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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0625 日本ハウジング史

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久しぶりで水中ハウジング史3回目だ。
今の人は、想像しにくいだろうが、撮影するカメラと、記録するVTRは、別のものだった。今で手の平に乗るGOPROだってカメラと録画機構は一体だけど。 だから、撮影するときには、カメラを操作するカメラマンとビデオレコーダーを操作するビデオエンジニアが、二人一組になって撮影する。左の肩にVTRを右の肩にカメラを担いで撮影できないこともないが、日本人の体力では無理だ。フイルムならば、カメラマン一人でことたりる。カメラマンとビデオエンジニアと音声録音マン、それに照明マン、4人一組が、通常の撮影クルーだった。 陸上報道のVTR取材では二人一組になりケーブルでつながって完全なバディシステムで撮影が行われた。カメラマンとビデオエンジニアとどちらが偉いか、つまり主導権を持つか、ということも、おおいに問題になった。カメラマンの方が年上で、組織での地位が上であれば問題はないが、逆の場合には、気のあった二人でありたい。
  水中では、VTRを船の上に置き長いケーブルでカメラハウジングとつなぐのが常だった。理由は初期のVTRは大きくて、ハウジングを作ると盥のような、大太鼓にような物になる。これを作ったこともあるのだが、探してもその写真が見つけられない。これは、かなり重要な写真なので、これが見つけられないために、このハウジング史が足踏みしていた理由でもある。 とにかく盥だったから、水に浮かべて引っ張って行く。
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                   長いケーブルと大きなカメラ
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                   これはもっと前のカメラだが、こんなに大きくてもカメラだけ、VTRは船の上だ。

 それよりも船の上に置き、長いケーブルでカメラマンとつなぐ、ケーブルの長さは100mが常だった。 ケーブルにはVTR信号ケーブルだけではなく、水中ライトのケーブル、場合によっては電話線も束ねるので、沈んでしまうから、浮きを付ける。 ケーブルが岩などに絡まると動けなくなるので、後ろでケーブルを捌く、ケーブルマンが必要になる。水中ライトはカメラに取り付けておくか、別にライトマンが居て、照らすか、なのだが、NHKは、ケーブルマン、ライトマン、ともに贅沢にダイバーを配していた。
 一度だけ、須賀潮美がNHKの水中レポーターをしたことがあった。NHKは天国で自分たちのニュースステーションは地獄だという感想であった。水中レポーターも通話のケーブルを引っ張っているから、この捌きも必要になる。
 水中からの生中継となると絶対にミスしないようにラインを2本引くので、本当に大変なことだ。最低、6人はダイバーが必要になる。 そんなことを20年以上やってきたので、ケーブルについては何の抵抗もなくなった。前にも書いたが、このケーブルで船とつながっていたために、命を拾ったことも幾たびか。
 しかし、それはそれとして、やはりVTRをハウジングに入れて水中に持ち込まなければならないシーンもあったし、ケーブルマンの人件費、費用もばかにならない。ベータカムのハウジングも作った。これについては、NHKよりも僕たちの方が先だった。どうでも良いことだけれど、一瞬のことだったが、国がバックのNHKと、貧乏な僕たちが競り合っていた。
 その中くらいの大きさのVTRのハウジングの写真も見つけられない。
 当時の定義で、民生カメラ、一般人が使うカメラのことをそう言う。その上のグレードが業務用カメラ、そして、一番上が放送規格のカメラ、と呼ぶのだが、
次第に業務用カメラでも放送の仕事ができるようになり、さらに民生カメラも侮れなくなって、
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       これは、小さなカメラをカメラより大きなVTR ハウジングと結んだものだ。
 このVTRハウジングを中性浮力で浮かして曳航しているということが、8080のタンクを浮かせて曳いていくという発想につながっている。
 その写真もない。 1990年代になると、放送規格の大きなカメラもVTRと一体型になってケーブルは水中レポート用だけになった。ライトも大型だったがバッテリーライトになった。このあたりから、中川がメインのカメラマンになり、僕は、別企画の撮影をするか、より大きな展示映像用のカメラをつかうようになった。その話は次回としよう。

 今日に至るのだが、ここから先は「別」の話だ。  


0627 26日のお台場

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26日、お台場の潜水。  記録として、そしてわかりやすいようにお台場の水中地形、状態を6にわけて記録する事にした。 ①集合住宅街(現在住宅) ②山の手(高級住宅)グリーン・ゾーン ③下町 ブルーゾーン ④ヘドロ 中心部 ⑤クリーンアップゾーン (赤い円の内側) ⑥人工砂浜 (黄色い線の内側)
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①集合住宅街 木場時代の桟橋の跡だろうか、杭が残されていて、人工魚礁のようになっていて、ここでは、住民が、あるときはタイワンガザミの夫婦だったりするが、よく見られるのはメバルの稚魚、シマイサキの稚魚、そして、お台場のアイドル的な象徴種のトサカギンポである。 今日は、タイワンガザミの住まっていたあたりに、インターバルカメラを置いて、午後に回収しようと思っていた。  お台場は、住んでいる生き物も、そしてその住まいも季節により、いや定例で潜っている月ごとに、劇的に変化する。
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 ユウレイボヤ、もしくはカタユウレイボヤは、お台場の至る所に付着している。汚染に強い種類なのだろう。そのユウレイボヤが全面を覆うように付着している。すべての杭にしかも全部にぎっしり付いたのは、これまでに無かった。 そして、メバルの稚魚、シマイサキの稚魚が見えない。メバルの稚魚について、今年は例年よりは少ない。そして6月末は、もう少し深みに移動する時期なのだろう。シマイサキは、これから多くなるので、ちょうど端境期なのかもしれない。 イシガニも見られなかった。イシガニは最近、とみに少なくなっている。 今年生まれたマハゼ(5cmー7cm)が、多く見られるが、杭に蝟集していると言うわけではなく、全面にいるからここにもいるという風である。 ユウレイボヤの為か、全体の様子が変わってしまっていて、いつもカニが入っている隙間がどこだったかはっきりわからなくなってしまっている。 
 
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               トサカギンポ
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 インターバルカメラをそこに置こうかと考えていたのだが、位置がはっきりしないので、この街のはずれ、ランドマークになっている石の傍ら、メバルの多いところに置いた。あまり結果が期待できないので、一応置いて、もう一度一回りして戻ってきたときに回収することにした。 置いたカメラは、HD4000で、一番安価なのだが、ここお台場ではよく写るカメラにした。 タイマー表示を見ると、10時46分32秒が撮影開始で、47分50秒にアカオビシマハゼが、10時49分12秒には、トサカギンポが写った。マハゼは常時、必ずといった具合に1ー5個体が写り込んでいる。チチブらしい個体が10時54分に見えた。10時57分に回収したので、およそ10分間の撮影だった。その短い時間でも、マハゼは底を這うように忙しく往復し、その他の種類は左側面に見える石を這い上るように動いている。  ②山の手 山の手は、他のゾーン全面に見られるマハゼも来ていない。もしかすると、下町、が貧酸素で苦しくなった時にここに上がってくるのかもしれない。
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 ③下町 下町ゾーンは、一番広い範囲だが、牡蠣殻が敷き詰められているような海底である。生きている牡蠣の数は、50cm平方に3個体ぐらいである。死んだ牡蠣殻がタカノケフサイソガニやトサカギンポが入り込む戸建て住宅にようであるが、そのカニも、ギンポもみられず、全面にわたってマハゼが散らばっている。カメラを固定して1分40秒撮影したが、画面にほとんどの時3ー5個体が右に左に泳ぎ回っている。
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 ④ヘドロ ヘドロ域は、まだ硫黄バクテリアの膜はそれほど発達していない。ところにより見える程度であるが、5ー7cmのマハゼはほとんど見られなかった。これまでは、やや数は少なくなるものの、散見されたのだが、見つけられなかった。
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 ⑤クリーンアップゾーン 先日クリーンアップしたばかりなのに、ビニールゴミも、その他のゴミも驚くほど多かった。このゾーンは流れの関係で、お台場全域のゴミが集まる。尾島さんたちが、目立つところは拾っていたが、次回からは、月例の潜水の度に、クリーンアップの時間を持とう。
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 ⑥人工砂浜 水深1。5mほどのところ、いつもホンビノスの居るところだが、手を砂の中に入れると確実といえるほど、ホンビノスが手に当たり、掘りとることができる。最干潮時で1。5mだから、潮干狩りはできない。潮干狩りができるアサリはほとんどとりつくされていて、掘っている人、子供たち、ほとんどが採れていないようだ。多くても10個どまりだろう。 二枚貝には水の浄化作用があるというので、増やす努力もされているようだが、浄化しなければならないヘドロゾーンには、二枚貝は棲息できないし、あまりにも広大だから、浅瀬の二枚貝の浄化効果はほとんど期待できない。あのアサリが大発生した2005年はどうだったのだろう。
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 お台場の水域は場所分けで観察記録を続けるとわかりやすい。これまでこのような記録を場所別にブログに残していない。すぎてしまった時は取り戻せないが、今からでもこのような記録を残して行きたい。 サイドスキャンソナーなどを使って、細密な図をつくり、要所に記録用の定点ポストを置いて、定点での数値的な記録と、ここに述べたような観察とを平行して行う提案をまとめつつある。

0701 大岩先生

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大岩弘典先生が亡くなられた。真野先生が亡くなり、そして、大岩先生、人の命は有限だから当然のことなのだが、並んだ世代でお世話になってきた友人が亡くなって行く度にいろんなことを考える。  潜水する以上は、潜水医学とは切っても切れないかかわりがある。潜水とは、そういう行動なのだ。幸いにして自分は潜水病の治療を受けるという形では大岩先生にも、真野先生にもお世話にならないで時を過ごしてくることができた。しかし、自分の潜水を計画するときは、旗印(監修)として、お名前を借りる。自分の潜水は良い加減な無謀なものではないのだという証である。そう言われることが多いので。
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 大岩先生は、僕の潜水病ワールドを真野先生と二分してきた。一番親しい友人である潜水医学者は後藤輿四之だから、自分の60歳記念の100m潜水は後藤輿四之先生が中心で実施した。後藤輿四之先生もすでに潜水医学についての著作もあり、スポーツ潜水の健康基準についての監修でも実績があったが、報告書、あるいは著作の巻頭を飾る著言は、大岩先生か真野先生のどちらかにしなければならない。こういうときには、たくさん悩まなければならない。悩んだ末、大岩先生にした。すると次には真野先生にご挨拶にゆかなくてはならない。親しくさせていただいているからこそ、話をとおしておかなくてはならない。
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 楽しい思いでもたくさんある。それを全部は到底紹介しきれない。二つ三つだけ。 大岩先生は海上自衛隊の潜水医学の頭だった。それで、陰では大岩元帥などと呼んでいた。 元帥が横須賀の地区自衛隊病院の院長であったとき、敬意を表しに遊びに行った。昼食においしいものを食べさせてくれるということで、連れて行っていただいた。横須賀のベース(基地)の中に入った。元帥だから、基地へも自由に入れる。連れて行かれたのは、ハンバーグショップだった。街のマクドナルドとかいうショップとは違って、ここが日本では一番おいしいのだそうだ。 店にはいるとベースのアメリカ人子供がたむろしていて、それこそハンバーグ屋の看板になりそうな太ったアメリカ人おっさんが、カウンターのむこうで、こちらに向いてハンバーガーを焼いている。はずかしながら、ハンバーガーとは、こうして焼くものだとしらなかった。その後これよりおいしいハンバーガーを食べていない。 さて、大岩先生のおしえは、こんなことは著作には書かれていないが、テーブルより余分にかけろ、ということだった。細かく云わず、そのときの状況でできる範囲で長く減圧停止する。 その、大岩先生の気楽な監修下で僕の100m潜水は行われた。少し肩がうずいたが、船上減圧だから、余分に減圧をのばして、無事にタンクから出てきた。 そして、潜水が終わって、その深夜に自分は海岸沿いを走って。東京に戻ってしまった。みんなが帰った祭りの後が寂しかったのだ。 潜水の当日、先生は伊豆高原だとかの別荘に来ておいでになり、実験潜水の成功を知って、翌日の朝、お花をもって現場に来てくださった。僕は潜水の当日の深夜に東京に戻ってしまっている。なんと、スタッフは、大岩先生に実験潜水の実施を事前に知らせてなかったのだ。 元帥だから怒ることもなく引き続き親しくさせていただいた。 今度の80歳80m潜水も先生に骨を拾ってもらう監修をしていただこうと思っていた。今度こそは現場に来ていただいて、などと思っていた。 先生と最後におめにかかったのは、マリンダイビングフェアで、高齢者の潜水について健康診断の重要性についてちょっとしたお話をいただいた。良い意味でのアバウトさ、そんなものがあるかどうかは疑問だが、本質は繊細で、きっちりした理論が構築されていて、意外にうるさいかもしれない、まあいいか、近々、お話に行こうとしていた矢先の訃報だった。

お通夜におじゃまして、ご冥福と、お礼を 申し述べた。

0630 波佐間人工魚礁

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  6月30日、波左間の人工魚礁撮影調査
 メンバーは、山本、増井、小俣、須賀、土日は荒川さんが忙しいだろうとウィークディにした。 朝起きたら、調子があまりよくなかったが、7時に出発。車の中で寝込んで、起きたら館山に着いていた。
 海は霧だ。
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 今日はこれまで潜ったことがない。6m角のブロック、FP型を潜る。図の21番である。
 その前に、 深い鋼製、45mには縦型三連のインターバルを沈める。これまでは、魚礁の内側に入れて居たのだが、引き上げの時に潜らなくて良いように、と魚礁の外側に入れた。荒川さんが潜って置いてくれる。深く潜る必要はない。
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 FP型は、ブイが切れているので探す。GPSに数値を入れて置いて、さがす。付近で仮ブイを打って、周囲を魚探で探す。ずいぶんこの方法にも慣れたので一発で見つける。 本日の忘れ物は、ニコンのコンデジだ。 GOPROが回らないと困るのでスイッチを入れて回してから、エントリーする。8リットルタンクを背負ってのスクアットのトレーニング効果か?割と楽に背負えた。 冬に備えて体を慣らしておくため、それとトレーニングのために今年の夏は豊潮丸をのぞいて、ドライスーツで通すことにしている。 エントリー潜降も比較的容易で、潜れた。ブロックの中にはメバルが群れているが、50ぐらいの群。トゴットメバルはまだ小さいサイズだ20尾ぐらいだろう。
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底が水深25m、水は17度と冷たくて、ドライで良かった。ウエットだったら震えているだろう。 もう7月だというのにこの水温だ。日本寒冷化か? 透視度、水面はプランクトン濁りが少し。下は透明度15mはあるだろう。
 エキジットも荒川さんがフィンを脱がしてくれるので、自力で上がれた。
  1時間20分休んで2回目の潜水は、浅いエビ魚礁から入って高根で浮上するコースだ。
 船に乗り込もうとしたとき、事故が起こった。不用意に乗ろうとして、頭を船の天井のバーにぶつけて、うしろにひっくり返った。とっさに尻から落ちて頭は打たなかったが尻を打った。かなりな強打で、その後痛みがまだ残っている。座るときに痛いのだ。
  エントリーしたが、GOPROが回らない。船上でシャッターを入れたのだが、そのときは回ったが、下で回らない。こんな時、ニコンのコンデジを持っていれば良いのに、忘れてきた。 0。8角のエビ魚礁は、スリットが狭いようだ。高根、神社へ行くには、このコースの方が良いかもしれない。
 潜水終了後、西崎の組合に行く。波左間のとなりの浜田の魚礁に潜るための協力お願いだ。この魚礁は、2003年ー2004年にかけて、月例で一年、潜って調査した。自分の別宅のつもりの魚礁だった。その後も何回か潜ったが、船を出してくれていた方がなくなられてしまったので潜れない。 波左間、塩見、浜田、と潜って、板田を潜れば、lこれで、おおよその一巡になる。
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 なお、45mの鋼製魚礁は、予想通り、イサキの群がついていた。インターバル中段に、ちらっと群が写っていて、その中段のカメラが外側に向いていたとき,メバルの大群が、そしてその外側、魚種が確認できないほどの遠くに、多分イサキの大きな群が見えた。あまり遠いので撮影した絵では確認できない。

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テープで確認すると、6m✕10基ではなくて、この21番が3m✕20基で、22番、ドリーム漁礁に近いほうが6m✕10基だとおもう。

0703 日本ハウジング史-5

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ハウジング史も時系列に沿って話を進めるとわかりやすいのだが、そうすると、面倒だから、ハウジングについては、思いついたこと、写真を見たときに、それにまつわることを散発的に書こうとしている。  「須賀さんって、メモ魔ですか」と聞かれることがよくある。メモ魔だったらよいのに、メモをしていないので、思い出せないで困ることが多い。忘れることが多くなった今日この頃ではなおさらだ。  同じカメラを入れるハウジングが3台並んでいる。写真を撮るときに中に入るカメラを一緒に撮っておけばよかったのに、なんでそのくらいのことが、できないのだ、と自分が腹立たしくなる。いや、撮ったのだけれど、それがどこかに消えている。のかもしれない。 だから、たぶん?ということになるが、ビクターのKYー1900 今頃は、ビクターというよりは、JVC の方が通りがよいのだろうか。1900は、業務用のカメラだが小型であり、といっても今のカメラの10倍の大きさがあるが、小型で安い。安いと言っても40万くらいはしたのだろうか。オレンジのボディが目立つ。多く使われた。もう少し画質がよければ、なのだが、名機といえたかもしれない。 これもVTRとカメラが別々の時代だ。
 
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 何故、ハウジングが3台も並んでいるのか、そんな必要があったのか、覚えていない。手前の四角いハウジングは、特別である。 カメラのハウジングは、円筒形が基本である。オーリングという水密パッキンの特質で円筒が確実である。カメラの水没は、すべて円筒形で無いことが原因ということもできる。それなのに何故角型なのか、角型だと軽量にできる。 ビデオカメラと言うものは、永らく肩に担いで撮影したものだった。角形軽量で、ハウジングのまま肩に担いで撮影したかった。 角型は。水圧でつぶれて歪んで水没するのだが、水深3mぐらいならば大丈夫だろう。3mぐらいまで潜れて、背の立つところならば、担いで立ち上がることができて、水面の上と下を自由にワンシーンで撮れるカメラワークがしたかった。今ならばなんでも亡いことだが、それが出来るカメラはその頃(1982)にはなかった そんなことで作った軽量ハウジングだった。  このハウジングで、横井庄一と7人の美女が無人島でサバイバル生活をする番組の水中撮影をした。横井さんは、陸軍下士官でグアム島で終戦を迎えたが、日本が負けたことを信用せず、残留日本兵として、28年間グアム島で山の中に潜んでいた人だ。アメリカの捕虜になったら殺される、殺されなくても捕虜として痛い目に遭わされるという恐怖心だけで28年間もサバイバルをしていた。普通の人ではない。 その横井さん、1980年代にはもう文化人、評論家、タレントとして、幅広く活躍していたのだが、その横井さんが若い、高校生から女子大生を含めた美女たちとサバイバルをやるというスペシャル番組だ。 その頃は、メイキングということが無かったのだが、この番組の撮影は、。番組そのものよりももしもメイキングビデオを作ったら、そちらのほうがおもしろい、記憶に残るロケだった。前に一度、書いた記憶がある。 でも、もう一度書こう、と思うほどのものだ。 ロケ地はフィリピンのレガスビ。マニラのあるルソン島にあって、富士山よりもコニーデなマヨン火山で有名だ。 そのレガスピでダイビングタンクを借りて、バンカにのって無人島に向かう。のだが、バンカが珊瑚礁にぶつかってプロペラを落としてしまった。遭難である。無線など積んでいないから、漂流か?しかし、フィリピンではこういうことはよくあるらしく、予備のプロペラを持っていた。1時間のところを4時間かかって、無人島に着いた。もちろん無人島ではなくて、人は住んでいる。人を写さなければ無人島になる。  泊まった宿は、さすがに無人島だからホテルも民宿も無く、高床式の民家だ。1階の無い2階だ。竹で作られている。床が竹だから、そして毛布もないからごつごつする。洗濯板の上に寝るようなものだ。朝、4時、階下で雄鳥が時を作る。部落中の雄鳥が競って鳴くから、寝ていられない。 そして、ロケが始まると無人島の全島民が見物に出てきた。人口3000人だ。人が写ってはいけないのだから、陸上のカメラマンは難儀だ。  自動小銃を持って、ゴム草履でパタパタ歩いている怪しい男がいる。なんだあれは、と聞くと、「フリーダム・アーミーだ。」という。つまりゲリラだ。ゲリラをガードマンに雇っている。フィリピン観光局の役人、女性がお目付役に付いてきたのだが、次の日の朝には姿を消していた。殺されるので、深夜のうちに逃げた。 無人島よりもすごい島にきた。女の子一人でも誘拐されたらえらいことだ。日本人女性が誘拐されると言えば、その頃、フィリピンのエルニドで、ダイビングツアーの若い女性が、行方不明になった。今でも行方不明のままだ。詳しいことはここにはかけないが、名古屋のひとだ。 連れてきた女子高生が流産した。流産をねらって参加したらしい。よく、そういうのある。激しい運動をして流産しなければ生む、博打のようなものだ。もちろん、そんなことがわかれば連れてこないのだが、島にはお医者さんもいない。マニラに送り返した。  グループの中心は目加田頼子、後のNHKのスターアナウンサー、そのときは上智大学在学中で、帰国子女、バイリンガルで、美人で、すでにそのときには完成品に近かった。
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                ※「NHK 潜水撮影の半世紀」 より  ダイビングも上手ではないが危なげなくできる。後に日本初の水中中継のレポーターをやる。1984年のことだ。僕のやった水中中継は1985年で、一年遅れだったから、、日本民放初になる。 目加田さん率いる、女性ダイバー連中を撮る水中撮影で、四角いハウジングが水没する。テレビのロケで、いくつかの顔面蒼白事態があるが、そのときも顔面蒼白だった。VTRとは別なので、録画は最小限度できた。やはりハウジングは、円筒形でなければだめだ。 しかし、このハウジングは後に知床で鮭の産卵を撮るときに活躍した。重いハウジングを担いで渓流を遡ったり、するときにも役に立った。水が入るものと覚悟して使っていれば、早めに気付いて、コップに半分くらいの水ならば、ハウジングが少し大きいので大丈夫だった。

0702 学生ダイビング指導者の集い

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2016/07/03 13:47ブログに書く、書いて置かなくてはいけないと思っているテーマが二つある。 一つは関東学生潜水連盟の「ダイビング指導者の集い」でもう一つは、機動隊、消防の指導をJAMSTECで長く手がけておられた竹内久美さんの書かれた、「事例から学ぶ潜水事故対策」東京法令出版 についてで、これは元JAMSTECにおられた、親しい友人の米倉さんから送られて来て、感想をブログで書けという宿題である。とても重要なテーマであり、ブログで2回以上連続しないと書ききれないだろう。頭脳の働きも鈍くなっていて、集中力が長く続かない。書き掛けているテーマも撮影調査、お台場、ハウジング史、8080と四つあり、16日からは、毎夏の豊潮丸航海に出発する。  まず、「学生ダイビング指導者の集い」からはじめよう。  芝浦工業大学豊洲キャンパスで学生潜水倶楽部指導者の集いがあり、事務所から歩いて30分なので、炎天下を歩いていった。  学習院大学 佐藤監督 宮崎さん 芝浦工業大学  足立先生、小池先生 中央大学の藤島監督、獨協大学の現役で学連委員長の浅本君(獨協大学)、そのた学生現役5人ぐらいか。 この集いの良くないところは、人数が少ないのに、お話を始める前に、自己紹介、あるいは司会者が紹介することから、初めてもらえると、ここに書けるのだが、それがないので、その他学生になってしまう。 また、学生の発表のPPに、自分の紹介から、始めるようにするといい。  今回は、法政大学のOB会長の宮城良和氏が発表する予定で、Dropboxに資料と発表のPPを置いてくれていたのだが、おばあさんが危篤とかで出席ができず、司会は学習院大学の佐藤監督がピンチヒッターになってくれた。 僕は耳が聞こえないため、スライドのないお話はほとんど聞き取ることができない。補聴器を使用しても、対面した方との話はだいたい理解できるが、それも時には聞き返すことがある。 ★ 宮城さんがドロップボックスに置いた資料は、 ①法政アクアダイビングクラブの諸活動と責任発生対策の全体像 ②参考資料として アクシデントマネージメント(東京都自然ガイド認定講習テキストから) ③発表PP 「法政大学アクアダイビングクラブのリスク管理について」  であり、どれも大変におもしろく、話を楽しみにしていたのだが、残念だった。まあ、聞こえないから、Dropboxにおいてもらうだけでも、助かるのだけど。 資料を中心にして自分の考えを述べて行く。 まず①からは、保険についての表 現状の最適保険は、この二つに加入することとして、下のような表が示されている。
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   スポーツ安全保険の賠償責任は下記のようなものであり、ダイビング事故には適用されないと思われる。
「被保険者が日本国内で行う団体の活動中および往復中に、またはそれらを行うために被保険者が所有・使用・管理する動産に起因して、他人にケガをさせたり、他人の物を壊したことによって、法律上の損害賠償責任を負った場合に対象となります。
※AW区分にご加入の場合には、上記に加えて、「団体活動中およびその往復中」以外に発生した賠償事故も対象となります。」

 この資料には「クラブ活動ルールの整備の必要性とその特質」として「賠償費用をもつスポーツ安全保険を最大限に活用するメリットとデメリットの認識」という項目があり、これらの議論こそが、現実、現状に即した最重要事項のように思われた。

 宮城さんが用意されたもう一つの資料②参考資料として 「アクシデントマネージメント(東京都自然ガイド認定講習テキストから)」 も大変有用であり、学生の活動に限らず、すべてのクラブ活動のマニュアルになり得ると思った。 ダイビング各指導団体のチェックシートとの比較をしてみたい。  以下はこの資料から ★民事の対処 民事裁判に踏み切らせないための処置が大切 参加者のレベルにあった控えめなプログラム 誠意 事前のブリーフィング 指導者と参加者の人間関係 有効な事故処理 傷害保険  ※「賠償責任保険があるから、事故が起こっても安心、訴えられるのを待って、この保険による弁護士が引き受けてくれる」などとインストラクターは思っているのではないだろうか。  ★指導者に必要な保険 損害賠償責任保険 対人、対物、レンタル機材、保管 訴訟費用、遭難対策費用 傷害保険  ★自己責任意識の徹底 参加者にも危険の認知 受け入れが必要 危険の告知、危険への認識、同意(確認書) 参加者への安全講習会受講を促進  さて、③宮城さんの発表予定であったPPだが、 かなりユニークに感じた。  リスクヘッジとして ★ケース1 春合宿のパラオのボートダイビングで一年生が離反→責任は? インストラクター=現地ガイドにある? 執行部に責任はあるか?  →通常はインストラクターに責任が発生 →ただし、上級生が「私がバディにつきます」とか「潜降を見ます」とかいうと、学生にも責任問題が発生してしまう。 → 上級生はなにもしないことが一番責任がはっせいしない? 宮城さんのご意見が聞きたかった。  ★ケース2 二年生とOBインストラクターで二年生が溺水 → インストラクターに責任はない。 ただし、インストラクターとして指導もアドバイスもしていない状態であることが前提 ※須賀、一年と二年生の差   ★ケース3 OBインストラクターどうしで、一方が溺水 インストラクターとしての責任はない。  結局のところ、責任を問われるのは、どれだけ「口を出したか、手をだしたか」次第 ※ただし、口をださないことによる「注意義務違反」というのもあるので、状況に応じて注意が必要になる。そして本人が「できる」こと、みなが「同じ立場」であることが前提  須賀:これらは、学生のクラブであることが前提なのだろうが、学生クラブと一般とのちがいも大きいと思う。   法政の目標としては、どのようにダイビングに関して「自主性、主体性をもった活動」に変えていくか」須賀 自己責任という言葉よりも良い。  その他全部はとても紹介できないが、かなり議論ができる発表になっただろうと思う。  ここで思った。自分のやろうとしていたスチューデントインストラクターを思いとどまったのは、上の議論のように、学生の場合、責任者を作ってしまうと責任者になってしまう。できるだけ個々が自主性、主体性をもたせないと学生同士のダイビングは成立できなくなる。  今、池袋の某ショップが学生インストラクターを作っているが、責任の持ち方持たせ方をどのように考えているのだろうか。聞きたい。  なお、前提として、法政大学アクアダイビングクラブは、監督・コーチという制度はない。これまで、長いこと、山中君が指導してきた。  最後に須賀が質問したのだが、学生のダイビングにおいて、外部に依頼したインストラクター、ガイドダイバーの責任範囲をどのように考えるか? 学生のクラブだから、別の責任体制があり、インストラクターの賠償責任保険とのからみはどのようになるか、家族は、インストラクターを訴えることにはなるであろうから、その。訴訟が難しい問題になる。これもシミレーションしておくと良い。  芝浦工業大学の前顧問であった足立先生が、文科省との関わりのもとで大学がクラブ活動で責任者の責任範囲とあり方について定めてあることを説明された。 芝浦工業大学については、それで落着するが、学連の中には、それぞれ、多様なクラブ組織が加入しており、そのルールは通用しない大学もある。そして、学連加盟ではなくて、各大学には、無数のダイビング同好会がある。中には、大学の認可を受けていないから自由であり、事故が起これば消滅して、また別の名前で活動を始めれば良いという同好会もある。自分に近い大学である。  それぞれのあり方の良否、善悪ではなくて、それぞれのクラブの実態を関東以外の大学も含めて、詳しく調べておく必要があると思う。自分が若く、社会スポーツセンターの常任理事であったころであれば、社会スポーツセンターでそのことをやったと思うが、今はそうではない。 規制する動きになると、なにもできなくなってしまう。まず、とにかく実態を知っておくことが大事ではないか。 関東学生潜水連盟に加盟している17大学についてであれば、日本水中科学協会の報告書で概略は知ることができる。先日、琉球大学のOBが、これで、関東のことが、よくわかった、といってくれた。 東京にある各大学の同好会については、そのリストすらもない。学連がやれば、簡単にできることなのだが。去年の暮れ、東京海洋大学、早稲田大学の状況を聞いて、なるほど、と、驚いた。

0707 日本ハウジング史 5

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次第にVTRカメラが小型化する中で、中川にテレビ放送のカメラマンを譲り渡した僕は、より大きいカメラでより大きい画面の作品をつくろうとするようになった。同時に小さい廉価なカメラによる手軽な番組も目指すことになる。大型化と小型化の同時進行である。(1993) 大型化した、展示映像、全天周の撮影として、35mmフィルムシネカメラを作り、それによる撮影も行った。普通の35サイズシネカメラはフイルムが縦に走る。スチル撮影で云えばハーフサイズになる。それをスチルカメラと同じように横に走らせれば、超大型映写の撮影になる。このカメラを8パーフォレーション横走りシネカメラと仮に呼ぶ。 こんなカメラを円筒形にはできない。平らな広い面ができるので水圧でつぶれてしまう。スクーバのレギュレーターを取り付けて、ハウジングの内圧と外の水圧を釣り合わせる。カメラが呼吸するようなものだ。浮き上がる時には内圧が高くなるので気泡を吐き出して浮上する。
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               天板の上にタンクがあるのがわかる。残圧計も付いている。
                   イマジカビジョン ハウジング
 このカメラで僕が撮影した作品は、函館昆布館の180度全天周の展示映像である。北海道と云えば流氷である。函館の昆布と流氷の水中撮影をした。函館が日本の昆布の名産地で、だから函館昆布館なのだが、函館の尾札部がもっとも良い昆布が採れるところで、ここで撮影した。昆布と言えば山崎豊子の「暖簾」を思い出す。天然の昆布は付いていた場所によって質が違うのだそうだ。買い付けにきた昆布屋の番頭③は、昆布をみただけで、付いていた岩がわかる。 そんなことはあり得ないが、それに近い目利きが入札に浜までやってきたのだという。 昆布は海底で直立していない。長い長い海藻だから、強い潮に吹かれて横になっている。横にはなるが両脇にある波形の部分で揚力を作って、底に付かないように体を浮かせている。 しかし、現在では昆布のほとんどは養殖である。ロープに付着して強い流れに乗っている。 そう、昆布の養殖場は2ノット以上の流れだ。このときは田島雅彦をサブのカメラマンとして連れて来たが、彼のショットの方が良い。 養殖昆布は彼のショットをつかった。  ところでこの函館昆布館、映像のもう一つは、水中ヌードなのだ。全天周大型映像ドームシアターから隣の「とろろこぶ」の加工即売場へとつなぐ道の壁が大型スクリーンになっていて、昆布林を縫うように泳いでいく美しいヌードに導かれながら、歩いていく演出になっている。  この話、北海道札幌の佐々木君が噛んでいる。彼はヌード撮影も積丹でやれという。冗談じゃない。あんなところでヌードを泳がせたら死んでしまう。いや道産子ならば大丈夫だ。失礼だけど、道産子のヌードでは王道ではない。 結局、撮影は南の島与論島でやることになった。与論島には昆布はない。ビニールで作って林のように立てる。本当の昆布は這っているのだが、ファンタジーなのだから、問題ない。  モデルを決めるオーディションを新宿のDoスポーツのプールでやった。条件はフィン・マスク・スノーケルなしで、素眼で美しく、25m水平潜水ができることだ。そんな子はいないだろうと思ったのだが、プロダクション経由の募集で20人ほど、ドーンと集まった。外国人が半分くらいだ。日本人の子の多くは素眼で目を開けて潜れない。中には、ポルノのオーディションではないのだから、と言いたいような子もいる。残念ながら、日本人モデルはヌードで泳がせると健康感がない。 二人の外国人モデルを残して、そのどちらか、結局、オーストラリアから来たモデルに決まった。水泳の選手だったとかの美人モデルだった。フィン・マスク・スノーケルなしで、すいへい25mをターンできる。
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                     ビニールの昆布が立っている林を縫うように泳ぐ、

 さて、与論島のロケは写真だけで十分にわかるだろう。 函館昆布館に行った。盛況、繁盛していた、バスがたくさんとまって昆布を買っている。しかし、この場所は函館から洞爺の国立公園に行くとちゅうのトイレ休憩にバスが止まるところで、のんびりと大型映像を見るひとはすくない。
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               http://www.konbukan.co.jp/information/hokkaido.html

 2015年、中尾先生とイタリアの大学に行った。次の年、イタリア大学の先生が日本に来た時、中尾先生は函館に案内して、昆布館の大型映像を紹介した。タイトルロールに僕の名前がでて、先生がたは喜んでくれたという。「ヌードはどうでしたか?」と聞くと気が付かなかったとか。苦労したヌードはどうなったのだろう。

0708 日記

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2016/07/08 17:07最近書いているブログは、キングジムのポメラD100で書いている。寝転がってキーを片手で打っているので、朝目覚めてから起きるまでの1ー2時間をこのことに当てられる。むろんきちんと書くときには机に向かってするが、推敲ならば、横になってできる。そんなことでかなり効率は良くなっているのだが、それなりに時間はかかっている。
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 今、一応書き上がって、ボールをアウトしないでいるのは、消防、警察のダイビング講習のテキストとも言うべき竹内久美さんの著書、「事例から学ぶ潜水事故対策」これは書評に近くなるので、推敲をくりかえしている。だいぶ考え方のちがう、スタイルの違う人の著書だから難しいとともにためにはなる。 日本潜水史とでもいうものの前書き、これもできあがっているが、もう少しみたい。 書きかけているものはもう少しあるが、いずれにせよ、ストップしている。  できれば、毎日ブログは更新したいとおもっている。あんまり考えないでも書ける、そして写真選び、写真探しにじかんがかからない、いわば日記のようなものを挟んで行こうかとも考える。 テーマを立てて書くことにしていたのだけれど、日記もテーマとして悪くはない。 そんなことで、こんな具合のものを書いて行こう。日記となると三日坊主のくりかえしが、僕の場合はなぜか三年坊主になっている。つまり、三年ぐらいは続くのだが、やめてしまう。そしてまた5年ぐらいたってから、3年坊主をやる。振り返ると僕の生涯は、3年の日記の縞模様のようだ。そして、せっかく書いた日記を紛失してしまっているところもある。 キヤノンのキャノワードというワープロで書いていたものでプリンとしていなかった部分が読み出せ無くなっている。どこかにお願いすれば読み出してくれるかもしれないが、人に見せるつもりでなく書いたものだから、人に読まれるのは嫌だ。まあ、大したことは書いていないからフロッピーのままでも良いだろう。 ブログに出して置けば、残るからいいだろう。  ポメラD100というのはよくできていて、人に見せたくないようなメモを書き殴っておけるスペースがある。書き込みのできるカレンダーのようなもので、これは、便利に使っている。 2016/07/08 17:38 順天堂に薬をもらいに行った。もらいといっても処方を書いてもらうのだが、前は二ヶ月分の処方を書いてもらっていたのだが、今は30日分しか処方がでない。なるべく病院を混雑させたい、病院に人を呼び寄せる陰謀だとおもう。病院は高齢社会でラッシュアワー状態だから、薬をもらうだけでも、半日がかりになる。もっともお茶の水で処方を薬局にだしてからの待ち時間も1時間程度あるのだが、病院で薬を待っているよりは、お茶の水散歩ができるから、退屈はしないが、時間がかかるという意味では同じことだ。 お茶の水に来ると必ず博多ラーメンを食べる。今日はかなり暑い日だったのだが、やはりこのラーメン、500円を食べてしまう。それほどおいしいということでもないのだが、半ば習慣化している。丸善の本屋と文具屋も定番でこれを回ると、薬ができる時間になる。
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 2016/07/0818:01 今、お台場についての提案書で手一杯になっている。明日、明後日の土日、どこにもでないので、書き上げなければ、それにしてもこの提案書何度書き直したことだろうか、これで、多分清書、印刷したものだけでも三回、全部で7回目ぐらいだろう。少しずつ進化はしているが、気持ちが焦っている。14日に会合がある。その前の11日には人と会うので間に合わせたいけれど、完成型としては無理だ。提案書と資料編を分けているので、資料編は14日になるだろう。この詳細についてもブログに書いて置きたいと思ってはいる。

0711 日記

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 お台場の水生生物をまもる提案、三回目を書いて、お話した。お話している途中でもう一度書き直しをしなければ、いけないと思い始めた。もう一度書きなおそう。今日のうち、今夜のうちに書きなおそう。ちょっとしんどいけれど、書き直す度に考えが少しづつ変わっている。進んでいると思いたい。 まとめの部分だけちょっとしょうかいする。お台場は真ん中のヘドロ地帯を周辺、二辺の人工砂浜と
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、一辺の磯場がとりかこんでいる。その磯場、これが僕たちの調査フィールドなのだが、まず、その一辺の磯を、豊かに生き物がいきている状況で守りぬきたい。僕の生きている時間帯ではそこまでだ。次の時代で、真ん中のヘドロ域の浄化を考えよう。都市化で傷めつけられた自然だが、根強く生き残ろうとしている。しかし、次第に衰弱していく。それをまもる、少しでも手助けするのがダイバーでありたい。環境の浄化とは、自然に優しくなければいけない。生き物を守るということは、人という自然を護ることなのです。都市環境でも珊瑚礁の海でも、おなじことなのです。 河田さんの「ひとりひとりが宝物」という写真集、ページを繰って、ひとりひとり、じっくり見ていくと、そのひとりひとりへの河田さんの思いが伝わってきて、素晴らしい写真集です。今日、港区の海洋少年団に寄贈してきました。海洋少年団、今、海で遊びたいという子供が少なくなって、臨海学校が絶滅したのがはるか昔。今では家族で海水浴にもなかなか行かなくなった。子どもたちへの海への扉にしたい。これも素晴らしい企画です。 残り少ない、自分の生命の残務処理をやっています。  選挙が終わって、
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「それでも日本人は戦争を選んだ。加藤陽子」と言う高校生対象?の本が文庫化されて、丸善では横積みになっていました。面白い本だったので、もう一度よむことにします。2009年初版、第一刷、ぼくのもっているのは、2013年の第23刷ですから、そして文庫化ですから、よく売れた本です。この本を読んだ若い世代が、もうすぐ後に自分の選択をしなければならなくなりそうです。

ブログのアップがなかなかで居ません。今日は日記で、本日の雑感 明日こそ。

0712 日記

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これを終えてから事務所に行きます。まだ、日記しか出せません。今書いている三つがどれも推敲がたりません。このごろ、書きなぐりは日記で、別のテーマは難航しています。 昨日紹介した「それでも、日本人は「戦争」を選んだ。:加藤陽子著」を再読している。これは、東大の現代史の先生が、高校生に講義してディスカッションしたものだが、やはりよくわかっておもしろい。自分の知力が高校生並なのだろう。思い上がりかな。自分の高校時代といまと比べて、鋭さでは良くて十分の一だろう。 僕がこの本を読んだのは、2013年だが、今の僕の憲法についてのスタンスはこの本の影響が大きい。これも自分が高校生並だからだと思う。思い上がり。  憲法というのは国のあり方で、戦争の目標のひとつは、憲法を替えさせることであるともいう。そして憲法は、戦争、もしくは革命で国民の命が万の単位で失われなければ替わらない。第二次大戦で日本人の死者は300万人を越えている。明治の憲法は明治維新という革命でできあがった。だから、改憲とは革命もしくは戦争で血が流れる。戦争で血を流したいために憲法を替えるというのは、日本にとって初めてのことになる。血を流さない改憲は、次の段階で、意外に早く血を流した形で再度改憲になるのではないか。僕は改憲に反対だが、日本人の意見(選挙)が改憲なのだから、血が流れて、そこで初めて、日本人が日本人のために作った憲法になる。今は、そう考えるしかないのかなあ。その血をながすのは、今日、選挙に行かなかった世代なのだろう。少なくとも、もはや、僕の世代(戦争体験者)ではない。良くも悪くもバトンタッチであり、次の世代が、屠殺場に引かれていく家畜であって欲しくない。家畜にならなければ、家畜の気持ちは分からないかもしれないが。 血を流さない革命が、できるところまで、今の若い人たちが育ってくれることだけが希望だろう。  その希望の若い人だが、若い歌手が参議院議員になり、資格試験が必要と言われている。その資格試験はなにも大学入試である必要はないと思う。彼女の感性は、良いものかもしれない。しかし、その感性で優秀な高校生と議論できるようなレベルであって欲しいし、当選したインタビューの答えが、よかれあしかれ、自分の意見であってほしい。今時の高校生ならば、新聞、もしくはネットで得た自分の意見は言える。差し障りのあることを言ってはいけないと考える感性であるならば、政治家になってはいけない。と思う。雑巾がけはバカの一つ覚えだ。本当に雑巾がけさせたら良い。
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       イッカククモガニ 外来種で、昔は地を覆うほど沢山居たのに、今ではレアになってしまった。
       お台場の生物相はドラスティックに変動する。 「東京港の水生生物を守り育てる提案」Var 4を書き上げた。いや、昨日のものが4だったから、5かな。起承転結をはっきりさせた。これまでは、今の状況はこれこれだから、こうしたい、というものだったが、今度は、こんなことをする。何のために、どうして、何ができるのか。そしてまとめで何をしたいのか再度述べる形になおした。同じことを言っているのだが、並べ直したことで、見えてくるものもあるし、見場が一変した。次の会議で承認を得て、本格的に動き始めよう。動き始めると、修正が必要になるだろう。修正が容易にできるように、ブロックで改ページした。

0715 SRT  ダイビング

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 「事例から学ぶ潜水事故対策:竹内久美 東京法令出版」について、これは、元JAMSTECにおられた、親しい友人のYさんから送られて来て、感想をブログで書けという宿題である。批評めいたことをするのは、難儀だ。ダイビングについての考え方が違う、スタイルの違うことについて書くと、どうしても異を唱えるようになってしまう。ダイビングについての考え方はそのダイバーが置かれている環境、立場によって全くちがってくる。それは、良い、悪い、の基準では計れないものだが、今後、このパターンの潜水が注目を浴びるようになる感じがする。論、異論は進歩の原動力でもある。書くことにする。
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この本は消防士のダイビング、警察機動隊のダイビングの講習で、副読本的に使われることを目指したものだと思う。この本の巻頭に、レジャーダイビングとはまったくちがう異質のものだと述べられている。 SRT Diver 特別なダイビング Special response team Diver と云う意味なのだろう。 パブリックダイビングという呼び名もあるとおもうが、自分が参考にした本が「S.R.T. Diver :1989 S.T.T.U 」であるのでここでもSRT をつかった。
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  このカテゴリーの潜水は、日本においては、自衛隊の水中処分隊(危険物処理潜水)、救難活動(海上保安庁:特殊救難隊)そして消防署、警察の潜水である。   ここで、自分と消防・警察の潜水との関わりであるが、もちろんこのような特殊な潜水に従事したことはない。しかし、テレビのカメラマン時代に特殊救難隊の訓練の取材、海上自衛隊の水中処分隊の訓練の取材を何度か経験している。消防、警察については、その草分けの1960年代に指導したことがあり、1980年代にも消防の講師を2回ほどやらせてもらったことがある。テレビの取材としては、立川の消防基地の立派なプール、(25mプールで、半面が可動床で5mの深さになる。それに水深15mの潜水訓練タワーを持つ)での訓練を撮ったことがある。なぜ、この施設で全国の消防潜水士の訓練をしないのだろう。消防という組織の不思議である。  そして、自分たちの指導団体(全日本潜水連盟)には東京の水上消防書の指導者レベルのダイバーがインストラクターとして在籍していたことがあり、救急法の講師をしてもらっていた。潜水指導者としては、レクリエーショナルダイビングだけのインストラクターよりも遙かに卓越した能力を持っていたし、ダイビングの世界をリードする位置にもあった。消防を退いてからダイビングショップのようなことを始めた方も何人か知っている。   この本による警察、消防の潜水は、潜水の形態(モード)として、①レスキューモード:不明者が生存している可能性がある場合、②サーチモード:遺体や証拠品の捜索、③リカバリーモード:サーチモードに引き続いて回収するモードにわけている。  事故から1時間以上経過した現着であれば、レスキューモードはほとんどあり得ない。ほとんどの場合がサーチモード、リカバリーモードだろう。  となると、それは、従来プロの作業ダイバーが行っていた遺体捜索と変わらない。遺体捜索ならば、自分もいくつかの経験がある。本書でも「現場での対応」として、発見できなければ罵声をうけ、見つけられれば賞賛を受けるとか、遺族への思いやりが必須とか、注意がなされている。 自分がプロのダイバーとして受けた注意事項は、「お金を先にもらわないで潜ってはいけない」というかなりハードボイルドなものであった。それでも、前金はもらいにくく、見つけられないことの方が多く、つらい仕事であった。 それを消防、警察が引き受けてくれることは、本当に助かるが、本書でも述べているように、その費用は誰が出すのでしょう。と言う問題がある。そして、消防も機動隊も捜索をいつまでも続けることはできないから、プロのダイバーへ、あるいはボランティアダイバーへとバトンタッチされることになる。東北大震災以来ボランティアの活躍はめざましいものがある。その多くは友人である。 大昔だが、米軍のパラレスキュー、スクーバを付けてパラシュート降下をするグループと知り合って一緒に真鶴で潜ったことがある。1960年代のことだから、本当に大昔だが、彼らは生存の可能性がなければ潜らないといっていた。つまりレスキューのプロなのだ。  本書では、レジャー、スポーツの潜水とは全く違うように書いているが、それは、ゲスト様とのちがいで、レクリエーションダイビングのガイドとかインストラクターの場合でも、本当に一刻をあらそうレスキューの場合もあり、状況によっては、命を懸けるシーンも想定される。しかし、著者も云うように、ちがいは、消防、警察では現場での進退を決める基準、命令系統が組織にウエイトを置いているということだ。プロダイバーは原則として進退は自分で決める。プロダイバーが生き延びるためには、適宜、逃げる方策を持っている必要があるのだが、消防、警察は逃げにくいだろう。しかし、やはり逃げなければ生き延びられないことは同じだとおもう。そして、日本の場合、生存の可能性が全く無くても、捜索を打ち切ることは許されない。  自分の考えでは、海上保安部、海上自衛隊は、海の潜水が主務で、レスキューが多い、消防、警察の潜水は内陸部の潜水であり、海上保安部のようなレスキューは、少ないことから、スタイルを替えた方が良いとおもっている。訓練も、特に警察機動隊は、ダイビングの練習を日常で行うことは、ほとんどできないのではないだろうか。本書では「訓練時間の不足」としている。 ただし、水上警察、水上消防暑の潜水でも、あるいはヘリコプターからの懸垂降下をするセクションであれば、本格的なSRTになるが。 SRT,つまりスペシャルチームであれば、常時訓練をしていなければならない。  さて第五章 潜水事故とそれに関する考察 まず、事故の発生状況の数表があり、平成元年から22年まで労基局に届けがあったプロの作業ダイバーの事故数について、81件の事故で、37が死亡事故であり、37のうち減圧症が1件であり、大部分が溺水、窒息である。おそらく、死亡に至らなかった事故のなかに減圧症がかなりあるのではないかと思うが、溺水を避ける運用方法が、一番大事ということだ。運用とは段取りとも言う。これは、自分の意見も同じである。 そして、 機動隊員の殉職事案の表を見ると、8例(何時からいつまでの間の出来事であるかは書かれていないので、これまでの総数か?)で、うち訓練中が6例である。事故死の大部分が訓練だとすると、訓練に欠陥があると思わないわけには行かない。この訓練死亡事例の詳細を掲載してほしかったが、情報が流れてこないことを、本書でも嘆いて居られるから、致し方がない。事故に至る経過などを想定してまとめている。  大分県でのエア切れの事故例を詳述されているのは、参考になるが、まともな潜水会社であれば、起こりえないことでもある。 忍野八海の事故は、自分の友人の事故であるから、よく知っているが、ここでも、単純な、ラインを持たずに入る非常識である。 機動隊の訓練中の事故も、例を上げてみれば多分同じような非常識パターンの繰り返しなのかもしれない。レジャーダイビングの事故も、同じパターンの繰り返しである。事故は、非常識パターンの繰り返しで起こる。  私見として、自分たちが教えていて危ないと思ったのは、身体強健で武道をやっている人だ。こういう人は自分は死なない。無敵だと思いやすい。陸上では無敵であっても、水中では体が大きく空気消費量の大きい人は、力仕事の作業能力は別として、その生存については、弱者ともいえる。なのに、水中でも無敵だと思っている。機動隊員の訓練はこれを考えに入れないと行けないのではないだろうか。 そして、機動隊員の潜水のほとんどは、サーチ、リカバリーであり、年間の潜水数も少ないだろうし、日常の訓練もほとんどできないし、やらないだろう。 となると、訓練はSRTのスタイルよりも、レクリエーショナルダイビングのスタイルの方が、少し譲っても作業ダイバーのスタイルの方がよいのではないか、と思う。
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 第6章をみると、ネックレスを未だにやっているようにみえる。この練習は1967年に僕たちが始めた練習方法なのであるし、ネックレス立ち泳ぎの練習が必ずしも悪いとは言い切れない。SRTでは必要だろう。しかし、いじめ的に見える訓練になりがちである。学生のトレーニングでは、1980年代のはじめころにこの練習による事故例が2例あり、禁止にした。禁止したから、技術レベルが下がったと言うこともない。水面を泳ぐ速さを競う練習でも十分に泳力を鍛えることはできる。競泳は市民権を得ているので、かなりハードなトレーニングもしごきとは受け取られない。そして、BCを使えば立ち泳ぎネックレスはいらない。
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 しかし、消防、警察はマッチョな世界だから、ネックレスも仕方が無いのかもしれない。「訓練の強要、(過剰な負担)という形でまとめているが、  機動隊は、訓練の強要が起こりやすい環境であるように思う。ならば、なおさらエキササイズが、そんなことになりにくいものに変えなければいけない。すなわち負荷をかけた立ち泳ぎ、周回などは中止すべきだろう。本書では、ネックレスの負荷ウエイトの重量の記述、立泳ぎの時間については触れていないが、この基準を作って、それを超えないようにするのも一策である。  これは、重い遺体をあげるのに重要というかもしれないが、遺体袋にロープで上げれば良いわけで、ウエイトなどによる負荷をかける練習は、スピードを競う競泳などに置き換えることができる。泳ぐパワーとスピードは、レスキューの武器になる。  もう一つ気になることは、海保と同様に、本書でみる限りは、オクトパスセカンドステージを使っていないようだ。すべての挿し絵にオクトパス、セフテイ・セカンドがない。バディブリージングは、背の立つところで練習しないとる事故が起きやすいし、実際の運用でも、事故例があり、本書でも第4章、捜索中に発生した事故例で、「一方の呼吸装置などにトラブルが生じ、バディブリージングをしながら急浮上したために、意識を失って溺水した」としている。
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消防も警察も、レクリエーションでダイビングを楽しんでいる人も多く、本書でも、その助けはバカにならないと書いている。レクリエーショナルダイビングとの違いをことさらにするのではなく、技術、器材についてクロスオーバーを考えるべきだとおもう。海保の救難潜水士もオクトパスを着けていないが、彼らは、プロの練習時間をもてる。警察、消防はそれがもてないとすれば、それに、バディブリージングの事故例もある。オクトパスを使うなど、プライド、志気に関わるからむりなのだろうか。本当は、器材の形状などを工夫して、海保の潜水士もオクトパスを着けたほうが良いと思っている。  先に述べたように「SRT。Diver」をみると ダイバーは、オクトパスも使って、ヘリコプターからのジャンプをしている。 バディブリージングの練習を否定しているものではない。エキササイズとして有効であるが、練習を行う水深は背の立つ水深で行うというのが、民間での常識である。また、多くの指導団体のプログラムからは外されている。  安全のためにリザーブバルブを使うことを勧めておられるが、警察の潜水事故の一例として、リザーブバルブを使いこなせなかった事故がある。事故例などをしめして、使い方の詳しい説明がほしい。リザーブにたより、残圧計を見ない潜水になっては危ない。 残圧計を見られない濁った水中を想定しているとすれば、リザーブを引いたら、リザーブがすでに落ちていたという事故例が多発し、残圧計の普及とともに、リザーブが使われなくなったことなどもあげて、あえて、リザーブを使う場合の使い方を説明すべきだとおもう。 私見では、つねに時間経過による残圧計確認を旨とするが、二重安全のために、残圧計がみられない環境で、意識してリザーブバルブを使うのならば良いと思う。その場合は、知らないうちにリザーブが降りていないか、残圧計と同様にたびたび確認する。意識しないでリザーブを使うことは危険でさえある。筆者は、40年以上前に、東亜潜水機に在籍していた時、スプリングの強さ、固定するノッチを工夫して、ぶつかったくらいではレバーが降りることはなく、必死でプルロッドを降ろさないと、作動しないリザーブバルブを作って売りだしたが、評判は悪かった。ぶつかって下りても、作動が柔らかいものを素人は好むのだ。そうこうしているうちに、リザーブは一般のダイビングからは消えた。なお、海上保安部のダイビングもリザーブバルブを正式装備にしている。多分、使用法の基準とマニュアルがあると思う。  力作であり、細かい部分についてはここでは触れていないが、すべて納得の行くものである。自分の知らない知識もある。消防、機動隊の潜水がこのようなものなのだと知る意味でも、ダイビング指導者は必読であろう。 サーチ、リカバリーの方法についても詳細で正確であり、そのマニュアルとして、引用できる。 講習を受けるために潜水士の資格が必要かと言う議論は、なぜ、潜水士資格に実技が含まれていないか、という疑問についての回答を示唆している。  参考 「S.R.T. Diver :1989 S.T.T.U 」 「海上保安庁最前線、実録「海猿」の世界:洋泉社MOOK 2010」

0716 豊潮丸航海 1

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18日、明後日ですが、広島大学の練習船豊潮丸の航海に出発するので、準備をしています。戻るのは26日です。今度の航海は五島列島の福江にまず行き南下して、牛深から屋久島までいき戻ってきます。南に熱低気圧が、発生しています、これはいつものことです。だから、屋久島まで南下できるか、微妙です。 早稲田大学、広島大学、北海道大学の教授、学生とともにする航海ですが、2007年から、同行させてもらっています。 80歳まで、と思っていたのですが、今年は81歳になってしまったので、バトンタッチして降りようと思ったのですが、諸般の事情で、もう一度行くことになりました。これで、ちょうど10回目、10年目になるからです。
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 自分の備忘のために、ブログにしています。これまでに書いた、9年分をまとめて、ファイルにして学生に渡そうかなどとも思いますが、まあ、ブログですから遡って見ることもできます。 準備した機材のリストです。BC 3個  ※学生と二人分+、予備。  ゴムボートからの潜水になるので、水面での着脱になれている、古いプレステージを持って行きます。レギュレーター2台+予備 残圧計の予備は?心配になったので、手持ちで持って行きます。なぜ、残圧計が心配かというと、船のコンプレッサーは、120キロまでしか、詰めてもらえないのです。そして、最大でも一日2回しか潜れませんから、空気はギリギリまで使います。。
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ウエットスーツ 3mm +フードジャケット 寒いといけないので、5mmを後送しました。フィンの予備も送った方が良かったかな? 船にもあるから、借りられるだろう。

ブーツ

マスク ダイブワイド 予備はマスクマウント用のマンテイスフィン巻き尺サンダル ウエイトベルト 4k4本 カメラ関係GOPRO2 × 3台ニコン 30m耐圧 コンデジペンタックス AW 10m耐圧 コンデジ※オリンパス タフは、水没してしまった。一眼レフはファインダーを覗けないし、重いのでパス。水中ライト イノンの700ルーメン2灯 フィッシュアイの2400は、故障、実質的には水没。修理を依頼しているが、割引をお願いしたがまだ、返事がこない。 PCは、古いヴィスタの富士通 FMVハードディスク 外付け2台  カメラマン時代に比べれば驚くほど貧しい。カメラ派といわれるレジャーダイバーと比べてもずいぶん貧しい。しかし、僕の航海も次はないのだから、買い加えることはしない。また、撮影の目的は記録、だから、これで良いと思っています。GOPROは、4でも3プラスでもなくて、2です。このごろ2を見ることが珍しくなりましたが、壊れないし、画質もまあまあですし、名機だと思って使っています。 その他には、石川さん 所有のゴムボート1台。タンク 12l 3本 10l2本 さて、僕の旅は、必ずといって良いほど忘れ物があります。今度の忘れ物は、何だろう。不安です。

0716 豊潮丸航海 1

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18日、明後日ですが、広島大学の練習船豊潮丸の航海に出発するので、準備をしています。戻るのは26日です。今度の航海は五島列島の福江にまず行き南下して、牛深から屋久島までいき戻ってきます。南に熱低気圧が、発生しています、これはいつものことです。だから、屋久島まで南下できるか、微妙です。 早稲田大学、広島大学、北海道大学の教授、学生とともにする航海ですが、2007年から、同行させてもらっています。 80歳まで、と思っていたのですが、今年は81歳になってしまったので、バトンタッチして降りようと思ったのですが、諸般の事情で、もう一度行くことになりました。これで、ちょうど10回目、10年目になるからです。
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 自分の備忘のために、ブログにしています。これまでに書いた、9年分をまとめて、ファイルにして学生に渡そうかなどとも思いますが、まあ、ブログですから遡って見ることもできます。 準備した機材のリストです。BC 3個  ※学生と二人分+、予備。  ゴムボートからの潜水になるので、水面での着脱になれている、古いプレステージを持って行きます。レギュレーター2台+予備 残圧計の予備は?心配になったので、手持ちで持って行きます。なぜ、残圧計が心配かというと、船のコンプレッサーは、120キロまでしか、詰めてもらえないのです。そして、最大でも一日2回しか潜れませんから、空気はギリギリまで使います。。
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ウエットスーツ 3mm +フードジャケット 寒いといけないので、5mmを後送しました。フィンの予備も送った方が良かったかな? 船にもあるから、借りられるだろう。

ブーツ

マスク ダイブワイド 予備はマスクマウント用のマンテイスフィン巻き尺サンダル ウエイトベルト 4k4本 カメラ関係GOPRO2 × 3台ニコン 30m耐圧 コンデジペンタックス AW 10m耐圧 コンデジ※オリンパス タフは、水没してしまった。一眼レフはファインダーを覗けないし、重いのでパス。水中ライト イノンの700ルーメン2灯 フィッシュアイの2400は、故障、実質的には水没。修理を依頼しているが、割引をお願いしたがまだ、返事がこない。 PCは、古いヴィスタの富士通 FMVハードディスク 外付け2台  カメラマン時代に比べれば驚くほど貧しい。カメラ派といわれるレジャーダイバーと比べてもずいぶん貧しい。しかし、僕の航海も次はないのだから、買い加えることはしない。また、撮影の目的は記録、だから、これで良いと思っています。GOPROは、4でも3プラスでもなくて、2です。このごろ2を見ることが珍しくなりましたが、壊れないし、画質もまあまあですし、名機だと思って使っています。 その他には、石川さん 所有のゴムボート1台。タンク 12l 3本 10l2本 さて、僕の旅は、必ずといって良いほど忘れ物があります。今度の忘れ物は、何だろう。不安です。

0717 雑感 スキンダイビング  SRT 

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中木ヒリゾ浜米沢くんがヒリゾ浜に行き、混雑!とフェイスブックにあったので、ヒリゾ浜混雑でネットを見たら、わんさと記事が出てきた。
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いまごろの夏は、海水浴ではなくて、スノーケリングであり、スキンダイビングなのだろうか。そして、業界の希望とかなんとかは別にして、決してダイビングとはクロスオーバーしない人たちが大部分なのだ。その辺りを理解していないと、また、スノーケリング事故続出などと言われる事になる可能性がある。そこから先へ、いろいろな対応がある。ベスト必着、ライセンスがなければいけない。ここまでは、容易に想像が付く。更にそこから先がどうなるのだろう。ただ。ライフベストを着けて泳ぐためのライセンスは、正気とはおもえない。ライフベストを脱ぐライセンスならわかる。まあ、ほっとけばそのうち、そんなことになるだろう。ただ、ソレが、PADIとかNAUIとかにならないで欲しい。反対しているわけではない、本質が違うのだ。自由であってほしいとおもうのだから、やはりライセンス反対かな?長らく、およそ15年、浦安海豚倶楽部というスキンダイビング倶楽部をやっている。カードなんてない。そのうち勝手なものを作っておいたほうが良いかもしれない。倶楽部指導に資格が必要であるならば、日体協のスポーツ指導者が指導する倶楽部、そして、PADI、NAUIとかのインストラクターでその指導資格のある指導者が教える倶楽部、にして欲しいけど、ベストを着けなければスノーケリングができないといえば、スキンダイビングにすれば良いのだが? そして、指導者を束ねる上部組織が、交わることのない平行線を作る。そうならなければ、良いのだが、なお、アプネアは少しベクトルが違うと思う。
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「スキンダイビング・セーフティ」売れ続けています。自分としての回答のつもりです。

海豚倶楽部の遠足は、ヒリゾ浜と言う案もあったのですが、式根島に行くことにした。

ブログにしても、フェイスブックにしても、レターでも、メールでも、書くということは、考えなおし、補正することでもある。次々と変化していって V3 V4 になる。
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さきごろ、SRTダイバーについてブログに書いた。そして、それについてのメールでのやりとり、消防、警察機動隊のダイビングは、SRTと呼べるようなものではないという。それでは、レクリエーションダイビングなのか?それも勿論ちがう。レクリエーショナルダイビングのダイブマスター養成、それほどのレベルでもないという。入門講習だという。 クロスオーバーしてつくり上げて来たもの、とも言えない。それが僕の提言だが、クロスオーバーするには、独特すぎる。本当にオクトパスは使わないのか?海保の潜水士は、あきらかにSRTだから、狭いところ、ロープの絡んだ中にも潜っていくから、引っ掛かりは避けたいというのはわかる。SRTを目指していないとすれば、。。。。。?もう少し、議論したいけれど、僕の専門分野ではない。それにしても、このテーマは、ダイビングが多様化して行く中でかなり重要なテーマだ。


豊潮丸航海

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航海、例年は、なんとか航海中に、ブログを送っていたのすが、僕のWiMAXのルーターは、こちらをカバーしていないので、送れない。東京に帰ってから、あるいは新幹線から送れれは。この航海19日に、東京を出て、26日まで、全部で8回の潜水ですが、後、余すところ1回です。

豊潮丸航海記-2 出港

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★豊潮丸、航海。 僕のWiMAXのルーターが航海のほぼ全域で使えない。カバーしていないのだ。最初からその心配はしていたのだけれど、昨年使っていたドコモは、使用料の制限が厳しい。 だから、豊潮丸航海記は、帰ってから連続で発信しよう。  7月18日 東京発 地下鉄東西線から東海道新幹線に行く途で迷ってしまった。大改造している途中で、東京駅に入る改札が東北新幹線と書いてあるので、入らなかった。 おのぼりさん状態だ。 駅弁を買うところが混雑、すごい勢いで売れている。新幹線=駅弁なのだ。 僕は新潟の鮭ハラコ飯、を買った。駅弁としてはたいへんに結構なものだった。 それと、「のぞみ」は指定券を買ってもらうのだが、いつも1ー3号の自由席で少し早い列車に乗ってしまう。 でも新幹線は、本当にすごい。20分間隔で発車している。  海へ出かける時はいつでも体調がわるい。昨晩は眠れなかった。旅で疲れるから、今夜は眠れるだろう。 そして、船に乗ると3日目ぐらいから調子がよくなり、絶好調で船を下りるのがこれまでのこと、だった。もしも、今回、船を降りるときに不調ならば、海にでて潜って、調子が良くならないならば、この航海をやめる時だろう。  実は、80歳でこの航海も区切りをつけるつもりだった。80歳は昨年だった。しかし、海にでれば、体調は良くなるはずだ。今度も大丈夫だろう。大丈夫だ。  81歳、さすがに人を助けることはできない。この数年は助けられる側だ。なのに、なぜ行くのだ。このことに、安全ということのポイントがあると思う。 人は、自分のフィジカルを物差しとして判断をする。これは、自己防衛の本能的なものだから、替えられない。 だから、僕と一緒に潜っていれば、安全なのだ。蟹は自分の体に合わせて巣穴を掘るという。ダイバーは自分の体力に合わせて、そのMAXに近いところで潜る。 僕も若いころは、自分のフィジカルに合わせて潜っていた。僕より弱い人にとっては、危険だったかもしれない。  同行する中尾教授は,想像するに30年のダイビングキャリアがある。なかには、危機一髪の場も何度となくあるに違いない。ポスドクをハワイ大学で、多分、潜水して採集もして、過ごしたのだろう。僕がハワイで撮影したレインボーバレィの写真をみて、この虹の根のあたりに下宿していた、という。しかし、常にブランクダイバーだ。そして自分を、そしてダイビングを知っている。僕と中尾先生のバディをスタンダードとして潜れば、安全だ。 町田君は、Cカードをどこかで取ってきた状態から、僕が教えた。辰巳でスキンダイビングを水平25m、深さ5mを楽にできるようにして、市川の国富プールで、機材の水中での扱いを確認した。僕が教えた、最後の弟子の一人だ、と僕は思っている。それから、豊潮丸でのダイビングを経験してから、日本水中科学協会のプライマリーコースをやって、合格した。テクニカルに進もうとすれば進める実力だが、博士課程の後期だから、テクニカルなどやる時間もないし、必要もない。もしかして、水深100mの生物の研究でもはじめれば、可能性はある。やらないだろうけれど。 相馬里奈ちゃんは、早稲田大学のダイビング同好会クラブでダイビングをやった。200は潜っているという。ダイバーですと言っても良いくらいの学生、女の子ダイバーだ。学連に入っている早稲田水中倶楽部ではなく、潜水会というクラブだという。一応安心して見ていられる。 僕と中尾先生のバディ、町田と里奈のバディ、二つのバディを鈴木敏久がガードする。 ★今回の忘れ物その壱は、PCのマウスだった。その弐は?  しし
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                   出港準備
7月19日、
広島から呉に移動。呉では必ず呉ラーメンを昼食に食べることにしているのだが、残念なことに、お休みだった。
 12時から荷物の積み込みをして13時出港だ。  この船の航海も、これで10回目になる。10回は切りがいいな。と実は考えていた。 豊潮丸は、広島大学の生物生産学部(古くは農学部・水産学部だ)で、水産学部だから、練習船を持っている。現在の豊潮丸は、四代目だ。平成18年11月に竣工、総トン数256トン 2006年竣工だから、僕がこの船に最初に乗った2007年は、まだまだぴかぴかの新造船だった。もちろん現在でも、美しい船だ。 ホームページ http://home.hiroshima-u.ac.jp/toyoshio/  練習船と言っても、現在は広島大学の実習だけでは、年間稼働日数が少ないので、維持する予算はつかない。公募して日本の各大学が共用、共同で使うことになる。僕たちの航海は、広島大学の生物生産学部の大学院、生物圏科学研究科 平山真 教室が主体となり、早稲田大学先進理工学部、生命化学科の中尾洋一、ケミカルバイオロジー研究室、北海道大学水産学部の酒井隆一教授の教室 三つの大学が共同でこの旅を成立させている。それにしても、現在の大学の学部名は、ほとんど判じ物だ。いちいち、ホームページにあたって確認しなければいけない。  広島大学は、海藻の類を扱い、中尾研究室は無脊椎動物、海綿を中心に採集、そのタンパク質を研究している。酒井先生も同じく無脊椎動物だが、八百屋的に何でも採集して研究しているように見える。 航海のタイトルは、「有用生理活性物質開発のための海洋生物採集」だ。ようするに今のわかりやすい言葉で言えば、活性物質 バイオの研究のための採集だ。 三つの大学がそれぞれ、学生5ー6名 教授、プラス 僕と鈴木が調査補助潜水員、安全についての全責任を負っている。女子率はおよそ50%、半数が女性だ。 平山先生は海藻の研究だから採集点は浅く、スクーバを使わず、スキンダイビングで採集している。
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                        積み込んだ潜水機材




 7月19日13時出港
 関門海峡を抜けて、壱岐にむかう。関門海峡通過をデッキで見ようとしていたのに、船の足が速く、僕が出て行こうとしたときは、通過したあとだった。
  

0727 豊潮丸航海記 3 7月20日

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7月20日、
 朝、8時が第1回目の潜水で、壱岐の芦辺南 というところで潜る。
  
  水温は何度だろうか?3mmのワンピースと5mmを持ってきた。最初、3mmでよいと思った。もはや7月中旬である。3mmにフードジャケットで良い。5mmのワンピースがあまりにもボロなので、3mmにしたのだが、やはり寒いだろうと5mmのぼろワンピースを後便で送っていたのだ。
 機材を開いて見たが、フードジャケットがない。忘れ物第二号だ。鈴木君は発送も手伝ってくれると言ったのだが、大丈夫だと断った。それがこの始末だ。
 観念した。寒くても大丈夫だろう。5mmで行こう。しかし、フードも無いのだ。フード一つで3mmと5mmの差ぐらいあるだろう。どうしよう。
 衣類の中に入っているかもしれない。バックに入りきらなかったので、別にした可能性もある。あった!衣類の底に敷くようにしてフードジャケットが入っていた。これで、命拾いをした。
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まず、平山先生の広島大学 海藻採集のスキンダイビンググループが、ボートに乗り、採集地点の岸に上陸して、スノーケリングで採集する。
 スノーケリングを降ろしたゴムボートが、豊潮丸にもどり、僕たちが発進する。準備は8時からだったが、潜水開始したのは9時を回った。

 赤いゴムボートにセットしたタンク7本、須賀10リットル、中尾、町田、里奈(10リットル)、鈴木、坂井、北大生、7本を積み、エンジン付きの、豊潮丸のゴムボートサイドバイサイドで、繋いで走って行く。もう、手慣れた作業になっている。なお、豊潮丸での空気充填は、120気圧までだ。120気圧より高い圧力は、コンプレッサーの能力が低いために、時間がかかりすぎる。船の乗員が片手間に充填するので、長い時間を充填にかけるわけには行かないのだ。
 これは、そのような取り決めであり、わがままはいえない。
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 潜水のパターンも決まっている。岸近く、岸までの距離、50mぐらいのところに、アンカーを入れて、赤いボートを浮かす。エンジン付きのボートから6人が飛び込む。鈴木が赤ボートからタンクをおろして、それぞれ、水面で着ける。その周辺、原則として半径100mぐらいを潜る。
 エンジン付きボートは、広島大学のスノーケリンググループを引き上げに行き、彼らを本船に収容してから、こちらに迎えに来る。僕たちの潜水時間は、40ー50分で 浮上するときにはすでにエンジン付きのボートは、待っていてくれる。
 スノーケリンググループと僕たちの潜水を併せて、2時間半を予定している。

 僕たちの基本フォーメーションは、ボートのアンカーの基点から80mの巻き尺を深い方向に延ばす。これが、ボートに戻るランドマークである。巻き尺のどちら側で潜っても、おおよそ、の逆方向にもどってくれば、巻き尺に当たるから、それをたどってゴムボートにもどれる。流れの速い時には、巻き尺からあまり離れないように、潮上に向かって泳げば、帰りは流されてきてマークにもどれる。ゴムボートは潮の流れないところに置かなくてはならない。瀬戸内海では、岸まで強く流れていて、苦労したが、岸から80mの範囲ならば、なんとか岸に戻れる。
 僕の持論なのだが、ダイビングの安全は、運用、段取りが80%を決める。そして何らかの方法で、戻る船、ボートまでの物理的なコンタクトを用意しておく。
 豊潮丸のスタイルではゴムボート、アンカー、アンカーから伸ばした巻尺がコンタクトになる。

 波、もしくはうねりが高ければ、豊潮丸からのボートの着発がむずかしくなり、危ないので、場所を変える。または。中止する。そして ゴムボートは、岩陰の波は全くないところに留めるから、一番気になるのは潮流である。玄界灘だから、潮が速いだろう途心配した。昔、僕は玄界灘で流されたことがある。潮が止まっていたので、何の準備も無く、つまり、コンタクトもなく、泳いだ。突然、潮が掛けてきた。危機一髪だった。今、流れていないからと言って、油断はできない。

 ボートからみると0.5のっとくらいの潮があるように見える。
 水面でのタンク装着は、下手になったが、とにかく一人でできる。できなければ、町田に助けてもらう。つくづく、自分が下手になったことを痛感する。
 中尾先生はちょっとてこずったが、里奈がアシストしてくれる。里奈もかなり素早くタンクを着けられる。

 バディは、須賀:中尾と 町田:里奈、鈴木はライフガード、そして、北大酒井先生のバディは、僕たちとあまり離れないようにしてもらう。これが、なかなか難しく、つい離れて行ってしまうのだが、ここは、酒井先生はじめ抜群の運動能力を持っているから、切り抜けられる。切り抜けられるという自信があるところが怖いので、注意はしている。僕たちのチームは、僕が最弱で、僕に合わせて判断し、まとまっているから、まず間違いはない。
 僕は5mmの古いワンピースにフードジャケット、町田は水温25度ならば、ワンピースのロングジョンだけで良いと上着を着ないで潜る。もしも、それで、町田が寒くないようだったら、僕も5mmをやめて3mmにしよう。
 ウエイトは4キロで良いはずだが、念のために1キロたして5キロにした。
 水深は3-4m、中尾先生の行きたい方向に行く。中尾先生は、僕よりナビゲーション感覚があるし、獲物(採集物)の在処を知っている。地形を見て、採集目的の海綿などのあり場を予想している。僕は撮影しながら(動画)をついて行き、ナイフで海綿をはがして採集するときに、ビニール袋に受け止めるだけの仕事だ。バディシステムは、役割を決めておくことで、確実になる。
 どの種類の海綿がよいものなのか、研究者でなければ、わからない。だから、研究者が、自ら潜らない限り、フィールドでの良い研究はできない。

 袋に収容するために、カメラを海底に置くと、体が浮いてしまう。仕方がないから、カメラは小脇に抱えて、採集の手伝いをする。水深は3.8m、浅いので、ウエイトが重くないと体が安定しない。次の潜水からは6キロにしよう。
 透視度は10-15m、日本海の典型的な海、海藻類、主にモクの類が繁茂している。
おだやかなイメージだ。
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 僕と里奈が、10リットルにしているので、僕が一番早くあがる。女性は空気の消費量がすくない。
それでも潜水時間は56分で、やや寒い。やはり3mmは無理かも知れない。体内での発熱エンジンが老化しているのだ。町田はロングジョンだけで寒くないらしい。
 もう、迎えのボートは来ているが、赤いボートにウエイトをあげ、タンクはボートにつないで、迎えのボートに上がろうかと思ったが、独力でゴムボートに上がれるか、根性を入れて、なんとか上がることができた。

 2回目の潜水も同じ芦辺で、すこしポイントを変えて、もう少し深度がとれる、すなわち急深のところをねらう。
 ボートに乗ってチェックするとGoProのバッテリーが上がっている。仕方がない、ニコン、1300だけにする。
 午前のポイントよりも、起伏があり、深いので、採集はこちらの方がよさそうだ。
 およそ14時に潜水開始 水深7.3m 水温26度、潜水時間47分
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 エンジン付きが、近くまで来ていたので、少し船べりが高いがひっぱりあげてもらった。ちなみに、僕を除いた、全員が独力でエンジンボートにはい上がれる。僕は、少し低い赤いボートが限界だ。
 無事に2回の潜水を終了して、壱岐の郷の裏港に入る。

 恐怖の遠足
 船が港に入ると、食事は船ではなくて、町に行って食べることになる。ここの教授たちは、なぜなのか、歩くのが好きで、すべて歩くことをポリシーとしている。どこまでも、目標まで歩くのだ。
 港に近く、町があるはずだから、歩いて食事に出る。それが、毎航海の、僕にとっては恐怖の遠足になる。これまで踏破した町は、数えきれない。外国ではイスタンブール、ナポリ、ジェノバ、を歩き倒した。とにかく歩く。ナポリは山の上のホテルに泊まり、はるかかなた、にナポリの夜景が美しい。歩くのだ。それでも帰りはタクシーに乗せてもらえた。
 壱岐、郷の浦も小さな町が港に接近してあるが、ちょうどいいラーメン屋とかがない。
 まず、町を探し回った。二か所ほど、食べ物屋があったが、先生たちは気に入らずパスした。
 やがて、町を離れて坂を上り始める。「峠の茶屋」に行くのか、峠を越えて次の街にいくのか。30分、いや、40分を歩いたと思う。坂道を登りながらだ。港の近くの街にも小さいスーパーがあったのだが、大きいスーパーに行きたいらしい。
 この郷の浦も、ご多分にもれず、古い町のお店はシャッターになっていて、町はずれにおおきなスーパーがあるらしい。スマホで調べて登っていく。もう歩くのはいや、というところに、相応のおおきさのスーパーがあり、入って物色している。どうやら、いつの間にか、食堂に入って食べるのはやめて、食材を買って、バーベキューをやりたいらしい。それならそれで、買い出しなら買い出しと言ってくれれば、船で待っていたのに。しかし、歩くことは健康に良いのだ。だいたい、僕は歩かなさすぎる。そのことを心配して、僕を強制的に歩かそうとしているのか? それはそれで、感謝もするけれど、1日に2本潜って、それから遠足に歩きだす。81歳だ。年齢のことを言ってはいけない。
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 一軒目のスーパーに入って、何も買わずに出てきて、さらに次のスーパーを目指す。
 次のスーパーは、さらに峠を登ったところにある。壱岐の島も車社会になっている。車社会とは、車がなければ日常の生活ができない社会である。歩いて1時間、坂を上ったとしても、車で行けば10分以内だ。町はずれ、山の中腹にスーパーが、威容を誇っている。これでは、町の商店街は潰れる。こんな山だけの小さい島、壱岐も、町外れに大型スーパーがある文化になっている。
 後発のスーパーは、さらに町から離れたところに建てることになる。麓から、次々に山の上にスーパーができる。山の上のほうがあとからの進出だから、上に行くほど、スーパーは大型になる。車で走れば、3分の距離だ。
 みんなでバーベキューの食材を2軒目のスーパーで買ったが、歩くのが趣味なのだろう中尾先生は町田と一緒にさらに上のスーパーに行った。

 鬼のような島だ。僕は一応見て、それでも20分は見て、何も買うものもないので、僕のフォローをしてくれる、中村君と一緒に坂を下り始めた、四分の一くらい戻った時、後ろからタクシー(買い込んだ食材を運ぶため、さすがに大量の食材を持って歩くのは?それとも僕のためか)が来て、ピックアップしてくれた。
 車ならば、坂を下り、豊潮丸まで、5分余で船にもどった。
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 北大の酒井先生は、バーベキューを学生と一緒に作って食べるのが、趣味なのだろう。とても良い先生なのだが、
 バーベキューの味は?それほどでもなかった。

07287 豊潮丸航海記 4 7月21日

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0721上五島 宇久島 沖1330潜水開始 水深 6.8m  潜水時間52分  0800壱岐 郷の浦を出港して、五島列島の 一番上、上五島 宇久島 沖で潜る。潜水開始は1330ごろ  水深4mぐらいにアンカーを入れる。
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 水面でタンクを装着するのに、GoProセットが邪魔になる。海底に落として置いて拾ってスタートしようとしたら、北大の酒井教授が拾ってくれた。仕方がないので、もう一度落として、タンクを着けた。そして、下を見ると、カメラがない。あわてた。とにかく潜って探そうとしたら、町田君が手にして持ってきてくれる。カメラが落ちていれば、必ず誰かが拾ってくれる。
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 海底は磯焼けのような石の連続で、何も見るべきものもなければ、採集するものもなさそうだ。 と、大きい岩 さしわたしで水面では15mくらい、水中では20mくらいの岩の陰、垂直は岩の面に中尾先生が採るべきものがあったらしい。小さな紫色の海綿で、岩に貼り付いている。カメラを海底に上向きに置いて、採集の袋入れをする。
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 上向きに置いたカメラはシルエットになるけれど、自分たちの動きを撮っているから、何かの足しにはなる。 本当に採集した海綿は毛のようで、袋からはみ出ると、指ではつかめない。袋の口で掬うようにする。もうひとつ、土筆のような海綿も手当たり次第に採って、小さい袋だがいっぱいになった。 波も流れも無いのだが、うねりで体が揺られる、中性浮力のままでできは、袋詰めができない。海底に膝立ちになる。それにしても、自分のバランスが悪くなっている。昔だったら止まれるだろうか、うねりで揺られるのは昔も今もかわりはない。でもやはり、昔のバランスとは違っている。老いを意識しすぎるのかもしれない。  僕のタンクは10リットルなので、少し早く空気が無くなる。鈴木君と役割を交代して、浮上する。波も無く流れも無い。 もう、迎えのボートは来ているので、タンクを赤ボートに留め、ウエイトと上げれば、エンジン付きのボートに上がってもよいのだが、赤ボートに独力で上がるのも、トレーニングのうち、よじ登った。
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 うねりがあるので、本船へに乗り移り、鈴木君はタンクを一人で、七本上げなくてはならない。鉄人鈴木と呼ばれている。  五島列島を南下して、夜半には福江沖に錨泊する予定だ。ベットで少し寝ているうちに、船をとめて釣りをやっていたらしい。マダイが9本とか釣れている。ダイビングをしない学生にとっては、釣り航海だ。 船が動き始めて、デッキに上がってみると、もう夕陽は五島列島の向こう側に沈んで、残照の夕焼けが刻々と変化する。なぜかネットが繋がったので、フェイスブックに送った、
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 里奈がへんなアプリで髭の生えたツーショットを撮ってフェイスブックに送った。せっかく人が夕景に感動しているのに、でも、これが若さだろう。今7月21日21時16分だ。船は走っているが、ほとんど揺れない。

0729 豊潮丸航海記 5 7月22日

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 7月22日 下五島 福江港 に入港、スマートフォンは良く繋がるので、ブログを送ろうと思ったら。僕のルーター ワイマックスはカバーしていない。帰ってから、連載で一日分ずつ出そう。  朝は、8時30分から、下五島の多々良島沖に潜る。 今日から、ウエットスーツを3mmにした。水温は25度もある。3mmのワンピースの上から、2mmのフードジャケットを着る。
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 海底は本当に何のこともない、ごろた石と、ところどころにある大きな岩。大きな岩の陰で、採集する。海綿の類は、陰になっているところに多い。 水深5.7m 50分潜水すると、3mmでは、寒かった。  午後、2回目の潜水は福江市の難しい字で何と読むのか分からない。鐙瀬アブミセ?瀬というくらいだから、潮が速い。豊潮が停泊している位置は、かなり沖だが、2ノットは十分に流れている。ゴムボートから水に入ってからタンクを背負とき、うまく、素早くやらないと流されてしまう恐れがある。 この頃の僕は、これが下手になった。数年前までは、デモストレーションで、秒単位でできたのに。 カメラ付きのステイを手に持ってでは、これはできない。誰かにもっていてもらえばよいのだが、人に頼むのはいやなのだ。カメラはゴムボートにつるして置いて、タンクを背負ってから取りに行くつもりだ。やはり、案ずるように、少し手古摺り、中尾先生に遅れてしまった。マスクに水が入ったので、ストラップを締め直そう。ダイブウエイズの一眼のダイブワイド(マスク)は締め直すことができる。締め直しているうちにストラップがプッツンと外れてしまった。片手で押えて泳ぐが、これでは、どうにもならないし。幸い、潮はのろくなっているが、何時速くなるかわからない。僕は、鈴木に後を託して戻った。。ゴムボートに張めぐらせているロープに片腕をひっかけて、マスクをなおそうとする。ダイブウエイズは設計がこっているから、なかなかうまく行かない。20分くらい格闘しただろうか、ようやく、なおして、みんなの方に向かう。
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ラインが張ってあるから、ラインの上か、もしくはラインの見えるところにいるだろう。北大の酒井先生たちはボートからあまり離れないで採集している。80mの巻尺エンドまで泳いでもいない。その先は10m以上の深さがある。空気を見ると、もう50近くなっている。戻ることにした。戻りながら撮影をする。水の透明度がわるいのだが、造礁サンゴがテーブル状に発育しているところが何か所かある。ゴムボートのアンカー、ラインの基点でラインの方向を見ながら戻ってくるのを待っているが、なかなか戻ってこない。僕の空気は20を切った。全員、そろそろ、空気が無くなるころだ。鈴木を付けて出したのだから、もしもということなど考えられないが、心配ではある。タンク、ウエイト、カメラ類を赤ボートにのせると、迎えのエンジン付きが来たので、それによじ登る。ボートから立った位置で見ると、気泡は二つのグループに離れて出ている。これで安心した。後から聞けば、ラインにそって深く行ったのではなく、手前のところを横に泳いで、それもあまり遠くには行かないで採集していたという。ラインを引いた場合、ラインとは直角方向に泳いで採集して、やがて引き返してくれば、ラインにぶつかり、ボートに戻れる。そういうフォーメーショなのだが、僕はライン方向で探してしまったのだ。マスクを押えて、別れた時に、みんなライン方向に泳いで行ったから、ラインの先端付近にいるとおもったのだ。そして、透視度は10m前後だったので、横に見たのでは遠くまでは見通せなかった。何よりも、ロープに沿って先にいったという思い込みがある。 福江の港に入港した。福江泊まりは、遠足はなくて、港近くのちゃんぽんと、五島うどんをたべた。僕と鈴木だけが、船に戻り、あとの皆様は、やはり街の方に歩いて行った。たしかに、街は歩いてみると、よく分かる。 僕も歩けばよかったかと反省する。

0730 豊潮丸航海記-6

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7月23日 福江港出て、南下して、牛深に向かう。あと残すところ3回の潜水。 今回の潜水はすべて、豊潮丸を沖に漂泊させて、ゴムボートを降ろし、岸に向かう。つまり、海から見た岸辺であり、その点が、陸から船で出て沖に向かう視点との違いがある。 ダイビングするポイントも陸から出る。ポイントとは違うし、ダイビングに適しているか否かもわからない。知らないところだから、常に不安だ。 
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                スノーケリングチームが出発  
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 ポイント到着まで、あと30分、機材の準備確認は済んだ。食堂に行ってみる。学生たちは本当によく笑う。笑い声がたえない。僕の学生の頃も、そうだったのだろうか。違っていたような気がする。先輩後輩の線引きが厳然としていて、一緒に笑い続けることなどなかったように思う。今は先生も一緒になってわらう。 僕も耳が遠くなければ、そう、5年前くらいは、一緒に、話をして笑ってた。   PM300 予定牛深の下須島沖、五島灘にむかう。
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潜水開始 15時49分 透視度15m 水温24度 最大水深 5.4m 潜水時間 59分 潜水終了 1645 今日から、タンクを12リトルにした。水面で装着するのならば、10リットルでなくても重くない。昨日のマスク バックル故障の際スノーケルを落としてしまった。ない。BC.に空気を入れておけば、別に問題ないのだが、あった方が良い。
装着がすばやい里奈にカメラを持ってもらった。潜水のパターンは、いつもと同じ、巻尺を伸ばして、直角方向に行く。泳ぐときは良いのだが、静止して、採集品をジップバックに入れるときのバランスがわるい。つくづくと潜水が下手になった。やはり、10を12リットル換えると、長持する。50になるまでに、体が寒くなってしまった。水温は24度だが、体を動かさないので寒いのだ。たえられないほどのことではないが、そろそろ、戻ろうよという気分になる。これということもない。安心な潜水だ。このチームで、手慣れた方法で、流れも無く波もないのだから。  今夜は、沖泊まり。時々停船しては、スローで走っている。明日の朝までに枕崎沖に進む。夕方、船員も学生も、停船して、釣り糸をたらす。ルアーを沈め、巻き上げるだけの簡単な釣りだ。それでも、見ている前で学生がイサキの中くらいた30cmぐらいを釣り上げた。海は平らで、落日、残照を見て、スチルをとって、フェイスブックに送った。この落日を見るのも、これが最後かと思う。
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食事の時間に誰も知らせてくれなかったので、食べていなかった。早稲田の中村君はやさしい子で、何時も僕をフォローしてくれる。なぜか、彼も食べずにいて、一緒に食べることができた。
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7月24日 AM800  枕崎沖 番所鼻沖 航海をしていると、航海のことしか考えられなくなる。そして、帰ってから押し寄せてくる苦労のことを思うと、暗い気持ちになる。そして、頭の中が空白になっている。そんな朝だ。 撮った動画の見直しと整理をしている。GoPro2の1台が調子が悪くなっている。2012年から酷使しているので、そろそろ寿命か?今日はSJ4000を使ってみよう。 潜水開始0855 最大水深5.5m 潜水時間50分 0945 潜水終了 今日は、ウェットスーツを5mmに戻した。あまりにもボロボロ 膝当てがはがれかかっているし、尻は破れている。いくらなんでもみっともないと思うのだが、学生レンタル用に、ハリサンの安売りでかった。ハリサンは、日本で初めてのダイビング用品安売りメーカーでずいぶんいろいろなものを買った。オーナーの越石さんは引退したけれど、元気だろうか。 とにかく、そのスーツで、少しきつめだけど、身体に合っている。昔、ハワイで、人食いサメをテーマで番組を撮り、ハワイのネーティブダイバーに手伝ってもらったが、ハワイヤンダイバーは、ウェットスーツがボロで、それがカッコよかった。僕ももう、死ぬまでこのボロウェットスーツで過ごそうか? 5mmのワンピースとフードジャケットで全然寒くならなかった。水温24度だから、当然だろうが、町田君はも、昨日から5mmの上着も着るようになっている。若くても寒いんだ。 マスク、ダイブワイド は、顔に合わなくなってきていて、水が入ってきて、うっとうしい。バッグの中に入っていた、ダイブウエイズの新型マスク、アイアイにしてみた。この前、2年ぐらい前だろうか、このマスクに水が入ったので、顔に合わないのだろうと放っておいた。ところが、今日着けて見て、一滴の水も入ってこない。しばらくは、これで行こう。しかし、アイアイという名前は嫌いだ。せめて、シーホーク、海鷹にすればよいのに。でも、ダイブウエイズの武田さんを見なおした。 ようやく、残すところ、あと明日の一回だけになって、道具が身体になじんで、身体も元気になってきている。 やはり潜ればすべてOK になるのだ。 海底の様子は、今回これまでの潜水で最低だろう。あいかわらずの海藻なしのゴロタ石だ。中尾先生のフィンのストラップが切れてしまって、鈴木君が適当なゴム紐、ゴムボートにあったもので足にくくり付けただけなのだ。良く、ゴム紐を持っていたものだと感心する。
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中尾先生はどんどん先に泳いで行き、紫色の海綿を採集したが、成果はあがらなかったようだ。GoPro2がだいぶくたびれてきたので、SJ4000を使ってみた。色は奇麗なのだが、ハウジングの窓の傷が画像を斑にしている。明日は、別の、もう一台のSJを使ってみよう。荒い使い方をするが、やはりレンズ面は大事にしないといけない。 昼はカレーライスで、僕の好みの味ではないが、カレーはカレーだから、みんな残さずに食べているようだ。僕も完食した。 13時山川港、入港。  指宿の砂風呂に行く。この航海でたしか二度目になる。歩くのかとおっかなびっくりついて行ったら、バスに乗るこのになった。 風呂の後、向かいのお店で、白クマを食べた。 そして、帰ることになったら、皆さんは歩いて帰る。バスがあるのに、歩くのだから、これはもうトレーニングの一つだと思わなければいけない。僕は、バスで帰らせてもらった。広島大学グループもバスで一緒に帰った。 町田と里奈は、指宿から山川まで歩いた上に、ポケモンGO とかで、さらにさまよい歩き、食事の半ばごろに戻ってきた。
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 夜は街に出ないで、後甲板で電熱ホットプレートでのパーティ? 焼きそばを、それも一寸味が濃すぎる焼きそばをたくさん食べたので、その後に焼いた肉類をあまりたべられなかった。 耳が聞こえれば、学生の仲間に入って行くのだが、外側から楽しそうにしている写真を撮るだけ。
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