半日考えごとをして過ごしてしまった。生産的積極的な考えではなくて、非生産的な考えごとだ。ブログに出すことがためらわれるが、せっかく、かんがえていたことだ。 日々、というほどではないが、年々、フィジカル、身体的な能力は衰えて行く、俄か身障者なのだ。この上になにか痛みを伴う病気が伴えばどうだろう。それでも、それに負けるつもりはないが、どこも痛くないことの幸運を思いつつ、出来る限り積極的に生きる意欲を持ち続けようとしている。 そのことを、若い健康なダイバーから見れば、暴走、無謀と見え、受け取られるのだろう。しかし、若くして死ぬという幸運に恵まれないかぎり、人はだれでも、その日を迎え、戦わなければならない。 若いころ、ギボンのローマ帝国衰亡史が愛読書だった。なかでも皇帝ユリアヌスが若くして戦場に倒れ、周囲の人たちに見守られつつ、自分が若い死を迎えることの幸運を述べる一節が好きだった。いま、書き抜こうとして、岩波文庫の全10冊を探したら、その部分の3-4がない。どこかに別にしてある。 自分の一生を振り返ると、すべてが、現在生きている世代の先頭であったような気がする。男女共学、そんな言葉は、今の人達は感覚的にわからないだろう。旧制高校から新制への移り変わり、社会的にも、食料事情でもすべて新しいことだった。車を自分が持つことなど考えられもしなかった。潜水、ダイビングについては、特に、すべてのことが未経験、未開の地へのチャレンジだった。ヤシの木の下で潜れることなども予想できなかった。ダイビング機材についても、技術についても、日々革新だった。ニッポン潜水グラフィティという本を書いた。その時代に生きられたことは幸運で、今の人達からみたら羨ましいと思われる。 しかし、ある年齢を越えると、身体能力、知的能力は下降線をたどる。一方で、技術、器材は上昇線だ。その下降線と上昇線がグラフ上で交わるところで、60歳の区切りとして100m潜った。その時もフィジカル、健康上で無謀ととらえられ、さまざまな健康チェックを受けた。トレッドミルにのっての14メッツ達成などは、僕の心臓にとっては、死に一番近いところだったのかもしれない。そして、心臓カテーテルチェック、それがすでに20年前のことだ。80歳の時まで生きて人並みに潜っていられることを目指したが、到底達成できないこととおもわれた。事実、その20年間に癌の手術もうけた。80mもぐること、無謀であり、なんの意味のないこと言われる。言う人にとっては、意味のないことなのだろうから、そのことに反論はしない。 衰え行く身体能力を、器材とか物理的なもので補っていき、無謀と言われる可能性のある条件を排除していくしかない。 80歳でも潜れる、身障者でも潜れる器材の開発と準備がターゲットになった。そんな、沈んでいくだけの潜水ならば誰でも出来ると言われる。そう、ダイバーならば誰でも出来ることを目指している。 そして、それでも無謀と言われる。生きていること、水に潜ることがすでに無謀なのだ。ヘリウムを吸うと何が起こるか分からないといわれる。60歳のときはヘリウムを吸って、ただ、呼吸抵抗が少なかったが、何事も起こらない。浮上中、ヘリウムからナイトロックスに戻す時もショックがあると言われたが、何も無かった。20年経てば変わっているだろうが、基本的に自分はガスの変化には耐性があるのだと考えよう。 潜水していれば、何時倒れて、仲間に迷惑をかけるかわからない。しかし、若くして突然死ぬ人もいる。遺族は賠償責任を追求する。今の自分は死んでも当然だとも考えられるから、賠償責任の迷惑はかけない。 自己中心に考えなければ、ダイビングなどはやくやめて、寝たきり老人として余生をおくらなければならない。ダイバーにとっては、水に潜れないことが、すなわち、陸上人間の寝たきり状態なのだ。 この状況も、あとに続いてくる60代の日本人、そしてダイバーの先頭を切っている。僕はフィジカルにスーパーマンでもない。病弱である。ダイビングさえやめれば、生きていることが保証されるものでもない。 自分としての、つまり自己中心の答えは死ぬまで生きる。寝たきりとなり、介護に家族の人生をロストさせるところまで来れば、事実上生きていないことになる。死ぬまで生きるということは、主治医の河合先生にも伝えてある。死ぬまで生きることを誰も止められない。生きていることを止められれば、死を選ぶほかない。つまり、寝たきりになる。町を歩いていたとしても、それはダイバーとしての寝たきりだ。 死ににくい人間と、そうでない人間とがある。僕は自殺する自信がない。だから、自分は死なないとは言わないが、自律的に死を回避してしまう。危険であることを前もって自覚して、危険を避けることに集中している時、人は死なない。80m潜る時も、日常に45mまで潜る時も、毎度、危険を頭のなかでシミュレーションする。恐怖を感じるのはエントリー・エキジットだ。 こんな生き方を選んだことは不幸なことだったと思う。もっと安楽な道はたくさんあった。 自分で選んだ人生なのだから、愚痴を言ってはいけない。愚痴ではなくて、反論なのだ。 やがては、80歳のダイバーが増えてくることだろう。一つのサンプルでありたいと思っている。自分は病弱だから、平均レベルだと考えられる。スーパーマンはサンプルにはならない。
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0415 8080 -9
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0417等圧気泡形成
等圧気泡形成(アイソバリック・バブル・フォーメーション)「混合ガス潜水において、減圧中にヘリオックスから空気やナイトロックスなど、ヘリウムとは異なった媒体の呼吸ガスに変更した場合に、肺内に気泡が生じる可能性があることが指摘されている。呼吸ガスを減圧中に変更するいわゆるガス・スイッチを採用して潜水ショウとする場合は、専門家の指導や助言を得て慎重に対応することが望ましい。」 潜水士テキストからの引用だが、気泡が生じる、つまりAGEのようなことが起こる可能性があるということなのだが、ここで、どのように対応したら良いのか、また予防策があるのならば専門家が書いておいてくれるのが望ましい。 専門家としても、やはり、なにか症状があらわれたら、再圧治療をする他ないのだろう。 20年前、60歳の時の100m潜水でも、このことが指摘されて、やってみなければわからないと、かなり乱暴だが、空気を呼吸して、ヘリオックスのタンクを小脇に抱えて、八幡野で、大西と二人で潜ってやってみた。窒素酔いがどのように消失するかのテストもかねたつもりであった。水深60mまで潜った。僕はあまり酔わなかった。その前に、60mの空気潜水を何度かやって慣らしていたからかもしれない。大西はひどく酔って、ヘリウムに切り替えたら劇的に、瞬間的に窒素酔いが消失したのでおどろいたと言っていた。それから、再び、ヘリオックスから空気にもどした。この時に気泡形成がおこるか、なにか異常があるかと身構えたが、何もなかった。 60歳の100m潜水では、12%の酸素88%のヘリウムの混合ガスを使った。水深45mまで浮上した時にステージを2分間停止して空気呼吸に切り替えた。さらに33mに浮上して、ステージを停止して、36%OEMに切り替えた。これも別に異常はなかった。だから、僕はガス交換では何事もない人だとも考えるが20年前のことである。それに生体の反応だから、日々の体調でも異なるのだろう。だからやってみる他ない。そして、やはり完全に浮上停止して、切り替えなければならないだろう。潜降索で、あるいは斜面で、40mあたりで停止するつもりでいる。 80歳というのは、異常だし、何のためにやるのか意味がわからない。と言われる。意味と言われても困るが、27歳の時の100m潜水の時、船上からの長い送気ホースでトラブルが起こったので、ガス供給源を海底に下ろすのが、一番安全と考えた。そして、60歳のステージに乗っての潜降は、あまりにもお金が掛かり過ぎた。なんとかもっと手軽に50-60に潜れないのか、とハイブリッドシステムを考えた。ソレが、身障者でも高齢者でも潜れる器材だったとすれば、若いプロダイバーならばさらい安全に潜れるだろうと考えた。 しかし、このガス・スイッチによる気泡形成がそんなに危険なことであるならば、ガススイッチをせず、60-70m程度ならば、終始一貫して空気で潜ったほうが良いということにならないだろうか。ここでまた、窒素酔いは訓練と慣れで軽減することが出来るのか出来ないのかという問題にぶつかる。自分の経験、そして、空気で60mに潜ったほとんどのダイバーの言では、軽減する。古い資料だが、潜水医学入門 スタンリーマイルズ、町田喜久雄訳1971 では、「訓練と経験によって、多くのダイバーは確実に窒素麻酔に対する抵抗性を増強する。」もちろん、自分の潜水では混合ガスを使うが、今回の規則改訂で40m以上は混合ガスでなければ、潜れないことになった。これまで60m-70mまでは慣れによって、作業をして無事に過ごしてきた。混合ガスにすれば、ガス・スイッチの危険が発生するというのでは、潜る作業ができなくなってしまう。定置網の潜水を中心とした、漁業関連の潜水では、60m辺までは、やはり空気での潜水にせざるをえないだろう。 窒素酔いに限らず、酔いというのは主観的なことで、本人は酔っていないといっても、傍からみていておかしいということは常にある。自分も、60mの潜水で、意識はしっかりしているのに、カメラのピント合わせを忘れたり、浮上するのを忘れたり、幾つかの経験をした。だからといって、潜れないということもなかった。電話線を付けて潜った。 規則というものへの解釈なのだが、潜水の場合は交通事故のように他を傷つけることはない。自分が傷つくだけなのだ。禁止されているのに、自分の責任で、やったのだから、他を恨むことも、責任を追求することもできないというのが、自分の基本的解釈である。ただし、業務命令でやらせる潜水については、本人の責任ではなくて事業者の責任になる。これが業務潜水と、レクリエーショナルダイビングとの大きな違いだ。そして、この部分では、漁業関連の潜水について、大きな問題がある。しかし、潜水士テキストだって、「いろいろあるけれど、がんばって行こう」的なことは書けない。 自分の場合については、60歳のときもそうだったが、高齢になってからの潜水は、身体の内側で起こることへのチャレンジになる。なにもしないで静かに隠居して過ごすのがあるべき姿なのだろう。しかし、それでは生きられない人間にとっては、チャレンジするしかない。自分について言えば、例えば、肺の中で僅かな気泡形成があったとしても、これまでの経験から、それは生命に関わるほどのことではなくて、通常の病気程度であり、悪くても再圧治療で治るものだろうと想定する。若い人で、普通の潜水をしていても、呼吸停止などしないで浮上したのにAGEになったという事をよく聞く、やはり浮上速度が早かったからなのだろうか?意外にも、減圧症よりも、こちらのほうが問題なのかもしれない?お医者さんの回答は常にネガティブである。ポジティブな回答などしたら、事故が起こった時、責任を問われる。潜水士テキストの記述も同じで、大丈夫などとは決して書けない。しかし、それを持って禁止条項であるとしたのでは、潜水などできなくなってしまう。自分の責任で、線を越すしかないのだろう。 ガススイッチについては、混合ガスを使用する場合には、浮上を一旦停止して急激なガス変更をしないようなバルブ操作をするということだろうか。
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0420 ガレージ整理
ブログについて ブログをずいぶんと長い時間をかけているが、公開できない。というのは、ブログお書きながら、考えていて、次の企画書につなげようとしている。そうしないと、ブログを書く時間がもったいないということになってしまう。 読んでいただける方に面白いかどうか、役に立つかどうか考えてしまうが、とりあえずはこの方法で進行させる。 先日、これまでのブログを10年分整理下。その中で、自分なりに心に止まるのは、テーマを持って考え実行したこと、そして旅の記録だ。現在、移動する旅はあまりしていない。 今書きかけている。ほとんど出来上がっていて推敲をしているテーマは、ダイビングのスタイルについて、僕はスクーバのレクリエーショナルダイビングを、テクニカルダイビング、スタンダードダイビング、クラシックスタイルの3つにわけた。そのことと、そして高気圧作業安全衛生規則の業務潜水とレクリエーションダイビングの関連、につなげている。 もう一つの大きなテーマは、日本潜水歴史協会を作ろうと言う企画。 もう一つがお台場の潜水を通じて、東京港の浄化になんとか貢献したい。 なかなか、公開できないので、予告編を書いている。 お台場の申請 お台場といえば、ようやく4月から9月までの許可がおりた。2月から始めているので、3ヶ月かかっている。こちらの変更事項があったりしたので、時間がかかったが、僕にとっては、頭脳的な格闘技だった。担当官はみんな親切というか、よく説明はしてくれるのだが、許可が下りないことの説明だから、書きなおさなくてはならない。そして、4月の年度替わりで、3月に許可をおろしてくれた担当官が変わって、変わった担当官に変更の申請をすることになった。変更だから、届出だけで良いかと思ったら、許可したことの申請は、当然ではあるが許可の変更願いを出して、再度許可を得なければならない。なに、日時の変更だけだからと思ったが、その書式とか、勉強することが多かった。 新しい担当官は女性で、若くて、かなりの美人で、はっきりすっきりしている。耳が遠く、電話がわかりにくいのだが、明瞭によく分かり、気持ちがいい。2-3年はこの人と付き合うのだろうか。 ガレージの整理ガレージの整理、つまり捨てるものを捨てる。残すもので、誰か、どこかでやくにたつものがあれば、とっておいて、役に立ててもらう。購入した時の値段で100万をこえているものが、まだまだ、いくつかある。さすがに捨てるに忍びない。 潮美の水中レポートに使用したケーブルがドサッとある。銅線なので売れるということで連れて行ってもらった。3000円になった。業者に任せれば処理代をとられる。プラスマイナスで5000円ぐらいの稼ぎになった。いろいろな事、ものを整理してゆかなくてはならない。もしものときに迷惑をできるだけかけないように、また役に立つものは役に立てたい。 日本潜水歴史協会をつくろうということは、整理していて、「これは博物館行き」というものがかなりある。これは全国的に、世を去りゆくダイバーもこれから多いことから、なくしてならないもの、歴史的に価値のあるもの、あるいは資料を保存して、それがどこにあるのか、どんなものなのかを記録して置く必要があるからだ。 集めた資料も散らしてしまいたくはないが、図書、資料の整理というのは、すごく難しそう
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0421 スタイル論
スタイル論
ここから書くところだが、考えながら書いているので、意図したことと全く違う結論になったりして、書きなおしては書いている。論理的に筋が通らない部分もあるかもしれない。いずれ書きなおすことになれば、さらに書き改めるが、ここでは、考えに任せて、書き進むことにしたい。
読んでいただけた方が、それは違うと思ってくださって良いし、面白がって読んでいただければ、さらに嬉しい。
先日も、なんで、こんなことをやるのかという、アドバイスというかお考えをメッセージとしていだだいた。81歳になってダイビングを続けていることの是非もあるだろう。それは生き方のスタイルであり、価値観という言葉にも置き換えられる。
それぞれの人に生きて行くスタイルがある。流儀と言っても良い。ダイビングにもスタイルがある。いつもいつも、ダイビングで大事だと言っている運用、段取りは、スタイルによって大きく変わる。スタイルによって決まるといっても良いくらいだ。
昔、たしかビギンという雑誌だったが、PADI、NAUI 、全日本潜水連盟、のインストラクターの漫画を並べて違いをみせていた。PADIは「彼女が水着に着替えたら」風、NAUIは真面目ぶっているスタンダード、全日本潜水連盟はウエットスーツは、つぎはぎで、作業ダイバー風だった。今探してみたのだが、その雑誌が紛失している。このところ、捜索が続いているので、もう嫌だ。それでも、その雑誌のころは、PADI、NAUI、全日本潜水連盟と並べられていたが、今では水平線の下に沈んでいる。これも、このスタイルの差の結果だろうか。
すがた、かたち、で言えば、いまの僕も、20年前のウエットスーツをきていたりして、笑ってしまう。
スタイルといった時、国別の区別もある、ジャパニーズスタイルと、コリアンスタイルはちがう。アメリカン、ウエイオブライフのために、アメリカは戦争も辞さない。
大きなつかみから、小さい差まで、なんでもスタイルという言葉は使える。
さて、書きたいのは、ダイビングに関わるスタイルだが、やはり、指導団体によってスタイルは変わる。また、所変わればと昔から言うように、場所によっても違う、ショップによっても違う、先に述べた人、個人によってもかわる。つまり、インストラクターによってもガイドダイバーによってもかわる。微妙な違いから、大きな違いもある。あまり細かいところまで入り込むと、重なりあってもいるし、収拾がつかなくなってしまうから、ここでは、大雑把にわけたもので、をまず考える。
ダイビングの大きなスタイルわけとして、前提条件として、まずスクーバであることとしよう。レクリエーションであるか、業務であるかという分け方もあるが、これについては後で述べる。
今の自分の周囲の地域的な状況かもしれないが、テクニカルダイビングという新しい、目立つスタイルがあり、これに対応するように普通のダイビングがあるのだが、普通のダイビングをスタンダードスタイルと、クラシックスタイルに分けてみよう。
テクニカルダイビングについては、あとで論ずるので、まず置いておき。クラシックスタイルとは、1970年台、1980年代に絶頂を迎え、後は下り坂のスタイルである。良いスイマーは良いスキンダイバーになり、良いスキンダイバーは良いスクーバダイバーになれる。というのが基本で、とにかく泳力重視、泳力が生命を救う。いまでも繰り返し行われているフリッパー競泳もこのスタイルでの、安全策である。器材については、シンプルイズベスト、複雑なものは好まない。例えば、電子制御のリブリーザーなどは、範疇の外である。原則として、活動は自己責任、かつては、60mあたりまで潜っていたが、規則の改訂で、40mが最大となった。クラシックスタイルは、作業ダイビングに近く、軽作業、研究者の潜水も含まれる。
次にスタンダードスタイルだが、指導団体の精緻なプログラムに従って、階段を登っていく。オープンウォーターから始まり、マスターダイバーだとか、ダイブマスターだとか、アシスタントだとか団体によって呼び方はちがうが、頂点はインストラクターであり、もちろん、そのインストラクターにもクラスわけがある。階段のどこかで、停止することも、ドロップアウトして、ダイビングをやめてしまう人も多いが、とにかく、階段を登っていくスタイルである。
全日本潜水連盟だが、僕が理事長の時代は、クラシックスタイルを信奉していた。今では、スタンダードを目指しているように見える。PADIと同じ土俵、同じスタイルで勝負するなというのだが、スタイルがよくわかっていない。
全体としてみれば、指導団体にも、いくつかの特長あるスタイルがあったほうが良い、と思っている。全日本潜水連盟もクラシックスタイルを前面に立てて、勝負するならば、10%くらいのシエアは取れるのに、と思うが、もはや過ぎた話だ。
続く
ここから書くところだが、考えながら書いているので、意図したことと全く違う結論になったりして、書きなおしては書いている。論理的に筋が通らない部分もあるかもしれない。いずれ書きなおすことになれば、さらに書き改めるが、ここでは、考えに任せて、書き進むことにしたい。
読んでいただけた方が、それは違うと思ってくださって良いし、面白がって読んでいただければ、さらに嬉しい。
先日も、なんで、こんなことをやるのかという、アドバイスというかお考えをメッセージとしていだだいた。81歳になってダイビングを続けていることの是非もあるだろう。それは生き方のスタイルであり、価値観という言葉にも置き換えられる。
それぞれの人に生きて行くスタイルがある。流儀と言っても良い。ダイビングにもスタイルがある。いつもいつも、ダイビングで大事だと言っている運用、段取りは、スタイルによって大きく変わる。スタイルによって決まるといっても良いくらいだ。
昔、たしかビギンという雑誌だったが、PADI、NAUI 、全日本潜水連盟、のインストラクターの漫画を並べて違いをみせていた。PADIは「彼女が水着に着替えたら」風、NAUIは真面目ぶっているスタンダード、全日本潜水連盟はウエットスーツは、つぎはぎで、作業ダイバー風だった。今探してみたのだが、その雑誌が紛失している。このところ、捜索が続いているので、もう嫌だ。それでも、その雑誌のころは、PADI、NAUI、全日本潜水連盟と並べられていたが、今では水平線の下に沈んでいる。これも、このスタイルの差の結果だろうか。
すがた、かたち、で言えば、いまの僕も、20年前のウエットスーツをきていたりして、笑ってしまう。
スタイルといった時、国別の区別もある、ジャパニーズスタイルと、コリアンスタイルはちがう。アメリカン、ウエイオブライフのために、アメリカは戦争も辞さない。
大きなつかみから、小さい差まで、なんでもスタイルという言葉は使える。
さて、書きたいのは、ダイビングに関わるスタイルだが、やはり、指導団体によってスタイルは変わる。また、所変わればと昔から言うように、場所によっても違う、ショップによっても違う、先に述べた人、個人によってもかわる。つまり、インストラクターによってもガイドダイバーによってもかわる。微妙な違いから、大きな違いもある。あまり細かいところまで入り込むと、重なりあってもいるし、収拾がつかなくなってしまうから、ここでは、大雑把にわけたもので、をまず考える。
ダイビングの大きなスタイルわけとして、前提条件として、まずスクーバであることとしよう。レクリエーションであるか、業務であるかという分け方もあるが、これについては後で述べる。
今の自分の周囲の地域的な状況かもしれないが、テクニカルダイビングという新しい、目立つスタイルがあり、これに対応するように普通のダイビングがあるのだが、普通のダイビングをスタンダードスタイルと、クラシックスタイルに分けてみよう。
テクニカルダイビングについては、あとで論ずるので、まず置いておき。クラシックスタイルとは、1970年台、1980年代に絶頂を迎え、後は下り坂のスタイルである。良いスイマーは良いスキンダイバーになり、良いスキンダイバーは良いスクーバダイバーになれる。というのが基本で、とにかく泳力重視、泳力が生命を救う。いまでも繰り返し行われているフリッパー競泳もこのスタイルでの、安全策である。器材については、シンプルイズベスト、複雑なものは好まない。例えば、電子制御のリブリーザーなどは、範疇の外である。原則として、活動は自己責任、かつては、60mあたりまで潜っていたが、規則の改訂で、40mが最大となった。クラシックスタイルは、作業ダイビングに近く、軽作業、研究者の潜水も含まれる。
次にスタンダードスタイルだが、指導団体の精緻なプログラムに従って、階段を登っていく。オープンウォーターから始まり、マスターダイバーだとか、ダイブマスターだとか、アシスタントだとか団体によって呼び方はちがうが、頂点はインストラクターであり、もちろん、そのインストラクターにもクラスわけがある。階段のどこかで、停止することも、ドロップアウトして、ダイビングをやめてしまう人も多いが、とにかく、階段を登っていくスタイルである。
全日本潜水連盟だが、僕が理事長の時代は、クラシックスタイルを信奉していた。今では、スタンダードを目指しているように見える。PADIと同じ土俵、同じスタイルで勝負するなというのだが、スタイルがよくわかっていない。
全体としてみれば、指導団体にも、いくつかの特長あるスタイルがあったほうが良い、と思っている。全日本潜水連盟もクラシックスタイルを前面に立てて、勝負するならば、10%くらいのシエアは取れるのに、と思うが、もはや過ぎた話だ。
続く
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0423 スタイル論 2 スタイルにこだわった。
スタイル論 2 前回で、だいたい僕の考えているダイビン
グのスタイルとは、どのようなことなのか、わかっていただけたと思う。スタイルの区別わけをするときに定めておく定義がある。辞書だとか用語集の定義は、例えば「ダイビングとは、ここでは、水に潜ることを言う。飛び込み競技を指す場合もある」と言うように、できるだけ異論が無いようにしたいが、いや、違うと、議論が必要になる場合も多い。ここでも、テクニカルダイビングとは、なにか?ここでは、二つの定義について考えた。今はもっと多岐にわたっているかもしれない。しかし、選択肢が多いと定義にならなくなってしまう。ここで意図するところは、ダイビングという行動、活動を、出来るだけ分析的に見てゆこうとするもので、何をしているのかわからなければ、安全についても、わからない。古い言葉で言えば、敵を知り己をしらなければ、勝てない(安全には潜れない)。
今でこそ、テクニカルダイビング と呼ばれるスタイルが拡大しつつあるが、テクニカルダイビングは、日本においてはおよそ20年前、自分が60歳で100m潜水をやったころから、人が口にするようになった。 アメリカでもテクニカルの団体ができはじめたのはその前後だったと思う。 僕の100m潜水の医学的なバックアップは、若いころ、素潜りで30mまで行って魚を突いていた後藤與四之先生だった。ダイビングについては、鶴燿一郎の弟子であった。ここまでのところ、医師として、彼以上のダイバーはいない。埼玉医科大学で梨本先生の下で潜水医学を研究をされていたが、現在は群馬県で開業されている。(医療法人かがやき) その後藤先生が、1993年.アメリカではすでにテクニカルダイビングが盛んになっているが、僕の潜水が日本におけるテクニカルダイビングの嚆矢となると、言われ、自分もその気になった。 後藤先生は、アメリカの潜水生理学の権威であるハミルトン博士と親交があり、博士がJAMSTECへ、折よくお出でになるので、お目にかかって、僕の100M潜水の減圧スケジュールを決めていただき、いくつかのアドバイスもいただいた。その折に、後藤先生の肝いりで、社会スポーツセンター主催で、浜松町の地産ホテルで日本人ダイバーのためのハミルトン博士の講演会を開催された。テクニカルダイビングについての講演である。1995年10月26日、PRもしない、私的な講演会と思っていたが、驚くほどの人が集まった。テクニカルダイビングについての関心がたかまりつつあったからであろう。
その講演で、ハミルトン博士が述べたテクニカルダイビングの定義は、「スクーバであること、レクリエーションダイビングの限界である40mを超えて潜ること、従って混合ガスを使用すること、ハイレベルなトレーニングとセルフ・コントロールが要求されること、」であった。
60歳の100m潜水、自分ではテクニカルダイビングにしたいと心にきめていたが、一緒に潜ってアシストしてくれる田島雅彦は、彼が1000時間を超す、ナヒモフ号での飽和潜水で手馴れていたホースで送気するシステム潜水でなければ、安全が保証出来ないと主張した。90mまでは、ステージで降下して、90-100mをステージから離れて泳ぎだして、スクーバで潜降した。この部分だけが完全なスクーバである。そこまでして、スクーバにこだわったのは、テクニカルダイビングは、スクーバであるとする、ハミルトン博士の定義にこだわったからであった。そして、日本で最初にテクニカルダイビングで100m潜ったというタイトルが欲しかったのだ。定義から外れていれば、そのことは認めてもらえない。この潜水について、後藤先生は潜水医学誌にテクニカルダイビングとして発表されている。 ステージで降下し、90-100mだけスクーバで行った。
これとは別に、テクニカルダイビングの定義について、テクニカルダイビングを看板にしているTDI(1994年に米国で設立された、テクニカルダイビングインターナショナル という団体)の支部を日本に作った佐藤矩郎氏 が「潜水の歴史:社会スポーツセンター:2001」で、テクニカルダイビングについて、およそ10pに渡って書いている。そこでは、「テクニカルダイビングとは、コマーシャル(作業)ダイビングやミリタリー(軍事)ダイビングとレクリエーションダイビングの中間を指すダイビングの分野ということができよう。したがって、テクニカルダイビングの範疇にはレクリエーショナルダイビングの限界を超える(水深40m以深)ディープダイビング、沈船や洞窟への侵入、アイスダイビング、単独潜水、リブリーザーを使うダイビングなど雑多なものが含まれている。 一方で1995年秋のテクニカルダイビングについてのハミルトン博士の講演では、テクニカルダイビングを「二種類以上のガスを使った潜水方法で、レクリエーションを目的としたもの」といった定義をしている。」 TDI 佐藤さん。
この、佐藤さんの定義だと、難しい潜水はすべて、テクニカルダイビングの範疇にはいる。これでよろしいということであれば、僕の100m潜水は、議論の余地もなくテクニカルダイビングであり、スクーバにこだわる必要もなかった。 しかし、スクーバにこだわらなければ、潜水作業のシステムで100mに潜ったというだけになってしまう。 そして、僕はハミルトン博士の講演で、レクリエーションであること、という定義は聞いていない。聞いていないけれど、実際に行われるテクニカルダイビングの多くはレクリエーションである。ハミルトン博士の定義には、自己責任であること、という定義は見当たらないが、スクーバでレクリエーションの制限深度を超えて潜るとなれば、自己責任でなければならないだろう。しかし、自己責任であるか否かを問題にするのは、日本だけなのかもしれない。アメリカでは、論ずるまでもなく、自己責任であるのだろうか。 このあとで述べる業務潜水というカテゴリーには、自己責任という条件は、当てはまらない。常に管理責任が事業者の側にある。 テクニカルダウビングの目的としてはレクリエーションであったとしても、深度制限などによって、テクニカルと一般のレクリエーションは区別される。しかし、最近ではレクテク、レクリエーショナル・テクニカルダイビングというカテゴリーもできたので、スタンダードの先にもテクニカルがあるともいえる。 そして、2012年、水中科学協会編纂の最新ダイビング用語事典では、テクニカルダイビングについて、「閉鎖環境や40m以深の水中に2種類以上の呼吸ガスを使い、計画的な減圧停止を伴う、スクーバ潜水をいう。」と定義した。そして、日本の高気圧作業安全衛生規則に基づく潜水についての潜水士テキストには、テクニカルダイビングの語は見当たらない。そして、「混合ガス潜水は、単に呼吸ガスを空気から混合ガスに変更すれば済むものではない。混合ガス潜水の計画と実施には、専門的な知識と専用の設備機材、、多くの支援要因が必要となる。大深度での長時間に及ぶ潜水には、大きなリスクを伴うことは容易に想像できるが、潜水者個人の能力だけで、それに対処することは不可能である。混合ガス潜水の実施には、適切な設備と訓練された要員によるシステマティックな取り組みが必要であり、「簡易な混合ガス潜水」はありえない。
僕の60歳記念100m潜水大掛かりで、お金が飛んでいった。
潜水業務に用いられる混合ガス潜水の範囲は、スクーバから送気式潜水、「バウンス潜水」「飽和潜水」と多岐に渡る。このうち、スクーバは閉鎖回路型潜水器で行われることが多く、飽和潜水はその対象が概ね水深90-100mより深い深度であることから本項では送気四季潜水によるものを主に、その概要について記すことにする。以下、システム潜水について述べられている。 ここで述べてきたような定義のテクニカルダイビングで、業務に類することは、一切出来ないのだろうか。とすると、テクニカルダイビングは、日本では、レクリエーショナルダイビングに限定されることになる。議論が必要だろう。潜水士テキストは規則ではないが、規則同様の役割を果たすことが多い。 そもそも、定義とは、自分はこう思う、こう決めたという定義、決心かな?。辞書などの定義、そして、規則における言葉の定義、これは、仕事に大きい影響がある。それについては、また後で規則について書くときに述べる。
グのスタイルとは、どのようなことなのか、わかっていただけたと思う。スタイルの区別わけをするときに定めておく定義がある。辞書だとか用語集の定義は、例えば「ダイビングとは、ここでは、水に潜ることを言う。飛び込み競技を指す場合もある」と言うように、できるだけ異論が無いようにしたいが、いや、違うと、議論が必要になる場合も多い。ここでも、テクニカルダイビングとは、なにか?ここでは、二つの定義について考えた。今はもっと多岐にわたっているかもしれない。しかし、選択肢が多いと定義にならなくなってしまう。ここで意図するところは、ダイビングという行動、活動を、出来るだけ分析的に見てゆこうとするもので、何をしているのかわからなければ、安全についても、わからない。古い言葉で言えば、敵を知り己をしらなければ、勝てない(安全には潜れない)。
今でこそ、テクニカルダイビング と呼ばれるスタイルが拡大しつつあるが、テクニカルダイビングは、日本においてはおよそ20年前、自分が60歳で100m潜水をやったころから、人が口にするようになった。 アメリカでもテクニカルの団体ができはじめたのはその前後だったと思う。 僕の100m潜水の医学的なバックアップは、若いころ、素潜りで30mまで行って魚を突いていた後藤與四之先生だった。ダイビングについては、鶴燿一郎の弟子であった。ここまでのところ、医師として、彼以上のダイバーはいない。埼玉医科大学で梨本先生の下で潜水医学を研究をされていたが、現在は群馬県で開業されている。(医療法人かがやき) その後藤先生が、1993年.アメリカではすでにテクニカルダイビングが盛んになっているが、僕の潜水が日本におけるテクニカルダイビングの嚆矢となると、言われ、自分もその気になった。 後藤先生は、アメリカの潜水生理学の権威であるハミルトン博士と親交があり、博士がJAMSTECへ、折よくお出でになるので、お目にかかって、僕の100M潜水の減圧スケジュールを決めていただき、いくつかのアドバイスもいただいた。その折に、後藤先生の肝いりで、社会スポーツセンター主催で、浜松町の地産ホテルで日本人ダイバーのためのハミルトン博士の講演会を開催された。テクニカルダイビングについての講演である。1995年10月26日、PRもしない、私的な講演会と思っていたが、驚くほどの人が集まった。テクニカルダイビングについての関心がたかまりつつあったからであろう。
その講演で、ハミルトン博士が述べたテクニカルダイビングの定義は、「スクーバであること、レクリエーションダイビングの限界である40mを超えて潜ること、従って混合ガスを使用すること、ハイレベルなトレーニングとセルフ・コントロールが要求されること、」であった。
60歳の100m潜水、自分ではテクニカルダイビングにしたいと心にきめていたが、一緒に潜ってアシストしてくれる田島雅彦は、彼が1000時間を超す、ナヒモフ号での飽和潜水で手馴れていたホースで送気するシステム潜水でなければ、安全が保証出来ないと主張した。90mまでは、ステージで降下して、90-100mをステージから離れて泳ぎだして、スクーバで潜降した。この部分だけが完全なスクーバである。そこまでして、スクーバにこだわったのは、テクニカルダイビングは、スクーバであるとする、ハミルトン博士の定義にこだわったからであった。そして、日本で最初にテクニカルダイビングで100m潜ったというタイトルが欲しかったのだ。定義から外れていれば、そのことは認めてもらえない。この潜水について、後藤先生は潜水医学誌にテクニカルダイビングとして発表されている。
これとは別に、テクニカルダイビングの定義について、テクニカルダイビングを看板にしているTDI(1994年に米国で設立された、テクニカルダイビングインターナショナル という団体)の支部を日本に作った佐藤矩郎氏 が「潜水の歴史:社会スポーツセンター:2001」で、テクニカルダイビングについて、およそ10pに渡って書いている。そこでは、「テクニカルダイビングとは、コマーシャル(作業)ダイビングやミリタリー(軍事)ダイビングとレクリエーションダイビングの中間を指すダイビングの分野ということができよう。したがって、テクニカルダイビングの範疇にはレクリエーショナルダイビングの限界を超える(水深40m以深)ディープダイビング、沈船や洞窟への侵入、アイスダイビング、単独潜水、リブリーザーを使うダイビングなど雑多なものが含まれている。 一方で1995年秋のテクニカルダイビングについてのハミルトン博士の講演では、テクニカルダイビングを「二種類以上のガスを使った潜水方法で、レクリエーションを目的としたもの」といった定義をしている。」
この、佐藤さんの定義だと、難しい潜水はすべて、テクニカルダイビングの範疇にはいる。これでよろしいということであれば、僕の100m潜水は、議論の余地もなくテクニカルダイビングであり、スクーバにこだわる必要もなかった。 しかし、スクーバにこだわらなければ、潜水作業のシステムで100mに潜ったというだけになってしまう。 そして、僕はハミルトン博士の講演で、レクリエーションであること、という定義は聞いていない。聞いていないけれど、実際に行われるテクニカルダイビングの多くはレクリエーションである。ハミルトン博士の定義には、自己責任であること、という定義は見当たらないが、スクーバでレクリエーションの制限深度を超えて潜るとなれば、自己責任でなければならないだろう。しかし、自己責任であるか否かを問題にするのは、日本だけなのかもしれない。アメリカでは、論ずるまでもなく、自己責任であるのだろうか。 このあとで述べる業務潜水というカテゴリーには、自己責任という条件は、当てはまらない。常に管理責任が事業者の側にある。 テクニカルダウビングの目的としてはレクリエーションであったとしても、深度制限などによって、テクニカルと一般のレクリエーションは区別される。しかし、最近ではレクテク、レクリエーショナル・テクニカルダイビングというカテゴリーもできたので、スタンダードの先にもテクニカルがあるともいえる。 そして、2012年、水中科学協会編纂の最新ダイビング用語事典では、テクニカルダイビングについて、「閉鎖環境や40m以深の水中に2種類以上の呼吸ガスを使い、計画的な減圧停止を伴う、スクーバ潜水をいう。」と定義した。そして、日本の高気圧作業安全衛生規則に基づく潜水についての潜水士テキストには、テクニカルダイビングの語は見当たらない。そして、「混合ガス潜水は、単に呼吸ガスを空気から混合ガスに変更すれば済むものではない。混合ガス潜水の計画と実施には、専門的な知識と専用の設備機材、、多くの支援要因が必要となる。大深度での長時間に及ぶ潜水には、大きなリスクを伴うことは容易に想像できるが、潜水者個人の能力だけで、それに対処することは不可能である。混合ガス潜水の実施には、適切な設備と訓練された要員によるシステマティックな取り組みが必要であり、「簡易な混合ガス潜水」はありえない。
潜水業務に用いられる混合ガス潜水の範囲は、スクーバから送気式潜水、「バウンス潜水」「飽和潜水」と多岐に渡る。このうち、スクーバは閉鎖回路型潜水器で行われることが多く、飽和潜水はその対象が概ね水深90-100mより深い深度であることから本項では送気四季潜水によるものを主に、その概要について記すことにする。以下、システム潜水について述べられている。 ここで述べてきたような定義のテクニカルダイビングで、業務に類することは、一切出来ないのだろうか。とすると、テクニカルダイビングは、日本では、レクリエーショナルダイビングに限定されることになる。議論が必要だろう。潜水士テキストは規則ではないが、規則同様の役割を果たすことが多い。 そもそも、定義とは、自分はこう思う、こう決めたという定義、決心かな?。辞書などの定義、そして、規則における言葉の定義、これは、仕事に大きい影響がある。それについては、また後で規則について書くときに述べる。
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0424 窒素酔い 1
窒素酔い 書き溜めていたブログが少し有るのだけれど、それより前に、テクニカルダイビングについて書いた流れに乗って行くと、窒素酔いについて書くことになる。 僕は、プロの深海ダイバー、窒素酔いジャンキーになったダイバーを除けば、日本有数の窒素酔い体験者だと思う。 窒素酔いの体験について、時系列で、窒素酔いとはどんなことかと述べて行きたい。 まず、深く潜ることが好きなダイバーが多い。深く潜る必要はなく、浅い海でこそダイビングが楽しめる、と人が多いが、言うだけだ。深く潜ることが、好きでなければ、何が悲しくて、高いお金を使って、生命までも危険にさらして、テクニカルダイビングなどやることはない。テクニカルダイビングがレクリエーション主体であることは間違いないと思うのだが、殆どのテクニカルダイバーは、目的もなく深く潜っている。洞窟、沈船などの意味があるという人が居るだろうが、沈船は宝探しという目的もあるが、洞窟については、レクリエーションだろう。レクリエーションといった時、馬鹿にしたように聞こえるかもしれないが、それは生きる目標、それなしでは生きられない目標の一つでもある。 僕も深く潜ることが好きだ。僕の場合はプロという意識があるから、仕事として収入がある形で深く潜っていたが、嫌いだったらそんなに危ないことはやらなくても生きていかれる。ある意味で、レクリエーションだった。 90m空気潜水 1963年8月に、舘石昭氏と、僕はデマンドバルブ付きのフルフェイスマスクのテストの目的で、ホースからの空気、送気で100mを目指して、90mでギブアップした。この潜水が、いろいろな意味で僕の潜水の原点になった。フルフェイスマスクでの船上との通話が、後のニュース・ステーションの水中レポートになったし、窒素酔いについての自分なりの結論を掴んだ。
その時の装備:報告書から
1963年8月6日、まず40mに潜った。その日二回目の潜水で70mに潜った。二回目に深く、それも70mとは減圧症についてルール違反だが、日程の関係でどうしても、第一回は機材テスト、一日目で70mをやりたかった。70mで非常に不快であり、とても潜水を続けられなかった。これは、窒素酔いと同時に送気量が足りなくて、炭酸ガス中毒を併発していたのだろう。 8月7日、60mに潜ったが、潜水になれたのか、それほど不快ではなく、60mまでは問題ないと感じた。 8月8日 80m、ホースからの送気量が足りずに意識がもうろうとなった。 8月9日、100mを目指したが90mで引き返した。須賀は送気量が十分であったため、90mでも、有線通話方式で船上とクリアーな交信を続けたが、90mで舘石さんが意識が途絶えたらしく、落下したので浮上した。落下しても命綱があるから、問題ないが、浮上した。舘石さん本人は自分の意識が途絶えた事を知覚していない。居眠り運転と同様だ、意識が途切れて、落下したのだと想定した。 空気で90mは、酸素中毒であった可能性もある。 アシスタントは、救助のために60mまで潜って来たが正常だった。自分たちも60mに戻って、これで生きたと思った。そこで、60mという数字が頭に刷り込まれた。 結論として、次第に深度を深くしていくのではなくて、突然深く潜るのは危険である。潜水を重ねる事によって、窒素酔いに慣れる事ができる。空気で60mまでならば、撮影などの軽い仕事ならばできると考えた。 その後、スガ・マリンメカニックという会社を設立して、撮影調査の仕事もしたが、人工魚礁の撮影が多かった。人工魚礁は、次第に沈設深度が深くなり、70-80mになった。80mの底までは行かなかったが、55-60mは通常の仕事として潜水していた。ただ、1年ぶり程度の間を置いて、60mに潜るようなときは、遺書を書いたりした。
1960年代、深く潜っていることを、出版された書籍の上で書いているものとして、伊豆海洋公園の益田一さんと畑正憲 が書いた「日本の海洋動物、水深90mまで:学習研究社1969」がある。
窒素酔いについて畑正憲が書いている。「水深70メートル 神秘的なざわめきが聞こえてくる。初めてもぐったときは耳を疑った。思わずあたりを見まわした。潮騒のように密林の奥でなるドラムのように、ざわめきの中にトントンと皮を打つ音が響いてくる。わたしたちはこれを、70mの音楽とよんでいる。 音楽は深くなるにつてて変わる。血管を流れる血液の音に心臓の鼓動が交じるのだ。音楽の旋律によって私たちは深さを知る。 90メートルの音楽が聞こえ始めると、本格的な窒素酔が始まった。けだるくものうい。四肢から力が抜けていった。中略 1m上に上がっただけで、意識が清明に澄んでくるのだ。」 水深87m
益田一さんは、僕にとって仲の良い特別な友人だった。 彼らはその深さに興味深い生物がいたから潜ったというが、そんな生物に興味を持たなくても、浅い海の方が興味深い生物が多いのだから、生き物がいたからという必然性はない。 続く
1963年8月6日、まず40mに潜った。その日二回目の潜水で70mに潜った。二回目に深く、それも70mとは減圧症についてルール違反だが、日程の関係でどうしても、第一回は機材テスト、一日目で70mをやりたかった。70mで非常に不快であり、とても潜水を続けられなかった。これは、窒素酔いと同時に送気量が足りなくて、炭酸ガス中毒を併発していたのだろう。 8月7日、60mに潜ったが、潜水になれたのか、それほど不快ではなく、60mまでは問題ないと感じた。 8月8日 80m、ホースからの送気量が足りずに意識がもうろうとなった。 8月9日、100mを目指したが90mで引き返した。須賀は送気量が十分であったため、90mでも、有線通話方式で船上とクリアーな交信を続けたが、90mで舘石さんが意識が途絶えたらしく、落下したので浮上した。落下しても命綱があるから、問題ないが、浮上した。舘石さん本人は自分の意識が途絶えた事を知覚していない。居眠り運転と同様だ、意識が途切れて、落下したのだと想定した。 空気で90mは、酸素中毒であった可能性もある。 アシスタントは、救助のために60mまで潜って来たが正常だった。自分たちも60mに戻って、これで生きたと思った。そこで、60mという数字が頭に刷り込まれた。 結論として、次第に深度を深くしていくのではなくて、突然深く潜るのは危険である。潜水を重ねる事によって、窒素酔いに慣れる事ができる。空気で60mまでならば、撮影などの軽い仕事ならばできると考えた。 その後、スガ・マリンメカニックという会社を設立して、撮影調査の仕事もしたが、人工魚礁の撮影が多かった。人工魚礁は、次第に沈設深度が深くなり、70-80mになった。80mの底までは行かなかったが、55-60mは通常の仕事として潜水していた。ただ、1年ぶり程度の間を置いて、60mに潜るようなときは、遺書を書いたりした。
1960年代、深く潜っていることを、出版された書籍の上で書いているものとして、伊豆海洋公園の益田一さんと畑正憲 が書いた「日本の海洋動物、水深90mまで:学習研究社1969」がある。
益田一さんは、僕にとって仲の良い特別な友人だった。 彼らはその深さに興味深い生物がいたから潜ったというが、そんな生物に興味を持たなくても、浅い海の方が興味深い生物が多いのだから、生き物がいたからという必然性はない。 続く
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0424 お台場
朝起きると雨だ。お台場潜水の日、露天にブルーシートを広げる。尾島さんがテントを持ってきてくれるが、それでも雨はいやだ。 うれしいことに小降りになり、やがてやむらしい。 それでも雨は雨、今日あたりからウエットにしようか、迷っていたのが解決する。ドライだ。ウエットはゴールデンウイークからにしよう。 雨は上がった。今日はメンバーも少ない。東邦大の多留さん、尾島夫妻、清水まみ、このごろレギュラーになってきた海洋大の江原、僕、鈴木君だ。 最近は、波打ち際で、江原に手伝ってもらって、タンクを背負い。フィンの踵を引っ張ってもらう。ドライでウエイトが多いから身体が重い。いつもいつも、そんな、同じ愚痴をこぼしている。 砂の上をフィンヲ引きずって歩く。子供たちが砂に掘った穴に足を取られると転んでしまう。膝下まで、水に入るとひざを突いて身体を倒して、水に入ってしまう。 透視度は悪い。50センチか1mか。前もってゴムボートで引いておいたラインに沿って、空撮のように俯瞰を撮る。毎回撮って季節変化を比べてみる。大きいまがき、で生きているものが目に付く。魚も蟹も見えない。 ラインの終点から、20m先にある杭の並びが魚礁の役割を果たしている。 毎年、この魚礁地点には、4月になれば、メバルの稚魚が群れる。今年は少ない。群は3尾くらい。そして、シマイサキの稚魚が1尾だけ岩の下、蟹が全然いない。 目に付くのは、いたるところでアカニシが産卵している。卵の殻はナギナタホウヅキと呼ばれる。お台場の生物相の特色は、単一種が入れ替わって、異常にでてくることだ。トゲアメフラシの年もあった。ワレカラの年もあった。今年はアカニシの年なのだろうか。
二回目の潜水は、遠くまで行かないで、近いところの岩の下などを詳しく見るつもりだったが全然だめ、プランクトンの大きさの何かの稚魚がいるだけ。映像に映らない。 身体のバランスが悪くて、自由に泳げない。腹筋。背筋の衰えだろうか。自分の身体が自分のイメージで動かない。ウエットになれば?それともバックフロートのBCがつかいこなせていないんだろうか。 こんなのは、初めて見た。
雨は、それほど降らずに上がった。 このお台場の潜水が好きなのは、フリー、自由であることだ。自分の思い通り、てんでんこで泳げる。もちろんいくつかのルールはあるが、本当に自由なのだ。人間の幸せとは、自由であること、自由のない潜水を喜んでやっている人もいるけれど、高いお金を払って、自由でないのは、ごめんだ。 自由と言っても、ダイビングはチームプレー、アンサンブルだと思っている。チームと自由とは相反するように思うが、ここでは、完全なチームワークで、しかも自由に動ける。 みんなの人柄もあるし、それと、いつも同じ場所で同じ地点の定点だから自由なのだろうか。
雨は、それほど降らずに上がった。 このお台場の潜水が好きなのは、フリー、自由であることだ。自分の思い通り、てんでんこで泳げる。もちろんいくつかのルールはあるが、本当に自由なのだ。人間の幸せとは、自由であること、自由のない潜水を喜んでやっている人もいるけれど、高いお金を払って、自由でないのは、ごめんだ。 自由と言っても、ダイビングはチームプレー、アンサンブルだと思っている。チームと自由とは相反するように思うが、ここでは、完全なチームワークで、しかも自由に動ける。 みんなの人柄もあるし、それと、いつも同じ場所で同じ地点の定点だから自由なのだろうか。
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0426 窒素酔い 2 釜石湾港防波堤
釜石湾港防波堤基礎測量工事 水深60m
1970年代は、人工漁礁の調査で、水深55mまでは、潜水して撮影している。使っていた減圧表は、英国のRNPL、この表はシンプルで使い易く、米国海軍の表よりも安全度が高いとされていた。 そして1980年、釜石湾港防波堤の基礎投石調査事業をやることができた。水深は65mが最深部で平均すれば55m前後で、水平に線を張る細かい作業である。名古屋にある日本シビルダイビングという潜水会社と合弁で、技術的に足りない部分は、海洋科学技術センター(現、JAMSTEC)に援助をお願いした。後に尾道のマリンテクノでもお世話になる三宅玄造さんとの親交が始まった。2011年からの水中科学協会のプライマリーコースでお世話になる米倉さんが出向されてきて、親しくなった 。混合ガスのガスオペレーションは、やはり海洋科学技術センターから紹介された田淵さんにお願いした。潜水チームはスガマリンメカニックで、チーフダイバーの河合君、鶴町君、井上君、米田君、そして茨城県水産高校の専攻科を卒業したばかりの田島雅彦が来た。彼はその後、海洋科学技術センターの深海潜水コースに入り、対馬沖のナヒモフ号の飽和潜水に出向参加する。フリーのダイバーも何人か参加して、大阪から来た上村君は頼りになるダイバーで、のちにも一緒に仕事をするようになる。そのほか名前は全部あげられないが、いいチームになり、その次の年、400メートル、行き止まりの沼沢沼発電所の取水トンネル調査も、このメンバーを招集した。現場監督は、日本シビルダイビングの田中さんがやってくれたので、僕は、ただのダイバーで潜水することができた。
仕事は、湾口に防波堤を築く基礎工事で、リアス式の釜石湾の水深60メートルに大きな石を山に積み上げる。その山の重なり状態を細かく測量する作業であった。工期はとびとびではあったがおよそ一年だった。 呼吸ガスはヘリウム・酸素混合で、船上にガスカードルを置き、ホースで送気し、全面フルフェースのカービーモーガンのバンドマスクを使った。
工事は進んだが、予算節減のために、中途からヘリウム酸素から空気潜水となった。ヘリウム酸素混合ガス潜水と、空気潜水の両方を使って同じ工事を行った。自分もだが、全員空気を使って、割合精密な測量作業を特別の苦労もなく、窒素酔いで何事も異常はおこらなかった。慣れさえすれば、普通の空気で60mまで何の差支えもなく作業ができるということを体感した。 一度だけ、こんなことがあった。水深、たしか55mだったか、落としてしまった大アンカーを拾うためのワイヤロープの取り付け作業を行った。自分と鶴町がバディで入った。ワイヤーロープが重く、運ぶのに息が切れて、作業が終了して、その場に打ち伏した。20分の作業を予定していて、8分ぐらいで終了してしまったのだが、すぐにあがれば、減圧時間が短くて済むのに、そのままここで寝てしまいたい。船上から時間経過を知らせる声は聞こえてくる。「了解」とだけ答えて、時間がくるまで浮上しなかった。これも窒素酔いだろう。換気不足の気分の悪さはなかった。
自分たちの工事が終了するころ、懇意にしている潜水会社が、同じく釜石湾で潜水していて、一人が亡くなった。スクーバでの潜水で、窒素酔いによる事故だと想定された。そのまま続行することもできず、仕事も終了していないので、あと一日二日の仕事だからとピンチヒッターになった。水深は70m、物理探査をするために、海底にダイナマイトを仕掛けてくるだけの作業だった。大阪の上村さんに来てもらって、二人で潜った。作業は一瞬で終わった。水面を見上げると、その日は特に透明度がよく、70m頭上の船がくっきりと見え、青い水に自分の吐き出す泡がキラキラ光って浮き上がっていく、上がる気持ちが無くなった。水面からの呼びかけで、仕方なく浮上した。これも空気潜水だったが、窒素酔いの快感をしみじみと味わった。
一連の潜水で、ホースで空気を送り、空気量が十分にあれば、不快になることもなく水深70mまでは空気で軽作業ならできる。ただし、電話線を付けて、水面からの指示を聞かなければ危ない、これが僕たちの結論だった。この工事は当時、港湾土木作業についてとしては、最先端であり、注目を集めたが、空気で潜水していたことはオフレコだった。
1970年代は、人工漁礁の調査で、水深55mまでは、潜水して撮影している。使っていた減圧表は、英国のRNPL、この表はシンプルで使い易く、米国海軍の表よりも安全度が高いとされていた。 そして1980年、釜石湾港防波堤の基礎投石調査事業をやることができた。水深は65mが最深部で平均すれば55m前後で、水平に線を張る細かい作業である。名古屋にある日本シビルダイビングという潜水会社と合弁で、技術的に足りない部分は、海洋科学技術センター(現、JAMSTEC)に援助をお願いした。後に尾道のマリンテクノでもお世話になる三宅玄造さんとの親交が始まった。2011年からの水中科学協会のプライマリーコースでお世話になる米倉さんが出向されてきて、親しくなった 。混合ガスのガスオペレーションは、やはり海洋科学技術センターから紹介された田淵さんにお願いした。潜水チームはスガマリンメカニックで、チーフダイバーの河合君、鶴町君、井上君、米田君、そして茨城県水産高校の専攻科を卒業したばかりの田島雅彦が来た。彼はその後、海洋科学技術センターの深海潜水コースに入り、対馬沖のナヒモフ号の飽和潜水に出向参加する。フリーのダイバーも何人か参加して、大阪から来た上村君は頼りになるダイバーで、のちにも一緒に仕事をするようになる。そのほか名前は全部あげられないが、いいチームになり、その次の年、400メートル、行き止まりの沼沢沼発電所の取水トンネル調査も、このメンバーを招集した。現場監督は、日本シビルダイビングの田中さんがやってくれたので、僕は、ただのダイバーで潜水することができた。
仕事は、湾口に防波堤を築く基礎工事で、リアス式の釜石湾の水深60メートルに大きな石を山に積み上げる。その山の重なり状態を細かく測量する作業であった。工期はとびとびではあったがおよそ一年だった。 呼吸ガスはヘリウム・酸素混合で、船上にガスカードルを置き、ホースで送気し、全面フルフェースのカービーモーガンのバンドマスクを使った。
自分たちの工事が終了するころ、懇意にしている潜水会社が、同じく釜石湾で潜水していて、一人が亡くなった。スクーバでの潜水で、窒素酔いによる事故だと想定された。そのまま続行することもできず、仕事も終了していないので、あと一日二日の仕事だからとピンチヒッターになった。水深は70m、物理探査をするために、海底にダイナマイトを仕掛けてくるだけの作業だった。大阪の上村さんに来てもらって、二人で潜った。作業は一瞬で終わった。水面を見上げると、その日は特に透明度がよく、70m頭上の船がくっきりと見え、青い水に自分の吐き出す泡がキラキラ光って浮き上がっていく、上がる気持ちが無くなった。水面からの呼びかけで、仕方なく浮上した。これも空気潜水だったが、窒素酔いの快感をしみじみと味わった。
一連の潜水で、ホースで空気を送り、空気量が十分にあれば、不快になることもなく水深70mまでは空気で軽作業ならできる。ただし、電話線を付けて、水面からの指示を聞かなければ危ない、これが僕たちの結論だった。この工事は当時、港湾土木作業についてとしては、最先端であり、注目を集めたが、空気で潜水していたことはオフレコだった。
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0427 窒素酔い 3
1980年の釜石湾港防波堤の工事の休日、 車で走って行かれる岩泉の龍泉洞に遊びに行った。どこまでも透明な碧い水を上から覗き込んで、ここで潜りたいな とみんなで話した。 勢いのある時というのは、願い事が叶う。翌1981年、冬、 NHK仙台の制作する特番で、龍泉洞の謎を探る番組の水中撮影をすることになった。釜石とほぼおなじチームで潜水した。 龍泉洞のことは別にも書いているから、ここでは置いておいて、窒素酔いのことだけ、水深50mをこえ60mあたりまで潜るけれど、もちろん空気での潜水だが、ぜんぜん酔を感じない。淡水で冷たいから酔わない、そんなことはない。やはり慣れてきているのだろう。龍泉洞には、その奥に、巨大な空洞、があるという、その空洞を探し求める番組だったのだが、それがない。ない、では終わらせられない、チーフの河合が、60mの深さに行き止まりがあるという。終わりがあれば、番組も終わらせられる。
NHKの番組から複写
行ってみることにした。これが最終のつもりだから、全員が潜水士て、僕がカメラを持った。当時のカメラは、映像信号を水面に送るケーブルを曳いている。このケーブルのおかげで、九死に一生で何とか一生を保っているのだが、そのケーブルを後方でさばくダイバーが必要である。屈曲部にケーブルを繰り出すダイバーを配置して、先頭は、4人が固まって潜水した。行き止まりがあると言った河合が先頭で、斜めに降りている洞窟を降りて行った。行けども行き止まりがない。ふと、水深計を確認すると80mを指している。ケーブルも出尽くしたみたいだ。ここの水深計を撮影して深さの証拠にしてもどろう。とカメラを持ち直すと、引き返してきた河合が僕の腕をつかんで、水面に引き戻そうとする。僕は撮影しようとする。その水深で格闘になった。水深計を指さして、ようやく、やろうとしていることを伝えて水深計を写した画面が、73mだった。だから、そのころの日本の洞窟潜水の深度記録は73mだった。
後、現在この洞窟は、日本水中科学協会の盟友の久保さんが調査を繰り返していて、やはり、X洞はない模様だ。なぜ、僕を引き戻そうとしたのか河合に聞くと、マスクの中で、僕の目がうつろに開いていて、異常で、窒素酔いの顔だったからという。窒素酔いの顔とはどんな顔かわからないが、外目には、窒素酔いだったのだろう。 水深30mを越えれば、生理的には窒素酔いになる。しかし、慣れで80mまでは、意識を持って降りられる。60mまでは仕事ができる。しかし、僕も水深40mでカメラのピントを合わせずに撮影をして全部ピンぼけ立ったこともある。40mでも酔うのだ。 1970年代に、僕が一番参考にしていた「潜水医学入門 ・スタンレー マイルズ著、町田喜久雄訳1971」は、著者は英国海軍の軍医少将であり、東亜潜水器時代、1964年に初版がでた時から、僕は原文で読んだ。英語が得意ではなかったのだが、ノートをとって読んだ。1971年には上記の翻訳がでた。僕の1960-70年代の潜水は、米国海軍のマニュアルと、この本によって行ったと言っても良い。窒素酔いについて、一章を設けて10 ページに渡って詳述している。窒素への対応として、「訓練と経験によって、多くのダイバーは確実に窒素麻酔に対する抵抗性を増強する。その順応は永久的なものではなく、維持するためには、一週間に一度、90mへ、潜水することが進められる。これは、加圧室で行うことができ、わずか数分間、その深度に居れば良い」自分たちは加圧室での訓練はできなかったが、50mを超える潜水を仕事にしていたため、慣れたものと考えられる。1973年度版の潜水士テキストでは、窒素酔いの予防法として、「①深海で作業する場合には、訓練によって、窒素酔に対する抵抗力を付けること。②潜水器内に炭酸ガスが蓄積しないように、換気を十分にすること。」とあり、僕たちもこのテキストに準拠していたと言える。 そして、現在の最近改定された日本の潜水士テキストでは「複数回の潜水によって窒素酔いに慣れたという客観的な証拠は認められていない。深い潜水の経験があるからといって過信することは危険である。」と述べている。 窒素酔いには個人差があり主観的なものだと思う。龍泉洞 の例もそうだが、本人はしっかりしていると思っても、外側から、客観的に外見をみれば、ひどく酔っているように見える場合もある。潜水士テキストは、医学書でもないし、学術書でもない。ダイバーの行動を安全のために制限するための書だ。どちらを取るかといえば、すでにそのようなテキストがでてしまっているのだから、事業者であれば、テキストに準拠した潜水をさせないと、事故が発生した時の責任などに大きく関わってくる。労働基準監督署は、署であり、取り調べを受ける際に、潜水士テキストに準拠して取り調べられる。 続く
行ってみることにした。これが最終のつもりだから、全員が潜水士て、僕がカメラを持った。当時のカメラは、映像信号を水面に送るケーブルを曳いている。このケーブルのおかげで、九死に一生で何とか一生を保っているのだが、そのケーブルを後方でさばくダイバーが必要である。屈曲部にケーブルを繰り出すダイバーを配置して、先頭は、4人が固まって潜水した。行き止まりがあると言った河合が先頭で、斜めに降りている洞窟を降りて行った。行けども行き止まりがない。ふと、水深計を確認すると80mを指している。ケーブルも出尽くしたみたいだ。ここの水深計を撮影して深さの証拠にしてもどろう。とカメラを持ち直すと、引き返してきた河合が僕の腕をつかんで、水面に引き戻そうとする。僕は撮影しようとする。その水深で格闘になった。水深計を指さして、ようやく、やろうとしていることを伝えて水深計を写した画面が、73mだった。だから、そのころの日本の洞窟潜水の深度記録は73mだった。
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0428 窒素酔い 4
窒素酔いは、アルコールとおなじような習慣性がある。中毒になる。アルコール酔いのような不快性がない、そして二日酔いもない窒素酔いジャンキーになる危険性がある。この危険を書いたものは、あんまり見ない。 90メートルまで、と本のタイトルにしたころの伊豆海洋公園グループは、中毒だった。僕もそうだった。ここに書くのは、今やなりたくてもなれなくなった窒素酔いジャンキーへの挽歌かもしれない。
テクニカルダイバーと言う人たちも、その源流をたどれば窒素酔いジャンキーだったののだろうと僕は思っている。トライミクスとは、窒素酔いに耐えられる程度の窒素分圧に設定するのだから、適当な酔の窒素酔いになれると言ってもいい。残念なことに、僕はトライミクス酔いを経験していない。60歳の100mはヘリオックスだった。しかし、トライミックスで窒素酔いになるところまで潜るのは、空気の60m潜水よりも危険だろう。窒素酔いスポットは全国に多数あると思うが、ここで取り上げるのは、大瀬の先端、大島の秋の浜、赤沢、それに海洋公園だ。
畑正憲は、目標は記録ではなくて水中生物だといって、1963年の僕と舘石さんの記録を目指した90m潜水を下に見た。彼の考えでは、潜りつく先に魅力的な生き物がいればそれは正当化されるのだろう。シーラカンスもそれだ。宝石珊瑚も正当化されているから、そのとおりだろう。ただ、魅力的な生物が居なくても、ダイバーは深く潜りたがる。
窒素酔いジャンキーのポピュラーな目当ては、ハナダイ、ある種のハゼ、オキノスジエビ、 ここではその代表として、まず、一番ポピュラーな、誰でも手軽に見られる。言葉を換えれば一番危険な生き物としてハナダイを取り上げよう。
1970年代の伊豆海洋公園の玄関を入ると、大きな水槽にサクラダイが群泳していた。益田グループが、掬いとって来たものだ。一時、魚を水中銃で殺すのはいけないが飼育して殺すのは良いと思われていて、魚を網で捕らえては、飼育していた時代があった。
ハナダイを見に、誰でも行けるのは、大瀬崎先端だ。もう僕はタンクを背負ってあのゴロタ石の上を歩くのは無理かも知れないが。
たとえば、春の濁りで湾内が透視度5mだったとしよう。しかし、先端では、キンギョハナダイが群れる20mあたりまでは濁っているが、サクラダイの群が広がる30ー40mになると20mは見える感じになる。40mでは、ナガハナダイ、スミレナガハナダイが、ぼつぼつ見えるが50mを越えれば多くなる。いくら写真にとっても、動画にしても、この酔いは再現できない。言葉でも言い表せない。畑正憲は70mのミュージックなどと言っているが、僕の窒素酔いは、音楽とも違う。クストーは深海の陶酔などと言ったが、その陶酔の中でハナダイを見る。写真などという無粋なものは撮りたくないと思ってしまう。それでも、カメラマン根性でシャッターは押し続けるが、再現はできない。吉野ユースケではないが、世界で一番美しいもの、かも知れない。窒素酔い愛好者のもう一つのたまり場が、伊豆大島の秋の浜だった。ここの水深70mで、オキナエビス(貴重種の大型巻き貝)の生体が観察採集されたことがある。僕は東大の海洋調査探検部のアドバイザーを40年の上やったが、そのOBが、秋の浜に入り浸ったことがある。僕の影響下のためかと焦ったが、なんとか無事に卒業したようだ。 赤沢では、バリアフリーダイビングの椎名さんが一時50mを賛美していた。僕はオキノスジエビを見ようと、赤沢で55mまで潜ったが、美しいオキノスジエビの雲霞のような群れは見ることが出来ず。20尾ぐらいのかたまりだった。
窒素酔いで、しかもタッチアンドゴーの深度だから、人に見せられる写真は撮れていない。この写真も45mぐらいの水深だ。
魅力的な生き物を見ることについて、きざに言えば生と死の境に身をおいて見る光景なのだ。撮ってきた写真を見ても、それは写真だ。
こんなことを書くと、行きたい、見たい、となるダイバーが多く出てくる。言うまでもなく、空気で窒素酔いになる深度を超えることは、絶対的に自己責任だし、その結果について、誰をも責めることはできない。
窒素酔いについては個人差が大きいし、慣れも必要だから、安全を重視する一般ダイバーは、30mを超える潜水は、しない方が良い。ナイトロックスは、窒素分圧が低く設定されているので、30m-40mへの潜水はナイトロックスの方が良い。しかし、酸素中毒の恐れがあるので、ナイトロックスで、40mの制限深度をこすことはできない。 自己責任について、書き添えれば、伊豆海洋公園で、若い人が益田さんに相談することもなく、シロオビハナダイを目指して、潜り、二人が生命をおとした。どういう結末になっただろうか。裁判沙汰にもなっていない。関係筋に密かに聞いてみた。若い人のご両親が、益田さんを訪ね、ご迷惑をかけましたと頭を下げたということだった。益田さんのことだから、弔意については出来るだけのことはやったに違いないが、裁判の判例というのもあるのだから、自己責任の解決例として、このことを書いても良いだろう。ずい分昔の話だ。 しかし、振り返って見ると、僕のブログだけで、スクーバで空気で潜水した窒素酔いの死亡事故を何回か書いている。数年前にも、大分県で、3人のダイバーが空気のスクーバで60mだったかで全員死んだ時に書いた。減圧症の死亡事例は、書いた記憶がない。半身不随は、いくつも書いたけれど。
40メートルより深くは混合ガスでと規則に決められるのは、仕方のないことだろう。
混合ガスでも50メートル相当の窒素ガス分圧まで潜れば、50mの窒素酔いになれるが、空気で50m潜ることよりも、遥かに危ない。簡単に窒素酔い中毒になれた昔が、過ぎ去ったよき時代なのだろうか。別に完全な自己責任のレクリエーショナルダイビングならば、潜れるのだが、そんな馬鹿なダイバーは絶滅危惧種になった。 誰も危惧などしていないか。 このごろ気が小さくなって、こういう反潜水社会的なことを書いて良いのか、と心配している。
いつだったか、大瀬の50mから上がっている時、スレ違いに、一人のダイバーが水平の姿勢で、矢のように、降りていくのを見た。誰だろう、こんなダイバーが居たのかと思った。
テクニカルダイバーと言う人たちも、その源流をたどれば窒素酔いジャンキーだったののだろうと僕は思っている。トライミクスとは、窒素酔いに耐えられる程度の窒素分圧に設定するのだから、適当な酔の窒素酔いになれると言ってもいい。残念なことに、僕はトライミクス酔いを経験していない。60歳の100mはヘリオックスだった。しかし、トライミックスで窒素酔いになるところまで潜るのは、空気の60m潜水よりも危険だろう。窒素酔いスポットは全国に多数あると思うが、ここで取り上げるのは、大瀬の先端、大島の秋の浜、赤沢、それに海洋公園だ。
畑正憲は、目標は記録ではなくて水中生物だといって、1963年の僕と舘石さんの記録を目指した90m潜水を下に見た。彼の考えでは、潜りつく先に魅力的な生き物がいればそれは正当化されるのだろう。シーラカンスもそれだ。宝石珊瑚も正当化されているから、そのとおりだろう。ただ、魅力的な生物が居なくても、ダイバーは深く潜りたがる。
窒素酔いジャンキーのポピュラーな目当ては、ハナダイ、ある種のハゼ、オキノスジエビ、 ここではその代表として、まず、一番ポピュラーな、誰でも手軽に見られる。言葉を換えれば一番危険な生き物としてハナダイを取り上げよう。
1970年代の伊豆海洋公園の玄関を入ると、大きな水槽にサクラダイが群泳していた。益田グループが、掬いとって来たものだ。一時、魚を水中銃で殺すのはいけないが飼育して殺すのは良いと思われていて、魚を網で捕らえては、飼育していた時代があった。
ハナダイを見に、誰でも行けるのは、大瀬崎先端だ。もう僕はタンクを背負ってあのゴロタ石の上を歩くのは無理かも知れないが。
たとえば、春の濁りで湾内が透視度5mだったとしよう。しかし、先端では、キンギョハナダイが群れる20mあたりまでは濁っているが、サクラダイの群が広がる30ー40mになると20mは見える感じになる。40mでは、ナガハナダイ、スミレナガハナダイが、ぼつぼつ見えるが50mを越えれば多くなる。いくら写真にとっても、動画にしても、この酔いは再現できない。言葉でも言い表せない。畑正憲は70mのミュージックなどと言っているが、僕の窒素酔いは、音楽とも違う。クストーは深海の陶酔などと言ったが、その陶酔の中でハナダイを見る。写真などという無粋なものは撮りたくないと思ってしまう。それでも、カメラマン根性でシャッターは押し続けるが、再現はできない。吉野ユースケではないが、世界で一番美しいもの、かも知れない。窒素酔い愛好者のもう一つのたまり場が、伊豆大島の秋の浜だった。ここの水深70mで、オキナエビス(貴重種の大型巻き貝)の生体が観察採集されたことがある。僕は東大の海洋調査探検部のアドバイザーを40年の上やったが、そのOBが、秋の浜に入り浸ったことがある。僕の影響下のためかと焦ったが、なんとか無事に卒業したようだ。 赤沢では、バリアフリーダイビングの椎名さんが一時50mを賛美していた。僕はオキノスジエビを見ようと、赤沢で55mまで潜ったが、美しいオキノスジエビの雲霞のような群れは見ることが出来ず。20尾ぐらいのかたまりだった。
魅力的な生き物を見ることについて、きざに言えば生と死の境に身をおいて見る光景なのだ。撮ってきた写真を見ても、それは写真だ。
こんなことを書くと、行きたい、見たい、となるダイバーが多く出てくる。言うまでもなく、空気で窒素酔いになる深度を超えることは、絶対的に自己責任だし、その結果について、誰をも責めることはできない。
窒素酔いについては個人差が大きいし、慣れも必要だから、安全を重視する一般ダイバーは、30mを超える潜水は、しない方が良い。ナイトロックスは、窒素分圧が低く設定されているので、30m-40mへの潜水はナイトロックスの方が良い。しかし、酸素中毒の恐れがあるので、ナイトロックスで、40mの制限深度をこすことはできない。 自己責任について、書き添えれば、伊豆海洋公園で、若い人が益田さんに相談することもなく、シロオビハナダイを目指して、潜り、二人が生命をおとした。どういう結末になっただろうか。裁判沙汰にもなっていない。関係筋に密かに聞いてみた。若い人のご両親が、益田さんを訪ね、ご迷惑をかけましたと頭を下げたということだった。益田さんのことだから、弔意については出来るだけのことはやったに違いないが、裁判の判例というのもあるのだから、自己責任の解決例として、このことを書いても良いだろう。ずい分昔の話だ。 しかし、振り返って見ると、僕のブログだけで、スクーバで空気で潜水した窒素酔いの死亡事故を何回か書いている。数年前にも、大分県で、3人のダイバーが空気のスクーバで60mだったかで全員死んだ時に書いた。減圧症の死亡事例は、書いた記憶がない。半身不随は、いくつも書いたけれど。
40メートルより深くは混合ガスでと規則に決められるのは、仕方のないことだろう。
混合ガスでも50メートル相当の窒素ガス分圧まで潜れば、50mの窒素酔いになれるが、空気で50m潜ることよりも、遥かに危ない。簡単に窒素酔い中毒になれた昔が、過ぎ去ったよき時代なのだろうか。別に完全な自己責任のレクリエーショナルダイビングならば、潜れるのだが、そんな馬鹿なダイバーは絶滅危惧種になった。 誰も危惧などしていないか。 このごろ気が小さくなって、こういう反潜水社会的なことを書いて良いのか、と心配している。
いつだったか、大瀬の50mから上がっている時、スレ違いに、一人のダイバーが水平の姿勢で、矢のように、降りていくのを見た。誰だろう、こんなダイバーが居たのかと思った。
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0501 ゴールデンウイーク ツアー
GW 恒例ツアー4月29日朝5時20分に、小久保博士(東大、理論天文学教授、東大海洋調査探検部 コーチ)と渋谷で待ち合わせる。東名は、途中事故渋滞が15分ほどあっただけで、スムースに流れた。6時スタートだったら、渋滞に突入しただろう。後発の中川は、渋滞に巻きこまれている。 予定よりも早く赤沢に到着したので、午前に一本潜ることができる。 ドライスーツを持って来ようとも思ったのだが、ドライを持ってきていれば、ドライを着てしまうだろう。ウエットスーツに縛りをかけようと、ドライは持ってこなかった。 手すりからエントリーしようとしたのだが、潮が引いていて、手すりを離して、水に沈んでよく見えない石の上を歩かなければならないので、膝をついて、四つん這いでエントリーする。これが一番確実で怪我がない。 一般的には、歩いて水に腰のあたりまで入ってからフィンを履くのだが、フィンを水中で履くことができない身体になっている。 18度は、文句なく冷たい。しかし、冷たいのと寒いのとはちがうから、寒くなるまでは潜れる。流氷の潜水と同じだ。 泳ぎ出すが、小久保博士を先頭にすると、振り返らずにガイドロープの上を進んでいってしまう。透視度は悪く、魚の姿も見えない。これは予想した通りだ。
大西君の家に泊まった。とても良い部屋で快適だが、民宿ではなく食事は出さないので、近くの魚料理や「天童」で食事する。 その後はお酒で、河合先生が先頭に立って飲む。お酒を飲むことが楽しいお酒のみなのだ。僕のグループだから、自分としては黙って見ているだけでも居心地は良いのだが、河合先生は、しきりに早く寝るように勧める。飲まない僕がいると、みんな気兼ねして飲まない?からか。 しかたなく、10時にはベッドに入った。ベッドでこの日記を書こうと思って始めたのだが、すぐに眠ってしまった。 目が覚めたのは普通通りで3時半ごろ、それからまた、すぐに眠ってしまった。 続く
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0502 ゴールデンウィークツアー 2
一夜寝たら、足は、びっこを引けば傷まない位まで回復した。
1130に船を予約している。 河合先生はアルコールが残っているのでパス。 ダイビングよりアルコールを優先している。しかし、アルコールの自覚があれば、潜らない、というところが、偉い、というかお医者様だ。
大西がガイドで一緒に潜ってくれる。 水深が下は70mぐらいで、段々のようになって居る壁のポイントだ。赤沢の特色、最所は、それぞれの段でヤギやトサカが美しく、ネンブツダイの大群、そしてキンギョハナダイの大群、もっと下に行けばサクラダイガイルが、このポイントの売り物は、ピンクのオキノスジエビで、秋には大群が雲霞のように広がっている光景が見られることがある。大群は続いては見られない期間限定だが、数尾ならば、岩の奥で見られる。計画としては段々で降りて30mぐらいで引き返す。あまり横走で広範囲には広がらない。 脹ら脛ぐらいで、潜れないのではもはや終わりだ。ただ、立ち上がることはできないので、小久保にタンクを背負わせてもらう。立ち上がらずにそのままサイドロールで飛び込む。潜降は、ウエットスーツなのでヘッドファーストで軽くできる。やはり冷たいが寒くはない。まっすぐ降りていく。直線で目的地に行くように、大西にリクエストしておいた。
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0503 人工魚礁浅場
僕のゴールデンウィークは29日30日で終了、世間は今日からがゴールデンで、僕は引きこもってデスクワーク、この数ヶ月考え続け、悩み続けてきた企画、ようやく、言葉にできた。まだリリースしていないが、その結語です。皆様の応援、お力添えがなければ、言葉でしか無い、実現できない企画です。 「小さな魚や甲殻類 生物がドラスティックに季節変化していく極悪な水中環境の中で、生きている。狭い範囲であってもそれを扶けて、生きている海を保ち、賑やかにして行くことは、スポーツフィールドとしてのお台場海浜公園の価値を世界的に高めることにもなると考える。世界の大都市の奥まった海で、このようなことが実現しいているところはないはずだ。」 お台場に人工浅場(干潮線すれすれに置く小型の人工魚礁)を並べたいという企画で、自分の最後の仕事、最後の仕事ばかり並べて生き急いでいるけれど、 左側のルームにハゼがいて、右側にタイワンガザミの夫婦が
これに合う写真を探して、動画を整理していたら編集ソフトが言うことを聞かなくなった。MPEGがだめなので、AVIにした。どちらでも良いのでどうでも良いけど、
これに合う写真を探して、動画を整理していたら編集ソフトが言うことを聞かなくなった。MPEGがだめなので、AVIにした。どちらでも良いのでどうでも良いけど、
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0504 高気圧作業安全衛生規則 -1
高気圧作業安全衛生規則 1 GW ツアーの話が終わったので、また理屈っぽい話題にもどる。冒険のシナリオにならないことなのが、面白くはない。自分の今の状態、全ての企画が冒険状態になっているから、包み隠さず書いたら、冒険ノンフィクションになるとおもうが、いつか、時が過ぎたら書けるだろう? しかし、高気圧作業安全衛生規則をできる限りで良いものにしたい、レクリエーショナルダイビングに適合するもにしたいというコンセプトは、日本水中科学協会にとって、最重要と考えていたことだった。 まず、高気圧作業安全衛生規則とどのように向き合うのか、という問題がある。現状で何の問題もない。下手に騒いだりいじったりしない方が良い。レクリエーショナルダイビングについても、この規則に間接的にカバーされてはいるが、とりあえず潜水士の資格を取って居れば、自分自身が事故を起こさない限り、なにも不都合は起きない。作業潜水となると、官との関わりが強くなり、労働法規の遵守が、強く求められるので、やむ終えない。そして、そもそも、レクリエーショナルダイビングでは、この法規を遵守できない。遵守したら、仕事にならなくなってしまう。それに、先に書いたように、自分の身に事故が起きない限り、規則との関わりはない。 そんな状況で、騒ぎ立てたら、よけいなことをするな、さわらぬ神なのだと、ここで、ブレーキがかかってしまう。 自分の潜水が、業務にならない限り、自分で結果の責任を負うならば、なにをやっても許される。自由な世界なのだ。そして、もしも、自分の命を落としても、遺族がなにもしなければ、そのまま終わる。こんな風に書くと、かなり反社会的だと思われるかもしれないkrど。 仕事をするためにダイバーを雇い入れたとき、雇い入れたダイバーに何事かが起こったとき、雇い入れた雇い主、規則では事業者と呼ぶが、事業者に責任が発生する。 たとえば、ダイビングショップを始めたとする。ダイビングショップでなくても、ダイブショップのようなの行為もこれに含まれるが、参加したお客の事故は、この規則の適用は受けない。遺族からの賠償請求があるので、賠償責任保険に加入しておけば解決される。そのときに引率者が潜水士であるか否かは問題になった例をまだ聞いていない。引率するインストラクター、ガイドダイバー、アシスタントに事故が発生した場合に規則を遵守していたかどうかが、問題になる。 もちろん、こんなことは、常識になっているから、今更なのだが、これを理解しないと、レクリエーショナルダイビングと高気圧作業安全衛生規則の関わりがわからない。書いている自分も、?はてな、と思うことがある。線引きが難しいのだ。 写真はただのカットで意味はないが、撮影作業中
高気圧作業安全衛生規則は、労働安全衛生法に基づく規則であり、業務として潜水するダイバーは、全て、この規則に基づく潜水士の資格を持っていなければならない。そして、当然のこととして、潜水士は、高気圧作業安全衛生規則を遵守して潜水しなければならない。 潜水士テキストによれば、「業務とは継続して行われる職業や事業または商業上の仕事である。」この定義で考えれば、継続した仕事として潜水すれば、すべて業務にくくられてしまう。継続という言葉が連続なのか、テンポラリーでも、続いていれば継続なのか、微妙だが、すべて継続と考えた方が良い。 業務に関係する人間は、雇われる労働者と雇う事業者だ。 大学の研究者の潜水などは、研究者本人としては、労働者として、雇われている自覚はない。自分の研究を自分の意志でやっているのだから、労働者とは、自覚しがたい。指導する教授も大学当局も労働者を雇っているとは思い難いが、研究費をどこからか、もらっていると、その金額の大小によらず業務になる。 今、自分は、仲間を集め、人工魚礁調査を遊びとしてやっている。どこかから助成金をもらったとする。助成金を舟代とか、交通費、宿代などに使ったとしても、仲間から参加費をいただいていれば業務にはならない。レジャーなのだ。参加費をいただかないで、交通費を支給したら、微妙である。微妙であるというのは、その裁量はすべて、監督官庁である労働基準監督暑が決めるから、よくわからない。多分、支給する額よりも会費の方が多ければ、レジャーだろう。引率している者は、労働者になるが、フリーランサーであれば、本人が責任者だから、死んでしまえばそれまでだし、些細な事故ならば、労災の請求をしなければ、知られることもない。なお、フリーランサーのダイバーが仕事で潜水する場合の一人親方という制度がある。事業者に雇われないで仕事をするケースであるが、わかりにくい。自分が一人親方であるのかどうか、どうすればよいのか労働基準局に出向いて説明を受ければ良い。この場合も、自分が労災保険に加入していなければ、労災を請求する事もできないので、知られることもない。死亡事故でない限り、事故が労働基準局と関わりが発生するのは労災保険の請求によってである。なお、先の一人親方という制度は、フリーランサーが労災保険に加入出来るようにする仕組みであり、労災に加入しなければ、保険は勿論下りないが、申告の必要もない。 とにかく、仕事として潜水し、何らかの形で報酬をもらっていれば労働者になる。学生がショップのアルバイトをする場合などは、継続してという範囲が微妙であるが、適用されると考えた方がいい。 とにかく、紛らわしいのはレジャーダイビングである。レジャーダイビングを楽しむ人は、レジャーだから、規則に関係がない。どんな死に方をしても、高気圧作業安全衛生規則に触れることはない。 一方、楽しむお客様から報酬をもらうインストラクター、ガイドダイバー、アシスタントの潜水は業務に含まれる。もしも、ガイドダイバーが規則を遵守して活動するとすれば、そのバディであるお客も、間接的に規則を遵守することになる。 水中のように、お巡りさんが見ていないところでは、交通規則、いや潜水規則を守っていなくても。とがめられることはない。つまり、建前であると割り切ってしまえば、レクリエーショナルダイビングについて、規則などは、国家試験に合格するために覚えれば良いだけのものであり、何でもない。 このようにして、時間は過ぎ去ってきた。 レジャーダイバーとバディで潜水するガイドダイバーは、規則の下で潜水しなければならないので、レジャーダイバーも事実上規則の下で潜水することになる。それだけ、安全度が高くなるといえば、そのとおりなのだが、間接的ではあるが、レジャーダイバーも作業潜水、港湾土木と同じ規則の下でもぐることになる。 このごろでは、インストラクターとかガイドダイバーの管理下を離れてレジャーダイバーだけが、潜水することをバディ潜水と呼ぶらしいが、ガイドダイバーがバディだったら、バディ潜水とは呼ばないのか、と突っ込みを入れたくなるし、最近では、熱心なレジャーダイバー、僕はスタンダードスタイルと呼んでいるのだが、このスタイルのレジャーダイバーは、みんなインストラクターを目指してしまうし、そのうえにプロダイバーというレジャー資格があったりするから、レジャーのインストラクターか、仕事なのか、区別がよくわからないが、報酬をもらっていないで、会費を払って、チームに参加しているのならば、レジャーとすることができる。言うまでもなく、ショップの手伝いをして報酬を貰えば、業務になる。 ともかく、完全なレジャーダイバーだけのバディダイビングだけが、この規則を間接的にも影響をうけない、真のレジャーダイビングになるわけだ。 ごちゃごちゃになってしまったが、お金を支払っている人はレジャーであり、お金をもらっている人がプロであり。プロは原則として、高気圧作業安全衛生規則を守って潜水しなければならない。そして、労働者がだれにも雇われていない場合が一人親方である。いずれの場合も死亡事故でないかぎり、申告しなければ、知られることはない。
高気圧作業安全衛生規則は、労働安全衛生法に基づく規則であり、業務として潜水するダイバーは、全て、この規則に基づく潜水士の資格を持っていなければならない。そして、当然のこととして、潜水士は、高気圧作業安全衛生規則を遵守して潜水しなければならない。 潜水士テキストによれば、「業務とは継続して行われる職業や事業または商業上の仕事である。」この定義で考えれば、継続した仕事として潜水すれば、すべて業務にくくられてしまう。継続という言葉が連続なのか、テンポラリーでも、続いていれば継続なのか、微妙だが、すべて継続と考えた方が良い。 業務に関係する人間は、雇われる労働者と雇う事業者だ。 大学の研究者の潜水などは、研究者本人としては、労働者として、雇われている自覚はない。自分の研究を自分の意志でやっているのだから、労働者とは、自覚しがたい。指導する教授も大学当局も労働者を雇っているとは思い難いが、研究費をどこからか、もらっていると、その金額の大小によらず業務になる。 今、自分は、仲間を集め、人工魚礁調査を遊びとしてやっている。どこかから助成金をもらったとする。助成金を舟代とか、交通費、宿代などに使ったとしても、仲間から参加費をいただいていれば業務にはならない。レジャーなのだ。参加費をいただかないで、交通費を支給したら、微妙である。微妙であるというのは、その裁量はすべて、監督官庁である労働基準監督暑が決めるから、よくわからない。多分、支給する額よりも会費の方が多ければ、レジャーだろう。引率している者は、労働者になるが、フリーランサーであれば、本人が責任者だから、死んでしまえばそれまでだし、些細な事故ならば、労災の請求をしなければ、知られることもない。なお、フリーランサーのダイバーが仕事で潜水する場合の一人親方という制度がある。事業者に雇われないで仕事をするケースであるが、わかりにくい。自分が一人親方であるのかどうか、どうすればよいのか労働基準局に出向いて説明を受ければ良い。この場合も、自分が労災保険に加入していなければ、労災を請求する事もできないので、知られることもない。死亡事故でない限り、事故が労働基準局と関わりが発生するのは労災保険の請求によってである。なお、先の一人親方という制度は、フリーランサーが労災保険に加入出来るようにする仕組みであり、労災に加入しなければ、保険は勿論下りないが、申告の必要もない。 とにかく、仕事として潜水し、何らかの形で報酬をもらっていれば労働者になる。学生がショップのアルバイトをする場合などは、継続してという範囲が微妙であるが、適用されると考えた方がいい。 とにかく、紛らわしいのはレジャーダイビングである。レジャーダイビングを楽しむ人は、レジャーだから、規則に関係がない。どんな死に方をしても、高気圧作業安全衛生規則に触れることはない。 一方、楽しむお客様から報酬をもらうインストラクター、ガイドダイバー、アシスタントの潜水は業務に含まれる。もしも、ガイドダイバーが規則を遵守して活動するとすれば、そのバディであるお客も、間接的に規則を遵守することになる。 水中のように、お巡りさんが見ていないところでは、交通規則、いや潜水規則を守っていなくても。とがめられることはない。つまり、建前であると割り切ってしまえば、レクリエーショナルダイビングについて、規則などは、国家試験に合格するために覚えれば良いだけのものであり、何でもない。 このようにして、時間は過ぎ去ってきた。 レジャーダイバーとバディで潜水するガイドダイバーは、規則の下で潜水しなければならないので、レジャーダイバーも事実上規則の下で潜水することになる。それだけ、安全度が高くなるといえば、そのとおりなのだが、間接的ではあるが、レジャーダイバーも作業潜水、港湾土木と同じ規則の下でもぐることになる。 このごろでは、インストラクターとかガイドダイバーの管理下を離れてレジャーダイバーだけが、潜水することをバディ潜水と呼ぶらしいが、ガイドダイバーがバディだったら、バディ潜水とは呼ばないのか、と突っ込みを入れたくなるし、最近では、熱心なレジャーダイバー、僕はスタンダードスタイルと呼んでいるのだが、このスタイルのレジャーダイバーは、みんなインストラクターを目指してしまうし、そのうえにプロダイバーというレジャー資格があったりするから、レジャーのインストラクターか、仕事なのか、区別がよくわからないが、報酬をもらっていないで、会費を払って、チームに参加しているのならば、レジャーとすることができる。言うまでもなく、ショップの手伝いをして報酬を貰えば、業務になる。 ともかく、完全なレジャーダイバーだけのバディダイビングだけが、この規則を間接的にも影響をうけない、真のレジャーダイビングになるわけだ。 ごちゃごちゃになってしまったが、お金を支払っている人はレジャーであり、お金をもらっている人がプロであり。プロは原則として、高気圧作業安全衛生規則を守って潜水しなければならない。そして、労働者がだれにも雇われていない場合が一人親方である。いずれの場合も死亡事故でないかぎり、申告しなければ、知られることはない。
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0505 高気圧作業安全衛生規則 2
読んでもおもしろくないだろうし、僕の考え方も若干今のダイビング世界とは違っていると思う。それでも、かなりの人数が読んでくれている。これも外の海で活動している旅行記よりも見てくれている人が少なくなっているが、それでも決まって読んでくださる人もいる。いい気になってごちゃごちゃした話題を続けよう。 人は、特にダイバーは自由であることが何よりも幸せと思う人たちであるから、できることなら、自己責任、死ぬのも生きるのも自由にさせてもらいたい。あらゆる規則、制限から開放されて、自由になりたい。自己責任を唱えた時、それは、自由にさせてもらいたいという願いなのだ。 安全管理を行うべき者が、責任逃れで、潜水は自己責任ということもあるが、ここでいう自己責任とは、自分が自由であるととなえている状態なのだ。 すでに述べたところで、わかってもらえるだろうが、業務潜水では、自由を唱えられない。 今はもういない田島雅彦の若いころ。
業務であり、事業者と労働者の雇用関係が成立していれば、事業者は労働者の健康と安全について責務を負っている。労働者は勝手に死ぬことは、許されてはいない。 また事業者は。労災保険に加入しなければならない。そして労働者は、権利として、労災保険の請求ができる。事業者が労災に加盟していない場合には、訴訟になるだろう。そして、労災保険を仲介として、労働関連の法律、規則との関わりが発生する。だから、プロの事故の場合、労災を使わないか、使うかの議論が起きる。経験からいうと、軽度の減圧症で労災をつかったが、なにも言われなかった。後遺症がのこるようだと、面倒だろう。そのとき、使っていた減圧表とか、記録などが問題になる。死亡事故が起これば、労働基準監督署によって、違反がないか取り調べられる。なおこの取り調べは、ダイバーの常識とはかなり違った視点から行われる。警察による取り調べの視点とも違うし、海上保安部による取り調べもまた別である。さらに賠償責任を訴える民事裁判とも別である。これらの取り調べのそれぞれが、それぞれの視点から結論を出す。 ちなみに、たいていのショップでは、従業員の賠償責任保険には入っていないだろう。そんな保険があるのかしら。 自分の場合、社員にはかなり高額な生命保険に入っていた。生命保険は、死にさえすればとやかく言わずに保険を払ってくれる。事故の特約をつけて倍額にしておけば、あとは労災でなんとかなる。 作業潜水、港湾土木潜水は、規則も、潜水士テキストもそのままで基本的に問題はないが、研究者の潜水、レジャーのガイドダイバーやインストラクターの場合は困る部分、実情と合わない部分も出てくる。 一番望ましいのは、作業潜水、港湾土木潜水以外は、この規則から除外されれば良いのだが、50年以上この制度は継続して存在しているし、監督官庁は、規制の範囲を縮小するようなことはまずあり得ない。 その規制が、本当に自分たちレジャーダイバーのためになっているのかどうかを検討して、有意に役立てるようにするのが現実的である。 港湾土木などについては、日本潜水協会があり、厚生労働省にたいして、意見を具申したり、折衝の窓口になっている。また、今度の規則改正についても、意見を述べられる会議に、この協会が出席しているが、レクリエーショナルダイビング、学術調査、水産の潜水については、意見を具申する窓口は一切ない。 DANも社会スポーツセンターも可能性はあるが、出席していないし、しようという意志も示していない。 レジャーダイビング関連の団体の態度は、一貫して、規則があるのだから仕方がない、規則の内容については、ほとんど研究していない。研究はしていても交点は持とうとしない。このまま時が過ぎて行けばそれでよいからだと思う。 発想を転換して、国土交通省(DAN)だとか文部科学省(社会スポーツセンター)だとか経産省(レジャー・スポーツダイビング産業協会)だとか、役所と関わりのある、つまり、指導を受けているようなところは、何も言えないが、どことも関わりのない、純粋な民間団体で、非営利であれば、発言は出来る可能性はある。発言したところで何にもならないかもしれないが、発言しなければ、問題は存在しないのとおなじだ。特定非営利活動法人である日本水中科学協会が、発言くらいはしなければ、と考えているが、死亡事故が起こったときだけ関わりが起きるという無責任はかなり快適であり、やぶ蛇になりかねない。火中の栗は拾わないほうが良いのかも。 それにしても、ショップのスタッフというのは、事故死しないものだ。 正式な統計資料を持っていない、というよりもそんな統計資料はないが、これまで、長らく、潜水士国家試験の予備講習を行ってきた経験から、現在、潜水士になるべく国家試験を受ける人数の大多数はレジャー潜水関係である。予備講習で、「職業潜水士を目指す人、」と挙手をお願いすると、100名のうち5名程度であった。 日本水中科学協会の最新ダイビング用語事典は、公刊され、全国の図書館に置かれ訴訟などの参考資料ともなっている。そろそろ改訂の時期だが、ここで一章を設けて、論じることで、改革の緒になるかも知れない。 しかし、やはり火中の栗だ。でも。そろそろ死ぬから、拾ってみようか。いや、まだ決心が付かない。「さわらぬ神に祟りなし」規則のことをそんな風に思ってしまうこと、それが問題だな。それにしても、高気圧作業安全衛生規則にしても、そのテキストにしても、一切誰も批判しない。間違いとは言わないまでも適切ではない表現でもだれも指摘しないというのは、なんだろう。それとも、潜水士テキストなんて、とバカにしきって目も通そうとしないのか。その規則に従って潜るのだぞ、と言いたくなる。一方で、横文字の方はどんどん、訳の分からない先の方向に進んでいく。そのギャップがそろそろ、50年にはなっているだろう。
業務であり、事業者と労働者の雇用関係が成立していれば、事業者は労働者の健康と安全について責務を負っている。労働者は勝手に死ぬことは、許されてはいない。 また事業者は。労災保険に加入しなければならない。そして労働者は、権利として、労災保険の請求ができる。事業者が労災に加盟していない場合には、訴訟になるだろう。そして、労災保険を仲介として、労働関連の法律、規則との関わりが発生する。だから、プロの事故の場合、労災を使わないか、使うかの議論が起きる。経験からいうと、軽度の減圧症で労災をつかったが、なにも言われなかった。後遺症がのこるようだと、面倒だろう。そのとき、使っていた減圧表とか、記録などが問題になる。死亡事故が起これば、労働基準監督署によって、違反がないか取り調べられる。なおこの取り調べは、ダイバーの常識とはかなり違った視点から行われる。警察による取り調べの視点とも違うし、海上保安部による取り調べもまた別である。さらに賠償責任を訴える民事裁判とも別である。これらの取り調べのそれぞれが、それぞれの視点から結論を出す。 ちなみに、たいていのショップでは、従業員の賠償責任保険には入っていないだろう。そんな保険があるのかしら。 自分の場合、社員にはかなり高額な生命保険に入っていた。生命保険は、死にさえすればとやかく言わずに保険を払ってくれる。事故の特約をつけて倍額にしておけば、あとは労災でなんとかなる。 作業潜水、港湾土木潜水は、規則も、潜水士テキストもそのままで基本的に問題はないが、研究者の潜水、レジャーのガイドダイバーやインストラクターの場合は困る部分、実情と合わない部分も出てくる。 一番望ましいのは、作業潜水、港湾土木潜水以外は、この規則から除外されれば良いのだが、50年以上この制度は継続して存在しているし、監督官庁は、規制の範囲を縮小するようなことはまずあり得ない。 その規制が、本当に自分たちレジャーダイバーのためになっているのかどうかを検討して、有意に役立てるようにするのが現実的である。 港湾土木などについては、日本潜水協会があり、厚生労働省にたいして、意見を具申したり、折衝の窓口になっている。また、今度の規則改正についても、意見を述べられる会議に、この協会が出席しているが、レクリエーショナルダイビング、学術調査、水産の潜水については、意見を具申する窓口は一切ない。 DANも社会スポーツセンターも可能性はあるが、出席していないし、しようという意志も示していない。 レジャーダイビング関連の団体の態度は、一貫して、規則があるのだから仕方がない、規則の内容については、ほとんど研究していない。研究はしていても交点は持とうとしない。このまま時が過ぎて行けばそれでよいからだと思う。 発想を転換して、国土交通省(DAN)だとか文部科学省(社会スポーツセンター)だとか経産省(レジャー・スポーツダイビング産業協会)だとか、役所と関わりのある、つまり、指導を受けているようなところは、何も言えないが、どことも関わりのない、純粋な民間団体で、非営利であれば、発言は出来る可能性はある。発言したところで何にもならないかもしれないが、発言しなければ、問題は存在しないのとおなじだ。特定非営利活動法人である日本水中科学協会が、発言くらいはしなければ、と考えているが、死亡事故が起こったときだけ関わりが起きるという無責任はかなり快適であり、やぶ蛇になりかねない。火中の栗は拾わないほうが良いのかも。 それにしても、ショップのスタッフというのは、事故死しないものだ。 正式な統計資料を持っていない、というよりもそんな統計資料はないが、これまで、長らく、潜水士国家試験の予備講習を行ってきた経験から、現在、潜水士になるべく国家試験を受ける人数の大多数はレジャー潜水関係である。予備講習で、「職業潜水士を目指す人、」と挙手をお願いすると、100名のうち5名程度であった。 日本水中科学協会の最新ダイビング用語事典は、公刊され、全国の図書館に置かれ訴訟などの参考資料ともなっている。そろそろ改訂の時期だが、ここで一章を設けて、論じることで、改革の緒になるかも知れない。 しかし、やはり火中の栗だ。でも。そろそろ死ぬから、拾ってみようか。いや、まだ決心が付かない。「さわらぬ神に祟りなし」規則のことをそんな風に思ってしまうこと、それが問題だな。それにしても、高気圧作業安全衛生規則にしても、そのテキストにしても、一切誰も批判しない。間違いとは言わないまでも適切ではない表現でもだれも指摘しないというのは、なんだろう。それとも、潜水士テキストなんて、とバカにしきって目も通そうとしないのか。その規則に従って潜るのだぞ、と言いたくなる。一方で、横文字の方はどんどん、訳の分からない先の方向に進んでいく。そのギャップがそろそろ、50年にはなっているだろう。
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0508 8080
2016/05/08 09:58 8080
久しぶりで書きたいことを書こう。最近はポメラのD100のキーパッドが良いので、キーがすべる。
81歳になって、もう怖いものはない。言いたいことを言い、やりたいことをやろう。若いころ、年をとったら、そうしようと思っていたが、実際にその年令になってみると、自分で驚くほど、人の意見が気になり、気兼ねして、小心者のように生きている。それではいけない、と反省したりしてもいる。
で、
高齢者の潜水について、お医者さんは、人の命に責任を持った発言をしなくてはならない。人は千差万別だし、相談に来る人は、必ず身体のどこかに問題を持っている。その立場で発言したり、書いたりしている。高齢者も死んではいけないと言う立場を通さなければならない。その立場でDANの記事とか、月刊ダイバーの記事とか書いている。
ダイバーとしての自分、ダイバーとしてという前提がまだ書ける。ダイバーとしての自分は、自分の命についてだけの発言であり、自分の命は自分だけが責任を持っている。若い頃は、自分の命は自分だけのものではなくて、家族のものであったり、会社のものであったり、国のものであったりする。高齢者という称号は、自分の命は自分だけのものと考えても良いという意味だ。
80歳で80m潜るというと、危ないからと止められる。それは、自分が病弱だから危ないのだという意味に解釈している。病弱だけれど、病気にはならないで、何とか潜水を続けている。海は最低月に2日、夏になれば、今年は最低5日は潜る予定でいる。ダイバーであり続けるために生きている。
ストイックになるのは、自分が病弱だからで、いつもおつきあいいただいている波左間の荒川さんは、確か76歳だったか、規則が変わったので、40mなどと言っているが、たぶん定置網の作業で60mまでは日常空気で潜っているはずだ。彼は、90歳で90mにもぐれる。僕が80歳で80m潜ることなど、記録でも何でもありはしない。しかし、自分なりの新しい潜水方法、機材で自分の80mを潜りたい。自分の若い頃からの深く潜る潜水はすべて、その時点で新しい方法を追求した。60歳の100mは残念ながらお仕着せのシステム潜水だった。それを残念だったと思う自分がここにいる。
先日、中川と8080の話をした。彼も60歳を越えた。リブリーザで100mを彼は平気な顔をして、普通に潜っている。それはテクノとジーの進歩であり時代なのだ。そして、彼は病弱ではない。病弱な僕は、60歳の時は60歳が行き止まりだと思った。その考えが間違いで、65歳で癌にかかるまでは、60以前よりもハードなダイビングをした。その頃が一番幸せだったかもしれない。ヨーヨー潜水で、3ノットの黒潮に20ー30mの潜水を減圧症覚悟で繰り返したりした。
65歳、高知のくろしお牧場、
今年のゴールデンウィーク、緑ちゃん、中川、大西、みんないっしょに潜ることができた。
これから先のダイバーの世界では、80歳80m、90歳90mも普通のことだとおもう。僕の80mというのは語呂合わせであって、それほどこだわってはいない。ただ、新しいスタイルの潜水機材のテストなので、50mでも60mでもよいのだが、目標は設定して置かないと、ここまで、と止めることができない。ずるずると83m、85mと行き、最後は潜ったきりになってしまう。80mで止めるといういみだ。
潜りかたも人それぞれで良いとおもう。周辺をながめれば、中川のスタイルもあれば久保さんのスタイルもある。だから、僕は僕のスタイルを追求しても良いと思う。僕のスタイルとは、81歳のスタイルだが、このスタイルならば、身体に障害のある人でも、あるいは、元気の良い、ダイビングには素人のスポーツマンでも特別の訓練なしで、潜れるというシステムの開発である。
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0509 高気圧作業安全衛生規則 3
「わかる潜水士試験、完全攻略テキスト&問題集」を、札幌で、潜水士受験の準備講習をおそらくは一番たくさんやっていて、特に専門学校、大学の講習を引き受けている工藤和由君と共著で書いた。この一冊で合格するし、得られる知識も潜水士テキストを補えることを目指して書いた。
受験について、潜水士テキストが、規則に準ずるものになっている。国家試験の問題は、テキストのフレーズが○×、五択の問題にそのままでるし、もしもの場合に監督署側が参考にするのは、潜水士テキストなのだ。僕たちが書いた問題集は、潜水士テキストの解説書である。テキストから逸脱することはできない。 解説するためにテキストを熟読すると、潜水士テキストの問題点も、しいて言えばこの規則の問題点も考えさせられる部分が見える。潜水士テキストが普通の書籍ならば、何の問題もない。しかし、国家試験の問題で、潜水士テキストのフレーズが○になる、そして、原則としてだが、潜水士テキストに書いていないようなことを国家試験に出題してはルール違反なのだ。 そして、高気圧作業安全衛生規則の世界では、この潜水士テキストが正であり、テキスト以外の考えは誤りになる。 潜水士テキストは規則ではないが、このテキストのスタイルが準規則になる。このテキストを書いた人のスタイルが準規則になる。人は誰でも自分のスタイルがある。自分のスタイルは、自分は正しいと思っているが、一般論としては、偏っている場合もある。
前に、潜水士準備講習の講師をやっていた時、冒頭でこんなことを言っていた。これから講義することは、みなさんの潜水の常識、あるいは指導団体の基準とはまるで違うかもしれません。これは、潜水士ワールドという次元の違う世界のことだと思ってください。もちろん、物理的な法則などは、普遍的なものですが、こと潜水技術に関する限りは、別世界かもしれません。皆さんが習ってきたことと違うことも多々あります。しかし、違っていてもそれは正しいのです。テキストに書いてあることが正解なのです。 しかし、この説明もまちがっている。自分の若さだった。これでは、これから講義する自分の考えが正であり、潜水士テキストの記述が誤になってしまう。 潜水士テキストの記述は、誤ではない。一つの考え方なのだ。一つの考え方が準規則になってしまっては困る。 物理化学の問題、数値的な処理の問題は、決めつけて、それ以外の回答は誤であってよい。規則の問題は後で論じなければ、いけないが、規則は出来る限りで幅広くしてもらいたい 疑問はダイビングの運用について、そして機材についてだ。これを物理化学の問題と同様に決めつけてもらっては、現場で困る事態が起きる。 出来る限り最大公約数であり、しかも技術の進歩に柔軟に対応しなければならない。どうしても、最大公約数が得られない事柄については、一つの考え方があるならば、必ずそれに対抗する考え方もあり、最大公約数を見出すことができない、説明があればいい。
昭和60年(1985年)海洋科学技術センター、(現JAMSTEC)が潜水技術用語集を編纂した。委員にさせていただいたが、学識経験者だけではなく、僕のような実務家、雑誌編集者、スポーツマンまで広くまたがった委員で意見を交わし議論をした。まとめる事はできずに、再度、一次案検討メンバーに意見を添えて戻すことになったが、国が定める規則による、国家試験の問題になるような、準規則になる潜水士テキストである。その用語の選択、内容の検討に潜水関連各界の委員を選んで、委員会を作って作業してもらいたいと望む。何も学識経験者だけでなく、一般レジャーダイバーもまた学生ダイバーのなかからも選んだメンバーで議論すれば理想的である。目標はこの規則が安全な潜水に役立つことである。短い期間に結論がでることは難しいとは思う。短い期間である必要はない。潜水士テキストを5年間隔くらいで改訂するとすれば、議論の期間は5年ある。前の版がたたき台になるはずだから、そして歴史もあることだから、問題点は絞られるから、それほど時間はかからないかもしれない。要は異論、反論を受け付けて議論した結果であるのかないのかである。
これは、今度改訂したいと思っている自分たちの最新ダイビング用語事典についても言えることで、他残の石としよう。
前には、規則がレジャーダイビングをカバーするのならば、一章をレジャーダイビングのために裂くべきだと思ったり言ったりしたことがあるが、今では無いほうが、触れてもらわない方が良いのではと思ったりしている。最大公約数で処理できれば、そのほうが良い。PADIの色彩が強くなったら、他の指導団体のインストラクターが困るだろうし、その逆もある。 作業潜水の分野でも同じことが、言えているはずだ。だから、このテキストを書くご苦労は想像できる。しかし、テキストの表現、これはルールになってしまうのだが、表現について議論をくぐり抜けて来たものだとは思えない表現が多い。前述したように、間違いではない。ある視点でみれば、正しいと思う。視点の固定化がこのようなテキストでは困る。すでに各項目の実務家の議論を経ているというならば、そのことを巻頭に明記するべきだと思う。
※今度の規則改正では議論が行われ、その経過をネットで見ることも出来る。ただし、レクリエーショナルダイビングの分野からの意見は見られなかったが、同様なことが、潜水士テキストでもできないことはない。議論の順から言えば、まずは、テキストの議論があり、その後に規則改正の議論があるべきだと思う。そのようなシステムになってはいないから、仕方がないのではあるが。
続く
受験について、潜水士テキストが、規則に準ずるものになっている。国家試験の問題は、テキストのフレーズが○×、五択の問題にそのままでるし、もしもの場合に監督署側が参考にするのは、潜水士テキストなのだ。僕たちが書いた問題集は、潜水士テキストの解説書である。テキストから逸脱することはできない。 解説するためにテキストを熟読すると、潜水士テキストの問題点も、しいて言えばこの規則の問題点も考えさせられる部分が見える。潜水士テキストが普通の書籍ならば、何の問題もない。しかし、国家試験の問題で、潜水士テキストのフレーズが○になる、そして、原則としてだが、潜水士テキストに書いていないようなことを国家試験に出題してはルール違反なのだ。 そして、高気圧作業安全衛生規則の世界では、この潜水士テキストが正であり、テキスト以外の考えは誤りになる。 潜水士テキストは規則ではないが、このテキストのスタイルが準規則になる。このテキストを書いた人のスタイルが準規則になる。人は誰でも自分のスタイルがある。自分のスタイルは、自分は正しいと思っているが、一般論としては、偏っている場合もある。
前に、潜水士準備講習の講師をやっていた時、冒頭でこんなことを言っていた。これから講義することは、みなさんの潜水の常識、あるいは指導団体の基準とはまるで違うかもしれません。これは、潜水士ワールドという次元の違う世界のことだと思ってください。もちろん、物理的な法則などは、普遍的なものですが、こと潜水技術に関する限りは、別世界かもしれません。皆さんが習ってきたことと違うことも多々あります。しかし、違っていてもそれは正しいのです。テキストに書いてあることが正解なのです。 しかし、この説明もまちがっている。自分の若さだった。これでは、これから講義する自分の考えが正であり、潜水士テキストの記述が誤になってしまう。 潜水士テキストの記述は、誤ではない。一つの考え方なのだ。一つの考え方が準規則になってしまっては困る。 物理化学の問題、数値的な処理の問題は、決めつけて、それ以外の回答は誤であってよい。規則の問題は後で論じなければ、いけないが、規則は出来る限りで幅広くしてもらいたい 疑問はダイビングの運用について、そして機材についてだ。これを物理化学の問題と同様に決めつけてもらっては、現場で困る事態が起きる。 出来る限り最大公約数であり、しかも技術の進歩に柔軟に対応しなければならない。どうしても、最大公約数が得られない事柄については、一つの考え方があるならば、必ずそれに対抗する考え方もあり、最大公約数を見出すことができない、説明があればいい。
昭和60年(1985年)海洋科学技術センター、(現JAMSTEC)が潜水技術用語集を編纂した。委員にさせていただいたが、学識経験者だけではなく、僕のような実務家、雑誌編集者、スポーツマンまで広くまたがった委員で意見を交わし議論をした。まとめる事はできずに、再度、一次案検討メンバーに意見を添えて戻すことになったが、国が定める規則による、国家試験の問題になるような、準規則になる潜水士テキストである。その用語の選択、内容の検討に潜水関連各界の委員を選んで、委員会を作って作業してもらいたいと望む。何も学識経験者だけでなく、一般レジャーダイバーもまた学生ダイバーのなかからも選んだメンバーで議論すれば理想的である。目標はこの規則が安全な潜水に役立つことである。短い期間に結論がでることは難しいとは思う。短い期間である必要はない。潜水士テキストを5年間隔くらいで改訂するとすれば、議論の期間は5年ある。前の版がたたき台になるはずだから、そして歴史もあることだから、問題点は絞られるから、それほど時間はかからないかもしれない。要は異論、反論を受け付けて議論した結果であるのかないのかである。
これは、今度改訂したいと思っている自分たちの最新ダイビング用語事典についても言えることで、他残の石としよう。
前には、規則がレジャーダイビングをカバーするのならば、一章をレジャーダイビングのために裂くべきだと思ったり言ったりしたことがあるが、今では無いほうが、触れてもらわない方が良いのではと思ったりしている。最大公約数で処理できれば、そのほうが良い。PADIの色彩が強くなったら、他の指導団体のインストラクターが困るだろうし、その逆もある。 作業潜水の分野でも同じことが、言えているはずだ。だから、このテキストを書くご苦労は想像できる。しかし、テキストの表現、これはルールになってしまうのだが、表現について議論をくぐり抜けて来たものだとは思えない表現が多い。前述したように、間違いではない。ある視点でみれば、正しいと思う。視点の固定化がこのようなテキストでは困る。すでに各項目の実務家の議論を経ているというならば、そのことを巻頭に明記するべきだと思う。
※今度の規則改正では議論が行われ、その経過をネットで見ることも出来る。ただし、レクリエーショナルダイビングの分野からの意見は見られなかったが、同様なことが、潜水士テキストでもできないことはない。議論の順から言えば、まずは、テキストの議論があり、その後に規則改正の議論があるべきだと思う。そのようなシステムになってはいないから、仕方がないのではあるが。
続く
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0513 高気圧作業安全衛生規則 4
ブログの更新がなかなかできない。 映像の編集に停滞している。こまめにやっておけばよいのに、ためるから、時系列がよくわからなくなっている。記録、とは時系列が、一番大事なことなのだと今更のように痛感している。だから何だ、と投げてしまえばそれまでなのだが、ここは、耐えて継続しなければ、 高気圧作業安全衛生規則のことも、書きたいことは、時間が経つと問題意識が消えてしまう。消えるようなことならば、消してしまえ、といわれそうだが、これも、継続しなければ。 前回に書いたことだが、レジャーダイビングと作業潜水、かけ離れているスタイルで規制される場合に、つまり、作業潜水のスタイルで、レジャーダイビングが規制された場合、規制される側は、自分たちのスタイルに適合しない規制について、反対を唱えるか、あるいは無視する。現状でのレジャーダイビングでは、無視することで解決している。そして、忘れてしまえば、事件が起こるまで、何事も無く時間は経過する。事件とは、その人の生涯で一度起こるか起こらないかの頻度である。
だから、とりあえず、潜水士の資格を取らなければいけないというならば、資格を取りましょう。とればいいのだ。そのあと、運用で無理があれば、できないことは無視する。別に労働基準局が常に監視、取り締まりをしているわけではないから、困ることは全くないので、そのまま経過する。ガイドダイバーの傘の下で、レジャーダイバーが亡くなっても、別に労働基準局にかかわりはない。ガイドダイバー自身が事故を起こした場合に、労災保険についての関わりが出てくる。違反をしているとどうなるか。死亡事故が、ショップに勤務しているスタッフの事故であれば、ショップのオーナーが取り調べを受けることになる。違反がわかって、書類送検されても、罰金は数千円だろうが、倍賞においては、裁判で著しく不利になる。労災との関わりについては、労災保険についての金額を事業者に負担しろという命令もあり得る。 労災保険の支払いにはかなり複雑な規定があり、死亡当人の配偶者が筆頭で受けることができる。これは、受ける者が死亡するまで、死んだ当時の月額報酬の60%を年金として受け取ることができるので、猛烈に有利な保険だ。配偶者というのも、入籍している必要はなくて、時の事業者が、二人が同棲していたと証言すれば、その人が受取人になれる。両親が受取人の場合でも、年金型とか一時金型とかいろいろ複雑だ。 労災保険とは、遺族にとっては非常に大きい。だから、死亡した場合には規則が守られていたか否かが他山の石ではなくなる。事業者にとっては死活問題にんりかねない。自分の例について述べよう。もちろん、事件はケースバイケースだから、労働基準監督署の裁定による、ケースバイケースだから、ここでいうようにならない場合もある。 自分の会社の事故については、何度もブログで書いた。死ぬまで背負っていく責任だと思って、できるだけのことをしてきた。今でも、その気持ちには代わりはないが、これまで、あんまり、労災については話したことは無かったとおもう。 僕の場合なにが違反だったかというと、減圧表だった。僕は停止時間の長い英国のRNPLを使っていた。高気圧作業安全衛生規則の別表2(減圧表)とちがう。改正になる前は、表が規則だったから、表を守らないと言うことは規則違反になる。事故とどういう因果関係があるかというと、減圧停止中の事故だったので、減圧時間が短ければ、事故は起こらなかったかもしれない。空気が残っていれば、安全停止するのが今の常識だし、今の潜水士テキストにはそのように書いている。これは、僕の事故で真野先生も巻き込んで問題になった結果、安全停止も正になった。しかし、これは後からの話である。とにかく、いろいろな不備を追求された。 結果、なにが一番の問題だったか、よくわからないが、いろいろあって、労災保険の支払いの一部を僕の会社が支払え、という命令が来た。そんなお金はない。生命保険をあてればよかったのだが、生命保険は全部ご両親に差し上げるということにしてしまっている。 株式会社だから、解散してしまえば、だれの責任でもなくなる。幸いなことに、撮影はアアク・ファイブ。調査はスガマリンメカニック、二つの会社でやっていたから、一つなくせばいい。監督署は、つぶしてしまっては具合がわるいのだろう。なんとかつぶさないように相談に乗ると言ってきた。合計金額?00万だったか、月賦で払えばよいということになった。支払える金額だったから、会社はつぶさないで続けた。その時も、今もだが、会社には不動産が無かった。不動産があれば、つぶすことはできない。 事業者ではなく、労働者であるスタッフ、インストラクターにとっては、自分さえ死ななければ、良いのだから、心配ない。事業者にとっても、レジャーダイビングの場合、スタッフの死亡事故のいうのは、このところ、聞いたことがあまりない、くらいにレアだ。レアでなければ困る。ちなみに従業員がいない本人だけがダイビングをしている事業者で自分が死ぬのであれば、死んだ自分が責任者だから、これも責任を問われることはない。ただ、遺族が労災を受けることはできない。ひとりぼっちの事業者が労災に加入する手続きとして、一人親方の制度がある。この手続きのことも、書いたのだが、不正確なので、消した。 もしここで、抜本的な部分を論じると、労働者の居心地の良さが壊されてしまうかもしれない。やぶで蛇をつつくとはこのことだ。 だから、やぶ蛇になるような問題ではなくて、技術論として、改善してもらいたい部分、あるいは潜水士テキストを書きなおしてもらいたいような部分について述べる。 書きたかったのは、この部分なのだが、高気圧作業安全衛生規則が、どんなものなのかを書いておかないと、なぜこだわるのかがわかってもらえない。 書きたいことはたくさんあるのだが、まずは、 ① 下がりづな について ② ダイブコンピューターと減圧表について
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0514 高気圧作業安全衛生規則 5 さがり綱
まず、下がり綱について。 潜水士テキスト平成27年版によれば、関係法令の章で「 第33条、事業者は、潜水業務をおこなうときは、潜水作業者が潜降し、及び浮上するための下がり綱を備え、これを潜水作業者に使用させなければならない。②事業者は、前項の下がり綱には、3メートルごとに水深を表示する木札又は布を取り付けておかなければならない。」 これは、多分違反になる。
補遺として、「本条では、潜水業務でのさがり綱(潜降索ともよばれる)の使用を義務づけている。さがり綱は、潜水方式に関係なく、送気式潜水ならびにスクーバ潜水のいずれの場合にも必要である。さがり綱には、3mごとに水深表示の印を設け、減圧浮上時にはこれを停止深度の目安とする・これにくわえて、さらに細かい間隔で表示を付けることは差し支えないが、3mごとの表示と混同しない表示にすること。」 ここには、原則として、とか望ましい、とかいう語句は見あたらない。つまり絶対なのだ。 ところで今、スクーバでも、また最近の工事で主流となっている送気式のフルフェースマスクでも、この潜降索を使用して潜水しているのを見たことがない。港湾土木などでは、多分、大部分の現場で用意はしているだろう。このごろあまり現場にでたことが無いので、確認していないが、スガ・マリン・メカニックでは、このような潜降索を現場に用意していたことはほとんど無かった。冗談的に、事故が起こったら、すぐに現場に用意しろ、泥棒を捕まえてから縄を綯う、事故が起こってから潜降索をつくる。などとうそぶいていた。 水中レポートでも、通話ケーブルと潜降索が絡み合うので使わなかった。釜石のシステム潜水ではステージで潜降したから、潜降索は使った覚えがない。27歳の時の100m潜水では使ったが水深80mで命綱と潜降索が絡み合って動けなくなり、潜降索ごと上げてくださいと水面に連絡したが、水深60mまで浮上したとき、スタンバイダイバーの安森が潜って来て、なんとか水面まで絡んだロープを引き上げてきて、減圧中にはずしたりした。潮流とか、状況によっては、ホースと潜降索が絡むのはあぶないのだ。 言うまでもなく、一般のスクーバでは、規則通りのさがり綱など見たことなどない。アンカーロープにつかまってとか、ポイントのブイロープにつかまって下りるのは違反なのだ。3mごとの印がついていない。 高気圧作業安全衛生規則の説明をながながとしてきたのは、これが本物の規則であり、例外は認められず、違反していて事故が起これば、アウトなのだ。しつこく言うが、レジャーダイビングでは、お客は潜降索など必要としない。ガイドダイバーとインストラクターで、業務潜水を行っている場合に必須なのだ。もしかしたら、これは須賀がオーバーに誇張していると思うかも知れない。しかし、これは規則なのだ。オーバーもへちまもない。日本の海で業務潜水を行う限り絶対なのだ。ただし、死ななければ問題ない。どんな弁護士を連れてきても、規則違反は許されない。まだ、聞いたことはないが、事故の賠償責任を追及するとき、ガイドダイバーが、潜降索を使っていなかったことが、事故の原因だと、僕が原告、つまり亡くなったレジャーダイバー側の弁護士であったとすれば、この規則を持ち出す。あとでも述べるが、2013年の日本水中科学協会シンポジウムでのTさんの事故例は、潜降索があったら起きなかった。多くの事故で因果関係は見いだすことができる。 それでは、どうすれば良いのか、100人中99人までが遵守できない規則は、改正してもらう他ないのだ。ご存じのようにレジャーダイビング業界は、PADIとかNAUIでインストラクターの大半を占めている。そのインストラクターの多くは業務に従事している。だれもさがり綱は使用していない。ここまでの論理展開がまちがっていると思われたならば、議論に応じる。規則だから、遵守については議論の余地はない。今後どうするかについての議論だけになるはずだ。 続く
補遺として、「本条では、潜水業務でのさがり綱(潜降索ともよばれる)の使用を義務づけている。さがり綱は、潜水方式に関係なく、送気式潜水ならびにスクーバ潜水のいずれの場合にも必要である。さがり綱には、3mごとに水深表示の印を設け、減圧浮上時にはこれを停止深度の目安とする・これにくわえて、さらに細かい間隔で表示を付けることは差し支えないが、3mごとの表示と混同しない表示にすること。」 ここには、原則として、とか望ましい、とかいう語句は見あたらない。つまり絶対なのだ。 ところで今、スクーバでも、また最近の工事で主流となっている送気式のフルフェースマスクでも、この潜降索を使用して潜水しているのを見たことがない。港湾土木などでは、多分、大部分の現場で用意はしているだろう。このごろあまり現場にでたことが無いので、確認していないが、スガ・マリン・メカニックでは、このような潜降索を現場に用意していたことはほとんど無かった。冗談的に、事故が起こったら、すぐに現場に用意しろ、泥棒を捕まえてから縄を綯う、事故が起こってから潜降索をつくる。などとうそぶいていた。 水中レポートでも、通話ケーブルと潜降索が絡み合うので使わなかった。釜石のシステム潜水ではステージで潜降したから、潜降索は使った覚えがない。27歳の時の100m潜水では使ったが水深80mで命綱と潜降索が絡み合って動けなくなり、潜降索ごと上げてくださいと水面に連絡したが、水深60mまで浮上したとき、スタンバイダイバーの安森が潜って来て、なんとか水面まで絡んだロープを引き上げてきて、減圧中にはずしたりした。潮流とか、状況によっては、ホースと潜降索が絡むのはあぶないのだ。 言うまでもなく、一般のスクーバでは、規則通りのさがり綱など見たことなどない。アンカーロープにつかまってとか、ポイントのブイロープにつかまって下りるのは違反なのだ。3mごとの印がついていない。 高気圧作業安全衛生規則の説明をながながとしてきたのは、これが本物の規則であり、例外は認められず、違反していて事故が起これば、アウトなのだ。しつこく言うが、レジャーダイビングでは、お客は潜降索など必要としない。ガイドダイバーとインストラクターで、業務潜水を行っている場合に必須なのだ。もしかしたら、これは須賀がオーバーに誇張していると思うかも知れない。しかし、これは規則なのだ。オーバーもへちまもない。日本の海で業務潜水を行う限り絶対なのだ。ただし、死ななければ問題ない。どんな弁護士を連れてきても、規則違反は許されない。まだ、聞いたことはないが、事故の賠償責任を追及するとき、ガイドダイバーが、潜降索を使っていなかったことが、事故の原因だと、僕が原告、つまり亡くなったレジャーダイバー側の弁護士であったとすれば、この規則を持ち出す。あとでも述べるが、2013年の日本水中科学協会シンポジウムでのTさんの事故例は、潜降索があったら起きなかった。多くの事故で因果関係は見いだすことができる。 それでは、どうすれば良いのか、100人中99人までが遵守できない規則は、改正してもらう他ないのだ。ご存じのようにレジャーダイビング業界は、PADIとかNAUIでインストラクターの大半を占めている。そのインストラクターの多くは業務に従事している。だれもさがり綱は使用していない。ここまでの論理展開がまちがっていると思われたならば、議論に応じる。規則だから、遵守については議論の余地はない。今後どうするかについての議論だけになるはずだ。 続く
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0516 高気圧作業安全衛生規則6 さがり綱2
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