった彼だからできた。 スガ・マリン・メカニックでも、隣の板田にある海洋大学の海域内の魚礁を整列させた事がある。まだ、宇野先生が現役の教授でお元気だった頃のことだ。そのことについては、また。  
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 ボートに上がる 谷ヤン サービスショットです。

福島 ワークショップ

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 8月28日のワークショップ、ダイビングの安全とか、ダイビング機材とか、ダイビングそのものに関わることではなく、ダイビングでする事、対象についてのワークショップだった。そして、その対象も、自分たちの活動に関することで、一般的な事ではない。自分たちの活動計画のPDCAの部分を公開する。
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守屋さん
  なるべく他所の仲良くしている団体とは企画がダブらないようにしようと、枠を狭めると、テーマが尽きてしまう。

 沖縄の大学院で事故があった。PDCAのサイクルを廻していれば事故は起こらなかった。と思う。それが公開されたものであったとすれば、そのサイクルで起こった事故の社会的な責任も小さくなる。そして、その事故もPDCAに組み込んで公開で議論できれば、、事故防止に大きな力になる。そんなことできないとわかっているけれど、もしできれば、と思う。 自分たちの活動の底まで公表してしまう。もちろん機密に類することもあるだろう。また、その反面として、PRができるという利点もある。プランに客観的な評価をしてもらえるメリットもある。 そんなことで、今回のワークショップを調査研究ワークショップとして、これまでのワークショップとコンセプトがちがうと言う意味で第一回とし、通算で第17回となった。 自分たちのPDCAだから、計画に参加、応援してくれている会員だけが来てくれたと言う結果になるかもしれないが、誰でも参加できるよう公開と銘打ったが、20人来てくれれば良い。それでも、10人が良いところかなと予想した。  選んだテーマは、2011年12月から2012年2月にかけて、理研の守屋さんと組んで、福島県いわき市久ノ浜で行った放射性物質調査と、現在、そしてこれからも中心機材として使っていくスペクトル分析機についての二つである。一回に二つのテーマをやるのも初めてだ。 いずれにせよ、一般のテーマではない。 にも関わらず、30人、ちょうど借りた研修室の定員だった。JAUSワークショップ初めての満員であった。この前の満員はJCUEとの共催、DPVの話だった。今回のテーマは、マニアックを通り越して、自分たちだけ、個のテーマなのに、である。 守屋さんのテーマは、僕たちの調査の出発点であったから、PDCAのC,チェックにあたる。  原発から放射性物質が吹き上がり、危険な放射性物質が飛び出した。水中にも溶け込んだ。その水中に魚を入れても、魚に放射性物質は入って行かないという実験結果がある。なのに魚の体内には放射性物質が蓄えられて行く。それは食物連鎖、フードウエブを通しての吸収である。その食物連鎖の底辺、入り口が微生物、プランクトンとバイオフィルムである。
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 プランクトンはおなじみである。僕はプランクトンが食物連鎖の底辺だと思っていた。しかし、バイオフィルムは、食物連鎖のさらに底辺であるとともに、プランクトンと双璧をなす。 バイオフィルムとは、身近では流しのぬるぬるであり、海底では岩の表面に付く薄い膜のようなものである。 バイオフィルム、そして、マクロベントス、小さい底棲生物を採集して、実験室内でガンマ線のスペクトル分析、 をする。水も採水して分析する。 これが、研究の組立である。
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 水中では、守屋さんと鈴木が組になって採集、採水を行う。須賀は、俯瞰撮影記録とカウンターを持って放射線量を測定する。 調査の基本であるライン調査を考えて鉛ロープを引いて採泥、採集を行おうと考えた。 しかし、水中は濁りと波浪、そして寒さとの戦いだった。水温は1月には5度まで下がった。海が荒れるので、堤防の内側での潜水が多かった。港内は表より冷たいのだ。守屋さんは、6.5のウエットで通した。研究者はマッチョな人が多く、守屋さんもその典型の一人である。僕はドライである。
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 今、振り返ると、2011年にもこの講演、発表程度の打ち合わせがまずあり、研究内容についての組立、知識の共有があれば、よりスムース、効果的な潜水作業ができただろうと考える。このワークショップの今後の必要性を強く感じた。 ※放射性物質とは、神経を尖らせる問題であり、実際にはプランの段階で公表できないことが多いが、メンバーの内で公表しないワークショップも考えられる。  学術的な、研究の成果に付いても発表説明されたが、これは、わからない。 わかるのは、調査が行われた2011年当時、水には放射性物質は無く、バイオフィルムには、マクロベントス(カイメンとかヤギの類など)よりも多くがのこっていた。  高野さんの講演は、放射性物質とは何か、放射線とは何、放射線のうちのガンマ線を測定するのだが、その測定の方法についての発表だった。 守屋さんの講演と重ねれば、放射線と放射性物質、生き物とのかかわりを頭のなかで、組み立てることができる。 ここまできて振り返ると、2011年当時、いかに僕たちが、いや、僕が、無知のまま放射線と取り組んでいたかが、わかる。そして、このようなワークショップで計画を検討し、実際にやってみて、その結果をフィードバックすることの有意性がわかり、また、おのようなチェックでワークショップをやることで 実際的な知識になることを感じた。 冒頭に書いたように、これは潜水の安全確保についても言えることだと思う。  高野さんの講演で、強調されていたことは、光電管(ガラス)を使用する繊細な測定装置の脆弱性であり、この前、2月の調査では、よくも無事だった(分析機が)と思う。 そして水中では10数センチ離れると測定に意味がなくなってしまう。僕らは、身体に着けている線量計のイメージで測定をとらえていた感じがする。汚染された海中に入れば、数値が高くなると思っていた。事故直後の水中の状態はわからないが、とにかく、陸上と水中は違う。 水中での測定のマニュアルが必要である。  今回の発表、一般のダイバーには、ほぼ無縁であり、このテーマの選択の是非について、心配したが、1時間半の講演を熱心に聴いてくれ、質問も多くでた。ダイバーとの知的好奇心、知的レベルの高さを感じた。 次回は、いわき市江名の人工魚礁調査について、とりあげたい。4人が潜水して、三人がウエアラブルカメラを着けている。その3人の動き、動線を解析して、(解析できるのか?)この調査方法の有効性、そしてスペクトル分析器との関連を見て、今後の調査の方法を論じたい。  守屋さんの発表のまとめの一つは、「特定の資源に注目するのではなく、復活していく沿岸生態系をつぶさに観察していくチャンスでもあるのではないか?」僕たちの考えと少し違うところもあるが、沿岸生態系を、放射性物質の行方とともに、つぶさに継続して観察して行くことは、僕たちのなすべきこととして重要だと考えている。  今回は成功、次回は失敗かもしれないが、失敗したとしても、その失敗から得るもの、自分が得るものは大きいはずだから、この方向で良い。 そして、このワークショップシリーズの最後は、2月の調査で何をどのようにやれば良いかの提案、計画の検討をやりたい。  守屋さんとは、もう一度一緒に仕事をしたい。高野さんは現在進行形で一緒にやれている。お二人とも本当に魅力的な人だ。 もう一人2011年の調査で、守屋さんのアシスタント役をしていた木原さん(女性)当時東京工業大学の研究生?、タフで港の猫に好かれていた。なぜか、彼女が行くと、猫が寄ってくるのだ。今は熊本の高専の先生で、生物物理学の研究室を持っているとか。生物物理学って何だ?もと水泳選手だったとかで辰巳にもきてくれた。東京にいれば、だけど、 

0901 海底二万里

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 海底二万里150年読み継がれている 世界初、潜水器で潜水する冒険SF 
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 左は新潮文庫 右は岩波文庫
 ※「ダイビングの歴史」のコラム の下書きの下書きである1864 ☆1864年、フランス人鉱山技師ブノア・ルーケロル Benoit Rouquayror)とフランス海軍軍人のドネルーズ(Denayrouze)は、背中に球形の小さな空気容器を背負い、後のアクアラングの原型とも言えないことはないレギュレーターを使った潜水器を作った。未だ、タンクの耐圧が低く、救急脱出用程度の時間しか呼吸を持続できなかったから、ホースで空気を送る送気式として使われた。フーカー潜水機の祖である。 1870   ジュール・ベルヌは、今も読み継がれる「海底二万里」に、このルーケロルの潜水機を使っている。 岩波文庫「海底二万里」朝比奈美知子訳から ノーチラスのネモ船長が教授に潜水機について説明する。「ルーケロル(※ここでは、名前について、この本の訳文で使っている読みを使うことにする)ドネルーズ装置を使うのです。中略 装置は鋼鉄製の厚いタンクになっており、その中に50気圧で圧縮した空気が備蓄されています。そのタンクは背負いひもで兵士のリュックサックのように背中に固定されています。その上部は箱状になっていて、そこから空気が出てきますが、ふいご装置により調節され、通常の圧力弟子かでてこないようになっています。中略 わたしは、海底で相当な水圧を受けますから、頭を潜水夫のように銅製の球状キャップで覆う必要がありました。この球には、吸気と排気の二つの管がとどくようにしているのです。」

 8時間潜水可能ということで、何か特別の酸素発生装置をつかっているようなことを考えていた。しかし、単純に50気圧の充填圧だった。ベルヌの想像では、50気圧で一日半の潜水が可能だったのだ。当時、1870年には、50気圧でも途方もない高気圧だったのだろう。

 潜水服については、「船長の合図で二人の乗組員がやってきて、この水を通さない重い服を着るのを手伝った。それは縫い目のないゴムでできており、相当の圧力に耐えるようにつくられていた。まるで柔らかくて丈夫な鎧のようだった。服はズボンと上着から成っていた。ズボンの先端は鉛の靴底のついた厚い靴になっていた。上着の布は銅の薄片で保護されていた。それが胸を装甲して、水の圧力から守り、肺が自由に動ける用にするのだ。袖の先端は柔らかい手袋になっており、手のいかなる動きも妨げないようになっていた。」 これで見るとドライスーツであることは間違いないが、大気圧潜水服であったかどうかはわからない。しかし、ネモ船長らは、この服で300mまで潜るのだ。 そして、急浮上は危険だとも書いてある。もちろんSFの世界だから、これで良いのだが、セミ大気圧服とでも言おうか。 とにかくこの装備で一日半以上、水深300mまで潜る。潜水してのシーンも多く。潜水冒険小説でもある。

 ベルヌの1870年からおよそ150年、人類はまだ海の中でベルヌの描いた夢を実現していない。 そして、人類の夢は有人潜水から去ってロボット、無人潜水機に移っている。  南フランスのエスパリオン(Espalion)は、このルーケロル潜水器が生まれた街であり、記念の潜水博物館がある。ここに行けば、この潜水機の実物が見られるはずである。行っていないので、1870年のものか、レプリカなのかわからない。エスパリオンは、たしかこれで実際にルーケロルたちが潜水テストした川であり、博物館では 潜る実験、イベントを行ったはずである。 日本でも、大串式のレプリカを作って実際の潜水をするくらいの文化があれば、と夢見る。 ところでベルヌはフィンを履いて魚のように泳ぐという発想をしていない。ベルヌは泳げなかったのだとおもう。  映画「海底二万里」はディズニー映画であり、ディズニーシーには、ノーチラスの展示がある。僕はまだディズニーシーへ行っていない。近々のうちに行きたい。行かなくては。 ディズニーシーの潜水機はルーケロルの形ではなくて、ディズニー映画のために作ったもので、その潜水服は、東亞潜水機で作ったと聞いている。  なお、文庫の海底二万里の挿し絵も好きだが、アルフォンス・ド・ヌーヴィルが書いた。知らない名前だけど。
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 いろんなブログを書いているので、終わりのところで、整理して書いておくことにした。今書いているブログをジャンル分けすると。 ① 記録 ログ ② 下書き できれば出版を目指す原稿の下書きのさらに下書き。 ③ 考えの整理  で、現在ぶら下がっているものを書き出す。 ① の記録は、どこかにダイビングに行ったり、ワークショップなどイベントをしたものはここにいれる。お台場潜水、なお、館山は人工魚礁と重なるので、人工魚礁のセクションに入れる。 ②の①人工魚礁 ②の②ダイビングの歴史  ③の① ワークショップ企画の整理     次回ワークショップのテーマ ヘッドマウントのウエアラブルカメラによる人工魚礁調査解析 例いわき市江名魚礁 福島第一調査にどのように展開するか。 ③の② ダイビングの安全(危険)と運の関係 これは一回目を書いてあるけれど、いろいろ差し障りがありそうなので、キープ(出さない)している。  さて、今書こうとしているのは、②の②ダイビングの歴史である。 2016年のシンポジュウムで、最新ダイビング用語事典Ⅱの制作を発表した。そのメインテーマをダイビングの歴史として、シンポジュウムの小展示も船の科学館の展示品を借用してマスク式潜水の沿革(歴史)を発表した。 最新ダイビング用語事典のⅠは、事典である。最新ダイビング用語事典Ⅱも事典としたから事典(なんだか変)と考え、その一部が年表の充実とした。しかし、資料を集めているうちに、もうこれは最新ダイビング用語事典ではなくて、「ダイビングの歴史」としてしまった方がすっきりする。ダイビングの歴史の中で、現在も語れるし、未来も語れるのだ。  ダイビングの現状について、いろいろ意見がある。ダイビングの近未来についても、いろいろいいたい事がある。 自分としては、ものを書くときに、誰かが一生懸命やっていることを貶さないという原則をたてている。それは良いのだが、批評してはいけないというのは、不自由である。 歴史の流れの中で、現在について、未来について語れば、批評ではなく自分の意見が言える。 

0903 人工魚礁 2

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                       ニライ パヤオ  魚はムロアジの類


人工魚礁 前回はドリーム魚礁についてまず話した。少しおさらいすると、ドリーム魚礁は、2m角のコンクリートブロック165個を3段にきちんと積み上げた整列魚礁(そんな名称はないので仮に)で、横に5列、縦に10列、50が3段だから150だが、実際には真ん中の3列だけが3段で両側は2段である。165の計算が合わないが、どこかにある。 波左間海中公園(人工魚礁ランド)の荒川オーナーに聞いたところでは、この整列は荒川さん自身が実行したものだという。 現況については前々回のブログをみてください。

 さて、ここから人工魚礁とは何だ。どういうものなのか、いつごろ始まって今の状況は、書いて行くのだが、まず、人工魚礁とは何だ。 日本水中科学協会で2012年に作った最新ダイビング用語事典から引用する。 魚礁 Fish reef,Fishing reef, Fish shelter 魚が多く集まり、漁場として利用される場所を言い、自然の地形によるものを天然礁、人工的に造成されたものを人工魚礁と言う。ダイバーが海底地形を楽しむドロップオフ、アーチ、ホールなどは多くの魚が集まっている天然礁である。  どうして魚が集まるのか?およそ生き物というものは、何かより所があって、理由があってそこにいる。人間は、家が必要であり、原始の昔には洞窟に住まいした。洞窟がなければ穴を掘り、何かで覆ってそこに入った。 魚も同様で、隠れ場所、寝る場所、何かが必要なのだ。大洋を泳ぎ続けて生活するマグロなどはどうかというと、これもより所があればそこに留まる。より所にたいする執着はそれほど強くないのであろうが、それでも、流木、ジンベイザメ、ほんのちょっとした何かに寄りつく。浮き魚礁、パヤオというのがある。回遊性の魚を引きとめ、集める魚礁である。そして、魚を集める伝統的な方法に漬けというのがある。
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                        シイラ  後ろはツンブリ
 シイラ漬けというのは高知県沿岸に盛んな漁法(九州でも盛んだが)で、長い竹で細長い筏のようなものを作り、アンカーで止め浮かしておく。竹5ー6本。長さは竹の長さ、小ささな筏だ、この筏の下にシイラが集まる。シイラは引き釣り、トローリングにもよくかかる回遊性の魚だ。ここで回遊魚というのは、磯についている磯魚に対応する言葉で、何時も泳ぎ回っている魚という意味である。もちろん、広く回遊する魚も入る。 一軒の漁師さんは、だいたいこの漬けを20ー30ぐらい持っている。 毎日、この漬けを見て回り、もし魚が充分に居ることが見て取れたら、巾着のような網、小さな巾着網を筏の近くに張る。 長い竹竿の先に、はたきのようなひらひらを着けたものを筏の下のシイラの前でひらひらさせると、シイラはなんだなんだ?と集まってくる。そのひらひらで、シイラを網の中に誘導してきて、後は巾着をしぼって獲ってしまう。  沖縄にも漬け、沖縄ではパヤオと呼ぶのだが、フィリピンでも同じような漁をして、これもパヤオである。フィリピン語科、沖縄語か、どちらの言葉かわからない。この漁を始めたのはどうしても、沖縄の方が先だと思うのだが、名前はパヤオ、沖縄語ではなさそうだ。沖縄には、このパヤオが、150とか、もっとあるのかもしれないが、沖縄の漁師さん、ウミンチューは、このパヤオの周辺で釣りをする。
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                  組合パヤオ

 パヤオは、個人で入れるのもあると言いうが、統制がとれなくなってしまうので、組合単位で入れたり、大がかりに国家的な事業、人工魚礁事業であるが、として入れるのもある。人工魚礁事業の場合には大きな灯標で、台風などでとばされる事がないように、太い鎖で海底にアンカーを入れて留めている。沖合遙かに入れているので、深さ数百メートルのものもある。
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                  ニライ パヤオ
 大きなパヤオには名前が付いていて、沖縄では、ニライ1号から たしか14号まであったはずである。ニライとは、海の彼方にある理想郷、ニライカナイからとった名前だ。実は僕は65歳の時に、この大型ニライパヤオの撮影をしていた。今から17年前だから、少し状況が変わっているかもしれないが。 思い入れがあるので、別に独立して、一つ、パヤオ編を書くつもりだったのだが筆が滑ってしまったので、ここでパヤオについて少しばかり書くことにする。 ここで、言いたいこと、書きたいことは魚はどんな魚でも、どこでも、何か、芯に集まるということである。 大型のニライパヤオに潜ると、流れがあるので容易ではないのだが、とにかく潜ると、まず、パヤオ近くに、ツンブリが、必ずのようにふらふらしている。ツンブリは、虹色の美しい魚で、おいしいらしい(食べたことはない)らしいが、あまり市場性のない魚だ。しかし、僕が撮影したいのは、マグロ、たぶんキハダマグロである。漁師さんによれば、キハダは、80ー100mの深みに集まっていて、夜にならないと浮いてこない。釣るためには、餌で浮かせて釣るのだと言う。夜まで待つわけには行かないが、とにかく待とう。ベストを尽くす他ない。 チャーターした船の代金は8万だったと思う。三日分ぐらいしか予算は無い。三日目だったか、水面近くで見張っていると、ざわざわ、というかシャーシャーというか、音が湧いてきた。下を見ると真っ黒に群れた魚が下から沸き上がってくる。もちろんシャッターを押し続ける。そのころはまだフィルムだから、そんなに数は撮れない。それに必ず何枚かは残しておかないと、本当に撮りたいものが出てきたときに、フイルムアウトになる。デジタルになってからは、ほぼ無制限にとれる。沸き上がってきた魚は、30cmほどもある大型のムロアジで、マグロに追われて浮いてきたのだろう。ならば、マグロが下にいる。50mほどまで急降下したが、マグロは見えなかった。しかし、予算も尽きたし、これで、沖縄のパヤオはあきらめることにした。 しかし、マグロはあきらめ切れない。マグロを追って、土佐の高知の、黒潮牧場と名付けられた大型パヤオに行くのだが、ここでは、そこまで、脱線するわけには行かない。魚礁とはなに?に戻らなければ。 黒潮牧場での冒険、危機一髪はまた別の機会に書こう。 土佐の黒潮牧場で、漁師さんに聞いたのだが、パヤオ周辺には半径500mぐらいにカツオ、マグロが集まり、半径1000mぐらいで、鮫がくるのだという。  回遊魚も魚礁に集まる。それでは、磯魚は、磯に集まるから磯魚であり、磯とは魚礁のことだから、これは当然なのだが、その集まり方は。 人工魚礁の研究では、集まり方をⅠ型からⅣ型まで四つに分けている。 まずⅠ型は、身体の一部がとにかく磯に魚礁に接していなければ生きて行かれない魚、魚が魚礁に集まる性質を魚礁性などと言いうが、魚礁性がもっとも強い魚、すなわち磯魚である。 アイナメ カサゴ、キジハタ、マハタ、オコゼ、マダコ など Ⅱ型 身体は魚礁に接することは少ないが、ごく近くに居る種類、これも磯魚と言える。 マダイ、クロダイ、イシダイ、メバル、イサキ、カワハギ、ウマヅラハギ、メジナなど。 Ⅲ型 主として、魚礁から離れた表層、中層に位置する種 マアジ、マサバ、ブリ、ヒラマサ、カンパチ、クロマグロ、カツオ、シイラなど いわゆる回遊魚、先に述べた浮き魚礁に集まる魚でもある。 Ⅳ型 主として魚礁周辺の海底に位置する種 ヒラメ、カレイ。アマダイ、シロギス。カジカ など  これで、ほとんどの魚が何らかの形で魚礁に集まるものだとわかったと思う。 魚は磯魚の回遊魚に分けられ、回遊魚も磯に、人工魚礁に集まる。集まり方、磯との距離に差がある。なお、魚が魚礁に集まることを蝟集と言う。蝟集 イシュウ 群がり寄ること。一般にはなじみの薄い言葉であるが、沿岸漁業整備開発事業の用語として、魚が群れ集まる表現として定着している。例えば、蝟集状況などと言って、魚の集まり状況を表すようにしている。

0906 人工魚礁 3

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写真は 大磯の潜水艦 魚礁 
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前回は浮き魚礁のことを書いた。 浮き魚礁の調査について前にブログに書いているので、できれば、見てほしい。 2015年9月26日 巨大浮き魚礁 http://jsuga.exblog.jp/24935387/ 2015年9月28日 巨大浮き魚礁でマグロを追う。 http://jsuga.exblog.jp/24941539/  なお、沖縄のパヤオについて、旧友で宮古島に行くたびに必ずお世話になっていた、24ノースのオーナー渡真利さんから、パヤオを沖縄にフィリピンから持ってきたのは、お父さんが平良の漁業組合長時代にフィリピンから導入したということで、これが、沖縄本島に行き、さらに、四国土佐に降りて行ったということなのだろう。 そして、さらに宮古のニライでキハダマグロが楽々と撮れたみたいなことを書いている。クロボクよりも、宮古の渡真利さんのところのニライに行けば良かったか?。親しい仲なのに情報の流通が今ほどではなかった。しかし、クロボクの冒険も減圧症などになっていれば、さぞ悔やんだことだろう。 ただ、そのニライ号も今は無いという。漁獲効果がなかったわけはないとおもう。老朽化して引退し、後継機が作られなかったのか。 浮き魚礁は、その年によって、潮流の関係などで、ポイントがはずれるとまるで魚が来なくなる。効果がなくなって、終わったのか。 ここから、人工魚礁の歴史について、 最新ダイビング用語事典から人工魚礁の沿革 水中に石や樹木を沈めて魚を集め漁獲を容易にした「柴漬け」、「石釜」などが人工魚礁の祖型と考えられている。歴史上に残されているものは、1652年には土佐藩の野中兼山が投石魚礁を浦戸沿岸で実施して以来、江戸時代、明治時代には沿岸各地で実施された。1935年頃には築磯と言う名称でコンクリート魚礁が利用され始め、1950年代になって人工魚礁という名称で国の事業として実施されるようになり、1970年代には沿岸漁場整備開発法の施行によって事業規模が大幅に拡大された。  1935年が本格的に魚礁事業が始まったといえるが、それ以前には、日露戦争や第一次大戦で活躍した軍艦などで、不要になったものが、沈められて、魚礁になった。 館山湾では、湾の中心付近水深25mぐらいに、水雷艇を沈めた水雷根と呼ばれる魚礁があり、僕と舘石昭さんは、1960年代の初頭、この水雷根を根城にしてよく潜った。当時は水雷艇の形がとどまっていて、狭い、畳三畳敷ていどの船室に入ることが出来、船室の前後左右がイセエビで詰まっていて、イセエビの中に入るような心地だった。写真が残っていない。舘石さんが持っていたかもしれないが、残念。  つい最近と言っても、2005年頃だったと思うが、どうしても水雷根にもう一度行きたくて、水産工学研究所の試験船「鷹丸」で調査した。水雷の位置には1。5角のコンクリート魚礁が散乱していて、水雷艇はない。おそらく、魚礁ブロックの爆撃でつぶされたのだろう。船の丸いガラス窓が一個だけ、海底で寝ていた。 散乱している魚礁ブロックはかなりの数があったが、イセエビなど一尾も居なかった。 伊豆では、電車とかバスも魚礁として沈められていたが、おそらく同様だと思う。 参考に大磯にあった潜水艦魚礁をしめす。これも1970年代の写真なので、今は崩れてなくなっていると思う。 大磯は人工魚礁オリンピックが行われたところ、今一度行って見たい。
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 写真  大磯の潜水艦  人工魚礁初期のいきさつを別の視点から見てみよう。 参考にしたのは、「人工魚礁技術研究」いまこの報告書は、継続していないが。人工魚礁の基本的なことを調べるには良い資料なので、大事にしている。2000年9月 第二巻1号 通算2号「魚礁事業について 高頭芳雄 」昭和37年ー39年 1962-1964に刊行された資料を抜粋して掲載している。執筆者は水産庁漁業振興課のお役人である。 その中から、データとして必要部分を書きだした。「戦前 昭和7ー8年頃(1932-33)に沿岸漁業振興の為に、石材、沈船礁造りなどに事業補助が行われた。」 これが、国としての補助の始まりであったのだろう。館山の水雷などもこれにあたるのだろう。「昭和27年から浅海増殖開発事業が取り上げられ、約7カ年計画で実施された。」「29年から36年の8カ年で並型魚礁として、コンクリートブロック、約266000個が投入された。大部分が1m角」  これがコンクリートブロック投入の本格的な始まりであり、大学4年生の僕が浦賀、鴨居漁港で危機一髪のエア切れをやったのは、この頃に入れられた魚礁であったと思う。考えて見れば魚礁事業の開始から潜水している。この潜水については、ニッポン潜水グラフィティに書いている。 その後魚礁設置事業は加速度的に規模を大きくしていく。日本の水産が魚のためにやれることと言ったら魚礁事業くらいしかないのだ。
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 魚礁事業の始まりから、かなり後まで、投石(石材)と魚礁ブロックとどちらが効果が高いかの議論があった。投石事業の歴史は古い。先に述べたように江戸時代にさかのぼる。 差し渡しが1m以上の大きな石をただどかどかと放り込めばいい。イセエビは、石と石の不定形、不規則な隙間に棲み付く。  イセエビの本場?である伊勢志摩の方に行くと、イセエビ礁として投石礁がある。
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                写真、安乗のイセエビ目的の投石礁  投石ですめばコンクリートブロックなど作らなくて良いのだから、コストパフォーマンスは良い。 我が館山沿岸には投石礁は見られないが、(あるかもしれないが、知らない)伊豆七島は、投石フアンが多かったらしく投石礁が多い。 また、コンクリートブロックの初期の型は、角型の立方ブロックの他に、円筒形の横に窓を開けたような円筒ブロックもあった。
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 埋まる途中の?円筒ブロック
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 円筒ブロックの方が丈夫である。立方体の方形ブロックは、業者が手抜きをしてセメントの割合を少なくすると、枕設するときの落下のショック、あるいは重なったショックで壊れてしまう。初期にはよくそういうことがあって、人工魚礁調査の一つの目的として、枕設時の破損状況を調べるという項目があった。 円筒は丈夫だが、洗掘を起こして埋没してしまいやすい。砂地に魚礁をおくと、波や流れが、魚礁に当たった部分で巻き上がり砂を巻き上げる。砂が巻き上がり次第に掘れて行く。魚礁の周りが掘れて次第に沈んでいき埋まってしまう。消えてしまうのだ。立方形のほうは、真ん中を水流が抜けていくので、円筒ほどは掘れない。しかし、掘れて沈んでしまうことは、底質により、また地形、流れの程度によって、多かれすくなかれ、掘れて沈んでしまう。この洗掘の問題、その程度の調査も人工魚礁調査の項目の一つであった。 福島県沿岸は掘れやすい場所で、初期に投入された魚礁はたいてい沈んでしまった。 魚礁を枕設する場所の選定条件として洗掘がおきにくい底質を選ぶ。しかし、魚礁を置きたい場所は洗掘が起きやすい場所が多くなかなか難しかった。  魚礁事業の初期のころから、2000年頃までだろうか、並型魚礁、大型魚礁、という呼びたがあった。 最新ダイビング用語事典より関連する語をいくつか示す。 並型魚礁  沿岸漁場整備開発事業期の事業名の一つで、合計容積が250空容積以下と魚礁としては最も規模が小さい。主に合のある漁港の側近に設置され、あまり沖まで出てゆかなくても、近くで操業できることを目当てにしている。数軒の漁家が生計を立てられる程度の生産性を目指した。なお、現在では並型魚礁の整備というくくりでの事業は行われていない。  人工魚礁設置事業が始まったころ、一辺が1.5メートルの方形枠型のものが標準型であったために、これを並型と呼んだことがあり、並型と呼んだ時に、1.5mの単体を指すのか,事業名をさすのかまぎらわしかった。魚礁一個、1。5m角の形状については、並型という表現を使用するべきではない。 空容積 (空m3)魚礁単体の大きさや事業量を表す単位で、魚礁部材で囲われた内側の容積を立方米で表している。その大きさは概ね魚礁単体の外側に沿って風呂敷をかぶせた内側の大きさに相当する。 大型魚礁 一個の魚礁ブロックが大きいということではなくて、規模を示す言葉である。複数の組合が操業出来るほどの規模であり、組合の中間地点に設置される。これも、現在では大型魚礁の整備というくくりでの事業は行われていない。 人工礁 水産庁が昭和51年から開始した沿岸漁場整備開発事業として、天然礁に匹敵する規模を有する漁獲目的の人工魚礁事業として実施されるようになったものである。事業規模が大きいから単年度で完成することはなく、5年間前後に渡って事業が実施された。他県の漁船も利用、操業できることを目標としている。これも、現在では人工礁の整備というくくりでの事業は行われていない。

  すなわち、従来のような人工魚礁沈設は終りになり、よりおおがかりな マウンド礁 など、および、より小さな、漁港区域内での増殖効果に移行している。沖合漁業の衰退が深刻になってきており、その力を入れなければならない事態 そして小規模な沿岸漁業は、水産業としてはどのようになるだろう。成り行きを見る他ないのだろう。その成り行きをレクリエーショナルダイビングの視点で見て行こうとしている。

 

0908 人工魚礁 4

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人工魚礁 4
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    12m鋼製魚礁 波佐間 前回を整理すると、人工魚礁事業は、1932年ごろから、公的な事業としておこなわれ、その初期には投石事業と魚礁ブロックの投入が行われた。コンクリートブロックは、0、8m角、1m角が多く、その事業規模に応じて並型、大型 人工礁 に区別していた。現在、新しい事業では、その呼び方は使われていない。 魚礁の目的は、魚を集めて漁獲する、すなわち副漁具と考えられるものと、魚を増やす増殖を主目的にするものがある。前回まで述べてきたパヤオや、漬けは、副漁具である。また、初期の人工魚礁では、漁港のすぐ近くに魚礁をおいて、自分の領分(漁業権区域)に魚を引き寄せようとするコンセプトが多かった。いわゆる並型魚礁の多くがこれであり、次にいくつかの組合が入りあって漁獲ができるやや大規模な大型魚礁が、そしてそれより大きい、県単位で使う人工礁ができ、さらに現在では沖合い漁業も対象になるような、さらに大規模なマウンド礁 など、へと拡大している。  僕たちが潜って見る人工魚礁は、組合近くに設置され、魚を引き寄せる半ば副漁具的な小規模な並型に相当するものである。 そして、組合地先の並型は、小規模な船外機付きボートの漁業の衰退とともに、忘れ去られようとしている。 私たちの波左間海中公園の魚礁ランドをはじめとして、この千葉県内房、館山湾沖の島を廻って、先端の州崎まで、沖の島から大賀、香(こうやつ、と読む)塩見、浜田、見物、西崎、波左間、板田、州崎、と10の組合がかつてあった。合併して一つの組合になったのだが、岸から沖に向かっての短冊のような組合地先は、死守されていて、人工魚礁はそれぞれの漁業権のなかに在る。例えば、波左間の隣の浜田の人工魚礁に波左間の舟で行って潜水する事はできない。これが、組合地先の人工魚礁だ。 漁業者が居なくなり、組合が朽ちて滅びるとともに、組合地先の魚礁も人の眼に触れることのない、まるで遺跡のようなものになって行く。
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 浜田にある丸一の魚礁 2年にわたって調査をした。3階建ての家のようなものだ。  波左間の隣の浜田には、新型の試験枕設として入れた家のような形の魚礁がある。これを作ったメーカーの依頼で1年間毎月調査に通って潜水した。素晴らしい魚礁だったが、残念なことにこの地域の魚礁としては、正式採用されなかった。僕が政治力がなかったからなのだが、愛着があるので、見に行こうとしたのだが、僕を乗せてくれていた船頭が亡くなってしまった。別の舟を頼もうとしたのだが、乗せてくれる漁師がいないのだ。釣りの貸しボート屋が、港を占領している。貸しボートで探したが、僕のGPSの記録が消えてしまっていて、見つけられなかった。もう一度行きたいのだが、まだ果たせずにいる。人工魚礁があっても漁師がいない。そして、その縄張りには隣の組合の漁師、舟は入ってこられない。 もう一度この人工魚礁にたどり着けたらそのことを書こう。  さて、これが、副漁具の人工魚礁も含めて、魚を集める役割の人工魚礁である。それとは別に魚介類を増やすための人工魚礁も考えられる。  最新ダイビング用語事典から増殖礁Artificialreef for nursery とくに特定種の産卵、保護などの増殖を目的として開発された構造物で、イセエビ礁、ヤリイカ礁、アワビ礁、○○○産卵礁、○○○保護礁など、対象種名や機能名を付した名称が付けられている。  ダイビングスポットでは、アオリイカ産卵を見るために木の枝を束ねて沈めているが、産卵礁の類である。この形についてはまた別の機会に書く。僕たちが調査観察する波佐間の魚礁は、魚を地先、目の前につれてくる魚礁である。☆★☆     魚を集める為には高さが必要と考えられている。 例えば20個の1mブロックを一面にばらまくか、積み上げるかの比較である。魚種にもよるし、潮まわりにもよるが、同一地点、同一の条件ならば、高さがあった方が魚は集まる。また、総容積も大きい方が効果は高い。  大きい方が良いならば、魚礁も1m角、1、5m角、2m角、3m、4m、5m、8mとコンクリートブロックは、大きくなっていく。大きくなった為に潰れないように梁をいれる。FP魚礁(商品名)は、大型魚礁のヒット商品である。波左間でも、2m角165個、これはドリーム それよりも岸寄りには、0.8m角、もありこれは昭和54年1979年の沈設で、これが波佐間人工魚礁群の始まりである。3m角は、ドリームのそばにあり、8m角もある。その他タイヤ魚礁というのもあり、鋼製魚礁もある。波佐間は、ほとんどすべてのタイプの人工魚礁が見られる。
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                 8m角のFP魚礁 波佐間
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                 3m角のFP
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                         0.8m角 これが波佐間魚礁群のはじまり。
 大きくするのが良いことならば、鋼製ならば背の高いものが容易に作れる。鋼製魚礁である。波左間に在るのは、水深、30mに高さ12mのものと、 水深35mで高さ15mのものが在る。 鋼製で良いとなるとどんな形のものでも作れる。 続く

0909 DIVER

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月刊ダイバー10月号を見た。最近、手元にあるダイビング雑誌全部、1970年代から現在まで、をスキャンして、タイトルを付けデータベースにする作業をしている。大事業で、全部というわけにはとてもいかないので、選択する。選択するためには見る。ダイビング雑誌については、ちょっとした権威になっているつもりになっている。
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ダイビング雑誌について書いたことはないのだが、この号は書きたくなった。 タイトルとして「さて、この週末どこに行こう?」この雑誌のグラビア部分は、僕とは、はるか彼方、遠い国の出来事だが、なるほどと感心すればいいこと。だが、今月号 もう10月、(充分に冷たい秋は、)自分の世界と重なっている。 週末の土屋アンナさんは、センスの良い人だが、産後、珊瑚ではない。産後初のダイビング。変換ミスに注意、そうなんだ。 P2、恩納村の女子旅、このあたりは眺めれば良い。 P3 伊戸のシャーク、これはこの前行ったばかり。ガイドロープにしがみついての激流、シャークタワー、今度、ディズニーシーに行く計画中だが、ディズニーシーの100倍はスリリングだと思う。 次が、西川名でヒゲダイの整列、そして、DPV, この前、西川名で、水面で激流の中で、突然DPVを渡されて、あわてたが、DPVで遡れた。そうか、西川名とDPVの組み合わせか、テクニック的にはかなり上級だろうが、テリトリー、コースを限定すれば、安全度は高い。 伊戸も西川名も激流の時があるが、ドリフトの流れとは全く違う。ガイドロープにしがみついて、乗り越えれば良いだけ、さっき書いたけど、ディズニーシーの何かコースターと思えば良い。もちろん、急浮上の危険とかは知っていなければいけないが、この雑誌連載の、「危機からの脱出」(かなりお気に入り)のような事態は起こらない。  東京湾の環境一斉調査の記事もある。月刊ダイバーは、女子旅と同じくらいのウエイトで環境をとりあげていて、須賀潮美も執筆している。自分が80になり、娘が相応の年齢になっても、親ばかであり、必ず読んでいる。この手の出来事の情報源として、貴重でもある。 もう一つ、館山には、波左間にジンベイがきたが、この号には間に合わなかったのだろう。潮美にでも、なぜ波左間にジンベイが現れ、そして、メガマウスも現れたのか海洋大学の河野教授あたりに訊いてもらいたい。おそらく、黒潮反流 僕の意見と違うかもしれないが、違う意見を聞くことがだいじなのだ。  その他、学生のダイビングとか、ダイビング世間の動きに対しては意見の違う部分があるが、雑誌で見なければ、意見の違うことは、異次元の世界だから、フィルターされて、眼に入らない。現状の情報源として、援けられている。  

0912 10日のお台場

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0910  お台場鈴木君に急用ができ、お台場は一人で準備、積み込み。朝の弱い82歳には少しばかりハードだ。今日は一回しか潜れないかな。いや、明日館山の潜水がある。一回にしよう。 朝の挨拶、一人一人簡単なお話をする事が最近の習わしとなっている。
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 ブリーフィングのあとも、僕はだらだらとして、準備を始めない。でも、やらなければ、意志の力が僕を支えているのだ、と自己暗示をかける。身体のつらいのは水に入るまで、あとは水に身体を預けてしまえば楽になる。 お台場は、周年ドライスーツと決めている。この数回、BCのウエイトポケットに4キロを入れている。この場合、左右を同じにしないとつらいことになる。今日はウエイトをBCの背中ポケットに入れることにした。この前までは、差し込み式のお腹ポケットに入れていた。背中の方が水平姿勢になりやすいのでは、と思ったのだ。今、BCは、タバタのリベレーターになっている。長年使い慣れた、アポロのプレステージは死んだ。 尾島さんにアシストしてもらってエントリーした。この前の前あたりまでは、エントリーは、人の手を借りないと突っ張っていたが、転んだりするとみっともないし、けがをする。足をひねって、ずいぶん長いあいだ足を引きずっていた。  エントリーしてすぐの浅場の岩が、魚が多い。スノーケルで這いながら、差し渡し50cmぐらいの岩の点在を見ていく。マハゼが多い。見える魚は全部マハゼ。このあたり、トサカギンポも居るはず。透視度は、1mぐらい。水深が50cmをこえると、スノーケルでは無理になり、セカンドステージに換える。 気がつく、吸気はセカンドステージの方が楽だが、呼気はスノーケルが楽、呼吸は。トータルではスノーケルが楽かな。 トサカギンポがいたので、止まって撮影するが小さい。 撮れているかどうかニコンを確認するとSDカードに異常があって記録できないとでた。エントリーする前に確認しなくてはいけない。今日の失敗一号か。カードをフオーマットしてみた。記録できるようになったので、先に進む。良かった。 水深1mを岩を縫うように見ていく。ところで、これは岩なのだろうか石なのだろうか。角があるから、岩としているが。大きな石の大きさだ。 背中のウエイトは、少し不安定で、身体が傾くと、意識して立て直さなければならない。腹のカマーベルトをきつく締め直す。 BCの空気を抜いて沈下して、動かないで周囲1mを静止観察する。なにもいないので、移動する。カニがこそっと動いても良いのに。  マハゼのふるまい。それぞれ、牡蠣殻の隙間、殻の下などにするっと身を隠すが、こちらが脅すまで隠れないでいたり、様々だ。目に付くのはマハゼばかりだ。少し先に進んで、岩の間にチチブが見えた。奥にはまだ何尾かいる模様、ナイフを取り出して、生きている牡蠣を開けて、置く。ハゼやカニが集まってくるはずだ。そこにいる魚の確認ができる。
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 チチブが集まってきた。10尾くらい。トサカギンポも3尾。集まってくるはずのカニの類がぜんぜんあらわれない。カニとハゼの餌争奪戦になるはずなのに、お台場は今、チチブと マハゼ多数、トサカギンポ少数だけだ。カニはどうしたのだろう。そして、マハゼはこの餌、開けた牡蠣には集まって来ない。食性がちがうのだろうか。  マハゼは十二分にいるが、どんどん種類が減っていく。種の多様性が失われて行くのか。お台場は、種の交代性とでもいうか、単一種が幅を利かせるのだが、それにしても、昔の方が明らかに多様だった。
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 さらに進んで杭のあたり、まみがカメラを構えていて、その先に死んだイシガニがあった。青白くなり、潰れたように動かないが。よく見ると、眼と眼のあいだ触角がかすかに動いている。手でひっくり返して見ようか。しかし、まみ、がねらっているし、共同の京極さんもカメラを構えている。手を伸ばして、2ー3枚シャッターを押して先に進んだ。杭のしたにもマハゼが潜んでいるが、撮るのには苦労だし、マハゼは一面にいる。戻ってきて、死んだイシガニはそのままだ。さわってひっくり返せば良かったのだが、なぜかそのままスルーした。死んでいる。 BCの背中に4キロは、良いバランスで、水平に浮いて観察できる。戻り道はフロッグキックで帰ってきた。 昼食が終わって、まみと、あのイシガニが生きているか死んでいるか、議論になった。僕は死んでいるといい。まみは生きている髭が動いている。ひっくり返して見れば良かった。2回目の潜水で戻ってきたまみは、やはり生きていましたという。同じ場所で動かないのだから、息はしているかもしれないが、死んでいるのと同じだ。どっちでも良いけれど。 
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 コンビニで買ったいなり寿司を食べて、ブルーシートに仰向けに寝る。椎の実が落ちるころで、あたり一面に落ちている。公園だから、栗鼠でも飼えばおもしろいのに。 椎の実がブルーシートの上に落ちると、パサッと小さな音を立てる。 気持ちのいい風が吹いている。顔の上に落ちたら、風流?30分ほど昼寝をしてしまった。椎の実は顔に落ちてこなかった。  もう一度行こうか行くまいか。朝は、今日は一回と思っていた。 体は充分に疲れている。 でも、トレーニングなのだ、と、頭の中で呪文を唱えて、起き上がり、準備を始める。午前中ニコンだったので、午後はオリンパスにしよう。 水辺の水深1m以下の岩の散在をねらうことにする。水に沈んでからゲージを見ると、50キロしか残っていない。誰か、あまり使っていないタンクと取り替えればよかったかな。まあ、戻っても目と鼻の先だ。10キロぐらいでもどろう。 見るとGOPROもバッテリーアウトしている。家ではフルを確認しているのに、潜る直前のセットで確認していない。 オリンパスだけで良い。動画もオリンパスTG4で撮ろう。液晶ファインダーが見えるから、安定して撮れる。 マハゼの群れ動きを撮った。 岩の下にメバルの稚魚がいた。今年はじめて見るメバルだ。メバルが隠れ棲むような小さな魚礁を入れたらどうだろう。
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 少し動き回ったら10キロになったので、戻ることにする。  終了後、挨拶で集まったら、共同通信の京極さんから、今日のそれぞれの見たもの雑感をしゃべってくれと言われた。それは大事なことなのに、このところやっていない。僕が聴こえないからだ。今度からやろう。僕は、次の報告書についてのリクエストをみんなにした。 尾島さんには海洋調査のリクエスト、多留さんには、もういちど、簡単な定性を三ツ橋は植物、清水まみは写真 それぞれ、ちょっとずつしゃべった。

0915 人工魚礁 坂田 0911

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ようやく ここから先の人工魚礁調査の考えがまとまりつつある。波佐間を中心にして、館山湾内房の塩見、西崎、波佐間 坂田の人工魚礁を調査して、沿岸漁業の変転都ともに、遺跡化してしまう人工魚礁群の現状と効果を調べてまとめ、発表したい。そのためには坂田にも行かなくては。
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真ん中は成田さん、鶴町さん

板田シークロップのオーナー、古い友達の成田君は、娘のサヤさんに海をまかせて、ジャックマイヨールの記念館を作ろうと奮闘さているとか、僕が会いたいというリクエスト?で、来てくれた。 話しはたくさんありすぎるけれど、潜水前でそんなには話せない。彼の師匠である大崎映晋さんは、まだ裸で潜っていた時代の舳倉の海女の写真を撮っていて、その写真集というか、グラフィックな本を二冊だした。そのうちの一冊 の出版記念会があって、それに出席した。2013年の3月8日 「海女のいる風景」サインをもらっている。そのパーティで成田に会った。この本に成田君も顔を出している。驚いたことに、大崎さんはこの後すぐに亡くなられてしまったという。知らなかった。たしか、96歳だった。
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 そんなこんな、ジャックマイヨールの話もした。ジャックが亡くなったころの彼女、パトリシアのこととか、話し込んでいると潜る準備ができない。ブログもこれ以上思いで話をしていると本題に入れない。  3mmのウエットで潜りたいのだが、22度以下だったら無理なので、ドライも持ってきた。24度、やった!ウエットで行ける。 黒潮が接近している。黒潮反流が、館山湾に向いている流況図を数日前に見た。
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 成田君の娘、サヤさんがボートも操船する。アシスタントスタッフが二人、 ボートは昔から変わらない。定置の作業船の小さいやつ。この館山のダイビングは、どこも港から近いポイントだからこれでいい。フラットな、構造物の何もないこの舟が使いやすい。  魚礁の上のブイに舟を繋ぐ。 4キロのウエイトをBCの背中のポケットに入れている。お台場で良いバランスだったから、多分大丈夫だろう。 最近、タンクを誰かに背負わせてもらうのが通常になってしまった。 そう、メンバーが誰々だったか、言うのを忘れていた。鶴町(お姉さん)福チャン(カメラ)山本さん(ワークショップの中心)増井さん(ワークショップ映像記録)早崎さん(減圧症関わりの病院関係で古いつき合い。テクニカルスタイルのダイバー、常に6リットルのベイルアウトを持っている)そして、僕の6名、他には板田の常連で、半ばスタッフのように見える、ウエットにリツコと書いているやたらに美人とそのご主人だろうか、ほかにもの静かな男性ゲスト。 互いに自己紹介をするべきなのか、ブリーフィングの時に、ガイドするサヤが紹介するべきなのだろうか、僕は、こう言うとき人見知りするし、まあ、それぞれのチームが心配のないメンバーで常連なのだろうから、自然体で良い。 僕は福田君にタンクを背負わせてもらう。彼はスーパーマンで、大きな一眼キヤノンを持って、僕のガードもしてくれる。僕から眼を離さない。つまり、僕をファインダーの中に入れている。撮影していると言うことになる。鶴町はショッキングピンクのウエットスーツで、だいたい僕の視界の範囲にいる。僕たち6人はユニットになっている。 一つの理想型をなんとなしに作っている。僕の面倒を見なくてはいけないと言う意識が共通にある?それで、良いと思っている。我田引水を言えば、僕がみんなの面倒を見ている意識の時代よりも安全度は高いだろう。 この辺のバランスは、皮膚感覚のようなものもあり、その日その日、でもある。  僕は例によって、船縁から乗り出すようにして、水面の障害物、人の居ないことを確認しながら、伸ばした手にカメラを持ち、カメラを先に水に浸けるような形で頭から水に入る。半回転した視界に水面と船底が見える。さらに身体を慣性で廻して、底を見る。視界はとても良くて、3m角の大型魚礁が乱積み2段、7ー8個の上に4個が乗っているのがよく見えて、サヤともう一人が既に底にいる。 見回したが福ちゃんは見えない。潜降索が近くだったので、そのまま潜降索をたぐって降りる。潜降索を手放して良いバランスで気持ちよく沈んで行く。流れは微弱。
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今年の夏、最高の潜降。左にカメラで追ってきた福ちゃんが眼に入る。カニの手をいっぱいに広げたライト。僕も、ライトを点ける。鶴町のピンクが、魚礁ブロックに向かっている。 魚礁全体に小魚(イワシの類)が雲のように覆っている。ワカシらしい群が少し離れて見えるが確認できない。海底にいるサヤのところまで降りる。彼女はどんどん魚礁の下段に、海底を這うように入っていく。小柄だからすいすいすり抜けて行く。僕も入るが、彼女はどこかにすり抜けて、見えない。 中心で止まって、すべてが眼に入るまで静止すれば良かったのだが、すり抜けていく。やはり閉鎖される感じで不安なのだ。GOPROの動画がすべてを記録しているはず。廻っているライトの点滅を確認する。スチルのニコンは適当にシャッターを押す。特にねらってはいない。マスクマウントに4000を着ければ良かったが、着けなかった。
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 外に出ようとするところで、背中がひっかかて、出られない。この3m角の大型FP魚礁は強化のため、そして複雑化して陰を多く作るために梁が放射状に入っている。ドリームのようにトンネルにならないのだ。ちょっともがいてはずした。 ドリームと同じように、ソフトコーラル、ウミトサカきれいに付いている。 魚礁の中外に群れている小魚は、イサキ、ネンブツダイ、ETC あまり大きくない   マハタ、10cmクラスのムツの若魚の群 00 (100程度に見える群を、00、1000の位の群を 000、万以上を0000と表すようにする。) 以下GOPROに記録された魚を見た順に記す。  とここまで記憶で書いた。  GOPROの動画記録を見るとまるで違っていて驚く。せっかくだから記憶の文は消さないで、ここから動画記録を見ていこう。  まず、サヤは僕の左横から追い越していき、一度振り返り、僕の方にカメラを向け撮影してから降りていく。記憶は二つの潜水がごっちゃになっている。2回目の時、サヤは、下にいたのだ。 ここから先も、僕の見ている目とカメラがちがっている。それは、今回は、マスクマウントのカメラを着けないで、手持ちにGOPROを着けただけ。この方がカメラが動かないしあとでの使い回しによいのだが、記録にはならない。本来ならば、マスクマウントにタイマー表示のでるSJ4000を着け、手持ちにGOPROを着ける。準備があわただしくて、SJを省略してしまった。省略はしなければ良かった。 観察した魚類①魚礁全体を覆うように、そして魚礁の中にも イワシの類 無数の群 0000010万単位②ゴンズイ 5cm 00以下、下の段と底③カゴカキダイ 10cm 底の部位に群れる。00,000かもしれない。④コショウダイ 20cm 3⑤イシダイ 20ー30cm 3⑥マハタ 20ー30cm 2⑦カンモンハタ 20cm 1上の段⑧タカベ 10cm 0 50⑨コロダイ 50cm 1⑩ニザダイ 10ー20cm 5⑪タカノハダイ 20ー30cm 2⑫ムツ 若魚 15cm 30 上段魚礁の中⑬スズメダイ 5ー10cm 散在 100以上か⑭ウツボ 2⑮ハコフグ  15cm  2⑯オハグロベラ 10cm  1⑰イサキ 10ー20cm  30⑱ネンブツダイ 10cm 多数 全体にわたって散っている。※GOPROに写ったものだけをリストアップした。同じ個体と思われるものが繰り返し出現したものは、1回だけ数えた。
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 特に意識して追尾したのは、40cmクラスのコロダイ、大きな魚はこれだけしか眼に入らなかった。  サヤに引率されて、みんなはどこかに消えた。 聞けばクダゴンベを見に行ったらしい。僕は興味がない。見ようと意識しているものの違いが、行動を別にする。つまりはぐれるのだ。僕は福ちゃんが追ってくれているから、バディであり心配ないが、ガイドとの考えのちがいがはぐれる元だ。 ところで、せっかく持ってきたダイブコンピューターが動いていない。水に入ったら自動的に表示されるはずの液晶が空白のままだ。ソリューションを一緒に着ければ良かった。持ってきていない。水深も時間経過もわからない。感覚的には水深15m、時間は30分ぐらいか。寒くはないが、少し冷えたから、水温は24度だろう。 透視度は素晴らしく良い。黒潮反流が入り込んできている。今後ここに潜る度にあのときは良かったと振り返るだろう。福ちゃんの撮った大型カメラでの動画は素晴らしかった。僕が死んだとき、バックに流せる。そういうことを言うからなかなか死なないと娘は言う。  潜降索につかまって、感覚的に、5分以上止まったので、舟に上がることにした、たまには、一人で上がれるかどうかチャレンジのつもりだ。 幅の広い梯子に膝をついて、段を上がる。乗り出すようにしてカメラを舟に上げる。上がっていく自分を記録するように、カメラを上に向ける。 最後の一段 舟の上に上がる時が身体が重い。うまく上がれて、良かったと思ったら、あとで、福ちゃんに怒られた。下で見ていて心配だった。今度はみんなと一緒に上がってください。  ここ板田は、舟の発着岸壁と、ショップのハウスが離れている。毎度、機材を降ろして軽トラで運搬する。  昼食は、一休庵からの出前かサヤが作るカレーランチの選択、実は一休庵 好きなのだ。が、ここはサヤのカレーをリクエストするのが、礼儀だと思いカレーランチにした。 カレーはおいしかったけれど、一休庵の天丼だったか。そば屋の天丼として、おいしい部類なのだ。   午後は松根に行く。  その昔、というと、1980年代のおわりだろうか、板田で三浦洋一さんの水中レポートシリーズの撮影をしたことがある。たしか、夜の撮影がテーマだった。何を撮ったのか思い出せないが、場所はマツネで、美しくて成功だった。 
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飛び込み潜降はうまくできた。 記憶ではなくGOPRO記録を見ながら書こう。 流れがかなり速くなっているので、飛び込んですぐに潜降索を握って降りていく。 小さな礁が砂地にだんだら模様のように散在している。僕の記憶している松ねとちがう。 50mほど離れた人工魚礁にユウゼンがいるとかで、見に行く。僕はユウゼンには興味がない。黒潮に乗って来たと言うこと。
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 人工魚礁は、同じく3m角のFP魚礁でここの方が数は少ない。 ①イサキ 10ー15cmの稚魚の群  000 魚礁の外側から中にかけて ②ネンブツダイ 群  5ー10cm   0000  ③イサキ 5ー10cm ネンブツダイとほぼ同じ位の数の群 0000 ④タカベ 10ー15cm 100  僕はユウゼンは見られなかった。みんなはどうだろう。 松根に向かって戻るらしいが、かなり流れが速く、残圧が80になったのでアヤに申告 ようやく、松ねと思われる根に到着した。昔とまるで違っている。昔あったはずのカジメが全くない。丸裸の根だ。
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 ヤギの類も乏しい。潜降してきたアンカーからのガイドロープがある。ようやく、昔みたヤギ、の類の多彩な群落が見えた。ここが美しい松根の始まりなのだろうか。数枚の写真を撮って 浮上ロープに戻った。アヤは、残圧が30になったら、このロープで浮上してください。とボードに書いて見せる。 残圧は50、もう少し松根の先まで行っても良かったが、不案内だから、戻って正解。 浮上する事にした。 やはり僕が先頭だったが、今度はアヤが付いてきていて、フインをはずしてくれる。舟に上がったところで、舟がゆれて、足下がよろけて倒れた。起きあがれないのでタンクをはずして起きあがった。  人工魚礁に行ってしまい、松根の全貌が見られなかったが、昔の面影もなかった。10年ほど前だろうか、ひどい磯焼けが問題になった。そのときにカジメが失われて、回復していないのだろう。 ダイビングポイント的に見て、美しいソフトコーラル、イサキの群、空一面を覆うようなイワシの群の大群、これは、人工魚礁について居るものと思われ、僕は見なかったが、イワシを追うワカシの群も見られたらしく、大型魚はいなかったが、全体として美しい満足できるポイントになっている。ユウゼンもこの魚礁に来たものだ。もしも、この魚礁が無かったならば、ダイビングポイントとして、ダイバーを集めることは難しいのではないか。 アヤは、たいへん魅力的なおもしろい個性で楽しかった。
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0918 雑感

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 幕間   ☆映画、ダンケルクを見ようと思ってヨーカドーの109まででかけてが、どうしても見たいという気持ちにならない。いまさら、本当の戦争の映画を見るのは重い。今の僕の中で、映画は荒唐無稽な3D アイマックスなのだ。
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 ヨーカドーの紀ノ国屋、新本で買ってしまいそうな本がかなりある。しかし、最近新本で買って良かったと思う率が少ない。 ブックオフに新本屋の後に回ると4ー5冊買ってしまう。1冊分と思ってしまうのだ。 波乗りの島 片岡義男 双葉文庫、アマゾンで見たら、中古が1600円だった。キンドルでは出ていない。この本についてはブログ一回分以上ある。 宇宙士官学校 幕間 探していた。拾いものだった。 ネコマンガ 1990年 野良の話が80%を占めている。猫の室内飼いの本を立ち読みした。室内飼いの猫は、決して外に出してはいけないのだと。室内飼いの猫は、生涯を室内で送る。 ☆図書館で猫のコーナーを見る。このごろ猫の研究をしている。老猫の飼いかた、猫の看取りかた、老猫ホーム など並ぶ。冗談ではないのだ。猫の高齢化が進んでいる。 図書館の駐車、1時間で200円とられた。車で行かないこと。 ☆企画書の参考に、人工魚礁についてこのごろ書いたブログ、板田も入れて6本プリントアウトした。かなりの量でよくも書いている。僕の場合書きながら考えている。だから、結論ではなくて、だらだら書いているし脱線もする。しかし、企画などの話をすると、僕のブログのプリントアウトを持っている方が少なくない。やめることはできないし、さぼるわけにはいかない。  ☆この数日メールのやりとりをいくつか。メールは企画書と同じというか、企画書をメールするようなもので、それなりに意識する。一勝一敗一引き分けだが、その一敗に滅入る。

0919 9月 19日 雑感

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ブログを書くとき、あんまり考えて書くのが嫌なとき、というかできにくいとき、頭に浮かんでくることを並べる。
 多分、徒然草
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 18日、海豚倶楽部
 朝、海豚倶楽部があり、夜、辰巳のサブプールがある。サブプールを借りること、最近では至難の技になっている。なぜ借りられたのか、それも二日連続だ。
 サブプール借りるのは至難だが、僕の辰巳のメンバーには人気がない。
 サブプールのコースは、せいぜい10人で詰まってしまうからそれでも良いのだけれど。
 話はもどって海豚倶楽部
 練習はいつもと変わらない。そんなに頑張らないで、自分のメニューでやる。泳いでプールを周回するラウンド、その後のダッシュ100m(実際は80m)22m水平潜水10本(5往復)後はだらだら、自由練習。
 マレス アヴァンテが最近流行している。黒沢さんが持ってきて、何人かが買っている。フィンはいろいろ履いてみたいもの。5ー6千円の楽しみ。
 アヴァンテは、1986年に潮美の水中レポートが始まった時に採用した。ゴムのフィンでは、色鮮やかさが出ない。そのときのフィンは、オレンジ色、黒のゴムのストライプ、良いデザインだった。デザインは今でも同じ。鬼怒川のミューに匹敵するヒットだ。
 泳いでの性能は、ミューの系統に及ばないが、軽い。
 撮影のアングルをいろいろ探している。TG4を台座に乗せて、陽の差し込んでくる下に斜めに立てかけて、上からジャックナイフで潜り込んでみた。
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 これが良いアングルだったので、今後はこのアングルもレパートリーにしよう。 またサブプールに戻る。
 往復だ。
 久しぶりの長水路、50m、自分の衰えを突きつけられる。50mを40秒を切って、それでも十分に遅いのだが、それで泳いでいたのだが、今度計ってみたら55秒だ。もう話にならない。
 
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 12月のフリッパーレース、海豚倶楽部からは、新しく入った、副島さんともう一名、が出てくれる。玉田がキャプテンとして、400mを泳ぐ杉山さん、そして6歳の中野 碧君がでて、5名のチームになる。浦安が3名なので多数、海豚倶楽部のタイトルででる。僕が出れば、海豚倶楽部は盛り上がると思うのだけれど、55秒のタイムでは、みっともない。 今夜もサブプールがある。杉山さんと僕だけの練習かと思ったら、消防の村上君が来てくれる。4人はちょうど良い人数だ。
 あと、中野さんが来てくれるか。
 今日は7コース(端のコース)だからゆったり泳げる。 スキンダイビング セーフティの改訂版を企画しようとして、企画書を書いていたら、岡本美鈴から、自伝出版の案内メッセージが来た。
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